traverse
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【きたいわ屋】の引き戸を開けると、お客さんは入っていなかった。
ハジメちゃんと大将がビックリして、
「うわっ、勇実? ずぶ濡れじゃんか! 雨降ってんの?」
カウンターからこちらに出てきた。
「うん。さっき、急にね。あ、もう止んだけど。
そうそうハジメちゃん、これナイターのおみやげ。渡したくて、寄っちゃった」
「おぅ、サンキュ。てかオマエ、そのままじゃ風邪ひくぞ? 俺のシャツ貸してやるから、それ着て帰れ。オヤジ、ちょっと上に上げるからな」
「おーいいぞ。イサミちゃん、しっかり体拭いてから着替えなよ」
「はぁい。お借りします」
ハジメちゃんと大将のご厚意に甘えて、店の2階に上がる。6畳の和室。ハジメちゃんと大将が営業後にひと寛ぎする部屋。
「ほれ、こっちの乾いたタオル使え。で、俺のシャツ」
「うん、ありがと」
何も考えずに、タツミくんに買ってもらったずぶ濡れのタオルを外して、ハジメちゃんのタオルとシャツを受け取った。
すると、ハジメちゃんが急にくるっと後ろを向いて、部屋の端っこに行ってしまった。
「? ハジメちゃん?」
「オマエなー…いや、なんでもねぇ…着替えたら、言えよな!
…もう…いくらなんでも…濡れすぎだろ…」
ハジメちゃんが壁に向かってブツブツ言うのを聞きながら、私はずぶ濡れのカットシャツを脱いで、肌を拭いてからハジメちゃんのシャツに袖を通した。
あは、ブッカブカ。
「なー、野球、どうだった?」
まだ背中を向けたまま、ハジメちゃんが聞いた。
「うん? 楽しかったよー。レフトスタンドだったから、街のチームの応援出来なかったんだけどね、相手チームの応援もすっごい盛り上がったんだよ。
タツミくんがいい声してるからね、応援団の人にすごい誉められてたよ」
「ふぅん」
「お弁当もね、球場で買ってスタンドで食べたんだぁ。ハジメちゃん、シューマイ弁当って食べたことある? 私は初めてだったんだけど、美味しかったぁ。
タツミくんはむかーし食べたんだって。っていうか、スタジアムも、むかーし家族で来たことあったんだって」
「ふぅん」
「帰り、商店街の入口までタツミくんに送って貰ったんだけど、途中で大雨になっちゃってね。
突然だよ!? 私もタツミくんもびしょ濡れになっちゃってさぁ…コンビニで傘とタオル買って…買ってもらっちゃって…
商店街でバイバイする時に返したかったんだけど、いいからって…タツミくん、風邪ひかないといいんだけど」
「……」
「ハジメちゃん? もう着替えたから、こっち向いていーよ」
「うん? あぁ。
だは、ブッカブカだな(笑)」
ハジメちゃんは、振り向くと同時にぶはっと吹きだした。
「もー、しょうがないじゃん。
ごめんね、借りてくね。洗濯して返すから」
脱いだ自分のシャツとバスタオルを、ハジメちゃんにもらった袋に詰め込みながら言った。
「そうか? じゃーそうしてくれ。家まで送るぞ?」
「えっ、いいよ、ひとりで帰れるよ。ハジメちゃん、お店空けたらダメだよ…」
「いや…今ちょうど客来てないし…オヤジもいるし…
……」
「? ハジメちゃん?」
ハジメちゃんが、片手を口に当てながら腕を組んで、黙り込んでしまった。
私を…じっと見てる。
「ナニ? どうしちゃったの?」
ハジメちゃんに近づく。
「俺のいない所で、そんな楽しそうにすんなよ…」
「うん?」
ハジメちゃんの言葉が聞き取れなかった。
ハジメちゃんが私の背中を引き寄せて、またくるっと壁の方へ向く。私を壁に寄りかからせるように。
ハジメちゃんがまた何か言った。
今度は聞き取れた。
「オマエ…意外に…あるな」
…