風結子の時計

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 翌日の正午前に寿々子はやって来た。

 背には生後半年に満たない赤子、寿々子の子ではなく、かつて風結子がそうだった様に、乳を与える為に預かった子だった。

 そういう子が寿々子の家に何人かいる、その為に風結子の手が必要だった。

「わざわざ迎えに来て頂いて、相済みません。
 そちらへ送る荷物の中に出来うる限りの御礼を入れておきました。
 どうか風結子を宜しくお願いします」

 両親が深々と頭を下げるのを、寿々子は「そんな心配なさんな、風結子さんの手があればこちらも助かるからさ」思いやっているように聞こえるが、御礼という言葉を拾ってほくそ笑んでいるのが丸分かりだった。

 「さあ行くよ」挨拶もそこそこにきびすを返す寿々子の後を、いつまでもこちらを見送る両親を振り返りながら風結子はついていった。

 五度目に振り返った時にはもう両親の姿は見えなくなっていて、その代わり、前方に榮太郎の生家が見えてきた。

「おや、さっき来る時も騒がしかったけど…あすこの家で誰か帰ったようだね」

 帰った──風結子ははっとして顔を上げた。

 絶対に帰るという約束を果たしてくれたと、胸を踊らせたというのに…

 風結子が遠目で見たのは

 榮太郎の写真を胸の前で掲げる両親と

 それを半円に囲って「おめでとうございます」「よく戦いましたね」と口々に放つ近所の者達

 バンザイ

 バンザイ

 バンザイ

 誇らしげにひるがえる白旗は



 榮太郎が名誉ある戦死を遂げた事を意味した





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