〈改稿版〉traverse
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季節はすっかり、秋深くなった。
あれから…寒がりの樹深くんは、薄手から厚手のジャケットに変わり、更にマフラーを巻いて路上に励んでいた。
樹深くんの前は常にお客さんで溢れ返って、また、遠くから樹深くんを眺めて、一曲聴いて帰る日々。
織田桐さん達に聴いて貰った日と、樹深くんが頑張ると宣言したあの日、誰も通らなかった事に運命を感じる。
そして、もう、あんな風に二人だけで、この場所で時間を共有出来ないんだと思い知らされて…
やっぱり、寂しい。でも、応援したい。
喫茶KOUJIでは変わらず、二人で話し込んで、笑い合っていた。
この時間もいずれは…無くなるんだろう。
この頃、きたいわ屋で、元ちゃんの味噌ラーメンが限定メニューで登場して、なかなかの売れ行きだった。
「勇実ぃ、樹深くん、元気にしてる? アイツ結局、こっちが来いって言わねぇと来ないのな。
今度引っ張って連れてこい、販売記念に食わせてやらねぇと」
「ふふ、うん、わかった」
樹深くん、喜ぶよ。あったまるーって、きっと言うよ。
元ちゃんには、樹深くんが夢を掴みそうになっている事を、まだ話していなかった。
本人から聞くのがいいだろうから、このまま内緒にしておこう。
その時、お店の電話が鳴った。滅多に掛かってくる事がないから、珍しいなと思った。
受話器を取ったのは、元ちゃん。
「ありがとうございます、ラーメン居酒屋きたいわ屋です。
…ハイ…ハイ…? はい、小山勇実はうちの従業員ですが。
…ハイ…え…?
…ハイ、今すぐ行かせます。それじゃ」
こんな騒がしいお店の中なのに、元ちゃんの受け答えがよく聞こえた。今、私の名前が出た?
「勇実、今すぐ上がれ。
オマエのおばあちゃんが…
とにかく、俺がバイクで送ってってやる。
オヤジ、いいよな? 店頼むぞ」
元ちゃんの言っている意味が、分からなかった。
…