第1話 立派な忍者になるために
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「さぁ、みなさん。授業を始めるわよ!」
女子特有の高い声がくのいち教室に響くなか、山本シナ先生の掛け声でシーンと静まる。先ほどまでキャーキャー騒いでいたくのたま達は、一斉に姿勢を正すと先生へ視線を移した。今日の先生は若い姿で、スラリと伸びた背筋と、こざっぱりした茶色の髪が凛々しい。
「お淑やかさを忘れないこと。いいわね? では昨日の続きから――」
黒板に書かれた忍術を手元のノートに書き写す。授業が始まると、忍たまの友を開き真剣な雰囲気になる。
くのたまは忍たまとは違って一クラスだけ。下級生から卒業を控える上級生まで、まとめて指導するシナ先生は本当に大変だと授業をうけながら思う。
「あのね、それでさ……!」
「えーっ、そうなの?」
私の前に座る下級生二人が、クスクスと小さく笑う。おしゃべりは終わりそうになくて、いつシナ先生の雷が落ちるか気が気でない。
「……ねっ、ふたりとも。授業中だから静かにしよ」
先生を盗み見ながら、こっそり注意して……。慌てておしゃべりをやめて筆を握る二人に苦笑すると、私も黒板を見つめる。
シナ先生の大きな瞳と視線がぶつかって、何気なくそらす瞬間。先生の赤い唇が少し緩んだ気がした。それは「ありがとう」と言われている感じがして照れ臭い。
「手裏剣の種類は今教えた通りよ。上級生には簡単だったわよね。そう思って特別授業を予定しているからお楽しみに! じゃあ次の章を開いて――」
特別授業ってなんだろう……!? 課外授業の一環で手裏剣打ち、とかかなぁ。そんな想像をしつつ、授業に遅れないよう忍たまの友をめくった。
――カーン
しばらくすると遠くから半鐘の音が聞こえてきた。今日の授業はこれで終わりだ。だけど、私にはこの後もやることが山ほどある。
「本日はこれでお終い。みんな、ちゃんと宿題やるのよ?」
シナ先生はそう言うと颯爽と教室を後にした。再び室内がわいわいガヤガヤ騒がしくなる。一日の終わりとあって、緊張感から解放されたせいかもしれない。
「名前はこのあと空いてるー? 一緒にお菓子でも食べない?」
「ごめんっ、またアルバイトが入ってて」
「バイトがない時は勉強ばっかりだし、名前っていっつも忙しいね……!」
「ほんとごめん! 週末は街にお出かけしよっ」
「絶対だからね、約束だよー?」
同じ学年の友だちに話しかけられる。数少ない同級生でお誘いはとても嬉しいけれど……。忍術学園に入学した時の、家族の反対を押し切った時のことを考えると、自由に遊ぶのもちょっぴり気が引けた。
――わたし、ぜったい忍者になるんだから!
そう啖呵を切って、途中から入学したのだ。
「名前っ、ぼーっとしてるとバイトに遅刻するよー」
「わぁ! いけない、急がなきゃ」
慌てて教科書と筆記用具をまとめると、桃色の制服から私服に着替えるべく自室へと向かった。
*
カァカァカァ――
街から少し離れた林道。燃えるようなオレンジ色の空は、端の方から濃紺に染まっていく。太陽はもうすぐ沈んでしまうだろう。
「はぁ〜、つかれた」
うどん屋の皿洗いから戻る途中、疲労からため息をこぼした。学園に戻ったら夕飯を食べて宿題をやって……。今日のバイトで稼いだ、手のひらに収まるくらいの銭を巾着にしまって家路を急いだ。
学園に到着する頃には、月や星がぼうっと輝くほど空が暗くなっていた。制服に着替えるのも面倒で着物姿のまま食堂へ向かう。まだ定食が残ってるといいんだけど……。
頭に被っていた手ぬぐいを取り、懐へ入れたところで足を止めた。それは食堂の入り口から先生たちの話し声が聞こえたからだ。様子を窺えば、大木先生とシナ先生が向かい合って夕飯を食べている。
大木先生は忍装束に赤い鉢巻きで、その姿を見るたびにドキドキしてしまう。密かに、学園で一番格好いいと思っている。他の先生とは違って頭巾をかぶっていないから、ふさふさの髪の毛がゆったりと揺れて――
……って、二人で何を話しているんだろう?
「今度の実技の授業なんだけどね、大木先生にお願いできるかしら?」
「ええ、私で良ければ構いません」
「良ければだなんて。手裏剣の名人ですもの、ありがたいですわ! くのたまの上級生はきっと、いい経験になります」
「上級生向けだと、実戦で使えるような内容がいいでしょうか」
「えぇ、ぜひ!」
シナ先生が言っていた、特別授業のことみたいだ……! 大木先生はシナ先生が出張でいない時に代理で授業をしてくれたこともあった。どこんじょー!とうるさいし、ビシバシと容赦ない教え方だからくのたまには不評だったけれど……。私は楽しみで、いつも待ち遠しくて、大木先生の授業が大好きだった。
意気揚々と食堂のカウンターへ進もうとした時。私の名前が聞こえて、再びその場に立ち止まった。
「特にうちの名前さんが、とっても勉強熱心だから。大木先生に手裏剣打ちを教えてもらえると知ったら……喜ぶと思うわ」
「ほぉ、そりゃ嬉しいですな。彼女はよく私のところにも質問にもくるし、いい生徒をお持ちで」
「えぇ。授業の後はバイトに行くんだけど、宿題は絶対に忘れないのよ。予習までして。ちょっと心配になるくらい」
わ、私のことを、先生たちが……!? こそこそ盗み聞きしていたみたいで気まずい。でも忍者の先生だ、たぶん私がいることを知って話題に出しているのかもしれない。予想外に褒めてくれて嬉しいけれど……どうやって中に入ろう?
迷っていると、背後からぽーん!と軽く肩を叩かれ振り返る。それは同級生の友達だった。
「名前っ! こんな所でなにやってるのー? 夕飯、食べるんでしょ?」
「え……あ、うんっ!」
「早く行こうよ! バイトの後だからお腹ぺこぺこじゃない?」
ピンクの制服が目に入るとなんだかホッとして、これ幸いにと彼女に着いていった。
シナ先生達のテーブルを通り過ぎる時、軽く会釈をしたけれど大木先生はどんな表情だったんだろう。いつもの通り、明るく笑っているのが頭に浮かぶ。
ちょっと褒められただけで、舞い上がってしまいそうだなんて。私は、一人前の忍者になるために頑張っているだけなのだ。まだまだその目標には到達していない。忍術学園に入学したのだって、みんなより数年遅れていたのだから……。
*
それから数日後。
今日は、背の低いお婆ちゃん姿のシナ先生による生け花の授業だ。毎度のことながら、若い姿と老婆の姿、シナ先生ってどちらが本当の姿なんだろう。
くのいちだからか、舞踊やお化粧、それに生け花なんかの授業もある。忍術学園に入学したからと言って、みんなが必ずしも忍者になるわけじゃないらしい。社会経験だったり、家業の手伝いに役立てたり。
「季節のお花を用意したから、良さを活かしてやってみなさいな。バランスや色味を、よぉく考えるのよ」
「「「はーい」」」
長机には、色とりどりの花が並べ置かれている。それは採れたてだと分かるほど瑞々しく、甘く爽やかな香りが漂っていた。
おのおの水盤の中に置いた剣山に花を刺していく。静かな教室にチョキンと茎を切る音が響いた。
どうして良いか分からないのに、忍たまの友には載っていない。シナ先生が見せてくれた見本の生け花を観察して、どこに挿したら綺麗に見えるか考えていた。
「あれまぁ、名前さんは手が止まってますねぇ」
「どこからどう手をつけて良いのか……」
「そうねぇ。まずは、これ!と思ったお花を見つけて生けてみたら良いんじゃないかしら」
「はい、やってみます!」
花束をみつめ、ピンときた一本を手に取った。茎を斜めに切って剣山に刺してみる。次は、バランスを気にして――
「変装して、お城や屋敷に潜入したり、長いこと使用人に扮することもありますからね。ぜひ、身につけておくと役立ちますよ」
シナ先生はそう言って、長机を縫って歩いている。くのたまの作品をにこやかな顔で眺めながら、とうとう私のところへと回ってきた。
「あら、名前さん! ……これは、どうしましょうかねぇ」
驚きに溢れたため息混じりのシナ先生。それもそのはず、真っ直ぐに生けたつもりが斜めに曲がり、高さもバラバラ、しまいに新鮮な花がポキっと折れる始末。何のテーマも感じられない、謎の作品になってしまった。
「シナ先生。私も、なぜこんなことになったか……。あははは……」
くのたまみんなに気遣われ、励まされ、生け花の授業が終わる。教室にはヘムヘムが突く鐘の音が虚しく響く。手に持った水盤には、散らかった生け花が……。舞踊もだけど、こういった方面はぜんぜん分からないよ〜!と叫び出しそうだった。
*
作った生け花を手に、校庭をうろうろしている。この花たちを何とか綺麗に生け直したくて……! 黄色や赤、薄い桃色の花が生えている場所があったような……?
「おい名前。なにをやってるんだ?」
「大木先生〜っ!?」
「そんなに驚かんでも。花なんか持って歩き回って、まーたバイトか?」
「違うんです! こ、これはですね、」
向かいから現れた大木先生に大声で呼びかけられ、びくりと身体が固まる。赤い鉢巻きを靡かせ、楽しそうな様子の先生。それとは対照的な残念な生け花に視線をやって、授業で何があったかを説明した。
……大木先生のことだ。わはははー!と大笑いでからかわれそう。先生に良いところを見せようと頑張っているのに。今日はとことんツイてない。ガックリと肩を落とした。
「わたし、感性が問われる課題はダメなんです……。舞踊もぎこちないですし。才能がないからどうしたって無理かも、です」
「おいおい、弱気になるな! まぁ、わしもそういうのは全然分からんからなぁ。それに苦手なものは誰にでもある」
「先生も、あるんですか……!? 苦手なもの」
想像していた反応と違って拍子抜けするのと、先生の苦手なものが気になって声が大きくなってしまった。大木先生は腕組みをして、なぜだか堂々とした様子だ。
「ある! ひげ剃りは下手だしなぁ。あと、こう見えて……じつはな、早食いがダメなんだ」
「え、先生っぽくない! そうなんですね、意外です!」
「だろ? だが、それに甘んじているわけではない! 日々特訓をしてだな、」
「じゃあ、私も。苦手なことから逃げずに頑張ってみます! ……先生を見習って」
「うむ、お前なら大丈夫だ」
「っ、はい!」
先生は豪快な笑顔でうんうんと頷いた。わしわしと荒っぽく頭を撫でられ、ピンクの頭巾がズレる。けれど、不思議と嫌ではなくひたすら嬉しい。先生が言ってくれた「大丈夫だ」には優しさが混じって、自信がみなぎってくる。
「名前、どこんじょー!で頑張れよ」
先生を見上げてコクンと頷く。ど根性だなんて大雑把な気合の入れ方だけど、私にとっては最高の励ましだ。
まるで太陽みたいな大木先生の温かさ。周りを明るくする、そんな存在にはだれも敵わない。
沈んだ心がじわじわと癒やされていく。そのせいか、つい、うるっときて……おかしいな。瞬きをしたら、ぽろぽろ涙がこぼれてきた。もう五年生だって言うのに恥ずかしい。それは止まらず、自分でも止められずにいる。
「え、あ! おい、どうした!?」
「っ、すみません……!」
「わし、何か変なこと言ったか?!」
この気持ちををうまく説明できない。まぶたをゴシゴシ擦っていると、大木先生が慌てふためく。すると突然、大きな声が辺りにこだました。
「おい、大木雅之助〜っ! お前、生徒を泣かすとは何をしている!?」
「その声は、野村雄三っ! 泣かしてなどおらん! ……はずだ、たぶん。なぁ、そうだよな名前!?」
どこからかやって来た野村先生が目尻をつり上げて怒る。それを受けて大木先生まで戦闘モードだ。メラメラ炎が燃えているように見える。……それなのに、最後の言葉はひどく自信なさげだった。
「ふんっ、この場を見れば一目瞭然だというのに。まだ誤魔化そうとするのか! ど根性バカのはずが、ど根性すら無いじゃないか」
「な、なにを〜!?」
この二人は、いつもこうだ。喧嘩するほど仲が良い、とは言うけれど……。今回ばかりは私のせいでもあって申し訳なさに襲われる。
先生二人は忍装束をつかみ合って、もう止められないかも知れない。この先はいつも通り、ボコボコに殴り合うか、手裏剣が飛び交い苦無が振り回される未来が待っている。野次馬の忍たままで加わったら大変な騒ぎになってしまう。
「野村先生っ! 大木先生は、私のことを励ましてくれていて……!」
そんな声は二人に届いていないようで。涙なんか引っ込んで、大急ぎでシナ先生を呼びに駆け出した。
女子特有の高い声がくのいち教室に響くなか、山本シナ先生の掛け声でシーンと静まる。先ほどまでキャーキャー騒いでいたくのたま達は、一斉に姿勢を正すと先生へ視線を移した。今日の先生は若い姿で、スラリと伸びた背筋と、こざっぱりした茶色の髪が凛々しい。
「お淑やかさを忘れないこと。いいわね? では昨日の続きから――」
黒板に書かれた忍術を手元のノートに書き写す。授業が始まると、忍たまの友を開き真剣な雰囲気になる。
くのたまは忍たまとは違って一クラスだけ。下級生から卒業を控える上級生まで、まとめて指導するシナ先生は本当に大変だと授業をうけながら思う。
「あのね、それでさ……!」
「えーっ、そうなの?」
私の前に座る下級生二人が、クスクスと小さく笑う。おしゃべりは終わりそうになくて、いつシナ先生の雷が落ちるか気が気でない。
「……ねっ、ふたりとも。授業中だから静かにしよ」
先生を盗み見ながら、こっそり注意して……。慌てておしゃべりをやめて筆を握る二人に苦笑すると、私も黒板を見つめる。
シナ先生の大きな瞳と視線がぶつかって、何気なくそらす瞬間。先生の赤い唇が少し緩んだ気がした。それは「ありがとう」と言われている感じがして照れ臭い。
「手裏剣の種類は今教えた通りよ。上級生には簡単だったわよね。そう思って特別授業を予定しているからお楽しみに! じゃあ次の章を開いて――」
特別授業ってなんだろう……!? 課外授業の一環で手裏剣打ち、とかかなぁ。そんな想像をしつつ、授業に遅れないよう忍たまの友をめくった。
――カーン
しばらくすると遠くから半鐘の音が聞こえてきた。今日の授業はこれで終わりだ。だけど、私にはこの後もやることが山ほどある。
「本日はこれでお終い。みんな、ちゃんと宿題やるのよ?」
シナ先生はそう言うと颯爽と教室を後にした。再び室内がわいわいガヤガヤ騒がしくなる。一日の終わりとあって、緊張感から解放されたせいかもしれない。
「名前はこのあと空いてるー? 一緒にお菓子でも食べない?」
「ごめんっ、またアルバイトが入ってて」
「バイトがない時は勉強ばっかりだし、名前っていっつも忙しいね……!」
「ほんとごめん! 週末は街にお出かけしよっ」
「絶対だからね、約束だよー?」
同じ学年の友だちに話しかけられる。数少ない同級生でお誘いはとても嬉しいけれど……。忍術学園に入学した時の、家族の反対を押し切った時のことを考えると、自由に遊ぶのもちょっぴり気が引けた。
――わたし、ぜったい忍者になるんだから!
そう啖呵を切って、途中から入学したのだ。
「名前っ、ぼーっとしてるとバイトに遅刻するよー」
「わぁ! いけない、急がなきゃ」
慌てて教科書と筆記用具をまとめると、桃色の制服から私服に着替えるべく自室へと向かった。
*
カァカァカァ――
街から少し離れた林道。燃えるようなオレンジ色の空は、端の方から濃紺に染まっていく。太陽はもうすぐ沈んでしまうだろう。
「はぁ〜、つかれた」
うどん屋の皿洗いから戻る途中、疲労からため息をこぼした。学園に戻ったら夕飯を食べて宿題をやって……。今日のバイトで稼いだ、手のひらに収まるくらいの銭を巾着にしまって家路を急いだ。
学園に到着する頃には、月や星がぼうっと輝くほど空が暗くなっていた。制服に着替えるのも面倒で着物姿のまま食堂へ向かう。まだ定食が残ってるといいんだけど……。
頭に被っていた手ぬぐいを取り、懐へ入れたところで足を止めた。それは食堂の入り口から先生たちの話し声が聞こえたからだ。様子を窺えば、大木先生とシナ先生が向かい合って夕飯を食べている。
大木先生は忍装束に赤い鉢巻きで、その姿を見るたびにドキドキしてしまう。密かに、学園で一番格好いいと思っている。他の先生とは違って頭巾をかぶっていないから、ふさふさの髪の毛がゆったりと揺れて――
……って、二人で何を話しているんだろう?
「今度の実技の授業なんだけどね、大木先生にお願いできるかしら?」
「ええ、私で良ければ構いません」
「良ければだなんて。手裏剣の名人ですもの、ありがたいですわ! くのたまの上級生はきっと、いい経験になります」
「上級生向けだと、実戦で使えるような内容がいいでしょうか」
「えぇ、ぜひ!」
シナ先生が言っていた、特別授業のことみたいだ……! 大木先生はシナ先生が出張でいない時に代理で授業をしてくれたこともあった。どこんじょー!とうるさいし、ビシバシと容赦ない教え方だからくのたまには不評だったけれど……。私は楽しみで、いつも待ち遠しくて、大木先生の授業が大好きだった。
意気揚々と食堂のカウンターへ進もうとした時。私の名前が聞こえて、再びその場に立ち止まった。
「特にうちの名前さんが、とっても勉強熱心だから。大木先生に手裏剣打ちを教えてもらえると知ったら……喜ぶと思うわ」
「ほぉ、そりゃ嬉しいですな。彼女はよく私のところにも質問にもくるし、いい生徒をお持ちで」
「えぇ。授業の後はバイトに行くんだけど、宿題は絶対に忘れないのよ。予習までして。ちょっと心配になるくらい」
わ、私のことを、先生たちが……!? こそこそ盗み聞きしていたみたいで気まずい。でも忍者の先生だ、たぶん私がいることを知って話題に出しているのかもしれない。予想外に褒めてくれて嬉しいけれど……どうやって中に入ろう?
迷っていると、背後からぽーん!と軽く肩を叩かれ振り返る。それは同級生の友達だった。
「名前っ! こんな所でなにやってるのー? 夕飯、食べるんでしょ?」
「え……あ、うんっ!」
「早く行こうよ! バイトの後だからお腹ぺこぺこじゃない?」
ピンクの制服が目に入るとなんだかホッとして、これ幸いにと彼女に着いていった。
シナ先生達のテーブルを通り過ぎる時、軽く会釈をしたけれど大木先生はどんな表情だったんだろう。いつもの通り、明るく笑っているのが頭に浮かぶ。
ちょっと褒められただけで、舞い上がってしまいそうだなんて。私は、一人前の忍者になるために頑張っているだけなのだ。まだまだその目標には到達していない。忍術学園に入学したのだって、みんなより数年遅れていたのだから……。
*
それから数日後。
今日は、背の低いお婆ちゃん姿のシナ先生による生け花の授業だ。毎度のことながら、若い姿と老婆の姿、シナ先生ってどちらが本当の姿なんだろう。
くのいちだからか、舞踊やお化粧、それに生け花なんかの授業もある。忍術学園に入学したからと言って、みんなが必ずしも忍者になるわけじゃないらしい。社会経験だったり、家業の手伝いに役立てたり。
「季節のお花を用意したから、良さを活かしてやってみなさいな。バランスや色味を、よぉく考えるのよ」
「「「はーい」」」
長机には、色とりどりの花が並べ置かれている。それは採れたてだと分かるほど瑞々しく、甘く爽やかな香りが漂っていた。
おのおの水盤の中に置いた剣山に花を刺していく。静かな教室にチョキンと茎を切る音が響いた。
どうして良いか分からないのに、忍たまの友には載っていない。シナ先生が見せてくれた見本の生け花を観察して、どこに挿したら綺麗に見えるか考えていた。
「あれまぁ、名前さんは手が止まってますねぇ」
「どこからどう手をつけて良いのか……」
「そうねぇ。まずは、これ!と思ったお花を見つけて生けてみたら良いんじゃないかしら」
「はい、やってみます!」
花束をみつめ、ピンときた一本を手に取った。茎を斜めに切って剣山に刺してみる。次は、バランスを気にして――
「変装して、お城や屋敷に潜入したり、長いこと使用人に扮することもありますからね。ぜひ、身につけておくと役立ちますよ」
シナ先生はそう言って、長机を縫って歩いている。くのたまの作品をにこやかな顔で眺めながら、とうとう私のところへと回ってきた。
「あら、名前さん! ……これは、どうしましょうかねぇ」
驚きに溢れたため息混じりのシナ先生。それもそのはず、真っ直ぐに生けたつもりが斜めに曲がり、高さもバラバラ、しまいに新鮮な花がポキっと折れる始末。何のテーマも感じられない、謎の作品になってしまった。
「シナ先生。私も、なぜこんなことになったか……。あははは……」
くのたまみんなに気遣われ、励まされ、生け花の授業が終わる。教室にはヘムヘムが突く鐘の音が虚しく響く。手に持った水盤には、散らかった生け花が……。舞踊もだけど、こういった方面はぜんぜん分からないよ〜!と叫び出しそうだった。
*
作った生け花を手に、校庭をうろうろしている。この花たちを何とか綺麗に生け直したくて……! 黄色や赤、薄い桃色の花が生えている場所があったような……?
「おい名前。なにをやってるんだ?」
「大木先生〜っ!?」
「そんなに驚かんでも。花なんか持って歩き回って、まーたバイトか?」
「違うんです! こ、これはですね、」
向かいから現れた大木先生に大声で呼びかけられ、びくりと身体が固まる。赤い鉢巻きを靡かせ、楽しそうな様子の先生。それとは対照的な残念な生け花に視線をやって、授業で何があったかを説明した。
……大木先生のことだ。わはははー!と大笑いでからかわれそう。先生に良いところを見せようと頑張っているのに。今日はとことんツイてない。ガックリと肩を落とした。
「わたし、感性が問われる課題はダメなんです……。舞踊もぎこちないですし。才能がないからどうしたって無理かも、です」
「おいおい、弱気になるな! まぁ、わしもそういうのは全然分からんからなぁ。それに苦手なものは誰にでもある」
「先生も、あるんですか……!? 苦手なもの」
想像していた反応と違って拍子抜けするのと、先生の苦手なものが気になって声が大きくなってしまった。大木先生は腕組みをして、なぜだか堂々とした様子だ。
「ある! ひげ剃りは下手だしなぁ。あと、こう見えて……じつはな、早食いがダメなんだ」
「え、先生っぽくない! そうなんですね、意外です!」
「だろ? だが、それに甘んじているわけではない! 日々特訓をしてだな、」
「じゃあ、私も。苦手なことから逃げずに頑張ってみます! ……先生を見習って」
「うむ、お前なら大丈夫だ」
「っ、はい!」
先生は豪快な笑顔でうんうんと頷いた。わしわしと荒っぽく頭を撫でられ、ピンクの頭巾がズレる。けれど、不思議と嫌ではなくひたすら嬉しい。先生が言ってくれた「大丈夫だ」には優しさが混じって、自信がみなぎってくる。
「名前、どこんじょー!で頑張れよ」
先生を見上げてコクンと頷く。ど根性だなんて大雑把な気合の入れ方だけど、私にとっては最高の励ましだ。
まるで太陽みたいな大木先生の温かさ。周りを明るくする、そんな存在にはだれも敵わない。
沈んだ心がじわじわと癒やされていく。そのせいか、つい、うるっときて……おかしいな。瞬きをしたら、ぽろぽろ涙がこぼれてきた。もう五年生だって言うのに恥ずかしい。それは止まらず、自分でも止められずにいる。
「え、あ! おい、どうした!?」
「っ、すみません……!」
「わし、何か変なこと言ったか?!」
この気持ちををうまく説明できない。まぶたをゴシゴシ擦っていると、大木先生が慌てふためく。すると突然、大きな声が辺りにこだました。
「おい、大木雅之助〜っ! お前、生徒を泣かすとは何をしている!?」
「その声は、野村雄三っ! 泣かしてなどおらん! ……はずだ、たぶん。なぁ、そうだよな名前!?」
どこからかやって来た野村先生が目尻をつり上げて怒る。それを受けて大木先生まで戦闘モードだ。メラメラ炎が燃えているように見える。……それなのに、最後の言葉はひどく自信なさげだった。
「ふんっ、この場を見れば一目瞭然だというのに。まだ誤魔化そうとするのか! ど根性バカのはずが、ど根性すら無いじゃないか」
「な、なにを〜!?」
この二人は、いつもこうだ。喧嘩するほど仲が良い、とは言うけれど……。今回ばかりは私のせいでもあって申し訳なさに襲われる。
先生二人は忍装束をつかみ合って、もう止められないかも知れない。この先はいつも通り、ボコボコに殴り合うか、手裏剣が飛び交い苦無が振り回される未来が待っている。野次馬の忍たままで加わったら大変な騒ぎになってしまう。
「野村先生っ! 大木先生は、私のことを励ましてくれていて……!」
そんな声は二人に届いていないようで。涙なんか引っ込んで、大急ぎでシナ先生を呼びに駆け出した。
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