第50話 ふたたび

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名前

厳しい寒さが少しずつ和らぐころ。
名前さんの自室から外を眺めると、ちらほら梅の花が垣間見える。こちらの深刻な状況などつゆ知らず、細い枝には濃い桃色と白色の可憐な花をつけていた。


金楽寺で倒れたとき。
小さな身体を抱えて、必死で学園まで連れ戻ったのだ。彼女の四肢は力なく緩み、どこか遠くへ行ってしまったかのような錯覚に陥った。

そして、それは今でも同じだ。
整然とした部屋にポツンと敷かれた布団。そこに眠る名前さんを見つめる。授業の合間に駆けつけては、そばで様子を見守る日が続いていた。時折り、忍たまや大木先生がやって来て肩を落とし戻っていく。

新野先生も心配して、医務室から何度も顔を覗かせた。その度に、困ったような顔で「きっと大丈夫ですよ」なんて慰めてくれる。


彼女が二度と目覚めることがなかったら。こんなに穏やかな表情で、ゆっくりと呼吸をして……。最後の日の朝、「今日はいい日になりそうです」そう言ってはにかむ笑顔が脳裏に焼き付いて離れない。

大寝坊だね?なんてからかったら、慌てて起きてくれるだろうか。

名前さん。みんな、君を待っているよ」

冷んやりした手を包み込むように握り、そっと言葉を投げかけた。





土井先生っ、みんな……!

声が、声にならない。
お札を炎の中へ投げ入れたあと。
地面が歪み、足からガクッと落ちていく感覚。
鈍い痛みを覚悟するも、柔らかくあたたかい温もりに包まれる。いつもの、あの優しいかおりが鼻腔を掠める。その匂いで安堵するのに、なぜだか胸の奥がつんと痛い。


腕の中で、不思議な夢を見ていた。
……小松田くんによく似た人から何かを受け取る。「忍者に会ってみたい」だなんて、子どもみたいなことを言って、それから……。意識がプツリと切れた。




暗闇の中で、私を呼ぶ声が聞こえる。
わずかに動く人影を見つめていた。腕を伸ばし、指先いっぱいに力を入れて黒装束を掴もうとする。けれど、するりと指の間をすり抜けて、その手は空をかいた。


さようなら、かもしれない。

焦茶の前髪からのぞく、クリッとした瞳を思い出す。いつもそばにいて、笑っちゃうくらいに心配してくれて、必ず守ってくれた。

最後になっても構わない。ひと目、ただただ会いたかった。でも、もう二度と会えない気がして胸がきゅっと苦しくなる。

寂しさに、どうしようもなく涙があふれ出す。震える唇をきつく結んでいると、手のひらから懐かしい感触が伝わる。大きくて、少しカサついた手。反射的に、ぐっと握り返した。



「っ、名前さん……! 名前さん!」


ガクガクと体を揺すぶられ、切羽詰まった声で呼びかけられる。驚きに目を瞬かせた。久しぶりの強い光に、視界が真っ白でその姿はよく見えない。それでも、誰だかはっきり分かる。


「どい、せんせ……」

会いたかったその人が、すぐ近くにいる。真剣な表情の土井先生を涙でぼやけたまま見つめた。それはまるで、綺麗な風景を眺めるように実感が湧かない。目に飛び込んできた光景が嘘みたいで理解できずにいた。


「大丈夫か!? どこか苦しいところは、」

「せ、先生っ……。わ、わたしは……、みんなは……!」

名前さん、みんな無事だ。君も、ここにいる」

「よかった……」


これが現実だったら……?
パッと起き上がり、思わず先生に抱きつく。広い背中に這わせた手のひらから、確かに彼を感じる。夢じゃない。それに応えるかのように、力強く掻き抱かれた。

「……せんせ、く、くるしいです」

「っ、す、すまない!」

「……いえ」

慌てて力を緩める土井先生の顔を直視できない。近すぎる……ということもあるけれど、触れた筋肉質の感触が、温もりが、離れた今も残っている。ドキドキうるさい心臓を落ち着かせようと、湯呑みの水をいただいた。


「痛むところはないか? 新野先生を呼んでこよう」

「身体は大丈夫です。それより先生、金楽寺でのこと……」

「君は……。まずは自分の身体を心配しないとだめだろう」

ため息混じりの先生に、ごめんなさい、と消え入りそうな声でつぶやく。けれど大人しく寝ているなんてできない。

「でも。あの後のこと、気になって」

「詳しくは後で話すよ。……そうだ、先に言わなきゃいけないことがあった」

「なんです……?」

「君が元いた世界の持ち物が綺麗に無くなってしまってね。……名前さんまで消えなくて良かった」

困ったように眉を下げる先生に、何かが引っかかる。なんで私だけ残れたんだろう。まるで不思議な力に守られたような……。魔除けみたいなもの、持ってたかな……?


「あのっ! もしかして、このおまじないのせいかも知れません」

「……まじない?」

「はい、そんしょうだらに、というもので……」


掛け布団をよけ、寝巻きの裾をがばっと捲り、太ももに巻き付けた包帯を解いていく。徐々に、小さな紙が顔をのぞかせた。

「っ、名前さん……!? そ、そ、そのっ、」

「えっ……? あ、ご、ごめんなさい! 見えないところに隠さなきゃと思って」

おまじないの紙に気を取られ、自分の姿がどうなっているのか、すっかり頭から抜け落ちていた。大きくはだけた裾からは太ももが露わになる。土井先生は固まったまま真っ赤な顔だ。

ささっと寝巻きを直し、ひらりと紙を差し出す。先生は仕切り直すように軽く咳払いをした。


「これは……。尊勝陀羅尼、か。よく知っていたね?」

「羽丹羽石人くんから、面白い本を教えてもらいまして。それに、災難よけとして載っていたんです」

「なるほど。名前さんらしい」

「このおまじないの効果だったりして」

「不思議なことばかり起こるし、案外そうかもしれないな」




――カタンッ

「失礼しますよ。って、あれれ」

様子を見に来た新野先生がのけぞり目を丸くしている。先生に小さく頭を下げて、もう大丈夫ということを伝えた。


「新野先生、ご心配をおかけしました」

「いえいえ、名前さんが元気そうで良かったです。これはすぐに学園長先生にお伝えしないと……!」

「あの、私が庵にうかがいますからっ」

「あなたは休むのが仕事ですよ」

「新野先生……。すみません」

やって来たと思ったらそのまま踵を返す新野先生にもう一度頭を下げる。土井先生から藤色の着物を受け取ると、寝巻きの上から軽く肩にかけた。





――ドタドタドタ
外廊下から、医務室の中まで複数の足音が響き渡る。

「あいつらか……!?」

「きっと乱太郎くんたち、ですね」

土井先生は大きなため息をつくけれど、またみんなに会えるのは何よりも嬉しい。私は大丈夫ですから、なんて先生に笑いかける。


カタンと開く障子の音と共に、学園長先生や乱太郎くんたち、そして山田先生と雅之助さんまで現れた。小さな部屋だからぎゅうぎゅう詰めだ。新野先生の姿を目で探すも、みんなの勢いに飲み込まれる。


「「「名前さーん!!」」」
「おい、名前! 大丈夫か!?」

「みんな! 大木先生までっ」

胸元に飛び込んでくる三人をしっかりと抱き止めた。しがみつく様子に、ひどく不安にさせてしまったようで心が痛い。

「こらこら、お前たち。名前さんは目覚めたばかりなんだ」

「土井先生。私、嬉しいですからっ」

「また、君は……」

先生たちが苦笑するなか、ゴホン!と重い咳払いが響く。乱太郎くんたちも布団の周りに正座し、みんな一斉に音の方へ顔を向けた。


名前ちゃん。よいかな?」

「はい、学園長先生。この度はご心配をおかけして申し訳ありませんでした……! お札も、燃やしてしまって……」

「いやいや、頭を上げなさい。名前ちゃんが無事で、みんな安心しておる」

「そうだぞ、名前。謝ることはない」

「大木先生のいう通りじゃ」

顔を綻ばせて喜ぶ雅之助さんに向かって目を細めた。山田先生もうんうんと頷いて、学園みんなの優しさが心に染み入る。


「それでな。お札が燃えたあと、不思議なことが起こってのう」

「不思議な、こと……ですか?」

「うむ。ドクタケ一味が武器を投げ捨て引き上げたのじゃ、だろう? 土井先生」

「ええ。何をしに来たんだっけ?なんて言って、そそくさと帰って行きました」

名前。お前が大声で何か叫んで……倒れたあとだ」


じっと話を聞きながら金楽寺でのことを思い返す。たしか、お願いをしたのだ。でも、願うだけじゃダメで……。

――戦うのはやめて! 忍術学園のみんなに、手を出さないで――

夢の中でも鼻がむずむずして、記憶がなくなった。


「……くしゃみ、したんです」

「くしゃみ、かい?」

「はて、続きを聞こうかの」

ぽかんとした表情の三人と先生たちを前に、あの時のことをありのまま説明した。半信半疑の目で見つめられ身体を縮こませる。学園長先生の白い眉から鋭い視線がのぞく。


「信じられないですよね。言ってる私も不思議で……」

「まさか、疑うわけないじゃろうて」

名前くんがここへ来た経緯から不思議なんだ。十分、あり得ることだと思うがね」

「学園長先生に山田先生っ、ありがとうございます」

突拍子もない話をきちんと受け止めてくれる。本当に、なんて温かい人達なんだろう。この世界に残ることができて良かった、と心から思う。今更ながら実感がわいて、身体がぽかぽかしてきた。


「あの、それから……。そもそも私がやって来た原因なんですが、思い当たることがありまして」

「なにぃ?! お前、分かったのか?」

「大木先生。えっと、たぶんなんですけど……」


夢で見た光景を説明する。
桜が咲き誇るお寺。南蛮衣装だと言われたあの格好で、小松田さんによく似たお兄さんからお守りを受け取って……。

――忍者に会ってみたい

そんなことを軽く思い描いてから、くしゃみをしてしまったこと。それから、気が付いたら森の中にいて……


「「「えー! 名前さんってば、そんなことお願いしたのー?!」」」

「ははは……。君は忍者に憧れていると言っていたからね」

「それでわしがお前を拾ったというわけだな?」

「す、すみません……」

「よいではないか。名前ちゃんがそう願ってくれたおかげで、嬉しい出会いがあったのじゃ。消えないでくれて本当に良かった」


ずっこける三人と先生たち。それを、ほっほっほと無邪気に笑う学園長先生に改めて頭を下げた。少しして、土井先生が懐から小さな紙を取り出した。


「学園長先生。先ほど名前さんからもらったものです。尊勝陀羅尼が書かれていますが、これが彼女を残らせたのだと」

「ほぅ。持ち物は跡形もなく消えてしまったが……」

「私だけ、残ることができたのは……。これしか思い当たらなかったのです」

乱太郎くんたちもしげしげと紙切れを覗きこむ。その顔は目と目が離れて、口をだらんと開けたものになった。

「「「読めないねー? 名前さん、すごーい!」」」

「……教えたはずだ」

「みんな、教わったみたいだよ?」

お腹を押さえる土井先生と気まずそうな三人を交互に見つめ、あはは……と誤魔化すように笑う。山田先生はため息と共にあご髭をさすり、雅之助さんは眉間にしわを寄せちょっと怖い顔だ。


「そして、もうひとつ」

重苦しくつぶやかれた言葉にびくりとする。もしかして、不思議なお札を燃やしてしまった弁償とか……? その額を想像して、一気に血の気が引いていった。


「燃やしてしまったお札の償い、でしょうか……?」

「心配するでない。それについては、わしから和尚さまへ話をつけておいたんじゃ。ドクタケに寺を破壊されなくて良かったと安心しておったぞ」

「ですが、申し訳なくて気持ちが収まりません……!」

名前ちゃんは律儀じゃのう。……では、これはどうじゃ? 金楽寺で季節ごとに祭りがある。ぜひ手伝ってあげてはくれんか」

「は、はい! もちろんです」

「あー! おれも祭りのとき屋台のバイトしてるんっす! 名前さんもぜひっ、」

「きり丸っ! ……いいから静かにしなさい」

「はーい……」

土井先生がじろりと睨むと、きり丸くんは小さくなって頭をかいた。室内が、ふたたび静けさを取り戻す。


「あらためて。そしてもう一つじゃが、名前ちゃんに
正式に事務員になってもらおうと思う。いかがかな?」

「学園長先生っ。あ、ありがとうございます……! とても嬉しいです!」

「それは良かった! 立派に働いてくれて助かっていたのじゃ。吉野先生からの推薦もあってな、きっと喜ぶであろう」

「あのー、学園長先生? 名前さんのお給料のほうは……? あひゃひゃ」

「こら、きり丸ッ!!」

「もちろん、お給料アップじゃよ」

土井先生にまた叱られながら、きり丸くんの瞳は黄金の銭になってよだれを垂らしている。大げさに喜ぶ姿を、先生たちと微笑ましく眺めていた。




外から、こちらへ近づく音が大きくなる。
カタッと障子が開き、白い装束がちらりと垣間見えた。

「先生方、もうそろそろ宜しいでしょうかね」

「新野先生、失礼した。名前ちゃんに長いこと話をしてしまったようじゃ」

「いえいえ、そんなこと……!」

朗らかに笑む新野先生は、その柔らかさに反し強い意志が感じられる。学園長先生を先頭に、山田先生や土井先生がそろりと立ち上がり部屋を出ていった。

雅之助さんもその後に続いて足をすすめる、その瞬間。


「大木先生っ」

「ん、なんだ?」

振り返り、ポカンとした顔でそばまで来てくれた。肩からずり落ちかけた着物を直し、立ち上がろうとするも、そっと制される。雅之助さんは、そのままどかっと布団のはしに座りこみ頰杖をついた。


名前。お前が心配で何度も学園へ見にきたんだぞ」

「雅之助さん、すみませ……」

「かまわん。落ち着いたら、ケロちゃんとラビちゃんに会いにきてくれ」

「はいっ! 畑のお手伝いも、させてください」

「ああ、たっぷりこき使ってやる! ……なんてな」

軽い冗談にいつも通り笑って。杭瀬村のゆったりした風景と、白いふわふわのラビちゃんたちを想像して自然と笑みがこぼれる。

「あの、引き止めたのは……。お見送りできなくて、申し訳なくて」

「見送り、か。……本当は連れ帰ってしまいたいんだがな」

「……っ?」

「何でもない。しっかり休め」

大きな手にくしゃっと頭を撫でられる。雅之助さんはゆっくり立ち上がると、外廊下に向かって呼びかけた。


「土井先生。あとは頼みます」

「ええっ……?!」

土井先生が外にいたのかな……? さすが元教師、気配を察していたんだ。先生たちに嘘はつけないなと少し焦る。

雅之助さんは犬歯を覗かせながら笑うと、じゃあなー!なんて立ち去ってしまった。





日が沈みかけた頃。
空は鮮やかな橙色と濃紺が混じり合っていく。布団のわきに小さなあかりを灯す。


新野先生の心配もあって、自室から出ることなく土井先生にお粥を食べさせてもらっていた。


「熱いから気をつけるんだよ」

「せ、先生っ。子どもじゃないんですよー?」

「分かってるさ。はい、もうひと口食べて」

照れ臭くて、なかなか素直になれない。そんな風にかいがいしく面倒を見てくれて、飛び上がるくらい嬉しいのに。

土井先生は熱々のお粥のお椀を手に、ふうっと冷ましてから口元へさじを運ぶ。とろっとしたお米が舌にほのかな甘さをもたらす。その味に、ドキドキする気持ちと心地よさが重なっていった。



「はあ、お腹いっぱい。おいしかったです!」

「おばちゃん特製のお粥だからね。きっと元気になる」

大きな優し瞳が細められ、くすっと笑っている。先生が食器をまとめると、焦茶の前髪がふわりと揺れた。

片付ける様子をぽーっと見つめて、ふと我にかえる。近くに置かれたお茶をすすって、なんとか冷静なフリを取り繕った。


「私の顔に、何かついているのかい?」

「ち、違うんですっ、えっと……」

「まだ本調子じゃないからね」

「そうじゃなくて……!」

体調が理由じゃない。本当は、土井先生から目が離せなくて、見つめていたくて……。そんなこと、言えるわけない。変に意識して、どうしちゃったんだろう。膝上のかけ布団をキュッと握りしめた。


「……土井先生と、また、こうして過ごせることが嬉しいんです」

名前さん……」

二人向き合って、先生がジリジリと身体を近づけてくる。布団に片手をつくと、もう一方の手のひらがほほを包む。するりと耳の裏側へ指が入り込み、思わずピクリと身体がはねた。


「……っ。みんなと居られると思うと、幸せで」

「ずっと、不安だったよな」

「でも、もう大丈夫ですっ。嫌だって言われても、居座っちゃいますから」

先生の真っ直ぐな視線に射抜かれる。伝えたのは本当のことなのに。それ以上に思っていることがバレてしまいそうだ。恥ずかしくて、最後は冗談めかしほほ笑み合う。


「私は食器を片付けてくるよ。今日は疲れただろう? もう休んだ方がいい」

「すみません……。そう、します」

「元気になったら、正式に事務員だ。忙しくなるね」

「はいっ……! がんばります」


先生は、ぽんと私の頭を撫でると、お盆を手に廊下へ向かっていく。

部屋を出てしまう直前。
つい、心の中の声がこぼれてしまった。


「半助さん。……ありがとうございます」

先生は驚いた顔で振り返る。けれど、すぐに柔らかい笑顔で応えてくれるのだった。


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