宙に手を差し伸べたら
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宙に手を差し伸べたら。
まだ少し冬の冷たい空気が残る春先の、中学の卒業式の後。
卒業生の皆が校庭で写真を撮ったり別れを惜しんで話し込んだりしている一方で、教室に忘れ物をしたと言って、おれはしんとした校舎の中を足早に回っていた。
校庭のどこにもいなかったから、もしかするともう家に帰ったかもしれない…が。
(いたっ)
3階への階段の踊り場の窓の外を、ぼんやりと見つめているあいつを見つけた。
おい、と声を掛ける前に、先にあいつが振り向いた。
「何やってるの」
あいつがおれを見下ろしながら言う。
「え、あ、忘れ物したから取りに」
「ふうん」
おれの嘘に興味は無さそう、あいつはまた窓の外に目をやった。
おれは階段を途中まで上がって、あいつの隣まで行く勇気がなくて、そこで立ち止まってしまう。
なあオマエ、この町から引っ越すってほんと?
中学に入ってずっと違うクラスだったから知らなかった、聞いたの二、三日前だよ。
「何忘れたんだか知らないけど、早く行けば。先生に怒られるよ、さっき私も言われたもん」
そう言ってあいつはおれとすれ違いに階段を降りていこうとする。
「なあ! いいもんやろうか」
今度はおれを見上げる形で振り返るあいつ。
咄嗟に掴んで握り締めた物を、おれはあいつに向かって宙に差し出す。
「え…やだ。またナメクジだったりしたらやだもん」
そんな昔のこと、まだ覚えてたんだ。
「ちがうし。でも、いらなかったらすぐに捨てて」
おれの言葉を聞いて恐る恐る差し出したあいつの手の平に、コロンと乗せた。
おれの制服の第二ボタンを。
好きだったんだ。
おれのことを忘れないでいてっていうわがままな思いもちょっとだけ込めたんだ。
なんて事は当然言えるわけもなく、目を泳がせていると、あいつはふっと笑って、
「じゃあ、交換」
自分の制服の第二ボタンをブチッと取って、おれの手の平にコロンと乗せた。
驚いた顔でそれとあいつを順番に見るおれに、あいつは言った。
「ねえ、わたし、もうすぐ引っ越すの。わたしが手紙出したら、返事書いてくれる?」
もちろん、と声が出ず、こくこくと頷いた。
「じゃあまたね」
あいつは階段を降りきって行ってしまった。
おれははあーっと深い息を吐いて、小さくガッツポーズをした。
遠くで仲間が、かなたー、とおれを探すのを聞いても、そこを動けなかった。
おれの手に握り締められたあいつのボタンのぬくもりを確かめながら、
「 はるこ」
あいつの名前をつぶやいた。
…