〈改稿版〉traverse
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(★)
「ハイハイ! オジサマ方! 樹深くんはもう帰るんだから! これ以上引き留めない!」
いつまでももう一曲もう一曲とせがむおじさま達を元ちゃんが一喝して、この日の打ち合わせはお開きとなった。
樹深くんはクスクス笑いながら、帰り支度を始めた。今日も元ちゃんに、一緒に帰れって言われると思ったから、樹深くんに合わせて支度をする。
そして、樹深くんと一緒にきたいわ屋を出た。
「勇実、ちょっと」
「んっ?」
元ちゃんが引き戸を少しだけ開けて、上半身だけ外に出した。
元ちゃんに駆け寄る。
「なにー?」
「裏来て。忘れ物」
何を忘れた? ここで渡さないの? よく分かんないけど、自転車のスタンドを立てながら樹深くんに、
「樹深くんゴメン、先行ってて」
と言うと、
「? うん。また喫茶店でね、イッサ」
樹深くんは特に気にせず、先に帰っていった。
元ちゃんの言う通り、裏口へ回る。先に元ちゃんが待っていて、はーっと息をついていた。
「元ちゃん? 何忘れちゃってた?」
私がそう言い終わる前に、元ちゃんは私を抱き寄せて、唇を塞いだ。
「! …ん…」
肩に、腰に、腕を絡められて、閉じ込められながらの激しいキス。
強いリップ音をワザと立てられて、あっという間に私の頭の芯はボーッとなった。
「は…じめ…ちゃん…?」
ようやく唇が離れて、掠れ声で聞く私。
至近距離で私を見つめる元ちゃんの瞳が、ゆらりと揺れた気がした。
そして何も言わず、私の肩に顎を乗せて…
元ちゃんの唇が、私の首筋を静かに這う。
同時に…元ちゃんの手が服の中で、私の肌を滑った。
「あ…あ……」
心臓の裏っ側からゾクゾクと、甘い痺れが広がる。
「みっともねー…すげぇ、嫉妬してる…」
元ちゃんがつぶやいた。誰に? って聞かなくても分かる。
「余裕見せつけたかったけど…ダメだなぁ…最初だけでいっぱいいっぱいだ…
樹深くん、いいヤツだよな…
勇実…無茶苦茶言ってるって分かってるけど…楽しそうにすんなよ…」
「んん…っ…」
答えられない。元ちゃんからの刺激で、なんにも考えられない。ドキドキして、苦しくて、涙が滲む。
「他のヤツは見るなよ…俺だけを…見てろよ…
…俺だけに…見せて…」
こんな暗がりの中、元ちゃんにこんなコトをされても、ちょっとコワイ…と思っても、拒めない私。
だって、好きなんだもん…
「…ゴメン…こんなコト…オマエにだけ…だから…」
元ちゃんの切なげな声が、私の掠れた息づかいと共に闇に溶けた。
こんな事が、曲が出来上がるまで、ずっと続いた。
樹深くんが帰った後の、元ちゃんとの秘め事。
…