悠の詩〈第3章〉

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 ステージのふたりは目配せをすると、まず先に柏木が旋律を奏でた。

 それは、学校でやったのとは違う、いわば柏木のパートと樹深のパートを柏木がひとりでやってのけている、レベルの高い演奏。

 忙しそうな柏木の指の動きに目を見張っていると、旋律に環奈さんの歌声が乗った。

 日本語じゃない、英語の歌詞。透明感のある、天使が歌ってんじゃねぇかって位…放心しかけた自分に気付いて、フルフルと首を振った。

 その時、視界の端に、客席にひとり誰か座っているのを捉えた。

 あれは…たしか、士郎くん。あぁアンナ、の、ボーリング場で環奈さんと一緒にいた人。

 暗がりだったが俺には見えた、士郎くんが歯を食い縛りながら、ステージのふたりを真っ直ぐに見ているのを。

「士郎が怪我をした時は本当に背筋が凍りましたが…悠がギターの腕を上げてくれたので…」

 柏木の父ちゃんがボソボソとコタ先生に話すのを噛み砕くと…

 本来はあのギター役は士郎くんで、稽古の合間に息抜きに柏木にギターを教えていた。

 10月に入った頃、士郎くんはバイクですっ転んで利き腕を骨折してしまい…

 彼の代役を、柏木が努める事になった。劇団の中に誰もギターをこなせる人がいなかったから。

 士郎くんがつきっきりでギターの指導をするも、骨折している身では限界がある…

 そこからの、学校の音楽準備室でのコタ先生との練習ってワケだった。

 ジャラーン、と弦を撫でる音が鳴って、俺ははっとなった。

 歌が終わり、演奏も締められた。思わず拍手しそうになって、慌てて思いとどまった。危ねぇ危ねぇ。

「さ、バレない内に退散するか。柏木さん、今日はありがとうございました。千秋楽まで頑張って下さい」

 話し終えたらしいコタ先生は、柏木の父ちゃんにそう挨拶をして、入ってきた扉に向かって歩き出したので、俺も「お邪魔しました」とペコリと頭を下げて、コタ先生の後を追いかけた。

 扉をくぐる前に最後にもう一度、ステージを見る。

【あなたの音色は本当に素晴らしいわね。ほら、皆惚れ惚れとしているわ】

 という環奈さんの台詞の後に、

【あなたの声に、ですよ。こんな大勢の前で、得体の知れない僕と一緒に音を重ねてくれて…お疲れ様。ありがとう──】

 柏木がそう言ったのを聞いて、あ、あの時のありがとうはこれの練習台だったんだなと、合点がいったと共に苦笑いもこぼれた。





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