〈改稿版〉traverse

24/171ページ

前へ 次へ


「あいよ、醤油おまち。ほら勇実、オマエの味噌な」

 元ちゃんが出来上がったラーメンをカウンターに置く。

「あ。ありがと、イッサ」

 あっしまった。仕事の延長上で、樹深くんのどんぶりを取ってあげてしまった。もう、じわじわと仕返しをするつもりでいたのに。

「なんかさっきから、ペットみたいな名前が聞こえるんだけど? イサミだからイッサ? おもしれー、やるね、キミ」

 くっくっくっと、片手で口を押さえて笑う元ちゃん。

 もう! だからイヤなのに!

 元ちゃんを叩きたかったけど、カウンター越しでそれは無理だから、樹深くんの二の腕を怒りに任せてぐいっと押した。

「あっつ。ズルッ…やめてよ、イッサ。イッサの味噌、伸びちゃうよ。ズルズルッ…あ~、うま~っ」

 話しながら、器用に食べる樹深くん。

 樹深くんに味噌を味見されやしないかと警戒しながら、私もラーメンをすすった。

 樹深くんは自分のを食べながら、私の味噌をじっと見ていたけれど、横取りするような事はしなかった。ただひとこと、

「うまそ…いいなぁ…」

 とつぶやいていた。

「そうだ元ちゃん、自転車、置かせて貰ってもいい? あと、傘も貸してくれたらいいなぁ」

 私が先に食べ終わって、帰り支度をしながら元ちゃんに聞く。

 すると、奥で調理していた大将がひょいと顔を出して、

「おい元。勇実ちゃんを家まで送ってやんな。こんな時間にしかも雨の中、娘さんひとり歩かせるわけにゃいかねぇ」

と言った。

「えっ? そんな、いいですよ。元ちゃんが抜けたら、大将だけだと大変になっちゃうよ」

「いいっていいって。どうせ馴染みの連中しかいないし。元、分かったな? しっかり送り届けるんだぞ」

 大将だけじゃなく、常連さん達も、行ってこい行ってこいと囃し立てる。なんだろ、この連帯感?

「あー…じゃあ…まあ…行くか? 勇実」

「あー…じゃあ…お願いします」

 私と元ちゃんの間にも、変な空気が流れちゃった。

「あっ…勇実、悪ィ。傘、いっこしかねぇや…だから、あの…」

「えっ? 一緒に入れてってよ、元ちゃん。送ってってくれるんでしょ?」

「へ? あ、いいのね。じゃー…早く来い」

 首筋をポリポリと掻く元ちゃん。なんかヘン? と思いつつ、はぁいと元ちゃんの後について暖簾をくぐった。

 ザーッ…と、さっき見た時より激しくなっている雨音に、店内の喧騒が掻き消された。

 のに、

「またね、イッサ」

 引戸を閉める前に、樹深くんの声だけが聞こえた。

 ほんとに、よく通る声してるんだから。





24/171ページ
スキ