2章
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〜第30話 夏休みの攻防再び〜
夜が更けて、細い月が頼りない光を届けてくる。
昼間の暑さはだいぶ和らいだが、たまにぬるま湯のような風が入り込む。
床に胡座をかき、なかなか見られない名前の寝顔を側で見つめる。
持ってきた兎柄の布団に横たわり、すーすーと可愛らしい寝息を立てて眠っている。幸せそうな顔で、どんな夢を見ているのだろうか。
薄いかけ布をぎゅっと抱え込んでいるせいで、裾が捲れて白い脚がちらりと覗く。
……相変わらず、どこで怪我したんだか。
肌に浮き出るような紫色のあざがいくつか見える。文机に当たったり、たらいにぶつけたりしたのだろう。
まったく、そそっかしいヤツだ。
自分のことは後回しで、家の掃除やら片付けやらに必死だったのかもしれない。
裾を直してやると、そっと頭を撫でて自分の布団へ戻る。
明日は土井先生の家に送ってやらねばならん。名前がたくさん食べられるように、大量の野菜を持たせなければ。
*
……もうそろそろ起きないと。
布団に横たわりながらうっすらと目を開ける。
外は朝日が顔を出していて、明るくなってきた頃だった。
今日は土井先生のお家に行く日だから、色々と支度しなきゃいけない。
「雅之助さーん!起きてくださーいっ」
囲炉裏を挟んだ向こうでゴロゴロしている雅之助さんを横目で見つつ、身支度を整えるために井戸へと向かった。
ラビちゃんとケロちゃんがそばに寄ってきてくれて、ぎゅうっと抱きしめる。
「二人ともおはよう!」
遠くに目を向けると、朝日に照らされた連なる山々と広い畑に胸がいっぱいになる。
……しばらくこの景色ともお別れかあ。
土井先生のお家ってどんなところだろう。
色々揃ってはいると言っていたけれど……。アルバイトも、どれだけ詰め込まれるか少し心配だ。
……それにしても、土井先生ってご実家に帰らないのかな?きり丸くんがいるからだろうか。
そんなことがチラリと頭をよぎる。
しゃがんで、桶の水を掬いパシャリと顔にかける。冷んやりした温度が気持ちよくて、残りの夏休みがどんな日々になるか楽しみで……。
緩むほほを冷たい両手で包むと、零れた水が肘を伝いぽたぽたと地面に落ちていった。
「支度して野菜を詰め込むか!」
「はーいっ」
「名前。寝巻き姿でうろついたらだめだぞ?」
「ええっ」
「ここは人がいないから良いが……。長屋は色んなヤツがいるからな」
「もしかして、心配ですか? ……気をつけますね」
いつの間にか起きて、こちらに向かってくる雅之助さんに全く気が付かなかった。声の方を振り返り、らしくない言葉にくすくす笑う。
身支度も済ませて、出発の準備の真っ只中だ。意外と持っていくものが多くて、忘れ物しないように気をつけて確認する。
「よいしょっ……野菜はこれで全部ですか?」
「まあこれくらいで十分だろう」
「こんなにいっぱい、きっときり丸くん喜びますね!」
かごには大根や沢山の野菜を詰め込んで、溢れんばかりだ。私がお世話になるから……という雅之助さんなりの気遣いなのかもしれない。何も気にしていないようで、ちゃんと考えてくれる優しさに少し照れてしまう。
私の大荷物も持って、準備が整うと戸口を閉めて土井先生のお家へと向かう。
「まったく、やどかりみたいだな」
「荷物が多くてすみませんっ」
*
照りつける日差しの中、笑い合いながら歩く足を止めずに進んでいく。吹き出す額の雫を腕で拭うけれど、その度にまたじわりと汗が湧き出てきてキリがない。
途中で休むか?なんて聞いてくれて、道端の大きな石に二人して腰掛ける。荷物を地べたに置くと、身体が急に軽くなって今にも飛べそうな位だ。
すくっと伸びた木の下だから日差しが遮られて少しホッとする。持ってきた竹筒の水をぐびぐび流し込むと、渇いた身体が息を吹き返すようにシャキッとした。
「大分歩けるようになったなあ」
「草鞋の履き方や歩き方も……。着物の着方も、お料理だって。一番最初に、雅之助さんに教えてもらったから。だから、頑張れたんです」
「そうだった。お前、何も知らなくてびっくりしたぞ」
「学園のみなさんにも色々と教えてもらって。……本当に感謝しています」
「きっと、名前の一所懸命さが伝わったんだろう」
「私って……なかなか、どこんじょー!あると思いませんっ?」
「自分で言うか」
「あはは、言っちゃいます」
褒められると嬉しいのに恥ずかしくて、つい冗談で誤魔化してしまった。色々と全力で頑張ってきたつもりだったから、側で見ていて認めてくれると胸がいっぱいになる。
「まだ先のことだが……。秋休みはずっとわしの家で過ごすんだぞ?」
「分かりました。収穫、忙しいですもんね」
「まあ、それだけではないんだがな」
随分と気が早いなぁなんて思ったけれど、秋は繁忙期だから気合を入れないと……!
「よし、そろそろ行くか!」
「はーいっ」
よいしょっと荷物を抱えると再び二人で歩いていく。
移り変わる景色に心が躍る。
高い山々の緑あふれる自然豊かな眺めから、ぽつぽつと道端にお店が見えてくる。次第に人々の生活している家々が現れた。
「土井先生のお家、知ってるんですか?」
「ああ。爆発したり、変な奴らが集まったり、有名だからな」
「……えっ?!」
「怖くなったか?引き返してもいいんだぞー?」
ぐっと腰を引き寄せられ、いつもの悪戯を思いついた顔でにやにやしている。もう、また嘘ばっかり言って……なんて思っていると、後ろから声を掛けられてビクリと驚く。
慌てて雅之助さんから離れ、パシパシと腕を叩いた。
「……何が有名なんです?大木先生」
「ど、土井先生っ……?!」
「これはどうも!」
わしらの背後に気配を感じたから、もしかして……とは思ったが。烏帽子に私服姿の土井先生が困った顔で笑っている。有名なのは本当のことだから仕方がない。
「もうそろそろ来られる頃かと思いまして」
「先生のお家って、爆発したんですか……?」
「え、えぇ、まあ。かくかくしかじかで」
「ほ、本当だったんだ……!」
「名前が怖がってるから、このまま帰ろうと思ったんですがね」
「帰りませんっ!きり丸くんと約束してますから」
「きり丸は犬の散歩のアルバイトで、もうすぐ帰ってきますよ。ここでは何ですから家へどうぞ」
最後に抵抗してみたが、名前にきっぱり否定されてしまった。まあ、秋休みは先手を打ったから良しとするか。
長屋が立ち並ぶ道に出ると、土井先生は山が描かれた暖簾の前で足を止めた。戸を開けて中に入るように腕を広げている。
「ここです。狭いですが……」
「わぁ!とっても素敵なお家ですね。大木先生の家と違って広い!」
「……狭くて悪かったな」
「あ、すみませんっ」
名前はバツの悪そうな顔でぱっと口元を隠している。わしの一間の家とは違って、居間と寝床が仕切られている。きり丸と過ごしているからか、それなりに生活用品も揃っていそうだ。
「大荷物ですね。よかったらここに置いてください」
「物が多くてすみません……」
「うちで採れた野菜も持ってきましたから!」
背負っているカゴを下ろし野菜を取り出していると、パタパタと足音が聞こえてきた。
「あー!大木先生に名前さんだー!」
「きり丸くんっ、アルバイトお疲れさま」
「おー、きり丸か!」
「うわあ、たくさん野菜持ってきてくれたんっすね!」
きり丸は額から垂れる汗を拭いながら、嬉しそうな顔で野菜を見つめている。
「そうだ、腹いっぱい食べてくれ」
「これで、イナゴと水でかさ増しした雑炊は当分食べずに済みます!」
「きり丸ッ!それは、そうなんだが……!」
「な、何ですかそれっ!?」
「名前さん、節約っすよ!」
「ど、土井先生っ……!わ、わたし、それは……無理ですっ!」
……そうだろう、そうだろう!
名前は涙目になって無理無理と手をぶんぶん振って必死に拒否している。子どもっぽくて意地悪だとは思うが、そんな姿に少し嬉しくなる。土井先生も眉を下げて困り顔だ。
「大木先生っ、ニヤニヤしてひどいです!」
「お前が決めたことだから、仕方がないなあ? どこんじょー!だっ」
「名前さんに大木先生。そんな物食べさせませんから……!」
「冗談はさておき、土井先生。名前にはちゃんと食べさせてやってください」
「も、もちろんです!安心してください!」
「……もう、雅之助さんってば」
口を尖らせる名前に向かってわははと笑う。そんなことを言いつつ、嬉しそうな顔で見上げてくるからつい頭を撫でてしまった。
「お二人ともお疲れでしょうから、お茶でもいかがですか?」
「ありがたいのですが、私は畑に戻って世話しなきゃならんので!」
「そうですか。大木先生もお忙しいですね」
「せっかくなのにすみませんな。ああ、名前。ちょっとこっちへ来なさい」
不思議そうな顔をする名前の腰を寄せて、戸口の外へ連れ出す。土井先生達を気にして振り返っているが、構わず足を進めた。
「二人で何を話してるんっすかね?」
「……さあ、なんだろうな」
きり丸にそう言われると気になってしまう。二人の様子を、戸口から首を伸ばしてチラリと窺った。風になびく暖簾が邪魔だが、外が見えなくもない。
大木先生が名前さんに身体を寄せて、こそっと耳打ちをして……
名前さんは、少し驚いたように手で口元を押さえている。こちらからだとその表情は確認できないが、きっと頬を染めていそうだ。
大木先生がニヤリと目を細めて……
……なんだなんだ?
何を話しているんだ?
大木先生の口元が見えなかったから、唇を読む事もできない。変な想像ばかりが頭を駆け巡っていく。
「お二人とも、なーんかイイ感じじゃないっすか?」
「……っ!?」
ジトーっとした目できり丸に見られても言葉に詰まってしまう。大木先生と視線が合いそうになり、慌てて身を隠した。
ザッザッザッと足音が近づく。
暖簾をくぐって、大木先生と名前さんがこちらに戻ってきた。
「いやあ。失礼しました!」
「お待たせしちゃってすみません」
「どうされたんですか?」
「土井先生の家で粗相がないように……なあ、名前?」
「は、はいっ!」
「ふぅん。そうですか」
二人で目配せしちゃって。
その心の近さに、親しさに……羨ましさとジリジリした気持ちが襲ってくる。
「では、私はこのへんで」
「もう行かれるのですね。おもてなしも出来ずにすみません」
「大木先生っ。名前さんに無理にバイトさせないですから。安心してください!」
「ああ、きり丸。頼むぞ!」
「雅之助さんっ。送ってくれてありがとうございました」
自然に出てくるその呼び方に、胸がチクリとする。
大木先生が空っぽのカゴを背負うと、みんなで外へ出てその姿を見送った。隣の名前さんに目を向けると、にこやかな顔で眺めていて。つい、私にもそんな目で見つめて欲しいなんて思ってしまうのだ。
「さあ、名前さん!造花作りのバイトがありますから、さっそくお願いしまーす!」
「はーいっ、任せてね」
名前さんは私がきり丸に注意すると思ったのか、ちょっと困ったような……でも嬉しそうな顔でほほ笑みかけてくる。
そんな顔をされたら、何も言えなくなるじゃないか。
「さあ、家に戻ろうか」
大木先生の姿が見えなくなると、彼女の背中に手を当てて家の中へ入るよう促す。
「あらー、半助のお友達?!」
「隣のおばちゃんっ!どーもっす」
「……っ!?」
一番まずい人に見つかってしまった。
遅かれ早かれそうなるとは思っていたが……。
おばちゃんが目を爛々に輝かせて、私と名前さんを交互に覗き込んでくる。……興味津々のようだ。
「彼女は……」
「あの、私は名前と申します。きり丸くんのアルバイトのお手伝いで……」
「あらー、あなたそんなこと言って! きり丸とも仲良いのね、半助もなかなかやるじゃない! 」
「そーなんすよ、おばちゃんっ!」
きり丸がおばちゃんを誤解させるような事を言って、名前さんが目を白黒させている。彼女に困惑した顔でこちらを見られても気付かないふりで……少しずるいかもしれない。
「ははは、まあ、そうですね」
「ど、土井先生ってば……!」
名前さんに赤い顔で睨まれても、ちっとも怖くない。まあまあ、となだめるように笑って誤魔化すと、何とも言えない顔をしている。
「まあっ、そうなのね! じゃあ、せっかくだから今夜はみんなでご飯食べましょ!」
「名前さんの料理、とっても美味しいっすから!」
「きり丸くん、ちょっと褒めすぎだよ!あの、よろしければ私、色々と作りますので……」
戸惑いながら、おばちゃんとの付き合いもあるだろうと気遣ってそんな事を……。いじらしいけれど、面倒なことになってしまった。せっかく三人で過ごせると思ったのに……!
おばちゃんの機嫌を損ねるのも後々大変だから……。ここは仕方がない。
「じゃ、じゃあ、みんなで食べるとしましょうか」
「そうだわ!大家さんにも声掛けなくちゃっ!」
勢いよく去っていくおばちゃんを見つめながら、夏休みはまだまだあることだし……なんて苦笑するのだった。
*
――夜も大分更けた頃。
燭台の揺れる灯りを頼りに、三人で造花を作っている。
隣のおばちゃんと大家さんは、私の作った料理を美味しいと食べてくれて。最初はすごく緊張したけれど、とっても楽しいひとときだった。
……でも、みんなで夕飯を食べていたら内職をする時間がどんどん遅くなってしまった。
終わったらすぐ寝られるように、みんな寝巻き姿だ。暗い部屋中に、赤い花びらと緑の葉っぱが散らばっている。それは目の覚めるような綺麗さだった。
「二人ともー!手は休めないでくださいね!」
「きり丸。何でこんなに大量の依頼を受けたんだっ!」
「作っても作っても終わりが見えないですね……」
「だって、名前さんも手伝ってくれることだし。あっ、納品は明日の朝なんで!」
土井先生がまたきり丸くんに雷を落としそうだ……!私が手伝うなんて言っちゃったからだし、細かい作業は好きだから大丈夫なのに。
「土井先生、みんなで作業するの楽しいですから。ねっ?」
「……君は甘いんだから」
子どもみたいに拗ねる土井先生が可笑しくてくすくす笑っていると、きり丸くんに手が止まってると怒られ慌てて手を動かす。
しばらくすると、完成した造花を入れた箱が大量に積み上がっていた。居間へと移すと、やっとひと段落ついた感じがした。
「ふぅ、やっと終わりましたね」
「土井先生に名前さん、ありがとうございまーす!」
「もうこんな量を受けるんじゃないぞ……!」
「さっ、二人とも明日も早いっすから。寝ましょー!」
「おい、きり丸ッ!聞いてるのか!?」
「……あの、私、居間の方で休みますね」
さすがに、二人と一緒はおこがましくて。いそいそと持ってきた兎柄の布団を引っ張っていく。
「ちょっとぉ、名前さんっ!一緒に寝ましょうよー!」
「きり丸の言う通りだ。名前さん、変に遠慮しないでくれ」
……土井先生ときり丸くんにそんな目で見つめられると、お言葉に甘えてしまいたくなってしまう。三人一緒なんて、私が加わってしまっていいのかな……?嬉しいけれど、なんだかむず痒くなってしまう。
「さあ、明日も早いんだ。早く寝るぞ」
有無を言わせず、名前さんが持ってきた布団をぐいっと引っ張って川の字に並べると灯りを消して自分の布団に滑り込む。きり丸も後に続いて、彼女も床についたようだ。ぱさりと布の擦れる音が暗い部屋に響く。
「……おやすみなさいっ」
名前さんの声が聞こえると、どうしても顔がにやけてしまう。
すぐ近くに、無防備な彼女が横たわっていると思うと……。あんなに可愛らしい柄の布団で、ころんと丸まっている姿がそこにあるなんて。
……いかんいかん。
早く寝るぞ、なんて言った自分が一番眠れないかもしれない……。
昼間の大木先生と名前さんの意味深なやり取りも思い出してしまい、気になって気になって仕方がない。ぐるぐる考えては悶々と寝返りを打つのであった。
夜が更けて、細い月が頼りない光を届けてくる。
昼間の暑さはだいぶ和らいだが、たまにぬるま湯のような風が入り込む。
床に胡座をかき、なかなか見られない名前の寝顔を側で見つめる。
持ってきた兎柄の布団に横たわり、すーすーと可愛らしい寝息を立てて眠っている。幸せそうな顔で、どんな夢を見ているのだろうか。
薄いかけ布をぎゅっと抱え込んでいるせいで、裾が捲れて白い脚がちらりと覗く。
……相変わらず、どこで怪我したんだか。
肌に浮き出るような紫色のあざがいくつか見える。文机に当たったり、たらいにぶつけたりしたのだろう。
まったく、そそっかしいヤツだ。
自分のことは後回しで、家の掃除やら片付けやらに必死だったのかもしれない。
裾を直してやると、そっと頭を撫でて自分の布団へ戻る。
明日は土井先生の家に送ってやらねばならん。名前がたくさん食べられるように、大量の野菜を持たせなければ。
*
……もうそろそろ起きないと。
布団に横たわりながらうっすらと目を開ける。
外は朝日が顔を出していて、明るくなってきた頃だった。
今日は土井先生のお家に行く日だから、色々と支度しなきゃいけない。
「雅之助さーん!起きてくださーいっ」
囲炉裏を挟んだ向こうでゴロゴロしている雅之助さんを横目で見つつ、身支度を整えるために井戸へと向かった。
ラビちゃんとケロちゃんがそばに寄ってきてくれて、ぎゅうっと抱きしめる。
「二人ともおはよう!」
遠くに目を向けると、朝日に照らされた連なる山々と広い畑に胸がいっぱいになる。
……しばらくこの景色ともお別れかあ。
土井先生のお家ってどんなところだろう。
色々揃ってはいると言っていたけれど……。アルバイトも、どれだけ詰め込まれるか少し心配だ。
……それにしても、土井先生ってご実家に帰らないのかな?きり丸くんがいるからだろうか。
そんなことがチラリと頭をよぎる。
しゃがんで、桶の水を掬いパシャリと顔にかける。冷んやりした温度が気持ちよくて、残りの夏休みがどんな日々になるか楽しみで……。
緩むほほを冷たい両手で包むと、零れた水が肘を伝いぽたぽたと地面に落ちていった。
「支度して野菜を詰め込むか!」
「はーいっ」
「名前。寝巻き姿でうろついたらだめだぞ?」
「ええっ」
「ここは人がいないから良いが……。長屋は色んなヤツがいるからな」
「もしかして、心配ですか? ……気をつけますね」
いつの間にか起きて、こちらに向かってくる雅之助さんに全く気が付かなかった。声の方を振り返り、らしくない言葉にくすくす笑う。
身支度も済ませて、出発の準備の真っ只中だ。意外と持っていくものが多くて、忘れ物しないように気をつけて確認する。
「よいしょっ……野菜はこれで全部ですか?」
「まあこれくらいで十分だろう」
「こんなにいっぱい、きっときり丸くん喜びますね!」
かごには大根や沢山の野菜を詰め込んで、溢れんばかりだ。私がお世話になるから……という雅之助さんなりの気遣いなのかもしれない。何も気にしていないようで、ちゃんと考えてくれる優しさに少し照れてしまう。
私の大荷物も持って、準備が整うと戸口を閉めて土井先生のお家へと向かう。
「まったく、やどかりみたいだな」
「荷物が多くてすみませんっ」
*
照りつける日差しの中、笑い合いながら歩く足を止めずに進んでいく。吹き出す額の雫を腕で拭うけれど、その度にまたじわりと汗が湧き出てきてキリがない。
途中で休むか?なんて聞いてくれて、道端の大きな石に二人して腰掛ける。荷物を地べたに置くと、身体が急に軽くなって今にも飛べそうな位だ。
すくっと伸びた木の下だから日差しが遮られて少しホッとする。持ってきた竹筒の水をぐびぐび流し込むと、渇いた身体が息を吹き返すようにシャキッとした。
「大分歩けるようになったなあ」
「草鞋の履き方や歩き方も……。着物の着方も、お料理だって。一番最初に、雅之助さんに教えてもらったから。だから、頑張れたんです」
「そうだった。お前、何も知らなくてびっくりしたぞ」
「学園のみなさんにも色々と教えてもらって。……本当に感謝しています」
「きっと、名前の一所懸命さが伝わったんだろう」
「私って……なかなか、どこんじょー!あると思いませんっ?」
「自分で言うか」
「あはは、言っちゃいます」
褒められると嬉しいのに恥ずかしくて、つい冗談で誤魔化してしまった。色々と全力で頑張ってきたつもりだったから、側で見ていて認めてくれると胸がいっぱいになる。
「まだ先のことだが……。秋休みはずっとわしの家で過ごすんだぞ?」
「分かりました。収穫、忙しいですもんね」
「まあ、それだけではないんだがな」
随分と気が早いなぁなんて思ったけれど、秋は繁忙期だから気合を入れないと……!
「よし、そろそろ行くか!」
「はーいっ」
よいしょっと荷物を抱えると再び二人で歩いていく。
移り変わる景色に心が躍る。
高い山々の緑あふれる自然豊かな眺めから、ぽつぽつと道端にお店が見えてくる。次第に人々の生活している家々が現れた。
「土井先生のお家、知ってるんですか?」
「ああ。爆発したり、変な奴らが集まったり、有名だからな」
「……えっ?!」
「怖くなったか?引き返してもいいんだぞー?」
ぐっと腰を引き寄せられ、いつもの悪戯を思いついた顔でにやにやしている。もう、また嘘ばっかり言って……なんて思っていると、後ろから声を掛けられてビクリと驚く。
慌てて雅之助さんから離れ、パシパシと腕を叩いた。
「……何が有名なんです?大木先生」
「ど、土井先生っ……?!」
「これはどうも!」
わしらの背後に気配を感じたから、もしかして……とは思ったが。烏帽子に私服姿の土井先生が困った顔で笑っている。有名なのは本当のことだから仕方がない。
「もうそろそろ来られる頃かと思いまして」
「先生のお家って、爆発したんですか……?」
「え、えぇ、まあ。かくかくしかじかで」
「ほ、本当だったんだ……!」
「名前が怖がってるから、このまま帰ろうと思ったんですがね」
「帰りませんっ!きり丸くんと約束してますから」
「きり丸は犬の散歩のアルバイトで、もうすぐ帰ってきますよ。ここでは何ですから家へどうぞ」
最後に抵抗してみたが、名前にきっぱり否定されてしまった。まあ、秋休みは先手を打ったから良しとするか。
長屋が立ち並ぶ道に出ると、土井先生は山が描かれた暖簾の前で足を止めた。戸を開けて中に入るように腕を広げている。
「ここです。狭いですが……」
「わぁ!とっても素敵なお家ですね。大木先生の家と違って広い!」
「……狭くて悪かったな」
「あ、すみませんっ」
名前はバツの悪そうな顔でぱっと口元を隠している。わしの一間の家とは違って、居間と寝床が仕切られている。きり丸と過ごしているからか、それなりに生活用品も揃っていそうだ。
「大荷物ですね。よかったらここに置いてください」
「物が多くてすみません……」
「うちで採れた野菜も持ってきましたから!」
背負っているカゴを下ろし野菜を取り出していると、パタパタと足音が聞こえてきた。
「あー!大木先生に名前さんだー!」
「きり丸くんっ、アルバイトお疲れさま」
「おー、きり丸か!」
「うわあ、たくさん野菜持ってきてくれたんっすね!」
きり丸は額から垂れる汗を拭いながら、嬉しそうな顔で野菜を見つめている。
「そうだ、腹いっぱい食べてくれ」
「これで、イナゴと水でかさ増しした雑炊は当分食べずに済みます!」
「きり丸ッ!それは、そうなんだが……!」
「な、何ですかそれっ!?」
「名前さん、節約っすよ!」
「ど、土井先生っ……!わ、わたし、それは……無理ですっ!」
……そうだろう、そうだろう!
名前は涙目になって無理無理と手をぶんぶん振って必死に拒否している。子どもっぽくて意地悪だとは思うが、そんな姿に少し嬉しくなる。土井先生も眉を下げて困り顔だ。
「大木先生っ、ニヤニヤしてひどいです!」
「お前が決めたことだから、仕方がないなあ? どこんじょー!だっ」
「名前さんに大木先生。そんな物食べさせませんから……!」
「冗談はさておき、土井先生。名前にはちゃんと食べさせてやってください」
「も、もちろんです!安心してください!」
「……もう、雅之助さんってば」
口を尖らせる名前に向かってわははと笑う。そんなことを言いつつ、嬉しそうな顔で見上げてくるからつい頭を撫でてしまった。
「お二人ともお疲れでしょうから、お茶でもいかがですか?」
「ありがたいのですが、私は畑に戻って世話しなきゃならんので!」
「そうですか。大木先生もお忙しいですね」
「せっかくなのにすみませんな。ああ、名前。ちょっとこっちへ来なさい」
不思議そうな顔をする名前の腰を寄せて、戸口の外へ連れ出す。土井先生達を気にして振り返っているが、構わず足を進めた。
「二人で何を話してるんっすかね?」
「……さあ、なんだろうな」
きり丸にそう言われると気になってしまう。二人の様子を、戸口から首を伸ばしてチラリと窺った。風になびく暖簾が邪魔だが、外が見えなくもない。
大木先生が名前さんに身体を寄せて、こそっと耳打ちをして……
名前さんは、少し驚いたように手で口元を押さえている。こちらからだとその表情は確認できないが、きっと頬を染めていそうだ。
大木先生がニヤリと目を細めて……
……なんだなんだ?
何を話しているんだ?
大木先生の口元が見えなかったから、唇を読む事もできない。変な想像ばかりが頭を駆け巡っていく。
「お二人とも、なーんかイイ感じじゃないっすか?」
「……っ!?」
ジトーっとした目できり丸に見られても言葉に詰まってしまう。大木先生と視線が合いそうになり、慌てて身を隠した。
ザッザッザッと足音が近づく。
暖簾をくぐって、大木先生と名前さんがこちらに戻ってきた。
「いやあ。失礼しました!」
「お待たせしちゃってすみません」
「どうされたんですか?」
「土井先生の家で粗相がないように……なあ、名前?」
「は、はいっ!」
「ふぅん。そうですか」
二人で目配せしちゃって。
その心の近さに、親しさに……羨ましさとジリジリした気持ちが襲ってくる。
「では、私はこのへんで」
「もう行かれるのですね。おもてなしも出来ずにすみません」
「大木先生っ。名前さんに無理にバイトさせないですから。安心してください!」
「ああ、きり丸。頼むぞ!」
「雅之助さんっ。送ってくれてありがとうございました」
自然に出てくるその呼び方に、胸がチクリとする。
大木先生が空っぽのカゴを背負うと、みんなで外へ出てその姿を見送った。隣の名前さんに目を向けると、にこやかな顔で眺めていて。つい、私にもそんな目で見つめて欲しいなんて思ってしまうのだ。
「さあ、名前さん!造花作りのバイトがありますから、さっそくお願いしまーす!」
「はーいっ、任せてね」
名前さんは私がきり丸に注意すると思ったのか、ちょっと困ったような……でも嬉しそうな顔でほほ笑みかけてくる。
そんな顔をされたら、何も言えなくなるじゃないか。
「さあ、家に戻ろうか」
大木先生の姿が見えなくなると、彼女の背中に手を当てて家の中へ入るよう促す。
「あらー、半助のお友達?!」
「隣のおばちゃんっ!どーもっす」
「……っ!?」
一番まずい人に見つかってしまった。
遅かれ早かれそうなるとは思っていたが……。
おばちゃんが目を爛々に輝かせて、私と名前さんを交互に覗き込んでくる。……興味津々のようだ。
「彼女は……」
「あの、私は名前と申します。きり丸くんのアルバイトのお手伝いで……」
「あらー、あなたそんなこと言って! きり丸とも仲良いのね、半助もなかなかやるじゃない! 」
「そーなんすよ、おばちゃんっ!」
きり丸がおばちゃんを誤解させるような事を言って、名前さんが目を白黒させている。彼女に困惑した顔でこちらを見られても気付かないふりで……少しずるいかもしれない。
「ははは、まあ、そうですね」
「ど、土井先生ってば……!」
名前さんに赤い顔で睨まれても、ちっとも怖くない。まあまあ、となだめるように笑って誤魔化すと、何とも言えない顔をしている。
「まあっ、そうなのね! じゃあ、せっかくだから今夜はみんなでご飯食べましょ!」
「名前さんの料理、とっても美味しいっすから!」
「きり丸くん、ちょっと褒めすぎだよ!あの、よろしければ私、色々と作りますので……」
戸惑いながら、おばちゃんとの付き合いもあるだろうと気遣ってそんな事を……。いじらしいけれど、面倒なことになってしまった。せっかく三人で過ごせると思ったのに……!
おばちゃんの機嫌を損ねるのも後々大変だから……。ここは仕方がない。
「じゃ、じゃあ、みんなで食べるとしましょうか」
「そうだわ!大家さんにも声掛けなくちゃっ!」
勢いよく去っていくおばちゃんを見つめながら、夏休みはまだまだあることだし……なんて苦笑するのだった。
*
――夜も大分更けた頃。
燭台の揺れる灯りを頼りに、三人で造花を作っている。
隣のおばちゃんと大家さんは、私の作った料理を美味しいと食べてくれて。最初はすごく緊張したけれど、とっても楽しいひとときだった。
……でも、みんなで夕飯を食べていたら内職をする時間がどんどん遅くなってしまった。
終わったらすぐ寝られるように、みんな寝巻き姿だ。暗い部屋中に、赤い花びらと緑の葉っぱが散らばっている。それは目の覚めるような綺麗さだった。
「二人ともー!手は休めないでくださいね!」
「きり丸。何でこんなに大量の依頼を受けたんだっ!」
「作っても作っても終わりが見えないですね……」
「だって、名前さんも手伝ってくれることだし。あっ、納品は明日の朝なんで!」
土井先生がまたきり丸くんに雷を落としそうだ……!私が手伝うなんて言っちゃったからだし、細かい作業は好きだから大丈夫なのに。
「土井先生、みんなで作業するの楽しいですから。ねっ?」
「……君は甘いんだから」
子どもみたいに拗ねる土井先生が可笑しくてくすくす笑っていると、きり丸くんに手が止まってると怒られ慌てて手を動かす。
しばらくすると、完成した造花を入れた箱が大量に積み上がっていた。居間へと移すと、やっとひと段落ついた感じがした。
「ふぅ、やっと終わりましたね」
「土井先生に名前さん、ありがとうございまーす!」
「もうこんな量を受けるんじゃないぞ……!」
「さっ、二人とも明日も早いっすから。寝ましょー!」
「おい、きり丸ッ!聞いてるのか!?」
「……あの、私、居間の方で休みますね」
さすがに、二人と一緒はおこがましくて。いそいそと持ってきた兎柄の布団を引っ張っていく。
「ちょっとぉ、名前さんっ!一緒に寝ましょうよー!」
「きり丸の言う通りだ。名前さん、変に遠慮しないでくれ」
……土井先生ときり丸くんにそんな目で見つめられると、お言葉に甘えてしまいたくなってしまう。三人一緒なんて、私が加わってしまっていいのかな……?嬉しいけれど、なんだかむず痒くなってしまう。
「さあ、明日も早いんだ。早く寝るぞ」
有無を言わせず、名前さんが持ってきた布団をぐいっと引っ張って川の字に並べると灯りを消して自分の布団に滑り込む。きり丸も後に続いて、彼女も床についたようだ。ぱさりと布の擦れる音が暗い部屋に響く。
「……おやすみなさいっ」
名前さんの声が聞こえると、どうしても顔がにやけてしまう。
すぐ近くに、無防備な彼女が横たわっていると思うと……。あんなに可愛らしい柄の布団で、ころんと丸まっている姿がそこにあるなんて。
……いかんいかん。
早く寝るぞ、なんて言った自分が一番眠れないかもしれない……。
昼間の大木先生と名前さんの意味深なやり取りも思い出してしまい、気になって気になって仕方がない。ぐるぐる考えては悶々と寝返りを打つのであった。