第4話 豪快に振り回される
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今日の授業は苦手な舞踊だ。
くのたま教室は文机を端に寄せられて、広い空間になっている。若い姿のシナ先生が優雅に舞って、みんなでそれをじっと見つめる。先生の背筋や指先はピンと伸びてしなやかに揺れた。
「はいっ! ここまで、みんなやってみて?」
みんな見よう見まねでやってみる。中には踊りのセンスがあってとても上手な子もいるけれど。私は下から数えた方な早いくらいにダメだった。指先に気をつければ、顔がこわばる。かと言って、にこやかに笑ってみれば今度は足が絡まって倒れかける……という有様で。
「あらあら、名前さん」
「あはは……すみません」
先生が教室中を回って個別に指導しているけれど、私の前で苦笑いだ。少し恥ずかしくなって、顔を下に向けた。
「くのいちに舞踊?と思うかもしれないけれど、意外と役に立つものよ。ぜひ練習してみてちょうだい」
先生がそう言って微笑んだあと。遠くから、カーンと鐘の音が聞こえてきた。ようやく授業が終わる……! 今の私にとっては、とんでもなくありがたい音だった。
「今日の授業はここまでよ。六年生は、少し教室に残ってくれるかしら。進路のことで話があるの」
六年生数人が片付けもそこそこにシナ先生の元へと集まっていく。やっぱり最上級先生なだけあって、顔つきが大人っぽく見える。私も来年は卒業か……と、遠くない未来にため息をついた。
「ね、名前! まだ先だけど、卒業後のこと考えてるー?」
友だちがポン、と私の肩をたたき話しかけてきた。将来のこと、何も考えていないわけじゃない。でも、なんて言ったら良いのか……。一流の忍者になる!なんて思っていたけれど、本当にそんな未来がくるのか。心の奥底でくすぶっていた不安が露わになりそうで怖い。
「うーん、立派な忍者になりたいけど……。城勤めかフリーとか、かな」
「え〜、名前は大木先生のお嫁さんでしょ?」
「っ、な、な、なに言ってるの!?」
「あはは! 冗談だって。でも、名前の大木先生を見る目がキラキラーって、」
「そんな、違うって〜! やめてよー!」
「ごめんごめんっ」
友だちがそんなことを言うものだから、大声で慌てて否定した。誰にも、先生のことが好きなんて言ってないのに。隠していたのにバレバレだなんて、さっそく一流の忍者にはほど遠いじゃないか……!
「ほらそこ、うるさいわよ! 片付けたら早く教室を出なさい」
「「……はい!」」
キャッキャと騒いでいたから、シナ先生からお叱りを受けてしまった。友達と二人、持ち物を抱え「失礼しました!」と大急ぎで教室を飛び出した。
*
授業が終わると、毎日のように団子屋やうどん屋のアルバイトだ。けれど今日は違う。人生初の、一人で請け負った忍務が待っている。
課外授業の一環で……ということはあった。その時はシナ先生がついてくれたから、あまり不安は感じなかったのだ。
無駄に肩に力が入って、身体がカチコチな気がする。いつも街に行くときの着物で、とくに変装しているというわけではないのに、一つ一つの所作が気になる。私、浮いてないよね……? ドキドキしつつも通り過ぎる人々の声に耳をそばだてた。
普段は気にしていなかった些細な会話も、今は全部重要なものに聞こえる。お店のわきに身をひそめたり、誰かを待つフリをしたり。
「あら、大豆は値上がりしたの?」
「市で売れる量が少なくなってね」
「ガラの悪い奴らが増えて困った」
「畑があるのに戦に駆り出されたら大変だ」
それから、いろんなお店の値段を遠巻きから調べて紙に記していく。私が情報の取捨選択をすることなく、どんなことでも全て。
素知らぬ顔で街を歩いて、依頼内容に書かれた報告場所に向かう。行き交う人が少なくなっていき、店も見当たらなくなってきた。街はずれのそこは、大きな松が目印のように立っている。草鞋を直すフリをしてしゃがみ込んでいると、呼びかけられて顔をあげた。
「名前さん、お疲れさまです。いかがでした?」
「あっ、いいじんざいさん!」
「名前、違うんですけどね」
すみません……と苦笑いで謝ると、懐から紙を取り出し井伊さんに手渡した。彼はチラリと中身を確認して、にっこり微笑む。
「初めてにしては十分ですよ」
「よかったです……!」
「では、こちらを」
そう言って手渡されたのは小さな袋。手のひらに受け取ると、硬い感触と金属がぶつかる音がした。確認する間もなく、彼はサッといなくなってしまう。まるで忍者みたいに。
学園へと帰る道すがら、気になって小袋を覗いてみる。その重さから、けっこう期待しているけれど……。
「わ、やったぁ!」
銭の枚数を数え、思わずにんまりとほほが緩んだ。
*
それから数日後。
午後の授業を終わらせる鐘の音が学園に響くと、忍たま達がわらわらと廊下にでて賑やかだ。
私もくのたま教室を出て廊下を歩いていた。今日は久しぶりにバイトもないから、図書室で勉強でもしようか。大木先生に打ち方を教えてもらう前に、棒手裏剣のことももう一度調べなきゃ。
楽しそうな忍たま達とすれ違いながら、長い廊下を進む。大木先生に、「よく知ってるなぁ!」とか「えらいぞ」と褒められたい。少しは私のことを頑張っている生徒だって、気になるやつだって思って欲しい。最近は先生に思考が乗っ取られているみたいだ。卒業したら、もう会えないのかな……とか、そんなことも浮かんできたりする。
ぼんやり歩いていると、いつの間にか図書室の前につく。そーっと戸を引き、忍具に関する書物が置かれている本棚へと進んだ。忍たまは何人かいるけれど、みんな静かに読書していた。
本をペラペラめくっては棚に戻す。棒手裏剣のことが書かれたものを見つけると、それを手に取り大きな文机でさっそく読み始めた。
文字を目で追いながら、重要だと思う部分はメモに記していく。なんでも、普通の手裏剣とは違って剣がなく、針みたいな形だから打つのが難しいみたいだ。授業でも習ったし、打ったことはあるけれど……。
うまく打つコツは――
「あ〜! 分かった分かった、返すから押すなって!」
「先生、返却期限を三日も過ぎてます」
「長次は厳しいなあ!」
ガラッと勢いよく戸が引かれたと思えば、図書室にふさわしくない大声が響き渡る。顔を見なくたって分かる、大木先生と一年生の長次くんだ。
先生は、大きな身体を長次くんに押されて慌てていた。その手には延滞したと思われる本が握られ、二人のやり取りで図書室が一気に騒がしくなった。
大木先生は上級生の図書委員に本を渡して、返却の手続きをしているようだ。手裏剣の本を読みつつ、先生達が気になってチラチラとその様子をうかがう。
「大木先生、困りますよ〜。ちゃんと返していただかないと、次からお貸しできません」
「そりゃ大変だ!」
「ですから、長次の言う通りきっちりと……」
「今度から気をつける! 申し訳ない!」
「先生、声が大きいです」
「あ、すまん」
図書委員二人に囲まれて、黒い忍装束の先生がが肩身狭そうにしている。いつもの豪快さがなく、しょんぼりした姿がおかしくて笑いを堪えた。たらん、と垂れた赤い鉢巻きまで元気なさげに見える。
先生はああ見えて意外と読書が好きなのか、たまに図書室で見かける。だから、借りられない!となったら一大事なのかもしれない。
そんなやり取りを眺めていたら、ふいに大木先生と目があった。バチっと交わる視線がとても気まずい。
「名前じゃないか!」
「お、大木先生……?」
私は気まずいのに、先生は何かを企んだようにニヤッとする。厄介ごとに巻き込まれそうで無意識に身構えた。
「探していたぞ〜! よし、手裏剣打ちの練習だ! ついてこい」
「今からですか!? なんで急に、」
「どこんじょー!」
「えぇぇっ!?」
先生にがしっと腕を掴まれ、引き摺られるようにして図書室を後にした。図書委員の「「大木先生ー! 図書室ではお静かに〜っ!」」という叫び声が虚しくこだました。
*
大木先生に腕を引かれて廊下を駆け抜けていく。本当は走っちゃダメだけど、二人で逃避行しているみたいで、嬉しくてたまらない。すれ違う忍たま達が不思議そうな顔で私たちを見つめる。その視線さえ高揚感を加速させるようだった。
徐々に駆け足が早足に、そして歩みになる。足を止めたそこは人影のない中庭の端っこ。土塀の辺りには大きな木が生えて少し薄暗い。
「ここなら誰も来ないだろう」
「っ、はぁ、やっと着いた……」
「これくらいで息を切らすとは」
「どこんじょーが足りん! ですか?」
走って息の上がった呼吸を落ち着かせながら冗談を言ってみれば、先生はわはは!と豪快に笑った。
「それにしても、いきなりどうしたんです? 図書室にいたのに急に手裏剣の練習だなんて」
「こうでもしないと、いつまでも怒られるからな。図書委員のふたりに」
「大木先生ってば、大人げないです」
「なんとでも言え」
拗ねたような言い草が子どもみたいだ。その表情は少年のように無邪気で、先生と砕けた会話ができることに少し誇らしくもあった。こんなに距離が近づいたんだ、って。
「じゃあさっそく。棒手裏剣の打ち方だが」
「先生、よろしくお願いします!」
「うむ、これはいわゆる手裏剣とは異なる打ち方だ。お前ならもう知っていると思うが、よく見ていろ」
私の予定なんかお構いなしで、いきなり手裏剣の特訓が始まった。人の話を聞かないと言われる大木先生だけど、私は嫌いじゃない。
懐から棒手裏剣を取り出した先生が、手のひらで包むように握ってから腕を振り下ろす。棒状の手裏剣は風を切る音もなく、遠くの的のど真ん中へと突き刺さった。コン、という軽い音が小さく響く。
その出来に満足なのか、先生はこちらを振り返ってニッと笑った。尖った犬歯がのぞく大きな口が先生らしくて、私までつられて笑顔になる。
「やっぱり、大木先生はすごいです……! 私も、挑戦してみます!」
「失敗してもいい。わしがとことん付き合ってやるから」
「ありがとうございます! ……よーしっ」
先生から棒手裏剣を受け取ると、本で読んだ通りに握って、先生の打ったように放つ。回転をかけずに打つ方法だからか、勢いがつかず手裏剣は的に当たるも突き刺さらなかった。
「振り下ろし方が甘い! それでは的にも敵にも当たらんぞ」
「はい……!」
「こうやってだな――」
再び見本を見せてくれて、先生の手が私の手首を握った。何度か打つ真似をしてから、もう一度的へと手裏剣を打った。先ほどよりも飛距離は伸びたけれど、軸がブレたようで狙いから離れたところにポトっと転がった。
「教科書で読んだことを思い出して、身体に叩き込め! ほれ、もう一度」
「はい!」
それから、何度も何度も打ち続けた。腰が引けてると言われたり、姿勢がなってないと叩き直されたり……。
最初は、大木先生と密着するほどの距離に舞い上がっていたのに。先生の、たくましい胸元や腕っぷしにドギマギしていたのに。いつの間にかそんな浮ついた気持ちは消え去って、汗を垂らしながら手裏剣を打ち込み続けた。打っては拾って、また打って――
的の向こうに広がる空は茜色に燃え上がり、沈みゆく夕日が眩しい。肩も肘も、踏ん張った足も、全てが限界に近づく。最後に「えいっ」と渾身のひと振りをすると、それは力強く的のど真ん中に命中した。
「先生っ、できました……!」
「よくやった!」
「先生のおかげです。付き合ってくださって、ありがとうございました」
「なぁに、これくらいのこと。的に当てた感覚を忘れないよう、鍛錬に励むんだぞ」
「はいっ」
優しくほほ笑む先生に大きく返事をする。夕日にあたって先生の茶色い髪がキラっと輝き、ひときわ眩しくみえる。私の中で、先生の存在が大きくなって溢れてしまいそうだった。
落ちた手裏剣を片付けようとしたとき。タイミングよくググーっとお腹が鳴った。静かな中庭だからよく聞こえて恥ずかしい。誤魔化すようにお腹をさすってみる。
「身体を動かしたから、お腹が空いちゃいました」
「食べることも身体づくりの一環だ。片付けのあと食堂へ行こう」
「先生と一緒に……?」
「何か問題でもあるか?」
「いえっ! ……嬉しいです」
腕組みして、不思議そうな顔の先生。一緒にご飯が食べられるなんて思っていなくて、舞い上がる気持ちをなんとか落ち着かせる。先生にとって、私は生徒の一人にすぎないんだって、自分に言い聞かせた。
*
「あら。大木先生に名前ちゃん、ふたり揃って珍しいわね」
食堂のカウンターで先生と並んでいると、おばちゃんがにこやかに声を掛けてきた。
「今日は大木先生に手裏剣の特訓をしていただいたんです!」
ね、先生?という風に近くの先生を見上げる。先生は「あぁ、そうなんです」とワシワシ頭をかいた。
食事を受け取り一緒のテーブルに着く。向かい合って座る大木先生に、どんな顔をしたらいいんだろう。学園生活をしてきて初めてのことだから緊張してきた。湯呑みを握る手のひらには汗が滲んで、滑らせないように注意する。
「いただきます」とつぶやいても、お茶ばかりをすする。大木先生は大きな口でご飯をかき込んで、その食べっぷりが気持ちよかった。
「名前、食わんのか? 腹が減ってたんだろう?」
「た、食べますっ、」
慌ててお味噌汁をすすって煮物を口に放り込む。もぐもぐと噛み砕くも味がよく分からないままゴクッと飲み込んだ。自意識過剰かもしれないけれど、食堂にいる忍たま達が私と先生を盗み見ている気がしてソワソワする。
「そんな、一気に食わんでも」
「っ、むぐ、大丈夫、です!」
「まったくお前は」
先生に、ははは!と笑われる。上級生だし、少しは大人なところを見せたいと思って入るけれど……。いつも裏目に出て、そんなところを先生に笑われるのだ。まるで子供に向けるような、懐っこい笑顔で。
食べ物がつかえないよう胸のあたりをトントンと叩くと、先生がじっと私を見つめていた。先ほどと打って変わって真剣さに満ちた眼差し。視線をそらしたいのに、そらせない。
「わしが名前を飯に誘ったのはな、」
「なんです……!? 急にそんなこと言われたら、ご飯が喉を通らないです」
「悪い。言っておきたいことがあるんだ」
何を言い出すんだろう? まだ忍たま達もちらほら座っている食堂で、秘密の話はしないだろうから……。期待と不安とが混じって、心臓がとくんと跳ねる。
「忍びのバイトをしているんだろう? シナ先生から聞いた」
「はい。でも、市中の調査だから簡単な内容なんです! プロの忍者になりたいと思っているので、いい経験になるかなって」
「名前、どんな仕事も見くびるんじゃない。その油断が命取りになるぞ」
「……気をつけます」
先生の言う通りだった。基本中の基本ができていない、と窘められるようでそんな自分が情けなかった。忍具を使わないからといって、簡単だとか安全だなんて言えないのだ。
「お前はシナ先生の生徒だし、わしが口を出すことではないが……。少しでも危険だと思ったら逃げろよ」
「そうします……! 情報を持ち帰ることが忍者の本分ですから」
「忍者の本分、か」
「だって授業で習いましたし! 忍たまの友にも」
「名前は真面目だなぁ」
ぷっと吹き出す先生に口を尖らせてみる。もうすぐ六年生なのに、いつまで子ども扱いするんだろう。
「いや、褒めてるんだ」
「そんな風にみえないですよー?」
「じゃあ、こんな顔をすればいいか?」
わざと難しい顔をして、先生がさらにからかってくる。おかしさと、少しだけ悔しさに似た気持ちと、もう食事どころではなくなってしまった。
「何ですか、その顔は。からかわないでください!」
「頼もしくなったなぁと思ったんだ。そう怒るな」
「怒ってないですけど、大木先生がふざけるから――」
「ふざけてないぞ。勉強熱心で感心している」
「もう。本気にしちゃうからやめてくださいっ」
「あらー、あなた達。ずいぶんと楽しそうじゃない?」
「シナ先生!?」
食堂で大木先生と騒いでいたからか、シナ先生が興味津々で話しかけてきた。大きな瞳を細めると、大木先生の隣に腰かけた。
「シナ先生はこれから夕飯ですか。お忙しそうですな」
「えぇ。学園長から頼まれごとがあったのよ」
「ははは、それはご苦労なことで」
「ところで二人とも。なにを話してたの?」
シナ先生が私と大木先生を交互に見つめる。大した話ではないけれど、どう説明したらよいのか……分からない。大木先生が私のことをからかって、変な言い合いを――って。困って当の先生を窺えば、大きな口で夕飯を平らげてお茶を飲み干していた。
「いやぁ、名前をわしの弟子にしようかと」
「えぇっ!? お、大木先生っ! そんな話してないですって」
「おっと、一年のテスト作りがあるから失礼する」
「先生〜っ!?」
大木先生はイタズラっぽく笑って、おぼんを手に去っていった。残された私はぽかんと口を開ける。本気なのか冗談なのか、変なことを言って……! 後からジワジワと恥ずかしさが襲ってくる。
「あら、行っちゃったわ。弟子って……自由な人ね。ねぇ、名前さん?」
苦笑いのシナ先生と一緒に、うつわに残された夕飯をいただくのだった。
くのたま教室は文机を端に寄せられて、広い空間になっている。若い姿のシナ先生が優雅に舞って、みんなでそれをじっと見つめる。先生の背筋や指先はピンと伸びてしなやかに揺れた。
「はいっ! ここまで、みんなやってみて?」
みんな見よう見まねでやってみる。中には踊りのセンスがあってとても上手な子もいるけれど。私は下から数えた方な早いくらいにダメだった。指先に気をつければ、顔がこわばる。かと言って、にこやかに笑ってみれば今度は足が絡まって倒れかける……という有様で。
「あらあら、名前さん」
「あはは……すみません」
先生が教室中を回って個別に指導しているけれど、私の前で苦笑いだ。少し恥ずかしくなって、顔を下に向けた。
「くのいちに舞踊?と思うかもしれないけれど、意外と役に立つものよ。ぜひ練習してみてちょうだい」
先生がそう言って微笑んだあと。遠くから、カーンと鐘の音が聞こえてきた。ようやく授業が終わる……! 今の私にとっては、とんでもなくありがたい音だった。
「今日の授業はここまでよ。六年生は、少し教室に残ってくれるかしら。進路のことで話があるの」
六年生数人が片付けもそこそこにシナ先生の元へと集まっていく。やっぱり最上級先生なだけあって、顔つきが大人っぽく見える。私も来年は卒業か……と、遠くない未来にため息をついた。
「ね、名前! まだ先だけど、卒業後のこと考えてるー?」
友だちがポン、と私の肩をたたき話しかけてきた。将来のこと、何も考えていないわけじゃない。でも、なんて言ったら良いのか……。一流の忍者になる!なんて思っていたけれど、本当にそんな未来がくるのか。心の奥底でくすぶっていた不安が露わになりそうで怖い。
「うーん、立派な忍者になりたいけど……。城勤めかフリーとか、かな」
「え〜、名前は大木先生のお嫁さんでしょ?」
「っ、な、な、なに言ってるの!?」
「あはは! 冗談だって。でも、名前の大木先生を見る目がキラキラーって、」
「そんな、違うって〜! やめてよー!」
「ごめんごめんっ」
友だちがそんなことを言うものだから、大声で慌てて否定した。誰にも、先生のことが好きなんて言ってないのに。隠していたのにバレバレだなんて、さっそく一流の忍者にはほど遠いじゃないか……!
「ほらそこ、うるさいわよ! 片付けたら早く教室を出なさい」
「「……はい!」」
キャッキャと騒いでいたから、シナ先生からお叱りを受けてしまった。友達と二人、持ち物を抱え「失礼しました!」と大急ぎで教室を飛び出した。
*
授業が終わると、毎日のように団子屋やうどん屋のアルバイトだ。けれど今日は違う。人生初の、一人で請け負った忍務が待っている。
課外授業の一環で……ということはあった。その時はシナ先生がついてくれたから、あまり不安は感じなかったのだ。
無駄に肩に力が入って、身体がカチコチな気がする。いつも街に行くときの着物で、とくに変装しているというわけではないのに、一つ一つの所作が気になる。私、浮いてないよね……? ドキドキしつつも通り過ぎる人々の声に耳をそばだてた。
普段は気にしていなかった些細な会話も、今は全部重要なものに聞こえる。お店のわきに身をひそめたり、誰かを待つフリをしたり。
「あら、大豆は値上がりしたの?」
「市で売れる量が少なくなってね」
「ガラの悪い奴らが増えて困った」
「畑があるのに戦に駆り出されたら大変だ」
それから、いろんなお店の値段を遠巻きから調べて紙に記していく。私が情報の取捨選択をすることなく、どんなことでも全て。
素知らぬ顔で街を歩いて、依頼内容に書かれた報告場所に向かう。行き交う人が少なくなっていき、店も見当たらなくなってきた。街はずれのそこは、大きな松が目印のように立っている。草鞋を直すフリをしてしゃがみ込んでいると、呼びかけられて顔をあげた。
「名前さん、お疲れさまです。いかがでした?」
「あっ、いいじんざいさん!」
「名前、違うんですけどね」
すみません……と苦笑いで謝ると、懐から紙を取り出し井伊さんに手渡した。彼はチラリと中身を確認して、にっこり微笑む。
「初めてにしては十分ですよ」
「よかったです……!」
「では、こちらを」
そう言って手渡されたのは小さな袋。手のひらに受け取ると、硬い感触と金属がぶつかる音がした。確認する間もなく、彼はサッといなくなってしまう。まるで忍者みたいに。
学園へと帰る道すがら、気になって小袋を覗いてみる。その重さから、けっこう期待しているけれど……。
「わ、やったぁ!」
銭の枚数を数え、思わずにんまりとほほが緩んだ。
*
それから数日後。
午後の授業を終わらせる鐘の音が学園に響くと、忍たま達がわらわらと廊下にでて賑やかだ。
私もくのたま教室を出て廊下を歩いていた。今日は久しぶりにバイトもないから、図書室で勉強でもしようか。大木先生に打ち方を教えてもらう前に、棒手裏剣のことももう一度調べなきゃ。
楽しそうな忍たま達とすれ違いながら、長い廊下を進む。大木先生に、「よく知ってるなぁ!」とか「えらいぞ」と褒められたい。少しは私のことを頑張っている生徒だって、気になるやつだって思って欲しい。最近は先生に思考が乗っ取られているみたいだ。卒業したら、もう会えないのかな……とか、そんなことも浮かんできたりする。
ぼんやり歩いていると、いつの間にか図書室の前につく。そーっと戸を引き、忍具に関する書物が置かれている本棚へと進んだ。忍たまは何人かいるけれど、みんな静かに読書していた。
本をペラペラめくっては棚に戻す。棒手裏剣のことが書かれたものを見つけると、それを手に取り大きな文机でさっそく読み始めた。
文字を目で追いながら、重要だと思う部分はメモに記していく。なんでも、普通の手裏剣とは違って剣がなく、針みたいな形だから打つのが難しいみたいだ。授業でも習ったし、打ったことはあるけれど……。
うまく打つコツは――
「あ〜! 分かった分かった、返すから押すなって!」
「先生、返却期限を三日も過ぎてます」
「長次は厳しいなあ!」
ガラッと勢いよく戸が引かれたと思えば、図書室にふさわしくない大声が響き渡る。顔を見なくたって分かる、大木先生と一年生の長次くんだ。
先生は、大きな身体を長次くんに押されて慌てていた。その手には延滞したと思われる本が握られ、二人のやり取りで図書室が一気に騒がしくなった。
大木先生は上級生の図書委員に本を渡して、返却の手続きをしているようだ。手裏剣の本を読みつつ、先生達が気になってチラチラとその様子をうかがう。
「大木先生、困りますよ〜。ちゃんと返していただかないと、次からお貸しできません」
「そりゃ大変だ!」
「ですから、長次の言う通りきっちりと……」
「今度から気をつける! 申し訳ない!」
「先生、声が大きいです」
「あ、すまん」
図書委員二人に囲まれて、黒い忍装束の先生がが肩身狭そうにしている。いつもの豪快さがなく、しょんぼりした姿がおかしくて笑いを堪えた。たらん、と垂れた赤い鉢巻きまで元気なさげに見える。
先生はああ見えて意外と読書が好きなのか、たまに図書室で見かける。だから、借りられない!となったら一大事なのかもしれない。
そんなやり取りを眺めていたら、ふいに大木先生と目があった。バチっと交わる視線がとても気まずい。
「名前じゃないか!」
「お、大木先生……?」
私は気まずいのに、先生は何かを企んだようにニヤッとする。厄介ごとに巻き込まれそうで無意識に身構えた。
「探していたぞ〜! よし、手裏剣打ちの練習だ! ついてこい」
「今からですか!? なんで急に、」
「どこんじょー!」
「えぇぇっ!?」
先生にがしっと腕を掴まれ、引き摺られるようにして図書室を後にした。図書委員の「「大木先生ー! 図書室ではお静かに〜っ!」」という叫び声が虚しくこだました。
*
大木先生に腕を引かれて廊下を駆け抜けていく。本当は走っちゃダメだけど、二人で逃避行しているみたいで、嬉しくてたまらない。すれ違う忍たま達が不思議そうな顔で私たちを見つめる。その視線さえ高揚感を加速させるようだった。
徐々に駆け足が早足に、そして歩みになる。足を止めたそこは人影のない中庭の端っこ。土塀の辺りには大きな木が生えて少し薄暗い。
「ここなら誰も来ないだろう」
「っ、はぁ、やっと着いた……」
「これくらいで息を切らすとは」
「どこんじょーが足りん! ですか?」
走って息の上がった呼吸を落ち着かせながら冗談を言ってみれば、先生はわはは!と豪快に笑った。
「それにしても、いきなりどうしたんです? 図書室にいたのに急に手裏剣の練習だなんて」
「こうでもしないと、いつまでも怒られるからな。図書委員のふたりに」
「大木先生ってば、大人げないです」
「なんとでも言え」
拗ねたような言い草が子どもみたいだ。その表情は少年のように無邪気で、先生と砕けた会話ができることに少し誇らしくもあった。こんなに距離が近づいたんだ、って。
「じゃあさっそく。棒手裏剣の打ち方だが」
「先生、よろしくお願いします!」
「うむ、これはいわゆる手裏剣とは異なる打ち方だ。お前ならもう知っていると思うが、よく見ていろ」
私の予定なんかお構いなしで、いきなり手裏剣の特訓が始まった。人の話を聞かないと言われる大木先生だけど、私は嫌いじゃない。
懐から棒手裏剣を取り出した先生が、手のひらで包むように握ってから腕を振り下ろす。棒状の手裏剣は風を切る音もなく、遠くの的のど真ん中へと突き刺さった。コン、という軽い音が小さく響く。
その出来に満足なのか、先生はこちらを振り返ってニッと笑った。尖った犬歯がのぞく大きな口が先生らしくて、私までつられて笑顔になる。
「やっぱり、大木先生はすごいです……! 私も、挑戦してみます!」
「失敗してもいい。わしがとことん付き合ってやるから」
「ありがとうございます! ……よーしっ」
先生から棒手裏剣を受け取ると、本で読んだ通りに握って、先生の打ったように放つ。回転をかけずに打つ方法だからか、勢いがつかず手裏剣は的に当たるも突き刺さらなかった。
「振り下ろし方が甘い! それでは的にも敵にも当たらんぞ」
「はい……!」
「こうやってだな――」
再び見本を見せてくれて、先生の手が私の手首を握った。何度か打つ真似をしてから、もう一度的へと手裏剣を打った。先ほどよりも飛距離は伸びたけれど、軸がブレたようで狙いから離れたところにポトっと転がった。
「教科書で読んだことを思い出して、身体に叩き込め! ほれ、もう一度」
「はい!」
それから、何度も何度も打ち続けた。腰が引けてると言われたり、姿勢がなってないと叩き直されたり……。
最初は、大木先生と密着するほどの距離に舞い上がっていたのに。先生の、たくましい胸元や腕っぷしにドギマギしていたのに。いつの間にかそんな浮ついた気持ちは消え去って、汗を垂らしながら手裏剣を打ち込み続けた。打っては拾って、また打って――
的の向こうに広がる空は茜色に燃え上がり、沈みゆく夕日が眩しい。肩も肘も、踏ん張った足も、全てが限界に近づく。最後に「えいっ」と渾身のひと振りをすると、それは力強く的のど真ん中に命中した。
「先生っ、できました……!」
「よくやった!」
「先生のおかげです。付き合ってくださって、ありがとうございました」
「なぁに、これくらいのこと。的に当てた感覚を忘れないよう、鍛錬に励むんだぞ」
「はいっ」
優しくほほ笑む先生に大きく返事をする。夕日にあたって先生の茶色い髪がキラっと輝き、ひときわ眩しくみえる。私の中で、先生の存在が大きくなって溢れてしまいそうだった。
落ちた手裏剣を片付けようとしたとき。タイミングよくググーっとお腹が鳴った。静かな中庭だからよく聞こえて恥ずかしい。誤魔化すようにお腹をさすってみる。
「身体を動かしたから、お腹が空いちゃいました」
「食べることも身体づくりの一環だ。片付けのあと食堂へ行こう」
「先生と一緒に……?」
「何か問題でもあるか?」
「いえっ! ……嬉しいです」
腕組みして、不思議そうな顔の先生。一緒にご飯が食べられるなんて思っていなくて、舞い上がる気持ちをなんとか落ち着かせる。先生にとって、私は生徒の一人にすぎないんだって、自分に言い聞かせた。
*
「あら。大木先生に名前ちゃん、ふたり揃って珍しいわね」
食堂のカウンターで先生と並んでいると、おばちゃんがにこやかに声を掛けてきた。
「今日は大木先生に手裏剣の特訓をしていただいたんです!」
ね、先生?という風に近くの先生を見上げる。先生は「あぁ、そうなんです」とワシワシ頭をかいた。
食事を受け取り一緒のテーブルに着く。向かい合って座る大木先生に、どんな顔をしたらいいんだろう。学園生活をしてきて初めてのことだから緊張してきた。湯呑みを握る手のひらには汗が滲んで、滑らせないように注意する。
「いただきます」とつぶやいても、お茶ばかりをすする。大木先生は大きな口でご飯をかき込んで、その食べっぷりが気持ちよかった。
「名前、食わんのか? 腹が減ってたんだろう?」
「た、食べますっ、」
慌ててお味噌汁をすすって煮物を口に放り込む。もぐもぐと噛み砕くも味がよく分からないままゴクッと飲み込んだ。自意識過剰かもしれないけれど、食堂にいる忍たま達が私と先生を盗み見ている気がしてソワソワする。
「そんな、一気に食わんでも」
「っ、むぐ、大丈夫、です!」
「まったくお前は」
先生に、ははは!と笑われる。上級生だし、少しは大人なところを見せたいと思って入るけれど……。いつも裏目に出て、そんなところを先生に笑われるのだ。まるで子供に向けるような、懐っこい笑顔で。
食べ物がつかえないよう胸のあたりをトントンと叩くと、先生がじっと私を見つめていた。先ほどと打って変わって真剣さに満ちた眼差し。視線をそらしたいのに、そらせない。
「わしが名前を飯に誘ったのはな、」
「なんです……!? 急にそんなこと言われたら、ご飯が喉を通らないです」
「悪い。言っておきたいことがあるんだ」
何を言い出すんだろう? まだ忍たま達もちらほら座っている食堂で、秘密の話はしないだろうから……。期待と不安とが混じって、心臓がとくんと跳ねる。
「忍びのバイトをしているんだろう? シナ先生から聞いた」
「はい。でも、市中の調査だから簡単な内容なんです! プロの忍者になりたいと思っているので、いい経験になるかなって」
「名前、どんな仕事も見くびるんじゃない。その油断が命取りになるぞ」
「……気をつけます」
先生の言う通りだった。基本中の基本ができていない、と窘められるようでそんな自分が情けなかった。忍具を使わないからといって、簡単だとか安全だなんて言えないのだ。
「お前はシナ先生の生徒だし、わしが口を出すことではないが……。少しでも危険だと思ったら逃げろよ」
「そうします……! 情報を持ち帰ることが忍者の本分ですから」
「忍者の本分、か」
「だって授業で習いましたし! 忍たまの友にも」
「名前は真面目だなぁ」
ぷっと吹き出す先生に口を尖らせてみる。もうすぐ六年生なのに、いつまで子ども扱いするんだろう。
「いや、褒めてるんだ」
「そんな風にみえないですよー?」
「じゃあ、こんな顔をすればいいか?」
わざと難しい顔をして、先生がさらにからかってくる。おかしさと、少しだけ悔しさに似た気持ちと、もう食事どころではなくなってしまった。
「何ですか、その顔は。からかわないでください!」
「頼もしくなったなぁと思ったんだ。そう怒るな」
「怒ってないですけど、大木先生がふざけるから――」
「ふざけてないぞ。勉強熱心で感心している」
「もう。本気にしちゃうからやめてくださいっ」
「あらー、あなた達。ずいぶんと楽しそうじゃない?」
「シナ先生!?」
食堂で大木先生と騒いでいたからか、シナ先生が興味津々で話しかけてきた。大きな瞳を細めると、大木先生の隣に腰かけた。
「シナ先生はこれから夕飯ですか。お忙しそうですな」
「えぇ。学園長から頼まれごとがあったのよ」
「ははは、それはご苦労なことで」
「ところで二人とも。なにを話してたの?」
シナ先生が私と大木先生を交互に見つめる。大した話ではないけれど、どう説明したらよいのか……分からない。大木先生が私のことをからかって、変な言い合いを――って。困って当の先生を窺えば、大きな口で夕飯を平らげてお茶を飲み干していた。
「いやぁ、名前をわしの弟子にしようかと」
「えぇっ!? お、大木先生っ! そんな話してないですって」
「おっと、一年のテスト作りがあるから失礼する」
「先生〜っ!?」
大木先生はイタズラっぽく笑って、おぼんを手に去っていった。残された私はぽかんと口を開ける。本気なのか冗談なのか、変なことを言って……! 後からジワジワと恥ずかしさが襲ってくる。
「あら、行っちゃったわ。弟子って……自由な人ね。ねぇ、名前さん?」
苦笑いのシナ先生と一緒に、うつわに残された夕飯をいただくのだった。