ボーダーライン〈後編〉

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 見ちゃダメだ。

 そう思うのに、僕の足は、声のする方へズルズルと吸い込まれる。

 僕の目線の高さの書棚の隙間から、窓を背にしている紡木さんと、こちらに背を向けている松堂さんが見えた。

 僕は思わず身を屈めて息を潜めた。

「な…ズルい、よ…
 私には名前で呼ぶなって、言ったのに…」

「いーよ…
 オマエも呼べば、いーじゃん…
 昔みたいに…」

「けん、ちゃん…」

 紡木さんがめいっぱい頬を赤く染めて、涙目で松堂さんを見上げている。

「奈津…好きだろ? 俺のコト…
 俺からのプレゼントで、そんなカオをするんだから…」

「…好…き…
 ずっと好き…
 大学でまた逢ってから、ずっと…
 ……けんちゃんを見てたよ……」

 紡木さんの気持ちは分かってたはずなのに。

 見ないフリをしていた。

 僕にもチャンスがあるって舞い上がっていた。

 紡木さんの気持ちをハッキリ聞いた今…僕の心は宙ぶらりんになった。

「…奈津…子供みたいだったのになぁ…
 すっかり…女らしくなって…可愛いなぁ…
 なぁ…俺ら付き合おうか」

「えっ?」
(えっ?)

 紡木さんの声と僕の思ったことが重なった。

 それと同時に、松堂さんの片手が紡木さんの耳の後ろに差し込まれて、それで二人の向きが少し変わった。

 僕にも松堂さんの横顔が見えて、二人の間がもう数cmしか空いてなかった。

「可愛いよ…奈津…」

 もう片手で紡木さんの顎を掬って、松堂さんはゆっくり目を閉じながら…紡木さんの唇に触れた。

 ちゅ…

 ちゅ…

「…ぅんん…」

 唇が柔らかく食まれる音。

 紡木さんの艶かしい…声。

 僕は脳天を打ち砕かれて、その場から動けなかった。





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