〈改稿版〉traverse

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「ねぇイッサ、ちょっと話したい事があるんだけど。いい?」

 マスターの言葉を全く気に留めてないみたい、すっかり食べ終えた樹深くんが、食後のコーヒーをすすりながらそう言った。

 え、なんだろう。

 樹深くんの意味深な眼差しにちょっと気圧されながら、樹深くんの次の言葉を待った。

「あのさ。実は、新曲を作ろうと思ってて」

「え、そーなの? どんなの?」

「こないだのナイター、楽しかったからさ。その時の気持ちを歌にしたくて」

「うんうん! いいんじゃない? おもしろそー!」

「でしょ? でね、出来上がったらさ…イッサと一緒に歌いたい」

「うんうん! …ん? はい?」

「歌詞も、一緒に考えてほしい」

「…はあーー!?」

 樹深くんの、ぶっ飛んだ提案。頭ん中真っ白になっちゃったよ、私。

「…ウソでしょ?」

「本気~」

 樹深くんは笑顔で言うけど、そんな簡単な事じゃないでしょ。

「いや…いやいやいや…それオカシイから…
 ムリだよ、突然過ぎる。歌詞なんて考えられないし、私オンチだし」

「突然でもないよ、球場にいる時から…ずっと考えてて」

 あ、そういえば、ボンヤリ考え事をしていた樹深くん。あの時から?

「イッサは音痴じゃないよ? 声、よく通るし。誰かに言われた?」

「え…だって…
 前にさ、○○の【△△】一緒に歌ったでしょ。あの時に聴いてたカップルさんに、素敵なハーモニーって言われた。
 私、ハモってるツモリなかったのにぃ」

「あぁ、あの時。
 ハモったの、俺だよ。主旋律はイッサ。気付かなかった?」

「え、そーだったの? なぁんだー。
 …いやいや! だからってねぇ」

「へーきへーき。
 俺さ、お盆の時期に実家帰るから、その前に披露したいんだよね」

「えっ? じゃーあんまり時間ないんじゃないの」

「でしょ? だからイッサも手伝ってよ。ハイ決まりね」

「ちょっとー! まだやるって言ってませんけど!?」

 樹深くんのこの強引さ、最近は鳴りを潜めていたと思ったのに。

「またなんか、楽しそうに盛り上がってるネ。
 はい勇実ちゃん、モーニング食べて、彼と頑張ってネ」

 マスターがウィンクしながら、私にモーニングプレートを渡してきた。

 あーもう。とんでもないことになったよ。





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