2章
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〜第16話 ゆれる気持ち〜
忍術学園にお世話になってから少し経ったころ。
いつも通り、朝食の片付けを終えてから吉野先生がいる事務室へと向かっている。
ようやく仕事の流れが分かってきて、大変ながらも楽しく過ごしていた。学園のみんなが温かく迎えてくれたからだと感謝してもしたりない。ただ、小松田くんの失敗や保健委員の不運に巻き込まれることには困ってしまうけれど……。
「吉野先生、おはようございます。今日はお手伝いできることありますか?」
「名前くん、おはようございます。今日は……」
頭を下げて部屋に入ると仕事の指示をあおぐ。先生はニコニコとした穏やかな顔で文机に座っていた。
「君が来てからひと月ですね。慣れないのに、お疲れ様でした」
「いえ、みなさんにご迷惑ばかりかけてしまって」
「名前くんが手伝ってくれてだいぶ助かっているんです、自信をもってください。あ、そうそう学園長先生がお呼びですから、庵へお願いします」
「学園長先生が……?」
学園での生活は毎日色々なことが巻き起こって、あっという間に過ぎていく。
上司の吉野先生、先輩の小松田くん……さん付けではなく、いつのまにか君付けしちゃってる。吉野先生からは気付くと名前くんと呼ばれていて。ほんの些細なことだけど、学園に受け入れられているようで嬉しい気持ちを噛み締めた。
忍たまのみんな、頼れる先生たち。食堂のおばちゃんやヘムヘムも……。誇らしさと少しの緊張を胸に庵へと向かった。
*
「学園長先生、名前です」
「あぁ、待っておったぞ!早く入りなさい」
失礼のないように膝をつきかしこまると、中から嬉しそうな声が聞こえ障子を少し開く。失礼します、と中へと進み正面に座らせてもらった。部屋のすみにはヘムヘムがちょこんと佇み様子をうかがっている。
「名前ちゃん、ここへ来てひと月たつ頃かな。よく働いてくれてありがとう」
「いえ、学園に身を置かせていただき本当に感謝しています。少しでもお役に立てましたら嬉しいです」
そう固くならずに、なんて言われても学園の長であり凄いお方だ……!やっぱり緊張してしまう。
でも、学園の生活について話していくとおかしな失敗だったり、不運な出来事だったり。少し空気が和らいでいく気がした。
「そうじゃ。ここへ呼んだのは、二つあってな。一つは、元の世界に戻る手がかりについてじゃが……」
学園の先生たち以外に、雅之助さんや利吉さんにもお願いして探っているとのことだった。私のために周りを巻き込んでしまい申し訳なさに体を縮こませた。
続けて「なかなか情報が得られず悪いのう」なんて言わせてしまい、学園長先生を直視できない。ただひたすら頭を下げるだけだった。
「なんでも良い。何か変わったことがあったら、すぐに報告してくれるかな?」
「はいっ。もちろんです!」
白い眉からのぞく鋭い視線をしっかり見つめる。すると学園長先生の表情が明るくなり、急に場の空気感がかるくなった。
「二つめは……お給料じゃ!これからも、よろしく頼むぞ」
「あ、ありがとうございます……!こちらこそ、よろしくお願いします!」
なにを言われるのだろうと身構えるもその言葉に拍子抜けする。子どもみたいに笑う姿に、こわばった体から力が抜けていく。ヘムヘムもこちらを見て、グッと親指を立てて頷いてくれた。がんばりを認めてくれたようで胸がいっぱいになる。
じわじわとこの世界に入り込んで染まっていく感覚。
元の世界に戻れるのだろうか。
戻りたいのか、よく分からなくなっていた。みんなといるこの場所が幸せすぎてまだ帰りたくない。けれど、異質な自分はここに居てはいけないと分かっている。
もやもやを抱えつつ改めて頭を下げると、学園長があぁそうじゃった!と慌てていた。
「大木先生から畑の手伝いに来て欲しいと文が届いてのう。今度の休みにでも、乱太郎きり丸しんべヱと行ってきなさい」
「はいっ。ぜひ、そうします!」
畑のことも気になっていたのだ。休日といっても筆の練習をしたり、お手伝いすることないかな?とソワソワしてしまうからとても嬉しいお話だった。
授業が終わったら三人に伝えに行かなきゃ。庵を失礼すると、にこにこと廊下を歩いていった。
*
畑のお手伝い当日。
空は青く澄んで白いふわふわの雲が浮かんでいる。差し込む日差しが眩しい。
きり丸くんはバイト代が出ないから渋っていたけれど、「手伝わせてあ げ る」と言うと目を小銭にして喜んでいた。
「よーし!みんな、今日はよろしくね!」
「「「はーい!」」」
門の前に集まって出門表にサインをすると乱太郎くん、きり丸くん、しんべヱくんみんなで杭瀬村へと進んでいく。
しほーろっぽーはっぽーしゅーりけん!
ジャリジャリと小石を踏みしめて、三人とも歌いながら楽しそうだ。なんとも可愛らしい姿に自然と笑顔になる。
しばらく歩くと街へつづく分かれ道が見えてきた。たしか、この辺でこちらに行かないと……。
「ねえ、みんな。ちょっと寄りたいところがあって、いいかな?」
「いいっすけど」
「えー!お団子やさん?!」
「しんべヱったら……」
三人とも、どこに行くんだろう?とわくわくしている。足をとめ、視線をあわせるようにかがみ込む。
「初めてのお給料が出たから、美味しいお魚を買おうと思って。もちろん、みんなの分も!」
「ぼくお魚だいすきー!」
「しんべヱは食べ物ならなんでも好きだろ?」
「えへへー」
雅之助さんに感謝の気持ちを伝えたくて。みんな、やったー!と大喜びだ。杭瀬村へ向かう前に街へと寄り道する。
立ちならぶ木々を抜けると、ポツポツとかやぶき屋根の店があらわれた。すれ違う女性の頭にはカゴが乗せられバタバタと駆けていく。前に雅之助さんと味噌を買い来たことがあったけれど、街のにぎやかな雰囲気に飽きることはなかった。
騒がしい呼びこみをかわしつつお魚屋さんの前にたどり着く。店先にはさまざまな種類の魚がザルに並べられていた。「どれが美味しそうかなあ?」とみんなで見ていると、ひょろりとした店主のおじさんが声をかけてきた。
「三つ子かい?!若いのにお子さん食べ盛りで大変だねぇ!サービスしとくよ!」
「い、いえっ!この子たちは、」
違います!と言いかけたが、きり丸くんにグッと手を引かれ耳打ちされる。
「……ここはお母さんになってください!サービスしてもらいましょう!」
「ええっ……!?」
力強く説得され、しっかり者だな……なんて変に感心してしまう。きり丸くんに言われた通りみんなのお母さんになりきって、ちゃっかりおまけしてもらった。三人にみてもらいながら銭を手渡し、魚を受け取ると店を後にした。
「銭の勘定、苦手なんすかー? おれが教えますよ!」そう得意げなきり丸くんにドキリとする。はじめての買い物で、隠していた身の上がバレないか冷や汗が伝う。必死に笑ってごまかすのだった。
*
あと少しで杭瀬村だ。
途中、私に合わせて休憩してくれたから到着が遅くなってしまった。
荷物をつめた風呂敷がずしりと手に食い込む。けれど、大きな畑が見えると重たい感覚がどこかへ吹き飛ぶのだ。
「「「「大木先生ー!」」」」
青々とした葉の中に、赤い着物の人影がみえる。おーいと目一杯みんなで手を振ると、こちらに気付いて手を振りかえしてくれた。
もう歩けないー!と連発していたしんべヱくんも、みんな揃って大木先生のもとへ駆けていく。
「よく来たなあ!」
「今日は畑のお手伝いがんばります! みんな、お手伝いしたら美味しいご飯が待ってるよー!」
「お、それは頑張りがいがあるな?」
「「「はーい!」」」
雅之助さんの人懐っこい笑顔が日差しを浴びてキラキラ輝く。ご飯につられ、三人とも気合いを入れてくれたようだった。じゃれつくケロちゃんとラビちゃんを撫でながら、荷物をお家に置くと畑へ向かった。
さっそく広い畑に散らばって、雑草を取ったり良さそうな野菜を収穫していく。
時折り、雅之助さんが一人一人に声をかけてアドバイスする。その姿に、先生の面影が見えてついつい目で追ってしまう。普段見ることができないから貴重だ。
「おい、名前。手が止まってるぞ」
「す、すみませんっ」
ぼんやりしていると、いつの間にか近くに来ていたようで発破をかけられる。慌てて雑草を引き抜いていった。
一緒にしゃがんでこのラッキョはもう少し待った方がいいとか、こっちは採っていいぞ、なんて教えてもらう。
「みんなに教える姿が先生みたいですよ?」
「そうかあ?」
「ええ。あっ、大木先生。これは採っても良いですかー?」
「うむ、これはもう食べ頃だから大丈夫だ。しっかり覚えておくように!」
「はぁい」
冗談で生徒みたいに質問すると付き合ってくれて嬉しい。泥だらけの手でほほを拭いながら二人でくすくす笑い合う。
「私も、大木先生に忍術を教えてもらいたいなー、なんて」
教える姿が絶対格好いいと思うから……とは恥ずかしくて言えない。チラリと隣を見ると、いたずらを思い付いたようにニヤリと口角を上げている。
「くの一か。大変だぞー?敵に気づかれないように情報を盗んだり、変装したり、わなを仕掛けたり。そうだ、房中術なんかもあるぞ?」
「ぼ、ぼうちゅう術……ですか?」
「わしに使ってくれたら嬉しいがなあ?」
なんだろう。防虫?とかなのかな。森にひそんだ時に使う術……?それか畑作業にも使えたりして……?「何なら教えてやるぞ」と豪快に笑う姿に、ますます謎が深まる。
そんなやり取りをしながら、カゴいっぱいに野菜を積み込んでいった。
「じゃあ私は、少し早いですが夕飯のお支度しますね!」
「ああ、頼む」
カゴを背負い、ひと足先に雅之助さんのお家へと急いだ。
*
持ってきた割烹着にうでを通していく。採れたての野菜と、美味しいお魚と。みんなが喜んでくれるように、心を込めてトントンと食材を切っていった。
まぶしい日差しが落ち着いて、さんさんと輝いていた太陽が弱々しくなっている。
囲炉裏の鍋で煮物を作りつつ、その周りに魚を刺して焼いていった。豆を入れたご飯はちょうど炊き上がったころ。
家の辺りに美味しそうな香りが漂うと、しんべヱくんがぼくお腹すいたー!と急いで家へ駆けこんできた。よだれを垂らして、今にも鍋に飛びつきそうだ。
「ぼくもう我慢できないー!」
「まあ待てしんべヱ。名前、すごいじゃないか!」
「うわぁ!これ全部名前さん作ったの?」
「すげーうまそう!」
「おいしいと良いんだけど……」
みんながドタドタと戸口から入って来て目を輝かせている。期待に応えられるかちょっぴり不安で、でもその反応が嬉しい。
「お前たち、まずは井戸で手を洗ってこい!」
「「「はーいっ!」」」
雅之助さんの先生のような、お父さんのような姿にクスッとする。
ご飯をよそって、みんなで囲炉裏を囲んでいただきまーす!と食べ始める。美味しい!ともぐもぐ食べる、そんな様子を見ているだけで幸福感に包まれた。
遅れて私も煮物を口に入れると、食堂のおばちゃんのように味付けできていてホッとする。
魚も焼いていくうちに油が滴り落ち、ジュッと言う音を放つ。焼き目もついて食べ頃になった。串刺しした魚をほおばると、口内にじわりと潮の風味が広がる。身も柔らかくてほっぺが落ちそうだ。
「お魚も美味しいね!きり丸くんのおかげだよ。お母さんになったかいがあった」
「名前さん、いいお母さんっぷりでしたよ!」
きり丸くんと顔を見合わせてから、ぷっと吹き出す。乱太郎くんたちも乗っかって狭い空間に笑い声が響いた。
「どういうことだ、きり丸?」
「いやー、じつは」
不思議そうにしている雅之助さんに、きり丸くんが上機嫌でかくかくしかじか説明してくれた。
「なるほど。料理もできて買い物上手なんて、いい嫁さんになりそうだな!」
「そうですか? なんだか照れちゃいますっ」
「土井先生、名前さんをお嫁さんにしたらいいのにねー!」
犬歯をチラリとのぞかせ褒められると恥ずかしくてむず痒い。雅之助さんと和やかに話しているなか、しんべヱくんがご飯をかき込みながら衝撃の一言を放つ。にこやかだった雅之助さんがお茶を吹き出しゴホゴホ咳きこんでいる。
「……な、なんだ急に!?」
「だよなぁ?しんべヱ。そうっすよ、名前さん。土井先生どうです? 二人とも、けっこう仲良いじゃないっすか!ぴったりだと思うんっすよねー」
「きりちゃんまで……」
「お、おい!何でそうなる?! 土井先生は良い先生だが、しかし……!」
「えーっ!? 駄菓子?菓子ぃ?!」
「違うしんべヱ! だ が し か し 、だ!」
乱太郎くんはそんな様子を見て苦笑いをしていた。
……完全に私は取り残されている。
雅之助さんがいぶかしげにこちらを見てくる。そんな目で見られても、私だってびっくりしてるのに……!
思ってもみない方向に話が進み、まぁまぁとなだめる。ひや汗をかきながら場を収めるのに必死だ。
……ひとまず、この雰囲気から抜け出したい。
「みんな、喜んで食べてくれて良かったー!私、片付けしてきまーす!」
急いでうつわをかき集めて、そそくさと井戸へ向かった。うしろで呼び止める声がするも、聞こえないないふりをして……。腕のなかの食器がカチャカチャとぶつかる。
水を汲むためつるべを落として引き上げると、ちゃんと水が入っている。井戸の使い方もだいぶ上手くなった。
大きな桶を前にしゃがみ込み、一心不乱にうつわを洗っていく。そわそわした気持ちを落ち着かせたいのに、さらに鼓動が大きくなる。
土井先生って奥さんいないんだ。
色々想像してひとりドキドキする。私と土井先生……周りから、そんな風に見えているのかな?もしかして、雅之助さんが言ってたうわさって……まさか。
いつも心配して助けてくれるから、すごく頼ってしまっていた。
格好良くて優しくって、練り物が苦手なところも可愛い。いい仲だと思われて悪い気はしないけれど……。
「名前、ちょっといいか」
「あ、はい……!」
すぐ近くに雅之助さんが来ていたのに気づかずびくっとする。割烹着で手を拭いながら立ち上がり、その顔を見つめる。有無を言わせぬ視線に、着いてこいと言われているようで後を追いかけた。
雅之助さんが家の裏で立ち止まると、私も同じく足を止める。ここは夕日が当たらず、陰が濃く伸びていて薄暗い。
「今日は畑仕事に夕飯も作ってくれて、助かったぞ」
「いえ!いつもお世話になっていますし……初めてのお給料が出たので、お礼をしたくて」
頭を掻きながらはにかむ姿が大きな少年みたいだ。頑張ったなあ!と大きな手に頭をわしわしされ心地よさに目をつむる。その手がすっと離れて、雅之助さんを見上げた。視線を空にさまよわせ、なんだか言葉に迷っているようだ。
「……土井先生に、良くしてもらっているのか」
「あの、色々助けてもらったりしていて。ご面倒をおかけしていると、思います……」
いつもと違う落ち着いた声にハッとして、今にも消え入りそうな声で答える。それは本当のことで、何でもないはずなのに。悪いことをしているみたいで居心地がわるい。
「まったく。お前を帰したくなくなる」
「……っ」
グッと腕を引き寄せられ、露わになった胸元にうずまりそうになる。抱き締められるのかと思って身体がこわばるも、距離が縮まっただけで。
たくましい雅之助さんの身体がすぐ目の前にある。彼の息遣いや鼓動が直に伝わってきそうで、顔がかあっと熱く燃えるようだ。
帰したくないって、学園に……?
そんな、どうしよう。
いまは頭が働かなくて。
少しでも動いたら触れてしまいそうな近さに、息もできないくらいドキドキして苦しくて……。甘く胸を締め付けられる。
どうして良いか分からなくてうつむくと、その胸板におでこがぶつかった。ゆるりと雅之助さんの袖口をにぎる。
「……学園長先生に聞きました。先生方や雅之助さんが色々と調べてくれてるって」
「そうか。なかなか手がかりが掴めず、悪いな」
「……いえ。ありがとうございます」
「早く戻りたいだろうに」
「ここが幸せで。まだ、戻りたくないなって……」
バツが悪そうに言う彼に、本音を漏らしてしまう。どんな表情か気になって雅之助さんをうかがうと、困ったように笑って優しく頭を撫でてくれた。そっと身体を離されると、ほのかな温もりが恋しくなる。
「さあ、早く支度しないと日が暮れるぞ!」
いつも通りの大きな声で、急に現実に引き戻されてしまった。片付けはわしがやるからと言われて、早足で三人の元へ向かう。
心臓がうるさく鳴って、全身が熱くてたまらない。赤くなった顔が、夕日でかき消されればいいのに……。
「そろそろ、学園に帰ろっか!」
土間で帰り支度をしていた三人に声をかける。名前さん準備できましたー!片付け手伝わなくてすみません!なんて無邪気に言われて苦笑する。
名残惜しいけれど、私も荷物をまとめて背負っていく。しばらくして、片付けを終えた雅之助さんが戸口から入ってきた。
「たくさんお野菜いただいちゃって。大木先生、ありがとうございます!」
みんなでお礼を言って頭を下げる。途中でケロちゃんとラビちゃんにも会えた。優しく撫でながら、元気でねと伝える。
また来いよー!と手を振る雅之助さんに後ろ髪を引かれつつ、こちらも手を振って歩を進める。
ラッキョ漬けは明日の小鉢にだそうかな、なんて考えながら手に持つ風呂敷に力を込めた。
*
日もとっぷり暮れ、闇が一段と深まる。
名前たちはとっくに学園について、今頃は寝ているだろうか。騒がしい三人と彼女がいなくなった部屋にごろんと寝転ぶと、その広さに少し寂しさを覚える。
名前が学園で楽しく過ごしているようで嬉しく思う。ただ、例の相手が思わぬ形で知らされて動揺してしまった。
……土井先生か。
若くて腕も立つ忍びだし、教師としても生徒に慕われていて彼女とお似合いかもしれない。忍たま達がそう考えるのももっともだ。
柄にもなくじれったい気持ちになる。
彼女の髪に触れるだけでは抑えがきかず、つい抱き締めたくなってしまった。
帰したくない、なんて我儘だ。忍術学園へと向かわせたのは自分なのに。
いつか、彼女は元の世界に戻ってしまう存在だ。名前はまだ戻りたくないと言ってはいたが……。きちんと故郷へ、彼女の家族のもとへ帰さねばならない。
これ以上、この気持ちに深入りしたら深傷を負うなあとため息を漏らす。
だめだ。わしらしくもない。
気持ちを切り替えようと、外に出て月に照らされた雲を見上げる。どこんじょー!と気合を入れ直して、もやもやを紛らわすのだった。
忍術学園にお世話になってから少し経ったころ。
いつも通り、朝食の片付けを終えてから吉野先生がいる事務室へと向かっている。
ようやく仕事の流れが分かってきて、大変ながらも楽しく過ごしていた。学園のみんなが温かく迎えてくれたからだと感謝してもしたりない。ただ、小松田くんの失敗や保健委員の不運に巻き込まれることには困ってしまうけれど……。
「吉野先生、おはようございます。今日はお手伝いできることありますか?」
「名前くん、おはようございます。今日は……」
頭を下げて部屋に入ると仕事の指示をあおぐ。先生はニコニコとした穏やかな顔で文机に座っていた。
「君が来てからひと月ですね。慣れないのに、お疲れ様でした」
「いえ、みなさんにご迷惑ばかりかけてしまって」
「名前くんが手伝ってくれてだいぶ助かっているんです、自信をもってください。あ、そうそう学園長先生がお呼びですから、庵へお願いします」
「学園長先生が……?」
学園での生活は毎日色々なことが巻き起こって、あっという間に過ぎていく。
上司の吉野先生、先輩の小松田くん……さん付けではなく、いつのまにか君付けしちゃってる。吉野先生からは気付くと名前くんと呼ばれていて。ほんの些細なことだけど、学園に受け入れられているようで嬉しい気持ちを噛み締めた。
忍たまのみんな、頼れる先生たち。食堂のおばちゃんやヘムヘムも……。誇らしさと少しの緊張を胸に庵へと向かった。
*
「学園長先生、名前です」
「あぁ、待っておったぞ!早く入りなさい」
失礼のないように膝をつきかしこまると、中から嬉しそうな声が聞こえ障子を少し開く。失礼します、と中へと進み正面に座らせてもらった。部屋のすみにはヘムヘムがちょこんと佇み様子をうかがっている。
「名前ちゃん、ここへ来てひと月たつ頃かな。よく働いてくれてありがとう」
「いえ、学園に身を置かせていただき本当に感謝しています。少しでもお役に立てましたら嬉しいです」
そう固くならずに、なんて言われても学園の長であり凄いお方だ……!やっぱり緊張してしまう。
でも、学園の生活について話していくとおかしな失敗だったり、不運な出来事だったり。少し空気が和らいでいく気がした。
「そうじゃ。ここへ呼んだのは、二つあってな。一つは、元の世界に戻る手がかりについてじゃが……」
学園の先生たち以外に、雅之助さんや利吉さんにもお願いして探っているとのことだった。私のために周りを巻き込んでしまい申し訳なさに体を縮こませた。
続けて「なかなか情報が得られず悪いのう」なんて言わせてしまい、学園長先生を直視できない。ただひたすら頭を下げるだけだった。
「なんでも良い。何か変わったことがあったら、すぐに報告してくれるかな?」
「はいっ。もちろんです!」
白い眉からのぞく鋭い視線をしっかり見つめる。すると学園長先生の表情が明るくなり、急に場の空気感がかるくなった。
「二つめは……お給料じゃ!これからも、よろしく頼むぞ」
「あ、ありがとうございます……!こちらこそ、よろしくお願いします!」
なにを言われるのだろうと身構えるもその言葉に拍子抜けする。子どもみたいに笑う姿に、こわばった体から力が抜けていく。ヘムヘムもこちらを見て、グッと親指を立てて頷いてくれた。がんばりを認めてくれたようで胸がいっぱいになる。
じわじわとこの世界に入り込んで染まっていく感覚。
元の世界に戻れるのだろうか。
戻りたいのか、よく分からなくなっていた。みんなといるこの場所が幸せすぎてまだ帰りたくない。けれど、異質な自分はここに居てはいけないと分かっている。
もやもやを抱えつつ改めて頭を下げると、学園長があぁそうじゃった!と慌てていた。
「大木先生から畑の手伝いに来て欲しいと文が届いてのう。今度の休みにでも、乱太郎きり丸しんべヱと行ってきなさい」
「はいっ。ぜひ、そうします!」
畑のことも気になっていたのだ。休日といっても筆の練習をしたり、お手伝いすることないかな?とソワソワしてしまうからとても嬉しいお話だった。
授業が終わったら三人に伝えに行かなきゃ。庵を失礼すると、にこにこと廊下を歩いていった。
*
畑のお手伝い当日。
空は青く澄んで白いふわふわの雲が浮かんでいる。差し込む日差しが眩しい。
きり丸くんはバイト代が出ないから渋っていたけれど、「手伝わせてあ げ る」と言うと目を小銭にして喜んでいた。
「よーし!みんな、今日はよろしくね!」
「「「はーい!」」」
門の前に集まって出門表にサインをすると乱太郎くん、きり丸くん、しんべヱくんみんなで杭瀬村へと進んでいく。
しほーろっぽーはっぽーしゅーりけん!
ジャリジャリと小石を踏みしめて、三人とも歌いながら楽しそうだ。なんとも可愛らしい姿に自然と笑顔になる。
しばらく歩くと街へつづく分かれ道が見えてきた。たしか、この辺でこちらに行かないと……。
「ねえ、みんな。ちょっと寄りたいところがあって、いいかな?」
「いいっすけど」
「えー!お団子やさん?!」
「しんべヱったら……」
三人とも、どこに行くんだろう?とわくわくしている。足をとめ、視線をあわせるようにかがみ込む。
「初めてのお給料が出たから、美味しいお魚を買おうと思って。もちろん、みんなの分も!」
「ぼくお魚だいすきー!」
「しんべヱは食べ物ならなんでも好きだろ?」
「えへへー」
雅之助さんに感謝の気持ちを伝えたくて。みんな、やったー!と大喜びだ。杭瀬村へ向かう前に街へと寄り道する。
立ちならぶ木々を抜けると、ポツポツとかやぶき屋根の店があらわれた。すれ違う女性の頭にはカゴが乗せられバタバタと駆けていく。前に雅之助さんと味噌を買い来たことがあったけれど、街のにぎやかな雰囲気に飽きることはなかった。
騒がしい呼びこみをかわしつつお魚屋さんの前にたどり着く。店先にはさまざまな種類の魚がザルに並べられていた。「どれが美味しそうかなあ?」とみんなで見ていると、ひょろりとした店主のおじさんが声をかけてきた。
「三つ子かい?!若いのにお子さん食べ盛りで大変だねぇ!サービスしとくよ!」
「い、いえっ!この子たちは、」
違います!と言いかけたが、きり丸くんにグッと手を引かれ耳打ちされる。
「……ここはお母さんになってください!サービスしてもらいましょう!」
「ええっ……!?」
力強く説得され、しっかり者だな……なんて変に感心してしまう。きり丸くんに言われた通りみんなのお母さんになりきって、ちゃっかりおまけしてもらった。三人にみてもらいながら銭を手渡し、魚を受け取ると店を後にした。
「銭の勘定、苦手なんすかー? おれが教えますよ!」そう得意げなきり丸くんにドキリとする。はじめての買い物で、隠していた身の上がバレないか冷や汗が伝う。必死に笑ってごまかすのだった。
*
あと少しで杭瀬村だ。
途中、私に合わせて休憩してくれたから到着が遅くなってしまった。
荷物をつめた風呂敷がずしりと手に食い込む。けれど、大きな畑が見えると重たい感覚がどこかへ吹き飛ぶのだ。
「「「「大木先生ー!」」」」
青々とした葉の中に、赤い着物の人影がみえる。おーいと目一杯みんなで手を振ると、こちらに気付いて手を振りかえしてくれた。
もう歩けないー!と連発していたしんべヱくんも、みんな揃って大木先生のもとへ駆けていく。
「よく来たなあ!」
「今日は畑のお手伝いがんばります! みんな、お手伝いしたら美味しいご飯が待ってるよー!」
「お、それは頑張りがいがあるな?」
「「「はーい!」」」
雅之助さんの人懐っこい笑顔が日差しを浴びてキラキラ輝く。ご飯につられ、三人とも気合いを入れてくれたようだった。じゃれつくケロちゃんとラビちゃんを撫でながら、荷物をお家に置くと畑へ向かった。
さっそく広い畑に散らばって、雑草を取ったり良さそうな野菜を収穫していく。
時折り、雅之助さんが一人一人に声をかけてアドバイスする。その姿に、先生の面影が見えてついつい目で追ってしまう。普段見ることができないから貴重だ。
「おい、名前。手が止まってるぞ」
「す、すみませんっ」
ぼんやりしていると、いつの間にか近くに来ていたようで発破をかけられる。慌てて雑草を引き抜いていった。
一緒にしゃがんでこのラッキョはもう少し待った方がいいとか、こっちは採っていいぞ、なんて教えてもらう。
「みんなに教える姿が先生みたいですよ?」
「そうかあ?」
「ええ。あっ、大木先生。これは採っても良いですかー?」
「うむ、これはもう食べ頃だから大丈夫だ。しっかり覚えておくように!」
「はぁい」
冗談で生徒みたいに質問すると付き合ってくれて嬉しい。泥だらけの手でほほを拭いながら二人でくすくす笑い合う。
「私も、大木先生に忍術を教えてもらいたいなー、なんて」
教える姿が絶対格好いいと思うから……とは恥ずかしくて言えない。チラリと隣を見ると、いたずらを思い付いたようにニヤリと口角を上げている。
「くの一か。大変だぞー?敵に気づかれないように情報を盗んだり、変装したり、わなを仕掛けたり。そうだ、房中術なんかもあるぞ?」
「ぼ、ぼうちゅう術……ですか?」
「わしに使ってくれたら嬉しいがなあ?」
なんだろう。防虫?とかなのかな。森にひそんだ時に使う術……?それか畑作業にも使えたりして……?「何なら教えてやるぞ」と豪快に笑う姿に、ますます謎が深まる。
そんなやり取りをしながら、カゴいっぱいに野菜を積み込んでいった。
「じゃあ私は、少し早いですが夕飯のお支度しますね!」
「ああ、頼む」
カゴを背負い、ひと足先に雅之助さんのお家へと急いだ。
*
持ってきた割烹着にうでを通していく。採れたての野菜と、美味しいお魚と。みんなが喜んでくれるように、心を込めてトントンと食材を切っていった。
まぶしい日差しが落ち着いて、さんさんと輝いていた太陽が弱々しくなっている。
囲炉裏の鍋で煮物を作りつつ、その周りに魚を刺して焼いていった。豆を入れたご飯はちょうど炊き上がったころ。
家の辺りに美味しそうな香りが漂うと、しんべヱくんがぼくお腹すいたー!と急いで家へ駆けこんできた。よだれを垂らして、今にも鍋に飛びつきそうだ。
「ぼくもう我慢できないー!」
「まあ待てしんべヱ。名前、すごいじゃないか!」
「うわぁ!これ全部名前さん作ったの?」
「すげーうまそう!」
「おいしいと良いんだけど……」
みんながドタドタと戸口から入って来て目を輝かせている。期待に応えられるかちょっぴり不安で、でもその反応が嬉しい。
「お前たち、まずは井戸で手を洗ってこい!」
「「「はーいっ!」」」
雅之助さんの先生のような、お父さんのような姿にクスッとする。
ご飯をよそって、みんなで囲炉裏を囲んでいただきまーす!と食べ始める。美味しい!ともぐもぐ食べる、そんな様子を見ているだけで幸福感に包まれた。
遅れて私も煮物を口に入れると、食堂のおばちゃんのように味付けできていてホッとする。
魚も焼いていくうちに油が滴り落ち、ジュッと言う音を放つ。焼き目もついて食べ頃になった。串刺しした魚をほおばると、口内にじわりと潮の風味が広がる。身も柔らかくてほっぺが落ちそうだ。
「お魚も美味しいね!きり丸くんのおかげだよ。お母さんになったかいがあった」
「名前さん、いいお母さんっぷりでしたよ!」
きり丸くんと顔を見合わせてから、ぷっと吹き出す。乱太郎くんたちも乗っかって狭い空間に笑い声が響いた。
「どういうことだ、きり丸?」
「いやー、じつは」
不思議そうにしている雅之助さんに、きり丸くんが上機嫌でかくかくしかじか説明してくれた。
「なるほど。料理もできて買い物上手なんて、いい嫁さんになりそうだな!」
「そうですか? なんだか照れちゃいますっ」
「土井先生、名前さんをお嫁さんにしたらいいのにねー!」
犬歯をチラリとのぞかせ褒められると恥ずかしくてむず痒い。雅之助さんと和やかに話しているなか、しんべヱくんがご飯をかき込みながら衝撃の一言を放つ。にこやかだった雅之助さんがお茶を吹き出しゴホゴホ咳きこんでいる。
「……な、なんだ急に!?」
「だよなぁ?しんべヱ。そうっすよ、名前さん。土井先生どうです? 二人とも、けっこう仲良いじゃないっすか!ぴったりだと思うんっすよねー」
「きりちゃんまで……」
「お、おい!何でそうなる?! 土井先生は良い先生だが、しかし……!」
「えーっ!? 駄菓子?菓子ぃ?!」
「違うしんべヱ! だ が し か し 、だ!」
乱太郎くんはそんな様子を見て苦笑いをしていた。
……完全に私は取り残されている。
雅之助さんがいぶかしげにこちらを見てくる。そんな目で見られても、私だってびっくりしてるのに……!
思ってもみない方向に話が進み、まぁまぁとなだめる。ひや汗をかきながら場を収めるのに必死だ。
……ひとまず、この雰囲気から抜け出したい。
「みんな、喜んで食べてくれて良かったー!私、片付けしてきまーす!」
急いでうつわをかき集めて、そそくさと井戸へ向かった。うしろで呼び止める声がするも、聞こえないないふりをして……。腕のなかの食器がカチャカチャとぶつかる。
水を汲むためつるべを落として引き上げると、ちゃんと水が入っている。井戸の使い方もだいぶ上手くなった。
大きな桶を前にしゃがみ込み、一心不乱にうつわを洗っていく。そわそわした気持ちを落ち着かせたいのに、さらに鼓動が大きくなる。
土井先生って奥さんいないんだ。
色々想像してひとりドキドキする。私と土井先生……周りから、そんな風に見えているのかな?もしかして、雅之助さんが言ってたうわさって……まさか。
いつも心配して助けてくれるから、すごく頼ってしまっていた。
格好良くて優しくって、練り物が苦手なところも可愛い。いい仲だと思われて悪い気はしないけれど……。
「名前、ちょっといいか」
「あ、はい……!」
すぐ近くに雅之助さんが来ていたのに気づかずびくっとする。割烹着で手を拭いながら立ち上がり、その顔を見つめる。有無を言わせぬ視線に、着いてこいと言われているようで後を追いかけた。
雅之助さんが家の裏で立ち止まると、私も同じく足を止める。ここは夕日が当たらず、陰が濃く伸びていて薄暗い。
「今日は畑仕事に夕飯も作ってくれて、助かったぞ」
「いえ!いつもお世話になっていますし……初めてのお給料が出たので、お礼をしたくて」
頭を掻きながらはにかむ姿が大きな少年みたいだ。頑張ったなあ!と大きな手に頭をわしわしされ心地よさに目をつむる。その手がすっと離れて、雅之助さんを見上げた。視線を空にさまよわせ、なんだか言葉に迷っているようだ。
「……土井先生に、良くしてもらっているのか」
「あの、色々助けてもらったりしていて。ご面倒をおかけしていると、思います……」
いつもと違う落ち着いた声にハッとして、今にも消え入りそうな声で答える。それは本当のことで、何でもないはずなのに。悪いことをしているみたいで居心地がわるい。
「まったく。お前を帰したくなくなる」
「……っ」
グッと腕を引き寄せられ、露わになった胸元にうずまりそうになる。抱き締められるのかと思って身体がこわばるも、距離が縮まっただけで。
たくましい雅之助さんの身体がすぐ目の前にある。彼の息遣いや鼓動が直に伝わってきそうで、顔がかあっと熱く燃えるようだ。
帰したくないって、学園に……?
そんな、どうしよう。
いまは頭が働かなくて。
少しでも動いたら触れてしまいそうな近さに、息もできないくらいドキドキして苦しくて……。甘く胸を締め付けられる。
どうして良いか分からなくてうつむくと、その胸板におでこがぶつかった。ゆるりと雅之助さんの袖口をにぎる。
「……学園長先生に聞きました。先生方や雅之助さんが色々と調べてくれてるって」
「そうか。なかなか手がかりが掴めず、悪いな」
「……いえ。ありがとうございます」
「早く戻りたいだろうに」
「ここが幸せで。まだ、戻りたくないなって……」
バツが悪そうに言う彼に、本音を漏らしてしまう。どんな表情か気になって雅之助さんをうかがうと、困ったように笑って優しく頭を撫でてくれた。そっと身体を離されると、ほのかな温もりが恋しくなる。
「さあ、早く支度しないと日が暮れるぞ!」
いつも通りの大きな声で、急に現実に引き戻されてしまった。片付けはわしがやるからと言われて、早足で三人の元へ向かう。
心臓がうるさく鳴って、全身が熱くてたまらない。赤くなった顔が、夕日でかき消されればいいのに……。
「そろそろ、学園に帰ろっか!」
土間で帰り支度をしていた三人に声をかける。名前さん準備できましたー!片付け手伝わなくてすみません!なんて無邪気に言われて苦笑する。
名残惜しいけれど、私も荷物をまとめて背負っていく。しばらくして、片付けを終えた雅之助さんが戸口から入ってきた。
「たくさんお野菜いただいちゃって。大木先生、ありがとうございます!」
みんなでお礼を言って頭を下げる。途中でケロちゃんとラビちゃんにも会えた。優しく撫でながら、元気でねと伝える。
また来いよー!と手を振る雅之助さんに後ろ髪を引かれつつ、こちらも手を振って歩を進める。
ラッキョ漬けは明日の小鉢にだそうかな、なんて考えながら手に持つ風呂敷に力を込めた。
*
日もとっぷり暮れ、闇が一段と深まる。
名前たちはとっくに学園について、今頃は寝ているだろうか。騒がしい三人と彼女がいなくなった部屋にごろんと寝転ぶと、その広さに少し寂しさを覚える。
名前が学園で楽しく過ごしているようで嬉しく思う。ただ、例の相手が思わぬ形で知らされて動揺してしまった。
……土井先生か。
若くて腕も立つ忍びだし、教師としても生徒に慕われていて彼女とお似合いかもしれない。忍たま達がそう考えるのももっともだ。
柄にもなくじれったい気持ちになる。
彼女の髪に触れるだけでは抑えがきかず、つい抱き締めたくなってしまった。
帰したくない、なんて我儘だ。忍術学園へと向かわせたのは自分なのに。
いつか、彼女は元の世界に戻ってしまう存在だ。名前はまだ戻りたくないと言ってはいたが……。きちんと故郷へ、彼女の家族のもとへ帰さねばならない。
これ以上、この気持ちに深入りしたら深傷を負うなあとため息を漏らす。
だめだ。わしらしくもない。
気持ちを切り替えようと、外に出て月に照らされた雲を見上げる。どこんじょー!と気合を入れ直して、もやもやを紛らわすのだった。