ボーダーライン〈後編〉
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「…っ。
け…んちゃん…
もう戻らないと…っ」
「札、立ててきたんだろ…?
大丈夫だろ…」
「ダ…メ…
館長に怪しまれちゃう…
ノブ、くんも…もうすぐ、来る…ぁんっ」
松堂さんが紡木さんの首筋に唇を這わせて、紡木さんが吐息を漏らしたのを合図に、僕は弾けたようになって、足音を立てないようにゆっくり後ずさった。
「奈津…声やらし…」
「…や…ぁ…けん…」
二人の秘め事の会話が遠ざかる。
聞こえなくなった所で、やっと受付に向かって早歩き出来た。
──聞きたくない聞きたくない聞きたくない。
さっき見た光景が頭から離れないし、ハッハッと短い呼吸しか出来なかった。
受付に戻ると、利用者の列が出来ていて、館長がカウンターに入って対応していた。
「あっキミ! 困るよ、離れるなら一言掛けてくれなきゃ」
早口でそう言われて、慌てて頭を下げた所で、紡木さんも戻ってきた。
「遅くなってごめんなさい! 手間取りました。
あっノブくん…待たせて本当にごめんね。
もう少しだけ待っててくれる? 今こっちを捌かなきゃ…」
紡木さんは少しだけ僕に視線を投げたけど、館長の「紡木さん!」という鋭い声に急かされて、素早くカウンターの中に入っていった。
人の列が無くなって、「ほんともう、次からは気を付けてね」と言い捨ててから館長がバックヤードに引っ込んだ。
それと入れ換えに僕がカウンター内に入り、紡木さんと一緒に資料の設置をした。
「ノブくんごめんね。どのくらい待ってた?」
「ん…と…15分くらい? かなぁ…」
「うわ…そんなにだった? ほんとごめんね…」
「いいよ、気にしなくて…」
紡木さんを探し回っていた事、紡木さんには言わなかった。
言ってしまったら、あの場面を見られたかもと紡木さんが危惧すると思ったから。
見たくないのに、紡木さんについた二つの新しいものが目に入る。
ひとつは、松堂さんが言っていた贈り物であろう、ボタンで留めるタイプの革製のモカ色のブレスレット。
もうひとつは…
「…紡木さん? ここ、赤いよ」
「えっほんと? …虫にでも刺されたかなぁ…ねぇ、目立つかな?」
「んっ…髪で隠れるけど…そうやって下向くと分かっちゃうかな…」
「えーっ…後で絆創膏貼らなきゃ…」
あの時に松堂さんがつけた
首筋の紅い痕
紡木さんの横髪がサラサラと前へ落ちる度にそれが現れて
僕の胸は誰かに握り潰されたようにギュウッとなった
…