〈改稿版〉traverse

56/171ページ

前へ 次へ


 むー。野球、誰か一緒に行ってくれるかなぁ。

 月曜の朝、喫茶KOUJIのカウンター席で、声を掛けてみようと思う専門学校の友達を何人か思い浮かべる。

 私の隣には、食後のコーヒーをたしなむ樹深くん。私の定位置がいつの間にか、あの窓際の席じゃなくなっていた。

「まーた、ナニがそんなに悩ましいの」

 樹深くんが笑いながら聞く。

「悩ましいって(笑) まぁ、悩んでるけどさ。
 ナイターのチケット貰ったんだけどね、まだ一緒に行ってくれる人を見つけてなくて。
 今週の平日いっぱいだから、ちょっと急がないと」

「ふーん。あれ、元さんは?」

「それがね、今週の休みは元ちゃん用事があって会えないの。一緒に行きたかったんだけどね」

「ふーん、そう」

 そう言って、樹深くんはうーんと考え込んでしまった。どうしたんだろ? と見ていたら、

「それ…俺が行ってもいい?」

 樹深くんが、カップに口をつけたままふーっと息をついてそう言った。

「え? 樹深くん、野球好き?」

「ん? 野球がというか…思いきり大声で応援するのって、いいじゃん? それに、スタジアムの雰囲気も好き」

「そっかぁ。じゃあ、いつなら行ける? さっきも言ったけど、今週の平日じゃないとダメなんだけど」

「今日」

「へ?」

「今日じゃダメ?」

「いや、大丈夫だけど…急だね?(笑)」

「うん(笑)」

 樹深くんの受け答えがなんかおかしくて、話してる途中で笑いが止まらなくなっちゃって、それを見て樹深くんも、笑っちゃってた。

「あ、でも、ちゃんと元さんの了解を得てよ? 他の男と一緒だなんて知ったら、いい気はしないだろうから」

「え? そう? 元ちゃんは大丈夫だと思うけど。だって、友達と行ってこいって言ったよ?」

「だからさぁ…あーもう…イッサは恋愛ビギナーだからなぁ。
 まぁいいや。とにかく、元さんがダメって言ったら、俺は行かないから。後で連絡して。
 あ、そういえばまだ教えてなかったっけ…ハイ、これ俺の電番とLINEのIDだから」

 樹深くんはそう言いながら、作詞の手帳にサラサラと書いて、その部分を破り取って私に渡した。

「マスターごちそうさまでした。じゃーイッサ、ほんとにちゃんと、元さんに聞いてよね?」

「うん分かったってば、しつこいなぁ」

 何度も私に念を押して、樹深くんは喫茶KOUJIを出ていった。

「恋愛ビギナーだって。ウマイ事言うね、彼」

 樹深くんの食器たちを片付けながら、マスターは笑いで肩を揺らした。

 まったくもう、本当、樹深くんは私をいじり過ぎ。

 でも…最近はもう、樹深くんのからかいには慣れた。

 その中に、決して意地悪ではない、樹深くんなりのエールが込められているのを知ったから。

 コーヒーを飲みながら、さっき渡された樹深くんの番号とIDを、携帯に登録した。





56/171ページ
スキ