〈改稿版〉traverse

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 金曜日。思った通り、樹深くんは復活していた。

 いつものようにあの場所の手前で信号待ち、樹深くんの歌声が響く。

 樹深くんの前には、何人かのお客さん。

 樹深くんと初めて出逢ってから2ヶ月と少し、私の他にも樹深くんの歌を繰り返し聴きにやって来る人が、ちょっとずつ増えてきているみたい。

 車道の信号が赤になって、歩行者信号が青になる。

 一歩踏み出そうとした時、

「ねぇ、ちょっと」

 私の背後から声が飛んだ。

 振り返ると、あっ、こないだ見た茶髪ロングの子。あの時と同じ、鋭い眼差しを私に向ける。

「え…と?」

 戸惑っていると、彼女は私の横に並んで、私と向き合った。

「あなた、後藤さんの何?」

 へっ、後藤さん? 後藤さんってダレ? あっ、樹深くんか。でも、なんでここで樹深くん?

「えと、私は樹深くんの友…」

「馴れ馴れしく呼ばないでっ」

 私の言葉に、彼女がものすごい勢いで被せる。

 えええ、なんだこれ。私なぜ、責められてるみたいになってるんだろう。

「あなたが後藤さんの傍をウロウロするから、他の人が彼の歌を聴きたくても聴けないんじゃないの。
 やめてほしい。
 私、知ってるんだから。あなた、彼氏いるでしょう? それでいて後藤さんとも、あんな仲良さげに…なんなの、ほんと。近づかないで」

 言い終わると、彼女は横断歩道を足早に渡っていって、ナギサ、と誰かに呼ばれて、その子と一緒に樹深くんのステージの近くへ駆けていった。

 私は…しばらくその場を動けなかった。信号が赤になり、渡れなかった。

 また青になった時にやっと渡って、樹深くんの歌を聴いているお客さん達の少し後ろの方で、自転車に跨がりながら停まった。

 さっきの子、ナギサが、肩越しにまた睨んでいた。

 私はナギサのその視線を複雑な気持ちで受け止めて、それから、樹深くんをぼんやり眺めた。

 私、樹深くんのジャマになってた?

 …そうかも。

 私が来ると樹深くん、歌うのやめておしゃべりするもん。ギターをつま弾くのは続けるけど、それをBGMにして、私も樹深くんとのおしゃべりが楽しくて。

 途中でお客さんが来た事に気付いたら、樹深くんは歌うし、私は端へ移動する。

 …そんな気遣いだけじゃ、ダメなのかも。私と同じように、樹深くんの歌が好きな人、いるんだよね。

 私は、ふぅ、とひと息ついて、ペダルを漕ぎだした。

 ナギサが樹深くんの方へ視線を戻したのと、樹深くんが一瞬私を見たのを、同時に確認したけれど、気付かないフリをした。

 背後から、樹深くんの歌声。いつもより、調子がいいように聴こえた。

 試してくれたのかな? ハチミツ大根。





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