2章
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〜第44話 年越し〜
畑一面が朝日に照らされ、小鳥達のさえずりが響きわたる。大晦日が近づいて、寒さも一段と強くなっていた。
雅之助さんのお家にお邪魔して数日。街から離れた杭瀬村が安全だろうと、ここで年を越すことになったのだ。
秋休みと同じように朝から畑を耕している。作物と一緒に生える雑草は、ケロちゃんに食べてもらっているから大分楽だ。ふたりで土を寄せたり柔らかくしたり、くわを手にせっせと作業をしていた。
「今回もいい出来だ」
「ねぎも大根も、立派に育ってくれてよかったです!」
「ひと段落ついたら、朝飯にしよう」
雅之助さんは、泥で汚れた腕で額をぬぐい豪快に笑う。なんだかお日さまみたいに感じられ、つられて笑みがこぼれた。
囲炉裏をかこんで向き合い、大根や根菜がはいった雑炊を鍋で煮ている。ぐつぐつと美味しそうな音が胃袋を刺激する。
「もう出来上がりましたね」
「ああ。たらふく食え!」
「あはは、もちろんですっ」
お椀にたっぷりよそって、雅之助さんに手渡す。私もお玉から注ぐと両手でうつわを包み込む。立ちのぼる湯気から、その温かさと出汁の香りを楽しんだ。
「あの、雅之助さん」
「ん、なんだ?」
「年越しの準備、どうしましょう。色々忙しいですよね……?」
雑炊をいただきながら、これからの予定を聞いてみた。こちらに来てはじめての年越しだ。きっと、沢山やることがあるんじゃないかと身構える。
「組合員の冬支度を手伝ったり、日持ちする食料を買いに街へ出るくらいだ。野菜はたくさんあるからなあ」
「男のひとの一人暮らしって、自由なんですね」
「なんじゃ、悪いか?」
「い、いえ! 思ってたのと違ったので、つい……」
近所に挨拶したり、お家に飾り付けしたり。忙しなく動くつもりでいたから肩透かしを食らう。
「本当は、毎年ご実家に帰られてたんじゃ……?」
「甲賀にか? ……帰っとらん」
「もし、私がいるせいだったら……!」
「また変な気を遣いおって、お前は」
「そうなら、いいんですけど……」
「今年は名前と一緒だから、わしは嬉しいぞ!」
……本当は、どうか分からない。
雅之助さんは何でもないようにがははと笑い、私が気にしないように振る舞ってくれるのだ。その優しさに、少しだけ申し訳なさが救われる。照れくさくて、顔を隠すように雑炊をすするのだった。
*
翌日。
この日も、いつも通り畑仕事のあと朝食をいただいた。井戸のあたりにしゃがんで、使ったうつわを洗っている。
乾ききった冷気が首もとを通りぬけ、食器洗いの手がかじかむ。割烹着のすそで濡れた手をふき口元へ運ぶと、はあっと息で暖めた。
洗い終わったうつわを抱えて家へ戻ってみれば、雅之助さんが出かける支度をしている。今日はなんだか忙しそうだ。慌てて食器を片付け、そばに走り寄った。
「これから、組合員の畑に行って雪除けの藁をかけたりしなきゃならん」
「そうなんですね、私も一緒に」
「名前は家で待っていなさい。誰か来ても、絶対に開けちゃだめだぞ?」
「……はい。ラビちゃん達とお留守番してますから」
「よし! それでいい」
一瞬、真剣な瞳にとらえられ、スッといつもの垂れ目に戻る。
雅之助さんは草履をはくと、土間に置いてあったカゴを背負っていた。一緒に戸口まで出ていき、背の高い彼を見上げる。
ぽんと大きな手を頭に乗せられ、くしゃりと髪をかき混ぜられる。その重さがなんとも心地よかった。
「すぐ戻る」
「お気をつけて」
着物のたもとを押さえ小さく手を振る。このやり取りが夫婦みたいに思えて、一人で勝手に恥ずかしくなる。しばらくその後ろ姿を眺めてから、そっと入り口を閉めた。
くるりと向きを変え、背中を戸にぴたりとくっ付ける。一瞬見えた、あの不安そうな表情が頭から離れない。きっと、"出かけている間に何かあったら"と心配なのだ。
うかつに外へ出ることもできず、家にいるしかない自分に悔しさがおそう。
ちょっとでも役立ちたくて、雑巾を引っ張りだすと家の中を拭き掃除していく。床を板目に沿って綺麗にし、四隅はほこりが溜まっていないか一層強くこする。
膝くらいの棚も、その壁際の裏側も、格子戸も……。思いつく場所は全て布でなぞっていった。
そこまで広くなく、物も少ないからすぐに部屋を一周してしまう。あとは……煮物でも作ろうか。
土間のカゴに詰め込まれた野菜を取りだした。井戸でじゃぶじゃぶ洗い泥汚れを落とすと、桶をかかえて家へもどる。
板の間にまな板を置いてトントン刻んでいく。囲炉裏に吊るした鍋で野菜を煮込むと、甘辛い香りがふわりと立ちこめた。
――ドンドン
大きな音が鳴って、ころころと煮物をかき混ぜている手を止める。雅之助さんにしては、やけに帰りが早い。お客さんかもしれないと外の様子に耳をそばだてた。
「おおーい! さむらいだー! 侍だぞー!」
……さむらい?
何でそんな人が、この年末に……?
雅之助さんのお家に来るなんて、忍びの仕事だろうか。
「美味そうな匂いがするじゃないかー! これは煮物か!? 開けろー! それに、煮物を食わせろー!」
お腹が空いているのだろうか。可哀想になって、家に入れたくなるけれど……。約束を破るわけにはいかず、じっと様子をうかがう。
そのうち、諦めたのか戸を叩く音や呼びかける声が聞こえなくなった。室内はふたたび静寂に包まれた。
そっと土間に降り、薄く戸を開けて外を確認する。すき間からは、丸っこくて随分と頭の大きい、刀をさげた後ろ姿が見えた。あとで、雅之助さんに報告しなくちゃ……!
すると、こちらに白い塊がぴょんぴょんと駆けてくる。もう少し戸を開いて中へと迎え入れる。よしよしと撫でてから、足元にじゃれつくラビちゃんを抱えて居間にあがった。
煮物を作り終えると、これ以上お手伝いすることがなくなってしまった。壁に寄りかかって、胸元にはぎゅっとラビちゃんを閉じ込めている。片手で本をめくりつつ、のんびり過ごしていた。
時々、囲炉裏の炭が小さくはぜる音がひびく。肌に触れる白くてふわふわの温もりと、部屋全体から伝わる柔らかな空気と匂いと……。
先ほどまで忙しなく動いたせいもあってか、目にはいる文字がぼやけてくる。あくびが出そうになって、もう眠さに勝てそうもなかった。雅之助さんが帰ってくるまで、少しだけまぶたを閉じる。
――ジャリジャリジャリ
組合員の手伝いのあと、街へ向かったから帰りが遅くなってしまった。名前はどうしているだろうかと、気になって仕方がない。
家路へ急ぐ道すがら。足元からは、ガリッと小石を踏みしめる音がだんだん大きくなる。焦る気持ちと重なるように、歩みが早足に変わっていった。
畑の前まで来ると、周囲を確認する。
ペタペタと足跡があるが、誰か訪ねて来たのだろうか。嫌な考えを振り払うように、家の前まで音もなく駆ける。
戸口のあたりからは美味そうな香りが漂って、その匂いに緊張感が解けていった。飯でも作っていたのか。
かいがいしく料理する名前が頭に浮かび、ほほがゆるむ。帰りを待っていてくれて、温かく出迎えてくれる。そんな存在がいることに気持ちが浮ついてしまうのだ。
――ガラッ
「おーい、帰ったぞー!」
勢いよく戸を開け、大声で呼びかける。
笑顔で出迎えてくるかと思ったのだが……。名前は壁に体をあずけ、ラビちゃんをひざに乗せながらコクリと船をこいでいた。床には開きっぱなしの本がそのままだ。
ひとまず、心配するような事は起こっていないと分かりホッとする。
安心しきったように居眠りする姿は、ここに来た最初の時とまるで変わらない。穏やかな寝顔に、ちょっかいを出したくなるも何とか我慢する。
ドサッとかごを土間に降ろすと、その物音で起こしてしまったようだ。名前はごしごとまぶたを擦り、こちらをぼんやり眺めていた。
「……ん。あ、おかえりなさいっ」
「遅くなって悪かったなあ!」
「いえ、私こそ……寝ちゃいました」
「疲れていたんだろう。煮物でも作ったのか?」
「はい。なにか出来ることあるかなって」
「そうか、夕飯が楽しみだ!」
組合員にもらった野菜や、街で調達した干物なんかをかごから取り出し整理していると、ラビちゃんがぴょんぴょん飛び跳ね近づいてきた。
外に出て行きたそうな様子に戸を開けてやる。すき間から白い体を滑らせ、畑へ跳んで行ってしまった。
「わしがいない間、誰か来なかったか?」
「あ。さむらいだーって、小さくて丸っこい人が来ました」
「出てないだろうな!?」
「も、もちろんです! こそっと、戸の隙間から確認しただけで……。でも、お腹を空かせているみたいでしたよ?」
「うむ。まあ、飯を食わしてやってもいいんだがな……。放っておいて大丈夫だ。言いつけを守って偉いぞ!」
「子ども扱いしないでくださいっ」
「ははは、そう怒るな。……そいつはきっと、花房牧之助だ」
「……え?」
「何でもない」
ひざを抱え、口ではそんなことを言いつつ嬉しそうにくすくす笑っている。名前が見たと言うのは、おそらく花房牧之助か。畑も荒らされた形跡はなく、懲らしめてやる必要もないだろう。
脱げかけの草履をそのままに、ヘリにどかっと腰掛ける。
「そうだ、名前。お前に土産を買ってきたぞ」
「お土産……? なんですか?」
「団子じゃあ!」
「えっ! お、お団子!?」
「お前、しばらく街に出かけられないからな」
「嬉しい! ありがとうございますっ。お茶、用意しなきゃ……!」
団子の入った笹の包みをゆらり揺らすと、名前はドタドタと這いながらそばに寄ってきた。ぱあっと綻ぶような満面の笑みで、素直に喜ぶ様がなんとも可愛らしい。
「んー! 甘くて、もちもちしてて、美味しいですっ」
「いい食いっぷりだな!」
「え、あっ、すみません……」
「褒めてるんだ、気にせず食え」
囲炉裏を前に隣り合って座る。団子をぱくつく名前を、片肘をつきながら眺めていた。もぐもぐ頬張る無邪気さに、食べることなど頭から消え去っていく。
「雅之助さん、食べないんですか? ……わたし、ぜんぶ食べちゃいますよー?」
「ああ」
「あ、そうだ! 煮物いっぱい作ったので、あとで長老さんに届けて欲しいです」
「そうだな」
「……ねぇ、雅之助さんっ。聞いてます?!」
「ん、ああ、聞いてるぞ! ……わしにも団子をくれるか」
「えーっ!? あと一本しか残ってないですよ?」
広げた笹の葉には食べ終わった串が何本も転がる。小さな手には残りの一本が握られていた。
あたふたする名前にかまわず、その細い手首ごと掴みあげる。自身の口元まで強く引き寄せると、そのまま団子をかじれるほどだ。名前は突然のことに驚き、床に片手をついて胸元に倒れ込んできた。支えるふりをして抱きしめる。
「……ま、雅之助、さん」
揺れる瞳で見上げてくるから、団子越しにぐっと距離が縮まる。互いの息遣いが感じられるほどの近さに、トクトクと鼓動が激しさを増す。
見つめ合いながら、さらに顔を寄せてパクリと団子をかじる。名前は恥ずかしそうに視線を逸らした。
「……なかなか美味いじゃないか」
「いっぱい食べちゃって、ごめんなさい……」
「ほれ、お前も食べろ」
有無を言わさぬような、試すようなことを言って、掴んだ手首は逃さない。
名前は悩ましげな表情で、薄く唇を開きこちらに近づく。変な気を起こしてしまいそうだ。
「……や、やっぱり食べられませんっ!」
「じゃあ、わしがいただくとしよう」
するりと串を奪い取ると、赤くなって焦る彼女を横目に団子を口へ押し込む。ニカっと笑うと、名前は耳を赤くしてお茶をすするのだった。
*
大晦日。
幸い大雪が降る予兆も見られず、冬野菜は順調に成長している。夕方なのに外はとっぷりと日が暮れて真っ暗だ。乾燥した空気に星々がきらりと煌めく。
早々に夕飯を済ませると、名前と並んで草鞋を編んでいた。白い寝巻きが囲炉裏の灯りに照らされ、なんとも色っぽい。
「雅之助さん。……ここは、こうで合ってます?」
「うむ。そうだ!」
名前は干して柔らかくした藁を指に絡めて、真剣な表情だ。ときどき呼びかけられ、答えてやると嬉しそうに笑ってはひたすら手を動かしていく。どんな事でも真面目に取り組むから感心だ。
「内職をしてると、きり丸くんを思い出しちゃいます。……今ごろ、造花作りしてるかも」
「土井先生も大変だなあ!」
「あはは。たくさん手伝わされてますね、きっと」
「おおっと、ここは固く結ばないとダメだぞ」
「はいっ。……雅之助さんって、意外と器用なんですね」
名前の小さな手に自身の手を重ねながら、藁の編み方を教えてやる。触れる指先が冷たくて、その度にドキリとする。
「お前、寒くないか? 次は着物に綿を入れてやるからな」
「指先だけ、冷えちゃって。ありがとうございます!」
――パサリ
藤色の着物を床に広げ、裏地に布を重ね綿を入れていく。
薄暗い中、チクチクと縫い進めては互いに確認しあう。柔らかくほほ笑むその眼差しに、こんな日々が続いたらさぞ幸せだろうと思う。
「これで冬を越せそうです」
「それでも寒かったら、藁をかぶるしかないな!」
「えーっ。みの虫みたいだけど仕方がないですね」
「意外と似合うんじゃないか?」
「もー! そんなこと言って」
ひと通り縫い終わると端と端を合わせてきれいに畳んでいった。そのあと、名前は風呂敷から見慣れた着物と袴を取り出すと、わしへ頭を下げながら手渡してくる。
「……もう着ないのか?」
「銭も貯まりましたし、通販で自分用の袴を頼もうかなって」
「そうか。コツコツと偉いことだ」
「貸してくださり、ありがとうございましたっ」
一抹の寂しさを感じつつ、名前が独り立ちするような感覚に誇らしくもある。しっかり受け取ると膝丈ほどの箪笥へしまった。
名前は縫い終わった着物を風呂敷につつむと、わしの隣にペタンと座り込む。小さな手のひらを囲炉裏にかざして、うっとりしながら暖をとっていた。
「もう寝るか?」
「せっかくだから、年越しまで起きていたいです」
「無理するなよ」
「大丈夫です! ……寝たら起こしてくださいね」
「分かった」
少しでも動いたら体がくっ付いてしまいそうな距離。囲炉裏の燃える炭に視線を落としながら、ぽつぽつ会話を重ねる。
「新年になるとき、分かるんですか?」
「遠くの寺から鐘の音が聞こえる」
「そうなんですね。あ、初日の出も見たいな」
「早起きしなきゃならんぞ」
「どこんじょー!で頑張りますっ」
艶やかな髪をわしわしと撫でる。指に絡む絹糸のような感触がたまらない。
「今ごろ、みんなはどうしてるかな……?」
一年は組の忍たまを、ひとりひとり楽しそうに話してはくすくす笑っている。
しんべヱの実家を羨ましがってみたり、乱太郎は農家だから草鞋を編んだりしてるかと想像したり、実家が遠い金吾や喜三太はゆっくり過ごしているか心配したり……。
「すっかり、学園に馴染んでいるんだな」
「……ありがたいことです」
「名前だからだろう」
「……でも、三人に事情が知られてしまったとき、傷つけちゃったかなって。私のこと、信じてくれてたのに」
「気にするな。あいつらだって、きっと分かっている」
しばらくそうして、身を寄せあい暖をとっている。パチリと炭の弾ける音がひびき、何も話さずともこの柔らかな雰囲気が心地よかった。
彼女がこちらに体を預けてきたのか、ずっしりとした重さを腕に感じる。思わず、華奢な肩を優しく抱き寄せた。
「……なあ、名前」
「……ん」
「お前が良ければ、だな。その、わしと一緒に……」
――コクリ
さらに肩が寄りかかってきて、出かかった言葉をグッと飲み込む。小さな身体は力が抜け、無防備にもたれてくる。
「……なんじゃ。寝てるのか」
自嘲気味にため息をつくと、名前を横抱きにして布団へとそっと寝かせてやる。
……一緒に暮らそうだなんて、きっと困らせてしまうな。
眠っていてくれて良かったのだと、気持ちを誤魔化すように前髪を荒っぽく掻き上げた。
*
「おーい! 起きろ、名前!」
「ひゃぁっ、び、びっくりした……!」
「もうすぐ日の出だぞ。起きなくていいのか?」
「……お、起きます!」
名前のそばで仮眠をとり、薄っすらまぶたを開けるとすでに空が白み始めていた。
慌てて着物を引っ掛け、草履を履くとバタバタと外へ向かう。
遠くに連なる深緑の山々から、橙色の強い光が顔を出した。薄く広がる雲は、朝日を受けて燃えるように赤い。
「雅之助さん。明けましておめでとうございますっ」
「今年もよろしく頼むぞ!」
「はいっ、もちろんです」
朝焼けに照らされたほほが朱色に染まって、細められた瞳はきらりと光を放つ。目が離せないでいると、名前がぎゅっとまぶたを閉じて両手を合わせた。
「みんな、笑顔で過ごせる年になりますように……!」
「願い事か? じゃ、わしも……」
「えっ、何をお願いするんですか!?」
「……秘密だ」
「わぁ、気になります……! もしかして、野村先生とのケンカに勝つぞー、とかですか?」
「バレたか!」
「もう、本当に大人げないんだからっ」
名前は困り顔で見上げてくる。あやすようにその頭をぽんぽんと撫でて、互いに笑いあう。
……本当のことなんぞ言えるわけないじゃないか。
しばらく二人で戯れあうと、暖かさを求め家へと急ぐのだった。
畑一面が朝日に照らされ、小鳥達のさえずりが響きわたる。大晦日が近づいて、寒さも一段と強くなっていた。
雅之助さんのお家にお邪魔して数日。街から離れた杭瀬村が安全だろうと、ここで年を越すことになったのだ。
秋休みと同じように朝から畑を耕している。作物と一緒に生える雑草は、ケロちゃんに食べてもらっているから大分楽だ。ふたりで土を寄せたり柔らかくしたり、くわを手にせっせと作業をしていた。
「今回もいい出来だ」
「ねぎも大根も、立派に育ってくれてよかったです!」
「ひと段落ついたら、朝飯にしよう」
雅之助さんは、泥で汚れた腕で額をぬぐい豪快に笑う。なんだかお日さまみたいに感じられ、つられて笑みがこぼれた。
囲炉裏をかこんで向き合い、大根や根菜がはいった雑炊を鍋で煮ている。ぐつぐつと美味しそうな音が胃袋を刺激する。
「もう出来上がりましたね」
「ああ。たらふく食え!」
「あはは、もちろんですっ」
お椀にたっぷりよそって、雅之助さんに手渡す。私もお玉から注ぐと両手でうつわを包み込む。立ちのぼる湯気から、その温かさと出汁の香りを楽しんだ。
「あの、雅之助さん」
「ん、なんだ?」
「年越しの準備、どうしましょう。色々忙しいですよね……?」
雑炊をいただきながら、これからの予定を聞いてみた。こちらに来てはじめての年越しだ。きっと、沢山やることがあるんじゃないかと身構える。
「組合員の冬支度を手伝ったり、日持ちする食料を買いに街へ出るくらいだ。野菜はたくさんあるからなあ」
「男のひとの一人暮らしって、自由なんですね」
「なんじゃ、悪いか?」
「い、いえ! 思ってたのと違ったので、つい……」
近所に挨拶したり、お家に飾り付けしたり。忙しなく動くつもりでいたから肩透かしを食らう。
「本当は、毎年ご実家に帰られてたんじゃ……?」
「甲賀にか? ……帰っとらん」
「もし、私がいるせいだったら……!」
「また変な気を遣いおって、お前は」
「そうなら、いいんですけど……」
「今年は名前と一緒だから、わしは嬉しいぞ!」
……本当は、どうか分からない。
雅之助さんは何でもないようにがははと笑い、私が気にしないように振る舞ってくれるのだ。その優しさに、少しだけ申し訳なさが救われる。照れくさくて、顔を隠すように雑炊をすするのだった。
*
翌日。
この日も、いつも通り畑仕事のあと朝食をいただいた。井戸のあたりにしゃがんで、使ったうつわを洗っている。
乾ききった冷気が首もとを通りぬけ、食器洗いの手がかじかむ。割烹着のすそで濡れた手をふき口元へ運ぶと、はあっと息で暖めた。
洗い終わったうつわを抱えて家へ戻ってみれば、雅之助さんが出かける支度をしている。今日はなんだか忙しそうだ。慌てて食器を片付け、そばに走り寄った。
「これから、組合員の畑に行って雪除けの藁をかけたりしなきゃならん」
「そうなんですね、私も一緒に」
「名前は家で待っていなさい。誰か来ても、絶対に開けちゃだめだぞ?」
「……はい。ラビちゃん達とお留守番してますから」
「よし! それでいい」
一瞬、真剣な瞳にとらえられ、スッといつもの垂れ目に戻る。
雅之助さんは草履をはくと、土間に置いてあったカゴを背負っていた。一緒に戸口まで出ていき、背の高い彼を見上げる。
ぽんと大きな手を頭に乗せられ、くしゃりと髪をかき混ぜられる。その重さがなんとも心地よかった。
「すぐ戻る」
「お気をつけて」
着物のたもとを押さえ小さく手を振る。このやり取りが夫婦みたいに思えて、一人で勝手に恥ずかしくなる。しばらくその後ろ姿を眺めてから、そっと入り口を閉めた。
くるりと向きを変え、背中を戸にぴたりとくっ付ける。一瞬見えた、あの不安そうな表情が頭から離れない。きっと、"出かけている間に何かあったら"と心配なのだ。
うかつに外へ出ることもできず、家にいるしかない自分に悔しさがおそう。
ちょっとでも役立ちたくて、雑巾を引っ張りだすと家の中を拭き掃除していく。床を板目に沿って綺麗にし、四隅はほこりが溜まっていないか一層強くこする。
膝くらいの棚も、その壁際の裏側も、格子戸も……。思いつく場所は全て布でなぞっていった。
そこまで広くなく、物も少ないからすぐに部屋を一周してしまう。あとは……煮物でも作ろうか。
土間のカゴに詰め込まれた野菜を取りだした。井戸でじゃぶじゃぶ洗い泥汚れを落とすと、桶をかかえて家へもどる。
板の間にまな板を置いてトントン刻んでいく。囲炉裏に吊るした鍋で野菜を煮込むと、甘辛い香りがふわりと立ちこめた。
――ドンドン
大きな音が鳴って、ころころと煮物をかき混ぜている手を止める。雅之助さんにしては、やけに帰りが早い。お客さんかもしれないと外の様子に耳をそばだてた。
「おおーい! さむらいだー! 侍だぞー!」
……さむらい?
何でそんな人が、この年末に……?
雅之助さんのお家に来るなんて、忍びの仕事だろうか。
「美味そうな匂いがするじゃないかー! これは煮物か!? 開けろー! それに、煮物を食わせろー!」
お腹が空いているのだろうか。可哀想になって、家に入れたくなるけれど……。約束を破るわけにはいかず、じっと様子をうかがう。
そのうち、諦めたのか戸を叩く音や呼びかける声が聞こえなくなった。室内はふたたび静寂に包まれた。
そっと土間に降り、薄く戸を開けて外を確認する。すき間からは、丸っこくて随分と頭の大きい、刀をさげた後ろ姿が見えた。あとで、雅之助さんに報告しなくちゃ……!
すると、こちらに白い塊がぴょんぴょんと駆けてくる。もう少し戸を開いて中へと迎え入れる。よしよしと撫でてから、足元にじゃれつくラビちゃんを抱えて居間にあがった。
煮物を作り終えると、これ以上お手伝いすることがなくなってしまった。壁に寄りかかって、胸元にはぎゅっとラビちゃんを閉じ込めている。片手で本をめくりつつ、のんびり過ごしていた。
時々、囲炉裏の炭が小さくはぜる音がひびく。肌に触れる白くてふわふわの温もりと、部屋全体から伝わる柔らかな空気と匂いと……。
先ほどまで忙しなく動いたせいもあってか、目にはいる文字がぼやけてくる。あくびが出そうになって、もう眠さに勝てそうもなかった。雅之助さんが帰ってくるまで、少しだけまぶたを閉じる。
――ジャリジャリジャリ
組合員の手伝いのあと、街へ向かったから帰りが遅くなってしまった。名前はどうしているだろうかと、気になって仕方がない。
家路へ急ぐ道すがら。足元からは、ガリッと小石を踏みしめる音がだんだん大きくなる。焦る気持ちと重なるように、歩みが早足に変わっていった。
畑の前まで来ると、周囲を確認する。
ペタペタと足跡があるが、誰か訪ねて来たのだろうか。嫌な考えを振り払うように、家の前まで音もなく駆ける。
戸口のあたりからは美味そうな香りが漂って、その匂いに緊張感が解けていった。飯でも作っていたのか。
かいがいしく料理する名前が頭に浮かび、ほほがゆるむ。帰りを待っていてくれて、温かく出迎えてくれる。そんな存在がいることに気持ちが浮ついてしまうのだ。
――ガラッ
「おーい、帰ったぞー!」
勢いよく戸を開け、大声で呼びかける。
笑顔で出迎えてくるかと思ったのだが……。名前は壁に体をあずけ、ラビちゃんをひざに乗せながらコクリと船をこいでいた。床には開きっぱなしの本がそのままだ。
ひとまず、心配するような事は起こっていないと分かりホッとする。
安心しきったように居眠りする姿は、ここに来た最初の時とまるで変わらない。穏やかな寝顔に、ちょっかいを出したくなるも何とか我慢する。
ドサッとかごを土間に降ろすと、その物音で起こしてしまったようだ。名前はごしごとまぶたを擦り、こちらをぼんやり眺めていた。
「……ん。あ、おかえりなさいっ」
「遅くなって悪かったなあ!」
「いえ、私こそ……寝ちゃいました」
「疲れていたんだろう。煮物でも作ったのか?」
「はい。なにか出来ることあるかなって」
「そうか、夕飯が楽しみだ!」
組合員にもらった野菜や、街で調達した干物なんかをかごから取り出し整理していると、ラビちゃんがぴょんぴょん飛び跳ね近づいてきた。
外に出て行きたそうな様子に戸を開けてやる。すき間から白い体を滑らせ、畑へ跳んで行ってしまった。
「わしがいない間、誰か来なかったか?」
「あ。さむらいだーって、小さくて丸っこい人が来ました」
「出てないだろうな!?」
「も、もちろんです! こそっと、戸の隙間から確認しただけで……。でも、お腹を空かせているみたいでしたよ?」
「うむ。まあ、飯を食わしてやってもいいんだがな……。放っておいて大丈夫だ。言いつけを守って偉いぞ!」
「子ども扱いしないでくださいっ」
「ははは、そう怒るな。……そいつはきっと、花房牧之助だ」
「……え?」
「何でもない」
ひざを抱え、口ではそんなことを言いつつ嬉しそうにくすくす笑っている。名前が見たと言うのは、おそらく花房牧之助か。畑も荒らされた形跡はなく、懲らしめてやる必要もないだろう。
脱げかけの草履をそのままに、ヘリにどかっと腰掛ける。
「そうだ、名前。お前に土産を買ってきたぞ」
「お土産……? なんですか?」
「団子じゃあ!」
「えっ! お、お団子!?」
「お前、しばらく街に出かけられないからな」
「嬉しい! ありがとうございますっ。お茶、用意しなきゃ……!」
団子の入った笹の包みをゆらり揺らすと、名前はドタドタと這いながらそばに寄ってきた。ぱあっと綻ぶような満面の笑みで、素直に喜ぶ様がなんとも可愛らしい。
「んー! 甘くて、もちもちしてて、美味しいですっ」
「いい食いっぷりだな!」
「え、あっ、すみません……」
「褒めてるんだ、気にせず食え」
囲炉裏を前に隣り合って座る。団子をぱくつく名前を、片肘をつきながら眺めていた。もぐもぐ頬張る無邪気さに、食べることなど頭から消え去っていく。
「雅之助さん、食べないんですか? ……わたし、ぜんぶ食べちゃいますよー?」
「ああ」
「あ、そうだ! 煮物いっぱい作ったので、あとで長老さんに届けて欲しいです」
「そうだな」
「……ねぇ、雅之助さんっ。聞いてます?!」
「ん、ああ、聞いてるぞ! ……わしにも団子をくれるか」
「えーっ!? あと一本しか残ってないですよ?」
広げた笹の葉には食べ終わった串が何本も転がる。小さな手には残りの一本が握られていた。
あたふたする名前にかまわず、その細い手首ごと掴みあげる。自身の口元まで強く引き寄せると、そのまま団子をかじれるほどだ。名前は突然のことに驚き、床に片手をついて胸元に倒れ込んできた。支えるふりをして抱きしめる。
「……ま、雅之助、さん」
揺れる瞳で見上げてくるから、団子越しにぐっと距離が縮まる。互いの息遣いが感じられるほどの近さに、トクトクと鼓動が激しさを増す。
見つめ合いながら、さらに顔を寄せてパクリと団子をかじる。名前は恥ずかしそうに視線を逸らした。
「……なかなか美味いじゃないか」
「いっぱい食べちゃって、ごめんなさい……」
「ほれ、お前も食べろ」
有無を言わさぬような、試すようなことを言って、掴んだ手首は逃さない。
名前は悩ましげな表情で、薄く唇を開きこちらに近づく。変な気を起こしてしまいそうだ。
「……や、やっぱり食べられませんっ!」
「じゃあ、わしがいただくとしよう」
するりと串を奪い取ると、赤くなって焦る彼女を横目に団子を口へ押し込む。ニカっと笑うと、名前は耳を赤くしてお茶をすするのだった。
*
大晦日。
幸い大雪が降る予兆も見られず、冬野菜は順調に成長している。夕方なのに外はとっぷりと日が暮れて真っ暗だ。乾燥した空気に星々がきらりと煌めく。
早々に夕飯を済ませると、名前と並んで草鞋を編んでいた。白い寝巻きが囲炉裏の灯りに照らされ、なんとも色っぽい。
「雅之助さん。……ここは、こうで合ってます?」
「うむ。そうだ!」
名前は干して柔らかくした藁を指に絡めて、真剣な表情だ。ときどき呼びかけられ、答えてやると嬉しそうに笑ってはひたすら手を動かしていく。どんな事でも真面目に取り組むから感心だ。
「内職をしてると、きり丸くんを思い出しちゃいます。……今ごろ、造花作りしてるかも」
「土井先生も大変だなあ!」
「あはは。たくさん手伝わされてますね、きっと」
「おおっと、ここは固く結ばないとダメだぞ」
「はいっ。……雅之助さんって、意外と器用なんですね」
名前の小さな手に自身の手を重ねながら、藁の編み方を教えてやる。触れる指先が冷たくて、その度にドキリとする。
「お前、寒くないか? 次は着物に綿を入れてやるからな」
「指先だけ、冷えちゃって。ありがとうございます!」
――パサリ
藤色の着物を床に広げ、裏地に布を重ね綿を入れていく。
薄暗い中、チクチクと縫い進めては互いに確認しあう。柔らかくほほ笑むその眼差しに、こんな日々が続いたらさぞ幸せだろうと思う。
「これで冬を越せそうです」
「それでも寒かったら、藁をかぶるしかないな!」
「えーっ。みの虫みたいだけど仕方がないですね」
「意外と似合うんじゃないか?」
「もー! そんなこと言って」
ひと通り縫い終わると端と端を合わせてきれいに畳んでいった。そのあと、名前は風呂敷から見慣れた着物と袴を取り出すと、わしへ頭を下げながら手渡してくる。
「……もう着ないのか?」
「銭も貯まりましたし、通販で自分用の袴を頼もうかなって」
「そうか。コツコツと偉いことだ」
「貸してくださり、ありがとうございましたっ」
一抹の寂しさを感じつつ、名前が独り立ちするような感覚に誇らしくもある。しっかり受け取ると膝丈ほどの箪笥へしまった。
名前は縫い終わった着物を風呂敷につつむと、わしの隣にペタンと座り込む。小さな手のひらを囲炉裏にかざして、うっとりしながら暖をとっていた。
「もう寝るか?」
「せっかくだから、年越しまで起きていたいです」
「無理するなよ」
「大丈夫です! ……寝たら起こしてくださいね」
「分かった」
少しでも動いたら体がくっ付いてしまいそうな距離。囲炉裏の燃える炭に視線を落としながら、ぽつぽつ会話を重ねる。
「新年になるとき、分かるんですか?」
「遠くの寺から鐘の音が聞こえる」
「そうなんですね。あ、初日の出も見たいな」
「早起きしなきゃならんぞ」
「どこんじょー!で頑張りますっ」
艶やかな髪をわしわしと撫でる。指に絡む絹糸のような感触がたまらない。
「今ごろ、みんなはどうしてるかな……?」
一年は組の忍たまを、ひとりひとり楽しそうに話してはくすくす笑っている。
しんべヱの実家を羨ましがってみたり、乱太郎は農家だから草鞋を編んだりしてるかと想像したり、実家が遠い金吾や喜三太はゆっくり過ごしているか心配したり……。
「すっかり、学園に馴染んでいるんだな」
「……ありがたいことです」
「名前だからだろう」
「……でも、三人に事情が知られてしまったとき、傷つけちゃったかなって。私のこと、信じてくれてたのに」
「気にするな。あいつらだって、きっと分かっている」
しばらくそうして、身を寄せあい暖をとっている。パチリと炭の弾ける音がひびき、何も話さずともこの柔らかな雰囲気が心地よかった。
彼女がこちらに体を預けてきたのか、ずっしりとした重さを腕に感じる。思わず、華奢な肩を優しく抱き寄せた。
「……なあ、名前」
「……ん」
「お前が良ければ、だな。その、わしと一緒に……」
――コクリ
さらに肩が寄りかかってきて、出かかった言葉をグッと飲み込む。小さな身体は力が抜け、無防備にもたれてくる。
「……なんじゃ。寝てるのか」
自嘲気味にため息をつくと、名前を横抱きにして布団へとそっと寝かせてやる。
……一緒に暮らそうだなんて、きっと困らせてしまうな。
眠っていてくれて良かったのだと、気持ちを誤魔化すように前髪を荒っぽく掻き上げた。
*
「おーい! 起きろ、名前!」
「ひゃぁっ、び、びっくりした……!」
「もうすぐ日の出だぞ。起きなくていいのか?」
「……お、起きます!」
名前のそばで仮眠をとり、薄っすらまぶたを開けるとすでに空が白み始めていた。
慌てて着物を引っ掛け、草履を履くとバタバタと外へ向かう。
遠くに連なる深緑の山々から、橙色の強い光が顔を出した。薄く広がる雲は、朝日を受けて燃えるように赤い。
「雅之助さん。明けましておめでとうございますっ」
「今年もよろしく頼むぞ!」
「はいっ、もちろんです」
朝焼けに照らされたほほが朱色に染まって、細められた瞳はきらりと光を放つ。目が離せないでいると、名前がぎゅっとまぶたを閉じて両手を合わせた。
「みんな、笑顔で過ごせる年になりますように……!」
「願い事か? じゃ、わしも……」
「えっ、何をお願いするんですか!?」
「……秘密だ」
「わぁ、気になります……! もしかして、野村先生とのケンカに勝つぞー、とかですか?」
「バレたか!」
「もう、本当に大人げないんだからっ」
名前は困り顔で見上げてくる。あやすようにその頭をぽんぽんと撫でて、互いに笑いあう。
……本当のことなんぞ言えるわけないじゃないか。
しばらく二人で戯れあうと、暖かさを求め家へと急ぐのだった。