2章
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〜第40話 ラッキョ娘と占い師〜
冷たく乾いた風が通り抜け、色づいた落ち葉がサラサラと地面を転がっていく。秋がだいぶ深まってきた。
「ほら、こっちにおいで」
食堂の裏に集まったすずめ達を見ながら、寒さに腕をさする。パラパラとお米を撒いてあげると、チュンチュンと喜ぶかのようにさえずっていた。
今日はユキちゃん達と一緒に街でラッキョを販売する日だ。食堂で朝食の片付けをしたら、出かける準備をしないと。
余ったお米を土井先生から頂いた浅葱色の巾着に忍ばせる。わくわくする気持ちを胸に、調理場へと急いだ。
*
せっかくの休日なのに、あいつらの補習をしなきゃならん。何度教えても頭に入らないのは、私の教え方が悪いのか?!落ち込んで胃がキリキリする。
ため息をつきながら、教室に向かおうと部屋を出たところで名前さんと出くわした。きれいに化粧をほどこし、藤色の着物に身をつつむ姿に目を奪われる。胃の痛みが吹き飛んでしまいそうだ。
「名前さん。お使いに行くのかい?」
「土井先生っ。今日は、ユキちゃん達と大木先生のラッキョを売りに街へ行くんです」
「名前くん、くのたまと一緒に行くのか。乱太郎達は補習だから、大木先生の依頼を断ってしまったんだが……。半助に伝えてなかったな」
「え、山田先生、そうだったんですか?!今初めて知りました……」
話を聞いていたのか、山田先生が後ろからひょっこり出てきてバツが悪そうにあごをさすった。
乱太郎たち三人なら、担任として見に行く口実ができたのに。くのたま達と一緒なら、名前さんを心配して……という事がみんなにバレバレじゃないか。
「ラッキョ娘として頑張ってきます!」
「名前くん。大木先生によろしく頼む」
「はい!お伝えしておきますね。……って土井先生、顔色が悪いですよ?」
「そ、そうかい?……また変なことに巻き込まれないように、気をつけて」
「大木先生もいるから大丈夫ですよ。いってきます!」
名前さんは、赤くて小さな唇をニッとつりあげる。ぺこりとお辞儀をしてから、足取りかるく廊下を進んでいってしまった。
……街でラッキョを売るだけだ。
変な事件は起こらないだろうと自身に言い聞かせた。
*
シナ先生にご挨拶してから、ユキちゃんトモミちゃんおシゲちゃんと一緒に街まで歩いていく。三人とも淡い黄色の手ぬぐいを頭に巻いて、きみどり色の着物姿だ。お揃いだから、三人娘という感じで可愛らしい。
「この辺りで待っていれば大丈夫かなあ?」
街につき、さらに歩いて雅之助さんの居場所をさがす。「産地直送・卸売」とか、「杭瀬村」なんて書かれた簡易的な屋台が土塀のそばに建ててあるのを見つけ、四人で立ち止まった。
「らっきょう」の旗も立っているし、たぶんここで間違いない。
「大木先生、もうすぐ来ましゅよ」
「はぁ……せっかくの休日なのにぃ!」
「ほんとよねー」
「二人とも、まぁまぁ。終わったら、お団子ごちそうしてもらおう? それには、いっぱいラッキョを売って大木先生を驚かせなきゃ」
「名前さんの言う通り!今こそ、くのたまの力を見せるときでしゅ!」
「「「おーっ!」」」
お休みなのに授業の一環といって駆り出されたことが不満なのか、ユキちゃんトモミちゃんは口を尖らせていた。けれど、なんとかみんなの気持ちを高め、がんばる雰囲気になり一安心だ。
この前もらった白い鉢巻きを懐から取り出し、頭に巻くと気合を入れる。
「「「名前さん、鉢巻きって!」」」
「大木先生からいただいたから、使ってみようと思って」
「可愛いでしゅ!」
「そうかな? ありがとう」
みんなから大笑いで突っ込まれてしまったけれど……。可愛いなんて言ってくれて、お世辞でも嬉しくなってしまった。
四人でわいわいしていると、遠くからガラガラと荷車を押す音が聞こえてきた。カチャカチャとラッキョつぼのぶつかる音が響く。
「「「「大木先生ー!お待ちしてましたー!」」」」
「遅くなったな! って、名前も来てたのか」
「はい、ユキちゃんたちに誘われちゃいまして。私も頑張りますっ」
「お? さっそく鉢巻きをつけて偉いぞ!よく似合ってる」
「あはは、嬉しいです」
「大木先生?……私たちのこと忘れてませんか?!」
「忘れてはおらん!くのたま諸君、今日はよろしく頼むぞ!」
「「「はーい!」」」
ユキちゃん達がラッキョをのせた平皿を手に、「試食はいかがですかー?」なんて呼び込みをする。一方、私は屋台で雅之助さんと一緒に商品を渡したりお代を受け取ったりしていた。
銭のやり取りは一人でしたことがなくて、少し不安だったのだ。お使いも一人で行ったことはないし、いつも誰かに付き添ってもらっていたからお釣りを間違わないように注意をはらう。
さっそく試食を気に入ったおばあさんがこちらへやって来た。
「ラッキョ、ひとつ頂戴な」
「はいっ、ありがとうございます!」
「これで銭は足りるかい?」
「えっと……、ちょうど頂きますっ」
「まいど、どーも!」
隣でラッキョのつぼを渡す雅之助さんをチラリと見上げ、うむと頷いてくれたから安心する。横から豪快に対応する姿がおかしくて、クスッと笑いがもれた。
「大木先生。一緒にみてくれて助かります」
「名前ひとりで充分、任せられるんだがな」
「だって……。びた銭とかよく分からなくって」
「ほら、これが普通の銭でこっちの欠けているものがびた銭だ。分かるか?」
「うーん、並べると分かりやすいですね。色とかたち、よく覚えておかなきゃ」
「勉強熱心で良いことだ!」
「知らないことばかりで、申し訳なくって」
「気にするな」
屋台の小さな作業台で、先生と身体を寄せ合って銭の見分け方を教えてもらっていると、なにやら鋭い視線を感じて顔を上げた。
「ちょっとー、お二人の世界に入らないでくださーいっ!お客さん、並んでますよー?」
「ユ、ユキちゃん!ごめんっ!」
「すまんすまん!」
二人の世界って……!
そんなつもりはなかったのに、急に恥ずかしさが襲ってきて大木先生から少し身体を離した。
「ユキちゃん、今度は私が呼び込みするね!」
「じゃあ私はお代を受け取りまーす!」
ラッキョを並べたお皿を受け取ると、行き交う街の人々に声をかける。細かい銭のやり取りより気が楽だし、何よりお客さんとお話しするのは楽しかった。
「杭瀬村で作った美味しい塩漬けラッキョでーす!生産者から直接お届けしまーす!」
「あら、味見させて?」
「どうぞっ。おつまみにもぴったりで美味しいですよ」
「そうねぇ、いただこうかしら」
「ありがとうございます!こちらで販売していますので……」
お客さんを案内して、みんなを確認するとニコッとうなずいた。試食をしているからか、人が人を呼ぶ状態で屋台の前にはお客さんでいっぱいだ。
「さすが、くのいち教室はすごいな!シナ先生にお礼を言わなきゃならん」
「ほんと、みんなのおかげだよ」
「わしは杭瀬村に戻ってラッキョを持ってくる!」
「「「えーっ!?」」」
ラッキョが少なくなって、もう店じまいかな……?なんて思っていたのに。追加で持ってくると言われて、三人ともガックリ肩を落とす。雅之助さんはそんなことお構いなしで、荷車を押しながら走っていってしまった。
必死にラッキョを売っていると、いつの間にか人の波も落ち着いてきた。人の往来で土ぼこりが立ったからか、ざらついた街の空気が鼻腔をかすめる。
大切に育てたラッキョを美味しい!と喜ぶお客さんがこんなにいるなんて。大変だったけれど、これまでのお手伝いが報われたようで疲労感が消え去っていく。
「ねぇ、名前さん。この間の占い、続き見て欲しいんです!」
「あ、そうだったね!少し時間もあるからみてあげる」
屋台に四人集まって、みんなに手のひらを出してもらった。小さくて、でも所々に豆ができてしっかりとした感触。授業を頑張っているんだなぁと愛おしい気持ちになる。
「おシゲちゃん、この線がしっかりしているから……将来安泰じゃないかな」
「えーっ。嬉しいでしゅ!」
「結婚線も、真っ直ぐだし……いい人と結ばれるよ、きっと」
「しんべヱさまかしら〜」
「つぎ、私お願いしまーす!」
「ユキちゃんずるーいっ」
「まだまだ、時間はあるから大丈夫だよ」
本や何かから聞いた知識をそれらしく言っているだけで、かなり怪しい占いだ。みんなを騙しているようで少し心苦しい。でも今更そんなこと言えないし……。当たり障りのないことを、ふんわりと伝えていった。
「名前さん、すごーい!占い師やったらいいのに!」
「当たってる気がするもの!」
「またまた、そんな……」
キャッキャしながら寄り集まっていると、占いという言葉に反応した街の人がなになに?と集まってきた。
「あなた、占い師なの?!あたしも見て欲しいんだけど!」
「いえ、違うんですけど……!」
「でもよく当たるんでしょ!?」
「ここにすごい占い師がいるぞー!」
あはは……なんて誤魔化しているけれど、人だかりに野次馬が集まってもう収拾がつかない。
「私、屋台の水拭きするから、井戸までお水汲んできまーす!」
まさかこんな事になるとは……。
どうしたら良いか分からず、桶を持って逃げるように井戸へと走っていった。人波の中に赤いサングラスの人が見えて、一瞬ドクタケの人かと思ったけれど……。気のせいかもしれない。
――ピチャピチャピチャ
「……あれ?」
井戸水をなみなみ汲んだ桶を手に屋台まで戻ってくると、人だかりはおろかユキちゃん達三人もいなくなってしまった。
……みんな、どこに行っちゃったんだろう?
あたりをキョロキョロ見まわす。屋台の裏から、ラッキョつぼを抱えた女性が顔をのぞかせた。バチっと視線がぶつかる。
「……チッ!なんだい、お前!」
鋭い目つきで睨みつけられ、身体が固まって動けない。女はつぼを持ったまま、脇道へと走り去っていった。
……ど、どろぼう!?
握っていた桶が手から離れバシャッと地面に大きな水溜りをつくる。
せっかく心を込めて作ったラッキョなのに。悔しくて、悔しくて。売り上げた銭を懐にしまうと慌てて女のあとを追いかける。
念のため、袂から浅葱色の巾着を取り出しパラパラとお米をこぼしていった。今朝のすずめのエサがこんなところで役に立つとは。
……雅之助さんなら、きっと見つけてくれるはず。
*
「あれっ、名前さーん?」
「どこにもいないでしゅ……!」
「おーい!ラッキョ漬けを持ってきたぞー!」
「「「大木先生っ!」」」
「なんだ?何かあったのか?」
「名前さんがいないんです!……あと、銭も無くなっちゃいました」
「はあ!?な、なんだとー!?」
杭瀬村からラッキョを持ち帰ると、屋台の周りでくのたまが顔を青くしていた。ただごとではない様子に嫌な汗がこめかみを伝う。水滴を腕でぬぐうと三人にわけを尋ねた。
「……それで、戻ったら名前がいなくなっていたと。なんたる事だ。どこんじょー!が足りないからそうなるんだ!」
「「「す、すみません……」」」
――名前が井戸水を汲みにいったあと。
怪しい女に「もっとよく当たる男の占い師がいる」と言われて三人でついて行き、屋台に戻るとラッキョも銭も盗まれ……。通りかかった野村雄三と一緒につぼを取り返しにボロ屋へ向かい、占い師のフリをした男と女の泥棒二人組を懲らしめ今に至るようだ。
わしのいない間に、よくもまあこんなに事件が起こるものだと頭が痛くなる。
「……それで、野村は?」
「ラッキョの匂いがするーって、途中で逃げちゃいました」
「アイツめ……!」
「「「私たちも名前さんを探しに行きます!」」」
「いや、お前たちはここで待っていろ。わし一人で行く」
井戸のあたりで居なくなったのかと思ったが、屋台のそばに転がった桶を見るに一度戻ってきているようだ。
水浸しになった地面を見つめると、不自然に米が撒かれている。何で米なんか持ってるのか分からんが、忍びに憧れている名前のやりそうなことだ。
くのたまに念押しをして、落ちている米の跡をたどっていった。
街から外れた脇道を進むと、米がぱったりと消える。周囲は草木が生い茂り、朽ち果てた門構えからはボロボロの家屋がのぞいていた。
そろりと中へ進んでいくと、草むらがわさわさと揺れる場所に目に止まった。耳を澄ませるとカサカサする音とは別に女の声が聞こえる。
「んっー!……ぅんん…っ!」
背の高い雑草をかき分けると、芋虫のようにぐるぐると縄で縛られた名前が横たわっていた。
「おい、お前!大丈夫か!?」
「んんんーっ!……ぅんんっ!」
「静かにしろ、今解いてやる」
口も手首も足首も拘束されて、わずかに身体を動かすことしかできない。その様子に奥歯を噛みしめる。
懐から小しころを取り出し、名前の肌を傷つけないよう慎重に縄を断ち切っていく。ギリギリと鋭利な刃と縄がこすれる、粗い音が響いた。
「ぷはぁっ……!はぁ、くるしかったぁ……」
「怖かっただろう」
「雅之助さん……ありがとうございます。泥棒を追いかけたら、こんなことに」
するっと縄を巻きとり端に投げ捨て、名前をゆっくり起こしてやる。手首や足首は赤く擦れたあとが痛々しく、息苦しそうに何度も肩で呼吸をしていた。ほほや着物は土がついて、乱雑に扱われたようで悔しさに苛まれる。
抱きかかえて大きな木の根元へもたれさせるように下ろし、自身もそばに座り込んだ。
「落ち着いたか?」
「はい。……心配かけてごめんなさい」
「あの米はお前だろう? 忍者みたいなことはするなと言うのに」
「だって、ラッキョが盗まれそうになって!……一所懸命作ったのに、許せなくて」
「ラッキョはくのたまが取り返した。二人組の泥棒も退治したようだから安心しろ」
「ユキちゃんたちが……?」
「そうだ、なかなかやるな」
「みんなすごいです! あ、そうだっ、雅之助さん。これ……」
名前が懐から布袋を取り出すと、おずおずとこちらに差し出してくる。中のものがぶつかり合って、金属の硬い音が聞こえる。
「みんなで頑張って売ったから。そんな銭まで無くなったら、かなしくて」
「……ばかもの!」
銭なんて、消えて無くなったってどうとでもなる。危険を省みずそんなことをして、こいつはまったく……。
はにかみながら手渡してくるその腕をぐいっと引き、なだれこむ小さな身体を力強く抱きしめた。
「……く、くるしいです」
「どこんじょー!で我慢しろ」
「……はい」
「無茶ばかりしおって。何かあったらただじゃおかないぞ」
本当に分かったのか分かっていないのか……。胸元に額をぴたりとくっつけ、きゅっと着物の端をにぎってくる。その様子がいじらしくて、さらに腕に力を込めた。
しばらくそのままでいると、腕の中でもぞもぞ動いているようだ。
そっと解放して柔らかいほほに手のひらをあてる。恥ずかしそうな瞳をまっすぐとらえ親指で泥汚れをぬぐった。
「立てるか?」
「だ、大丈夫です、立てます」
「よし。みんなのところへ戻るぞ!」
「はいっ」
細っそりした腕を掴んで引っ張り上げる。フラつく足元を支えるように腰に手をまわすと、二人でゆっくり街へと歩いていった。
*
「ユキちゃん達ー!」
「「「名前さんっ!」」」
屋台のそばで片付けをしているくのたま達を見つけると、雅之助さんの腕からすり抜け急いで駆けよる。
みんなと抱き合うようにくっついて、お互いに顔をくしゃっと歪めて笑い合った。三人で泥棒をやっつけたなんて、自分のことのように嬉しくて誇らしい。
「名前さん、大丈夫でしたか!? そんなに汚れて……」
「色々あったけど大丈夫だよ。……売り上げた銭も、ちゃーんと守ったから安心してねっ」
「私たちとしたことが……ごめんなさい」
「気をつけましゅ……」
「ううん。今日は大活躍してくれてありがとう!」
「さあ、片付けて帰るぞ! シナ先生と学園長先生にも報告しなきゃならん」
大きな声がして後ろを振り返る。腰に手をあて、口を真一文字に結んだ雅之助さんが立っていた。ひたいに巻いた鉢巻きの端っこが風になびいて、ひらりと揺れる。
そういえば……。私も鉢巻きをしたままだったと思い出し、しゅるりと解いて懐へとしまった。
「大木先生、帰る前に……。少しお願いがありまして」
「お願い?なんだ?」
「お団子、食べに行きたいです。みんな頑張りましたし……。だめ、ですか?」
真面目な顔をしている雅之助さんに身体を近づけのぞき込む。前にご馳走してくれるって言ってたし……!今ならきっと、季節限定のお団子があるはずだから食べたいのだ。
「し、仕方がないな。ほれ、行くぞ!」
「……ありがとうございます!みんな、一緒にご馳走してもらおー!」
「「「やったー!」」」
「まあ、よく働いてくれたしな。たらふく食っていいぞ!」
雅之助さんが頭をかきながらタジタジになっている。そんな姿にくすくす笑いが止まらない。
くのたま三人を先頭に、荷車を引きながらお団子屋さんへと向かっていった。
「って、お前たち。たらふく食っていいとは言ったが、食い過ぎじゃないか!?」
隣に座る雅之助さんを見ると、積み上がったお団子のお皿に目を丸くしながら、口を尖らせている。
「だって、さつまいも餡のお団子、秋限定なんですよ?!……とっても美味しいし!ねっ、みんな?」
「「「たらふくいただきまーす!」」」
向かい合って座るユキちゃん達とお団子をほおばり頷きあうと、もう一つお団子を口へ運ぶのだった。
(おまけ)
名前さんの帰りが待ち遠しい。は組の補習で出したテストの採点をしながらソワソワしてしまう。
日も暮れかけた頃。
入門票を確認しに小松田くんのところへ行ってみるか。教員長屋の廊下を歩いていく。
「土井先生っ」
「名前さん!遅かったじゃないか」
「……すみません」
こちらに向かってくる名前さんを見つけて、自然と口元がゆるみ早足になる。近づく彼女の着物が泥で汚れているのを確認すると、なんだか嫌な予感がした。
「……また、なにか事件に巻き込まれたのかい?」
「あ、あの、色々ありましたけど、心配ご無用ですから!」
「まったく、君は……」
焦って視線をさまよわせる名前さんにため息をもらす。何でいつもこう危険な目にあうんだ……!
「でも先生。……前にいただいたプレゼント、お守りになりましたっ」
名前さんが懐から浅葱色の小さな巾着を取り出し、ゆらゆらと揺らす姿にドキリとする。
お守りだなんて、そんな可愛らしいことを言って……!
首を傾げながらにっこり笑って見つめられると、とがめようと思った言葉が引っ込んで……。結局、なにも言えなくなってしまうのだった。
冷たく乾いた風が通り抜け、色づいた落ち葉がサラサラと地面を転がっていく。秋がだいぶ深まってきた。
「ほら、こっちにおいで」
食堂の裏に集まったすずめ達を見ながら、寒さに腕をさする。パラパラとお米を撒いてあげると、チュンチュンと喜ぶかのようにさえずっていた。
今日はユキちゃん達と一緒に街でラッキョを販売する日だ。食堂で朝食の片付けをしたら、出かける準備をしないと。
余ったお米を土井先生から頂いた浅葱色の巾着に忍ばせる。わくわくする気持ちを胸に、調理場へと急いだ。
*
せっかくの休日なのに、あいつらの補習をしなきゃならん。何度教えても頭に入らないのは、私の教え方が悪いのか?!落ち込んで胃がキリキリする。
ため息をつきながら、教室に向かおうと部屋を出たところで名前さんと出くわした。きれいに化粧をほどこし、藤色の着物に身をつつむ姿に目を奪われる。胃の痛みが吹き飛んでしまいそうだ。
「名前さん。お使いに行くのかい?」
「土井先生っ。今日は、ユキちゃん達と大木先生のラッキョを売りに街へ行くんです」
「名前くん、くのたまと一緒に行くのか。乱太郎達は補習だから、大木先生の依頼を断ってしまったんだが……。半助に伝えてなかったな」
「え、山田先生、そうだったんですか?!今初めて知りました……」
話を聞いていたのか、山田先生が後ろからひょっこり出てきてバツが悪そうにあごをさすった。
乱太郎たち三人なら、担任として見に行く口実ができたのに。くのたま達と一緒なら、名前さんを心配して……という事がみんなにバレバレじゃないか。
「ラッキョ娘として頑張ってきます!」
「名前くん。大木先生によろしく頼む」
「はい!お伝えしておきますね。……って土井先生、顔色が悪いですよ?」
「そ、そうかい?……また変なことに巻き込まれないように、気をつけて」
「大木先生もいるから大丈夫ですよ。いってきます!」
名前さんは、赤くて小さな唇をニッとつりあげる。ぺこりとお辞儀をしてから、足取りかるく廊下を進んでいってしまった。
……街でラッキョを売るだけだ。
変な事件は起こらないだろうと自身に言い聞かせた。
*
シナ先生にご挨拶してから、ユキちゃんトモミちゃんおシゲちゃんと一緒に街まで歩いていく。三人とも淡い黄色の手ぬぐいを頭に巻いて、きみどり色の着物姿だ。お揃いだから、三人娘という感じで可愛らしい。
「この辺りで待っていれば大丈夫かなあ?」
街につき、さらに歩いて雅之助さんの居場所をさがす。「産地直送・卸売」とか、「杭瀬村」なんて書かれた簡易的な屋台が土塀のそばに建ててあるのを見つけ、四人で立ち止まった。
「らっきょう」の旗も立っているし、たぶんここで間違いない。
「大木先生、もうすぐ来ましゅよ」
「はぁ……せっかくの休日なのにぃ!」
「ほんとよねー」
「二人とも、まぁまぁ。終わったら、お団子ごちそうしてもらおう? それには、いっぱいラッキョを売って大木先生を驚かせなきゃ」
「名前さんの言う通り!今こそ、くのたまの力を見せるときでしゅ!」
「「「おーっ!」」」
お休みなのに授業の一環といって駆り出されたことが不満なのか、ユキちゃんトモミちゃんは口を尖らせていた。けれど、なんとかみんなの気持ちを高め、がんばる雰囲気になり一安心だ。
この前もらった白い鉢巻きを懐から取り出し、頭に巻くと気合を入れる。
「「「名前さん、鉢巻きって!」」」
「大木先生からいただいたから、使ってみようと思って」
「可愛いでしゅ!」
「そうかな? ありがとう」
みんなから大笑いで突っ込まれてしまったけれど……。可愛いなんて言ってくれて、お世辞でも嬉しくなってしまった。
四人でわいわいしていると、遠くからガラガラと荷車を押す音が聞こえてきた。カチャカチャとラッキョつぼのぶつかる音が響く。
「「「「大木先生ー!お待ちしてましたー!」」」」
「遅くなったな! って、名前も来てたのか」
「はい、ユキちゃんたちに誘われちゃいまして。私も頑張りますっ」
「お? さっそく鉢巻きをつけて偉いぞ!よく似合ってる」
「あはは、嬉しいです」
「大木先生?……私たちのこと忘れてませんか?!」
「忘れてはおらん!くのたま諸君、今日はよろしく頼むぞ!」
「「「はーい!」」」
ユキちゃん達がラッキョをのせた平皿を手に、「試食はいかがですかー?」なんて呼び込みをする。一方、私は屋台で雅之助さんと一緒に商品を渡したりお代を受け取ったりしていた。
銭のやり取りは一人でしたことがなくて、少し不安だったのだ。お使いも一人で行ったことはないし、いつも誰かに付き添ってもらっていたからお釣りを間違わないように注意をはらう。
さっそく試食を気に入ったおばあさんがこちらへやって来た。
「ラッキョ、ひとつ頂戴な」
「はいっ、ありがとうございます!」
「これで銭は足りるかい?」
「えっと……、ちょうど頂きますっ」
「まいど、どーも!」
隣でラッキョのつぼを渡す雅之助さんをチラリと見上げ、うむと頷いてくれたから安心する。横から豪快に対応する姿がおかしくて、クスッと笑いがもれた。
「大木先生。一緒にみてくれて助かります」
「名前ひとりで充分、任せられるんだがな」
「だって……。びた銭とかよく分からなくって」
「ほら、これが普通の銭でこっちの欠けているものがびた銭だ。分かるか?」
「うーん、並べると分かりやすいですね。色とかたち、よく覚えておかなきゃ」
「勉強熱心で良いことだ!」
「知らないことばかりで、申し訳なくって」
「気にするな」
屋台の小さな作業台で、先生と身体を寄せ合って銭の見分け方を教えてもらっていると、なにやら鋭い視線を感じて顔を上げた。
「ちょっとー、お二人の世界に入らないでくださーいっ!お客さん、並んでますよー?」
「ユ、ユキちゃん!ごめんっ!」
「すまんすまん!」
二人の世界って……!
そんなつもりはなかったのに、急に恥ずかしさが襲ってきて大木先生から少し身体を離した。
「ユキちゃん、今度は私が呼び込みするね!」
「じゃあ私はお代を受け取りまーす!」
ラッキョを並べたお皿を受け取ると、行き交う街の人々に声をかける。細かい銭のやり取りより気が楽だし、何よりお客さんとお話しするのは楽しかった。
「杭瀬村で作った美味しい塩漬けラッキョでーす!生産者から直接お届けしまーす!」
「あら、味見させて?」
「どうぞっ。おつまみにもぴったりで美味しいですよ」
「そうねぇ、いただこうかしら」
「ありがとうございます!こちらで販売していますので……」
お客さんを案内して、みんなを確認するとニコッとうなずいた。試食をしているからか、人が人を呼ぶ状態で屋台の前にはお客さんでいっぱいだ。
「さすが、くのいち教室はすごいな!シナ先生にお礼を言わなきゃならん」
「ほんと、みんなのおかげだよ」
「わしは杭瀬村に戻ってラッキョを持ってくる!」
「「「えーっ!?」」」
ラッキョが少なくなって、もう店じまいかな……?なんて思っていたのに。追加で持ってくると言われて、三人ともガックリ肩を落とす。雅之助さんはそんなことお構いなしで、荷車を押しながら走っていってしまった。
必死にラッキョを売っていると、いつの間にか人の波も落ち着いてきた。人の往来で土ぼこりが立ったからか、ざらついた街の空気が鼻腔をかすめる。
大切に育てたラッキョを美味しい!と喜ぶお客さんがこんなにいるなんて。大変だったけれど、これまでのお手伝いが報われたようで疲労感が消え去っていく。
「ねぇ、名前さん。この間の占い、続き見て欲しいんです!」
「あ、そうだったね!少し時間もあるからみてあげる」
屋台に四人集まって、みんなに手のひらを出してもらった。小さくて、でも所々に豆ができてしっかりとした感触。授業を頑張っているんだなぁと愛おしい気持ちになる。
「おシゲちゃん、この線がしっかりしているから……将来安泰じゃないかな」
「えーっ。嬉しいでしゅ!」
「結婚線も、真っ直ぐだし……いい人と結ばれるよ、きっと」
「しんべヱさまかしら〜」
「つぎ、私お願いしまーす!」
「ユキちゃんずるーいっ」
「まだまだ、時間はあるから大丈夫だよ」
本や何かから聞いた知識をそれらしく言っているだけで、かなり怪しい占いだ。みんなを騙しているようで少し心苦しい。でも今更そんなこと言えないし……。当たり障りのないことを、ふんわりと伝えていった。
「名前さん、すごーい!占い師やったらいいのに!」
「当たってる気がするもの!」
「またまた、そんな……」
キャッキャしながら寄り集まっていると、占いという言葉に反応した街の人がなになに?と集まってきた。
「あなた、占い師なの?!あたしも見て欲しいんだけど!」
「いえ、違うんですけど……!」
「でもよく当たるんでしょ!?」
「ここにすごい占い師がいるぞー!」
あはは……なんて誤魔化しているけれど、人だかりに野次馬が集まってもう収拾がつかない。
「私、屋台の水拭きするから、井戸までお水汲んできまーす!」
まさかこんな事になるとは……。
どうしたら良いか分からず、桶を持って逃げるように井戸へと走っていった。人波の中に赤いサングラスの人が見えて、一瞬ドクタケの人かと思ったけれど……。気のせいかもしれない。
――ピチャピチャピチャ
「……あれ?」
井戸水をなみなみ汲んだ桶を手に屋台まで戻ってくると、人だかりはおろかユキちゃん達三人もいなくなってしまった。
……みんな、どこに行っちゃったんだろう?
あたりをキョロキョロ見まわす。屋台の裏から、ラッキョつぼを抱えた女性が顔をのぞかせた。バチっと視線がぶつかる。
「……チッ!なんだい、お前!」
鋭い目つきで睨みつけられ、身体が固まって動けない。女はつぼを持ったまま、脇道へと走り去っていった。
……ど、どろぼう!?
握っていた桶が手から離れバシャッと地面に大きな水溜りをつくる。
せっかく心を込めて作ったラッキョなのに。悔しくて、悔しくて。売り上げた銭を懐にしまうと慌てて女のあとを追いかける。
念のため、袂から浅葱色の巾着を取り出しパラパラとお米をこぼしていった。今朝のすずめのエサがこんなところで役に立つとは。
……雅之助さんなら、きっと見つけてくれるはず。
*
「あれっ、名前さーん?」
「どこにもいないでしゅ……!」
「おーい!ラッキョ漬けを持ってきたぞー!」
「「「大木先生っ!」」」
「なんだ?何かあったのか?」
「名前さんがいないんです!……あと、銭も無くなっちゃいました」
「はあ!?な、なんだとー!?」
杭瀬村からラッキョを持ち帰ると、屋台の周りでくのたまが顔を青くしていた。ただごとではない様子に嫌な汗がこめかみを伝う。水滴を腕でぬぐうと三人にわけを尋ねた。
「……それで、戻ったら名前がいなくなっていたと。なんたる事だ。どこんじょー!が足りないからそうなるんだ!」
「「「す、すみません……」」」
――名前が井戸水を汲みにいったあと。
怪しい女に「もっとよく当たる男の占い師がいる」と言われて三人でついて行き、屋台に戻るとラッキョも銭も盗まれ……。通りかかった野村雄三と一緒につぼを取り返しにボロ屋へ向かい、占い師のフリをした男と女の泥棒二人組を懲らしめ今に至るようだ。
わしのいない間に、よくもまあこんなに事件が起こるものだと頭が痛くなる。
「……それで、野村は?」
「ラッキョの匂いがするーって、途中で逃げちゃいました」
「アイツめ……!」
「「「私たちも名前さんを探しに行きます!」」」
「いや、お前たちはここで待っていろ。わし一人で行く」
井戸のあたりで居なくなったのかと思ったが、屋台のそばに転がった桶を見るに一度戻ってきているようだ。
水浸しになった地面を見つめると、不自然に米が撒かれている。何で米なんか持ってるのか分からんが、忍びに憧れている名前のやりそうなことだ。
くのたまに念押しをして、落ちている米の跡をたどっていった。
街から外れた脇道を進むと、米がぱったりと消える。周囲は草木が生い茂り、朽ち果てた門構えからはボロボロの家屋がのぞいていた。
そろりと中へ進んでいくと、草むらがわさわさと揺れる場所に目に止まった。耳を澄ませるとカサカサする音とは別に女の声が聞こえる。
「んっー!……ぅんん…っ!」
背の高い雑草をかき分けると、芋虫のようにぐるぐると縄で縛られた名前が横たわっていた。
「おい、お前!大丈夫か!?」
「んんんーっ!……ぅんんっ!」
「静かにしろ、今解いてやる」
口も手首も足首も拘束されて、わずかに身体を動かすことしかできない。その様子に奥歯を噛みしめる。
懐から小しころを取り出し、名前の肌を傷つけないよう慎重に縄を断ち切っていく。ギリギリと鋭利な刃と縄がこすれる、粗い音が響いた。
「ぷはぁっ……!はぁ、くるしかったぁ……」
「怖かっただろう」
「雅之助さん……ありがとうございます。泥棒を追いかけたら、こんなことに」
するっと縄を巻きとり端に投げ捨て、名前をゆっくり起こしてやる。手首や足首は赤く擦れたあとが痛々しく、息苦しそうに何度も肩で呼吸をしていた。ほほや着物は土がついて、乱雑に扱われたようで悔しさに苛まれる。
抱きかかえて大きな木の根元へもたれさせるように下ろし、自身もそばに座り込んだ。
「落ち着いたか?」
「はい。……心配かけてごめんなさい」
「あの米はお前だろう? 忍者みたいなことはするなと言うのに」
「だって、ラッキョが盗まれそうになって!……一所懸命作ったのに、許せなくて」
「ラッキョはくのたまが取り返した。二人組の泥棒も退治したようだから安心しろ」
「ユキちゃんたちが……?」
「そうだ、なかなかやるな」
「みんなすごいです! あ、そうだっ、雅之助さん。これ……」
名前が懐から布袋を取り出すと、おずおずとこちらに差し出してくる。中のものがぶつかり合って、金属の硬い音が聞こえる。
「みんなで頑張って売ったから。そんな銭まで無くなったら、かなしくて」
「……ばかもの!」
銭なんて、消えて無くなったってどうとでもなる。危険を省みずそんなことをして、こいつはまったく……。
はにかみながら手渡してくるその腕をぐいっと引き、なだれこむ小さな身体を力強く抱きしめた。
「……く、くるしいです」
「どこんじょー!で我慢しろ」
「……はい」
「無茶ばかりしおって。何かあったらただじゃおかないぞ」
本当に分かったのか分かっていないのか……。胸元に額をぴたりとくっつけ、きゅっと着物の端をにぎってくる。その様子がいじらしくて、さらに腕に力を込めた。
しばらくそのままでいると、腕の中でもぞもぞ動いているようだ。
そっと解放して柔らかいほほに手のひらをあてる。恥ずかしそうな瞳をまっすぐとらえ親指で泥汚れをぬぐった。
「立てるか?」
「だ、大丈夫です、立てます」
「よし。みんなのところへ戻るぞ!」
「はいっ」
細っそりした腕を掴んで引っ張り上げる。フラつく足元を支えるように腰に手をまわすと、二人でゆっくり街へと歩いていった。
*
「ユキちゃん達ー!」
「「「名前さんっ!」」」
屋台のそばで片付けをしているくのたま達を見つけると、雅之助さんの腕からすり抜け急いで駆けよる。
みんなと抱き合うようにくっついて、お互いに顔をくしゃっと歪めて笑い合った。三人で泥棒をやっつけたなんて、自分のことのように嬉しくて誇らしい。
「名前さん、大丈夫でしたか!? そんなに汚れて……」
「色々あったけど大丈夫だよ。……売り上げた銭も、ちゃーんと守ったから安心してねっ」
「私たちとしたことが……ごめんなさい」
「気をつけましゅ……」
「ううん。今日は大活躍してくれてありがとう!」
「さあ、片付けて帰るぞ! シナ先生と学園長先生にも報告しなきゃならん」
大きな声がして後ろを振り返る。腰に手をあて、口を真一文字に結んだ雅之助さんが立っていた。ひたいに巻いた鉢巻きの端っこが風になびいて、ひらりと揺れる。
そういえば……。私も鉢巻きをしたままだったと思い出し、しゅるりと解いて懐へとしまった。
「大木先生、帰る前に……。少しお願いがありまして」
「お願い?なんだ?」
「お団子、食べに行きたいです。みんな頑張りましたし……。だめ、ですか?」
真面目な顔をしている雅之助さんに身体を近づけのぞき込む。前にご馳走してくれるって言ってたし……!今ならきっと、季節限定のお団子があるはずだから食べたいのだ。
「し、仕方がないな。ほれ、行くぞ!」
「……ありがとうございます!みんな、一緒にご馳走してもらおー!」
「「「やったー!」」」
「まあ、よく働いてくれたしな。たらふく食っていいぞ!」
雅之助さんが頭をかきながらタジタジになっている。そんな姿にくすくす笑いが止まらない。
くのたま三人を先頭に、荷車を引きながらお団子屋さんへと向かっていった。
「って、お前たち。たらふく食っていいとは言ったが、食い過ぎじゃないか!?」
隣に座る雅之助さんを見ると、積み上がったお団子のお皿に目を丸くしながら、口を尖らせている。
「だって、さつまいも餡のお団子、秋限定なんですよ?!……とっても美味しいし!ねっ、みんな?」
「「「たらふくいただきまーす!」」」
向かい合って座るユキちゃん達とお団子をほおばり頷きあうと、もう一つお団子を口へ運ぶのだった。
(おまけ)
名前さんの帰りが待ち遠しい。は組の補習で出したテストの採点をしながらソワソワしてしまう。
日も暮れかけた頃。
入門票を確認しに小松田くんのところへ行ってみるか。教員長屋の廊下を歩いていく。
「土井先生っ」
「名前さん!遅かったじゃないか」
「……すみません」
こちらに向かってくる名前さんを見つけて、自然と口元がゆるみ早足になる。近づく彼女の着物が泥で汚れているのを確認すると、なんだか嫌な予感がした。
「……また、なにか事件に巻き込まれたのかい?」
「あ、あの、色々ありましたけど、心配ご無用ですから!」
「まったく、君は……」
焦って視線をさまよわせる名前さんにため息をもらす。何でいつもこう危険な目にあうんだ……!
「でも先生。……前にいただいたプレゼント、お守りになりましたっ」
名前さんが懐から浅葱色の小さな巾着を取り出し、ゆらゆらと揺らす姿にドキリとする。
お守りだなんて、そんな可愛らしいことを言って……!
首を傾げながらにっこり笑って見つめられると、とがめようと思った言葉が引っ込んで……。結局、なにも言えなくなってしまうのだった。