〈改稿版〉traverse

33/171ページ

前へ 次へ


 え? 即興? って、今その場で作るって事?

 少々混乱しながら樹深くんを見ると、樹深くんはカントリー調の旋律でギターを奏で始めた。

 樹深くんが次々にそれに乗せていく言葉に、私も、彼氏さんも、彼女さんも、じっと耳を傾けた。



 ♪毎日のように耳を擽る
 ♪電話越しの声
 ♪目を閉じればすぐ近くにいる様    
 ♪なのに ねえ
 ♪こんなにも距離が空いてるの?
 ♪こうして逢いに行く度に
 ♪それを痛感させられるよ
 ♪これから逢えるというのに
 ♪嬉しさ半分 切なさ半分

 ♪早く声を聞かせて
 ♪優しく抱き止めて
 ♪沸いてくる願望ぐるぐる回る
 ♪だけど ねえ
 ♪逢えた途端支配するのは
 ♪やがて来るサヨナラの時間
 ♪今一緒にいるというのに
 ♪嬉しさ半分 切なさ半分

 ♪大丈夫かな 不安になるよ
 ♪大丈夫 心配しないでいいよ
 ♪こうして繋がれた手から
 ♪沢山の温もりアイシテルをあげるから
 ♪おうちに持って帰れば
 ♪そんなに寂しくならないんじゃないかな

 ♪あなたの きみの
 ♪帰る場所でありたい
 ♪サヨナラじゃない別の言葉を
 ♪「いってきます」
 ♪「いってらっしゃい」
 ♪「ただいま」
 ♪「おかえり」

 ♪この繰り返しを…きみといつまでも



「…お粗末様でした」

 最後のメロディをゆっくり弾きながら、樹深くんはそう締めた。

「うわぁ…俺達にそんな、素敵な曲を?
 …ありがとう…」

 彼氏さんが彼女さんの肩を抱きながら、ふわっと綻んだ。

 彼女さんも、口で両手で覆って、涙ぐんでいるようにみえた。

「どうぞお幸せに…
 俺が言ってどうすんのって話ですけど(笑)」

「うん、うん、ありがと…おかげで、俺…」

 樹深くんの言葉に、彼氏さんが何か言いかけた。

 えっ? と彼女さんが彼氏さんの顔を覗き込むと、彼氏さんは大きな咳払いをひとつした。

「ゴホン! とにかく、おにいさん、がんばって。また見かける時があったら、絶対聴いていくから」

「素敵な歌、本当にありがとうございました。またいつか」

 ふたりは、寄り添うようにその場を去っていった…

「フフッ…あの人、近い内にプロポーズするかもね…
 …イッサ? ナニ泣いてるの?」

「なっ…泣いてない!」

 ふたりの背中を見送った樹深くんに言われて、慌てて目に指をあてた。ほら、泣いてない。

「…やるなぁ、って、思っただけですよーだ」

 あの人達を見ただけで、すぐにあんな曲を作れちゃう樹深くんに…素直に感動した。

 ラーメンの歌みたいに、ふざけたのしか作らないんじゃないんだね。すごいんだね、樹深くん。

 って言えばいいのに、口に出せない。なんか恥ずかしくて、樹深くんにからかわれそうで、なんかイヤ。

「…ありがと、イッサ。
 なんかちょっと、上から目線だけど(笑)」

 樹深くんは私の顔を長いこと見つめて、ふっと口元を緩めてそう言った。

 そんな、樹深くんの路上初視聴の夜だった。





33/171ページ
スキ