第52話 すれ違い

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朝食の片付けを終えたつかの間、自室でゆったり過ごしていた。戸のすき間から流れる爽やかな風。狭い部屋の床板に、柔らかな日差しが入り込み眠気をさそう。

今日は久しぶりに街へお買い物の日。いつもより念入りに鏡で確認して、紅をぽんぽんと唇へのせる。おしろいは元いた世界のものが消えてしまったため、伝子さんが「使いなさいな」なんて分けてくれた。

買い物といっても頼まれごとだから気合いが入る。面白い田楽豆腐の材料集めに、久々知兵助君から手伝いを頼まれたのだ。金楽寺で行われる桜まつりで、火薬委員会としてお店を出すから――と。

鏡を文机におく。ゆっくり立ち上がり、小花が描かれた藤色の着物がほつれていないか、くるりと回って確認する。

きり丸君とのバイトの手伝いもずっと内職で、ずいぶん長いこと街に行けなかった。それもあって、はやる気持ちを抑えきれない。今日は火薬委員会のお手伝いなんだから……!と何度も唱えて、小間物屋を覗きたくなるのを我慢する。

そろそろ正門へ向かわなきゃ。
久々知君との待ち合わせが迫っている。障子の引手に手をかけ一歩進むと、隣の部屋から物音が聞こえてきた。外出のあいさつもかねて廊下から声をかける。

「山田先生、土井先生っ」

名前くんかな?」

障子を引いて中をのぞく。床に書類の山が積み上がり、これは一年は組の補習用のプリントかもしれない。文机に座る先生ふたりに目をやると、土井先生は珍しく私服だ。忙しそうな二人へ、遠慮がちに声を掛けた。

「これから、火薬委員会のお手伝いで街に出かけるんです。ごあいさつをと思いまして」

「ほお。で、半助。何をやるんだ?」

「金楽寺の桜まつりで店を出すと聞きました。前回の甘酒が好評だったからでしょう。でも、なぜ名前さんが?」

山田先生も土井先生も、二人そろって不思議そうに見つめてくる。火薬委員会とあまり接点がない私に、手伝いとは疑問に思うのも当然だ。

「土井先生、今回は面白い田楽豆腐を作るんです。私なら、食堂の仕入れで顔がきくからって」

「それはそうだが……。せっかくの休みに手伝わせて大丈夫かい?」

「ええ。久しぶりに街へ行くの、楽しみだったんですよ。先生もお出かけですか?」

「あ、あぁ。ちょっとね」

土井先生は眉を下げ、頭をかきながら有耶無耶にする。払いそびれた家賃を納めに行くのかもしれないし……。あまり深く聞くのもためらわれ、とっさに違う話題へ切りかえた。

「美味しい田楽豆腐ができたら、先生方にも試食してもらいますねっ」

「楽しみにしているよ」

「では、行ってきます!」

二人に向かって頭を下げると、早足で待ち合わせ場所へ急いだ。土井先生、帰りは遅くなるのかな……? どこで、何をするのか気になって胸がざわざわする。そんな思いをかき消すように、正門にたたずむ兵助君へ大きく手を振った。





澄み渡る青空のした。
乾いた地面をじゃりじゃりと踏みしめる。隣を歩く兵助君のふさふさした髪が風に揺られ、浮き立つ気持ちを表しているようだ。

名前さん、付き合ってもらってすみません」

「気にしないでっ。役に立つといいんだけど」

「心強いです!」

「そうだ。どんなお品書きにするのー?」

道ばたの草や小さな花を眺めつつ尋ねる。具体的な食材をきいて、どこのお店からみてみるか作戦を立てねば。兵助君はあごに手をあて、うーんと唸りながら案をつぶやく。

「例えば……花びら型の田楽に、桜でんぶをまぶすとか」

「わあ、それ可愛い! あっ。そうしたら、これはどう? 白みそに色をつけて……」

「白みそかぁ! その手がありましたね」

「じゃあ、おみそと佃煮屋さんに行こう!」

二人ではしゃぎながら道を進んでいく。山が連なるだけの景色から、かやぶき屋根がぽつぽつ見える場所を抜け、よくやく街へとたどり着いた。

人々が行き交い、荷車がゴロゴロと重たい音をたて通り過ぎていく。その活気と熱気にはいまだ慣れない。少しの土ぼこりが舞うなか、キョロキョロとあたりを見回した。

名前さん、大丈夫ですか?」

「うん、久しぶりに来たから嬉しくて」

「仕入れは食堂に運んでくれますからね」

「そうなの。だから街に行くことって意外となくて。あっ、あそこ。おみそ屋さんだ!」

行きましょう!と元気よく返事する兵助君と並んで歩き出す。たしかに、仕入れは食堂の勝手口まで来てくれる。けれど、久々に街へ行ける本当の理由は……。金楽寺でのことは、忍たまのみんなには知られていないようだった。


「お、いらっしゃい!」

「こんにちは。あの、白みそをいただきたいのですが……」

「はいはい、ちょっと待ってね」

気のいい店主のおじさんが愛想よく受け答えする。店内の大きな樽から、小分けのつぼに移しかえていく。金楽寺の桜まつりで入り用になりまして……なんて話すと、「頑張るんだよ!」と少しおまけしてくれた。

「おじさん、お代です」

「どうも毎度あり!」

兵助君が銭を手渡すと、ジャラジャラと金属音が響く。見かけによらず、ずっしりとした重さのつぼを受け取り店を後にした。


「やっぱり、名前さんと来て良かったです! あ、俺が持ちます」

「ありがとう。まさか、おまけしてくれるとは思わなかったよ」

「ラッキーでした」

「いつも、学園のみんなの分いっぱい頼んでるからねっ」

つぼを兵助君に渡しながら二人でくすくす笑い合う。役に立てたことが嬉しくて、心なしか歩幅が大きくなっていた。


味噌の店から少し離れたところが佃煮屋さんだ。人波をかき分けて行くも、たまにぶつかりそうになる。その度に兵助君がさっと肩をひき寄せ、衝撃から守ってくれるのだ。私より歳が下なのに、なんて頼もしいのだろう。

「っ、ごめんね。ありがとう」

「いえいえ。名前さんに何かあったら土井先生に怒られそうなので」

「ええっ……!?」

「冗談ですよ」

大きな瞳を細めるから長いまつ毛が揺れる。兵助君はふふっと漏らし、柔らかな表情のままこちらに首を傾けた。

「ははは、そうだよね……!」

土井先生が心配してくれていること、やっぱり忍たまのみんなにバレバレなんだ。心配だけじゃなく、もっとその先の想いだったら……想像して恥ずかしくなる。私と同じ気持ちだったら、どんなに幸せだろう。

「あ、佃煮屋さん。ここですよね?」

「そう! もう着いちゃったね」

「すみませーん」兵助君がよく通る声で店主へ呼びかける。店先には、並べられたツボの中にツヤツヤの佃煮が詰められている。草履の擦れる音とともに中年の男性がやってきた。

「お待たせ、今日はどうしたんだい?」

「あの……桜でんぶを探してまして」

「ああ、そうなのか! ええっとね、」

おじさんは再び店の奥へ戻っていくと、「どのくらい欲しいのかな?」とこちらへ声を投げかけた。兵助君に向けて首をひねると、そうだなぁ……なんて楽しげな表情だ。


「いっぱい買ったね!」

「ええ、念のため……」

桜でんぶの詰めこまれた袋を風呂敷に包み背負っている。それに加え、兵助君は白みそのつぼを軽々と抱えて歩く。さすが五年生だ。

「桜でんぶって、練り物じゃないから土井先生食べられるかなぁ?」

「たぶん大丈夫だと思いますよ。名前さんはそんなことまで心配してるんですか? ……土井先生といい、お二人とも似てますね」

「い、いや、そうじゃなくって……!」

ひとり言のようにぽつり呟くと、兵助君がぷっと吹き出した。慌てて否定するのに顔は熱くなって、ますます説得力がなくなっていく。

「試作品、上手く作れるといいね。味見するの楽しみにしてるよ」

「ぜひ! 俺が最高の田楽豆腐を作ります」

気を取り直して隣を見やると、自信に満ちあふれた兵助君がいた。長い前髪からキラキラ輝く瞳がのぞき、豆腐に対する愛情がビシビシと伝わってくる。


――ジャリ、ジャリ
豆腐を使った食堂のメニューなんかを相談しながら学園へ向かっている。もう少しで街を抜けるというとき。前方から見慣れた着物が近づいてくる。人混みでチラチラ見え隠れするその姿は、きっと……

名前さん、あれは土井先生じゃないですか」

「本当だっ! 先生も街に用事があったのかな」

一緒に駆け出そうとした瞬間。先生の隣にぴったりとくっついて歩く、涼やかな目元の美女が視界に飛び込んできた。


咄嗟に兵助君の腕をつかみ、店と店のすき間に身を潜めた。

じっと土井先生たちを見つめる。
その女性は、頭にくすんだ桃色の手ぬぐいを巻き、結った茶色の髪は陽の光に輝く。垣間見える素肌は白く透き通って、赤紫色の着物によく映えていた。

先生の腕をぎゅっと抱えてもたれ、たおやかに歩く姿。ときどき見つめ合っては何か言葉を交わしている。様になる二人に、誰しもが特別な仲だと思うに違いない。心臓がけたたましく脈を打つ。嫌な汗が額ににじみ呼吸が乱れる。

「……へ、兵助君。こっちから帰ろう」

「っ、名前さん……!」

足元の砂利を見つめ、重い足を引きずるように大通りから傍にそれる。人けのない道をそろそろと歩いていると、兵助君が「きっと何か事情があるんですよ」なんて慰めてくれる。私の気持ちは、もうみんなに知れ渡っているのだろうか。

……きれいな女性と並び、照れ臭そうにはにかむ土井先生の顔。

兵助君の言うとおり何でもないって信じたい。頑張って笑顔をつくり「早く帰ろー!」と呼びかけるのだった。





学園に戻ると、田楽豆腐の試作を手伝うため豆腐小屋へ向かう。口角を上げ、楽しそうに振る舞っているつもりでも忍者のたまごには通じなかった。歩きながら、兵助君が心配そうに覗き込んでくる。

「おーい、名前さん?」

「っ、兵助君、ごめん! ぼーっとしちゃって」

「今日は付き合わせちゃいましたし……色々ありましたから」

「……そんなこと」

小屋を目前にして足を止めると、先ほどの光景が頭をよぎり苦しくなる。兵助君が気遣うように視線を合わせてくれた。

名前さんはお疲れでしょうから、もうこれで……」

「手伝おうと思ったのに、」

「買い物に付き合ってくれたんです。充分、助かりました! あとは火薬委員会のみんなと頑張ります」

このまま、うわの空でいることも失礼だ。優しくほほ笑む兵助君のお言葉に甘え、自室へと戻ることにした。


外廊下をうつむきながら進む。
もう、土井先生は帰っているだろうか。部屋に戻る前、何て声をかけよう……? あの女の人が、先生の大切な人だったら。聞いてみたいような、顔を合わせたくないような、複雑な気持ちだ。

休日だからか私服の忍たまたちとすれ違う。みんなの楽しそうな話し声や表情が眩しい。ますます前を向けなくなってしまう。

「「「あれ? 名前さんだ!」」」

曲がり角から可愛らしい三人組が現れ、こちらに駆け寄ってきた。ドタバタと騒がしい足音が床板を鳴らす。

「乱太郎くんたち、今日はお出かけしてたの?」

「はい。わたしたち、きり丸のバイトの手伝いで」

「ほんとほんと、いっぱい働いたんですよ〜! もうぼくヘトヘト」

手伝わされた二人は疲れをにじませ、ほめて欲しそうに訴えてきた。頑張ったね、なんて声をかけると子どもらしく無邪気に笑っている。

「二人とも、大げさなんだからぁ。あ、名前さんも、またよろしくお願いしまっす!」

「きり丸君ったら」

相変わらずのやり取りに、落ち込んだ気持ちが少し軽くなる。クスッと吹き出しながら、そう言えば……と切り出した。

「この前、桜柄の水筒を土井先生に見せてもらったよ。とっても綺麗だった!」

「でしょー? 桜まつり、早く来ないかなー。そうそう、名前さんも売り子手伝ってくれます?!」

「火薬委員会のお店も手伝いながら……で、大丈夫?」

「もちろんっすよ! あひゃあひゃ」

満面の笑みで浮かれるきり丸君に苦笑していると、土井先生に外出許可もらわなきゃ!とさっそく気が早いことを言っている。

「土井先生って、もう戻ってきてるかな?」

「乱太郎、見かけたか?」

「ううん、わたし見てない」

「美味しいもの、食べに行ってるんじゃないのー!?」

「しんべヱじゃないんだから……」

「そっか……みんな、ありがと」

まだ、帰ってきていないのかもしれない。会って、話して確かめたいはずなのに。どこかホッとしている自分がいるのだ。楽しそうな三人と別れ、自室へ向かう。


――夜
すっかり空は夕闇に包まれ、星が点々ときらめく頃。燭台の小さな炎がすきま風にゆれる。

あれから、部屋に閉じこもりずっと膝を抱えていた。隣の部屋から、土井先生が戻ってきた気配も音もしない。夕飯時になっても先生は帰ってこなかった。

食事をとる気にもなれず、冷たい板の間の上で時間だけが過ぎていく。今ごろ、あの女の人と一緒なのかな……? 言えない予定だったから今朝は口ごもっていたのかもしれない。

明日には、きっと……。

わずかな希望を頼りに寝床につく準備をする。布団を敷くと、ふぅっと灯りを吹き消した。





翌日。
名前くん、珍しく眠そうですね」

「吉野先生、すみません……」

あくびを押し殺し、涙目になりながら書類の仕分けをしている。こうやって、昼の明るい時間にしわ寄せがくるのだ。

結局、土井先生は夜が明けるころ学園へ戻ってきたようだった。眠れず起きていたけれど、声をかける勇気もなくて……。食堂でも無理やり理由をつけ、調理場に引きこもってしまった。垣間みえる姿はいつも通りで、それが心をぎゅっとさせる。

「疲れているのでしょう? 今日は無理せず休んだらどうです」

「大丈夫です、動いてないとダメなんです! ……そうだっ、庭の掃除してきますね」

「は、はあ。ではお願いします」

こんな状態で一人きりになったら、悪い考えばかり浮かんで苦しくなるだけだ。吉野先生の言葉を遮るように庭掃除を宣言する。その勢いに、先生は細い目を少し開いて驚きつつも、優しく見送ってくれた。


――ザッザッザ
正門の前で小松田くんと落ち葉をはいている。ほほを掠める風は、春の訪れを感じさせる柔らかなものだった。いくぶんか気持ちが軽やかになって、掃きそうじを申し出て正解だったと空を見上げる。

名前さん、なんだか空ばっか見てません?」

「……そうかな!? ごめん」

「いえ、僕はかまわないですけど」

足元に集めた葉っぱをちりとりへ寄せていく。小松田くんが心配そうに言うものだから、大丈夫!と大きく頷いた。しばらく二人で掃除していると木戸を叩く音が聞こえてくる。


「どなたですー?」

「あら! 小松田さん、こんにちは」

「乱太郎くんのお母さん!」

ギギギと開けられた潜り戸から、小柄のふくよかな女性があらわれた。頭には手ぬぐいを巻き、まん丸の瞳は優しく細められている。

「乱太郎くんの、お母さま、ですか……!?」

「ええ、いつも息子がお世話になって」

「あのっ、私は学園で働くことになりました、」

名前さんでしょう? 乱太郎から聞いてるわよ、よく面倒みてもらってるって」

「いえいえ、そんな。私の方こそ、乱太郎くんたちのおかげで楽しく過ごせてますから」

乱太郎くんのお母さんは息子が誇らしいのか、満足そうにほほ笑んだ。桃色の着物が優しそうな雰囲気にとてもよく似合っている。

「ところで、今日はどうされたんですかぁ〜?」

「土井先生に用があってねぇ」

「土井先生は……まだ授業中なんです。もうすぐ終わりますから、私が職員室へご案内しますよ」

「助かるわぁ!」

小松田くんにほうきを託し、乱太郎くんのお母さんと長屋へ進んでいく。


「土井先生にご用があったんですね」

「そうなのよ! お祝いを言おうと思って」

「お祝い……?」

「だって、あんなに元気なお嫁さんがいらっしゃるんですもの!」

「……お、お嫁さん!?」

「親戚のところへ行って、帰りに街を通ったんだけど……。土井先生の家をのぞいたら、見ちゃったのよ!」

乱太郎くんのお母さんが見かけたお嫁さんは楽しそうに掃除をしていたようで、働き者だと褒めちぎっている。近所の人に聞いたら、ここ一週間ほどのことらしい。

そこからは話が頭に入ってこなかった。
全身からさーっと血の気がひき背中には嫌な汗が流れ落ちる。どくどくと激しい動機にうまく呼吸ができない。胸元をおさえ、なんとか口の端をつりあげた。

「……そ、そうなんですね、知らなかった」

「乱太郎は名前さんが先生のお嫁さんになったら良いのに! なんて言ってたんだけどねえ」

その言葉がぐさりと胸に突き刺さる。あの時見た、あの女性は土井先生のお嫁さんだったの……? 考えたくない可能性が現実のものになっていく。

……なんで、どうして。

いつも気にかけてくれて、危険な目にあうと必死で助け出してくれた。苦笑いしながら一緒にバイトのお手伝いもした。とても近い距離で、優しくほほ笑んでくれたのに。

勘違いした自分がみじめで、ばかみたいで、涙が込みあげる。

「……先生のお部屋はこちらですっ」

部屋の目の前につくと、一方的に言葉を発して頭をさげる。

全部、うそならいいのに。

目頭から、ぼろぼろこぼれる熱い雫を乱暴にぬぐう。逃げるように、人けのない場所へ走っていくのだった。


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