第3話 手裏剣は手取り足取りで
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「よーし、くのたまの上級生諸君! これから、手裏剣打ちの授業を開始する」
「「大木先生、よろしくお願いしまーす!」」
ここは裏山。学園近くの山だが、険しい崖も鬱蒼とした林も、開けた草原も、穏やかな川も、全てがある場所だ。
くのたまは片方の手で数えられるくらいの人数だけれど、大木先生に負けないように大きな声で返事をした。
とうとう待ちに待った日がきた。
食堂でシナ先生と大木先生の話を盗み聞きしてからずっと、この日を楽しみにしていた。だって、手裏剣名人の大木先生に教えてもらえるなんて、すごく貴重だから。私以外のくのたまはあまり乗り気ではないようで、「熱血すぎるとイヤだなー」なんて愚痴をこぼしていた。
大木先生はいつも通りの出で立ちで、赤い鉢巻きは木々の緑と相まって燃えるように鮮やかだ。やる気に満ち溢れているのか普段に増して声が大きく、口の端から犬歯がチラッと見え隠れする。
草木が生い茂るそこは、太陽の日差しがわずかに入り込むだけ。地面は太い根っこがあちこちに張り出し足場が悪い。上級生向けに、先生はわざとこの場所を選んだに違いなかった。
「手裏剣を打つ前に、まずは基本のおさらいだ。剣が四つあるもの、これは四方手裏剣といって――」
みんな、手元の手裏剣をまじまじと見つめた。鋭利な刃を指でなぞって形を確かめる。冷たくて、ずっしりとした重さ。手のひらに収まる手裏剣は、小さくても大きな攻撃力となる。説明を聞きながら、大木先生に視線を向けた。
「確実に、深く傷を与えたい場合は四方や十字などの剣が少ないものを使うこと。浅い傷でも刺されば良い場合は八方手裏剣などの剣の多い物を使うのだぞ!」
「「「はーい!」」」
「それでは、打ち方だが――」
先生の言葉を頭に詰め込んでいく。手裏剣を打つだなんて、実践することは訪れないかも知れない。そんな危険な忍務など、私に務まるのかどうか……。でも、腕試ししてみたい気もする。ふと忍者の斡旋をする、あの人を思い出して――
「おい、名前! ぼけっとするな。みな打つ準備をしているぞ」
「は、はい! すみません」
「他のことを考えていたのだな。ちゃんと集中するんだ!」
私としたことが……! 先生に良いところを見せようと思って授業に臨んでいるのに。先生はむむ、と口を結んでちょっと怖い。私は慌てて他のくのたまと一緒に構えをとった。
肩幅に足を開いて身体を横向きにし、遠くの的へ焦点を合わせる。丸い木型のそれは、ど真ん中に黒い丸が描かれている。けれど、今日は上級生向けの特別授業。的は背の高い草木に囲まれて、わざと距離感を掴みにくくしてあった。さらに時々風が吹くから力加減が難しい。
ひじを曲げ、ゆっくりと振り下ろす動作をする。
大木先生が、くのたま一人一人を見て回って指導していく。上級生ともなれば構えは問題なさそうで、先生は腕を組みながら頷いている。そして、ついに私のところにもやって来た。ドキドキしていると、「いいだろう」と背後から声がして気合が入る。
「さぁ、周りに気をつけて打つんだ!」
そのかけ声と同時に、一斉に的へと手裏剣を放っていく。シュッと空を切る音。少しして、タン!と木に突き刺さる軽い音がした。もちろん、的に当たらなかった手裏剣は辺りの木々に刺さったり、カシャっと金属音を響かせ地面へと落ちていったりした。
私の手裏剣は――
的には刺さったけれど、ど真ん中というわけではなかった。まだまだ、鍛錬を積まないと……!
大木先生がそろりと私の近くに来ると、カミソリ傷のあるアゴに手をやった。こうして間近に来られたら、先生の背の高さやがっしりした身体がまざまざと感じられて非常にまずい。
大木先生は私の憧れで、でも届かない遠い存在だから……。そんな気持ちをを紛らわすように、打ち方について話してみる。
「的に刺さったのですが、中心から逸れてしまいました」
「うむ、軸がぶれたんだ。振り下ろすときは呼吸を整えてだな――」
先生は背後から私の身体に寄り添うと、片足を前に出させるように触れてくる。手裏剣を手に取り構えをとってみると、今度は手首をさっと掴まれた。手甲ごしに感じる先生の大きな手のひら。温かくて、これ以上ないほど鼓動が激しくなる。
それから、先生の手が手裏剣を握る手指へと移って重なる。ゴツゴツとした感触に私の心臓は耐えられそうもない。指導とはいえ、こんなに近い距離で身体を包まれるなんて。踏みつけた枝のせいでバランスを崩せば、よろけたせいでさらに先生にくっ付いた。
顔がかあっと熱く燃え上がる。
「いいか。こうやって手裏剣が手から離れるときに回転をかける」
「っ、はい!」
そのまま手裏剣を打つように、腕を一緒に振り下ろした。一瞬の出来事なのに、時が止まったようだった。止まってくれたら良いのに、なんて思う自分が恥ずかしい。
「手裏剣の形や目的によって打ち方は変わるが」
「そうなのですね……! 忍たまの友で勉強します!」
「教科書を読むのも良いが、やってみて覚えた方が早いかもな」
そう言って、懐っこく笑う先生。ぴったりくっ付いた先生が離れたせいで、触れた部分は熱を引いてひんやりとする。触れた指の先もその温もりも全部、夢みたいだった。
「お前たち、まだまだ時間はある。どこんじょーでやれ!」
「「「はーい!」」」
ひときわ大声で先生が叫ぶから、くのたまのみんなも同じ熱量で応える。四方手裏剣の次は、八つの剣がある八方手裏剣の打ち方を練習した。その次は十字手裏剣だ。それぞれ形状が異なるから、持ち方や捻り方も違う。
しばらく打ち続けていると、腕がだんだん重くなって疲労感に襲われた。でも、まだまだ授業が終わる気配はない。
「もうへこたれたのかぁ? 次は棒手裏剣の打ち方を教える!」
「「「え〜っ!?」」」
「どこんじょーが足りん! 上級生ともなれば、過酷な授業をこなす必要があってだな、」
「先生、さすがに疲れました〜……」
みんな地べたに座り込んで、ぐったりしている。誰かが絞り出すような声でみんなが思っていることを伝えると、先生は「こりゃ参ったなあ」とわしわし頭を掻いた。
この空気をなんとかしなきゃ……! 前からずっと気になっていたことを聞いてみるチャンスだ。先生に向かって、意見があります!と分かるようにすっと手を挙げた。
「大木先生っ。私、先生が手裏剣一枚で何人もやっつけたと聞いたことがあります! ぜひ、その技を見せていただきたいのです」
「うむ、いいだろう。久しぶりにやってみるか!」
「わぁっ、ありがとうございます!」
「そんなに期待されても困るんだが」
ちょっと照れくさそうに目尻を下げる先生。そんな反応をされると思っていなくて、くすっと笑ってしまった。くのたまのみんなも興味津々で、ダラーっとした姿勢から一転、姿勢を正して前のめりになっていた。周りからは「一枚で何人もって無理だよね」とか、「どんな打ち方なんだろう」なんてヒソヒソ声が聞こえる。
「今から、この手裏剣を打つが……あの右端の木から真ん中へ、そして最後は左の木へと移っていく。よーく見ておけ」
「「「はいっ!」」」
一枚の手裏剣で、何本もの木々に剣の傷がつけられるというのか。堂々と大木先生にお願いしてみたものの、半信半疑な自分がいる。先生は赤い鉢巻きを締め直し気合を入れると、四方手裏剣を手にした。
「……いくぞ」
わずかに衣擦れの音が聞こえたあと。先生の手から、ひねりを効かせた手裏剣がしゅるりと離れる。それは空を切って、木の幹に次々と細い刃の跡を残していった。最後の木にグサッと突き刺さると、どこからともなくくのたま達の歓声が上がった。私もそのうちの一人だ。
「わぁーっ」
「手裏剣一枚で……!?」
「すごーい!」
「まぁ、わしには朝めし前だがな!」
大木先生は得意げに両手をぱんと叩くと、腰に手を当て大きく笑っていた。名人の技を目の当たりにして、憧れと尊敬とが入り混じった吐息が漏れる。
どうしたら先生みたいになれるんだろう。教師になる前は、危険な忍務とかしてたのかな……?
先生の鍛えられた身体つき、それにピンチの時でも動じないところ。……のほほんと過ごしてきたわけではないと分かる。そんなことまで考えて、胸が苦しくなるのは私の悪いクセだ。ぎゅっとこぶしを握る。
「おや、邪魔ものがいるなぁ」
わざとらしく大木先生がつぶやくと、木々の奥、草木が生い茂る場所へと手裏剣を放った。急に何事か!?とくのたま達はザワザワし出した。みんなで手裏剣の行方を目で追うと――
「おい、危ないだろう! 雅之助〜っ!」
黒い忍装束を纏って、メガネを光らせる野村先生が草むらから飛び出してきた。グラス越しの瞳は三角に吊り上がって、カンカンに怒っている。それもそのはず、大木先生がちょっかいをかけたのだから。
「わしの授業中に何の用だ、キザ野郎!」
「はぁ!? 私は来週の実技でこの辺りを使うから、その準備をしていたんだ! そっちこそ邪魔をするな!」
「何だとぉー!?」
「もう一回言わなきゃ分からないのか! このど根性バカ!」
先生二人が取っ組み合いで、とうとう苦無を持ち出しやり合っている。キーンという金属が激しくぶつかり合う音と、わめく声が響いて……いつも通りだ。
くのたま達は「ありがとうございましたー!」とだけ言うと、そそくさと学園へと帰っていく。この喧嘩に巻き込まれたら、たまったものではない。
せっかく大木先生の格好いいところが見れたのに、最後はゴタゴタだなんて。でも、こんな所だって先生らしいかもしれない。
吹き出しそうになりながら、先生二人を残して私もみんなの後を追った。
教わりそびれてしまった棒手裏剣の打ち方、今度聞いてみよう。大木先生に質問する機会ができて、ちょっと嬉しくなった。
*
数日後。
今日は掛け持ちをしている、うどん屋でのバイトの日だ。街の中に構えた店はいつも繁盛していて休む暇もない。頭に巻いた手ぬぐいにじんわり汗が滲む。
「はい、お待ちどうさま! きつねうどんとツミレうどんですっ」
お客さんにうつわを運ぶと、今度はお会計で離れたところから呼ばれる。「いま行きまーす!」と返して、パタパタと声の方へ急いだ。
そんな事の繰り返しで、いつの間にか客足が少なくなっていく。もう閉店の時間だ。戸口からのれんをかき分け外を眺めてみれば、沈みかけた西日が眩しい。
「……今日もたくさん働いたなぁ」
ため息とともに独り言をつぶやいた時。店の前を歩く"いい人材さん"を見つけた。向こうも私を覚えていたのか、にこにこしながら近づいてきた。どうも、と軽く会釈をする。
「あれから、どうです? 仕事受けていただく気になりました?」
「えぇ、簡単なコトなら。ぜひ、やってみようかなって」
「そうですか、良かったです! いやぁ、貴女にぴったりの仕事がありましてね、」
「私、実戦は経験がなくて。どんな内容でしょうか……?」
「何も危険なことはありません! 街の物価を調査して欲しいのです」
普通の町人みたいな井伊さんは、そう言って懐から書類を取り出した。ここに仕事を受けるというサインをするらしい。矢立を貸してもらって、さらさらと筆を走らせた。
「では後日、報告をお願いしますね。あ、そうそう。これが調査して欲しい内容です」
「ご満足いただけるよう、頑張ります……!」
何やら色々な品目が書かれた紙を受け取ると、店の奥から「おーい、片付けるぞー」と店主の声が聞こえてきた。井伊さんに頭を下げ、急いで片付けに向かう。
*
夕焼けに包まれる帰り道。学園へと続く道は長いけれど、まかないのうどんを食べたからか少し元気になっていた。
学園に戻ったら、シナ先生に調査のバイトを報告しないと……。ダメよ!と言われないように、頭の中で先生とのやり取りを繰り返していた。
ようやく学園の大きな正門が見え、潜り戸から身体を滑らせる。事務のおばちゃんに入門票を渡してシナ先生はどこかと尋ねると、食堂で見かけたと教えてくれた。
「シナ先生、名前です。少し、よろしいでしょうか」
食堂のテーブルでお茶をすする、若い姿のシナ先生に声をかけた。忍たまはまばらで、食堂ももうすぐ閉める様子だ。おばちゃんがカチャカチャと洗い物をする音が聞こえた。
先生の前に腰かけると、「遅くまでバイトお疲れさま」なんて労ってくれた。
「先生。……じつは、バイトのことで報告があります」
「あら、何かしら。深刻そうな顔をして」
「街で女の子を助けたとき、忍者の仕事を斡旋する人に見られまして。……簡単な調査忍務をやってみないかと誘われたんです」
「ふぅん。で、名前さんのことだもの、やってみたくて仕方がないんでしょう?」
「っ、え、はい!」
「ふふふ、そう顔に書いてあるから。分かりやすいわね」
シナ先生は湯呑みをおいて、困ったようにほほ笑んだ。赤い唇がキュッと上がって、先生はいつでも綺麗だった。
「深くは聞かないけれど、何かあったらすぐに報告すること。それから……危ないことはしないでね?」
「分かりました……!」
先生は全てお見通しなのかもしれない。そう思ってしまうほど、私の心を見透かされている気がした。小さく頷くと、「じゃあね」と去っていく後ろ姿を見つめる。
……許可をもらえたってことだよね?
事後報告だし、お説教されるかと思ったのに。すんなりと進んで拍子抜けしてしまった。そのまましばらく座っていると、今度はドタドタと足音が聞こえて――
「おばちゃーん! まだ間に合いますか!?」
この声は大木先生だ。思わぬ人が入り口から飛び込んで来たから、心臓が止まるかと思った。きっと夕飯を食べ損ねたのだろう。おばちゃんは、「簡単なものなら出せるわよ」とさっそく調理場へ移動していた。「助かります!」と頭を下げる先生へ、そろりと近づいた。
「大木先生。先日の授業、ありがとうございました」
「いやぁ、上級生の授業は面白いな」
「そう言ってもらえて嬉しいです!」
「だが一年坊主の授業もなかなか面白いんだ。なんせ、あいつらの成長は早い! こちらも教えがいがあるというものだ」
先生は教え子のことを生き生きと話す。手がかかる生徒ほど可愛いものなのかもしれない。
「……あの、先生。ちょっとお願いがありまして」
先生が、おや?という顔をする。そのあとすぐに何かを閃いた様子だ。シナ先生も大木先生も、忍者の先生ってなんでも分かってしまうのかとドキッとした。
もし、私の抱くこの想いを知られたら……? いやいや、大木先生みたいな大人な男性には私はだいぶ子どもで。まったく眼中にないと思うと少し切ない。
「お前のことだ、まだまだ鍛錬し足りないのだろ?」
「はい……! みんな疲れ切って、棒手裏剣の打ち方を教わりそびれちゃったから。ぜひ、大木先生にご指導いただきたくて」
「いいぞ、名前。特別に教えてやる!」
豪快に笑う先生が、私にとっては輝いてみえる。特別に教えてもらえるだなんて今から楽しみでしかたがない。それまでに図書室で予習しておかなくちゃ。先生にお礼を言って、最大級の笑顔を向けた。
「「大木先生、よろしくお願いしまーす!」」
ここは裏山。学園近くの山だが、険しい崖も鬱蒼とした林も、開けた草原も、穏やかな川も、全てがある場所だ。
くのたまは片方の手で数えられるくらいの人数だけれど、大木先生に負けないように大きな声で返事をした。
とうとう待ちに待った日がきた。
食堂でシナ先生と大木先生の話を盗み聞きしてからずっと、この日を楽しみにしていた。だって、手裏剣名人の大木先生に教えてもらえるなんて、すごく貴重だから。私以外のくのたまはあまり乗り気ではないようで、「熱血すぎるとイヤだなー」なんて愚痴をこぼしていた。
大木先生はいつも通りの出で立ちで、赤い鉢巻きは木々の緑と相まって燃えるように鮮やかだ。やる気に満ち溢れているのか普段に増して声が大きく、口の端から犬歯がチラッと見え隠れする。
草木が生い茂るそこは、太陽の日差しがわずかに入り込むだけ。地面は太い根っこがあちこちに張り出し足場が悪い。上級生向けに、先生はわざとこの場所を選んだに違いなかった。
「手裏剣を打つ前に、まずは基本のおさらいだ。剣が四つあるもの、これは四方手裏剣といって――」
みんな、手元の手裏剣をまじまじと見つめた。鋭利な刃を指でなぞって形を確かめる。冷たくて、ずっしりとした重さ。手のひらに収まる手裏剣は、小さくても大きな攻撃力となる。説明を聞きながら、大木先生に視線を向けた。
「確実に、深く傷を与えたい場合は四方や十字などの剣が少ないものを使うこと。浅い傷でも刺されば良い場合は八方手裏剣などの剣の多い物を使うのだぞ!」
「「「はーい!」」」
「それでは、打ち方だが――」
先生の言葉を頭に詰め込んでいく。手裏剣を打つだなんて、実践することは訪れないかも知れない。そんな危険な忍務など、私に務まるのかどうか……。でも、腕試ししてみたい気もする。ふと忍者の斡旋をする、あの人を思い出して――
「おい、名前! ぼけっとするな。みな打つ準備をしているぞ」
「は、はい! すみません」
「他のことを考えていたのだな。ちゃんと集中するんだ!」
私としたことが……! 先生に良いところを見せようと思って授業に臨んでいるのに。先生はむむ、と口を結んでちょっと怖い。私は慌てて他のくのたまと一緒に構えをとった。
肩幅に足を開いて身体を横向きにし、遠くの的へ焦点を合わせる。丸い木型のそれは、ど真ん中に黒い丸が描かれている。けれど、今日は上級生向けの特別授業。的は背の高い草木に囲まれて、わざと距離感を掴みにくくしてあった。さらに時々風が吹くから力加減が難しい。
ひじを曲げ、ゆっくりと振り下ろす動作をする。
大木先生が、くのたま一人一人を見て回って指導していく。上級生ともなれば構えは問題なさそうで、先生は腕を組みながら頷いている。そして、ついに私のところにもやって来た。ドキドキしていると、「いいだろう」と背後から声がして気合が入る。
「さぁ、周りに気をつけて打つんだ!」
そのかけ声と同時に、一斉に的へと手裏剣を放っていく。シュッと空を切る音。少しして、タン!と木に突き刺さる軽い音がした。もちろん、的に当たらなかった手裏剣は辺りの木々に刺さったり、カシャっと金属音を響かせ地面へと落ちていったりした。
私の手裏剣は――
的には刺さったけれど、ど真ん中というわけではなかった。まだまだ、鍛錬を積まないと……!
大木先生がそろりと私の近くに来ると、カミソリ傷のあるアゴに手をやった。こうして間近に来られたら、先生の背の高さやがっしりした身体がまざまざと感じられて非常にまずい。
大木先生は私の憧れで、でも届かない遠い存在だから……。そんな気持ちをを紛らわすように、打ち方について話してみる。
「的に刺さったのですが、中心から逸れてしまいました」
「うむ、軸がぶれたんだ。振り下ろすときは呼吸を整えてだな――」
先生は背後から私の身体に寄り添うと、片足を前に出させるように触れてくる。手裏剣を手に取り構えをとってみると、今度は手首をさっと掴まれた。手甲ごしに感じる先生の大きな手のひら。温かくて、これ以上ないほど鼓動が激しくなる。
それから、先生の手が手裏剣を握る手指へと移って重なる。ゴツゴツとした感触に私の心臓は耐えられそうもない。指導とはいえ、こんなに近い距離で身体を包まれるなんて。踏みつけた枝のせいでバランスを崩せば、よろけたせいでさらに先生にくっ付いた。
顔がかあっと熱く燃え上がる。
「いいか。こうやって手裏剣が手から離れるときに回転をかける」
「っ、はい!」
そのまま手裏剣を打つように、腕を一緒に振り下ろした。一瞬の出来事なのに、時が止まったようだった。止まってくれたら良いのに、なんて思う自分が恥ずかしい。
「手裏剣の形や目的によって打ち方は変わるが」
「そうなのですね……! 忍たまの友で勉強します!」
「教科書を読むのも良いが、やってみて覚えた方が早いかもな」
そう言って、懐っこく笑う先生。ぴったりくっ付いた先生が離れたせいで、触れた部分は熱を引いてひんやりとする。触れた指の先もその温もりも全部、夢みたいだった。
「お前たち、まだまだ時間はある。どこんじょーでやれ!」
「「「はーい!」」」
ひときわ大声で先生が叫ぶから、くのたまのみんなも同じ熱量で応える。四方手裏剣の次は、八つの剣がある八方手裏剣の打ち方を練習した。その次は十字手裏剣だ。それぞれ形状が異なるから、持ち方や捻り方も違う。
しばらく打ち続けていると、腕がだんだん重くなって疲労感に襲われた。でも、まだまだ授業が終わる気配はない。
「もうへこたれたのかぁ? 次は棒手裏剣の打ち方を教える!」
「「「え〜っ!?」」」
「どこんじょーが足りん! 上級生ともなれば、過酷な授業をこなす必要があってだな、」
「先生、さすがに疲れました〜……」
みんな地べたに座り込んで、ぐったりしている。誰かが絞り出すような声でみんなが思っていることを伝えると、先生は「こりゃ参ったなあ」とわしわし頭を掻いた。
この空気をなんとかしなきゃ……! 前からずっと気になっていたことを聞いてみるチャンスだ。先生に向かって、意見があります!と分かるようにすっと手を挙げた。
「大木先生っ。私、先生が手裏剣一枚で何人もやっつけたと聞いたことがあります! ぜひ、その技を見せていただきたいのです」
「うむ、いいだろう。久しぶりにやってみるか!」
「わぁっ、ありがとうございます!」
「そんなに期待されても困るんだが」
ちょっと照れくさそうに目尻を下げる先生。そんな反応をされると思っていなくて、くすっと笑ってしまった。くのたまのみんなも興味津々で、ダラーっとした姿勢から一転、姿勢を正して前のめりになっていた。周りからは「一枚で何人もって無理だよね」とか、「どんな打ち方なんだろう」なんてヒソヒソ声が聞こえる。
「今から、この手裏剣を打つが……あの右端の木から真ん中へ、そして最後は左の木へと移っていく。よーく見ておけ」
「「「はいっ!」」」
一枚の手裏剣で、何本もの木々に剣の傷がつけられるというのか。堂々と大木先生にお願いしてみたものの、半信半疑な自分がいる。先生は赤い鉢巻きを締め直し気合を入れると、四方手裏剣を手にした。
「……いくぞ」
わずかに衣擦れの音が聞こえたあと。先生の手から、ひねりを効かせた手裏剣がしゅるりと離れる。それは空を切って、木の幹に次々と細い刃の跡を残していった。最後の木にグサッと突き刺さると、どこからともなくくのたま達の歓声が上がった。私もそのうちの一人だ。
「わぁーっ」
「手裏剣一枚で……!?」
「すごーい!」
「まぁ、わしには朝めし前だがな!」
大木先生は得意げに両手をぱんと叩くと、腰に手を当て大きく笑っていた。名人の技を目の当たりにして、憧れと尊敬とが入り混じった吐息が漏れる。
どうしたら先生みたいになれるんだろう。教師になる前は、危険な忍務とかしてたのかな……?
先生の鍛えられた身体つき、それにピンチの時でも動じないところ。……のほほんと過ごしてきたわけではないと分かる。そんなことまで考えて、胸が苦しくなるのは私の悪いクセだ。ぎゅっとこぶしを握る。
「おや、邪魔ものがいるなぁ」
わざとらしく大木先生がつぶやくと、木々の奥、草木が生い茂る場所へと手裏剣を放った。急に何事か!?とくのたま達はザワザワし出した。みんなで手裏剣の行方を目で追うと――
「おい、危ないだろう! 雅之助〜っ!」
黒い忍装束を纏って、メガネを光らせる野村先生が草むらから飛び出してきた。グラス越しの瞳は三角に吊り上がって、カンカンに怒っている。それもそのはず、大木先生がちょっかいをかけたのだから。
「わしの授業中に何の用だ、キザ野郎!」
「はぁ!? 私は来週の実技でこの辺りを使うから、その準備をしていたんだ! そっちこそ邪魔をするな!」
「何だとぉー!?」
「もう一回言わなきゃ分からないのか! このど根性バカ!」
先生二人が取っ組み合いで、とうとう苦無を持ち出しやり合っている。キーンという金属が激しくぶつかり合う音と、わめく声が響いて……いつも通りだ。
くのたま達は「ありがとうございましたー!」とだけ言うと、そそくさと学園へと帰っていく。この喧嘩に巻き込まれたら、たまったものではない。
せっかく大木先生の格好いいところが見れたのに、最後はゴタゴタだなんて。でも、こんな所だって先生らしいかもしれない。
吹き出しそうになりながら、先生二人を残して私もみんなの後を追った。
教わりそびれてしまった棒手裏剣の打ち方、今度聞いてみよう。大木先生に質問する機会ができて、ちょっと嬉しくなった。
*
数日後。
今日は掛け持ちをしている、うどん屋でのバイトの日だ。街の中に構えた店はいつも繁盛していて休む暇もない。頭に巻いた手ぬぐいにじんわり汗が滲む。
「はい、お待ちどうさま! きつねうどんとツミレうどんですっ」
お客さんにうつわを運ぶと、今度はお会計で離れたところから呼ばれる。「いま行きまーす!」と返して、パタパタと声の方へ急いだ。
そんな事の繰り返しで、いつの間にか客足が少なくなっていく。もう閉店の時間だ。戸口からのれんをかき分け外を眺めてみれば、沈みかけた西日が眩しい。
「……今日もたくさん働いたなぁ」
ため息とともに独り言をつぶやいた時。店の前を歩く"いい人材さん"を見つけた。向こうも私を覚えていたのか、にこにこしながら近づいてきた。どうも、と軽く会釈をする。
「あれから、どうです? 仕事受けていただく気になりました?」
「えぇ、簡単なコトなら。ぜひ、やってみようかなって」
「そうですか、良かったです! いやぁ、貴女にぴったりの仕事がありましてね、」
「私、実戦は経験がなくて。どんな内容でしょうか……?」
「何も危険なことはありません! 街の物価を調査して欲しいのです」
普通の町人みたいな井伊さんは、そう言って懐から書類を取り出した。ここに仕事を受けるというサインをするらしい。矢立を貸してもらって、さらさらと筆を走らせた。
「では後日、報告をお願いしますね。あ、そうそう。これが調査して欲しい内容です」
「ご満足いただけるよう、頑張ります……!」
何やら色々な品目が書かれた紙を受け取ると、店の奥から「おーい、片付けるぞー」と店主の声が聞こえてきた。井伊さんに頭を下げ、急いで片付けに向かう。
*
夕焼けに包まれる帰り道。学園へと続く道は長いけれど、まかないのうどんを食べたからか少し元気になっていた。
学園に戻ったら、シナ先生に調査のバイトを報告しないと……。ダメよ!と言われないように、頭の中で先生とのやり取りを繰り返していた。
ようやく学園の大きな正門が見え、潜り戸から身体を滑らせる。事務のおばちゃんに入門票を渡してシナ先生はどこかと尋ねると、食堂で見かけたと教えてくれた。
「シナ先生、名前です。少し、よろしいでしょうか」
食堂のテーブルでお茶をすする、若い姿のシナ先生に声をかけた。忍たまはまばらで、食堂ももうすぐ閉める様子だ。おばちゃんがカチャカチャと洗い物をする音が聞こえた。
先生の前に腰かけると、「遅くまでバイトお疲れさま」なんて労ってくれた。
「先生。……じつは、バイトのことで報告があります」
「あら、何かしら。深刻そうな顔をして」
「街で女の子を助けたとき、忍者の仕事を斡旋する人に見られまして。……簡単な調査忍務をやってみないかと誘われたんです」
「ふぅん。で、名前さんのことだもの、やってみたくて仕方がないんでしょう?」
「っ、え、はい!」
「ふふふ、そう顔に書いてあるから。分かりやすいわね」
シナ先生は湯呑みをおいて、困ったようにほほ笑んだ。赤い唇がキュッと上がって、先生はいつでも綺麗だった。
「深くは聞かないけれど、何かあったらすぐに報告すること。それから……危ないことはしないでね?」
「分かりました……!」
先生は全てお見通しなのかもしれない。そう思ってしまうほど、私の心を見透かされている気がした。小さく頷くと、「じゃあね」と去っていく後ろ姿を見つめる。
……許可をもらえたってことだよね?
事後報告だし、お説教されるかと思ったのに。すんなりと進んで拍子抜けしてしまった。そのまましばらく座っていると、今度はドタドタと足音が聞こえて――
「おばちゃーん! まだ間に合いますか!?」
この声は大木先生だ。思わぬ人が入り口から飛び込んで来たから、心臓が止まるかと思った。きっと夕飯を食べ損ねたのだろう。おばちゃんは、「簡単なものなら出せるわよ」とさっそく調理場へ移動していた。「助かります!」と頭を下げる先生へ、そろりと近づいた。
「大木先生。先日の授業、ありがとうございました」
「いやぁ、上級生の授業は面白いな」
「そう言ってもらえて嬉しいです!」
「だが一年坊主の授業もなかなか面白いんだ。なんせ、あいつらの成長は早い! こちらも教えがいがあるというものだ」
先生は教え子のことを生き生きと話す。手がかかる生徒ほど可愛いものなのかもしれない。
「……あの、先生。ちょっとお願いがありまして」
先生が、おや?という顔をする。そのあとすぐに何かを閃いた様子だ。シナ先生も大木先生も、忍者の先生ってなんでも分かってしまうのかとドキッとした。
もし、私の抱くこの想いを知られたら……? いやいや、大木先生みたいな大人な男性には私はだいぶ子どもで。まったく眼中にないと思うと少し切ない。
「お前のことだ、まだまだ鍛錬し足りないのだろ?」
「はい……! みんな疲れ切って、棒手裏剣の打ち方を教わりそびれちゃったから。ぜひ、大木先生にご指導いただきたくて」
「いいぞ、名前。特別に教えてやる!」
豪快に笑う先生が、私にとっては輝いてみえる。特別に教えてもらえるだなんて今から楽しみでしかたがない。それまでに図書室で予習しておかなくちゃ。先生にお礼を言って、最大級の笑顔を向けた。