空の兄弟〈後編〉
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正確には、幸代に電報が届けられる理由がなかった。
幸代の夫の戦死電報はとっくに送られてきたし、悟の両親が亡くなったという知らせも受け取った。
幸代にはそれ以外の電報を突きつけられる理由がない。
幸代宛でないなら鷹か悟かになるが、悟にも電報など来る理由がない。
「叔母ちゃん、電報って?」
「お前にだよ、鷹坊。東京から」
だからそう聞いた時、鷹はてっきり東京の家の心臓を患っている父が死んだと思って、その場で腰が抜けそうになった。
「早く読んでみせて、伯母さん」
卓袱台の席について静かに電報の封を開ける幸代の背後に、悟が回った。
幸代が中身を黙読し始めた。
鷹も、幸代の肩越しから電報の文字を読み始めた。
「鷹に、政府から…」
以降、鷹は言葉を続けなかった。
そして、ずいぶん長い間言葉がなかった。
鷹も幸代も、目を見開くばかりである。
「一体なんやってん、なあ!」
黙る二人に業を煮やし、まだ文字を読めない悟は叫んだ。
すると突然鷹が、うおおと奇声(に悟は聞こえた)をあげて、居間を走り出ていってしまった。
鷹の奇声に悟が頭をクラクラさせている間に、
「召集令状」
と、幸代が虚ろ気味に、しかししっかりと言った。
悟はその言葉が耳に入らなかったし、聞こえたとしても、その言葉の意味が彼にとってどれほど重要か、その時の彼が知っているはずがなかった。
この数時間後、あの電報が鷹及び鷹の身の周りの人間を喜怒哀楽の道へ導く様を、悟は目の当たりにすることになるのをまだ知らない。
鷹宛ニ 政府ヨリ 赤紙キタリ
三月頭ニ 身体審査ガ アルトノコト
三月ニ入リ次第 コチラニ戻ルヨウニ
…