第49話 願うこと
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ドクタケ城の広い一室。
赤い忍装束姿がずらりと並ぶ。
部下達を背後に、城主の木野小次郎竹高様にひざまずく。顔を上げ、ニヤリと緩む口の端がさらに歪んだ。
「八方斎。やけに嬉しそうだな」
「殿、報告がございます。例の占い師ですが……タソガレドキもを目をつけていた様でして。まあ、失敗に終わったのですが」
「……ほう、そうだったのか」
「ええ。まーた、忍術学園の先生たちが出てきて邪魔をしたのでしょう。我がドクタケ忍者隊は、その様なヘマは決していたしません……!」
「期待しているぞ。ところで、金楽寺の札とやらはどうなったのだ?」
「……そちらも、ご安心を。この稗田八方斎めにお任せください。必ず手に入れて、ドクタケを勝利に導きます」
この計画が成功した暁には、ドクタケ軍の勝利。さらには処遇アップが期待できるぞ……! ニヤニヤがおさまらず、ついに大笑いが出てしまいそうだ。後ろにのけぞると部下達が一斉にこちらへ駆け寄ってきた。
「がーはっはっは……、お、おこせ、おこせーっ!」
*
冬のカラッとした青空が広がる杭瀬村。鳥たちはさえずりながら飛び回り、なんとも穏やかな朝だ。
畑にしゃがみ込んで、そばに置いたカゴの中へ採りたての大根を詰めていく。垂れてくる鉢巻きの端を肩に払うと、また同じ作業を続ける。ときどきラビちゃんやケロちゃんがやって来ては撫でてやり、満足すると森へと駆けていった。
しばらくすると、青々とした大根の葉がカゴから飛び出して溢れんばかりだ。額の汗を腕で拭い伸びをする。ふぅ、と深呼吸をすると、遠くから男の話し声がかすかに聞こえ耳を澄ませた。体は畑にうずめ、作業するふりをして視線だけを向ける。
「まったく……うちの…も困るよなぁ……」
「あんな…占い……金楽…お札なんて……」
「……戦……勘弁してほし……」
赤いサングラスをかけた二人組は大股で歩きながら、そのまま通り過ぎて行った。胸騒ぎがしてぐっと唇を噛み締める。
おもむろに懐へ手のひらを忍ばせる。指先に鋭い冷たさを感じ手裏剣を確認すると、忍術学園へと急いだ。
*
「おはよう、名前さん」
「おはようございます、土井先生。はいっ、朝食です」
朝の食堂。
カウンター越しの土井先生へ、ほかほかのご飯を乗せたお盆を手渡した。にこっと優しく微笑まれて、いい日になりそうだな、なんて心が踊る。
「ずいぶん嬉しそうだね」
「だって。先生の笑顔を見たら、今日も良いことがありそうだなって」
「私も、そんな気がするよ」
クスッと笑い合うと先生の後ろ姿を見送る。胸の中がぽかぽか温かくなる感覚に、きゅっと割烹着の裾を握った。
ぞろぞろと忍たまたちもカウンターにやって来て、声をかけながら次々に朝食を手渡していく。みんなのはつらつとした様子に、こちらも元気をもらっているのだ。
こんな、何気ない毎日の繰り返しが幸せで。宝物のような日々がずっと続いて欲しい。そう願わずにはいられなかった。
朝食も終盤。
食堂におばちゃんと私だけになった。先ほどとは打って変わって静かになった空間に、ピチャピチャと水音が響く。
「やっと、一段落つきましたね」
「そうねぇ。ゆっくり片付けましょ」
「はいっ。お昼の仕込みも、さっき少しできたので」
「あらぁ、助かるわ! 名前ちゃんが来てから、だいぶ楽させてもらってるわ」
「お役に立てて嬉しいです!」
そんなことを話しながら、洗い場でおばちゃんとうつわを磨いている。ふきんで水気を拭き取っていると、勝手口の向こう側からこちらに呼びかける声が聞こえてきた。男の人のようだ。
「だれかしら?」
「お届けものですって、言ってます」
「いやだわ。頼んだ覚えはないんだけどねぇ」
「この前、バレンタインの材料を通販で頼んだんですが……。その時に袴も注文したんです。今頃届いたのかもしれません!」
きっと、その可能性が高い。おばちゃんに苦笑されながら、手に付いた水気を払い慌てて勝手口の外へ向かう。
「あの、お待たせしました! お届けものって……」
そう言って小さな門を開くと、ずらりと並ぶ赤いサングラスの男たちに取り囲まれた。
「悪いが、大人しくするんだ」
「えっ、あ、あなた達、何です!? ……きゃっ、」
訳がわからず抵抗するも、太い縄でくるくると身体を拘束され口を塞がれる。心臓が飛び出そうなほどドキドキして、苦しいし怖い。けれど何もできずこのまま……なんてことは絶対にいやだ。
バタバタと暴れるふりをして、とっさに袂から浅葱色の巾着を落とした。
……きっと、見つけて、探し出してくれる。
荷台に投げ込まれると藁を被せられ視界が真っ暗になった。ガタゴトと荒く揺られながら、どこかへ連れ去られるのだった。
*
「……水月とは、水に映った月のことだ。すなわち……って、しんべヱ! 寝るんじゃない!」
何度も何度も教えて、それでもちっとも頭に入れてくれない教え子たち。一年は組に胃が痛くなるばかりだ。腹をさすりながら授業を進めていると、ガラリと大きな音を立てて戸が開かれた。
「土井先生。授業中悪いんだがな……」
「あれぇ? 山田先生に大木先生? どうされたんですかー?!」
「お前たち、静かに! 忍たまの友を読んでおきなさい」
「「「はーい」」」
ざわつく忍たまを落ち着かせ、深刻そうな顔をした山田先生と大木先生のそばへ駆け寄った。少し遅れて食堂のおばちゃんもやって来て、後ろ手で戸を閉めつつ四人でこそこそ話す。授業中だからか、廊下には私たち以外いない。
「食堂のおばちゃんまで……。一体何があったんです?」
「名前ちゃんがね、荷物を受け取るために勝手口から出て行ったきり、居なくなっちゃったのよ! それで、山田先生に相談してたら大木先生を見かけて」
「私は畑で変な話を聞いたもんで。嫌な予感がして学園に来たところです」
「大木先生、変な話とは……?」
「赤いサングラスの男二人が、金楽寺だとか、占いとか、戦の愚痴を言っておったんです」
「そうだ、半助。食堂の裏手にこれが落ちていたんだが……分かるか?」
「これは……。名前さんのものですが、」
山田先生から浅葱色の巾着を受け取り、中をそっと確認する。例のお札がぼんやり光を放ち、もう一枚くしゃりと紙が入っていた。破れないように広げると、書き殴ったような文字が並ぶ。
「山田先生、何か書いてあります。……金楽寺へ急げ……この筆跡は、魔界之先生……?」
「名前ちゃん、何で金楽寺なんかへ……? わたしが荷物を受け取りに行けば良かったわ」
「おばちゃん、私たちで何とかしますから」
「やはりドクタケですか。罠の可能性もありますな」
「大木先生のおっしゃる通り、罠かもしれません。でも、名前さんが……!」
「うむ、そりゃあ面白い。……土井先生、もちろん行くだろ?」
憔悴するおばちゃんを慰めながら、好戦的な瞳でニヤリとする大木先生と頷き合う。
私と大木先生は金楽寺へ。他の先生達はドクタケ城へ向かうよう、山田先生から学園長に話をしてくれることになった。
「山田先生、ありがとうございます。は組の授業は……」
「いいから、あとは私に任せておきなさい」
山田先生は自慢げにあご髭を撫でる。手短に礼を言うと、どこんじょー!と叫ぶ大木先生と共に廊下を駆け出した。
金楽寺のお札と名前さんと……。それらが出会うことによって、恐れていることが起こってしまわないだろうか。激しい動悸に呼吸が乱される。
「二人とも、無茶はするなよ」
遠くから聞こえる山田先生の声を背に、二人で金楽寺へと向かうのだった。
*
「金楽寺だ」
「別の部隊はもう着いているか」
男の話し声とともに、ガタゴト揺れる荷車がぴたりと止まる。
被せられた藁の敷物が取り払われたせいで、一気に視界が明るくなった。太陽の眩しさに、思わず目を瞬かせる。キョロキョロとあたりを確認すると、赤い忍装束の男達が数人見えた。
……ドクタケの人たちだ。
荷台から降ろされると、男に担がれながら石段を登っていく。縛られた部分がヒリヒリと痛い。
「ぅう、んんーっ!!」
全身をバタつかせ抵抗しても、芋虫のように拘束されて何もできない。しばらく暴れた後、だらんと力が抜ける。どうしたら逃げ出せるか、必死に考えを巡らせた。
「ほら、着いたぞ!」
境内を抜け、本堂に連れられると腕を突き放される。急に支えがなくなり、軋む床にドスンと座り込んだ。縄を解かれて、はあはあと荒い呼吸を繰り返す。
正面には立派な仏像がそびえ、その周りには煌びやかな装飾が施されている。お供物がいくつも並べられ、大きな蝋燭には橙色の炎が揺らめく。お香の甘く粉っぽい匂いが漂い、それがさらに緊張感を高める。心臓がうるさく鳴って、手のひらに汗が滲んだ。
「おい、ドクタケ忍者よ、何をする……!?」
「和尚さまもなかなかしぶといですなぁ。早く例の札を渡せばいいものを」
「八方斎め、こんなことをしおって!」
和尚さまはドクタケ忍者に両腕を掴まれ、八方斎と呼ばれた頭の大きな男と睨み合っている。いつもの穏和な表情は変わらないのに、放たれる気配に焦りを感じる。
「そこのお嬢さんは、たしか……」
「わ、わたし、名前です! 和尚さま……」
「なぜ彼女まで巻き込むのじゃ!」
「そのお札を使うのに必要なのだ。よく当たる占い師とやらで、特別な力があるようだな? ……おい! 風鬼、雨鬼」
「はっ! 寺の中を探しましたが、まだお札が見つかりません」
「和尚さまよ。早く出さないと、この女がどうなっても知らんぞ!」
八方斎が怒りを滲ませた声を上げる。それが合図となって、ドクタケ忍者が一斉に武器を突きつけてくる。向けられた尖った金属に、身体が硬直して動けない。息を押し殺し、じっと固まる。
「わ、わかった。渡すから、危害を加えるようなことはするでない!」
「よーし、それで良い」
「わたしは……! 私には、そんな力なんか無いですってば!」
「ふんっ。また、そんなたわごとを」
ドクタケ一味が鼻で笑う。
和尚さまは観念したように顔を歪め、懐に手を突っ込むと細長い木箱を取り出した。
……ドクタケの手に、お札が渡ってしまう。だめだ、絶対だめなのに……! 良からぬことを願うなんて分かりきっているのだ。
八方斎が受け取りふたを開けると、古びたお札をぺらっと持ち上げる。
「こ、これが……!」
「「「おお〜っ!」」」
「って。何が書いてあるのか、わしにはさーっぱり分からん」
ドクタケ忍者が一斉にずっこけるのを気にもせず、八方斎がこちらに近づいてくる。手にはお札と、紐で結ばれた銭が揺れていた。
「名前と言ったな? ……さあ、このお札に向かってドクタケ軍の勝利を願うのだ!」
「いやですっ! そんなこと……!」
勇気を振り絞り、八方斎を睨みつける。手にお札を押し付けられ咄嗟に握ると、瞬く間にぱあっと明るく輝いた。堂内にどよめきが起こる。
……どうしよう。
これで、この世界から消えてしまったら。みんなに、何ひとつ挨拶できずに戻ってしまったら……。嫌な予感が現実になってしまいそうだ。喉の奥が詰まったように苦しくて、視界が涙でぼやけてくる。
「なんと、素晴らしい! さあさあ、早く言った通りにするのだ!」
「わたし、絶対にお願いなんてしませんからっ!」
「……うむ、そうか。そこまで言うなら……。戦の前に、忍術学園へ兵を送り込んで叩きのめしてやっても良いかもなあ?」
「そ、そんな……!」
「ならば、願うしか無いだろう? どうするんだ、」
目の前に銭をゆらゆらと揺らされ、ぼんやりと見つめる。催眠術、なのかな……?
耳の奥に「だんだん、ドクタケの勝利を願いたくなーる……」という声が聞こえてくる。繰り返されるその言葉に、そう願わなければいけない気がして……。そう願いたくなって……。
口を開きかけたとき――
パンッと乾いた破裂音が本堂に響き、あたりが白い煙幕に包まれる。煙ごしに、天井からスーッと二つの黒い影が落ちてきた。
「名前! どこんじょーで走れっ!」
聞き慣れた大きな声に、ぐぐっと意識が引き戻される。もやがかかって何も見えないけれど、明るい方向へと力を振り絞り駆け出した。
「待てーっ!」と荒々しい怒号が飛び交い、金属のぶつかり合う甲高い音が耳に届く。そんななか、足元にコロコロとチョークのかけらが転がってきて慌てて避けた。
雅之助さんと土井先生が助けに来てくれたんだ……! そう思って、一気に力がみなぎってくる。
お札を握りしめ境内に出ると、冷たい風が吹きぬけた。赤い忍装束がわらわらと集まりゆく手を阻まれる。どこへ逃げて良いか全く分からない。小石が敷かれた地面に足の裏がくっ付いてしまったかのようだ。恐怖心におそわれ動けないでいる。
……助けて! ここに、みんなと、ずっと一緒にいたいの!
お札を見つめ、強く願う。
けれど何も起こらない。私が消えることもない。ただただ、それは不気味に光り続けていた。
「もう観念するんだな!」
「さっさと八方斎様の言う通りにしろ!」
ぶんぶんと頭を振り周囲を確認する。左手から灰色の煙が風に乗って流れてくるのを見つけると、寺の奥へと走っていく。
途中、前から男が襲いかかってくる。すんでのところで地べたへ伏せて小さく丸まった。男は「うわあっ!」という声と共につまずいたようだ。転ぶ赤いかたまりを視界の端に捉える。
手裏剣とチョークが乱れ飛ぶなか、背後から私を呼ぶ声が聞こえてくる。
それでも砂利を踏みしめながら走り続け、灰色の煙が徐々に濃く黒くなっていく。
木材がバラバラと積まれ、めらめらと大きな炎が立ちのぼる場所へたどり着いた。……何かを焚き上げているんだ。
もう、こうするしかない。
貴重な品だけど、ドクタケの手に渡ることは絶対に避けたかった。迷いを捨て、まるで手裏剣を打つかのようにスッと火の中へ丸めた紙を投げ込んだ。
くしゃくしゃになったお札が、放物線を描いて煙の中へと吸い込まれていく。
この札が燃え尽きたら、私は消えてしまうかもしれない。でも、それよりも、みんなが傷つくのは耐えられなかった。
「戦うのはやめて! 忍術学園のみんなに、手を出さないでっ! お願い、お願いだから……」
どうしたら願いが叶うかなんて分からない。ぎゅっと固く目をつむった瞬間。
煙のチリが鼻に触れ、むずむずが止まらない。
「っ、くしゅん……!」
がくりと全身の力が抜け、目の前が真っ暗闇に変わっていく。地面に叩きつけられる強い衝撃を覚悟するも、柔らかくて温かい感覚に包まれる。
煙の焦げたにおいに混じって、いつもの、あの人の香りが鼻腔に届く。それは気持ちを落ち着かせる、なんとも幸せな香りで。
必死に私を呼ぶ声が聞こえる。
それに答えることもできず、ただその温もりに身を任せた。
*
不思議な夢を見ていた。
頭を覆うものが付いた生成り色の上衣に、下衣はひらひら波打つ桃色の布を纏った姿で……。一番最初に着ていた、南蛮衣装みたいなもの。
桜が咲きほこる境内。
あちらこちらに屋台が並んでにぎやかだ。甘い菓子や、香ばしい匂いがあたりを漂う。
小さな寺務所にはお守りやおみくじが置かれていた。その小窓越しから、「このお守りください」なんて話をしている。小松田くんによく似た作務衣をきた青年は、にこにこしながらお守りらしき札をひとつ手に取った。
「昔、忍者だった和尚さまがいたって本当なんですか?」
「そうそう、本当らしいんだ!」
「すごいですね! 私も、忍者に会ってみたいなぁ」
「はい、お守りですよ〜」
「ありがとうございますっ」
「あっ、ちょっと待って〜! それは……!」
「ええっ……?」
――忍者に会ってみたい。
そんな子どもっぽいことを考えていると、寺務員のお兄さんが慌てている。どうしたんだろう?と手元の札を見つめた。
その瞬間。
強い風が吹いて、桜の花びらが舞い散る。
すっと鼻の頭を掠めていき、なんだかむず痒くなって……。
「……っ、くしゅん!」
視界が消えたみたいに何も見えない。
そこで、ぷつりと意識が途絶えたのだった。
赤い忍装束姿がずらりと並ぶ。
部下達を背後に、城主の木野小次郎竹高様にひざまずく。顔を上げ、ニヤリと緩む口の端がさらに歪んだ。
「八方斎。やけに嬉しそうだな」
「殿、報告がございます。例の占い師ですが……タソガレドキもを目をつけていた様でして。まあ、失敗に終わったのですが」
「……ほう、そうだったのか」
「ええ。まーた、忍術学園の先生たちが出てきて邪魔をしたのでしょう。我がドクタケ忍者隊は、その様なヘマは決していたしません……!」
「期待しているぞ。ところで、金楽寺の札とやらはどうなったのだ?」
「……そちらも、ご安心を。この稗田八方斎めにお任せください。必ず手に入れて、ドクタケを勝利に導きます」
この計画が成功した暁には、ドクタケ軍の勝利。さらには処遇アップが期待できるぞ……! ニヤニヤがおさまらず、ついに大笑いが出てしまいそうだ。後ろにのけぞると部下達が一斉にこちらへ駆け寄ってきた。
「がーはっはっは……、お、おこせ、おこせーっ!」
*
冬のカラッとした青空が広がる杭瀬村。鳥たちはさえずりながら飛び回り、なんとも穏やかな朝だ。
畑にしゃがみ込んで、そばに置いたカゴの中へ採りたての大根を詰めていく。垂れてくる鉢巻きの端を肩に払うと、また同じ作業を続ける。ときどきラビちゃんやケロちゃんがやって来ては撫でてやり、満足すると森へと駆けていった。
しばらくすると、青々とした大根の葉がカゴから飛び出して溢れんばかりだ。額の汗を腕で拭い伸びをする。ふぅ、と深呼吸をすると、遠くから男の話し声がかすかに聞こえ耳を澄ませた。体は畑にうずめ、作業するふりをして視線だけを向ける。
「まったく……うちの…も困るよなぁ……」
「あんな…占い……金楽…お札なんて……」
「……戦……勘弁してほし……」
赤いサングラスをかけた二人組は大股で歩きながら、そのまま通り過ぎて行った。胸騒ぎがしてぐっと唇を噛み締める。
おもむろに懐へ手のひらを忍ばせる。指先に鋭い冷たさを感じ手裏剣を確認すると、忍術学園へと急いだ。
*
「おはよう、名前さん」
「おはようございます、土井先生。はいっ、朝食です」
朝の食堂。
カウンター越しの土井先生へ、ほかほかのご飯を乗せたお盆を手渡した。にこっと優しく微笑まれて、いい日になりそうだな、なんて心が踊る。
「ずいぶん嬉しそうだね」
「だって。先生の笑顔を見たら、今日も良いことがありそうだなって」
「私も、そんな気がするよ」
クスッと笑い合うと先生の後ろ姿を見送る。胸の中がぽかぽか温かくなる感覚に、きゅっと割烹着の裾を握った。
ぞろぞろと忍たまたちもカウンターにやって来て、声をかけながら次々に朝食を手渡していく。みんなのはつらつとした様子に、こちらも元気をもらっているのだ。
こんな、何気ない毎日の繰り返しが幸せで。宝物のような日々がずっと続いて欲しい。そう願わずにはいられなかった。
朝食も終盤。
食堂におばちゃんと私だけになった。先ほどとは打って変わって静かになった空間に、ピチャピチャと水音が響く。
「やっと、一段落つきましたね」
「そうねぇ。ゆっくり片付けましょ」
「はいっ。お昼の仕込みも、さっき少しできたので」
「あらぁ、助かるわ! 名前ちゃんが来てから、だいぶ楽させてもらってるわ」
「お役に立てて嬉しいです!」
そんなことを話しながら、洗い場でおばちゃんとうつわを磨いている。ふきんで水気を拭き取っていると、勝手口の向こう側からこちらに呼びかける声が聞こえてきた。男の人のようだ。
「だれかしら?」
「お届けものですって、言ってます」
「いやだわ。頼んだ覚えはないんだけどねぇ」
「この前、バレンタインの材料を通販で頼んだんですが……。その時に袴も注文したんです。今頃届いたのかもしれません!」
きっと、その可能性が高い。おばちゃんに苦笑されながら、手に付いた水気を払い慌てて勝手口の外へ向かう。
「あの、お待たせしました! お届けものって……」
そう言って小さな門を開くと、ずらりと並ぶ赤いサングラスの男たちに取り囲まれた。
「悪いが、大人しくするんだ」
「えっ、あ、あなた達、何です!? ……きゃっ、」
訳がわからず抵抗するも、太い縄でくるくると身体を拘束され口を塞がれる。心臓が飛び出そうなほどドキドキして、苦しいし怖い。けれど何もできずこのまま……なんてことは絶対にいやだ。
バタバタと暴れるふりをして、とっさに袂から浅葱色の巾着を落とした。
……きっと、見つけて、探し出してくれる。
荷台に投げ込まれると藁を被せられ視界が真っ暗になった。ガタゴトと荒く揺られながら、どこかへ連れ去られるのだった。
*
「……水月とは、水に映った月のことだ。すなわち……って、しんべヱ! 寝るんじゃない!」
何度も何度も教えて、それでもちっとも頭に入れてくれない教え子たち。一年は組に胃が痛くなるばかりだ。腹をさすりながら授業を進めていると、ガラリと大きな音を立てて戸が開かれた。
「土井先生。授業中悪いんだがな……」
「あれぇ? 山田先生に大木先生? どうされたんですかー?!」
「お前たち、静かに! 忍たまの友を読んでおきなさい」
「「「はーい」」」
ざわつく忍たまを落ち着かせ、深刻そうな顔をした山田先生と大木先生のそばへ駆け寄った。少し遅れて食堂のおばちゃんもやって来て、後ろ手で戸を閉めつつ四人でこそこそ話す。授業中だからか、廊下には私たち以外いない。
「食堂のおばちゃんまで……。一体何があったんです?」
「名前ちゃんがね、荷物を受け取るために勝手口から出て行ったきり、居なくなっちゃったのよ! それで、山田先生に相談してたら大木先生を見かけて」
「私は畑で変な話を聞いたもんで。嫌な予感がして学園に来たところです」
「大木先生、変な話とは……?」
「赤いサングラスの男二人が、金楽寺だとか、占いとか、戦の愚痴を言っておったんです」
「そうだ、半助。食堂の裏手にこれが落ちていたんだが……分かるか?」
「これは……。名前さんのものですが、」
山田先生から浅葱色の巾着を受け取り、中をそっと確認する。例のお札がぼんやり光を放ち、もう一枚くしゃりと紙が入っていた。破れないように広げると、書き殴ったような文字が並ぶ。
「山田先生、何か書いてあります。……金楽寺へ急げ……この筆跡は、魔界之先生……?」
「名前ちゃん、何で金楽寺なんかへ……? わたしが荷物を受け取りに行けば良かったわ」
「おばちゃん、私たちで何とかしますから」
「やはりドクタケですか。罠の可能性もありますな」
「大木先生のおっしゃる通り、罠かもしれません。でも、名前さんが……!」
「うむ、そりゃあ面白い。……土井先生、もちろん行くだろ?」
憔悴するおばちゃんを慰めながら、好戦的な瞳でニヤリとする大木先生と頷き合う。
私と大木先生は金楽寺へ。他の先生達はドクタケ城へ向かうよう、山田先生から学園長に話をしてくれることになった。
「山田先生、ありがとうございます。は組の授業は……」
「いいから、あとは私に任せておきなさい」
山田先生は自慢げにあご髭を撫でる。手短に礼を言うと、どこんじょー!と叫ぶ大木先生と共に廊下を駆け出した。
金楽寺のお札と名前さんと……。それらが出会うことによって、恐れていることが起こってしまわないだろうか。激しい動悸に呼吸が乱される。
「二人とも、無茶はするなよ」
遠くから聞こえる山田先生の声を背に、二人で金楽寺へと向かうのだった。
*
「金楽寺だ」
「別の部隊はもう着いているか」
男の話し声とともに、ガタゴト揺れる荷車がぴたりと止まる。
被せられた藁の敷物が取り払われたせいで、一気に視界が明るくなった。太陽の眩しさに、思わず目を瞬かせる。キョロキョロとあたりを確認すると、赤い忍装束の男達が数人見えた。
……ドクタケの人たちだ。
荷台から降ろされると、男に担がれながら石段を登っていく。縛られた部分がヒリヒリと痛い。
「ぅう、んんーっ!!」
全身をバタつかせ抵抗しても、芋虫のように拘束されて何もできない。しばらく暴れた後、だらんと力が抜ける。どうしたら逃げ出せるか、必死に考えを巡らせた。
「ほら、着いたぞ!」
境内を抜け、本堂に連れられると腕を突き放される。急に支えがなくなり、軋む床にドスンと座り込んだ。縄を解かれて、はあはあと荒い呼吸を繰り返す。
正面には立派な仏像がそびえ、その周りには煌びやかな装飾が施されている。お供物がいくつも並べられ、大きな蝋燭には橙色の炎が揺らめく。お香の甘く粉っぽい匂いが漂い、それがさらに緊張感を高める。心臓がうるさく鳴って、手のひらに汗が滲んだ。
「おい、ドクタケ忍者よ、何をする……!?」
「和尚さまもなかなかしぶといですなぁ。早く例の札を渡せばいいものを」
「八方斎め、こんなことをしおって!」
和尚さまはドクタケ忍者に両腕を掴まれ、八方斎と呼ばれた頭の大きな男と睨み合っている。いつもの穏和な表情は変わらないのに、放たれる気配に焦りを感じる。
「そこのお嬢さんは、たしか……」
「わ、わたし、名前です! 和尚さま……」
「なぜ彼女まで巻き込むのじゃ!」
「そのお札を使うのに必要なのだ。よく当たる占い師とやらで、特別な力があるようだな? ……おい! 風鬼、雨鬼」
「はっ! 寺の中を探しましたが、まだお札が見つかりません」
「和尚さまよ。早く出さないと、この女がどうなっても知らんぞ!」
八方斎が怒りを滲ませた声を上げる。それが合図となって、ドクタケ忍者が一斉に武器を突きつけてくる。向けられた尖った金属に、身体が硬直して動けない。息を押し殺し、じっと固まる。
「わ、わかった。渡すから、危害を加えるようなことはするでない!」
「よーし、それで良い」
「わたしは……! 私には、そんな力なんか無いですってば!」
「ふんっ。また、そんなたわごとを」
ドクタケ一味が鼻で笑う。
和尚さまは観念したように顔を歪め、懐に手を突っ込むと細長い木箱を取り出した。
……ドクタケの手に、お札が渡ってしまう。だめだ、絶対だめなのに……! 良からぬことを願うなんて分かりきっているのだ。
八方斎が受け取りふたを開けると、古びたお札をぺらっと持ち上げる。
「こ、これが……!」
「「「おお〜っ!」」」
「って。何が書いてあるのか、わしにはさーっぱり分からん」
ドクタケ忍者が一斉にずっこけるのを気にもせず、八方斎がこちらに近づいてくる。手にはお札と、紐で結ばれた銭が揺れていた。
「名前と言ったな? ……さあ、このお札に向かってドクタケ軍の勝利を願うのだ!」
「いやですっ! そんなこと……!」
勇気を振り絞り、八方斎を睨みつける。手にお札を押し付けられ咄嗟に握ると、瞬く間にぱあっと明るく輝いた。堂内にどよめきが起こる。
……どうしよう。
これで、この世界から消えてしまったら。みんなに、何ひとつ挨拶できずに戻ってしまったら……。嫌な予感が現実になってしまいそうだ。喉の奥が詰まったように苦しくて、視界が涙でぼやけてくる。
「なんと、素晴らしい! さあさあ、早く言った通りにするのだ!」
「わたし、絶対にお願いなんてしませんからっ!」
「……うむ、そうか。そこまで言うなら……。戦の前に、忍術学園へ兵を送り込んで叩きのめしてやっても良いかもなあ?」
「そ、そんな……!」
「ならば、願うしか無いだろう? どうするんだ、」
目の前に銭をゆらゆらと揺らされ、ぼんやりと見つめる。催眠術、なのかな……?
耳の奥に「だんだん、ドクタケの勝利を願いたくなーる……」という声が聞こえてくる。繰り返されるその言葉に、そう願わなければいけない気がして……。そう願いたくなって……。
口を開きかけたとき――
パンッと乾いた破裂音が本堂に響き、あたりが白い煙幕に包まれる。煙ごしに、天井からスーッと二つの黒い影が落ちてきた。
「名前! どこんじょーで走れっ!」
聞き慣れた大きな声に、ぐぐっと意識が引き戻される。もやがかかって何も見えないけれど、明るい方向へと力を振り絞り駆け出した。
「待てーっ!」と荒々しい怒号が飛び交い、金属のぶつかり合う甲高い音が耳に届く。そんななか、足元にコロコロとチョークのかけらが転がってきて慌てて避けた。
雅之助さんと土井先生が助けに来てくれたんだ……! そう思って、一気に力がみなぎってくる。
お札を握りしめ境内に出ると、冷たい風が吹きぬけた。赤い忍装束がわらわらと集まりゆく手を阻まれる。どこへ逃げて良いか全く分からない。小石が敷かれた地面に足の裏がくっ付いてしまったかのようだ。恐怖心におそわれ動けないでいる。
……助けて! ここに、みんなと、ずっと一緒にいたいの!
お札を見つめ、強く願う。
けれど何も起こらない。私が消えることもない。ただただ、それは不気味に光り続けていた。
「もう観念するんだな!」
「さっさと八方斎様の言う通りにしろ!」
ぶんぶんと頭を振り周囲を確認する。左手から灰色の煙が風に乗って流れてくるのを見つけると、寺の奥へと走っていく。
途中、前から男が襲いかかってくる。すんでのところで地べたへ伏せて小さく丸まった。男は「うわあっ!」という声と共につまずいたようだ。転ぶ赤いかたまりを視界の端に捉える。
手裏剣とチョークが乱れ飛ぶなか、背後から私を呼ぶ声が聞こえてくる。
それでも砂利を踏みしめながら走り続け、灰色の煙が徐々に濃く黒くなっていく。
木材がバラバラと積まれ、めらめらと大きな炎が立ちのぼる場所へたどり着いた。……何かを焚き上げているんだ。
もう、こうするしかない。
貴重な品だけど、ドクタケの手に渡ることは絶対に避けたかった。迷いを捨て、まるで手裏剣を打つかのようにスッと火の中へ丸めた紙を投げ込んだ。
くしゃくしゃになったお札が、放物線を描いて煙の中へと吸い込まれていく。
この札が燃え尽きたら、私は消えてしまうかもしれない。でも、それよりも、みんなが傷つくのは耐えられなかった。
「戦うのはやめて! 忍術学園のみんなに、手を出さないでっ! お願い、お願いだから……」
どうしたら願いが叶うかなんて分からない。ぎゅっと固く目をつむった瞬間。
煙のチリが鼻に触れ、むずむずが止まらない。
「っ、くしゅん……!」
がくりと全身の力が抜け、目の前が真っ暗闇に変わっていく。地面に叩きつけられる強い衝撃を覚悟するも、柔らかくて温かい感覚に包まれる。
煙の焦げたにおいに混じって、いつもの、あの人の香りが鼻腔に届く。それは気持ちを落ち着かせる、なんとも幸せな香りで。
必死に私を呼ぶ声が聞こえる。
それに答えることもできず、ただその温もりに身を任せた。
*
不思議な夢を見ていた。
頭を覆うものが付いた生成り色の上衣に、下衣はひらひら波打つ桃色の布を纏った姿で……。一番最初に着ていた、南蛮衣装みたいなもの。
桜が咲きほこる境内。
あちらこちらに屋台が並んでにぎやかだ。甘い菓子や、香ばしい匂いがあたりを漂う。
小さな寺務所にはお守りやおみくじが置かれていた。その小窓越しから、「このお守りください」なんて話をしている。小松田くんによく似た作務衣をきた青年は、にこにこしながらお守りらしき札をひとつ手に取った。
「昔、忍者だった和尚さまがいたって本当なんですか?」
「そうそう、本当らしいんだ!」
「すごいですね! 私も、忍者に会ってみたいなぁ」
「はい、お守りですよ〜」
「ありがとうございますっ」
「あっ、ちょっと待って〜! それは……!」
「ええっ……?」
――忍者に会ってみたい。
そんな子どもっぽいことを考えていると、寺務員のお兄さんが慌てている。どうしたんだろう?と手元の札を見つめた。
その瞬間。
強い風が吹いて、桜の花びらが舞い散る。
すっと鼻の頭を掠めていき、なんだかむず痒くなって……。
「……っ、くしゅん!」
視界が消えたみたいに何も見えない。
そこで、ぷつりと意識が途絶えたのだった。
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