〈改稿版〉traverse

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「…あーっ」

 ハッピーバースデーの、ギターの、ミの人!

 と続けそうになって、慌てて口を手で覆った。彼が、こちらを振り向いたから。

「勇実ちゃん? どうした?」

 私の声はマスターにも届いていた。卵を炒めているであろう小さなフライパンを持ち上げて、マスターが聞いてくる。

「あっ? イヤ、なーんでも、ナイ、ナイ」

 口を押さえたまんま、フルフルと小さく首を振った。

「そう? もう少しで出来るから、待っててネ」

 気にすることなく、マスターは作業に戻った。

 はあー、なにやってんだろう、私。

 頬をついて、窓を見た。今まで気付いてなかったけど…カウンター席がバッチリ映っている。

 ミの人、もといギターの人は、もうこちらを向いてなくて、マスターからモーニングプレートを受け取っていた。

 足元にスポーツバッグとギターケース。歌ってきたのかな? 歌いにいくのかな?

 先日のハッピーバースデーの歌を思い出して、ふふっと笑みが零れた。

「勇実ちゃん? お待ちどおさま」

「わあっ! あ、ありがとうございます」

「なんか知らんけど、ゴキゲンだネ」

「そ、そうかなぁ? あははぁ。いただきまーす」

 厚切りピザトーストをガブリ。はあー、オイシイ。

「ごちそうさまでした」

「あ、ハイハイ、お会計ねー」

「えっ」

 ギターの人、もう食べ終わったの? 席を立ち、私の斜め後ろにあるレジに向かって歩いてきた。

 私はピザトーストをくわえたまま、ギターの人を見た。

 ちょっと色が白くて、伏し目がち。

 あ、目が合ってしまった。あ、意外と大きな瞳。

 ていうか、ジロジロ見ちゃって変に思ったよね。

 視線を逸らそうとした時…彼は、小さく、本当に小さく、会釈をした。

 え、えーと? どういう意味だろう?

 と思いつつ、反射的に私も会釈をする、ピザトーストをくわえたまま。

 カラカラン♪

 お会計を済ませて、彼はお店を出た。

 私は…見逃さなかったぞ。私が会釈を返した時、くっと肩が震えたのを。

 彼が駅の方へ消えていくのを、窓から眺めた。

 背中に携えたギターケース。また、きたいわ屋の帰りに見かけることがあるかもしれない。

「勇実ちゃん? いつまでトーストくわえてるの」

「へっ? あぁ、食べます食べます。あー美味しいなぁ」

 マスターに言われて、慌てて一口をかじりとって飲み込んだ。つっかえそうになったから、冷めかけたコーヒーを流し込む。

 あぁ危なかった。平静を取り戻す為に、半分以下まで減ったコーヒーの香りを、もう一度堪能した。





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