1章

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名前

〜第3話 不安と期待〜



突然、お家に連れて行かれて、朝ごはんをいただいて。数時間前に森で遭難しかけたのが嘘のようだった。

朝晩は冷えるが昼間は太陽の日差しでぽかぽか暖かい。開いた戸から柔らかに入り込んでくる風も気持ちが良かった。

すっかりお腹も満たされ土壁にもたれながらウトウトまどろんでいる。すると、食器を片付けてラッキョや野菜畑の見回りを終えた雅之助さんが戻ってきた。


「おかえりなさい」

ぼんやりした頭でそう言うと、わしの家なんだがなと笑っている。そうだった!と急に現実に引き戻され、覚醒する。


「そうだ、名前。お前の格好だと、変に目立ってしまう。着替えたほうがいい」

「……そ、そうですよね」

雅之助さんは部屋の隅にある膝丈ほどの箪笥を開き、ごそごそと男物の着物と袴を取り出す。


「わしの着古しで悪いが、しばらくはこれで我慢してくれ」

「ありがとうございます!何から何まですみません」

ぺこりとお辞儀をして着物を受け取る。
少し汚れたそれは、白地に青いくるくるした鳥が描かれている。袴は黒っぽい。雅之助さんの着ていたものだから、だいぶ大きそうだ。


たしかに、今の格好では明らかに浮いている。


「わしは外で待っているから、ゆっくり支度するといい」

「えっと、その……!」


着物を持ってどうやって着替えようか戸惑っていると、雅之助さんが開いた戸口から出て行こうとする。着替えるのに邪魔だと思ったのだろう。でも着方がわからない。


「ちょっと待ってください、雅之助さんっ。……あの、着方が分からないので教えていただけますか……?」

「かまわんが……」

急いで呼び止め、正直に着方が分からないともじもじ伝える。困ったやつだなと言う顔で頭をぽりぽり掻きながら、丁寧に着付け方を教えてくれた。

そのあと、一人でなんとか着てみたがやっぱり男物だからぶかぶかだ。衿もとや腰のあたりの着付けが上手くできず布がたるんでいる。袴もこれで合っているのだろうか……?


しばらくして戻ってきた雅之助さんに、これで合っているか尋ねると一瞬はっとしたように見えた。

……やっぱり、変なのかも。


寄れているところをピッと直してもらう。
雅之助さんは私の全身を見回して、うんうん上出来だと頷いた。




「まぁ、これで様になっただろう」

名前と名乗る女は本当にこの世界のことを何一つ知らないようで、その度に驚かされる。


着付け方が分からないというのには困った。本当は着せながら教えてやりたかったが、勿論そんなわけにはいかない。


腰紐を直すため伏せられた瞳は睫毛が不安げにゆれ、これで合っているか?と見つめられるととっさに言葉が出なかった。

……まったく、年甲斐もないなと苦笑する。


名前は着ていた奇妙な衣をきれいに畳み、部屋の隅に置いた。


「履き物は、どうしましょう」

「あぁ、それも変えた方が良いな」

指差したものは、やはりここでは目立ってしまう。ほれ、と履いていない草鞋を手渡す。大きさが合わず不恰好だが間に合わせなので仕方がない。

こちらもどうしたら良いか分からないようだったので、名前をへりに座らせ自分はしゃがみ込んで履かせてやる。紐で調節してやると、大分ましになっただろう。


「ありがとうございます!……少しはこちらの住人に見えますか?」

両手を広げながらくるりと回って自分の姿を確認している。


「大分近づいたぞ。本当なら、女性物の着物を着せてやりたいが。……まぁ、60点というところだな」

「えー!厳しいですね、なんだか先生みたい」


ニカっといじわるに笑ってからかう。名前は、もっと良い点が採れるよう頑張らなきゃ!と着物を見つめていた。


先生、という言葉に一瞬びくりとする。自分の正体は明かしていないが何か感じ取ったのだろうか。そんな事を考えていると、ふと名前が遠慮がちにつぶやく。


「せっかく着替えたので、ケロちゃんとラビちゃんに出会った森に行ってもいいですか?なにか手がかりがあるかも……」

「わしも一緒に行こう。お前ひとりでは心配だ」

朝は色々ありすぎてじっくり調べられなかったが、今なら落ち着いて探索できる。


戸口を出るとケロちゃんとラビちゃんが駆け寄ってくる。一緒に行くか、とケロちゃんの背中を撫でると嬉しそうに体を擦り寄せてきた。





みんなで朝きた森へと向かう。
名前は終始キョロキョロとして見落としがないように辺りに目を配っていた。

焦る様子で草木をかき分け、ずんずん森の中を進んでいく。そんな彼女を見失わないように、自身も辺りを確認する。


探しながら何か覚えていることはないかと尋ねるが、家族や自身の事さえもよく覚えていないと話していた。

真剣な顔で手がかりを探す姿に、何とかしてやりたいが……。そんな中、ケロちゃんとラビちゃんと戯れる様子にひととき気持ちが癒されるようだった。



半刻ほど歩くと、慣れない草鞋のせいもあって名前は根を上げた。

「足が擦り切れてしまって。……少し休んでも良いですか?」

「これは痛そうだなあ。早く気づいてやれず悪かった」


見ると鼻緒やかかとの部分の皮がめくれて血が滲んでいた。いつもなら、どこんじょー!と叫ぶところだが痛々しくて言葉を飲み込む。名前を横に抱きかかえ、ケロちゃんとラビちゃんを呼び寄せながら家路を急いだ。


「あの、私重いですから!しかも、まだ調べきれていないですし!」

「お前の重さなんぞでわしがヘタると思うか?また明日、調べればいい」

「いえ、でも……!」


名前は降ろして、と胸をバンバンたたいてくる。そんなもの、わしにはびくともしないと言うのに。


「ずいぶん軽いがちゃんと食べてるのか?」


からかいながら、抵抗を無視して歩き続けた。
次第に諦めたのか、落ちないようにぎゅっと自分の胸元にしがみついてくる。その様子がまるで小動物を彷彿とさせた。


抱きかかえた身体は柔らかく、ふわりとしていて。
名前の手足や肌を見るに、こちらに来る前は力仕事などしていないかったのではないか。

丁寧に扱われていたような風貌や体つきがさらに彼女への興味と想像を掻き立てる。


……高貴な女性という感じでもない。親しみやすさはあった。

いつ、どうやって元の場所へ帰してやれるのだろうか……。足を進めながら思案を巡らせた。





家の前に着くと、名前をゆっくり降ろしてやる。


「ご迷惑をおかけしちゃってすみません……」

「さっきも言ったが、気にすることはない。また調べに行きたかったら、どこんじょー!でいつでも付き合ってやる」

「ありがとうございます!……でも、どこんじょー!ってなんですかっ」

「心配だからひとりでは行くなよ」

名前は面白そうにくすくす笑っている。
ご迷惑かけないようにします!と意気込んでいるけれど、迷惑なんかではなく心配なんだがなぁと心の中で苦笑する。




それから、軽く腹ごしらえをして畑の様子を見に出かけた。手伝います!と着いてこようとする名前には、無理せず休むようにと伝える。


彼女は草を食んでいるケロちゃんを撫でたり、木陰で寝ているラビちゃんと一緒にのんびり過ごしているようだ。その様子を微笑ましく眺めつつ、畑仕事を黙々とすすめた。





――日が陰り肌寒くなって家に戻ると、雅之助さんもその後すぐ帰ってきた。

井戸の汲み方や火の扱い方など、彼の横でそっと見学しながらふむふむと頭に叩き込む。

勉強熱心で良いことだと褒めてくれて嬉しくなる。
いつ元の世界に戻れるか分からない。でも早くこちらの生活に慣れて、雅之助さんのお手伝いくらいはできるようにならなきゃ……!





――夜。
新鮮な野菜で作った煮物と炊き立てのご飯をほおばりながら、雅之助さんはなぜかラッキョについて熱く語ってくれた。

もう少しすると収穫をするため、春は大切な時期のようだ。暖かくなると人間も嬉しいけれど、害虫や雑草も同じでたくさん発生すると教えてくれた。


名前も、もちろん手伝ってくれるだろう?これも勉強の一環だ」

「え、虫ですか……!?私、その前に元のところに戻っちゃうかもです!残念ですがお手伝いできないかもしれません!」

勉強だなんて、もっともらしく言ってくる。それだけは勘弁してほしいと、できない理由を慌てて並べたてた。


「どこんじょー!でも、これだけは無理ですからねっ」

雅之助さんは絶対に「どこんじょーだ!」と言ってくる事を想定して、重ねて念を押す。

その焦った姿が面白いのか、雅之助さんがわはは!と豪快に笑っていて。なんだか面白くなくて口を尖らせてみた。





しばらくすると辺りも真っ暗になり、たくさんの星がきらきらと瞬いている。部屋の中は小さな炎がひとつだけ。薄暗く、視界にモヤがかかったようだった。


寝巻きをうけとり、なんとか着てみる。不恰好だけど着られないことはない。

雅之助さんの目の前に正座して、かしこまる。
ご飯をご馳走してもらい、さらに泊まらせてもらうことに改めてお礼を言いたかったのだ。


「あの、雅之助さん。もし、雅之助さんに助けていただけなかったら……。のたれ死んだり、襲われたり……ひどい目にあっていたかもしれません」

「本当に無事でよかったなあ。不安だとは思うが、名前が早く元の場所へ戻れるようにわしも協力する。安心しなさい」


固くこぶしを握りしめて顔を見せない様にうつむく。優しく頭を撫でられると、思わず心がぎゅーっと締め付けられる。

すぐ先の、明日も見えない状況に押し潰されそうになっていたのに。その一言で堪えていた涙がぽろぽろこぼれて止まらない。


まだ出会ったばかりで。
何だかよく分からない、あやしい人物であろう自分に、こんなにも優しく接してくれるなんて。


申し訳なさと、不安と、嬉しさと……。全部がない混ぜになって、気持ちを抑えきれなかった。


雅之助さんは私が泣き止むまで隣に座って、よしよしと背中をさすってくれる。徐々に気持ちが落ち着いてくると、今度は気恥ずかしさが襲ってきた。



「……ありがとうございました。泣いたら少し落ち着きました。……頑張ろうって、気持ちになりました」

「そりゃあよかった」

涙に濡れたまぶたを擦りながら微笑むと、雅之助さんも安心したようだった。




「ゆっくり休むんだぞ」

敷いてくれた布団は所々つぎはぎだらけで、彼の大雑把な性格を表しているようだ。くすっとしながら布団にもぐり込む。


うーん、やっぱりふかふかで気持ちいい……!
伸びをしていると意識がおぼろげになり、そのまま眠りに落ちていくのだった。



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