第55話 これからも、ずっと(完)
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桜まつり当日。
青空にふわふわ浮かぶ雲と咲きほこる桜。金楽寺の境内は小さな屋台が立ち並ぶ。金魚すくいにお団子やさん、それに風ぐるまなんかも売っていた。
そんな誘惑に負けず、火薬委員会の屋台でせっせと準備をすすめる。委員会活動とはいえ、今日はみんな私服姿だ。私は桜でんぶを飾りつける係りを任され、藤色の着物のそでをまくり気合を入れた。
「名前さん、手伝ってもらってすみません」
「兵助くん、楽しんでるから大丈夫っ。でも、あとでほかの屋台も見に行きたいなーって」
「もちろんですよ。土井先生もいらっしゃいますから、ご一緒に」
「っ、そうなんだ、ありがとう! それには田楽豆腐、たくさん売らなきゃだね」
先生も来てくれたら、一緒にお店を見て歩きたいな……なんて想像してほほが熱い。豆腐を焼いている兵助くんへガッツポーズをすると、不安そうな羽丹羽くんがひょこっと顔を出した。
「わたし、屋台の売り子は初めてなので緊張してしまいます……」
「羽丹羽くん。こんなに可愛い田楽だからさ、きっと売れるよ〜! 俺が言うんだから間違いないって」
タカ丸くんは火鉢で豆腐を焼く手を止め、自信満々に羽丹羽くんを励ました。そんな風に言われると、根拠はなくとも力がみなぎってくる。伊助くんや三郎次くんも、みそを塗る手を止めうんうんと頷いた。
「おや、火薬委員かな? 美味しそうな、これは……」
「金楽寺の和尚さま! こちらは田楽豆腐です。ぜひ、おひとつどうぞ」
境内を見回っていた和尚さまに、兵助くんがあいさつをしながら田楽豆腐を手渡す。出し物の説明をすると、ほぉ、と感心した様子で口へ運んでいった。
「飾りつけもなかなかじゃ。おや、きみはあの時の……」
「和尚さま、名前です。その節はご迷惑をおかけしました」
「いやいや、もう過ぎたこと。名前くんも学園も、そしてこの金楽寺も無事でよかった」
屋台の外へでて和尚さまと向き合い頭を下げる。学園長先生から話を聞いたけれど、それでも申し訳なくて気がおさまらなかった。「でも……」と言いかけた時、それを遮るように言葉が重なる。
「ほれほれ、みなが不思議そうにしておるぞ」
「えっ、」
火薬委員会のみんなは、ポカンとして私と和尚さまを見つめている。忍たま達は詳しい事情を知らされていないんだった……! 怪しまれないようになんとか取り繕う。
和尚さまにもう一度頭を下げると「頑張るんじゃぞ」と、にこやかに隣の屋台へ行ってしまった。
「さっ、みんな! お客さんがくる前に仕上げしよっ」
「「「はーい!」」」
変な空気を断ち切ろうと、パンパンと手を叩く。焼き上がったものに桜でんぶで模様をのせていくと下級生たちも手伝ってくれた。黙々と作業を続けている途中、馴染みのある声が聞こえて顔を上げる。
「もうすぐ始まりますねー! おれもこの近くで水筒売っていいっすか?」
「きり丸くん!?」
「そう思って、少し場所を空けておいたんだ」
「さすが久々知先輩! みなさん、ありがとうございまーす!」
きり丸くんは首から大きな立ち売り箱をさげ、たくさんの竹筒を運んでいた。いくつかを屋台に並べると、ふぅっとひたいの汗をぬぐう。
「私も、田楽売りながら水筒もおすすめするね」
「名前さん、期待してますんで! よろしくっす」
「はぁい」
屋台の前に看板を立てると準備が整った。次第に賑わい始める境内。あちらこちらで出囃子が響き活気のある声が飛び交う。よく聞こえるように口元を手で囲うと、お客さんへ呼びかけた。
「いらっしゃいませ、お花見にぴったりの田楽豆腐ですよーっ。桜柄の水筒もご一緒にいかがですかー?」
「桜まつり限定の水筒っすよー!」
「あら素敵ねぇ」
「さぁ、お姉さんこちらです!」
きり丸くんと一緒に呼び込みをしながら、ときどき顔をあわせニッと笑う。気に留めてくれたお姉さんを屋台まで案内して……。タカ丸くんはとびきりの笑顔で田楽を渡し、きり丸くんは目を銭にしてお代を受けとっていた。
交代で休んで、また売り子になっての繰り返し。人の波は途絶えることなく大盛況だ。ぽかぽか陽気に汗ばみつつみんなで忙しなく働くからか、あっという間に豆腐が無くなっていく。
通り過ぎる花見客はみな楽しそうで、小さい子どもはお面を頭につけ走り回っている。桜とともにお祭りの雰囲気を味わっていると、向こうから聞きなれた声が耳に届いた。
「おーい、遅くなってすまない」
「「「土井先生ー!」」」
烏帽子に白地の着物をきた先生は駆け足でこちらへやってきた。やっと現れた想い人に嬉しさとドキドキが入り交じる。急いで髪を整えると先生へ歩み寄った。
「先生、ずっと待ってたんですよ?」
「名前さん、すまない」
「もう田楽豆腐は売り切れちゃって、はんぺん田楽しか残ってないかも」
「っ、そ、そうなのか……!?」
「あはは、冗談ですっ」
嬉しそうな顔から一転、青ざめる先生。おかしくてくすっとしながら屋台へ戻ると、三郎次くんが田楽豆腐を先生に差し出した。
「ありがとう。お前たち、大変だっただろう? 羽丹羽くんも」
「ええ。売り子になるのは初めてで不安だったのですが……わたし、とっても楽しかったです」
「それはよかった」
羽丹羽くんが黒目がちの瞳を輝かせぱあっと笑う。土井先生もほほを緩めてその視線はとても温かさにあふれていた。
「土井先生っ、おれの水筒はタダであげませんからね!?」
「まったく、きり丸のやつ……!」
「まいどありー!」
ちゃっかり先生から銭を受けとるきり丸くんは、口からよだれが垂れてニコニコ顔だ。その様子を苦笑しながら眺めていると、ふいに先生と目が合った。
「名前さん、少し屋台を手伝ったら一緒にまわろうか」
「はい、そうしましょっ」
「土井先生に名前さん。あとは俺たち火薬委員会でやりますから」
「兵助くん、みんな! ありがたいけど、任せちゃうのは……!」
「もうすぐ終わりですし、久々知先輩もそうおっしゃってるんっすから!」
腕まくりをした土井先生に兵助くんが手で制すると他の子たちも揃って後押しする。真剣な表情とその圧に負けてタジタジになってしまう。言い淀んでいると「いいんです!」と背中を押されてコケそうになった。
「きり丸! 分かったから、そんなに押さないでくれ」
「じゃあお二人、デート楽しんできてくださーい!」
「……っ!?」
驚いてよろけると先生がしっかり支えてくれる。筋肉質の体つきにドギマギしながら小さくお礼を言うと、先生は照れくさそうに頭を掻いた。
桜に囲まれた境内を先生とゆっくり歩く。お祭りも終盤だからか人もまばらになっていた。まだ開いている店先をのぞいては子どものようにはしゃぐ。本当は近くに揺れるその腕につかまりたいのに、勇気がなくて触れられないまま時が過ぎていった。
鮮やかな羽がくるくる回る屋台の前。ひんやりした風が吹き抜けると、風ぐるまはカサっとした音を立てる。その美しさに目を奪われ、立ち止まった。
「あっ、風ぐるま。色とりどりで素敵ですね」
「気になるのかい?」
「はい! 綺麗だなぁって」
「そうだ、ちょっと待ってて」
だいだい色に桃色に水色に……。ひときわ目を引く紅色に触れようとした時。さっと目の前から消え去った。その行方を追ってみれば、先生が柄を握っている。
「せんせっ、」
先生は、店主のおじさんと軽くやりとりをしてからこちらへ戻ってきた。差し出された紅色の風ぐるまを受け取り胸元でぎゅっと握りしめる。
「名前さんによく似合ってるよ」
「ありがとうございます、嬉しい、です」
「さあ、そろそろ兵助たちのところへ戻ろうか」
「はいっ」
腰ひもへ風ぐるまを挿し入れると、急ぎ足で境内を歩く。気恥ずかしそうな先生がおかしくて、その勢いのまま彼の白い袖を掴んだ。
「大丈夫かい?」
「……つかまっていたくて」
「名前さん……!」
「みんなの前ではしませんから。いまだけ……」
「じゃあ、いまだけ。手を繋ごうか」
袖を掴んだ手はやさしく解かれ、いつの間にか先生の大きな手のひらに包まれている。応えるように力をこめると、少しの間だけその温かさを感じていた。
「土井先生に名前さん、遅かったっすねー!」
「すまない、つい……!」
「みんな、ごめんっ」
「いいんですよ、楽しまれたようで良かったです」
きり丸くんが私たちをからかうと、兵助くんたち火薬委員のみんなはクスッと笑った。すでに屋台はきれいに畳まれ、看板や備品が積み重なっている。
「みんなで帰ろっか?」
「いえ、名前さん。俺たちは集計と反省会がありますので」
「ええっ、そうなの……?」
「それは私も顧問として出た方がいいんじゃないか?」
「土井先生。まとまったら後で報告しますから、大丈夫です!」
「あ、ああ、分かった」
兵助くんは慣れた様子で、さすが委員長代理という感じだ。先生も、もう何も言えずに頷くしかなくて。残る委員会の子たちに見送られ、きり丸くんと先生と三人で学園へと向かっていった。
*
花の甘い香りが、春の風にのって吹き抜けていく。その度に道ばたの草木がさわさわと揺れ、乾いた音が心地よく響く。私と土井先生の間に挟まれたきり丸くんが、こちらを見上げながら口をひらいた。
「おれ、うれしいっす」
「どうしたの? きり丸くん」
「だって……」
照れ臭いのか、きり丸くんはもじもじしている。すると意を決したように先生と私の腕をかかえ込み、ぎゅっと引っ張られた。その勢いで思わず足が止まる。
「おふたりとも、好き同士なんでしょ? それってさ」
「それって……?」
「そうだ、きり丸。恋人ってことだ」
「やったあ! 先生、やっと独身じゃなくなりますね〜! は組のみんなに伝えなきゃ! あ、夏休みもまた三人でバイトよろしくっす! あひゃあひゃ」
「おい、きり丸! ちょっと待ちなさい!」
掴まれていた腕をぱっと離される。
恋人だなんて、改めて言われると照れてしまう。きり丸くんは屈託のない笑顔のまま手を振り、そのまま走り去ってしまった。だんだん小さくなる後ろ姿を、ぽーっとしたまま見つめる。
「まったく、あいつは気が早いんだから……。バイトも君に無理させないようにとあれほど、」
「でも、私もうれしいです。みんなに祝福されてるみたいで」
「まあ、そうなんだが……」
「っ、あ。先生」
「……ん?」
「ほっぺに桜の花びらがついてますよ?」
きょとんとした顔の先生に近づく。ぷっくりしたほほに手を伸ばすと小さな花びらをつまみ取った。どこから流れてきたのだろう……? 指先の薄桃色をまじまじ見つめる。そのうち柔らかい風が吹き、向こうの方からいくつも花びらが漂って足もとへ落ちていく。
「あそこ、桜が咲いてるみたいです!」
「金楽寺では屋台に夢中でお花見ができなかったから……行ってみるかい?」
「はいっ。すこしだけ、お花見してから帰りましょ」
「そうしよう」
先生が優しくほほ笑み、傷んだ焦茶の前髪がわずかに揺れた。その笑顔に見惚れていると手を繋がれ我に返る。なんど触れても慣れることはなくて。手のひらに男性の骨張った感触が伝わり、心臓がドキンと高鳴った。
山々が連なるのどかな風景を道なりに歩く。しばらくすると道に沿って桜がたち並ぶ場所へたどり着いた。あたりは開けていて、白や黄色の可憐な花々が咲き乱れている。
道ばたに横たわる大きな石をみつけ、二人で腰をおろす。腕が触れそうで触れない、そんなもどかしい距離感。腰かけた石に手をつき、花びらがはらはらと舞う様子を眺めた。
「こんなにきれいな場所があったんだっ」
「何度も通っているのに気づかなかったな」
「花が咲くと、また違った雰囲気ですもんね」
「……きっと、君とだから」
ぽつりと呟かれた言葉が嬉しくて、桜に向けた視線を先生へと移すと彼のクリっとした瞳が細められた。求め合うかのようにお互いの指先が触れて、そのまま柔らかく握られる。
「君とだから、見える景色が違うんだ」
「……半助、さん」
「名前さん。これからも、私のそばにいてくれないか」
「もちろんです、ずっと一緒に……!」
学園で出会ったときのこと。不安に涙するとなぐさめてくれたこと。心配しすぎなくらい気にかけてくれて、そのたびに嬉しくなってしまったこと。いろんな想いがこみ上げて胸がいっぱいになる。繋いだ手に力をこめた。
「わたし、いつも半助さんのことばかり考えて、それで……!」
「それで……?」
「……大好き、です」
そっと体を引き寄せられ、ほほを包まれる。視線が絡み合って、お互いに近づいて――その息遣いまで感じられるほど。
鼻先が触れそうになって目を閉じる。半助さんの前髪にまぶたをくすぐられた瞬間、唇が重なりあう。
鼓動がけたたましく鳴り響き、その熱が全身を駆けめぐる。甘い苦しさに逃げそうになるとぎゅっと抱きしめられ、さらに深くなっていく。
嬉しさと恥ずかしさが混じりあって、どうしようもなくて、半助さんの着物を握りしめた。
まわされた腕の力が弱まり、そっと解放される。
「……なんだか夢みたい」
「夢じゃないって、確かめてみようか」
見つめたままクスッと笑って、もう一度ゆっくり口づけあうのだった。
*
もう少しで学園だ。
熱くなったほほや耳を冷ますように手であおぎながら林道を歩いていた。隣の半助さんも僅かにほほが赤い。またドキドキしないように……。さっきのことを思い出さないように、背の高い深緑の木々に視線を移した。
「半助さん。あの、私たちのことなんですけど」
「それが、どうかしたかい?」
「一年は組のみんなに、なんて言いましょうか……?」
「うーん、考えないとなあ。変なふうに広まらなければいいが」
道の先に学園の正門があらわれる。ふたりで苦笑しながら進んでいくと、わいわい可愛らしい声が聞こえてきた。顔を合わせ、ふたたび正門へ目を向けた。
「「「土井先生、名前さん、おかえりなさーい!」」」
小さな潜り戸から、一年は組のみんなが勢いよく飛びだし駆け寄ってきた。私服だからか、色とりどりの姿に圧倒されてしまう。
「お前たち、どうしたんだ!? みんなそろって」
「わたしたち、きり丸から聞きました!」
「ぼくは食堂でおやつ食べてたら、火薬委員会のみんなが話してて知ったの」
「学園じゅう、土井先生と名前さんの話で持ちきりっすよ!」
「やっぱり……。お前らなぁ! こうなると思った」
「あはは。半助さんっ、いいじゃないですか」
「……まったく」
にこにこ顔の11人に囲まれながら正門へとぐいぐい引っ張られていく。転ばないよう半助さんの腕を頼りつつ、みんなの小さな頭をぽんと撫でた。困ったように眉をさげる半助さんと、いつものように笑い合う。
とまどいながら忍術学園にやって来た私を。記憶も、銭も、家族もなに一つ無い私を、みんなは温かく迎えてくれたのだ。
毎日が騒がしくて、慌ただしくて、楽しくて。輝く笑顔に囲まれながら、ここに居られる喜びが胸にじんわり広がっていく。
忙しくて幸せにあふれる日々が、これからも続きますように。
みんなと共に正門を一歩くぐると、春の霞がかった空を見上げるのだった。
(完)
青空にふわふわ浮かぶ雲と咲きほこる桜。金楽寺の境内は小さな屋台が立ち並ぶ。金魚すくいにお団子やさん、それに風ぐるまなんかも売っていた。
そんな誘惑に負けず、火薬委員会の屋台でせっせと準備をすすめる。委員会活動とはいえ、今日はみんな私服姿だ。私は桜でんぶを飾りつける係りを任され、藤色の着物のそでをまくり気合を入れた。
「名前さん、手伝ってもらってすみません」
「兵助くん、楽しんでるから大丈夫っ。でも、あとでほかの屋台も見に行きたいなーって」
「もちろんですよ。土井先生もいらっしゃいますから、ご一緒に」
「っ、そうなんだ、ありがとう! それには田楽豆腐、たくさん売らなきゃだね」
先生も来てくれたら、一緒にお店を見て歩きたいな……なんて想像してほほが熱い。豆腐を焼いている兵助くんへガッツポーズをすると、不安そうな羽丹羽くんがひょこっと顔を出した。
「わたし、屋台の売り子は初めてなので緊張してしまいます……」
「羽丹羽くん。こんなに可愛い田楽だからさ、きっと売れるよ〜! 俺が言うんだから間違いないって」
タカ丸くんは火鉢で豆腐を焼く手を止め、自信満々に羽丹羽くんを励ました。そんな風に言われると、根拠はなくとも力がみなぎってくる。伊助くんや三郎次くんも、みそを塗る手を止めうんうんと頷いた。
「おや、火薬委員かな? 美味しそうな、これは……」
「金楽寺の和尚さま! こちらは田楽豆腐です。ぜひ、おひとつどうぞ」
境内を見回っていた和尚さまに、兵助くんがあいさつをしながら田楽豆腐を手渡す。出し物の説明をすると、ほぉ、と感心した様子で口へ運んでいった。
「飾りつけもなかなかじゃ。おや、きみはあの時の……」
「和尚さま、名前です。その節はご迷惑をおかけしました」
「いやいや、もう過ぎたこと。名前くんも学園も、そしてこの金楽寺も無事でよかった」
屋台の外へでて和尚さまと向き合い頭を下げる。学園長先生から話を聞いたけれど、それでも申し訳なくて気がおさまらなかった。「でも……」と言いかけた時、それを遮るように言葉が重なる。
「ほれほれ、みなが不思議そうにしておるぞ」
「えっ、」
火薬委員会のみんなは、ポカンとして私と和尚さまを見つめている。忍たま達は詳しい事情を知らされていないんだった……! 怪しまれないようになんとか取り繕う。
和尚さまにもう一度頭を下げると「頑張るんじゃぞ」と、にこやかに隣の屋台へ行ってしまった。
「さっ、みんな! お客さんがくる前に仕上げしよっ」
「「「はーい!」」」
変な空気を断ち切ろうと、パンパンと手を叩く。焼き上がったものに桜でんぶで模様をのせていくと下級生たちも手伝ってくれた。黙々と作業を続けている途中、馴染みのある声が聞こえて顔を上げる。
「もうすぐ始まりますねー! おれもこの近くで水筒売っていいっすか?」
「きり丸くん!?」
「そう思って、少し場所を空けておいたんだ」
「さすが久々知先輩! みなさん、ありがとうございまーす!」
きり丸くんは首から大きな立ち売り箱をさげ、たくさんの竹筒を運んでいた。いくつかを屋台に並べると、ふぅっとひたいの汗をぬぐう。
「私も、田楽売りながら水筒もおすすめするね」
「名前さん、期待してますんで! よろしくっす」
「はぁい」
屋台の前に看板を立てると準備が整った。次第に賑わい始める境内。あちらこちらで出囃子が響き活気のある声が飛び交う。よく聞こえるように口元を手で囲うと、お客さんへ呼びかけた。
「いらっしゃいませ、お花見にぴったりの田楽豆腐ですよーっ。桜柄の水筒もご一緒にいかがですかー?」
「桜まつり限定の水筒っすよー!」
「あら素敵ねぇ」
「さぁ、お姉さんこちらです!」
きり丸くんと一緒に呼び込みをしながら、ときどき顔をあわせニッと笑う。気に留めてくれたお姉さんを屋台まで案内して……。タカ丸くんはとびきりの笑顔で田楽を渡し、きり丸くんは目を銭にしてお代を受けとっていた。
交代で休んで、また売り子になっての繰り返し。人の波は途絶えることなく大盛況だ。ぽかぽか陽気に汗ばみつつみんなで忙しなく働くからか、あっという間に豆腐が無くなっていく。
通り過ぎる花見客はみな楽しそうで、小さい子どもはお面を頭につけ走り回っている。桜とともにお祭りの雰囲気を味わっていると、向こうから聞きなれた声が耳に届いた。
「おーい、遅くなってすまない」
「「「土井先生ー!」」」
烏帽子に白地の着物をきた先生は駆け足でこちらへやってきた。やっと現れた想い人に嬉しさとドキドキが入り交じる。急いで髪を整えると先生へ歩み寄った。
「先生、ずっと待ってたんですよ?」
「名前さん、すまない」
「もう田楽豆腐は売り切れちゃって、はんぺん田楽しか残ってないかも」
「っ、そ、そうなのか……!?」
「あはは、冗談ですっ」
嬉しそうな顔から一転、青ざめる先生。おかしくてくすっとしながら屋台へ戻ると、三郎次くんが田楽豆腐を先生に差し出した。
「ありがとう。お前たち、大変だっただろう? 羽丹羽くんも」
「ええ。売り子になるのは初めてで不安だったのですが……わたし、とっても楽しかったです」
「それはよかった」
羽丹羽くんが黒目がちの瞳を輝かせぱあっと笑う。土井先生もほほを緩めてその視線はとても温かさにあふれていた。
「土井先生っ、おれの水筒はタダであげませんからね!?」
「まったく、きり丸のやつ……!」
「まいどありー!」
ちゃっかり先生から銭を受けとるきり丸くんは、口からよだれが垂れてニコニコ顔だ。その様子を苦笑しながら眺めていると、ふいに先生と目が合った。
「名前さん、少し屋台を手伝ったら一緒にまわろうか」
「はい、そうしましょっ」
「土井先生に名前さん。あとは俺たち火薬委員会でやりますから」
「兵助くん、みんな! ありがたいけど、任せちゃうのは……!」
「もうすぐ終わりですし、久々知先輩もそうおっしゃってるんっすから!」
腕まくりをした土井先生に兵助くんが手で制すると他の子たちも揃って後押しする。真剣な表情とその圧に負けてタジタジになってしまう。言い淀んでいると「いいんです!」と背中を押されてコケそうになった。
「きり丸! 分かったから、そんなに押さないでくれ」
「じゃあお二人、デート楽しんできてくださーい!」
「……っ!?」
驚いてよろけると先生がしっかり支えてくれる。筋肉質の体つきにドギマギしながら小さくお礼を言うと、先生は照れくさそうに頭を掻いた。
桜に囲まれた境内を先生とゆっくり歩く。お祭りも終盤だからか人もまばらになっていた。まだ開いている店先をのぞいては子どものようにはしゃぐ。本当は近くに揺れるその腕につかまりたいのに、勇気がなくて触れられないまま時が過ぎていった。
鮮やかな羽がくるくる回る屋台の前。ひんやりした風が吹き抜けると、風ぐるまはカサっとした音を立てる。その美しさに目を奪われ、立ち止まった。
「あっ、風ぐるま。色とりどりで素敵ですね」
「気になるのかい?」
「はい! 綺麗だなぁって」
「そうだ、ちょっと待ってて」
だいだい色に桃色に水色に……。ひときわ目を引く紅色に触れようとした時。さっと目の前から消え去った。その行方を追ってみれば、先生が柄を握っている。
「せんせっ、」
先生は、店主のおじさんと軽くやりとりをしてからこちらへ戻ってきた。差し出された紅色の風ぐるまを受け取り胸元でぎゅっと握りしめる。
「名前さんによく似合ってるよ」
「ありがとうございます、嬉しい、です」
「さあ、そろそろ兵助たちのところへ戻ろうか」
「はいっ」
腰ひもへ風ぐるまを挿し入れると、急ぎ足で境内を歩く。気恥ずかしそうな先生がおかしくて、その勢いのまま彼の白い袖を掴んだ。
「大丈夫かい?」
「……つかまっていたくて」
「名前さん……!」
「みんなの前ではしませんから。いまだけ……」
「じゃあ、いまだけ。手を繋ごうか」
袖を掴んだ手はやさしく解かれ、いつの間にか先生の大きな手のひらに包まれている。応えるように力をこめると、少しの間だけその温かさを感じていた。
「土井先生に名前さん、遅かったっすねー!」
「すまない、つい……!」
「みんな、ごめんっ」
「いいんですよ、楽しまれたようで良かったです」
きり丸くんが私たちをからかうと、兵助くんたち火薬委員のみんなはクスッと笑った。すでに屋台はきれいに畳まれ、看板や備品が積み重なっている。
「みんなで帰ろっか?」
「いえ、名前さん。俺たちは集計と反省会がありますので」
「ええっ、そうなの……?」
「それは私も顧問として出た方がいいんじゃないか?」
「土井先生。まとまったら後で報告しますから、大丈夫です!」
「あ、ああ、分かった」
兵助くんは慣れた様子で、さすが委員長代理という感じだ。先生も、もう何も言えずに頷くしかなくて。残る委員会の子たちに見送られ、きり丸くんと先生と三人で学園へと向かっていった。
*
花の甘い香りが、春の風にのって吹き抜けていく。その度に道ばたの草木がさわさわと揺れ、乾いた音が心地よく響く。私と土井先生の間に挟まれたきり丸くんが、こちらを見上げながら口をひらいた。
「おれ、うれしいっす」
「どうしたの? きり丸くん」
「だって……」
照れ臭いのか、きり丸くんはもじもじしている。すると意を決したように先生と私の腕をかかえ込み、ぎゅっと引っ張られた。その勢いで思わず足が止まる。
「おふたりとも、好き同士なんでしょ? それってさ」
「それって……?」
「そうだ、きり丸。恋人ってことだ」
「やったあ! 先生、やっと独身じゃなくなりますね〜! は組のみんなに伝えなきゃ! あ、夏休みもまた三人でバイトよろしくっす! あひゃあひゃ」
「おい、きり丸! ちょっと待ちなさい!」
掴まれていた腕をぱっと離される。
恋人だなんて、改めて言われると照れてしまう。きり丸くんは屈託のない笑顔のまま手を振り、そのまま走り去ってしまった。だんだん小さくなる後ろ姿を、ぽーっとしたまま見つめる。
「まったく、あいつは気が早いんだから……。バイトも君に無理させないようにとあれほど、」
「でも、私もうれしいです。みんなに祝福されてるみたいで」
「まあ、そうなんだが……」
「っ、あ。先生」
「……ん?」
「ほっぺに桜の花びらがついてますよ?」
きょとんとした顔の先生に近づく。ぷっくりしたほほに手を伸ばすと小さな花びらをつまみ取った。どこから流れてきたのだろう……? 指先の薄桃色をまじまじ見つめる。そのうち柔らかい風が吹き、向こうの方からいくつも花びらが漂って足もとへ落ちていく。
「あそこ、桜が咲いてるみたいです!」
「金楽寺では屋台に夢中でお花見ができなかったから……行ってみるかい?」
「はいっ。すこしだけ、お花見してから帰りましょ」
「そうしよう」
先生が優しくほほ笑み、傷んだ焦茶の前髪がわずかに揺れた。その笑顔に見惚れていると手を繋がれ我に返る。なんど触れても慣れることはなくて。手のひらに男性の骨張った感触が伝わり、心臓がドキンと高鳴った。
山々が連なるのどかな風景を道なりに歩く。しばらくすると道に沿って桜がたち並ぶ場所へたどり着いた。あたりは開けていて、白や黄色の可憐な花々が咲き乱れている。
道ばたに横たわる大きな石をみつけ、二人で腰をおろす。腕が触れそうで触れない、そんなもどかしい距離感。腰かけた石に手をつき、花びらがはらはらと舞う様子を眺めた。
「こんなにきれいな場所があったんだっ」
「何度も通っているのに気づかなかったな」
「花が咲くと、また違った雰囲気ですもんね」
「……きっと、君とだから」
ぽつりと呟かれた言葉が嬉しくて、桜に向けた視線を先生へと移すと彼のクリっとした瞳が細められた。求め合うかのようにお互いの指先が触れて、そのまま柔らかく握られる。
「君とだから、見える景色が違うんだ」
「……半助、さん」
「名前さん。これからも、私のそばにいてくれないか」
「もちろんです、ずっと一緒に……!」
学園で出会ったときのこと。不安に涙するとなぐさめてくれたこと。心配しすぎなくらい気にかけてくれて、そのたびに嬉しくなってしまったこと。いろんな想いがこみ上げて胸がいっぱいになる。繋いだ手に力をこめた。
「わたし、いつも半助さんのことばかり考えて、それで……!」
「それで……?」
「……大好き、です」
そっと体を引き寄せられ、ほほを包まれる。視線が絡み合って、お互いに近づいて――その息遣いまで感じられるほど。
鼻先が触れそうになって目を閉じる。半助さんの前髪にまぶたをくすぐられた瞬間、唇が重なりあう。
鼓動がけたたましく鳴り響き、その熱が全身を駆けめぐる。甘い苦しさに逃げそうになるとぎゅっと抱きしめられ、さらに深くなっていく。
嬉しさと恥ずかしさが混じりあって、どうしようもなくて、半助さんの着物を握りしめた。
まわされた腕の力が弱まり、そっと解放される。
「……なんだか夢みたい」
「夢じゃないって、確かめてみようか」
見つめたままクスッと笑って、もう一度ゆっくり口づけあうのだった。
*
もう少しで学園だ。
熱くなったほほや耳を冷ますように手であおぎながら林道を歩いていた。隣の半助さんも僅かにほほが赤い。またドキドキしないように……。さっきのことを思い出さないように、背の高い深緑の木々に視線を移した。
「半助さん。あの、私たちのことなんですけど」
「それが、どうかしたかい?」
「一年は組のみんなに、なんて言いましょうか……?」
「うーん、考えないとなあ。変なふうに広まらなければいいが」
道の先に学園の正門があらわれる。ふたりで苦笑しながら進んでいくと、わいわい可愛らしい声が聞こえてきた。顔を合わせ、ふたたび正門へ目を向けた。
「「「土井先生、名前さん、おかえりなさーい!」」」
小さな潜り戸から、一年は組のみんなが勢いよく飛びだし駆け寄ってきた。私服だからか、色とりどりの姿に圧倒されてしまう。
「お前たち、どうしたんだ!? みんなそろって」
「わたしたち、きり丸から聞きました!」
「ぼくは食堂でおやつ食べてたら、火薬委員会のみんなが話してて知ったの」
「学園じゅう、土井先生と名前さんの話で持ちきりっすよ!」
「やっぱり……。お前らなぁ! こうなると思った」
「あはは。半助さんっ、いいじゃないですか」
「……まったく」
にこにこ顔の11人に囲まれながら正門へとぐいぐい引っ張られていく。転ばないよう半助さんの腕を頼りつつ、みんなの小さな頭をぽんと撫でた。困ったように眉をさげる半助さんと、いつものように笑い合う。
とまどいながら忍術学園にやって来た私を。記憶も、銭も、家族もなに一つ無い私を、みんなは温かく迎えてくれたのだ。
毎日が騒がしくて、慌ただしくて、楽しくて。輝く笑顔に囲まれながら、ここに居られる喜びが胸にじんわり広がっていく。
忙しくて幸せにあふれる日々が、これからも続きますように。
みんなと共に正門を一歩くぐると、春の霞がかった空を見上げるのだった。
(完)