悠の詩〈第3章〉
12/66
とりあえず午前いっぱいは練習に集中して、お腹がぐうとなった頃、樹深のお母さんと梓ねえちゃんが用意してくれたお昼を頂戴した。
「あーうめぇ。後藤家のごはんうめぇわー」
「そう? それならよかったけど。俺は柳内家の特製ちらし寿司がまた食べたいなぁ」
昔はよくごはんに招き招かれだったよな、なんて話をしながら、ちょっと多く作り過ぎたらしい料理の数々を難なくたいらげた。
それから、せめてものお返しに食器を洗った。「お客さんなんだから気にしないでいいのに」と樹深は言ったけど、かあちゃんの言い付けは守らなきゃな。
洗い物をする俺の膝裏に、イッサが鼻を強く擦り付けてくる。
「あーあー、イッサ、待たせてゴメン。散歩行こ」
樹深の掛け声に嬉しそうに反応して、玄関の方へ駆けていった。と思ったらすぐに戻ってきて、口にはお馴染みの赤いリード。
「春海ちゃんに着けて欲しいってさ(笑)」
「ははっ、まじか(笑)」
ふきんで濡れた手を拭いて、リードを受け取りながらイッサの両耳の裏側を撫でてやると、イッサは気持ち良さそうに目を細めた。可愛いやつ。やっぱり俺も犬を飼いたかった。
お返しのついでに、イッサの散歩を俺がリードした。俺とイッサの後ろを樹深がのんびり歩いて、それをイッサが時々不思議そうに振り返る。
「いつもと違うから、不安なんじゃねーの?」
「そうー? 尻尾振ってるから大丈夫だと思うけど。
イーッサ、いいねー、春海ちゃんに連れて貰えて」
フンフンとご機嫌に鼻を鳴らしながら俺の横を歩くイッサを、樹深は愉快そうに見つめた。
30分ほどで散歩を切り上げて、俺達は家に戻ってきた。
練習の続きがあるにしても、もう少しイッサに付き合ってもよかったんじゃないのか?
「もうそんなにね、沢山は歩けないんだ」
樹深がさらりと暗い事を言う。
そう、なんだよな。ああ見えて10年以上生きてて、大きな病気も経験してる、おばあちゃん犬なんだ。
家に入ってすぐに、イッサが玄関に置いてある自分用のクッションの上に丸まって、数分で寝息を立てるのを見て、何だか切ない気持ちになる。
「フフ、はしゃぎ過ぎたかな。
さ、俺達は練習の続きをしなきゃね」
イッサにブランケットを掛けてやって、樹深はひと足先にリビングへ入っていった。
練習の音がイッサの眠りの妨げにならないか気になったが、
「あぁ平気平気、ドア閉めとけば音行かないから。うち、知らなかったけどなにげに防音性は高いよ(笑)」
と樹深が言ったので、心おきなく練習出来た。
リビングに夕暮れの陽が差し込む時間まで、俺達は無心に演奏を繰り返した。
…