今夜は指輪を外さないで
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夜も更けたころ。
カーテンを閉め切り、リビングはスタンドライトの灯りだけ。座り心地のよいソファの上で膝をかかえ、彼の帰りを待っていた。
ふたりで住む部屋はこじんまりとしていて、壁には不思議な絵がいくつも飾られている。床には片付けきれなかった通販グッズがずらりと並ぶ。どこもかしこも、魔界之先生の独特なセンスに溢れていた。
先生は、もともと住んでいるマンションに後から引っ越してきたのだ。お隣さんと言うことで、いつの間にか親しくなっていった。
最初に出会った時からヘンな人で、それは今でも変わらない。引っ越しの挨拶用に洗剤を通販したつもりが失敗して、"ぜんざい"が届いたと笑いながら渡されて。それを受け取る私もおかしいけれど……。気を許してしまう、柔らかな雰囲気がそうさせたのかもしれない。
それから、廊下やエレベーターやゴミ置き場ですれ違うたび会話を重ね、音楽の先生と知って、いつの間にか惹かれあって。今では一緒に暮らしている。
左手をライトにかざす。
薬指におさまった銀色の輝きを少し得意な気持ちで見つめ、また視線をぼんやりさせた。
どれくらい経っただろう。
オレンジ色の優しい光が眠気をさそい、つい眠ってしまいそうになる。いけない、いけない……! ぶんぶんと頭を振って目を擦った。
「……先生、まだ帰ってこないのかな」
うーん、と伸びをしてからスマホを手に取り時間を確認する。だいぶ前に"もうすぐ帰りますよ"と連絡があったきりだ。何かあったのか心配するのはもちろん、おかえりなさいと出迎えたくて……。うずくまったまま、少しの間まぶたを閉じた。
*
「んん〜! あれ、おかしいなあ」
ガサゴソと物音がしたあと、男の人の声が聞こえる。のんびりしていて、気の抜けてしまうような、そんな声だ。
……もしかして、魔界之先生!?
パッと顔を上げてあたりを見回す。まばたきを繰り返し、ぼやけた視界がだんだんクリアになってくると、そこには待ち侘びた彼の姿があった。壁ぎわのチェストの前で、ワイシャツにネクタイを緩めた先生が必死で手を引っ張っている。
「せ、せんせ……!」
「名前さん、起こしちゃいましたか。遅くなってすみません」
「いえ、わたし寝ちゃってたみたいで……。何か、あったんですか?」
「帰り際に、ちょっとトラブルがあってね。でも大丈夫。……うーん。こりゃ、なかなかしぶといぞ」
部屋の中なのに、赤いサングラスをかけたまま。黒いたっぷりとした髪は少し乱れて、なんとなく疲労感が伝わってくる。先生は私に優しく笑いかけたかと思ったら、すぐにまた指を引っ張りだした。
「先生、さっきから何を」
「ああ。これはね、指輪が取れないのだよ」
「指輪が……? 見せてくださいっ」
こっちこっち、というように手招きして先生をソファに座らせる。ずしりと男性の重さで沈み込むから、少しだけ彼に近づいてしまう。座り直して身体を先生の方へ向けると、ふっくらとした手を包み覗き込んだ。
「わ、赤くなっちゃってます」
「無理やり外そうとしたら、余計に取れなくなってね」
「つけたままじゃダメですか?」
「まあ、それでも良いのだが」
左手の薬指にキラリと光る、同じデザインのもの。つーっと指先でなぞって冷たい質感を確かめると、お揃いという事実がやっぱり嬉しい。ずーっと外さないでいいのに……。なんて思うも、男の人には窮屈なのかもしれない。
「こーしたらどうでしょう?」
「ん、どれどれ」
「根本をおさえて、少しずつずらしていって……」
「いてて、」
「だめかぁ。ごめんなさい」
白くて綺麗な指を持ち上げ、指輪をつまむと上下や左右に小刻みに動かす。それでも関節でつまるのか、むくんで赤くなった皮膚にはピリリと痛むようだ。
「このままだと取れなさそうです」
「君と一緒、というのも悪くはないんだが……どうも落ち着かなくてね」
「私は、先生と一緒……嬉しいんですけど?」
柔らかな手を、きゅっと両手で握りしめる。ググッと距離をつめて肩に寄りかかってみると、くっついた部分が温かい。それが嬉しくてついつい甘えてしまうのだ。
先生は困ったように笑って、空いた方の手でやんわりと髪を撫でてくる。なんとも心地が良くて、さらに彼へとすり寄った。
「名前さんにそう言われると、ますます外せないじゃないか」
「ふふっ。あ、いいこと思いつきました!」
「おや、なんだね?」
たまたま目の端に入った小物入れに、ぱっとひらめく。……きっとこれを使えば痛みもなく取れるかもしれない。ローテーブルの小さなカゴからチューブを取り出して、彼の目の前に突き出す。先生は眉をひそめ、サングラスの奥の瞳が細められた。
「ハンドクリームですっ、これなら簡単に取れるかも!」
「なるほど、その手がありましたか」
「ちょっといいやつですけど、今日は特別ですよ?」
ひっつくように座り直し、イタズラっぽく先生に笑いかければ、タジタジになって頭をかいていた。お気に入りの、しかも高価なクリームだ。けれど先生と一緒に使えるなんてラッキーかもしれない。ニヤつく口元を抑え込むよう唇を結ぶと、むくんだ薬指へ白っぽいクリームをのせていく。
「指全体につけて、くるくるしてみますね」
「なんだかくすぐったいような、」
「我慢してくださいって」
指のはらを使ってクリームを伸ばし優しくさすっていく。体温でとろけたそれは、次第にぬるっと纏わりついた。先生の手指はふっくらして見えるのに、指の関節は意外と骨っぽい。男らしい指の感触と、クリームの濃厚な甘い香りに心臓がどきんと跳ねる。指輪をつまみ、そっと動かしてみると少しずつ取れていきそうだ。
「関節が抜けたら取れるかも、っ」
「そうですか! 全然痛くないです〜!」
「あともう少し……!」
指の付け根をおさえ、強めに引っ張り関節を抜けると、あとはするりと簡単に取れていった。その瞬間、ふたりで顔を見合わせる。
「わぁ、取れました!」
「助かりましたよ、ありがとう」
先生は満面の笑みで嬉しそうだ。無事に取れて良かったのに、その笑顔に少しだけ胸がチクッとする。指輪をソファの端において、先生の手を再び握る。もう少しだけ触れていたくて、でも恥ずかしくて口には出せない。最大級に頑張って、なんとかそれらしい理由を考えてみる。
「先生。……せっかくだから、手のマッサージしてあげます。むくみも、取れるでしょ?」
「君だって疲れているんだ、私は大丈夫だよ」
「クリーム出しすぎちゃったから。……ね、せんせ」
「……っ!」
自分から積極的なことを言って、恥ずかしい。でもきっと、熱くなった顔はサングラスのおかげでバレていないはず。それどころか、先生の方がほほをポッと染めている。男の人なのに可愛いなんて、他の女の人には見せてほしくない一面だ。
「少し痛くしちゃおーっと」
「ええっ、それは嫌なのだ〜!」
「冗談ですよっ」
先生の左手をそっと引き寄せ、太ももの上においてから両手で包み込む。クリームの滑りを使って、指を一本一本きゅっと握ったり、親指で手のひらを優しく押したり。
ときどき、「気持ちいいですか?」と聞きながらグリグリとツボを攻撃してイジメてみる。慌てて痛がる先生がおかしくて、謝りながらもニヤニヤが止まらない。
「先生、もうしませんから。そんな顔しないでくださいよー」
「君って子は……!」
今度は滑らかさを楽しむように、指の根本から上下に摩り上げる。親指と人差し指を使って、爪の先まで塗り込むと、ふにふにと弄んでは指全体を握りしめた。時折り、先生から漏れる吐息に煽られて、ますます手つきが緩慢になっていく。
ぬるぬると夢中で手指を絡ませているうちに、もっと彼を感じたくてヘンな気持ちになって……。どうしちゃったんだろう。
「名前さん、」
「どうされました、先生……?」
先生は右手で顔を覆うとポツリつぶやく。その声はいつもより低く響き、思わず動きを止めた。外にはねた前髪をかき上げ、ため息をつく先生を覗きこむ。
「あのだね、なんでずっと先生と呼ぶのかな?」
「えっ、と。呼びやすいし、それに……。名前では照れ臭くて」
「……こんな仲なのに?」
「きゃっ、」
いきなり腕を掴まれたと思ったら強く引かれ、先生の上にまたがって座らされる。腰におかれた手から逃げられない圧を感じ、身体がかあっと熱くなっていく。
変なきのこ柄のネクタイだなとか、スラックスに皺ができちゃう、なんてそんな事を考えているバヤイじゃなかった。向かい合う先の、赤いサングラスが妖しく光を反射する。
「……こうじ、さん」
「うむ、上出来です」
そう言うと、満足げに笑ってほほに触れてくる。クリームでぬるついた親指に目元を撫でられ、ふんわり香る甘い匂いに頭がクラクラしそうだ。くすぐったさに身をよじると、さらに強く引き寄せられる。
「こらこら、逃げちゃダメです」
「こうじさんの手、ベタベタしてるんだもの」
「それは君のせいですよ」
「だって、……ん、」
そっと唇を塞がれ、出かかった言葉を飲みこむ。カチャ、とサングラスがぶつかって、ほんの僅かに離れる。
「……これは邪魔なのだ」
先生は片手でサングラスを外し、シャツのポケットに忍ばせる。すると普段はなかなか見られない、彼の丸い瞳が露わになった。じっと射抜かれ視線を逸らせないまま、ぼんやりと整った顔を見つめ返す。スッとした鼻先も、ふくらんだほほも、目の下のほくろも。今は私だけのものだ。
「顔になにかついてるかな?」
「いえっ、素顔ってなかなか見られないから。……格好いいなって」
「嬉しいこと、言ってくれるじゃないですか」
ふ、と軽くほほ笑んでから、すーっと髪を梳かれる。そのままお互い身体を近づけると、もう一度唇が重なり合う。触れるだけのものから徐々に深くなって、息さえ満足にできない。
「んん、っ……ふあ…、っ」
ベタベタになった手を繋いで指を絡ませ合い、先生の思うままにされて。息苦しさのせいで無意識に身体が揺れる。もうしばらくは離してくれないだろうな……なんて甘さに浸っていると、コトンと小さな物音が響いた。
……なんだろう?
先生の胸元をやんわり押し返し、音のした方へと振り返ってみる。床に、銀色の煌めきが転がっていたのだ。
「こうじさんの指輪、落ちちゃったみたい」
「それはいけないですね。失くしてしまう」
「よいしょ、と」
「名前さん、気をつけて」
先生に支えられ、ソファから落ちないように腕だけ伸ばし指輪を拾い上げると、両手でしっかり手渡した。「ありがとう」とにこやかに言う先生は、指輪を摘んだあと、あろうことか再び薬指にはめて……
「……え!?」
「……ん? ああっ、私としたことが!」
先生の自然な動きに呆気にとられ、ふたりして目を丸くする。それから、ぷっと噴き出した。
「今日は、ずっと着けてましょうよ。こーじさんっ」
「あはは、そうするほかは無さそうだ」
うっかりとはいえ、家でも着けてくれるなんて嬉しくてたまらない。先生の胸元にぎゅっとしがみついて、くすくす笑うのだった。
カーテンを閉め切り、リビングはスタンドライトの灯りだけ。座り心地のよいソファの上で膝をかかえ、彼の帰りを待っていた。
ふたりで住む部屋はこじんまりとしていて、壁には不思議な絵がいくつも飾られている。床には片付けきれなかった通販グッズがずらりと並ぶ。どこもかしこも、魔界之先生の独特なセンスに溢れていた。
先生は、もともと住んでいるマンションに後から引っ越してきたのだ。お隣さんと言うことで、いつの間にか親しくなっていった。
最初に出会った時からヘンな人で、それは今でも変わらない。引っ越しの挨拶用に洗剤を通販したつもりが失敗して、"ぜんざい"が届いたと笑いながら渡されて。それを受け取る私もおかしいけれど……。気を許してしまう、柔らかな雰囲気がそうさせたのかもしれない。
それから、廊下やエレベーターやゴミ置き場ですれ違うたび会話を重ね、音楽の先生と知って、いつの間にか惹かれあって。今では一緒に暮らしている。
左手をライトにかざす。
薬指におさまった銀色の輝きを少し得意な気持ちで見つめ、また視線をぼんやりさせた。
どれくらい経っただろう。
オレンジ色の優しい光が眠気をさそい、つい眠ってしまいそうになる。いけない、いけない……! ぶんぶんと頭を振って目を擦った。
「……先生、まだ帰ってこないのかな」
うーん、と伸びをしてからスマホを手に取り時間を確認する。だいぶ前に"もうすぐ帰りますよ"と連絡があったきりだ。何かあったのか心配するのはもちろん、おかえりなさいと出迎えたくて……。うずくまったまま、少しの間まぶたを閉じた。
*
「んん〜! あれ、おかしいなあ」
ガサゴソと物音がしたあと、男の人の声が聞こえる。のんびりしていて、気の抜けてしまうような、そんな声だ。
……もしかして、魔界之先生!?
パッと顔を上げてあたりを見回す。まばたきを繰り返し、ぼやけた視界がだんだんクリアになってくると、そこには待ち侘びた彼の姿があった。壁ぎわのチェストの前で、ワイシャツにネクタイを緩めた先生が必死で手を引っ張っている。
「せ、せんせ……!」
「名前さん、起こしちゃいましたか。遅くなってすみません」
「いえ、わたし寝ちゃってたみたいで……。何か、あったんですか?」
「帰り際に、ちょっとトラブルがあってね。でも大丈夫。……うーん。こりゃ、なかなかしぶといぞ」
部屋の中なのに、赤いサングラスをかけたまま。黒いたっぷりとした髪は少し乱れて、なんとなく疲労感が伝わってくる。先生は私に優しく笑いかけたかと思ったら、すぐにまた指を引っ張りだした。
「先生、さっきから何を」
「ああ。これはね、指輪が取れないのだよ」
「指輪が……? 見せてくださいっ」
こっちこっち、というように手招きして先生をソファに座らせる。ずしりと男性の重さで沈み込むから、少しだけ彼に近づいてしまう。座り直して身体を先生の方へ向けると、ふっくらとした手を包み覗き込んだ。
「わ、赤くなっちゃってます」
「無理やり外そうとしたら、余計に取れなくなってね」
「つけたままじゃダメですか?」
「まあ、それでも良いのだが」
左手の薬指にキラリと光る、同じデザインのもの。つーっと指先でなぞって冷たい質感を確かめると、お揃いという事実がやっぱり嬉しい。ずーっと外さないでいいのに……。なんて思うも、男の人には窮屈なのかもしれない。
「こーしたらどうでしょう?」
「ん、どれどれ」
「根本をおさえて、少しずつずらしていって……」
「いてて、」
「だめかぁ。ごめんなさい」
白くて綺麗な指を持ち上げ、指輪をつまむと上下や左右に小刻みに動かす。それでも関節でつまるのか、むくんで赤くなった皮膚にはピリリと痛むようだ。
「このままだと取れなさそうです」
「君と一緒、というのも悪くはないんだが……どうも落ち着かなくてね」
「私は、先生と一緒……嬉しいんですけど?」
柔らかな手を、きゅっと両手で握りしめる。ググッと距離をつめて肩に寄りかかってみると、くっついた部分が温かい。それが嬉しくてついつい甘えてしまうのだ。
先生は困ったように笑って、空いた方の手でやんわりと髪を撫でてくる。なんとも心地が良くて、さらに彼へとすり寄った。
「名前さんにそう言われると、ますます外せないじゃないか」
「ふふっ。あ、いいこと思いつきました!」
「おや、なんだね?」
たまたま目の端に入った小物入れに、ぱっとひらめく。……きっとこれを使えば痛みもなく取れるかもしれない。ローテーブルの小さなカゴからチューブを取り出して、彼の目の前に突き出す。先生は眉をひそめ、サングラスの奥の瞳が細められた。
「ハンドクリームですっ、これなら簡単に取れるかも!」
「なるほど、その手がありましたか」
「ちょっといいやつですけど、今日は特別ですよ?」
ひっつくように座り直し、イタズラっぽく先生に笑いかければ、タジタジになって頭をかいていた。お気に入りの、しかも高価なクリームだ。けれど先生と一緒に使えるなんてラッキーかもしれない。ニヤつく口元を抑え込むよう唇を結ぶと、むくんだ薬指へ白っぽいクリームをのせていく。
「指全体につけて、くるくるしてみますね」
「なんだかくすぐったいような、」
「我慢してくださいって」
指のはらを使ってクリームを伸ばし優しくさすっていく。体温でとろけたそれは、次第にぬるっと纏わりついた。先生の手指はふっくらして見えるのに、指の関節は意外と骨っぽい。男らしい指の感触と、クリームの濃厚な甘い香りに心臓がどきんと跳ねる。指輪をつまみ、そっと動かしてみると少しずつ取れていきそうだ。
「関節が抜けたら取れるかも、っ」
「そうですか! 全然痛くないです〜!」
「あともう少し……!」
指の付け根をおさえ、強めに引っ張り関節を抜けると、あとはするりと簡単に取れていった。その瞬間、ふたりで顔を見合わせる。
「わぁ、取れました!」
「助かりましたよ、ありがとう」
先生は満面の笑みで嬉しそうだ。無事に取れて良かったのに、その笑顔に少しだけ胸がチクッとする。指輪をソファの端において、先生の手を再び握る。もう少しだけ触れていたくて、でも恥ずかしくて口には出せない。最大級に頑張って、なんとかそれらしい理由を考えてみる。
「先生。……せっかくだから、手のマッサージしてあげます。むくみも、取れるでしょ?」
「君だって疲れているんだ、私は大丈夫だよ」
「クリーム出しすぎちゃったから。……ね、せんせ」
「……っ!」
自分から積極的なことを言って、恥ずかしい。でもきっと、熱くなった顔はサングラスのおかげでバレていないはず。それどころか、先生の方がほほをポッと染めている。男の人なのに可愛いなんて、他の女の人には見せてほしくない一面だ。
「少し痛くしちゃおーっと」
「ええっ、それは嫌なのだ〜!」
「冗談ですよっ」
先生の左手をそっと引き寄せ、太ももの上においてから両手で包み込む。クリームの滑りを使って、指を一本一本きゅっと握ったり、親指で手のひらを優しく押したり。
ときどき、「気持ちいいですか?」と聞きながらグリグリとツボを攻撃してイジメてみる。慌てて痛がる先生がおかしくて、謝りながらもニヤニヤが止まらない。
「先生、もうしませんから。そんな顔しないでくださいよー」
「君って子は……!」
今度は滑らかさを楽しむように、指の根本から上下に摩り上げる。親指と人差し指を使って、爪の先まで塗り込むと、ふにふにと弄んでは指全体を握りしめた。時折り、先生から漏れる吐息に煽られて、ますます手つきが緩慢になっていく。
ぬるぬると夢中で手指を絡ませているうちに、もっと彼を感じたくてヘンな気持ちになって……。どうしちゃったんだろう。
「名前さん、」
「どうされました、先生……?」
先生は右手で顔を覆うとポツリつぶやく。その声はいつもより低く響き、思わず動きを止めた。外にはねた前髪をかき上げ、ため息をつく先生を覗きこむ。
「あのだね、なんでずっと先生と呼ぶのかな?」
「えっ、と。呼びやすいし、それに……。名前では照れ臭くて」
「……こんな仲なのに?」
「きゃっ、」
いきなり腕を掴まれたと思ったら強く引かれ、先生の上にまたがって座らされる。腰におかれた手から逃げられない圧を感じ、身体がかあっと熱くなっていく。
変なきのこ柄のネクタイだなとか、スラックスに皺ができちゃう、なんてそんな事を考えているバヤイじゃなかった。向かい合う先の、赤いサングラスが妖しく光を反射する。
「……こうじ、さん」
「うむ、上出来です」
そう言うと、満足げに笑ってほほに触れてくる。クリームでぬるついた親指に目元を撫でられ、ふんわり香る甘い匂いに頭がクラクラしそうだ。くすぐったさに身をよじると、さらに強く引き寄せられる。
「こらこら、逃げちゃダメです」
「こうじさんの手、ベタベタしてるんだもの」
「それは君のせいですよ」
「だって、……ん、」
そっと唇を塞がれ、出かかった言葉を飲みこむ。カチャ、とサングラスがぶつかって、ほんの僅かに離れる。
「……これは邪魔なのだ」
先生は片手でサングラスを外し、シャツのポケットに忍ばせる。すると普段はなかなか見られない、彼の丸い瞳が露わになった。じっと射抜かれ視線を逸らせないまま、ぼんやりと整った顔を見つめ返す。スッとした鼻先も、ふくらんだほほも、目の下のほくろも。今は私だけのものだ。
「顔になにかついてるかな?」
「いえっ、素顔ってなかなか見られないから。……格好いいなって」
「嬉しいこと、言ってくれるじゃないですか」
ふ、と軽くほほ笑んでから、すーっと髪を梳かれる。そのままお互い身体を近づけると、もう一度唇が重なり合う。触れるだけのものから徐々に深くなって、息さえ満足にできない。
「んん、っ……ふあ…、っ」
ベタベタになった手を繋いで指を絡ませ合い、先生の思うままにされて。息苦しさのせいで無意識に身体が揺れる。もうしばらくは離してくれないだろうな……なんて甘さに浸っていると、コトンと小さな物音が響いた。
……なんだろう?
先生の胸元をやんわり押し返し、音のした方へと振り返ってみる。床に、銀色の煌めきが転がっていたのだ。
「こうじさんの指輪、落ちちゃったみたい」
「それはいけないですね。失くしてしまう」
「よいしょ、と」
「名前さん、気をつけて」
先生に支えられ、ソファから落ちないように腕だけ伸ばし指輪を拾い上げると、両手でしっかり手渡した。「ありがとう」とにこやかに言う先生は、指輪を摘んだあと、あろうことか再び薬指にはめて……
「……え!?」
「……ん? ああっ、私としたことが!」
先生の自然な動きに呆気にとられ、ふたりして目を丸くする。それから、ぷっと噴き出した。
「今日は、ずっと着けてましょうよ。こーじさんっ」
「あはは、そうするほかは無さそうだ」
うっかりとはいえ、家でも着けてくれるなんて嬉しくてたまらない。先生の胸元にぎゅっとしがみついて、くすくす笑うのだった。
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