〈改稿版〉traverse
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マスターが奥へ消えても、私達は話し続けた。
席は変わらず、私は窓際、樹深くんはカウンター。樹深くんは普通に喋るのに、私は声を張り上げる。
「なんか…私のヒミツばかり晒されてる気がする…
樹深くんはどうなのよ。
いつもあそこで歌ってるの?
プロを目指してるの?
お仕事してるの?
なんでこんな朝っぱらから、ギター持ってここにいるの?」
「ヒミツって(笑)
俺はね、派遣社員で警備の仕事してるの。夜~明け方の勤務が多くて、今日もその帰り。時々、単発のバイトも掛け持ちしたりするけど。
この喫茶店は…こないだたまたま入って、その時は夕暮れ時だったんだけど…気に入ったから。
ギターは…別に…目指してるわけじゃないけど…
火曜と金曜の夜に、あそこで勝手に演らせてもらってる。
毎日弾いてないと腕が鈍るから、仕事でも持っていって休憩中に弾いたりしてる」
「ふーん…
はっ! まさか、仕事場で、ラーメンの歌歌ってるんじゃないでしょうね…!?」
「えっ? ハハハ、してないしてない。自分で作ったのは、あそこでしか歌わない」
「ほっ…」
「あれ、別にイッサの歌じゃないからね?」
「うそばっか。私が自転車で通り過ぎた後で、笑いながら歌ってたクセに…」
「ククッ。まぁ、気が向いたら、立ち止まって聴いてってよ。誰かの曲でも、リクエストあれば弾くよ?
じゃ、俺帰るから。またね、イッサ」
「うーん、まぁ、その内ね。だから、イッサって言うな!」
そう言った時には、樹深くんはもう店から出てて、窓の外からヒラヒラと手を振って、駅の方へ消えていった。
ほんと、マイペースな人。
あのラーメンの歌を聴く前に、今度は立ち止まって聴いてみようって思った事、樹深くんには言わないでおこうって思った。
知らず知らず樹深くんのペースに乗せられている自分…それがちょっと、悔しいから。
…