2章
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〜第35話 紅と手ぬぐい〜
すっかり秋めいて、抜けるような青空に小さな雲が浮かんでいる。太陽の光はさんさんと降り注ぐけれど、爽やかな風が午後の暑さを吹き飛ばしていく。はらはら舞う木の葉の音が中庭に心地よく響き渡った。
土塀の近くから中庭へ、ほうきを握りしめ落ち葉を掃除をしている。
地面に目を凝らして確認するのは、喜八郎くんの落とし穴に引っかからないためでもあった。もちろん、ヒントを掃いてしまわないように注意して……。
「あらぁ。名前ちゃんお疲れさま〜!」
必死に手を動かしていると、なんとも言えないダミ声で呼びかけられびっくりしてしまった。落としていた顔を上げ、その姿を確認すると思わず笑顔になる。
「伝子さんっ!」
「さっきまで、女装の授業だったのよ。うふふ」
「そうだったんですね!お疲れ様ですっ」
「そういえば……最近、紅を付けないのねぇ?」
「実は、使い切ってしまって。街に買い物に行きたいなって思ってるんですけど……」
「あらっ!名前ちゃんが良ければ、これから伝子と一緒にお買い物に行きましょっ?」
「わぁっ……!嬉しいですっ!」
伝子さんは青紫色に大柄な赤い花が描かれている着物を難なく着こなして、くすんだ濃いピンク色の口紅が肌の色に映えていた。似合う色を見繕ってもらったら間違いないかも……!
突然の嬉しいお誘いに胸をときめかせつつ、ほうきを倉庫にしまうと吉野先生のいる事務室へ急いだ。
*
「伝子さん、では行きましょー!」
「名前ちゃん、目が輝いているわよ?」
「だって、ずっと伝子さんと街に行きたいなと思ってたので……!」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないっ」
吉野先生と食堂のおばちゃんに報告するとにこやかに送り出してくれ、自室で着物に着替えてから急いで正門へと駆けて行く。途中で土井先生にばったり出くわし、かくかくしかじかお話しすると、困ったように眉を下げて笑われてしまった。
街に続く道を歩きながら隣をチラリと窺う。
伝子さんはツヤツヤした黒髪がゆるりと揺れ、しゃなりしゃなり歩く姿はまるで女性そのものだった。
「やっぱり、本当にお綺麗です……!」
「そんなに褒められると恥ずかしいわぁ」
「ふふっ。そうそう、前に大木先生に紅を塗ったら大変なことになったので!すごくおかしかったんですよ」
「大木先生ねぇ……。想像できないわね!」
二人でくすくす笑いながらジャリジャリと土を踏みしめながら進んでいく。どれだけ歩いても清々しい気候が心地よく、立ち並ぶ樹々の香りを愉しみながら胸を躍らせるのだった。
段々と人の行き来が増え、向こうの方からは騒がしい声が聞こえてくる。
「名前ちゃん、着いたわよ」
「いつ来ても、とてもわくわくします!」
「じゃっ、最初は小間物屋ね」
「はいっ!」
はやる気持ちを抑えて、人波をかいくぐり小走りでお目当てのお店へと急ぐ。そんな姿に伝子さんはあらまぁ、なんて目を細めていた。
店先には色とりどりの小物が並べられ、太陽の光を浴びてきらきらしている。あまりにも素敵で、紅以外のくしや手ぬぐいにも目を奪われてしまった。
「名前ちゃんなら、この色はどうかしら?」
「桃色がとても可愛らしいですね。迷っちゃいます……!」
「あら〜、これも良いわね!肌の色が白く映えるわ」
「えへへ、そうですかっ?」
少し落ち着いた朱色の紅は顔に合わせてみるととてもしっくりきて、伝子さんとニコッと笑うとうんうん頷きあった。
……畑仕事で日焼けしてしまったから、一緒に見てもらって正解だ。
「あたしからプレゼントさせて〜?」
「え!そんなっ、そのお気持ちだけで胸いっぱいですから!」
伝子さんがプレゼントしてくれそうになって丁重に遠慮すると、口を尖らせて少し残念そうにしている。
いつも頑張っているから……なんて、その言葉だけで充分嬉しかった。私の方が先生たちのお世話になってばかりなのだから。
「あっあと、手ぬぐいも……!」
「いいわよぉ。せっかくだから色々見ましょ!」
「ありがとうございます!」
秋桜を彷彿とさせる澄んだ桃色に、小さな花弁の模様が染め抜かれたものを手に取る。
いつも気遣ってくれて、不慣れな私に優しく料理を教えてくれるおばちゃんに、ちょっとした贈り物をしたいと前から思っていたのだ。
店主のおじさんに渡す銭を伝子さんに確認してもらって、お代を支払う。たぶん間違いはないと思うけれど心配で念のため見てもらったのだ。まだまだ、一人で買い物は不安だった。
手ぬぐいを綺麗に包装してもらい袂に忍ばせると、隣の伝子さんとほほ笑みあった。
「素敵なものが買えて良かったわね」
「伝子さんに見てもらったおかげです」
「ねぇねぇ、お団子でも食べて休憩しない?」
「わぁい。ぜひっ」
きゃっきゃしながら二人でお団子屋さんへ歩いていると向こうから涼やかな目元の青年がやってきた。
……あの人は、もしかして。
こちらに気付くと、ギクッとした表情になって顔を伏せている。
「あらぁ、利吉じゃないっ」
「利吉さん、こんにちは!」
「あ……、はい。こんにちは」
「伝子さんにお買い物を付き合ってもらっていて。これからお団子屋さんに行くところなんですよ」
「で、伝子さん……」
「……なによその顔は?」
「利吉さんも一緒にいかがですか?」
「いや、私は……」
「あんたも行くのよッ!」
「わ、分かりましたから!父上、その手を離してくださいっ!」
伝子さんが引きずるように腕を絡めると、利吉さんはぞぞーっとした顔色になってこちらに助けを求めてくる。
「で、伝子さん!私も利吉さんもお店が分からないので、先導してくださいますか……?」
「あら、いいわよっ!おすすめのお店があるから着いてきて?」
「……利吉さん。私と行きましょ?」
「名前さん、助かります……!」
得意げに歩く伝子さんを前に、やれやれといった様子の利吉さんにこそっと耳打ちする。時折り二人で顔を見合わせながら、はぐれないように後をついていった。
こじんまりとした団子屋を前に、三人で足を止める。
「さ、ここよ!」
お客さんの出入りが忙しなく、とても繁盛しているようだった。伝子さんに続いて店内に入ると、奥まった席に腰かける。街まで歩き通しで、小間物屋でも結構な時間をかけて吟味していたからか、足が棒のようになってしまった。
「ふぅ。お茶が身に染みます……」
「名前ちゃん、たくさん歩いたものね?」
「父上、あまり無理をさせたら名前さんがかわいそうです」
「分かってるわよ!それにしても、父上ですって……?!」
「お二人とも、まぁまぁ……」
そんなやり取りをしていると頼んだお団子が運ばれてきた。ピンクと白と緑の丸い餅が連なって、なんとも美味しそうだ。三人でもぐもぐといただきながら、隣に座る利吉さんに視線を向ける。
「利吉さん、街にご用があったのですか?」
「はい、ちょっとした仕事がありまして。もう片付いたので、例のものを取りに学園へ向かうところだったんです」
「山田先生の……お洗濯物ですか?」
「ええ。……ですよね、伝子さん?」
利吉さんが意味深に向かいの伝子さんに微笑むと、伝子さん……もとい山田先生はバツの悪そうな顔でお茶をすすった。
「あ、そうそう。名前さん。面白い話がありまして。なんでも、近く堺の港に南蛮船が来るらしいですよ」
「へぇ……!南蛮船ですかぁ」
「しんべヱのパパさん、忙しくなるかしらねぇ」
「たしか、貿易商でしたよね。しんべヱくんに聞いてみようかな。ぜひ見に行ってみたいです……!」
「名前さん、好奇心旺盛ですね」
南蛮船ってすごく大きいのかな……?
どんなものが運ばれて来るのだろう?!
身を乗り出して話すからか、二人に笑われてしまった。
――ジャリジャリジャリ
お団子屋さんを後にすると学園へ続く道を歩いていく。夕方近くなると冷んやりした風が木々を揺らし少し肌寒い。
利吉さんは相変わらず伝子さんと歩きたくないようで、私の腕をきつく抱えて爽やかに笑いかけてくる。キラキラした利吉さんにそんなことをされると、こちらの心臓がもたないのに。しかも、道ゆく女性がこそこそと変な目で見てくるのだ。
「あの、ちょっと恥ずかしいです……!」
「こうでもしないと、父上から逃れられませんから」
「……もーっ、利吉さんっ!」
涼しげな目元を緩ませどこまでも余裕な利吉さんには敵わない。少しうらめしそうに見上げるとクスッと吹き出している。
「土井先生の気持ち、わかるなあ」
「……えっと、それは……?」
「あなたは見てて見飽きないんですよ」
「っ、変な顔ってことですか!?」
「ははは、そう言うところです。……あ、土井先生とは上手くいってるんですか?」
「えぇっ?!な、なんですか急に!?別に、ふつうですけどっ……!」
「上手くいっているようで何よりです」
「ちょ、ちょっと、利吉さんっ!」
からかわれて、もうたじたじだ。大きな声だったからか、すれ違う人たちが興味津々に見つめてくる。
「あんたたち、ずいぶん楽しそうじゃない」
「伝子さんっ、うるさくしてすみません!」
腕を離そうにも解放してくれず、慌てふためく姿をくすくす笑われ……またいつものようにペースを崩される。顔が熱くなって、ひたすら地面を見つめるばかりだ。
――トントン
門の前で立ち止まり潜り戸をたたく。
そうこうしている内に忍術学園に着いてしまった。小松田くんの声が向こうの方から聞こえてくる。
「はい、入門票よ!」
「ありがとうございます!あれぇ、で、伝子ぉ〜?」
「何よ!なんか文句あんの?!」
「小松田くん、それで大丈夫だから……!」
「うちの父上がすまないね」
二人であはは……と困っていると、遠くに黒い影がみえたような……?忍たま達も騒がしい私達をしげしげと眺めている。
そうだ、ここは学園だった……!
絡められた利吉さんの腕をパッと引き離し、二人に今日のお礼をする。恥ずかしさを振り払うように、食堂のお手伝いへと急ぐのだった。
*
一年は組の採点がようやく終わった。
名前さんたちの帰りを確認しようかと小松田くんの元へ向かっていたら……。
正門から何やら大きな声がして、騒がしい方へ目を凝らす。
……女装の山田先生達が見える。
……名前さんと利吉くんがあんなにくっついて、顔を見合わせて楽しそうに笑っている。
いつからそんなに親しくなったんだ?
そもそも、なんで一緒にいるんだ!?
視線が合いそうになり、慌てて物陰に身を潜ませた。ジリジリした気持ちをどうにか落ち着かせたくて、食堂へとお茶を入れに向かう。
……はあ。
あいつらのテストの結果もさらに追い討ちをかけるように重く心にのしかかってくる。キリキリ痛むお腹をさするけれど、まったく和らぐことはなかった。
「あれっ!土井先生」
「あぁ、名前さん」
「先生。なんだか、元気がないですね……?」
食堂の入り口で後ろから声をかけられ、うなだれながら後ろを振り返る。そこには首を傾げた名前さんがこちらを心配そうに見つめていた。
藤色の着物のままで、小さな唇には赤みのある紅をさしている。めかし込んだ姿に、胃の痛みが一瞬吹き飛ぶようだった。
よく見るとその手には、大事そうに綺麗な包みが抱えられている。
……利吉くんから贈られたものだろうか。
先ほど見てしまった光景が思い出され苦しくなる。
背中に小さな手を添えられ、一緒に食堂へと入っていく。夕飯前のこの時間は、誰も座っていない。おばちゃんもどこかに行っているようで二人きりだ。
「あれ?おばちゃんいないのかなぁ……?」
「……名前さん」
キョロキョロとあたりを見回す彼女の腕を引き、カウンター近くの壁際へにじり寄る。
「……きゃっ」
「……これ、プレゼントだろう?」
「そ、そうですけど……!えっ……?」
目を丸くして、顔も耳も真っ赤に染まり恥ずかしがっているのが見て取れる。その素直な反応や状況からして、贈り主は利吉くんだろう。
背中を壁へ密着させるように囲い込むと、つい責めるような目で名前さんを見つめてしまう。
……彼女は何も悪いことはしていないし、そもそも自分のものでもない。それなのに、どうしても問い詰めたくなる。
どこにも逃げられず、赤くなって視線を彷徨わせる姿に焦れた気持ちが止まらない。
名前さんの手首をこちらに寄せるように掴むと、するりと袖がめくれて少し日焼けした細い腕が露わになった。
身動きできず、されるがままの姿に食堂ということを忘れそうになる。
かたく握られた手元からは、包装のカサッとした音が静かな食堂に小さく響く。贈り物を大事にする気持ちが伝わってくるようで、さらに追い詰められていった。
「そんなに大切なのかい……?」
「せんせ……」
うつむいた顔がこちらを向いたせいで口元が薄く開く。その唇に、わずかに残った正常な思考が奪われてしまう。
そんな自身に反して、名前さんはしっかりとこちらを見上げてきた。
「こ、これは、おばちゃんに……!」
「おばちゃん……?利吉くんからでは……」
「……あ!食堂のおばちゃんっ!」
思わぬ名前に力が緩んだ瞬間。
名前さんは腕の中をするりと抜け出し、調理場へ走っていってしまった。
気になって中を覗いてみると、おばちゃんに包みを渡している名前さんの姿が見えた。にこやかな二人のやり取りに耳を澄ませる。
「あらぁ、悪いわね!気にしなくていいのよ〜」
「いえ、いつもありがとうございますっ!少しでも気持ちを伝えたくて」
「嬉しいわあ。裏で井戸水を汲んでてねぇ。探させちゃったわね」
「ちょっと探しちゃいました」
「……まあ!可愛らしい手ぬぐいだことっ」
こ、これは名前さんに謝らないと……!
勝手に思い込んで、あんなことをしてしまった……!
気まずい気持ちを抱え、彼女の元へ向かおうとしたその時。背後からよく知る声に呼び掛けられた。
「半助もいたのねぇ〜!」
「あ、土井先生。お久しぶりです」
「山田先せ……で、伝子さんに利吉くんッ!?」
「……何をそんなに慌ててるんです?」
「あ、いや、何でもないんだ……!」
食堂の入り口から山田先生達がやってきてしどろもどろだ。このタイミングで利吉くんと顔を合わせるのは何とも居心地が悪い。
「土井先生っ。なにが何でもないんですか?」
おばちゃんと話していた名前さんまでやって来て、いたずらっぽく笑いかけてくる。
「……っ!?名前さん、すまないっ……!」
タジタジになりながら、ひたすら誤魔化すように頭をかくのだった。
*
――夜
眠る前、文机に置かれた紅をぼんやり眺めていた。
……部屋は暗くてよく見えないけれど、素敵な色味を思い出しうっとりしてしまう。
それにしても、今日の土井先生は焦っていて、変な勘違いしているような……?
慌てる姿がおかしくて、ドキドキした気持ちがあっという間に消えてしまった。利吉くんが……なんて言っていたけれど……。
……考えすぎかな。
しまってある風呂敷を開いて小さなカバンを取り出すと、持ってきたリップをじっと見つめる。
これは、まだ持っていた方がいいのかな……?
ふと、くしゃくしゃになった紙切れが視界に入った。いつも、頭の隅っこで何も変化が無いことを祈って。
でも、もし何かあったら……?
忍術学園のみんなと過ごすうちに、どんどん離れがたくなっていく。楽しくて、バタバタで、色んなことが起こるけれど、毎日幸せだった。もう少しだけ……なんて誤魔化しは効かなくなりそうだ。
叶うなら、ずっとここにいたい。
いつどうなるかなんて分からない。
それでも、この気持ちはきちんと伝えなければ。
先生たちも、利吉さんも、私のために調査したり動いてくれているのだから。
……また明日も、いつも通りの朝がきますように。
ぎゅっと目を閉じてから、小物を風呂敷にしまい込む。
不安に飲み込まれそうだ。
せっかく楽しい一日だったのに、悲しくなるのはもったいない。堺の港に行く想像を巡らすと、すこしわくわくした気持ちが湧いてきた。
……しんべヱくん達に、聞いてみようかな。
燭台の灯を吹き消すと、ころんと布団へ寝転ぶのだった。
すっかり秋めいて、抜けるような青空に小さな雲が浮かんでいる。太陽の光はさんさんと降り注ぐけれど、爽やかな風が午後の暑さを吹き飛ばしていく。はらはら舞う木の葉の音が中庭に心地よく響き渡った。
土塀の近くから中庭へ、ほうきを握りしめ落ち葉を掃除をしている。
地面に目を凝らして確認するのは、喜八郎くんの落とし穴に引っかからないためでもあった。もちろん、ヒントを掃いてしまわないように注意して……。
「あらぁ。名前ちゃんお疲れさま〜!」
必死に手を動かしていると、なんとも言えないダミ声で呼びかけられびっくりしてしまった。落としていた顔を上げ、その姿を確認すると思わず笑顔になる。
「伝子さんっ!」
「さっきまで、女装の授業だったのよ。うふふ」
「そうだったんですね!お疲れ様ですっ」
「そういえば……最近、紅を付けないのねぇ?」
「実は、使い切ってしまって。街に買い物に行きたいなって思ってるんですけど……」
「あらっ!名前ちゃんが良ければ、これから伝子と一緒にお買い物に行きましょっ?」
「わぁっ……!嬉しいですっ!」
伝子さんは青紫色に大柄な赤い花が描かれている着物を難なく着こなして、くすんだ濃いピンク色の口紅が肌の色に映えていた。似合う色を見繕ってもらったら間違いないかも……!
突然の嬉しいお誘いに胸をときめかせつつ、ほうきを倉庫にしまうと吉野先生のいる事務室へ急いだ。
*
「伝子さん、では行きましょー!」
「名前ちゃん、目が輝いているわよ?」
「だって、ずっと伝子さんと街に行きたいなと思ってたので……!」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないっ」
吉野先生と食堂のおばちゃんに報告するとにこやかに送り出してくれ、自室で着物に着替えてから急いで正門へと駆けて行く。途中で土井先生にばったり出くわし、かくかくしかじかお話しすると、困ったように眉を下げて笑われてしまった。
街に続く道を歩きながら隣をチラリと窺う。
伝子さんはツヤツヤした黒髪がゆるりと揺れ、しゃなりしゃなり歩く姿はまるで女性そのものだった。
「やっぱり、本当にお綺麗です……!」
「そんなに褒められると恥ずかしいわぁ」
「ふふっ。そうそう、前に大木先生に紅を塗ったら大変なことになったので!すごくおかしかったんですよ」
「大木先生ねぇ……。想像できないわね!」
二人でくすくす笑いながらジャリジャリと土を踏みしめながら進んでいく。どれだけ歩いても清々しい気候が心地よく、立ち並ぶ樹々の香りを愉しみながら胸を躍らせるのだった。
段々と人の行き来が増え、向こうの方からは騒がしい声が聞こえてくる。
「名前ちゃん、着いたわよ」
「いつ来ても、とてもわくわくします!」
「じゃっ、最初は小間物屋ね」
「はいっ!」
はやる気持ちを抑えて、人波をかいくぐり小走りでお目当てのお店へと急ぐ。そんな姿に伝子さんはあらまぁ、なんて目を細めていた。
店先には色とりどりの小物が並べられ、太陽の光を浴びてきらきらしている。あまりにも素敵で、紅以外のくしや手ぬぐいにも目を奪われてしまった。
「名前ちゃんなら、この色はどうかしら?」
「桃色がとても可愛らしいですね。迷っちゃいます……!」
「あら〜、これも良いわね!肌の色が白く映えるわ」
「えへへ、そうですかっ?」
少し落ち着いた朱色の紅は顔に合わせてみるととてもしっくりきて、伝子さんとニコッと笑うとうんうん頷きあった。
……畑仕事で日焼けしてしまったから、一緒に見てもらって正解だ。
「あたしからプレゼントさせて〜?」
「え!そんなっ、そのお気持ちだけで胸いっぱいですから!」
伝子さんがプレゼントしてくれそうになって丁重に遠慮すると、口を尖らせて少し残念そうにしている。
いつも頑張っているから……なんて、その言葉だけで充分嬉しかった。私の方が先生たちのお世話になってばかりなのだから。
「あっあと、手ぬぐいも……!」
「いいわよぉ。せっかくだから色々見ましょ!」
「ありがとうございます!」
秋桜を彷彿とさせる澄んだ桃色に、小さな花弁の模様が染め抜かれたものを手に取る。
いつも気遣ってくれて、不慣れな私に優しく料理を教えてくれるおばちゃんに、ちょっとした贈り物をしたいと前から思っていたのだ。
店主のおじさんに渡す銭を伝子さんに確認してもらって、お代を支払う。たぶん間違いはないと思うけれど心配で念のため見てもらったのだ。まだまだ、一人で買い物は不安だった。
手ぬぐいを綺麗に包装してもらい袂に忍ばせると、隣の伝子さんとほほ笑みあった。
「素敵なものが買えて良かったわね」
「伝子さんに見てもらったおかげです」
「ねぇねぇ、お団子でも食べて休憩しない?」
「わぁい。ぜひっ」
きゃっきゃしながら二人でお団子屋さんへ歩いていると向こうから涼やかな目元の青年がやってきた。
……あの人は、もしかして。
こちらに気付くと、ギクッとした表情になって顔を伏せている。
「あらぁ、利吉じゃないっ」
「利吉さん、こんにちは!」
「あ……、はい。こんにちは」
「伝子さんにお買い物を付き合ってもらっていて。これからお団子屋さんに行くところなんですよ」
「で、伝子さん……」
「……なによその顔は?」
「利吉さんも一緒にいかがですか?」
「いや、私は……」
「あんたも行くのよッ!」
「わ、分かりましたから!父上、その手を離してくださいっ!」
伝子さんが引きずるように腕を絡めると、利吉さんはぞぞーっとした顔色になってこちらに助けを求めてくる。
「で、伝子さん!私も利吉さんもお店が分からないので、先導してくださいますか……?」
「あら、いいわよっ!おすすめのお店があるから着いてきて?」
「……利吉さん。私と行きましょ?」
「名前さん、助かります……!」
得意げに歩く伝子さんを前に、やれやれといった様子の利吉さんにこそっと耳打ちする。時折り二人で顔を見合わせながら、はぐれないように後をついていった。
こじんまりとした団子屋を前に、三人で足を止める。
「さ、ここよ!」
お客さんの出入りが忙しなく、とても繁盛しているようだった。伝子さんに続いて店内に入ると、奥まった席に腰かける。街まで歩き通しで、小間物屋でも結構な時間をかけて吟味していたからか、足が棒のようになってしまった。
「ふぅ。お茶が身に染みます……」
「名前ちゃん、たくさん歩いたものね?」
「父上、あまり無理をさせたら名前さんがかわいそうです」
「分かってるわよ!それにしても、父上ですって……?!」
「お二人とも、まぁまぁ……」
そんなやり取りをしていると頼んだお団子が運ばれてきた。ピンクと白と緑の丸い餅が連なって、なんとも美味しそうだ。三人でもぐもぐといただきながら、隣に座る利吉さんに視線を向ける。
「利吉さん、街にご用があったのですか?」
「はい、ちょっとした仕事がありまして。もう片付いたので、例のものを取りに学園へ向かうところだったんです」
「山田先生の……お洗濯物ですか?」
「ええ。……ですよね、伝子さん?」
利吉さんが意味深に向かいの伝子さんに微笑むと、伝子さん……もとい山田先生はバツの悪そうな顔でお茶をすすった。
「あ、そうそう。名前さん。面白い話がありまして。なんでも、近く堺の港に南蛮船が来るらしいですよ」
「へぇ……!南蛮船ですかぁ」
「しんべヱのパパさん、忙しくなるかしらねぇ」
「たしか、貿易商でしたよね。しんべヱくんに聞いてみようかな。ぜひ見に行ってみたいです……!」
「名前さん、好奇心旺盛ですね」
南蛮船ってすごく大きいのかな……?
どんなものが運ばれて来るのだろう?!
身を乗り出して話すからか、二人に笑われてしまった。
――ジャリジャリジャリ
お団子屋さんを後にすると学園へ続く道を歩いていく。夕方近くなると冷んやりした風が木々を揺らし少し肌寒い。
利吉さんは相変わらず伝子さんと歩きたくないようで、私の腕をきつく抱えて爽やかに笑いかけてくる。キラキラした利吉さんにそんなことをされると、こちらの心臓がもたないのに。しかも、道ゆく女性がこそこそと変な目で見てくるのだ。
「あの、ちょっと恥ずかしいです……!」
「こうでもしないと、父上から逃れられませんから」
「……もーっ、利吉さんっ!」
涼しげな目元を緩ませどこまでも余裕な利吉さんには敵わない。少しうらめしそうに見上げるとクスッと吹き出している。
「土井先生の気持ち、わかるなあ」
「……えっと、それは……?」
「あなたは見てて見飽きないんですよ」
「っ、変な顔ってことですか!?」
「ははは、そう言うところです。……あ、土井先生とは上手くいってるんですか?」
「えぇっ?!な、なんですか急に!?別に、ふつうですけどっ……!」
「上手くいっているようで何よりです」
「ちょ、ちょっと、利吉さんっ!」
からかわれて、もうたじたじだ。大きな声だったからか、すれ違う人たちが興味津々に見つめてくる。
「あんたたち、ずいぶん楽しそうじゃない」
「伝子さんっ、うるさくしてすみません!」
腕を離そうにも解放してくれず、慌てふためく姿をくすくす笑われ……またいつものようにペースを崩される。顔が熱くなって、ひたすら地面を見つめるばかりだ。
――トントン
門の前で立ち止まり潜り戸をたたく。
そうこうしている内に忍術学園に着いてしまった。小松田くんの声が向こうの方から聞こえてくる。
「はい、入門票よ!」
「ありがとうございます!あれぇ、で、伝子ぉ〜?」
「何よ!なんか文句あんの?!」
「小松田くん、それで大丈夫だから……!」
「うちの父上がすまないね」
二人であはは……と困っていると、遠くに黒い影がみえたような……?忍たま達も騒がしい私達をしげしげと眺めている。
そうだ、ここは学園だった……!
絡められた利吉さんの腕をパッと引き離し、二人に今日のお礼をする。恥ずかしさを振り払うように、食堂のお手伝いへと急ぐのだった。
*
一年は組の採点がようやく終わった。
名前さんたちの帰りを確認しようかと小松田くんの元へ向かっていたら……。
正門から何やら大きな声がして、騒がしい方へ目を凝らす。
……女装の山田先生達が見える。
……名前さんと利吉くんがあんなにくっついて、顔を見合わせて楽しそうに笑っている。
いつからそんなに親しくなったんだ?
そもそも、なんで一緒にいるんだ!?
視線が合いそうになり、慌てて物陰に身を潜ませた。ジリジリした気持ちをどうにか落ち着かせたくて、食堂へとお茶を入れに向かう。
……はあ。
あいつらのテストの結果もさらに追い討ちをかけるように重く心にのしかかってくる。キリキリ痛むお腹をさするけれど、まったく和らぐことはなかった。
「あれっ!土井先生」
「あぁ、名前さん」
「先生。なんだか、元気がないですね……?」
食堂の入り口で後ろから声をかけられ、うなだれながら後ろを振り返る。そこには首を傾げた名前さんがこちらを心配そうに見つめていた。
藤色の着物のままで、小さな唇には赤みのある紅をさしている。めかし込んだ姿に、胃の痛みが一瞬吹き飛ぶようだった。
よく見るとその手には、大事そうに綺麗な包みが抱えられている。
……利吉くんから贈られたものだろうか。
先ほど見てしまった光景が思い出され苦しくなる。
背中に小さな手を添えられ、一緒に食堂へと入っていく。夕飯前のこの時間は、誰も座っていない。おばちゃんもどこかに行っているようで二人きりだ。
「あれ?おばちゃんいないのかなぁ……?」
「……名前さん」
キョロキョロとあたりを見回す彼女の腕を引き、カウンター近くの壁際へにじり寄る。
「……きゃっ」
「……これ、プレゼントだろう?」
「そ、そうですけど……!えっ……?」
目を丸くして、顔も耳も真っ赤に染まり恥ずかしがっているのが見て取れる。その素直な反応や状況からして、贈り主は利吉くんだろう。
背中を壁へ密着させるように囲い込むと、つい責めるような目で名前さんを見つめてしまう。
……彼女は何も悪いことはしていないし、そもそも自分のものでもない。それなのに、どうしても問い詰めたくなる。
どこにも逃げられず、赤くなって視線を彷徨わせる姿に焦れた気持ちが止まらない。
名前さんの手首をこちらに寄せるように掴むと、するりと袖がめくれて少し日焼けした細い腕が露わになった。
身動きできず、されるがままの姿に食堂ということを忘れそうになる。
かたく握られた手元からは、包装のカサッとした音が静かな食堂に小さく響く。贈り物を大事にする気持ちが伝わってくるようで、さらに追い詰められていった。
「そんなに大切なのかい……?」
「せんせ……」
うつむいた顔がこちらを向いたせいで口元が薄く開く。その唇に、わずかに残った正常な思考が奪われてしまう。
そんな自身に反して、名前さんはしっかりとこちらを見上げてきた。
「こ、これは、おばちゃんに……!」
「おばちゃん……?利吉くんからでは……」
「……あ!食堂のおばちゃんっ!」
思わぬ名前に力が緩んだ瞬間。
名前さんは腕の中をするりと抜け出し、調理場へ走っていってしまった。
気になって中を覗いてみると、おばちゃんに包みを渡している名前さんの姿が見えた。にこやかな二人のやり取りに耳を澄ませる。
「あらぁ、悪いわね!気にしなくていいのよ〜」
「いえ、いつもありがとうございますっ!少しでも気持ちを伝えたくて」
「嬉しいわあ。裏で井戸水を汲んでてねぇ。探させちゃったわね」
「ちょっと探しちゃいました」
「……まあ!可愛らしい手ぬぐいだことっ」
こ、これは名前さんに謝らないと……!
勝手に思い込んで、あんなことをしてしまった……!
気まずい気持ちを抱え、彼女の元へ向かおうとしたその時。背後からよく知る声に呼び掛けられた。
「半助もいたのねぇ〜!」
「あ、土井先生。お久しぶりです」
「山田先せ……で、伝子さんに利吉くんッ!?」
「……何をそんなに慌ててるんです?」
「あ、いや、何でもないんだ……!」
食堂の入り口から山田先生達がやってきてしどろもどろだ。このタイミングで利吉くんと顔を合わせるのは何とも居心地が悪い。
「土井先生っ。なにが何でもないんですか?」
おばちゃんと話していた名前さんまでやって来て、いたずらっぽく笑いかけてくる。
「……っ!?名前さん、すまないっ……!」
タジタジになりながら、ひたすら誤魔化すように頭をかくのだった。
*
――夜
眠る前、文机に置かれた紅をぼんやり眺めていた。
……部屋は暗くてよく見えないけれど、素敵な色味を思い出しうっとりしてしまう。
それにしても、今日の土井先生は焦っていて、変な勘違いしているような……?
慌てる姿がおかしくて、ドキドキした気持ちがあっという間に消えてしまった。利吉くんが……なんて言っていたけれど……。
……考えすぎかな。
しまってある風呂敷を開いて小さなカバンを取り出すと、持ってきたリップをじっと見つめる。
これは、まだ持っていた方がいいのかな……?
ふと、くしゃくしゃになった紙切れが視界に入った。いつも、頭の隅っこで何も変化が無いことを祈って。
でも、もし何かあったら……?
忍術学園のみんなと過ごすうちに、どんどん離れがたくなっていく。楽しくて、バタバタで、色んなことが起こるけれど、毎日幸せだった。もう少しだけ……なんて誤魔化しは効かなくなりそうだ。
叶うなら、ずっとここにいたい。
いつどうなるかなんて分からない。
それでも、この気持ちはきちんと伝えなければ。
先生たちも、利吉さんも、私のために調査したり動いてくれているのだから。
……また明日も、いつも通りの朝がきますように。
ぎゅっと目を閉じてから、小物を風呂敷にしまい込む。
不安に飲み込まれそうだ。
せっかく楽しい一日だったのに、悲しくなるのはもったいない。堺の港に行く想像を巡らすと、すこしわくわくした気持ちが湧いてきた。
……しんべヱくん達に、聞いてみようかな。
燭台の灯を吹き消すと、ころんと布団へ寝転ぶのだった。