第56話 出席簿の使い方
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シーンとした教員長屋。
朝日が顔を出したのか、部屋がうっすらと明るくなる。山田先生に目をやるとまだ眠っているようだ。隣から穏やかな寝息が聞こえる。
名前さんの部屋が気になって耳を澄ませる。けれど少しの物音もしない。まどろみながら、彼女と出会ったころのことを思い出す。たしか、同じような静かな朝だった。
学園にきて慣れていないからか、道に迷って落とし穴に落ちて……。それでもめげず、常に走り回ってがんばる彼女。そそっかしくて、怪我ばかりでも笑顔をふりまく。そんな姿についつい目が離せなかったのだ。
あたたかな布団の中で、ひとり笑みをこぼす。そろそろ起きようかという時。隣の部屋からカタカタ音が聞こえる。名前さんが身支度でも始めたのだろうか。うーんと伸びをして、ゆっくりと上半身を起こす。顔でも洗おうと、かけ布団をめくり寝床から抜けだした。
*
「手裏剣にはさまざまな形があって――」
一年は組の教室では午前の授業が行われている。
黒板に手裏剣が描かれた紙をはりつけ、忍たまの方へと体を直す。私に気づいていないのか、同じ机のもの同士ひたいを寄せあってコソコソしている。なにを話しているのやら、浅葱色の頭がゆれる。コホンと咳払いをすると、小さな眼差しがこちらに向けられた。
「お前たち、授業に集中しなさい」
「はいっ、土井先生! 質問です」
「なんだ、庄左ヱ門」
庄左ヱ門は、天に届くくらい真っ直ぐに手をあげている。真剣な顔つきだ。授業で分からないところを話し合っていたのか? 嬉しさをにじませ続きをうながす。
「ぶっちゃけ、名前さんとその後いかがですか!?」
「……はぁ!? そんなことを話していたのか」
「気になるんっすもん」
「お前らなぁ……」
何を言うかと思えば、授業とはまったく関係のないことで。期待しすぎて余計にがっかりする。忍たまたちは興味津々な様子で机から身を乗りだした。
「だってぇ。土井先生、名前さんとあんまり話してないようですし〜」
「しんべヱ、鼻水たれてるよ?」
「ああっ、乱太郎。ごめ〜ん」
「話してない、か……。いや、そんなことは」
「「「じぃ〜っ」」」
「って、おい! 授業中だぞー!」
食い入るように見つめられ、すっかりペースを乱されてしまった。あまりの圧に、近くにあった大きな三角定規を手にぶんぶん振りまわす。
――バキッ
「あ、」
「「「先生が壊した〜!」」」
「こ、これはだな……!」
「修理代いただけたら、おれが直しましょーか!? あひゃあひゃ」
「きり丸、そう言う話ではないッ! それからお前たち、いいから席につけー!」
――カーン
大声で叫ぶないなや、無情にもヘムヘムの突く鐘の音が響きわたる。がっくりとうなだれるも、忍たまたちは授業の終わりを喜んでいた。
「手裏剣の特徴について、各自まとめて提出すること! 明日までにだ! 以上!」
「「「え〜っ!?」」」
結局、今日も授業は予定どおり進まない。いつものことだがキリキリ胃が痛む。ため息をつきながら備品を片付けていると、は組のやつらはそそくさと教室を出て行ったようだ。「ありがとーございました!」という声とバタバタした足音が嵐のように過ぎ去った。
……コロン
なにか、金属のようなものが床に転がる音がした。忍たまがいなくなった教室をぐるっと確認してみるも、落とし物は見当たらない。
たしかに、あいつらの言うとおりだ。名前さんとは想いが通じ合っというのに何も変わらない日々を送っていた。恋人という存在に慣れず、見かけても普段通りに取り繕うのが精いっぱいだ。
……もっと触れたい。
彼女に触れてしまったら気持ちを抑えることができるだろうか。抱き締めたときの、甘くて柔らかな感触を思い出し鼓動が早くなる。
手にはヒビの入った三角定規。ため息をつくと、カタンと教室の戸を閉めた。
*
私は今日も学園中を駆け回っていた。食堂で仕込みを手伝ったり、先生方に届いた文をお渡ししたり、中庭をほうきで掃いたり……。
「おーい、名前さーん!」
ひと通り片づけ、用具倉庫にほうきを戻そうと足をすすめると誰かに呼びかけられた。動きを止めて声が聞こえる方へ振り返る。土塀に寄り添うように立ち並ぶ木々を見つめる。……あれ? だれもいない。気のせいかと前を向くと、先ほどより大きい声が響いた。
「名前さーん! ここですっ」
「ええっ?」
「ぼくたちお昼寝してて〜」
「うわぁ、三人ともこんなところに……!?」
乱太郎くんたちは、すくっと伸びた木の下に寝転がっていた。ふかふかした芝生が気持ちよさそうだ。よいしょと上半身を起こし、眠そうにあくびをしている。その横にしゃがみ込んでみんなを見つめた。
「土井先生ったら宿題いっぱい出すから、その前にひと休みしてるんっす」
「なるほど……って、授業が進まなかったんでしょー?」
「げっ。まぁ、そうなんすケド……」
「みんな、何しちゃったの? 土井先生も大変だなぁ」
「わたしたち、名前さんと土井先生がうまくいってるのか気になって」
「っ、!?」
「先生に問い詰めてたら授業が終わっちゃったんすよ」
想定外の発言と、三人の心配そうな顔に言葉がつまる。なんでそんなことを思ったんだろう……? 仲良くなさそうに見えたのだろうか。カチコチに固まっていると、きり丸くんが続きを話しだした。
「せっかく恋人同士なのに、ぜーんぜん前と変わらないから」
「それどころか、あまり話さないようにしてるみたい〜!」
「しんべヱくんも……、そんなことないってば」
とは言いつつ……。思い返してみれば、気恥ずかしくてよそよそしかったかもしれない。
朝、起き抜けの寝巻き姿で先生と鉢合わせたとき。食堂で定食を渡すときも、変に意識してしまう。学園中に私たちのことが知れ渡っているせいか、みんなの視線が気になってしまうのだ。
それでも、口付けをした仲で。そっと唇に触れてみると、あの時の柔らかさがよみがえり体が熱くなる。
「あれぇっ、名前さん赤くなってる〜!?」
「えっ、ないない! 赤くなってなんか、」
「もう。しんべヱもきり丸も、名前さんが困ってるよ?」
「「ごめーん」」
乱太郎くんがその場を収めてくれて、タジタジになりながら冷静をよそおった。
「ねっ、三人とも。私に用があったんじゃないの?」
「あ、そうだったぁ! 土井先生が大きな三角定規を壊しちゃったんで、名前さんに言わなきゃと思ったんです〜」
「それは吉野先生に報告しないとだね……!」
「修理は、用具委員会にお任せを!」
「ありがとう。しんべヱくん、頼もしいっ」
「えへへ〜。直すのは食満先輩なんですけど」
しんべヱくんが自信満々に胸を張る。備品の修理は、小松田くんと一緒にがんばるけれど結局うまくいかず。いつも留三郎くんたち用具委員会になんとかしてもらっていた。話が一段落ついて、乱太郎くん達はまとわりついた草をはらい立ち上がる。
「まさか……これから遊びに行かないよね?」
「「「えっ」」」
「よーしっ、みんな。宿題やろっか?」
私のひと言で三人の表情から笑顔が消える。力なく、「はーい……」と返事をすると肩を落としながら忍たま長屋へと向かっていった。
そんな姿にクスッと笑いが漏れる。再びほうきを手にすると倉庫へ戻しに向かう。それから吉野先生へ報告しなければ。
*
タタタ――
教室から教室へ急ぎ足で進んでいく。
吉野先生に三角定規が壊れたことを伝えると、すでに土井先生から謝られていたそうだ。修理は用具委員会にお願いして、私は各教室の備品を再点検することになった。
一年生から六年生まであわせると結構なクラス数になる。テキパキ見ていかないと食堂のお手伝いに間に合わないかもしれない。
破れかけたり、色あせたポスターの貼り替えも同時に進めていく。意外とやることがあって、ひたいにジワリと汗がにじんだ。
教室を次から次へと点検して、残るはひとつ。ようやく一年は組の教室にたどり着いた。そこはガランとして、いつもの騒がしさが嘘のようだ。
黒板横に貼られた日本地図を確かめて……。黒板消しや大きな分度器、それに机の脚にガタつきがないかも調べていく。特に問題はないようで、すべての教室を見終わった。
あれ、これは……?
机のそばに転がる平べったい丸い金属を拾いあげる。ところどころ墨がついた――丸すずりのフタだ。きっと誰かの忘れものに違いない。夕飯の時に定食を渡しながら聞いてみようと、そっと胸元にしまい込んだ。
そのまま窓辺に寄ると体をもたれさせ、遠くを見つめる。外は日が暮れかけて、細く伸びた雲が金色の光を反射している。室内を西日が照らし、遠くからはカラスの鳴き声が響いていた。かぶっていた頭巾を取り払うと、涼しい風に髪がそよぐ。すーっと息を深く吸ってまぶたを閉じた。
「名前さん」
背後から優しい声色が聞こえ振り返る。教室の入り口には土井先生が立っていた。目が合うと、ゆっくりこちらに近づいてくる。
「土井先生、どうされたんですか?」
「吉野先生には報告したんだけど……。三角定規、壊してしまってね」
「しんべヱくんの言う通り、本当に先生が壊しちゃったんだ……!」
二人して窓のへりに寄りかかる。背の高い先生を見上げて、似合わない失敗にくすりと笑いを漏らした。
「す、すまない。名前さんの仕事を増やしてしまった。それで謝ろうと君を探して……」
「そんなこと、気にしないでくださいっ。それにしても先生らしくないですね?」
「は組のヤツらにからかわれて、思わず振り回してしまったら……バキッと」
「あははっ」
「君までそんなに笑わなくても……!」
「ごめんなさい、っ」
口ではそう言いつつ、笑いはなかなかおさまらない。呼吸を止めて口をつぐんだ。さらに笑い出さないよう、外の景色へと視線を向ける。
「からかわれたって、私のことですか……?」
「そうなんだ。……その、ズバリ仲はどうなんだ?って。あまり話をしてないんじゃないか?って言われてね」
「私も同じようなこと言われました。みんな、なんだかんだ心配してくれてるんですね」
「まったく。もっと授業を真面目に受けて欲しいんだが……」
「先生の教えは伝わってますよ、きっと」
チラッと隣をうかがう。先生は優しい眼差しのまま、金色の空を眺めていた。ぷっくりとした頬が夕日に照らされ赤く染まる。
「でも、しんべヱくんに言われたこと。その通りだなって」
「名前さん」
「先生のこと、少し避けてたかもしれません。……恋人って考えたら、どうしていいか分からなくて」
「それは私もだ」
「……先生も、ですか?」
「君と話して、触れてしまったら」
「……?」
その続きが気になって隣を向くと、先生と視線がぶつかる。おもむろに背中へと腕が回され、そのまま引き寄せられる。突然、視界が真っ暗だ。たくましい胸元にうずくまりながら、先生の鼓動を感じる。
……教室なのに。
ふたりで抱きしめ合って、もう離れられない。
「こうして、もっと触れたくなってしまうから」
「せんせ……、半助さんっ。私も、ほんとは」
先生の忍装束をぎゅっと握りしめて顔を上げる。耳の横からすーっと梳くように撫でられ、心地よさにうっとりと目を細める。
ゆっくり、先生と顔が近づく。口付けてしまいそうな状況に流され、思考が止まる。このまま、あの時みたいにもう一度唇を塞いでほしい。
かかとを浮かし、つま先立ちになる。
半助さんにすがるよう、ぎゅっと上衣を握った。こげ茶色の前髪が顔にかかり、柔らかくて温かい感触を期待した、瞬間。
――ドタドタドタ
「ねえ庄左ヱ門、ほんとに教室に忘れたの? ぼくたちの部屋じゃなくて?」
「うーん。教室しか考えられないんだ。伊助、ごめん」
教室前の廊下から軽い足音と子どもの高い声が聞こえる。慌てて土井先生から離れると、胸元にチラッとのぞく出席簿を抜きとった。
「「あー! 土井先生に名前さん!」」
先生を遮るように、硬い板をふたりの間に挟みこんだ、つもりが……
――バシンッ
勢いあまって、先生の顔に出席簿を叩きつける形になってしまった。「……うぐぐ」といううめき声が漏れた気がする。
「先生っ!? ご、ごめんなさい! って、庄左ヱ門くんたち……?」
出席簿を先生の顔面に押し付けたまま、教室の入り口へと視線を向ける。庄左ヱ門くんも伊助くんも不思議そうな顔をしていた。
「あのー、ぼくたちお邪魔でしたでしょうか?」
「ううんっ、そんなことないよ! こ、これはね、先生に虫がついてたからで……!」
「そ、そうだ、名前さんが何とかしようとしてだな……!」
二人に向かって、出席簿をぶんぶん振りながらひたすら言い訳をする。土井先生は顔をさすりながらも一緒に話しを合わせてくれた。すると、二人が教室に足を進めてキョロキョロしている。
「そうですか……。あのー、土井先生に名前さん」
「っ、どうした庄左ヱ門。教室に何か忘れ物でもしたのか?」
「ええ、そうなんです。丸すずりのふたを落としたはずなのですが……」
「あ! もしかして、これかな?」
先生に出席簿を返して、懐に手を忍ばせる。平べったいものを取り出し、ぐっと前の方へと差し出した。庄左ヱ門くんの丸い目がさらに丸くなる。伊助くんもまじまじとそれを見つめた。
「名前さん! これ、ぼくのです!」
「机の下に転がってたんだよ。見つかってよかった」
はい、と手渡すと嬉しそうな笑顔がこぼれる。「ありがとうございます!」なんて照れ臭そうな庄左ヱ門くんに、伊助くんがクスッとしている。
「おーい、庄左ヱ門! 見つかったかー?」
さらに足音がふえ、ドタドタと大きな音が響く。入り口には、きり丸くんを筆頭に一年は組のみんながなだれ込むようにやって来た。
「きり丸〜! 見つかったんだ。名前さんが拾ってくれてた」
「そりゃーよかった! あれ? 土井先生に名前さんも。ふたりも探してくれてたんっすか?」
「いや、違う。たぶん、僕が思うにお二人は……」
「違うって、どういうこと〜?」
しんべヱくんがポカンとした顔のまま尋ねると、庄左ヱ門くんがあごに手を当て真剣な表情だ。みんなで、固唾を呑んでその続きを見守る。
「放課後の教室で、恋人同士ふたりきり……」
「はにゃ? それって、つまり何なのー?」
「おい、お前たち……!」
「それより、みんな。もっと考えなきゃいけないことがある!」
土井先生がしどろもどろで慌てる最中。庄左ヱ門くんがパッと閃いたようにみんなに呼びかける。
「今度はなんだよ、庄左ヱ門」
「みんな、手裏剣の種類についてまとめたか? 明日が提出日だ、急げ〜!」
「「「わ〜っ!」」」
その号令とともに、うるさい足音が広がりだんだん小さくなっていった。再び、教室に静寂が訪れる。
「何だったんだ、いったい……!」
「可愛いじゃないですか。宿題もするようですし、ね?」
「まぁそれは進歩したというか、なんと言うか……」
困り顔の土井先生に、ちょっとイタズラしてみたくなる。体をぴったり付けて先生を覗きこんだ。
「半助さん。さっきのつづき、してみます……?」
「名前さんっ、な、な、なにを……!?」
「……だめ、ですか」
「わ、私もだな、その、いや教室では……!」
「えへへ、嘘ですっ」
くすくす笑いながら先生の袖をにぎる。「さ、食堂に行きましょー?」なんて、冗談っぽく言って。たぶん、私は真っ赤な顔だ。それを誤魔化すように、よろける先生をぐいぐいと食堂へ引っ張って行くのだった。
朝日が顔を出したのか、部屋がうっすらと明るくなる。山田先生に目をやるとまだ眠っているようだ。隣から穏やかな寝息が聞こえる。
名前さんの部屋が気になって耳を澄ませる。けれど少しの物音もしない。まどろみながら、彼女と出会ったころのことを思い出す。たしか、同じような静かな朝だった。
学園にきて慣れていないからか、道に迷って落とし穴に落ちて……。それでもめげず、常に走り回ってがんばる彼女。そそっかしくて、怪我ばかりでも笑顔をふりまく。そんな姿についつい目が離せなかったのだ。
あたたかな布団の中で、ひとり笑みをこぼす。そろそろ起きようかという時。隣の部屋からカタカタ音が聞こえる。名前さんが身支度でも始めたのだろうか。うーんと伸びをして、ゆっくりと上半身を起こす。顔でも洗おうと、かけ布団をめくり寝床から抜けだした。
*
「手裏剣にはさまざまな形があって――」
一年は組の教室では午前の授業が行われている。
黒板に手裏剣が描かれた紙をはりつけ、忍たまの方へと体を直す。私に気づいていないのか、同じ机のもの同士ひたいを寄せあってコソコソしている。なにを話しているのやら、浅葱色の頭がゆれる。コホンと咳払いをすると、小さな眼差しがこちらに向けられた。
「お前たち、授業に集中しなさい」
「はいっ、土井先生! 質問です」
「なんだ、庄左ヱ門」
庄左ヱ門は、天に届くくらい真っ直ぐに手をあげている。真剣な顔つきだ。授業で分からないところを話し合っていたのか? 嬉しさをにじませ続きをうながす。
「ぶっちゃけ、名前さんとその後いかがですか!?」
「……はぁ!? そんなことを話していたのか」
「気になるんっすもん」
「お前らなぁ……」
何を言うかと思えば、授業とはまったく関係のないことで。期待しすぎて余計にがっかりする。忍たまたちは興味津々な様子で机から身を乗りだした。
「だってぇ。土井先生、名前さんとあんまり話してないようですし〜」
「しんべヱ、鼻水たれてるよ?」
「ああっ、乱太郎。ごめ〜ん」
「話してない、か……。いや、そんなことは」
「「「じぃ〜っ」」」
「って、おい! 授業中だぞー!」
食い入るように見つめられ、すっかりペースを乱されてしまった。あまりの圧に、近くにあった大きな三角定規を手にぶんぶん振りまわす。
――バキッ
「あ、」
「「「先生が壊した〜!」」」
「こ、これはだな……!」
「修理代いただけたら、おれが直しましょーか!? あひゃあひゃ」
「きり丸、そう言う話ではないッ! それからお前たち、いいから席につけー!」
――カーン
大声で叫ぶないなや、無情にもヘムヘムの突く鐘の音が響きわたる。がっくりとうなだれるも、忍たまたちは授業の終わりを喜んでいた。
「手裏剣の特徴について、各自まとめて提出すること! 明日までにだ! 以上!」
「「「え〜っ!?」」」
結局、今日も授業は予定どおり進まない。いつものことだがキリキリ胃が痛む。ため息をつきながら備品を片付けていると、は組のやつらはそそくさと教室を出て行ったようだ。「ありがとーございました!」という声とバタバタした足音が嵐のように過ぎ去った。
……コロン
なにか、金属のようなものが床に転がる音がした。忍たまがいなくなった教室をぐるっと確認してみるも、落とし物は見当たらない。
たしかに、あいつらの言うとおりだ。名前さんとは想いが通じ合っというのに何も変わらない日々を送っていた。恋人という存在に慣れず、見かけても普段通りに取り繕うのが精いっぱいだ。
……もっと触れたい。
彼女に触れてしまったら気持ちを抑えることができるだろうか。抱き締めたときの、甘くて柔らかな感触を思い出し鼓動が早くなる。
手にはヒビの入った三角定規。ため息をつくと、カタンと教室の戸を閉めた。
*
私は今日も学園中を駆け回っていた。食堂で仕込みを手伝ったり、先生方に届いた文をお渡ししたり、中庭をほうきで掃いたり……。
「おーい、名前さーん!」
ひと通り片づけ、用具倉庫にほうきを戻そうと足をすすめると誰かに呼びかけられた。動きを止めて声が聞こえる方へ振り返る。土塀に寄り添うように立ち並ぶ木々を見つめる。……あれ? だれもいない。気のせいかと前を向くと、先ほどより大きい声が響いた。
「名前さーん! ここですっ」
「ええっ?」
「ぼくたちお昼寝してて〜」
「うわぁ、三人ともこんなところに……!?」
乱太郎くんたちは、すくっと伸びた木の下に寝転がっていた。ふかふかした芝生が気持ちよさそうだ。よいしょと上半身を起こし、眠そうにあくびをしている。その横にしゃがみ込んでみんなを見つめた。
「土井先生ったら宿題いっぱい出すから、その前にひと休みしてるんっす」
「なるほど……って、授業が進まなかったんでしょー?」
「げっ。まぁ、そうなんすケド……」
「みんな、何しちゃったの? 土井先生も大変だなぁ」
「わたしたち、名前さんと土井先生がうまくいってるのか気になって」
「っ、!?」
「先生に問い詰めてたら授業が終わっちゃったんすよ」
想定外の発言と、三人の心配そうな顔に言葉がつまる。なんでそんなことを思ったんだろう……? 仲良くなさそうに見えたのだろうか。カチコチに固まっていると、きり丸くんが続きを話しだした。
「せっかく恋人同士なのに、ぜーんぜん前と変わらないから」
「それどころか、あまり話さないようにしてるみたい〜!」
「しんべヱくんも……、そんなことないってば」
とは言いつつ……。思い返してみれば、気恥ずかしくてよそよそしかったかもしれない。
朝、起き抜けの寝巻き姿で先生と鉢合わせたとき。食堂で定食を渡すときも、変に意識してしまう。学園中に私たちのことが知れ渡っているせいか、みんなの視線が気になってしまうのだ。
それでも、口付けをした仲で。そっと唇に触れてみると、あの時の柔らかさがよみがえり体が熱くなる。
「あれぇっ、名前さん赤くなってる〜!?」
「えっ、ないない! 赤くなってなんか、」
「もう。しんべヱもきり丸も、名前さんが困ってるよ?」
「「ごめーん」」
乱太郎くんがその場を収めてくれて、タジタジになりながら冷静をよそおった。
「ねっ、三人とも。私に用があったんじゃないの?」
「あ、そうだったぁ! 土井先生が大きな三角定規を壊しちゃったんで、名前さんに言わなきゃと思ったんです〜」
「それは吉野先生に報告しないとだね……!」
「修理は、用具委員会にお任せを!」
「ありがとう。しんべヱくん、頼もしいっ」
「えへへ〜。直すのは食満先輩なんですけど」
しんべヱくんが自信満々に胸を張る。備品の修理は、小松田くんと一緒にがんばるけれど結局うまくいかず。いつも留三郎くんたち用具委員会になんとかしてもらっていた。話が一段落ついて、乱太郎くん達はまとわりついた草をはらい立ち上がる。
「まさか……これから遊びに行かないよね?」
「「「えっ」」」
「よーしっ、みんな。宿題やろっか?」
私のひと言で三人の表情から笑顔が消える。力なく、「はーい……」と返事をすると肩を落としながら忍たま長屋へと向かっていった。
そんな姿にクスッと笑いが漏れる。再びほうきを手にすると倉庫へ戻しに向かう。それから吉野先生へ報告しなければ。
*
タタタ――
教室から教室へ急ぎ足で進んでいく。
吉野先生に三角定規が壊れたことを伝えると、すでに土井先生から謝られていたそうだ。修理は用具委員会にお願いして、私は各教室の備品を再点検することになった。
一年生から六年生まであわせると結構なクラス数になる。テキパキ見ていかないと食堂のお手伝いに間に合わないかもしれない。
破れかけたり、色あせたポスターの貼り替えも同時に進めていく。意外とやることがあって、ひたいにジワリと汗がにじんだ。
教室を次から次へと点検して、残るはひとつ。ようやく一年は組の教室にたどり着いた。そこはガランとして、いつもの騒がしさが嘘のようだ。
黒板横に貼られた日本地図を確かめて……。黒板消しや大きな分度器、それに机の脚にガタつきがないかも調べていく。特に問題はないようで、すべての教室を見終わった。
あれ、これは……?
机のそばに転がる平べったい丸い金属を拾いあげる。ところどころ墨がついた――丸すずりのフタだ。きっと誰かの忘れものに違いない。夕飯の時に定食を渡しながら聞いてみようと、そっと胸元にしまい込んだ。
そのまま窓辺に寄ると体をもたれさせ、遠くを見つめる。外は日が暮れかけて、細く伸びた雲が金色の光を反射している。室内を西日が照らし、遠くからはカラスの鳴き声が響いていた。かぶっていた頭巾を取り払うと、涼しい風に髪がそよぐ。すーっと息を深く吸ってまぶたを閉じた。
「名前さん」
背後から優しい声色が聞こえ振り返る。教室の入り口には土井先生が立っていた。目が合うと、ゆっくりこちらに近づいてくる。
「土井先生、どうされたんですか?」
「吉野先生には報告したんだけど……。三角定規、壊してしまってね」
「しんべヱくんの言う通り、本当に先生が壊しちゃったんだ……!」
二人して窓のへりに寄りかかる。背の高い先生を見上げて、似合わない失敗にくすりと笑いを漏らした。
「す、すまない。名前さんの仕事を増やしてしまった。それで謝ろうと君を探して……」
「そんなこと、気にしないでくださいっ。それにしても先生らしくないですね?」
「は組のヤツらにからかわれて、思わず振り回してしまったら……バキッと」
「あははっ」
「君までそんなに笑わなくても……!」
「ごめんなさい、っ」
口ではそう言いつつ、笑いはなかなかおさまらない。呼吸を止めて口をつぐんだ。さらに笑い出さないよう、外の景色へと視線を向ける。
「からかわれたって、私のことですか……?」
「そうなんだ。……その、ズバリ仲はどうなんだ?って。あまり話をしてないんじゃないか?って言われてね」
「私も同じようなこと言われました。みんな、なんだかんだ心配してくれてるんですね」
「まったく。もっと授業を真面目に受けて欲しいんだが……」
「先生の教えは伝わってますよ、きっと」
チラッと隣をうかがう。先生は優しい眼差しのまま、金色の空を眺めていた。ぷっくりとした頬が夕日に照らされ赤く染まる。
「でも、しんべヱくんに言われたこと。その通りだなって」
「名前さん」
「先生のこと、少し避けてたかもしれません。……恋人って考えたら、どうしていいか分からなくて」
「それは私もだ」
「……先生も、ですか?」
「君と話して、触れてしまったら」
「……?」
その続きが気になって隣を向くと、先生と視線がぶつかる。おもむろに背中へと腕が回され、そのまま引き寄せられる。突然、視界が真っ暗だ。たくましい胸元にうずくまりながら、先生の鼓動を感じる。
……教室なのに。
ふたりで抱きしめ合って、もう離れられない。
「こうして、もっと触れたくなってしまうから」
「せんせ……、半助さんっ。私も、ほんとは」
先生の忍装束をぎゅっと握りしめて顔を上げる。耳の横からすーっと梳くように撫でられ、心地よさにうっとりと目を細める。
ゆっくり、先生と顔が近づく。口付けてしまいそうな状況に流され、思考が止まる。このまま、あの時みたいにもう一度唇を塞いでほしい。
かかとを浮かし、つま先立ちになる。
半助さんにすがるよう、ぎゅっと上衣を握った。こげ茶色の前髪が顔にかかり、柔らかくて温かい感触を期待した、瞬間。
――ドタドタドタ
「ねえ庄左ヱ門、ほんとに教室に忘れたの? ぼくたちの部屋じゃなくて?」
「うーん。教室しか考えられないんだ。伊助、ごめん」
教室前の廊下から軽い足音と子どもの高い声が聞こえる。慌てて土井先生から離れると、胸元にチラッとのぞく出席簿を抜きとった。
「「あー! 土井先生に名前さん!」」
先生を遮るように、硬い板をふたりの間に挟みこんだ、つもりが……
――バシンッ
勢いあまって、先生の顔に出席簿を叩きつける形になってしまった。「……うぐぐ」といううめき声が漏れた気がする。
「先生っ!? ご、ごめんなさい! って、庄左ヱ門くんたち……?」
出席簿を先生の顔面に押し付けたまま、教室の入り口へと視線を向ける。庄左ヱ門くんも伊助くんも不思議そうな顔をしていた。
「あのー、ぼくたちお邪魔でしたでしょうか?」
「ううんっ、そんなことないよ! こ、これはね、先生に虫がついてたからで……!」
「そ、そうだ、名前さんが何とかしようとしてだな……!」
二人に向かって、出席簿をぶんぶん振りながらひたすら言い訳をする。土井先生は顔をさすりながらも一緒に話しを合わせてくれた。すると、二人が教室に足を進めてキョロキョロしている。
「そうですか……。あのー、土井先生に名前さん」
「っ、どうした庄左ヱ門。教室に何か忘れ物でもしたのか?」
「ええ、そうなんです。丸すずりのふたを落としたはずなのですが……」
「あ! もしかして、これかな?」
先生に出席簿を返して、懐に手を忍ばせる。平べったいものを取り出し、ぐっと前の方へと差し出した。庄左ヱ門くんの丸い目がさらに丸くなる。伊助くんもまじまじとそれを見つめた。
「名前さん! これ、ぼくのです!」
「机の下に転がってたんだよ。見つかってよかった」
はい、と手渡すと嬉しそうな笑顔がこぼれる。「ありがとうございます!」なんて照れ臭そうな庄左ヱ門くんに、伊助くんがクスッとしている。
「おーい、庄左ヱ門! 見つかったかー?」
さらに足音がふえ、ドタドタと大きな音が響く。入り口には、きり丸くんを筆頭に一年は組のみんながなだれ込むようにやって来た。
「きり丸〜! 見つかったんだ。名前さんが拾ってくれてた」
「そりゃーよかった! あれ? 土井先生に名前さんも。ふたりも探してくれてたんっすか?」
「いや、違う。たぶん、僕が思うにお二人は……」
「違うって、どういうこと〜?」
しんべヱくんがポカンとした顔のまま尋ねると、庄左ヱ門くんがあごに手を当て真剣な表情だ。みんなで、固唾を呑んでその続きを見守る。
「放課後の教室で、恋人同士ふたりきり……」
「はにゃ? それって、つまり何なのー?」
「おい、お前たち……!」
「それより、みんな。もっと考えなきゃいけないことがある!」
土井先生がしどろもどろで慌てる最中。庄左ヱ門くんがパッと閃いたようにみんなに呼びかける。
「今度はなんだよ、庄左ヱ門」
「みんな、手裏剣の種類についてまとめたか? 明日が提出日だ、急げ〜!」
「「「わ〜っ!」」」
その号令とともに、うるさい足音が広がりだんだん小さくなっていった。再び、教室に静寂が訪れる。
「何だったんだ、いったい……!」
「可愛いじゃないですか。宿題もするようですし、ね?」
「まぁそれは進歩したというか、なんと言うか……」
困り顔の土井先生に、ちょっとイタズラしてみたくなる。体をぴったり付けて先生を覗きこんだ。
「半助さん。さっきのつづき、してみます……?」
「名前さんっ、な、な、なにを……!?」
「……だめ、ですか」
「わ、私もだな、その、いや教室では……!」
「えへへ、嘘ですっ」
くすくす笑いながら先生の袖をにぎる。「さ、食堂に行きましょー?」なんて、冗談っぽく言って。たぶん、私は真っ赤な顔だ。それを誤魔化すように、よろける先生をぐいぐいと食堂へ引っ張って行くのだった。