第2話 忍者のバイトはいかが?
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ある晴れた日の放課後。
外出許可をもらうべく、シナ先生を探しているところだ。教員長屋にはいないようで、食堂を確認しても見当たらない。校庭にもいないとすると……あと一つだけ思い当たる場所がある。いらっしゃるか分からないけれど、学園の端にある馬小屋へ向かってみた。
「シナ先生〜!」
「あら、名前さん。どうしたのかしら?」
小屋には、生物委員がお世話をしている生き物がいる。鳥やウサギなどの小動物から、取扱注意のヘビや毒虫まで。恐るおそるすり抜けて先生の元へと走っていく。
先生は珍しく、額に汗をかきながら愛馬のお世話をしていた。美人な先生とスタイルの良い馬はとても絵になっていて、ぽーっと見惚れてしまった。先生が透き通るような白い手で馬の鼻筋を撫でると、それに応えるようにブルルッと大きく鼻を鳴らした。
「外出許可をいただきたいのと、授業で分からないところがありまして」
「今度は何のアルバイトかしら? 頑張るわね」
「街で大きな市が開かれるんです。団子屋の稼ぎどきだから、売り子のバイトを頼まれてます」
「それは忙しそう!」
「バイトのあと、街で友だちと買い物する予定なんです。だからそれを楽しみに頑張りますっ」
許可証を小屋の壁に押し付け、さらさらと筆を走らせていく先生。「じゃあ、一緒に行くくのたまの分も書いておくわ」と、まとめて許可をもらった。失くさないように懐へとしまい込む。それから忍たまの友を取り出した。
「あと、質問だったわね?」
「はい! 前に授業で教えていただいた七方出の……変装のことなんですが」
先生はこちらに向き直ると一緒に教科書を覗きこむ。七方出の章で、それには載っていないことや実践でのコツを聞いてみた。忘れないように、教えてもらったことを余白に書き込んでいく。そのせいか私の忍たまの友は全体的に真っ黒だ。
質問が終わると、お礼を言ってから先日の騒ぎに触れてみた。
「シナ先生。この前は、大木先生と野村先生のケンカを収めてくださってありがとうございました……!」
「まったく、あの二人はいつも困るわね。ケンカしなければいい先生なんだけど」
「私にも原因がありますし、お二人にもシナ先生にもご迷惑をお掛けしちゃいました」
「きっと、何かにつけてケンカしたいのよ。あの二人は」
シナ先生がイタズラっぽく笑うから、私もクスッと吹き出した。たしかにシナ先生の言う通りかもしれない。そして……これは誰にも言えないけれど、私の涙で大木先生が慌てたのはちょっと嬉しかった。
*
ついに、大きな市が開かれる日。
堺の港に近いここは、貿易の要所でもあるから大変な賑わいだ。いつものお店の他に、道端では行商人が骨董品なんかを売っていた。頬被りをした女性は頭に大きなカゴを乗せ、威勢の良い声を出している。
色々あるバイト先のひとつ、団子屋に急ぐと店主に挨拶をした。さっそく店先で呼び込みをして、お客さんから注文を聞いたりお会計をしたりと大忙しだ。
「いらっしゃいませ!」
「お姉さん、団子ふたつ頼むわ」
「はいっ、お茶と一緒にお持ちします」
団子の皿を運び、食べ終わった皿を片付けて、食べ歩きのお客さんの注文も受けて――
長居する客はいないから、常にバタバタと動いてあっという間に時が過ぎていった。
人の波が落ち着いた頃、店の前がざわついている。野太い声に、ドタドタとした音。その騒ぎは何か嫌な予感がして、掃除する手を止め様子を見に外へ出ていく。みな道の端っこに避けて、声をひそめて話していた。
「おら、そこをどけ! 邪魔だ!」
ガラの悪い男二人組が通行人を蹴散らしているようだ。風貌はいかにもと言う感じで、ボロボロの薄汚い着物に目つきの悪い人相、それに刀までぶら下げている。
ちょろちょろしていた小さな女の子が目を付けられたのか、睨まれて動けなくなっていた。近くに親はいないようで、手に風ぐるまを握ったまま小さく縮こまって震えている。
みんな固唾を飲んで見守るか、知らないふりで通り過ぎる。……助けなきゃ。
バイト中だと言うことを忘れて、身体が勝手に動き出す。黙って見てはいられなかった。ここは男達を喜ばせて、油断させてから一気に片をつけよう。……授業で習った、喜車の術が使えるかもしれない。
とびきりの笑顔を作り、男のもとへ小走りで近づく。自然に、でも少し媚びた感じで……。
「そこの素敵なお兄さん達! ぜひ、うちの団子屋で休んでいきませんか? 特別にごちそうしますから」
「はぁ? 何だオメェは!」
「まぁまぁ、お兄さん。いいからいいから、ねっ」
「そう言われちゃあ、仕方ねぇ」
二人の間に割って入り、腕を抱えるとズンズンと引っ張り女の子から離れていく。道の端までくると、女の子に"早く逃げろ"と視線を送る。戸惑いながら走って逃げていくのを確認して――
もう大丈夫だ。よし、こうなったら……!
がばっと片足を上げ、勢いをつけて踏みつける。と同時に、片肘を男へと突き刺した。
「店に行くんじゃねぇのかよ!? って、痛ッ!」
「何するんだ! てめぇ!」
「え、私何かしました?」
「「とぼけるんじゃねーぞ!」」
思い切り男の足の甲を踏んづけ、もう一人の男には脇腹にひじ鉄炮を食らわせたのだ。すると悲鳴と怒号が混じった声が雷のごとく落ちてきた。男二人に挟まれ、その怒りに満ちた顔を交互に見やる。
「殴れるものなら、どうぞお好きに」
「生意気な口を黙らせてやらぁ!」
そう言うやいなや、大きな拳が私に向かって降りかかってくる。「きゃぁっ」という野次馬の悲鳴が耳に飛び込む。
その刹那、スッと真下にしゃがみ体をかがめる。すぐに男達の足元から這い出し逃げ出した。
「「うぎゃっ!」」
不細工なうめき声は、あのならず者二人組のものだ。振り上げた拳は私に命中することなく、互いの顔面にバチンとめり込んだ。痛みに悶える様がなんとも滑稽で、そのうち駆けつけた男性たちに捕らえられていた。
……私、とんでもないコトをしてしまったのかもしれない。その顛末を、他人事のように道端でぼーっと眺める。誰かがパチパチと拍手をしていたけれど、全く目に入ってこないし、頭の中は空っぽになって何も考えられなかった。ただただ、心臓がばくばくして、身体全身から冷や汗が吹き出している。
心ここに在らずで、団子屋へと戻っていく途中。男の人に呼びかけられ振り返る。
「そこのお姉さん、ちょっとお話が……!」
「え、わたし? ですか……?」
「はい〜! そこの貴女です!」
今度はなんだろう。今日は散々だなぁ、とは思いつつも足を止めた。話を聞くだけならタダだし……。あれだけ集まったヤジ馬は、騒ぎがなくなった途端にサーっといなくなっていた。
「わたくし、こういう者でして。フリーの忍者やアルバイトのあっ旋をしているんです」
「いい人材、さん……?」
いたって普通の町人風のおじさんは、四角い名刺を差し出してきた。それをまじまじ見つめると、ずいぶんと不思議な名前が書いてある。
「いえ、井伊甚左衛門と申します。いやぁ、先ほどの動きはプロの忍者かと思いまして。まだどこにも所属されていないようでしたら……」
「私、まだ生徒なんです。プロだなんて、そんな畏れ多いです」
「そうでしたか! では、学業もあることですから、まずは単発のアルバイトからでも。ご興味があれば紹介しますよ! いい経験が積めると思いますので」
「は、はぁ。考えてみます」
井伊さんはいつの間にかいなくなって、もう一度、名刺を見つめる。
"いい経験が積める"
これは一流の忍者になりたい私にとって、何ともグラつく殺し文句だ。考えてみます、とは言ったものの、挑戦してみたくてたまらなかった。
「名前〜! バイト終わったー?」
団子屋の暖簾をくぐろうとしたとき、くのたまの友だちがやって来た。可愛らしい色の着物姿で、学園の制服姿とは印象が違う。すこしお化粧をしているからかもしれない。
「店主のおじさんに報告したら終わりなんだ。ちょっと待ってて!」
先ほどもらった名刺を胸元にしまうと、店の中へと急いだ。
*
「戻りましたー!」
街から学園に到着すると、もうすっかり夕方になっていた。正門のところで事務のおばちゃんへ入門票を渡して、友だちと一緒にくのたま長屋へ戻っていく。
大きな市は終わりかけだったけれど、普段はない出店があったりでとても楽しかった。久しぶりに女の子同士ではしゃいだ気がする。
また街に行こうね!と話しながら中庭にさしかかった時、突然大声で呼び止められた。あの声は――
「おい、名前!」
「っ、はい! 大木先生、どうされました……?」
振り返れば、大股でこちらに向かってくる先生。黒い忍装束に赤い鉢巻きを締め、夕日を背にするから威厳がある。その顔は口を真一文字にして、なんだか叱られそうな予感がした。
……門限、破ってないんだけどな。
思い当たる節がなさすぎて、友だちと顔を見合わせた。
「山田先生、いや、伝子さんから聞いたぞ! 街で大立ち回りをしたんだってな?」
「あ、いえ、それは……!」
「えー? なになに? 名前、何があったの!?」
「なんでも、悪党二人組をやっつけたんだろう? お前ひとりで」
大木先生はひげ剃り傷のあるアゴに触りながら、愉快そうな視線を送ってきた。垂れ目を輝かせ、興味津々な様子に怯んでしまいそうだ。
「やっつけたと言うか、女の子を助けたくて……。って、なぜ山田先生がご存知なのですか!?」
「ほぉ、人助けか! 山田先生は、女装で使う物を買いに行っていてな。今日は大きな市が開かれる日だから。そこで名前を見かけた、というわけだ」
大木先生はなるほど、と言って腕組みをした。うんうんと満足そうに頷く様子から、叱られることはなさそうだ。
「そうだったんですか、全然気づかなかったです……!」
「名前、すごいねー!」
友だちは一段と高い声で、自分のことのように喜んでいた。大した事してないのに……と少しむず痒い。
そうこうしていると、手裏剣を入れた道具箱を抱えた一年生が駆け寄ってきた。カチャカチャと大きな音を立てて、「大木先生〜!」と一所懸命に走る浅葱色の制服たち。ふくらんだ頬は、あどけなさを残していて可愛らしかった。大木先生は、この子達の担任なのだ。
「せんせー! 留三郎が補習で使った手裏剣の片付けをしないんです!」
「ウソ言うなよ文次郎!? おれだって片付けたぞー!」
「お前らケンカするんじゃない! ところで、伊作はどうした?」
わらわら集まってきた一年生の中に、伊作君だけがいない。おかしいなぁ、とキョロキョロみんなで辺りに目を凝らすと、長次くんが遠くを指差した。
「たぶん、落とし穴です」
「そうか、また落ちたのだな……! まったく、世話の焼けるやつめ」
大木先生が「ほら、お前たち。伊作を助けに行くぞ!」と苦虫をかみつぶすような顔で言うと、一年生たちを急き立てた。
まるで嵐のようだったな……! なんて後ろ姿を眺めていたら、おもむろに大木先生が振り返った。
「名前。わしは良くやったと思うがな。街でのこと、シナ先生に報告しに行きなさい」
「……はい! そうします」
いかにも先生らしい口ぶりで、でもその眼差しは柔らかかった。赤い鉢巻きを風になびかせ「どこんじょー!」と叫び走り去る先生。その後ろ姿を見送ってから、食堂へ行く前にまずは教員長屋へと急いだ。
*
「……失礼します」
友だちと別れてシナ先生の部屋の前。障子越しに人の気配を感じて声をかければ、中からしわがれた声が返ってきた。今はおばあさんの姿なのかもしれない。戸を軽く引き、室内へと体を滑り込ませる。
「名前さんですね。街でのこと、聞いていますよ」
入るや否や、こちらに向けて小さく座る先生。その表情は穏やかで、でも何を考えているか分からないといった怖さもあった。私も向かい合って正座する。
「先ほど、大木先生に会って……山田先生が見ていたと伺いました。騒ぎを起こしてしまってすみません」
「騒ぎ、ねぇ。あなたのことです、なにか理由があったのでしょう?」
「ええっと、それは――」
街で何があって、どうして野次馬が大勢いるなか悪党二人を懲らしめたのか。シナ先生へ起こったことを話すと、温和な表情はそのままにゆっくりと頷いてくれた。
「名前さんに怪我がなくて良かったわぁ。そういう事情があったの。あなたらしいけれど、ね」
「無謀だとは、分かっています! でも誰かのために、役に立てたらいいなって思って。そんな忍びになりたいんです。こんな私でも、できるかもしれないから」
「ご家族に迷惑をかけたくないと、学費もアルバイト代で賄っているんでしょう? 志は尊重するけれど、あまり無理しなさんな」
「気をつけます。でも、授業で習った術が活かせて、わたし……!」
「ほら。そういうところですよ」
先生が呆れ気味に指摘する。勉強したことが実践できて嬉しかったのは本当だった。前のめりで言いかけたけれど、ここはぐっと飲み込む。そして、この流れで"忍者のバイトで声がかかった――"なんて言えない。きっと反対されるだろうから。
少しの罪悪感を胸に、あはは……と苦笑いするのだった。
外出許可をもらうべく、シナ先生を探しているところだ。教員長屋にはいないようで、食堂を確認しても見当たらない。校庭にもいないとすると……あと一つだけ思い当たる場所がある。いらっしゃるか分からないけれど、学園の端にある馬小屋へ向かってみた。
「シナ先生〜!」
「あら、名前さん。どうしたのかしら?」
小屋には、生物委員がお世話をしている生き物がいる。鳥やウサギなどの小動物から、取扱注意のヘビや毒虫まで。恐るおそるすり抜けて先生の元へと走っていく。
先生は珍しく、額に汗をかきながら愛馬のお世話をしていた。美人な先生とスタイルの良い馬はとても絵になっていて、ぽーっと見惚れてしまった。先生が透き通るような白い手で馬の鼻筋を撫でると、それに応えるようにブルルッと大きく鼻を鳴らした。
「外出許可をいただきたいのと、授業で分からないところがありまして」
「今度は何のアルバイトかしら? 頑張るわね」
「街で大きな市が開かれるんです。団子屋の稼ぎどきだから、売り子のバイトを頼まれてます」
「それは忙しそう!」
「バイトのあと、街で友だちと買い物する予定なんです。だからそれを楽しみに頑張りますっ」
許可証を小屋の壁に押し付け、さらさらと筆を走らせていく先生。「じゃあ、一緒に行くくのたまの分も書いておくわ」と、まとめて許可をもらった。失くさないように懐へとしまい込む。それから忍たまの友を取り出した。
「あと、質問だったわね?」
「はい! 前に授業で教えていただいた七方出の……変装のことなんですが」
先生はこちらに向き直ると一緒に教科書を覗きこむ。七方出の章で、それには載っていないことや実践でのコツを聞いてみた。忘れないように、教えてもらったことを余白に書き込んでいく。そのせいか私の忍たまの友は全体的に真っ黒だ。
質問が終わると、お礼を言ってから先日の騒ぎに触れてみた。
「シナ先生。この前は、大木先生と野村先生のケンカを収めてくださってありがとうございました……!」
「まったく、あの二人はいつも困るわね。ケンカしなければいい先生なんだけど」
「私にも原因がありますし、お二人にもシナ先生にもご迷惑をお掛けしちゃいました」
「きっと、何かにつけてケンカしたいのよ。あの二人は」
シナ先生がイタズラっぽく笑うから、私もクスッと吹き出した。たしかにシナ先生の言う通りかもしれない。そして……これは誰にも言えないけれど、私の涙で大木先生が慌てたのはちょっと嬉しかった。
*
ついに、大きな市が開かれる日。
堺の港に近いここは、貿易の要所でもあるから大変な賑わいだ。いつものお店の他に、道端では行商人が骨董品なんかを売っていた。頬被りをした女性は頭に大きなカゴを乗せ、威勢の良い声を出している。
色々あるバイト先のひとつ、団子屋に急ぐと店主に挨拶をした。さっそく店先で呼び込みをして、お客さんから注文を聞いたりお会計をしたりと大忙しだ。
「いらっしゃいませ!」
「お姉さん、団子ふたつ頼むわ」
「はいっ、お茶と一緒にお持ちします」
団子の皿を運び、食べ終わった皿を片付けて、食べ歩きのお客さんの注文も受けて――
長居する客はいないから、常にバタバタと動いてあっという間に時が過ぎていった。
人の波が落ち着いた頃、店の前がざわついている。野太い声に、ドタドタとした音。その騒ぎは何か嫌な予感がして、掃除する手を止め様子を見に外へ出ていく。みな道の端っこに避けて、声をひそめて話していた。
「おら、そこをどけ! 邪魔だ!」
ガラの悪い男二人組が通行人を蹴散らしているようだ。風貌はいかにもと言う感じで、ボロボロの薄汚い着物に目つきの悪い人相、それに刀までぶら下げている。
ちょろちょろしていた小さな女の子が目を付けられたのか、睨まれて動けなくなっていた。近くに親はいないようで、手に風ぐるまを握ったまま小さく縮こまって震えている。
みんな固唾を飲んで見守るか、知らないふりで通り過ぎる。……助けなきゃ。
バイト中だと言うことを忘れて、身体が勝手に動き出す。黙って見てはいられなかった。ここは男達を喜ばせて、油断させてから一気に片をつけよう。……授業で習った、喜車の術が使えるかもしれない。
とびきりの笑顔を作り、男のもとへ小走りで近づく。自然に、でも少し媚びた感じで……。
「そこの素敵なお兄さん達! ぜひ、うちの団子屋で休んでいきませんか? 特別にごちそうしますから」
「はぁ? 何だオメェは!」
「まぁまぁ、お兄さん。いいからいいから、ねっ」
「そう言われちゃあ、仕方ねぇ」
二人の間に割って入り、腕を抱えるとズンズンと引っ張り女の子から離れていく。道の端までくると、女の子に"早く逃げろ"と視線を送る。戸惑いながら走って逃げていくのを確認して――
もう大丈夫だ。よし、こうなったら……!
がばっと片足を上げ、勢いをつけて踏みつける。と同時に、片肘を男へと突き刺した。
「店に行くんじゃねぇのかよ!? って、痛ッ!」
「何するんだ! てめぇ!」
「え、私何かしました?」
「「とぼけるんじゃねーぞ!」」
思い切り男の足の甲を踏んづけ、もう一人の男には脇腹にひじ鉄炮を食らわせたのだ。すると悲鳴と怒号が混じった声が雷のごとく落ちてきた。男二人に挟まれ、その怒りに満ちた顔を交互に見やる。
「殴れるものなら、どうぞお好きに」
「生意気な口を黙らせてやらぁ!」
そう言うやいなや、大きな拳が私に向かって降りかかってくる。「きゃぁっ」という野次馬の悲鳴が耳に飛び込む。
その刹那、スッと真下にしゃがみ体をかがめる。すぐに男達の足元から這い出し逃げ出した。
「「うぎゃっ!」」
不細工なうめき声は、あのならず者二人組のものだ。振り上げた拳は私に命中することなく、互いの顔面にバチンとめり込んだ。痛みに悶える様がなんとも滑稽で、そのうち駆けつけた男性たちに捕らえられていた。
……私、とんでもないコトをしてしまったのかもしれない。その顛末を、他人事のように道端でぼーっと眺める。誰かがパチパチと拍手をしていたけれど、全く目に入ってこないし、頭の中は空っぽになって何も考えられなかった。ただただ、心臓がばくばくして、身体全身から冷や汗が吹き出している。
心ここに在らずで、団子屋へと戻っていく途中。男の人に呼びかけられ振り返る。
「そこのお姉さん、ちょっとお話が……!」
「え、わたし? ですか……?」
「はい〜! そこの貴女です!」
今度はなんだろう。今日は散々だなぁ、とは思いつつも足を止めた。話を聞くだけならタダだし……。あれだけ集まったヤジ馬は、騒ぎがなくなった途端にサーっといなくなっていた。
「わたくし、こういう者でして。フリーの忍者やアルバイトのあっ旋をしているんです」
「いい人材、さん……?」
いたって普通の町人風のおじさんは、四角い名刺を差し出してきた。それをまじまじ見つめると、ずいぶんと不思議な名前が書いてある。
「いえ、井伊甚左衛門と申します。いやぁ、先ほどの動きはプロの忍者かと思いまして。まだどこにも所属されていないようでしたら……」
「私、まだ生徒なんです。プロだなんて、そんな畏れ多いです」
「そうでしたか! では、学業もあることですから、まずは単発のアルバイトからでも。ご興味があれば紹介しますよ! いい経験が積めると思いますので」
「は、はぁ。考えてみます」
井伊さんはいつの間にかいなくなって、もう一度、名刺を見つめる。
"いい経験が積める"
これは一流の忍者になりたい私にとって、何ともグラつく殺し文句だ。考えてみます、とは言ったものの、挑戦してみたくてたまらなかった。
「名前〜! バイト終わったー?」
団子屋の暖簾をくぐろうとしたとき、くのたまの友だちがやって来た。可愛らしい色の着物姿で、学園の制服姿とは印象が違う。すこしお化粧をしているからかもしれない。
「店主のおじさんに報告したら終わりなんだ。ちょっと待ってて!」
先ほどもらった名刺を胸元にしまうと、店の中へと急いだ。
*
「戻りましたー!」
街から学園に到着すると、もうすっかり夕方になっていた。正門のところで事務のおばちゃんへ入門票を渡して、友だちと一緒にくのたま長屋へ戻っていく。
大きな市は終わりかけだったけれど、普段はない出店があったりでとても楽しかった。久しぶりに女の子同士ではしゃいだ気がする。
また街に行こうね!と話しながら中庭にさしかかった時、突然大声で呼び止められた。あの声は――
「おい、名前!」
「っ、はい! 大木先生、どうされました……?」
振り返れば、大股でこちらに向かってくる先生。黒い忍装束に赤い鉢巻きを締め、夕日を背にするから威厳がある。その顔は口を真一文字にして、なんだか叱られそうな予感がした。
……門限、破ってないんだけどな。
思い当たる節がなさすぎて、友だちと顔を見合わせた。
「山田先生、いや、伝子さんから聞いたぞ! 街で大立ち回りをしたんだってな?」
「あ、いえ、それは……!」
「えー? なになに? 名前、何があったの!?」
「なんでも、悪党二人組をやっつけたんだろう? お前ひとりで」
大木先生はひげ剃り傷のあるアゴに触りながら、愉快そうな視線を送ってきた。垂れ目を輝かせ、興味津々な様子に怯んでしまいそうだ。
「やっつけたと言うか、女の子を助けたくて……。って、なぜ山田先生がご存知なのですか!?」
「ほぉ、人助けか! 山田先生は、女装で使う物を買いに行っていてな。今日は大きな市が開かれる日だから。そこで名前を見かけた、というわけだ」
大木先生はなるほど、と言って腕組みをした。うんうんと満足そうに頷く様子から、叱られることはなさそうだ。
「そうだったんですか、全然気づかなかったです……!」
「名前、すごいねー!」
友だちは一段と高い声で、自分のことのように喜んでいた。大した事してないのに……と少しむず痒い。
そうこうしていると、手裏剣を入れた道具箱を抱えた一年生が駆け寄ってきた。カチャカチャと大きな音を立てて、「大木先生〜!」と一所懸命に走る浅葱色の制服たち。ふくらんだ頬は、あどけなさを残していて可愛らしかった。大木先生は、この子達の担任なのだ。
「せんせー! 留三郎が補習で使った手裏剣の片付けをしないんです!」
「ウソ言うなよ文次郎!? おれだって片付けたぞー!」
「お前らケンカするんじゃない! ところで、伊作はどうした?」
わらわら集まってきた一年生の中に、伊作君だけがいない。おかしいなぁ、とキョロキョロみんなで辺りに目を凝らすと、長次くんが遠くを指差した。
「たぶん、落とし穴です」
「そうか、また落ちたのだな……! まったく、世話の焼けるやつめ」
大木先生が「ほら、お前たち。伊作を助けに行くぞ!」と苦虫をかみつぶすような顔で言うと、一年生たちを急き立てた。
まるで嵐のようだったな……! なんて後ろ姿を眺めていたら、おもむろに大木先生が振り返った。
「名前。わしは良くやったと思うがな。街でのこと、シナ先生に報告しに行きなさい」
「……はい! そうします」
いかにも先生らしい口ぶりで、でもその眼差しは柔らかかった。赤い鉢巻きを風になびかせ「どこんじょー!」と叫び走り去る先生。その後ろ姿を見送ってから、食堂へ行く前にまずは教員長屋へと急いだ。
*
「……失礼します」
友だちと別れてシナ先生の部屋の前。障子越しに人の気配を感じて声をかければ、中からしわがれた声が返ってきた。今はおばあさんの姿なのかもしれない。戸を軽く引き、室内へと体を滑り込ませる。
「名前さんですね。街でのこと、聞いていますよ」
入るや否や、こちらに向けて小さく座る先生。その表情は穏やかで、でも何を考えているか分からないといった怖さもあった。私も向かい合って正座する。
「先ほど、大木先生に会って……山田先生が見ていたと伺いました。騒ぎを起こしてしまってすみません」
「騒ぎ、ねぇ。あなたのことです、なにか理由があったのでしょう?」
「ええっと、それは――」
街で何があって、どうして野次馬が大勢いるなか悪党二人を懲らしめたのか。シナ先生へ起こったことを話すと、温和な表情はそのままにゆっくりと頷いてくれた。
「名前さんに怪我がなくて良かったわぁ。そういう事情があったの。あなたらしいけれど、ね」
「無謀だとは、分かっています! でも誰かのために、役に立てたらいいなって思って。そんな忍びになりたいんです。こんな私でも、できるかもしれないから」
「ご家族に迷惑をかけたくないと、学費もアルバイト代で賄っているんでしょう? 志は尊重するけれど、あまり無理しなさんな」
「気をつけます。でも、授業で習った術が活かせて、わたし……!」
「ほら。そういうところですよ」
先生が呆れ気味に指摘する。勉強したことが実践できて嬉しかったのは本当だった。前のめりで言いかけたけれど、ここはぐっと飲み込む。そして、この流れで"忍者のバイトで声がかかった――"なんて言えない。きっと反対されるだろうから。
少しの罪悪感を胸に、あはは……と苦笑いするのだった。