元がネームレスのため、変換箇所は少ないです。ご了承ください。
main
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
消えゆく語尾は見逃して
金木犀を思わせる、温かくて懐かしい、ほんの少しだけ切ない色。部屋に満ちる夕陽には似つかわしくない、眉間に皺を寄せた彼の表情が、その名を呼ぶ私の声で糸が切れたようにふっと緩んだ。
「大丈夫? 少し休んだほうが……」
「ごめん。平気。これだけは譲れないから」
目の下の影を際立たせたまま再び手元に集中する姿に、私は「うん……」とだけ音を返す。
彼がそれにどれほどの思いを懸けているかは、数年一緒に居てそれなりに理解はしているつもりだ。熱中しすぎるが故に寝食を忘れる……というか、放棄することも少なくはないその姿勢。無理に作業を止めさせることはしたくないけれど、あまりに放っておく時間を長くしていると、その分どうしても心配でたまらなくなってしまう。
せめて少しでも癒されてほしい。そんな思いで、嫌な顔をされる覚悟でそっと言葉を続ける。
「……何か甘い物でもいる?」
「甘いもの? ……じゃあ、もらう」
濃色と視線が重なったことに安堵して、自然と頬が緩む。
飲み物と小さなお菓子──確か個包装のチョコレートがあったはず、とキッチンに戻ろうとしたときだった。ふらりと立ち上がった淡い影に手を引かれ、気づけば彼の肩越しに、綺麗に染まったオレンジ色の壁を見上げていた。
「アンタ、いつも甘くていい匂いがする」
戸惑いに息を飲むのが伝わったのだろう。幼い子供のような声が、甘えるように私の髪の中で息を吸う。
広いステージ上ではあんなに激しく、強く鋭い言葉を吐くのに。私と彼しかいない小さな箱の中では、こんなにも甘えたで可愛らしい。
「ごめん」
「……何が?」
「心配かけてるって、わかってる」
少しだけ、彼の腕に力が籠る。
「謝らないでよ」
「……」
「謝られると、なんだかちょっと悲しくなる」
広い背中を労るように撫でたら、つい本音が漏れてしまった。そこに返事はない。当然だ。たった今、私がその言葉を封じてしまったから。
彼がごめんと言うたびに、心の一部がかすり傷を負ったみたいにひりりと痛む。我慢することもできたかもしれない。彼の口癖みたいなものだから、深く考えなくてもいいって。
けれど、結果的に彼の大切な言葉のひとつを奪ってしまった。本当に謝らなければならないのは、私のほうだ。
「もし、また言いそうになったらさ」
「……ん」
「今みたいに、めいっぱい抱きしめてよ」
さっきよりも深く抱きしめ返せば、私の髪に埋まったまま、彼が「わかった」と声を落とす。肌に息がかかってくすぐったいけれど、これも幸せのひとつだから失くしたくない。
「ねぇ、普通に抱きしめたいときはどうするの」
「うーん……そのときはおまけにキスでも付けてよ」
「ふ、わかった」
やさしげな笑顔が見えたと思ったら、すぐに焦点が合わなくなる。少し乾いた、けれどとてもやわらかな温もりが音もなく唇に触れた。
ごめんの代わりに、ハグとキス。キスはおまけだけれど、彼がそれをたくさん足したくなるような、そんな毎日になったらいい。
本当は、代わりとかおまけじゃなくて、ただ純粋に……
「……何か言った?」
「ううん。なんでもない」
金木犀を思わせる、温かくて懐かしい、ほんの少しだけ切ない色。部屋に満ちる夕陽には似つかわしくない、眉間に皺を寄せた彼の表情が、その名を呼ぶ私の声で糸が切れたようにふっと緩んだ。
「大丈夫? 少し休んだほうが……」
「ごめん。平気。これだけは譲れないから」
目の下の影を際立たせたまま再び手元に集中する姿に、私は「うん……」とだけ音を返す。
彼がそれにどれほどの思いを懸けているかは、数年一緒に居てそれなりに理解はしているつもりだ。熱中しすぎるが故に寝食を忘れる……というか、放棄することも少なくはないその姿勢。無理に作業を止めさせることはしたくないけれど、あまりに放っておく時間を長くしていると、その分どうしても心配でたまらなくなってしまう。
せめて少しでも癒されてほしい。そんな思いで、嫌な顔をされる覚悟でそっと言葉を続ける。
「……何か甘い物でもいる?」
「甘いもの? ……じゃあ、もらう」
濃色と視線が重なったことに安堵して、自然と頬が緩む。
飲み物と小さなお菓子──確か個包装のチョコレートがあったはず、とキッチンに戻ろうとしたときだった。ふらりと立ち上がった淡い影に手を引かれ、気づけば彼の肩越しに、綺麗に染まったオレンジ色の壁を見上げていた。
「アンタ、いつも甘くていい匂いがする」
戸惑いに息を飲むのが伝わったのだろう。幼い子供のような声が、甘えるように私の髪の中で息を吸う。
広いステージ上ではあんなに激しく、強く鋭い言葉を吐くのに。私と彼しかいない小さな箱の中では、こんなにも甘えたで可愛らしい。
「ごめん」
「……何が?」
「心配かけてるって、わかってる」
少しだけ、彼の腕に力が籠る。
「謝らないでよ」
「……」
「謝られると、なんだかちょっと悲しくなる」
広い背中を労るように撫でたら、つい本音が漏れてしまった。そこに返事はない。当然だ。たった今、私がその言葉を封じてしまったから。
彼がごめんと言うたびに、心の一部がかすり傷を負ったみたいにひりりと痛む。我慢することもできたかもしれない。彼の口癖みたいなものだから、深く考えなくてもいいって。
けれど、結果的に彼の大切な言葉のひとつを奪ってしまった。本当に謝らなければならないのは、私のほうだ。
「もし、また言いそうになったらさ」
「……ん」
「今みたいに、めいっぱい抱きしめてよ」
さっきよりも深く抱きしめ返せば、私の髪に埋まったまま、彼が「わかった」と声を落とす。肌に息がかかってくすぐったいけれど、これも幸せのひとつだから失くしたくない。
「ねぇ、普通に抱きしめたいときはどうするの」
「うーん……そのときはおまけにキスでも付けてよ」
「ふ、わかった」
やさしげな笑顔が見えたと思ったら、すぐに焦点が合わなくなる。少し乾いた、けれどとてもやわらかな温もりが音もなく唇に触れた。
ごめんの代わりに、ハグとキス。キスはおまけだけれど、彼がそれをたくさん足したくなるような、そんな毎日になったらいい。
本当は、代わりとかおまけじゃなくて、ただ純粋に……
「……何か言った?」
「ううん。なんでもない」
8/47ページ