風結子の時計

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 その数週間後、とっくに戦場へ発ったと思われた榮太郎が、突如風結子の前に現れた。

「ふうちゃん」

 榮太郎はキョロキョロと辺りを見回して、風結子の手首を掴んで細い路地に身を隠した。

「榮兄ちゃん? どうして」

 ここにいるの、風結子は沢山の疑問を抱いたが、はあはあと息を切らし汗を大量に流す榮太郎に何も聞けなかった。

 ようやく呼吸が整ったところで、榮太郎は話し始めた。

「ふうちゃん、俺は明日戦場へ発つ。今まではな、召集されてからずっと訓練所で待機だったんだ。
 発つ前に…耳に挟んだ事があって…内緒で戻ってきた」

 言いながら、榮太郎は自慢の腕時計を外す。

 その一連を目を丸くしながら見ていた風結子に、榮太郎は更に言葉を続けた。

「金属類回収令。ふうちゃんのとこには、まだ来てないか? 親父の店のもの、もう八割がた持っていかれてる。
 この…腕時計も、近い内に回収されてしまうかもしれない。だから」

 榮太郎に無理矢理開かされた右のてのひらに、その大事な腕時計の重みが広がる、風結子はひゅっと息を飲んだ。

「ふうちゃんが、預かっていてくれないか。
 俺が取りに帰るまで、毎日ネジを巻いてくれないか。
 誰にも、見つからないように。
 ふうちゃんにしか頼めない、いいか?」

 とんだ頼まれ事を聞いてしまった。

 でも、他ならない榮太郎の願い、引き受けないという選択肢は風結子の中にはなかった。

「いいよ。私やっといてあげる。絶対帰ってきてね」

 風結子の言葉を聞くと、榮太郎は複雑そうに風結子を見つめて「わかった」と言った。

 風結子は榮太郎が何故そんな顔をしたのか、分からなかった。

 さあ、見つからないように戻らなきゃ、そう言って辺りを警戒しながら走っていく榮太郎の背中を見つめても、風結子には分からなかった。





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