枠を越えて(前編)
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ふかふかのベッドにごろんと横たわりながら、漫画をペラペラめくっている。読み終わって積み上がる高さに、何時間もそうしていた事がうかがえるほどだ。
……大木先生ってば、乱太郎くんに枠線間違えられちゃって。それでも構わず話し続けてる。豪快なのか我が道を行くって感じなのか……。
ふと、窓の外に目をやる。
ピンク色とオレンジ色と……少しの紫色が混じった、なんとも言えない空が広がっていた。
綺麗なんだけど、すこし切なくなる。
もうじき、日が暮れそうだ。
……そろそろ夕飯を作らなきゃいけないけれど、自分一人のために頑張るのも面倒で。
漫画を枕元に置くと、少しの間だけまぶたを閉じる。
最近は色んなことがありすぎて疲れた。うーんと伸びをすると、そのまま眠ってしまいそうだ。
*
――どすんっ
ガサガサという音と、男の人の騒ぐ声が聞こえてパチリと目が覚めてしまった。
なんだか騒がしい。
部屋の中は薄暗くてよく見えず、それも不安を煽る。ミュートで付けっぱなしのテレビからは、色鮮やかな光が飛び散るように壁に映っていた。
この狭い部屋には私一人しかいないのに、人の気配を感じて動悸がうるさい。呼吸が早くなって、冷や汗がたらりと流れ落ちていく。
……どうしよう。
まさか、泥棒!?
すぐ電話できるように、腕だけ静かに動かして携帯を探る。
確かこの辺に置いたはず……!
――ガタッ
し、しまった……!
指先で触れたのに、掴み損ねて床に落としてしまった。
「おお、起きたか?」
「……ひゃぁッ!だ、だれ?!な、な、なんでここに!」
「わしもよく分からんのだ」
「……はあ? け、け、警察、呼びますからねっ!」
「……その、けいさつとやらは何か知らんが」
さっきから変なことばかり言って……!
上体を起こし、小さなテーブルを挟んで向こうに立っている侵入者に目を凝らす。
一体なんなの!?
侵入したくせに呑気なことを言って。
……どうやって逃げたらいい?
ああ、もう終わりだ。
床に落ちた携帯を拾い上げると、とっさにライトをつけて男に向ける。
あれ……この人、どこかで見たことあるかも……?
でも、まさか……!?
えーっ……本当に、そんなことってある?
「お、大木雅之助先生……みたい、なんですけど!?」
「みたい、じゃなくてその通りだ。お前、なんでわしのことを知ってるんだ?」
「えっと、だって……さっき読んでた漫画に……!」
「漫画ぁ?……何だか知らんが、枠を超えて出てきたらここに来てしまった」
「じゃ、じゃあほんとに、本当に大木先生なんですかっ!? ……あの、ラッキョを育ててる?」
「だから、そうだと言っているだろう」
「えっ、と……ぺ、ペット飼ってますよね?!」
「よく知ってるな!ラビちゃんとケロちゃんだが」
「わぁ……、やっぱり本物なのかな」
「疑われても仕方がないが……。ここはどこだ?」
「私の家です!あ、あの、私は名前といいます、けど……」
壁伝いに明かりのスイッチを探してポチりと押すと、ようやく部屋全体が照らされた。急に明るくなって、眩しくて目をしばたかせてしまう。
やっぱりそこには、胸元がはだけた着物に袴と……鉢巻きを締めた大木先生がいて。茶色のボサボサの頭をわしわしと掻いて、困ったような顔をしていた。
……なんで!?
なんで、どうして。頭の中は?だらけで、思考力が無くなっていくようだ。
夢なのかな?!……いやいや、夢じゃない。
……え、漫画?
いや、テレビの枠から出てきたなんてことは?!
怖くなってリモコンを掴み取ると、慌てて電源を切る。
「うわぁっ!足が泥で汚れてます!」
「ああ、すまない。さっきまで畑仕事をしていたんだ」
大木先生をじっと観察すると、足元は草履をはいたままで、マットが土で少し茶色になってしまっていた。先生は汚れを気にして床に視線を落とすと、しまったなあと苦笑している。
まずはお風呂に入ってもらって、話しはそれからだ……!
「先生、お風呂に入りますか……?」
「そうだなあ。悪いが入らせてもらうか」
「湯船にお湯を張るので、少し待っててくださいっ!」
「分かった」
「あの、絶対にそこを動かないでくださいねっ?!」
「わしを疑ってるのか?」
「そ、そう言うわけじゃ……!」
……大きい身体で小さく所在なげにする姿がなんだかおかしい。
本当に、あの大木先生みたいだ。
そっくりだし、どう考えても先生そのもので。
いきなりお風呂なんて、ちょっと大胆だったかもしれない。でも、泥汚れがすごくて何とかしたかった。
湯船をゴシゴシしながら、これからのことを考える。
そうだ、服も着替えなきゃだし……。色々と教えてあげないと。きっと、お風呂も何もかも使い方分からないよね!?
ざぁっとシャワーで湯船を流すと、ピッとボタンを押してヘリに肘をついてしゃがむ。じゃぶじゃぶと溜まっていくお湯を見ながら、ため息が出てしまった。
……どうしよう。
でも、わくわくする気持ちが抑えきれない。
「大木先生、お待たせしました!って……ええ?!」
「面白いものがいっぱいあるなあ!」
「もうっ!動かないでって言ったのに!人の話し聞いてないんだから」
「すまんすまん、でも草履は脱いだぞ?」
「そう言う問題じゃないですっ!」
大木先生は裸足で部屋中を歩き回って、テレビをつんつん触ってみたり、冷蔵庫を開けてその冷たさに驚いていたみたいで。
「お風呂の使い方を教えるので、こっちに来てください!」
ここをひねるとお湯が出て、こっちに回すと冷たい水が出て……これがシャンプーで……なんて説明してあげたけれど、大丈夫だろうか?
私はそのすきに……自分が着てた男性物のTシャツを用意して……。
私にはかなりオーバーサイズだけど、大木先生にはピッタリかもしれない。ボトムは持ってないから袴を履いてもらうしかないか。……通販で色々と注文しよう。
「おおーい、名前っ!ちょっと来てくれ!」
「はーいっ、今行きますー!」
お風呂場からガチャガチャ音がする。壊されたらまずい……!
着替えのシャツとバスタオルを手にお風呂場へ向かうと、中からザーザーと水音が聞こえてきた。半透明の扉にもたれて大木先生に呼びかける。
「ど、どうしましたー?」
「水が止まらんのだ!」
「右の取っ手を回したら止まりませんかっ?!」
「分からんから見てくれ!」
「じゃあ、湯船に浸かっててくださいね……!」
……もう、どうしよう!
裸の先生がいると思うと頭がクラクラする。両方のほっぺたを叩いて気合を入れると、少し戸を開いて中の様子を伺う。
「ああーっ!シャワーがっ!」
「すまん!」
床に落ちたシャワーから水が飛び散って浴室が噴水のようになっている。濡れるのを覚悟でバッと中に飛び込むと、きゅっと蛇口を閉めた。びしょびしょになってしまったけれど、仕方がない。
「ふぅ。びっくりしたー」
「……難しいな」
「大木先生っ、どこんじょー!ですよ」
「ははは、そうだな!どこんじょー!だな」
湯船に沈み込んで、しゅんとしている姿が珍しくて。先生の口癖でおどけてみるとニカッと笑ってくれた。相変わらず、どこんじょー!と叫ぶ声がうるさくて耳が痛くなる。
「お前、濡れてしまったな。風呂入るか?」
「わ、私は後で入りますからっ!」
「そりゃそうだ。……なに赤くなってんだ?」
「……っ!」
ヘリに腕を組んで、目尻を下げながらこちらを楽しそうに見ている。
筋肉質のがっしりした肩と太い腕に浮かぶ筋や……元結を解かれてしっとりと濡れた茶色の長い髪に、どうしても目がいってしまう。
滑らかな肌にのった、玉のような水滴がこぼれ落ちそうで……その行方を見つめていたくなる。
……大木先生って、こんなに色っぽかったっけ?
一人で勝手にドキドキして、変なことばかり頭に浮かぶから顔が熱い。
扉をバタンと開けて逃げ出すように飛び出すと、濡れてしまった髪をタオルでゴシゴシと拭きながら、気持ちを落ち着かせるようにぎゅっと目を瞑った。
*
「おーい、何もないじゃないか」
「……自分一人だと、てきとーで」
大木先生がお風呂から上がり、そろそろ夕飯作らないと……と冷蔵庫を開ける。この中に食材を保管するんですよ、なんて教えたら興味津々で覗かれてしまったけれど、中は空っぽで。大木先生は濡れた髪をタオルで拭きながら口を尖らせている。
「あっ、でも、納豆ならありますけど?」
「はあ!?わしは食わんぞ!」
「あはは、やっぱり苦手なんですね」
「知ってて言ったのか……!」
「先生が忍者だってことも……知ってますよ?」
「そ、そうなのかっ?!」
「それじゃ、買い物に行きますから。先生はお家で待っててくださいね」
「こんな夜に女一人で行かせられん」
「そんな心配しなくても……。うーん。……一緒に、行きますか?」
「もちろんだ!」
大木先生は白いTシャツと袴姿に草履で、変な格好かもしれない。しかも鉢巻きをしっかり締めて。
近くのスーパーだから、まあ良しとしよう。
私も部屋着から着替えて、カチャリとドアに鍵をかける。
アパートの外廊下からは、遠くにそびえる背の高い建物の小さな赤い光がキラキラしている。夜空には細っそりした月は見えるけれど、星は数えるほどしかない。忙しなく行き交う車の走行音が鳴り響き、ざらついた埃っぽい匂いが漂う。
「……大木先生のいた所とは、全然違いますよね」
「こんな風景は見たことがない」
先生をチラリと窺うと、すこし切なそうな表情で。
空気を変えたくてぎゅっと腕を掴んだ。
「さっ!美味しいものいっぱい買いましょう!」
「そうだな」
大木先生は、エレベーターも、道路を歩くのも、信号も、自動車も……何もかも目をまん丸にして驚いていた。大きな身体でびっくりされると、こちらも何事っ!?と身構えてしまうのに。
街灯に照らされたコンクリートを二人で歩きながら、ぽつぽつ会話を重ねる。
「そういえば……この着替え、男物だろう?その、わしがいて大丈夫なのか?」
「あ、それは私が着てたので大丈夫ですっ。……一人で暮らしてるし、そんなヒトもいないので……」
「女一人で暮らすなんて、大変だなあ」
「そんな事ないですよ」
「食材も満足に買えないで、着てるものも半端な丈じゃないか」
「いえ、そうじゃないんですって!」
ただ面倒で買い出しに行ってなかったのに。服だって、部屋着だからゆるっとしたシャツに短めのパンツだ。外出する時は、もちろんきちんとする。
ここでは普通なんだけど、先生からは奇妙に見えるのだろう。すごく心配されてしまって苦笑いしつつも、内心ちょっと嬉しい。
小さいスーパーに着くと、大木先生はその明るさと品揃えに再び驚いていた。美味しい野菜の見分け方を教えてもらいながら、カゴにぽんぽん詰め込んでいく。
周りの人が不思議そうにこちらを見ていたけれど、大木先生と買い物だなんて状況に浮かれて全く気にならなかった。
家に着くと、大木先生に持ってもらった荷物を受け取り片付けていく。
「いっぱい買いましたねー!荷物持ってくれてありがとうございます」
「構わん。それにしても、信じられんことばかりで目が回りそうだ」
「びっくりですよねえ。すぐにご飯作るんで、先生は休んでてください」
大木先生に休むように伝えると少し困ったような顔をしていて、言葉を促すように首を傾げた。
「いや、わしも手伝う。世話になってばかりでは落ち着かんのだ」
「じゃあ……ぜひ一緒にお願いします!」
気にしなくてもいいと言おうと思ったけれど、その気持ちが嬉しいのと一緒に料理がしたくて、申し出に甘えてしまった。
二人で野菜の皮を剥いたり、トントンと刻んだり……。
先生は、綺麗な野菜だとびっくりしていて。手に取ると繁々と眺めていた。下ごしらえをお願いすると、その包丁捌きはとても鮮やかで。こんなに料理上手だったっけ?なんて思いながら手を動かすのだった。
しばらくすると、大根とにんじんと葉物が入った具沢山の味噌汁と煮魚に炊き立てのご飯が出来上がった。
小さなローテーブルを囲むようにして少し遅い夕飯をいただく。
あつあつの野菜汁からはふわりと味噌のいい香りが漂い、煮魚はつやつやした照りが食欲を刺激する。
「こちらのラッキョ漬け、いかがですか?」
「なかなか美味いな」
「大木先生のラッキョ漬け食べてみたいです」
「お、いいぞー。食わしてやる」
「嬉しいですっ。あ、先生って意外とお料理上手なんですね!」
「わしも一人暮らしだからな!何でもできるぞ」
「一人で畑作られてますもんね」
「そうだ!それに、野菜だって美味しく食べてもらいたいだろう」
ぱくぱくと豪快に頬張りながら、その瞳は優しさに溢れていて。
……野菜のこと、本当に大切なんだな。
隣に座る横顔を幸せな気持ちで眺めていた。
私もゴロゴロの野菜を口へ放り込むと、柔らかくじんわり染みた味わいに笑みが溢れる。
それは、味だけではなくて。
二人で……大木先生と一緒に食べるから美味しくて楽しいんだ、きっと。
――月明かりが漏れるだけの薄暗い部屋。
眠る支度を済ませて、ベッドに転がる。
「大木先生、本当に床で寝るんですか?」
「わしは忍びだ、どこでも構わん」
「まあ、そうなんですけど……。一応お客さまだし」
「気にするな!もう寝るぞ」
「……はーい。おやすみなさい」
ぐーぐーといびきをかきながら、床で寝ている先生が気になって眠れない。野菜のこと、ラビちゃんケロちゃんだって心配だろうに。
早く戻れるようにしなきゃと焦る反面、ずっとここに居てくれたら良いのにな……なんて思って、ちくりと胸が痛む。
誰かと一緒って、いいな。
……いや、大木先生だからかな?
豪快さの中に優しさがあって。
こんな状況なのに、色々と心配してくれるからつい寄りかかってしまいたくなる。
……明日から、どうしよう。
色々と考えては恥ずかしくなって、布団を頭までかぶると何度も寝返りを打つのだった。
……大木先生ってば、乱太郎くんに枠線間違えられちゃって。それでも構わず話し続けてる。豪快なのか我が道を行くって感じなのか……。
ふと、窓の外に目をやる。
ピンク色とオレンジ色と……少しの紫色が混じった、なんとも言えない空が広がっていた。
綺麗なんだけど、すこし切なくなる。
もうじき、日が暮れそうだ。
……そろそろ夕飯を作らなきゃいけないけれど、自分一人のために頑張るのも面倒で。
漫画を枕元に置くと、少しの間だけまぶたを閉じる。
最近は色んなことがありすぎて疲れた。うーんと伸びをすると、そのまま眠ってしまいそうだ。
*
――どすんっ
ガサガサという音と、男の人の騒ぐ声が聞こえてパチリと目が覚めてしまった。
なんだか騒がしい。
部屋の中は薄暗くてよく見えず、それも不安を煽る。ミュートで付けっぱなしのテレビからは、色鮮やかな光が飛び散るように壁に映っていた。
この狭い部屋には私一人しかいないのに、人の気配を感じて動悸がうるさい。呼吸が早くなって、冷や汗がたらりと流れ落ちていく。
……どうしよう。
まさか、泥棒!?
すぐ電話できるように、腕だけ静かに動かして携帯を探る。
確かこの辺に置いたはず……!
――ガタッ
し、しまった……!
指先で触れたのに、掴み損ねて床に落としてしまった。
「おお、起きたか?」
「……ひゃぁッ!だ、だれ?!な、な、なんでここに!」
「わしもよく分からんのだ」
「……はあ? け、け、警察、呼びますからねっ!」
「……その、けいさつとやらは何か知らんが」
さっきから変なことばかり言って……!
上体を起こし、小さなテーブルを挟んで向こうに立っている侵入者に目を凝らす。
一体なんなの!?
侵入したくせに呑気なことを言って。
……どうやって逃げたらいい?
ああ、もう終わりだ。
床に落ちた携帯を拾い上げると、とっさにライトをつけて男に向ける。
あれ……この人、どこかで見たことあるかも……?
でも、まさか……!?
えーっ……本当に、そんなことってある?
「お、大木雅之助先生……みたい、なんですけど!?」
「みたい、じゃなくてその通りだ。お前、なんでわしのことを知ってるんだ?」
「えっと、だって……さっき読んでた漫画に……!」
「漫画ぁ?……何だか知らんが、枠を超えて出てきたらここに来てしまった」
「じゃ、じゃあほんとに、本当に大木先生なんですかっ!? ……あの、ラッキョを育ててる?」
「だから、そうだと言っているだろう」
「えっ、と……ぺ、ペット飼ってますよね?!」
「よく知ってるな!ラビちゃんとケロちゃんだが」
「わぁ……、やっぱり本物なのかな」
「疑われても仕方がないが……。ここはどこだ?」
「私の家です!あ、あの、私は名前といいます、けど……」
壁伝いに明かりのスイッチを探してポチりと押すと、ようやく部屋全体が照らされた。急に明るくなって、眩しくて目をしばたかせてしまう。
やっぱりそこには、胸元がはだけた着物に袴と……鉢巻きを締めた大木先生がいて。茶色のボサボサの頭をわしわしと掻いて、困ったような顔をしていた。
……なんで!?
なんで、どうして。頭の中は?だらけで、思考力が無くなっていくようだ。
夢なのかな?!……いやいや、夢じゃない。
……え、漫画?
いや、テレビの枠から出てきたなんてことは?!
怖くなってリモコンを掴み取ると、慌てて電源を切る。
「うわぁっ!足が泥で汚れてます!」
「ああ、すまない。さっきまで畑仕事をしていたんだ」
大木先生をじっと観察すると、足元は草履をはいたままで、マットが土で少し茶色になってしまっていた。先生は汚れを気にして床に視線を落とすと、しまったなあと苦笑している。
まずはお風呂に入ってもらって、話しはそれからだ……!
「先生、お風呂に入りますか……?」
「そうだなあ。悪いが入らせてもらうか」
「湯船にお湯を張るので、少し待っててくださいっ!」
「分かった」
「あの、絶対にそこを動かないでくださいねっ?!」
「わしを疑ってるのか?」
「そ、そう言うわけじゃ……!」
……大きい身体で小さく所在なげにする姿がなんだかおかしい。
本当に、あの大木先生みたいだ。
そっくりだし、どう考えても先生そのもので。
いきなりお風呂なんて、ちょっと大胆だったかもしれない。でも、泥汚れがすごくて何とかしたかった。
湯船をゴシゴシしながら、これからのことを考える。
そうだ、服も着替えなきゃだし……。色々と教えてあげないと。きっと、お風呂も何もかも使い方分からないよね!?
ざぁっとシャワーで湯船を流すと、ピッとボタンを押してヘリに肘をついてしゃがむ。じゃぶじゃぶと溜まっていくお湯を見ながら、ため息が出てしまった。
……どうしよう。
でも、わくわくする気持ちが抑えきれない。
「大木先生、お待たせしました!って……ええ?!」
「面白いものがいっぱいあるなあ!」
「もうっ!動かないでって言ったのに!人の話し聞いてないんだから」
「すまんすまん、でも草履は脱いだぞ?」
「そう言う問題じゃないですっ!」
大木先生は裸足で部屋中を歩き回って、テレビをつんつん触ってみたり、冷蔵庫を開けてその冷たさに驚いていたみたいで。
「お風呂の使い方を教えるので、こっちに来てください!」
ここをひねるとお湯が出て、こっちに回すと冷たい水が出て……これがシャンプーで……なんて説明してあげたけれど、大丈夫だろうか?
私はそのすきに……自分が着てた男性物のTシャツを用意して……。
私にはかなりオーバーサイズだけど、大木先生にはピッタリかもしれない。ボトムは持ってないから袴を履いてもらうしかないか。……通販で色々と注文しよう。
「おおーい、名前っ!ちょっと来てくれ!」
「はーいっ、今行きますー!」
お風呂場からガチャガチャ音がする。壊されたらまずい……!
着替えのシャツとバスタオルを手にお風呂場へ向かうと、中からザーザーと水音が聞こえてきた。半透明の扉にもたれて大木先生に呼びかける。
「ど、どうしましたー?」
「水が止まらんのだ!」
「右の取っ手を回したら止まりませんかっ?!」
「分からんから見てくれ!」
「じゃあ、湯船に浸かっててくださいね……!」
……もう、どうしよう!
裸の先生がいると思うと頭がクラクラする。両方のほっぺたを叩いて気合を入れると、少し戸を開いて中の様子を伺う。
「ああーっ!シャワーがっ!」
「すまん!」
床に落ちたシャワーから水が飛び散って浴室が噴水のようになっている。濡れるのを覚悟でバッと中に飛び込むと、きゅっと蛇口を閉めた。びしょびしょになってしまったけれど、仕方がない。
「ふぅ。びっくりしたー」
「……難しいな」
「大木先生っ、どこんじょー!ですよ」
「ははは、そうだな!どこんじょー!だな」
湯船に沈み込んで、しゅんとしている姿が珍しくて。先生の口癖でおどけてみるとニカッと笑ってくれた。相変わらず、どこんじょー!と叫ぶ声がうるさくて耳が痛くなる。
「お前、濡れてしまったな。風呂入るか?」
「わ、私は後で入りますからっ!」
「そりゃそうだ。……なに赤くなってんだ?」
「……っ!」
ヘリに腕を組んで、目尻を下げながらこちらを楽しそうに見ている。
筋肉質のがっしりした肩と太い腕に浮かぶ筋や……元結を解かれてしっとりと濡れた茶色の長い髪に、どうしても目がいってしまう。
滑らかな肌にのった、玉のような水滴がこぼれ落ちそうで……その行方を見つめていたくなる。
……大木先生って、こんなに色っぽかったっけ?
一人で勝手にドキドキして、変なことばかり頭に浮かぶから顔が熱い。
扉をバタンと開けて逃げ出すように飛び出すと、濡れてしまった髪をタオルでゴシゴシと拭きながら、気持ちを落ち着かせるようにぎゅっと目を瞑った。
*
「おーい、何もないじゃないか」
「……自分一人だと、てきとーで」
大木先生がお風呂から上がり、そろそろ夕飯作らないと……と冷蔵庫を開ける。この中に食材を保管するんですよ、なんて教えたら興味津々で覗かれてしまったけれど、中は空っぽで。大木先生は濡れた髪をタオルで拭きながら口を尖らせている。
「あっ、でも、納豆ならありますけど?」
「はあ!?わしは食わんぞ!」
「あはは、やっぱり苦手なんですね」
「知ってて言ったのか……!」
「先生が忍者だってことも……知ってますよ?」
「そ、そうなのかっ?!」
「それじゃ、買い物に行きますから。先生はお家で待っててくださいね」
「こんな夜に女一人で行かせられん」
「そんな心配しなくても……。うーん。……一緒に、行きますか?」
「もちろんだ!」
大木先生は白いTシャツと袴姿に草履で、変な格好かもしれない。しかも鉢巻きをしっかり締めて。
近くのスーパーだから、まあ良しとしよう。
私も部屋着から着替えて、カチャリとドアに鍵をかける。
アパートの外廊下からは、遠くにそびえる背の高い建物の小さな赤い光がキラキラしている。夜空には細っそりした月は見えるけれど、星は数えるほどしかない。忙しなく行き交う車の走行音が鳴り響き、ざらついた埃っぽい匂いが漂う。
「……大木先生のいた所とは、全然違いますよね」
「こんな風景は見たことがない」
先生をチラリと窺うと、すこし切なそうな表情で。
空気を変えたくてぎゅっと腕を掴んだ。
「さっ!美味しいものいっぱい買いましょう!」
「そうだな」
大木先生は、エレベーターも、道路を歩くのも、信号も、自動車も……何もかも目をまん丸にして驚いていた。大きな身体でびっくりされると、こちらも何事っ!?と身構えてしまうのに。
街灯に照らされたコンクリートを二人で歩きながら、ぽつぽつ会話を重ねる。
「そういえば……この着替え、男物だろう?その、わしがいて大丈夫なのか?」
「あ、それは私が着てたので大丈夫ですっ。……一人で暮らしてるし、そんなヒトもいないので……」
「女一人で暮らすなんて、大変だなあ」
「そんな事ないですよ」
「食材も満足に買えないで、着てるものも半端な丈じゃないか」
「いえ、そうじゃないんですって!」
ただ面倒で買い出しに行ってなかったのに。服だって、部屋着だからゆるっとしたシャツに短めのパンツだ。外出する時は、もちろんきちんとする。
ここでは普通なんだけど、先生からは奇妙に見えるのだろう。すごく心配されてしまって苦笑いしつつも、内心ちょっと嬉しい。
小さいスーパーに着くと、大木先生はその明るさと品揃えに再び驚いていた。美味しい野菜の見分け方を教えてもらいながら、カゴにぽんぽん詰め込んでいく。
周りの人が不思議そうにこちらを見ていたけれど、大木先生と買い物だなんて状況に浮かれて全く気にならなかった。
家に着くと、大木先生に持ってもらった荷物を受け取り片付けていく。
「いっぱい買いましたねー!荷物持ってくれてありがとうございます」
「構わん。それにしても、信じられんことばかりで目が回りそうだ」
「びっくりですよねえ。すぐにご飯作るんで、先生は休んでてください」
大木先生に休むように伝えると少し困ったような顔をしていて、言葉を促すように首を傾げた。
「いや、わしも手伝う。世話になってばかりでは落ち着かんのだ」
「じゃあ……ぜひ一緒にお願いします!」
気にしなくてもいいと言おうと思ったけれど、その気持ちが嬉しいのと一緒に料理がしたくて、申し出に甘えてしまった。
二人で野菜の皮を剥いたり、トントンと刻んだり……。
先生は、綺麗な野菜だとびっくりしていて。手に取ると繁々と眺めていた。下ごしらえをお願いすると、その包丁捌きはとても鮮やかで。こんなに料理上手だったっけ?なんて思いながら手を動かすのだった。
しばらくすると、大根とにんじんと葉物が入った具沢山の味噌汁と煮魚に炊き立てのご飯が出来上がった。
小さなローテーブルを囲むようにして少し遅い夕飯をいただく。
あつあつの野菜汁からはふわりと味噌のいい香りが漂い、煮魚はつやつやした照りが食欲を刺激する。
「こちらのラッキョ漬け、いかがですか?」
「なかなか美味いな」
「大木先生のラッキョ漬け食べてみたいです」
「お、いいぞー。食わしてやる」
「嬉しいですっ。あ、先生って意外とお料理上手なんですね!」
「わしも一人暮らしだからな!何でもできるぞ」
「一人で畑作られてますもんね」
「そうだ!それに、野菜だって美味しく食べてもらいたいだろう」
ぱくぱくと豪快に頬張りながら、その瞳は優しさに溢れていて。
……野菜のこと、本当に大切なんだな。
隣に座る横顔を幸せな気持ちで眺めていた。
私もゴロゴロの野菜を口へ放り込むと、柔らかくじんわり染みた味わいに笑みが溢れる。
それは、味だけではなくて。
二人で……大木先生と一緒に食べるから美味しくて楽しいんだ、きっと。
――月明かりが漏れるだけの薄暗い部屋。
眠る支度を済ませて、ベッドに転がる。
「大木先生、本当に床で寝るんですか?」
「わしは忍びだ、どこでも構わん」
「まあ、そうなんですけど……。一応お客さまだし」
「気にするな!もう寝るぞ」
「……はーい。おやすみなさい」
ぐーぐーといびきをかきながら、床で寝ている先生が気になって眠れない。野菜のこと、ラビちゃんケロちゃんだって心配だろうに。
早く戻れるようにしなきゃと焦る反面、ずっとここに居てくれたら良いのにな……なんて思って、ちくりと胸が痛む。
誰かと一緒って、いいな。
……いや、大木先生だからかな?
豪快さの中に優しさがあって。
こんな状況なのに、色々と心配してくれるからつい寄りかかってしまいたくなる。
……明日から、どうしよう。
色々と考えては恥ずかしくなって、布団を頭までかぶると何度も寝返りを打つのだった。
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