悠の詩〈第3章〉
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いつもはのんびりゆったり飄々とする樹深が、そんな表情を見せるとは本当に珍しい。
目を丸くして自分を見つめる俺達に、樹深は苦笑いをする余裕すらない。
「ふっ、後藤くんでもそんなんになるんだな」
はあぁと深い溜め息しか出ない樹深に、柏木はギターを脇に置いて、言いながら歩み寄った。
「あのさ、緊張しないおまじない、ってのがあるんだけど。興味ある?」
へっ、と樹深だけでなく俺も素っ頓狂な声を出す。
「えーと、うちのお父さんの、知り合いの人から随分前に教えてもらったんだけど。
こう、右の親指を左手で握って、目を閉じて深呼吸してごらん。
スー。ハー。だんだん落ち着いてくるよ」
俺達の前で実演する柏木。また劇団絡みの豆知識だろうか。
「う、わ、これヤバい。落ち着くを通り越して眠気が…(苦笑)」
同じ様にやってみた樹深がそんな事を言うので、目を閉じたまま柏木が吹き出した。
「ごめんごめん、昨日の内に伝えられてたらよかったね(笑)
あと、こんなのもある。鏡でもガラスでも、自分が映るものなら何でも、それに向かってにーって笑う。
って、なんでキミまでやるの。緊張してないクセに(笑)」
これは柏木は実演しなかった。窓ガラスに向かって口端を極限まで上げる、樹深と並んで俺もやったから。
その顔のままでうっせーなこんにゃろー、言ってやると、樹深が堪えきれず盛大に吹き出して、窓ガラスに小さく映る柏木もいつになくゲラゲラ笑う。
「あっはっは、もういい、もういいから(笑)
ありがとう柏木さん。春海ちゃんも。もう大丈夫だから、早く三人で合わせよう、ね」
笑い涙を擦りながら準備をする樹深、すっかりいつも通りだ。
「効果てきめんでようございました」
こちらも既にいつものテンション、柏木はニヒルに笑って、ギターつま弾きを再開した。
「おっ、やってるな。随分落ち着いてるじゃないか。
ぼちぼち皆登校してきてるけど、予鈴鳴るまでやってていいぞ。今日は誰もこっちには立ち入れないようになってるから」
途中で様子を見に来たコタ先生は、先程のちょっとしたハプニングなんて知る由もなくのんびりそんな事を言って、またパタパタと職員室へ戻っていった。
うん、大丈夫だろ、俺達。
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