2章
名前変換
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〜第15話 アルバイトをお手伝い〜
――鉛のような重い雲が広がっていて、空からはシトシトと水滴が降り注ぐ。
暖かくちょうど良い季節になったと思ったのに。今日はずいぶん肌寒い。お手伝いの合間、廊下から空を見つめ腕をさする。
みんなは今頃授業中だろうか。
トイレットペーパーの補充も終わったし、雨で中庭の掃き掃除もないし……。ちょっと教室を覗いてみようか。
思いついたら空模様にガッカリしていた気持ちも吹き飛んで、足取り軽く学舎へと向かっていった。
一年は組の教室の前。
中から土井先生のキリッとした声が聞こえてくる。
「五車の術とは、喜怒哀楽と恐という人間の感情を利用した術で……」
ふむふむ、そんな術があるのか。
ただ攻撃するだけでなく、心理戦も使うなんてすごい。こんなに難しい内容を一年生が学んでいるとは……。
雅之助さんも五車の術なんて使うのかな?元教師だし腕前は一流だから、きっと……。大木先生の授業も見てみたいな、なんて緩んだ口元を手で押さえた。
ふと教室の格子から中をのぞくと、しんべヱくんが机につっぷして張り付いていた。これは確実に寝ている。視線を黒板へ向けると、真剣な眼差しの土井先生がわずかに見えてドキリとする。
っ……!?
視線がかち合い気付かれてしまった。
少し驚いた様子だったけれど、ほほ笑んでくれた気がしてペコリと頭を下げる。
そのあと「しんべヱッ起きろ!」と叫ぶ声が聞こえ、がやがや騒ぎだし授業が中断しているみたいだった。
そそくさと廊下を歩いて、今度は一年い組の教室についた。
こちらはみんな安藤先生を食い入るように見つめて筆を取っている。時折り寒いおやじギャグに笑ってあげながら、スムーズに進んでいく授業に感心してしまう。
最後はろ組だ。
みんな静かに座って、十歳なのに落ち着いた授業風景にびっくりする。保健委員の伏木蔵くんを見つけ、その頑張る姿に嬉しくなってしまった。しばらく見学していると斜堂先生の雰囲気に背筋がゾクゾクしてくる。
二の腕をさすり暖めつつ、ランチの仕込みのため食堂へと向かった。
*
――カーン…
半鐘の鐘が鳴り響き午前の授業が終わったことを告げる。
定食を受け取る一年生に授業を見せてもらった話しをすると、い組やろ組の子達は照れていて可愛いらしい。
「あ、しんべヱくんたち。授業、大丈夫だった!?なんだか騒がしかったけど……」
「えへへ。居眠りしたら鼻水も机についちゃうし……。土井先生に怒られちゃいました」
三人組がカウンターにやってきて先ほど見学したことを話す。途端に、しまったー!と言う顔に変わっていく。ごまかして笑うしんべヱくんに、いつものことっすから!ときり丸くんが被せた。
……いつものこと。土井先生は大変だな、と苦笑いが隠せない。
「今日は雨だし、放課後は宿題日和だね?」
なんて少し本気で言ってみれば、三人ともえーっ!と不満げな顔をしている。
「おれたち、内職のバイトする予定なんすよー。名前さんも手伝ってくれませんか?」
「えぇっ!?……バイトの手伝い!?」
想定外のお願いに言葉がでてこない。この後の予定を必死で思い出す。乱太郎くんとしんべヱくんはそんな私の反応を見て、きりちゃんってば……と困った様子だ。
「そうだなぁ。夕飯の仕込み前までなら大丈夫だよ!……でも、ちゃんと宿題もするんだよー?」
「「「はーいっ!」」」
目を小銭にしながら喜ぶきり丸くんがやる気に燃えている。「じゃあ放課後、三人のお部屋にお邪魔するね」と定食を渡していった。
そのあと、安藤先生や斜堂先生にも今日の授業をこっそり見学したことをお話しする。二人とも誇らしげだ。
ただ、安藤先生の「は組が、い組に追いつこうなんてダムの逆立ちですがねぇ」なんて嫌味なおやじギャグには困ってしまった。乾いた笑いでなんとか受け流すも、バレていないだろうか。忍術学園の先生たちは個性豊かだけど、とても生徒思いだ。じーんとしながら食堂を眺める。
忍たまたちがランチを終えて食堂を出ていくころ。
山田先生と土井先生が揃ってやってきた。定食を手渡すと、おばちゃんから「名前ちゃんもランチ食べてきなさいな!」と言われて私も先生達とご一緒することになった。
テーブルに着くと見学のお礼をする。目の前の料理からは美味しそうな香りがただよう。
「今日は、授業を見学させてもらってありがとうございました!……あと中断させちゃってすみません」
「いえいえ、いつものことですから。いやぁ、お恥ずかしいです」
「あいつらなりに頑張ってはいるんだがね」
「みんな、山田先生と土井先生に教えてもらって幸せですね」
土井先生が頭を掻くと山田先生がため息まじりにこぼした。けれど、どこか楽しそうだ。こんなに自分を思ってくれる先生なんてなかなか出会えない。二人とも照れる姿にじんわり心が温かくなる。
「そうそう、土井先生の授業とっても分かりやすくて聞き入っちゃいました!」
「ありがとうございます。でもあいつらのテストの点ときたら……」
「視力検査並みだからなあ」
土井先生が胃を押さえ、山田先生がトドメを刺すという状況に思わずくすくすしてしまう。慌てて口元を隠した。
「土井先生、良いことがあります!今日の放課後、きり丸くんのバイトを手伝う代わりに、ちゃんと宿題するってお約束してくれたんです」
「そ、そうなんですか? 名前さんに手伝わせてしまって……」
「名前くん、すまんねぇ」
少しでも先生方のお役に立ちたくて力を込めて伝えると、土井先生も山田先生も困ったように笑って……。でも喜んでくれたみたいだ。
ランチを食べ終えると、片付けは私がやりますからと先生たちを見送る。
*
――カーン…
急きょ吉野先生に頼まれた備品の整理をして、よーし完了!と腰に手を当てる。タイミング良く午後の授業が終わる鐘が聞こえてきた。
吉野先生へ報告をしてから、忍たま長屋にある三人の部屋へと向かった。
「名前です、入るよー?」
障子に手をかけると、中からどうぞー!という元気な声が聞こえる。
「うわあ、すごく綺麗」
「名前さん、待ってましたー!」
部屋中に積み置かれた造花に、子どもみたいに目を輝かせてしまった。早く早く!ときり丸くんに急かされ隣に座ると、さっそく作り方を教えてもらう。
「手伝うから、みんな絶対に宿題やるんだよ?山田先生と土井先生にも言ってあるからね? 」
「「「はーい!」」」
三人とも元気に返事してくれるけれど……。後で確認しちゃおう。
茎の部分にクルクルと緑の紙を巻き付けて葉っぱを作り、赤い紙で花の部分を仕上げていく。なかなか難しいけれど、みんなで作業するのは楽しかった。
……そういえば、なんできり丸くんはアルバイトに勤しんでいるんだろう?手を動かしながら聞いてみる。
「きり丸くん、たくさんアルバイトしているようだけど……何か欲しいものとかあるの?」
「欲しいものって言うか、根っからのドケチなんで! お金を使うなんて、そんなことできないっす〜!」
「うわぁ、泣かないでっ。……でも、欲しいものが無いのにバイトするの?」
「いや、えーっと……」
「あの、きりちゃんは……戦で家族と家をなくして一人で学費を稼いでいるんです」
乱太郎くんの言葉に思わず手が止まる。
なんて事を聞いてしまったんだろう。
「ご、ごめんなさい!知らなかったとはいえ……」
いたるところで戦が起こっているんだから、そんな境遇の子たちだって居てもおかしくない。食べたいお菓子とかあるのかな?なんてのんきに考えてた、平和ぼけした自分が恥ずかしくなる。
「いやぁ、気にしないでください!」
「きり丸くん……」
気丈に振る舞うきり丸くんに胸が痛い。すぐに言葉が出てこなかった。私と違って、一緒に過ごした家族の記憶があるのだろうか……?でも、きり丸くんの名字からすると、とても幼い時期のことだったのかもしれない。それはとてもとても辛いだろうに。小さい身体に、そんな大きなことを抱えて……。
「私で良かったら……。あの、わたし、力になるからね!」
「名前さんだって、大変じゃないっすか。色々あったんでしょう?」
「私は大丈夫だから。バイトとか宿題とかお手伝いするから……!だから、」
きり丸くんの手をぎゅっと包んで言うと、むず痒そうにはにかむ。その年相応の姿にまた切なくなる。
「ちなみに、私は由緒正しいヒラ忍者の家庭で、しんべヱは堺の大貿易商の息子です!」
「へぇ、そうなんだ……!」
暗くなってしまった空気を断ち切るように、乱太郎くんが誇らしげに教えてくれた。
忍者の学校だけど色々な家庭から学びに来ているようだ。きり丸くんに「手が止まってますよ!」と怒られつつ、慌てて茎と葉っぱの部分を作っていく。
まだ先のことだけど……。
きり丸くん、夏休みどうするんだろう。杭瀬村にくるか聞いてみようかな。きっと雅之助さんは反対しないと思うし……。
ようやく終わりが見えてきた頃。きり丸くんがそう言えば、という顔で聞いてきた。
「名前さん、前にバイト紹介してって言ってましたよね?なんで何すか?もしかして……忍術学園のお給料ってそんなに少ないんですかっ?!」
まくし立てながら涙を流すきり丸くんに、違う違う!と伝える。
「私、着の身着のままで何も持っていないから、色々と入り用なんだ。あと、大木先生ってひとり暮らしでしょう? だからお家に何もなくって」
布団も一つしかないしね、あはは……と答えると、三人ともとても心配してくれた。
「そういう事なら、おれ、名前さんにもバイト紹介しますから!」
「私たちも手伝います!」
「ぼくもー!」
「うぅ……みんな、ありがとう!」
なんて良い子達なんだろう。涙が出そうになりながら、また怒られないよう手を動かし作業を続けていった。
「よーし、完成!」
きり丸くんが嬉しそうに叫ぶ。
内職のバイトはみんなで頑張ったからか、予定より早く終わらせることができた。
「お疲れさま!……じゃ、宿題やろっか?」
「「「え〜!」」」
有無を言わさないように笑顔でみんなを見るとガックリしている。でも、約束だからと忍たまの友を取り出してページを開いていく。
えーと、なになに……?
次の術について調べて記入しなさい……。
「たぬき退きの術、きつね隠れの術、観音隠れの術……」
「結構難しいねぇ」
「教わったかぁ?」
「えー!みんな教わってるでしょ!私、全部分かるよ?」
三人ともしかめっ面をしてブツブツ言っている。たしか、図書室の本にあったなと記憶をたぐり寄せた。忍たまの友みたいに、きちんと載っているわけではない。どこかでちらっと読んだことがあったのだ。
「名前さん、何で知ってるんすか?!」
「もしかして、くの一だったりして……」
「あやしい……!」
「ち、ちがうって!文字の練習用に借りた、忍術の初級の本に書いてあったんだよっ」
むむむ、と見つめられて汗をタラリとさせながら訳を説明する。文字が下手なことを伝えると、そーなんですね!と素直に納得してくれた。
「お手伝いしながら勉強してるなんて、私たちも名前さんを見習わなきゃ!」
「乱太郎くん、えらいっ!」
……ただでさえおかしな経緯で忍術学園に来たのに、さらにくの一だなんて噂がたったら大変だ。乱太郎くんがやる気になってくれて、そして早めにうわさの芽を摘めて良かった……と胸を撫でおろす。
三人に忍たまの友で該当の箇所を探させて宿題を終わらせると、食堂のお手伝いの時間になってしまった。
「みんな、よくがんばったね!美味しい夕食作るから、また後で」
「「「名前さんありがとうございましたー!」」」
元気な声ににこにこしながら、急いで食堂へと向かっていった。
*
――シトシト降っていた雨も止み、黒い雲間からうっすらと月の光が差し込む。
灯りを手に、夜の見回りで忍たま長屋を歩いていた。
きり丸達は名前さんにバイトを手伝わせたようだが、彼女の負担にならなかっただろうか。そして、あいつらが本当に宿題をやったのかも気になる……!
そんなことを考えていると、乱太郎きり丸しんべヱの部屋の前についた。障子から小さな光がもれ、まだ起きているようだ。
「もう遅いぞ。早く寝なさい」
「……土井先生!?」
ガラリと障子をあけてみると、すみません!と慌てている。
「きり丸。名前さんにバイトを手伝わせたようだが……あまり無理させないように」
「気をつけまっす。でも、名前さん入り用みたいで、バイトしたいって言ってましたよ? 大木先生の家、布団も一つしかないって困ってましたから」
「……はぁっ!?」
ど、どういうことだ?!
きり丸からとんでもない言葉を放たれて固まってしまう。
「大木先生、ひとり暮らしだから物がないらしいっす」
「たしかに想像つくよね〜」と三人で話す声が遠くに聞こえる。
……。
「土井先生?おーい!大丈夫ですか?」
放心状態で動かないからか、三人が心配そうにこちらをうかがっている。
「あぁ、大丈夫だ。そうだ、お前たち。宿題はちゃんとやったのか?」
取り繕うように咳払いをしてから、もう一つ気になっていたことを確認する。
「私たち、ちゃんと終わらせましたよ!」
「ぼくたち頑張ったよねー!」
「名前さんってば、忍術の本で文字を練習しているみたいで、おれ達に教えてくれました」
「そ、そうか……宿題やったのか、偉いぞ!」
じゃあ早く寝るように、と伝えてカタンと障子を閉める。
……はぁ。
布団一つで、同じ屋根のした過ごしていたのか?!
まさか二人で一緒に寝てたなんてことは……!でも、名前さんは困ってると言っていた。嫌がる彼女を大木先生が無理やり、なんてことだったら……。いやいや、そんなことは絶対にダメだっ!
うぅ……また胃が痛んできた気がする。
せっかく、授業をほめてもらって上機嫌だった気持ちがどんどん萎んでいく。
ふらふらとした足取りで、引き続き見回りを続けるのだった。
――鉛のような重い雲が広がっていて、空からはシトシトと水滴が降り注ぐ。
暖かくちょうど良い季節になったと思ったのに。今日はずいぶん肌寒い。お手伝いの合間、廊下から空を見つめ腕をさする。
みんなは今頃授業中だろうか。
トイレットペーパーの補充も終わったし、雨で中庭の掃き掃除もないし……。ちょっと教室を覗いてみようか。
思いついたら空模様にガッカリしていた気持ちも吹き飛んで、足取り軽く学舎へと向かっていった。
一年は組の教室の前。
中から土井先生のキリッとした声が聞こえてくる。
「五車の術とは、喜怒哀楽と恐という人間の感情を利用した術で……」
ふむふむ、そんな術があるのか。
ただ攻撃するだけでなく、心理戦も使うなんてすごい。こんなに難しい内容を一年生が学んでいるとは……。
雅之助さんも五車の術なんて使うのかな?元教師だし腕前は一流だから、きっと……。大木先生の授業も見てみたいな、なんて緩んだ口元を手で押さえた。
ふと教室の格子から中をのぞくと、しんべヱくんが机につっぷして張り付いていた。これは確実に寝ている。視線を黒板へ向けると、真剣な眼差しの土井先生がわずかに見えてドキリとする。
っ……!?
視線がかち合い気付かれてしまった。
少し驚いた様子だったけれど、ほほ笑んでくれた気がしてペコリと頭を下げる。
そのあと「しんべヱッ起きろ!」と叫ぶ声が聞こえ、がやがや騒ぎだし授業が中断しているみたいだった。
そそくさと廊下を歩いて、今度は一年い組の教室についた。
こちらはみんな安藤先生を食い入るように見つめて筆を取っている。時折り寒いおやじギャグに笑ってあげながら、スムーズに進んでいく授業に感心してしまう。
最後はろ組だ。
みんな静かに座って、十歳なのに落ち着いた授業風景にびっくりする。保健委員の伏木蔵くんを見つけ、その頑張る姿に嬉しくなってしまった。しばらく見学していると斜堂先生の雰囲気に背筋がゾクゾクしてくる。
二の腕をさすり暖めつつ、ランチの仕込みのため食堂へと向かった。
*
――カーン…
半鐘の鐘が鳴り響き午前の授業が終わったことを告げる。
定食を受け取る一年生に授業を見せてもらった話しをすると、い組やろ組の子達は照れていて可愛いらしい。
「あ、しんべヱくんたち。授業、大丈夫だった!?なんだか騒がしかったけど……」
「えへへ。居眠りしたら鼻水も机についちゃうし……。土井先生に怒られちゃいました」
三人組がカウンターにやってきて先ほど見学したことを話す。途端に、しまったー!と言う顔に変わっていく。ごまかして笑うしんべヱくんに、いつものことっすから!ときり丸くんが被せた。
……いつものこと。土井先生は大変だな、と苦笑いが隠せない。
「今日は雨だし、放課後は宿題日和だね?」
なんて少し本気で言ってみれば、三人ともえーっ!と不満げな顔をしている。
「おれたち、内職のバイトする予定なんすよー。名前さんも手伝ってくれませんか?」
「えぇっ!?……バイトの手伝い!?」
想定外のお願いに言葉がでてこない。この後の予定を必死で思い出す。乱太郎くんとしんべヱくんはそんな私の反応を見て、きりちゃんってば……と困った様子だ。
「そうだなぁ。夕飯の仕込み前までなら大丈夫だよ!……でも、ちゃんと宿題もするんだよー?」
「「「はーいっ!」」」
目を小銭にしながら喜ぶきり丸くんがやる気に燃えている。「じゃあ放課後、三人のお部屋にお邪魔するね」と定食を渡していった。
そのあと、安藤先生や斜堂先生にも今日の授業をこっそり見学したことをお話しする。二人とも誇らしげだ。
ただ、安藤先生の「は組が、い組に追いつこうなんてダムの逆立ちですがねぇ」なんて嫌味なおやじギャグには困ってしまった。乾いた笑いでなんとか受け流すも、バレていないだろうか。忍術学園の先生たちは個性豊かだけど、とても生徒思いだ。じーんとしながら食堂を眺める。
忍たまたちがランチを終えて食堂を出ていくころ。
山田先生と土井先生が揃ってやってきた。定食を手渡すと、おばちゃんから「名前ちゃんもランチ食べてきなさいな!」と言われて私も先生達とご一緒することになった。
テーブルに着くと見学のお礼をする。目の前の料理からは美味しそうな香りがただよう。
「今日は、授業を見学させてもらってありがとうございました!……あと中断させちゃってすみません」
「いえいえ、いつものことですから。いやぁ、お恥ずかしいです」
「あいつらなりに頑張ってはいるんだがね」
「みんな、山田先生と土井先生に教えてもらって幸せですね」
土井先生が頭を掻くと山田先生がため息まじりにこぼした。けれど、どこか楽しそうだ。こんなに自分を思ってくれる先生なんてなかなか出会えない。二人とも照れる姿にじんわり心が温かくなる。
「そうそう、土井先生の授業とっても分かりやすくて聞き入っちゃいました!」
「ありがとうございます。でもあいつらのテストの点ときたら……」
「視力検査並みだからなあ」
土井先生が胃を押さえ、山田先生がトドメを刺すという状況に思わずくすくすしてしまう。慌てて口元を隠した。
「土井先生、良いことがあります!今日の放課後、きり丸くんのバイトを手伝う代わりに、ちゃんと宿題するってお約束してくれたんです」
「そ、そうなんですか? 名前さんに手伝わせてしまって……」
「名前くん、すまんねぇ」
少しでも先生方のお役に立ちたくて力を込めて伝えると、土井先生も山田先生も困ったように笑って……。でも喜んでくれたみたいだ。
ランチを食べ終えると、片付けは私がやりますからと先生たちを見送る。
*
――カーン…
急きょ吉野先生に頼まれた備品の整理をして、よーし完了!と腰に手を当てる。タイミング良く午後の授業が終わる鐘が聞こえてきた。
吉野先生へ報告をしてから、忍たま長屋にある三人の部屋へと向かった。
「名前です、入るよー?」
障子に手をかけると、中からどうぞー!という元気な声が聞こえる。
「うわあ、すごく綺麗」
「名前さん、待ってましたー!」
部屋中に積み置かれた造花に、子どもみたいに目を輝かせてしまった。早く早く!ときり丸くんに急かされ隣に座ると、さっそく作り方を教えてもらう。
「手伝うから、みんな絶対に宿題やるんだよ?山田先生と土井先生にも言ってあるからね? 」
「「「はーい!」」」
三人とも元気に返事してくれるけれど……。後で確認しちゃおう。
茎の部分にクルクルと緑の紙を巻き付けて葉っぱを作り、赤い紙で花の部分を仕上げていく。なかなか難しいけれど、みんなで作業するのは楽しかった。
……そういえば、なんできり丸くんはアルバイトに勤しんでいるんだろう?手を動かしながら聞いてみる。
「きり丸くん、たくさんアルバイトしているようだけど……何か欲しいものとかあるの?」
「欲しいものって言うか、根っからのドケチなんで! お金を使うなんて、そんなことできないっす〜!」
「うわぁ、泣かないでっ。……でも、欲しいものが無いのにバイトするの?」
「いや、えーっと……」
「あの、きりちゃんは……戦で家族と家をなくして一人で学費を稼いでいるんです」
乱太郎くんの言葉に思わず手が止まる。
なんて事を聞いてしまったんだろう。
「ご、ごめんなさい!知らなかったとはいえ……」
いたるところで戦が起こっているんだから、そんな境遇の子たちだって居てもおかしくない。食べたいお菓子とかあるのかな?なんてのんきに考えてた、平和ぼけした自分が恥ずかしくなる。
「いやぁ、気にしないでください!」
「きり丸くん……」
気丈に振る舞うきり丸くんに胸が痛い。すぐに言葉が出てこなかった。私と違って、一緒に過ごした家族の記憶があるのだろうか……?でも、きり丸くんの名字からすると、とても幼い時期のことだったのかもしれない。それはとてもとても辛いだろうに。小さい身体に、そんな大きなことを抱えて……。
「私で良かったら……。あの、わたし、力になるからね!」
「名前さんだって、大変じゃないっすか。色々あったんでしょう?」
「私は大丈夫だから。バイトとか宿題とかお手伝いするから……!だから、」
きり丸くんの手をぎゅっと包んで言うと、むず痒そうにはにかむ。その年相応の姿にまた切なくなる。
「ちなみに、私は由緒正しいヒラ忍者の家庭で、しんべヱは堺の大貿易商の息子です!」
「へぇ、そうなんだ……!」
暗くなってしまった空気を断ち切るように、乱太郎くんが誇らしげに教えてくれた。
忍者の学校だけど色々な家庭から学びに来ているようだ。きり丸くんに「手が止まってますよ!」と怒られつつ、慌てて茎と葉っぱの部分を作っていく。
まだ先のことだけど……。
きり丸くん、夏休みどうするんだろう。杭瀬村にくるか聞いてみようかな。きっと雅之助さんは反対しないと思うし……。
ようやく終わりが見えてきた頃。きり丸くんがそう言えば、という顔で聞いてきた。
「名前さん、前にバイト紹介してって言ってましたよね?なんで何すか?もしかして……忍術学園のお給料ってそんなに少ないんですかっ?!」
まくし立てながら涙を流すきり丸くんに、違う違う!と伝える。
「私、着の身着のままで何も持っていないから、色々と入り用なんだ。あと、大木先生ってひとり暮らしでしょう? だからお家に何もなくって」
布団も一つしかないしね、あはは……と答えると、三人ともとても心配してくれた。
「そういう事なら、おれ、名前さんにもバイト紹介しますから!」
「私たちも手伝います!」
「ぼくもー!」
「うぅ……みんな、ありがとう!」
なんて良い子達なんだろう。涙が出そうになりながら、また怒られないよう手を動かし作業を続けていった。
「よーし、完成!」
きり丸くんが嬉しそうに叫ぶ。
内職のバイトはみんなで頑張ったからか、予定より早く終わらせることができた。
「お疲れさま!……じゃ、宿題やろっか?」
「「「え〜!」」」
有無を言わさないように笑顔でみんなを見るとガックリしている。でも、約束だからと忍たまの友を取り出してページを開いていく。
えーと、なになに……?
次の術について調べて記入しなさい……。
「たぬき退きの術、きつね隠れの術、観音隠れの術……」
「結構難しいねぇ」
「教わったかぁ?」
「えー!みんな教わってるでしょ!私、全部分かるよ?」
三人ともしかめっ面をしてブツブツ言っている。たしか、図書室の本にあったなと記憶をたぐり寄せた。忍たまの友みたいに、きちんと載っているわけではない。どこかでちらっと読んだことがあったのだ。
「名前さん、何で知ってるんすか?!」
「もしかして、くの一だったりして……」
「あやしい……!」
「ち、ちがうって!文字の練習用に借りた、忍術の初級の本に書いてあったんだよっ」
むむむ、と見つめられて汗をタラリとさせながら訳を説明する。文字が下手なことを伝えると、そーなんですね!と素直に納得してくれた。
「お手伝いしながら勉強してるなんて、私たちも名前さんを見習わなきゃ!」
「乱太郎くん、えらいっ!」
……ただでさえおかしな経緯で忍術学園に来たのに、さらにくの一だなんて噂がたったら大変だ。乱太郎くんがやる気になってくれて、そして早めにうわさの芽を摘めて良かった……と胸を撫でおろす。
三人に忍たまの友で該当の箇所を探させて宿題を終わらせると、食堂のお手伝いの時間になってしまった。
「みんな、よくがんばったね!美味しい夕食作るから、また後で」
「「「名前さんありがとうございましたー!」」」
元気な声ににこにこしながら、急いで食堂へと向かっていった。
*
――シトシト降っていた雨も止み、黒い雲間からうっすらと月の光が差し込む。
灯りを手に、夜の見回りで忍たま長屋を歩いていた。
きり丸達は名前さんにバイトを手伝わせたようだが、彼女の負担にならなかっただろうか。そして、あいつらが本当に宿題をやったのかも気になる……!
そんなことを考えていると、乱太郎きり丸しんべヱの部屋の前についた。障子から小さな光がもれ、まだ起きているようだ。
「もう遅いぞ。早く寝なさい」
「……土井先生!?」
ガラリと障子をあけてみると、すみません!と慌てている。
「きり丸。名前さんにバイトを手伝わせたようだが……あまり無理させないように」
「気をつけまっす。でも、名前さん入り用みたいで、バイトしたいって言ってましたよ? 大木先生の家、布団も一つしかないって困ってましたから」
「……はぁっ!?」
ど、どういうことだ?!
きり丸からとんでもない言葉を放たれて固まってしまう。
「大木先生、ひとり暮らしだから物がないらしいっす」
「たしかに想像つくよね〜」と三人で話す声が遠くに聞こえる。
……。
「土井先生?おーい!大丈夫ですか?」
放心状態で動かないからか、三人が心配そうにこちらをうかがっている。
「あぁ、大丈夫だ。そうだ、お前たち。宿題はちゃんとやったのか?」
取り繕うように咳払いをしてから、もう一つ気になっていたことを確認する。
「私たち、ちゃんと終わらせましたよ!」
「ぼくたち頑張ったよねー!」
「名前さんってば、忍術の本で文字を練習しているみたいで、おれ達に教えてくれました」
「そ、そうか……宿題やったのか、偉いぞ!」
じゃあ早く寝るように、と伝えてカタンと障子を閉める。
……はぁ。
布団一つで、同じ屋根のした過ごしていたのか?!
まさか二人で一緒に寝てたなんてことは……!でも、名前さんは困ってると言っていた。嫌がる彼女を大木先生が無理やり、なんてことだったら……。いやいや、そんなことは絶対にダメだっ!
うぅ……また胃が痛んできた気がする。
せっかく、授業をほめてもらって上機嫌だった気持ちがどんどん萎んでいく。
ふらふらとした足取りで、引き続き見回りを続けるのだった。