空の兄弟〈後編〉
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鷹が顔を出しにくるかもしれん、これにはちゃんとした根拠があった。
俺たちは、鷹の生存を知っていた。
鷹が俺たちのとこから去ってから終戦までの間、各都市で頻繁に空襲が起きていた。
手始めに1945年3月10日、東京が
アメリカの大型爆撃航空機化B29による大空襲やったらしい、俺は話でしか知らん。
これを聞いた時、あ、きっと鷹は死んでもうたわと正直思ったけど、その数日後、あいつから手紙が届きよった。
あの手紙には何て書いてあったんやろ。俺はまだ字ィ読めへんかったし、この時の事を未だに詳しく話せるほど、俺は物覚えがいいわけでもない。
俺の乏しい記憶をそれでも頼りにしてみれば、あいつの状況はこうやったと思う。
(東京が焼けた。僕の家も焼けたと思う。
父とも母とも離ればなれ、しかし僕は元気でいる。
どうか心配しないでほしい。)
たしかこの手紙を読んだ時に伯母さんが、もっと丁寧な字をお書きよと苦笑して言ったのを、それだけは鮮明に覚えとる。
そのほぼ同時期に、大阪でも大きな空襲があったという話を聞いた。
大阪に未練はない、お父ちゃんもお母ちゃんも妹の空子もおらん。
ふと、俺をよってたかっていじめとった近所の奴ら、あいつらはどうなったやろか、考えようと思ったが、けったくそ悪かったのでやめた。
4月、アメリカ軍がついに沖縄に上陸。
6月に完全占領されるまで、一体何人の日本人が死んでいったのやろ。
俺は確かにその数を聞いたはず、せやけど、覚えとけば覚えとくほど俺の頭が痺れる一方。
これ以後、俺は死人の数を数えるのをしなくなった。
結局一人も十万人も同等やろ。
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