百花繚乱・第一部

『これは、朱雀の船だ!絶対に、北甲には行かせるな!』
『おおおっ!!』
天気は雷雨。波は大しけ。
船を動かすには最悪な条件の中、一隻の船上では壮絶な闘いが繰り広げられていた。
それは北甲へ向かう者と北甲へ向かわせない者との闘い。北甲へ向かう朱雀七星と北甲へ向かわせない倶東軍の闘いだった。


『あははっ!愉快だねえ、朱雀七星。ここで、全員転覆してもらうよ!』
少し離れた岸壁の上で高笑いするのは、桃色の髪の毛を片側に結わえている女。
朱雀七星が北甲へ向かったと知った心宿が彼らを足止めする為に派遣した、青龍七星・房宿の姿だった。
『いくら身体能力が並外れているといっても、所詮は荒れた気候の中に浮かぶ船の上。あたしが作り出した雷雨と大勢の軍の前でいつまで体力が持つか、見せて貰おうか?』


『破!!』
井宿が印を結ぶと、彼に襲い掛かった何人かの兵士が一斉に吹き飛んだ。
『くそっ!船が揺れて、上手く攻撃できねえ!』
その横で鬼宿と軫宿も気孔術で敵を薙ぎ倒していくが、房宿の読み通り、安定しない船上で気孔術を使って敵を倒すには普段の倍の時間がかかった。
これでは体力が落ちるばかりか、誰かに危険が迫っても瞬時に対応が出来ない。
そう。こんな時は気孔術ではなく、井宿のように一気に敵を吹き飛ばせる術に長けた者が必要になる…のだが。

『うぷ…何で、船の上なんや…』

その貴重な術を扱える武器を背中に背負いながらも、戦いに参加せず甲板にしがみついている七星士が一名…
『おい、翼宿!サボってないで、仕事しろよ!早く、烈火神焔使え!』
『そやかて、たまちゃん…この状況は、俺様には無理じゃ…』
甲板にしがみついてブルブル震えている翼宿は、山の男。
極度の船酔いで、思うように体が動かないのだ。
『うおおおおおっ!』
『ほら、行ったぞ!』
『~~~くそっ!』
そんな翼宿に一人の兵士が襲い掛かり、彼は渾身の力でその兵士を蹴り飛ばした。
しかし船酔いで体力ゼロの自分には、せいぜい一人を倒すのが精一杯。
するとその様子を見て、一人確実に弱っている七星士がいると踏んだ兵士達が次々と翼宿に狙いを定めて襲い掛かっていく。
(あかんっ…俺、死ぬ…)
最早応戦出来ないと判断してぎゅっと目を瞑った、その時。

ドオオオン…

『うわああああっ!!』
そこに大量の樽が投げ込まれ、兵士達はその樽に巻き込まれながら一気に海へと転落していった。
そう。その延長線上にいた、翼宿も一緒に…
『どわあああっ!!』
間一髪、船の柱にしがみついて難は逃れたものの、翼宿はその樽が投げられた先を睨み付けた。
そこには、手をパンパンと払う柳宿の姿がある。
『あら?一人多く巻き込んだかしら?』
『柳宿!おんどれ!!狙いを定めろや!』
『そんなトコでブルブル震えてる、あんたが悪いのよ!』
『…柳宿。船は壊さないでほしいのだ』
この非常時に甲板で痴話喧嘩を始める二人を見て、井宿は小さくぼやいた。

『きゃああっ!!』
『美朱!?』
その時、張宿と一緒に隠れている筈の美朱の悲鳴が甲板にこだました。
柳宿は、一目散に二人が隠れている倉庫めがけて走り出す。

『くっそお!俺は、もうブチ切れた!烈火神焔!!』
周りが落ち着かない事に痺れを切らした翼宿はやっと本領発揮の烈火神焔を炸裂させ、船上に群がる兵士を一気に燃やし尽くした。
『もっと、早く復活してほしいのだ…』
井宿は相棒の術師の復活にやっと負担が軽くなり、ふうとため息をついた。


『美朱!どうしたの!?』
柳宿が二人の元に駆けつけると、丁度兵士が剣を二人に振り上げているところだった。
『ちょっと!!』
『うああっ!!』
間一髪、その兵士の両腕を反対側にねじ曲げてへし折り、海へと蹴り飛ばす。
『二人とも!怪我はない!?』
『僕は、大丈夫なんですが…美朱さんが…』
見ると、美朱の左足から血が出ている。
『ごめん…張宿と逃げてる間に、矢が足に掠めたみたい。その血痕を辿って、敵に見つかっちゃって…』
『すみません、僕が至らないばかりに…』
『何言ってんのよ!張宿。あんた戦闘向きじゃないんだから、仕方ないの。それより、美朱。医務室で手当てよ。さ、捕まって!』
『みんなは…無事なの?』
ゴオオオッ
そこで船の甲板の方向が炎の色に明るくなるのを見た柳宿は、ため息をついて答える。
『大丈夫…やっと、バカが復活したみたいだから』

医務室に運ばれた美朱の足の手当ては、無事に済んだ。
『ありがとう。柳宿も、戦いに戻らなきゃいけないのに…ごめんね?』
『いいのよ。あたしが暴れると船壊すみたいだから、男衆に任せてた方がいいでしょ』
自分は怪力を使えばいくらでも物は振り回せるが、気孔術のレベルは他の男衆には敵わない。
こうして立場の弱い者のケアをしている方が、いいのかもしれない。
張宿は応戦出来るものが船の中にないかを探しに行ったので、今は美朱と柳宿の二人きり。
それに気付いた美朱は、何か言いたげな表情で柳宿を見つめた。
『なあに?美朱。お腹空いた?』
『柳宿…こんな時にする話じゃないんだけど………星宿とは、どうするつもりなの?』
その言葉に、柳宿はハッとなる。
星宿の心が自分に向いていた時、柳宿は何を思っていたのか?美朱なりに、ずっと気になっていたのだ。
そんな気遣いにふっと微笑むと、次には優しく彼女の頭を撫でた。
『なーに、深刻な顔してんのよ!これからまた戦いが続くってのにさ、星宿様星宿様言ってる場合でないじゃないのさ!』
『じゃあ、諦めるの?』
『んー…そうね。それに次に紅南に帰ったら、妃を取ってるかもしれないじゃない?そろそろ、世継ぎの事も考えなきゃいけない時期だしね』
『そっか…』
当の昔に告白してフラれているなんて事を話せば、またこの少女は悲しい顔をするに違いない。
この時、柳宿はその事だけは精一杯隠し通す事に決めた。
しかし、次に彼女の口から飛び出たのは意外な言葉だった。
『そうだ。仲いいよね?最近、翼宿と…』
『た、翼宿?』
『翼宿、女の子嫌いって言ってたけど、柳宿とは自然体で話せてる気がする。ねえ!翼宿なんか、どうなの?』
『あのね…それは、あたしがオカマだから…。…って、ちょっと待って?あんた、あたしにあいつを薦めてる訳?』
『だって、柳宿には幸せになってほしいんだ。柳宿は翼宿の事、嫌い?』
『嫌い…ではないけど…』
その時に思い出されたのは、先日の星見祭りの事。
翼宿の顔が近付いてきた時、確かに胸が熱くなった。
今までは何とも思っていなかったけれど、あの日の彼にほんの少し男を感じたからなのかもしれない…
しかし、次には柳宿はその思いを振り払う。
『もう!美朱?今は、そんな事話してる場合じゃないでしょ?さて!そのバカももうすぐ限界だろうし、様子見てくるわ!内側から、鍵かけときなさいよ!』
『う、うん…』
半ばその会話から逃げるように医務室の扉を閉めると、空を仰いでため息をついた。

あたしが好きなのは、星宿様みたいな憂いを帯びた方―――
あんなガサツな奴…好きな訳ない。
だけど、あたしにとって翼宿は…?

そこで考えるのをやめて、甲板の方向へ駆け出した。


『ぜえ…ぜえ…ぜえ…。全然、減らへん…』
案の定、翼宿の体力は再び限界に達しており、崩れた体を鉄扇で支えるのが精一杯といった状態だった。
烈火神焔が使えるようになっても苦手な船の上という状況は変わらず、三回鉄扇を振るえばたちまち肉体は疲れ果ててしまう。
『持って…十分や』
『翼宿!ちょっと!あんた大丈夫!?』
そこに駆け付けた柳宿は予想以上の彼の衰弱ぶりに驚き、そんな翼宿の肩を支えた。
『何で、出てくんねん!お前がいても、邪魔になるだけや!』
『もう、こんな体じゃ無理よ!一旦、美朱と一緒に医務室に…』
『んな、男が廃る事できんわ!ええから、お前は美朱を…』
『翼宿!!』
二人の周りを兵士が取り囲んでいる事に気付いたのは、井宿が翼宿の名前を叫んだ後だった。
すると柳宿はすぐさま翼宿の前に回り込んで、構えのポーズを取る。
『来るなら、来なさい!こいつには、指一本触れさせないわよ!』
『おい、よせ…』
気孔術のレベルが低い柳宿にとっては、せいぜい二人を相手にするのが精一杯の筈。
四方から襲われれば、さすがの彼にも隙が出来る事は否めない。
『女一人だ!やっちまえ!!』
『…………ちっ!!』
兵士が柳宿に接触する前に、翼宿は彼の肩を掴んで思いきりその胸に引き寄せた。
『たっ、翼宿!?』
『烈火………神焔!!』
最後の力を振り絞って鉄扇を降り下ろすと、橙の炎が四方の兵士を焼き尽くした。
すると、その衝撃で船が大きく前のめりに傾き―――

『ありゃ?』

バランスを崩した翼宿の体も、後方に引っ張られるように傾いて。
『翼宿!!』
そしてそんな彼の腕を掴んだ柳宿もまた、そのまま引っ張られて。

『柳宿!翼宿!』

二人は、漆黒の海の中へ姿を消した。


あんなガサツな奴…好きな訳ない。
だけど…あたしにとって、翼宿は唯一心を許せる"かけがえのない親友"。
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