第14話 不運な保健委員
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「いたっ……!」
「土井先生、ちゃんとお薬塗らないと跡が残りますよ?」
医務室では街に出かけている新野先生に代わって、新米ながら私が対応していた。
小松田くんの失敗に巻き込まれたり、たくさん怪我をしてきたせいか、身をもって薬について学んでいて。もちろん、保健委員のお手伝いを常日頃から頑張っている。
だからこそ、その知識や対応力を買われて少しのあいだ留守を任せてもらっているのだ。こんな私を信頼してくれるのが嬉しくて、ちょっと誇りに思う。
「またどうしてそんな怪我を……?」
爆発に巻き込まれたような、ただごとではない姿に驚きつつたずねる。先生は言いにくそうに後頭部をかいた。
「いやぁ、新しい火薬の実験に失敗してしまって」
「ええっ!? あまり危ない事はしないでくださいね?……とっても心配ですから」
土井先生のぷにっとした頬がかるく切れて、血がにじみ痛そうだ。よく見えるようにぐっと身体を寄せ傷口を観察してみる。整ったその顔に傷が残りませんように……。指で優しく薬を塗り込んでいく。
ふと視線をあげる。
心なしか土井先生の頬が赤くなったようにみえて、その距離感を自覚すると私まで顔が赤くなりそうだ。自分から無意識に顔を近づけていたのに、勝手にドキドキするなんて。
「……気をつけるよ」
「何かあったら、いつでも診ますので」
土井先生の言葉にハッとして慌てて離れる。私で良ければ……なんて冗談まじりに笑うと「ぜひお願いします」とにこにこ答えてくれた。
「あれっ。先生、お着物が破れてしまってます。私が縫っておきましょうか?」
「そんなことまでお願いしちゃってすみません」
「いえいえ、いつも助けてもらってますし!あとで伺いますね」
肩や腕の部分がピリッと破れてしまっていた。火薬の威力を想像すると、その恐ろしさで薬を持つ手に汗がにじむ。眉を下げながら笑う先生に、ぎこちなく笑みを返した。
「私はそろそろ仕事に戻らなければならないのですが……。名前さん一人で大丈夫ですか?」
「はい、もうすぐ新野先生も戻ってきますから」
土井先生が戸に手をかけて医務室から出て行く直前。すこし困った顔の先生がこちらを振り返る。
「火薬の実験に失敗したのは……二人だけの秘密にしてくれますか?」
「……土井先生と私の秘密、ですね」
いたずらっ子のようにからかってみる。先生の可愛らしい一面に顔がゆるんでしまうのだった。
「名前さん。遅くなってしまいましたね」
しばらく薬を整理していると私服姿の新野先生が帰ってきた。留守のあいだの報告をして医務室を失礼しようとした時。遠くから軽快な足音が響く。
ガラッと障子がひらかれ、今度は伊作くんと乱太郎くんがやってきた。
「ふたりともお疲れさま」
「名前さん。留守番、大変でしたでしょう?助かりました。新野先生も戻ってらしたんですね」
伊作くんが丁寧に言うものだから、大丈夫だよ!とぶんぶん手を振る。新野先生はいつもの穏やかな笑顔でうなずいていた。
「新野先生も戻られたことだし……。わたしたち、これから薬草取りに行こうと思って!名前さんも一緒にいかがですか?」
「乱太郎くん、誘ってくれて嬉しい!夕食のお手伝いまで時間があるから、一緒に行こうかな」
「みなさん気をつけるんですよ」
はじめての薬草とりにわくわくが止まらない。新野先生に見送られながら、みんなで医務室を後にした。
*
「準備ができたら門の前で」とひとまず自室へ急ぎ出かける支度をする。
薬草とりだから動きやすい格好にしよう。返さずにごめんなさい!と心の中で謝りながら、上は藤色の着物で袴は雅之助さんから借りたものだ。
隣の部屋の土井先生に声をかけて外出許可をもらう。あまり良い顔をしていなかったけれど、伊作くん達が待っている!と早足で門へと向かった。
「お待たせー!」
門には私服に着替えた伊作くん、乱太郎くんが待っていた。
しゅっぱーつ!と三人で学園を出る。
今日は天気も良いし、気持ちまでスカッと晴れ渡るようだ。包帯の歌を教えてもらって、みんなで歌いながら裏裏山へと歩を進めた。
薬草が生い茂る場所につくと使えそうなものを次々にカゴへ入れていく。途中、夢中になりすぎてはぐれないように、伊作くんと乱太郎くんの場所を確認していた。
「ねぇねぇ乱太郎くん。これって使える薬草かな?」
「うーん。たぶん、薬草だと思うんですけど……わたしより伊作先輩の方が詳しいです!」
背の高い草をかき分け、少し離れた伊作くんに走りよる。
「伊作くん。これって薬に使えるかな?」
「そうですね、健胃に役に立つものですよ」
良かった!とカゴに入れながら、土井先生の神経性胃炎にも使えるかも?なんて考える。
手分けしながら採りつづけて半刻ほど。背中のカゴがずっしり重くなる。首から肩をほぐしているとよく通る声が聞こえてきた。
「薬草も集まったし、そろそろ帰ろう。乱太郎も名前さんもありがとう!」
伊作くんがそう言って切り上げるとカゴを背負い直し、みんなで元きた道をもどる。今日は大雨も降らず「珍しく平和な一日でしたね!」なんて乱太郎くんが言うものだから、くすくす笑ってしまった。
足取り軽く山道を歩いていると、向こうから柄の悪そうな三人組がやってくるのが見えた。
まさか、山賊だろうか……?
恐る恐る伊作くんを見上げると、私たちをかばう様に手を広げて表情を険しくしていた。
「おう、そこの若いの。そのカゴに金目のものでも入ってるんだろう。大人しく寄越しな」
身なりもだらしなく、青髭を生やした男やまげも結えないボサボサ頭の男。腰には刀をぶらさげて、今にも引き抜かんばかりの姿に立ちすくむ。
大丈夫と言い聞かせるように、横にいる乱太郎くんの手をぎゅっと握りしめた。
「カゴの中身はただの草だ!お前達には価値のないものだろう?!」
伊作くんが一歩前に出て、私と乱太郎くんを守っている。ジリジリと草鞋が擦れる音が緊張感を高めていく。
「そうだなぁ、お前の後ろにいる女でも良いぞ?高く売れそうじゃないか」
「……っ!?」
わ、わたし!?高く売れるって……!?こちらを品定めするかのように見つめられ背筋が凍る。
その瞬間、伊作くんが懐から何かを投げつけ相手のすきをついた。山賊の視線が投げたものに集まると、ぐいっと身体を掴まれ転げ落ちていく。
「おい!あいつら逃げたぞ!」
遠くから怒号が聞こえてくるけれど、今起こっている状況に頭が追いつかない。目の前が緑と茶色でクルクルする。身体はあちこちぶつかって、どこが痛いのかも分からない。
どすんと大きな岩にぶつかりようやく止まることができた。三人とも山道から逸れた崖に転がり落ち、なんとか山賊から逃れることができた。
「すみません名前さん。こうするしか方法がなくて……」
「ううん、みんな無事で良かった!……って、乱太郎くんも大丈夫?!」
木々のすき間から、乱太郎くんがメガネをかけ直しつつ手を振っていた。
薬草は散乱しちゃったけれど、ほっと胸を撫でおろす。土や絡みついた葉っぱを払いながら立ち上がると、伊作くんが変な顔をして固まっていた。
「伊作くん、どうしたの?」
「名前さん、ぼく、獣のフンを踏んだみたいです……」
ゆっくり視線を落とす。伊作くんの足元には、明らかに土ではない茶色のモノがあった。
「せ、先輩。この辺りにイノシシでもいるのですか?」
乱太郎くんがこわごわ確認している。獣なら自分の臭いのするものは隠すはずだ。なのにそのままなんて……。私たちの物音で驚いて逃げたけど、まだ近くにいるんじゃ……?
………この三人なら、ありえる。
薬草を拾い集めるのもそこそこに、逃げろー!と一気にかけ出す。
けもの道なので足場が悪く、隣を走る伊作くんを思いきりつかみ引っ張ってしまった。とっさに私を支えてくれた伊作くんは、バランスを崩して足を滑らせる。
「「うわあっ!」」
伊作くんを道連れに、二人してぎゅっと抱き合う形でさらに崖の下へと落ちていく。
「あれっ、伊作せんぱーい!名前さーん!」
上から乱太郎くんの呼ぶ声が聞こえる。
「伊作くん、ごめんなさい……」
切り株にぶつかった衝撃でようやく止まる。伊作くんが上にのしかかっていたけれど、パニックで重さなんか全く感じない。抱き合ったまま、気恥ずかしさよりも申し訳なさが勝りひたすら謝った。
「僕は大丈夫です。名前さん、お怪我はないですか?」
「……うん、大丈夫」
伊作くんを見上げながら返事をすると、ドドド……という轟音が響いてきた。
ま、まさか、イノシシが……!?
二人で顔を見合わせる。
――こんな山の中で、やけに大きな音が響く。
一体何事だろうか。
耳と目を周囲へ向ける。引き受けた調査の仕事を終え、父上の元へ向かうところだったのに。嫌な予感がする。
ガサガサ……ドスンと不穏な音。無視することもできず、草木をかき分け走りよった。
「きゃー!!」
「おい、そこで何をしている!」
女性の甲高い声に身構える。
若い男が女性を組み敷いているのが見えて、思わず叫びけん制した。
「こ、これは、違うんです!……あ、利吉さん?!」
「きみは、善法寺伊作くんじゃないか!その女性は……?」
知っている顔に驚きつつ、下に押し倒されている女性も気になった。二人とも草や土にまみれてしまっている。
「詳しいことは後で話します!イノシシが追ってくるので逃げましょう!」
善法寺くんは女性を引き上げて立たせると、早く!と急かす。後方からドタドタ音がして、たしかにイノシシがやってくるのが分かった。
……このままでは逃げきれない。
女性をぐっと抱える。善法寺くんに目配せし、地面を強く蹴りあげ近くの木に飛び上がった。彼も同じく木に飛び上がると、イノシシは猛スピードでそのまま走り去っていった。
「何があったんだ?善法寺くんらしいと言うか何というか……」
「かくかくしかじかありまして……」
地面に着地し、女性をふわりと降ろしてからワケをたずねた。善法寺くんは頭を掻きながら、どうしてこうなったのかを説明してくれる。
……乱太郎くんと三人で薬草を採って帰る途中、山賊にあって逃げていたらイノシシに追われた、と。
なんとも不運な彼らしい顛末に苦笑をもらす。
そんなことを話しつつカゴを拾っていると、パタパタと乱太郎くんがやってきた。みんな無事なようでひと安心する。
「あの、先ほどはありがとうございました!」
忍術学園へ戻る途中。ずっと着いてくる小柄な女性がこちらにペコリとお辞儀した。……はて、学園にこんな女性はいたか?と思っているとそれが顔に出たのか彼女が続ける。
「私、名前と申します。学園でお手伝いとして働いております」
「あぁ!貴女ですか。父上から伺っています」
謎めいた女性を学園で保護しつつ、色々と探っていると父から聞いたことがあった。たしか大木先生が見つけてきたと言っていたが。
「お父様……ですか?」
「私は、山田利吉といいます。一年は組の担任、山田伝蔵が私の父です」
「利吉さんは、フリーの売れっ子プロ忍者なんです!」
乱太郎くんが得意げに言うと名前さんが目を輝かせた。
「えー!?プ、プロの忍者……すごいです!山田先生にはいつもお世話になっていまして、」
「そ、それはどうも」
驚きつつ丁寧に頭を下げられ、手で制しながら返した。しばらく歩いていると、遠くから黒い忍装束がこちらに近づいてくる。
「「土井先生ー!」」
名前さんと乱太郎くんが呼びかける。裏裏山に土井先生も用があったのだろうか。必死に駆けてくる姿をぼんやり見つめた。
――あれは……利吉くんも一緒なのか?
数刻前、名前さんが薬草を採りにいくと外出許可をもらいにきてからずっとモヤモヤしていた。
彼女のことだから、保健委員の不運に巻き込まれてきっと何か起こるはずだ……!作成中のテストもそこそこに、山田先生に断りを入れて裏裏山へと来てみたら。
案の定、土で汚れて草をくっつけながら伊作と乱太郎、そして名前さんが歩いている。予想外だったのは利吉くんが隣を歩いていたことだ。
「土井先生、どうしてここへ……?」
「名前さん。一所懸命過ぎて、いつも怪我するでしょう?……心配だからです」
伊作や乱太郎のいる手前、"不運"ということは可哀想で言えなかった。でも、心配なのは本当だ。彼女の頭をぽんと撫でながら、逃げないように目線をあわせる。
「土井先生に、心配させないでって言ったばかりなのに……。ごめんなさい」
医務室でのことを思い出したのだろう。申し訳なさそうにする彼女がいじらしい。伊作と乱太郎もだぞ!と先生らしく言えば、「気をつけます……」と小さくなっている。
「利吉くんは、学園に向かっている途中だったのかい?」
「えぇ。ほとんど仕事の片が付いたので。父上にもお伝えすることがありますし」
山田先生とまたいつものやり取りを想像し、乾いた笑いで受け流す。歩きながら何があったか教えてもらうと、一緒に着いていかなかったことが悔やまれた。隣に視線をやると、名前さんが歩きにくそうにしている。……どこか、また怪我したのだろうか。
「足、痛むのでしょう?抱えましょうか」
「いえ、土井先生。大丈夫です……!私、ちゃんと歩けますからっ」
顔を赤くして遠慮する彼女に少しいじわるしてみたくなる。
「……大木先生には、抱っこをねだってたのに?」
「っ、なんでそれを……?!」
「じゃあ、転ばないように」
そう言って半ば無理やり名前さんの手を取る。はにかみながらぎゅっと握り返す手に、自身もほほが熱くなる気がした。
そんな様子を、利吉くんはしれーっとした目でみているのだった。
*
真っ黒な空に小さな星がきらめく。
一日のお手伝いとお風呂を終え、教員長屋の端にある自室に戻ると布団を用意する。
今日も色々あったな、とため息がこぼれた。
裏裏山から帰ると食堂のお手伝いの時間で。バタバタしていたから、利吉さんにちゃんとお礼ができなかったのだ。
……しかも土井先生の忍装束、縫ってあげるって言ったのにすっかり忘れてた。
慌てる気持ちを落ち着かせ、静かに廊下に出て隣を確認する。まだ灯りがついていて起きてるようだ。
――カタリ
「……名前です。夜分にすみません」
土井先生はまだ黒い忍装束を着て、文机でテストを作成しているところだった。頭巾は取っていて、もさもさした茶色の長い髪があらわになっている。山田先生はお風呂に入っているのか見当たらない。
こちらへ……。
そう促されるまま先生の近くに正座する。いざ向かい合うとなんだか緊張してしまう。
「こんな時間にどうしたんです?」
「土井先生の忍装束。縫うお約束だったのに……色々あって遅くなってしまって」
「ああ、そうでした!私もお渡しするのをすっかり忘れてました。あれから、足は大丈夫ですか?」
「はい、今はもう平気ですっ」
「よかった。今日は大変でしたね。お疲れなのにすみません」
「いえ、先生のお役に立てたら……嬉しいので」
最後の方は恥ずかしくてつぶやくようだった。もじもじしていると、先生はおもむろに上衣を脱ぎ始める。
……っ!?
網かけの下着から、鍛えられたしなやかな身体が透ける。ほのかな灯りに照らされドキドキ心臓がうるさい。見てはいけないような気がして、顔がかあっと熱くなる。
ぱさり。
まだ温もりの残る布を受け取る。先生は何ともないように手渡してきてちょっと悔しい。色っぽい姿を前にしてどこを見ていいのか分からず、視線が宙をさまよう。
「名前さん?」
先生がグッとらこちらに寄って私のほほに手を添える。うつむくこともできず、ただ大きな瞳を見つめた。
「えっと……は、早めに仕上げます!」
「急がなくて大丈夫です。それより、今度お礼させて下さい」
「お礼なんて、そんな……」
大丈夫ですと言おうとしたのに……。
かさついた親指に唇をスーッと撫でられ、それ以上言葉が紡げなかった。
熱くなった顔でこくこく頷くと、先生は満足そうな顔で笑っていて。山田先生が戻ってきたら、利吉さんのことも話そうと思ってたのに。そんな所では無くなってしまった。
部屋に戻ると、心を落ち着かせるように燭台の灯りでチクチク縫い物をする。
……お礼だなんて。
いつも怪我していないか心配してくれて。迷子になっていないか気にかけてくれて。優しくほほ笑んで、手を差し伸べてくれて。
私の方こそ、お返ししたいのに。
手に持つ衣からふわりと土井先生の香りがして、さらに鼓動が速まっていく。
……もうどうしようもなくて、ひたすらチクチク縫い進めるのだった。
「土井先生、ちゃんとお薬塗らないと跡が残りますよ?」
医務室では街に出かけている新野先生に代わって、新米ながら私が対応していた。
小松田くんの失敗に巻き込まれたり、たくさん怪我をしてきたせいか、身をもって薬について学んでいて。もちろん、保健委員のお手伝いを常日頃から頑張っている。
だからこそ、その知識や対応力を買われて少しのあいだ留守を任せてもらっているのだ。こんな私を信頼してくれるのが嬉しくて、ちょっと誇りに思う。
「またどうしてそんな怪我を……?」
爆発に巻き込まれたような、ただごとではない姿に驚きつつたずねる。先生は言いにくそうに後頭部をかいた。
「いやぁ、新しい火薬の実験に失敗してしまって」
「ええっ!? あまり危ない事はしないでくださいね?……とっても心配ですから」
土井先生のぷにっとした頬がかるく切れて、血がにじみ痛そうだ。よく見えるようにぐっと身体を寄せ傷口を観察してみる。整ったその顔に傷が残りませんように……。指で優しく薬を塗り込んでいく。
ふと視線をあげる。
心なしか土井先生の頬が赤くなったようにみえて、その距離感を自覚すると私まで顔が赤くなりそうだ。自分から無意識に顔を近づけていたのに、勝手にドキドキするなんて。
「……気をつけるよ」
「何かあったら、いつでも診ますので」
土井先生の言葉にハッとして慌てて離れる。私で良ければ……なんて冗談まじりに笑うと「ぜひお願いします」とにこにこ答えてくれた。
「あれっ。先生、お着物が破れてしまってます。私が縫っておきましょうか?」
「そんなことまでお願いしちゃってすみません」
「いえいえ、いつも助けてもらってますし!あとで伺いますね」
肩や腕の部分がピリッと破れてしまっていた。火薬の威力を想像すると、その恐ろしさで薬を持つ手に汗がにじむ。眉を下げながら笑う先生に、ぎこちなく笑みを返した。
「私はそろそろ仕事に戻らなければならないのですが……。名前さん一人で大丈夫ですか?」
「はい、もうすぐ新野先生も戻ってきますから」
土井先生が戸に手をかけて医務室から出て行く直前。すこし困った顔の先生がこちらを振り返る。
「火薬の実験に失敗したのは……二人だけの秘密にしてくれますか?」
「……土井先生と私の秘密、ですね」
いたずらっ子のようにからかってみる。先生の可愛らしい一面に顔がゆるんでしまうのだった。
「名前さん。遅くなってしまいましたね」
しばらく薬を整理していると私服姿の新野先生が帰ってきた。留守のあいだの報告をして医務室を失礼しようとした時。遠くから軽快な足音が響く。
ガラッと障子がひらかれ、今度は伊作くんと乱太郎くんがやってきた。
「ふたりともお疲れさま」
「名前さん。留守番、大変でしたでしょう?助かりました。新野先生も戻ってらしたんですね」
伊作くんが丁寧に言うものだから、大丈夫だよ!とぶんぶん手を振る。新野先生はいつもの穏やかな笑顔でうなずいていた。
「新野先生も戻られたことだし……。わたしたち、これから薬草取りに行こうと思って!名前さんも一緒にいかがですか?」
「乱太郎くん、誘ってくれて嬉しい!夕食のお手伝いまで時間があるから、一緒に行こうかな」
「みなさん気をつけるんですよ」
はじめての薬草とりにわくわくが止まらない。新野先生に見送られながら、みんなで医務室を後にした。
*
「準備ができたら門の前で」とひとまず自室へ急ぎ出かける支度をする。
薬草とりだから動きやすい格好にしよう。返さずにごめんなさい!と心の中で謝りながら、上は藤色の着物で袴は雅之助さんから借りたものだ。
隣の部屋の土井先生に声をかけて外出許可をもらう。あまり良い顔をしていなかったけれど、伊作くん達が待っている!と早足で門へと向かった。
「お待たせー!」
門には私服に着替えた伊作くん、乱太郎くんが待っていた。
しゅっぱーつ!と三人で学園を出る。
今日は天気も良いし、気持ちまでスカッと晴れ渡るようだ。包帯の歌を教えてもらって、みんなで歌いながら裏裏山へと歩を進めた。
薬草が生い茂る場所につくと使えそうなものを次々にカゴへ入れていく。途中、夢中になりすぎてはぐれないように、伊作くんと乱太郎くんの場所を確認していた。
「ねぇねぇ乱太郎くん。これって使える薬草かな?」
「うーん。たぶん、薬草だと思うんですけど……わたしより伊作先輩の方が詳しいです!」
背の高い草をかき分け、少し離れた伊作くんに走りよる。
「伊作くん。これって薬に使えるかな?」
「そうですね、健胃に役に立つものですよ」
良かった!とカゴに入れながら、土井先生の神経性胃炎にも使えるかも?なんて考える。
手分けしながら採りつづけて半刻ほど。背中のカゴがずっしり重くなる。首から肩をほぐしているとよく通る声が聞こえてきた。
「薬草も集まったし、そろそろ帰ろう。乱太郎も名前さんもありがとう!」
伊作くんがそう言って切り上げるとカゴを背負い直し、みんなで元きた道をもどる。今日は大雨も降らず「珍しく平和な一日でしたね!」なんて乱太郎くんが言うものだから、くすくす笑ってしまった。
足取り軽く山道を歩いていると、向こうから柄の悪そうな三人組がやってくるのが見えた。
まさか、山賊だろうか……?
恐る恐る伊作くんを見上げると、私たちをかばう様に手を広げて表情を険しくしていた。
「おう、そこの若いの。そのカゴに金目のものでも入ってるんだろう。大人しく寄越しな」
身なりもだらしなく、青髭を生やした男やまげも結えないボサボサ頭の男。腰には刀をぶらさげて、今にも引き抜かんばかりの姿に立ちすくむ。
大丈夫と言い聞かせるように、横にいる乱太郎くんの手をぎゅっと握りしめた。
「カゴの中身はただの草だ!お前達には価値のないものだろう?!」
伊作くんが一歩前に出て、私と乱太郎くんを守っている。ジリジリと草鞋が擦れる音が緊張感を高めていく。
「そうだなぁ、お前の後ろにいる女でも良いぞ?高く売れそうじゃないか」
「……っ!?」
わ、わたし!?高く売れるって……!?こちらを品定めするかのように見つめられ背筋が凍る。
その瞬間、伊作くんが懐から何かを投げつけ相手のすきをついた。山賊の視線が投げたものに集まると、ぐいっと身体を掴まれ転げ落ちていく。
「おい!あいつら逃げたぞ!」
遠くから怒号が聞こえてくるけれど、今起こっている状況に頭が追いつかない。目の前が緑と茶色でクルクルする。身体はあちこちぶつかって、どこが痛いのかも分からない。
どすんと大きな岩にぶつかりようやく止まることができた。三人とも山道から逸れた崖に転がり落ち、なんとか山賊から逃れることができた。
「すみません名前さん。こうするしか方法がなくて……」
「ううん、みんな無事で良かった!……って、乱太郎くんも大丈夫?!」
木々のすき間から、乱太郎くんがメガネをかけ直しつつ手を振っていた。
薬草は散乱しちゃったけれど、ほっと胸を撫でおろす。土や絡みついた葉っぱを払いながら立ち上がると、伊作くんが変な顔をして固まっていた。
「伊作くん、どうしたの?」
「名前さん、ぼく、獣のフンを踏んだみたいです……」
ゆっくり視線を落とす。伊作くんの足元には、明らかに土ではない茶色のモノがあった。
「せ、先輩。この辺りにイノシシでもいるのですか?」
乱太郎くんがこわごわ確認している。獣なら自分の臭いのするものは隠すはずだ。なのにそのままなんて……。私たちの物音で驚いて逃げたけど、まだ近くにいるんじゃ……?
………この三人なら、ありえる。
薬草を拾い集めるのもそこそこに、逃げろー!と一気にかけ出す。
けもの道なので足場が悪く、隣を走る伊作くんを思いきりつかみ引っ張ってしまった。とっさに私を支えてくれた伊作くんは、バランスを崩して足を滑らせる。
「「うわあっ!」」
伊作くんを道連れに、二人してぎゅっと抱き合う形でさらに崖の下へと落ちていく。
「あれっ、伊作せんぱーい!名前さーん!」
上から乱太郎くんの呼ぶ声が聞こえる。
「伊作くん、ごめんなさい……」
切り株にぶつかった衝撃でようやく止まる。伊作くんが上にのしかかっていたけれど、パニックで重さなんか全く感じない。抱き合ったまま、気恥ずかしさよりも申し訳なさが勝りひたすら謝った。
「僕は大丈夫です。名前さん、お怪我はないですか?」
「……うん、大丈夫」
伊作くんを見上げながら返事をすると、ドドド……という轟音が響いてきた。
ま、まさか、イノシシが……!?
二人で顔を見合わせる。
――こんな山の中で、やけに大きな音が響く。
一体何事だろうか。
耳と目を周囲へ向ける。引き受けた調査の仕事を終え、父上の元へ向かうところだったのに。嫌な予感がする。
ガサガサ……ドスンと不穏な音。無視することもできず、草木をかき分け走りよった。
「きゃー!!」
「おい、そこで何をしている!」
女性の甲高い声に身構える。
若い男が女性を組み敷いているのが見えて、思わず叫びけん制した。
「こ、これは、違うんです!……あ、利吉さん?!」
「きみは、善法寺伊作くんじゃないか!その女性は……?」
知っている顔に驚きつつ、下に押し倒されている女性も気になった。二人とも草や土にまみれてしまっている。
「詳しいことは後で話します!イノシシが追ってくるので逃げましょう!」
善法寺くんは女性を引き上げて立たせると、早く!と急かす。後方からドタドタ音がして、たしかにイノシシがやってくるのが分かった。
……このままでは逃げきれない。
女性をぐっと抱える。善法寺くんに目配せし、地面を強く蹴りあげ近くの木に飛び上がった。彼も同じく木に飛び上がると、イノシシは猛スピードでそのまま走り去っていった。
「何があったんだ?善法寺くんらしいと言うか何というか……」
「かくかくしかじかありまして……」
地面に着地し、女性をふわりと降ろしてからワケをたずねた。善法寺くんは頭を掻きながら、どうしてこうなったのかを説明してくれる。
……乱太郎くんと三人で薬草を採って帰る途中、山賊にあって逃げていたらイノシシに追われた、と。
なんとも不運な彼らしい顛末に苦笑をもらす。
そんなことを話しつつカゴを拾っていると、パタパタと乱太郎くんがやってきた。みんな無事なようでひと安心する。
「あの、先ほどはありがとうございました!」
忍術学園へ戻る途中。ずっと着いてくる小柄な女性がこちらにペコリとお辞儀した。……はて、学園にこんな女性はいたか?と思っているとそれが顔に出たのか彼女が続ける。
「私、名前と申します。学園でお手伝いとして働いております」
「あぁ!貴女ですか。父上から伺っています」
謎めいた女性を学園で保護しつつ、色々と探っていると父から聞いたことがあった。たしか大木先生が見つけてきたと言っていたが。
「お父様……ですか?」
「私は、山田利吉といいます。一年は組の担任、山田伝蔵が私の父です」
「利吉さんは、フリーの売れっ子プロ忍者なんです!」
乱太郎くんが得意げに言うと名前さんが目を輝かせた。
「えー!?プ、プロの忍者……すごいです!山田先生にはいつもお世話になっていまして、」
「そ、それはどうも」
驚きつつ丁寧に頭を下げられ、手で制しながら返した。しばらく歩いていると、遠くから黒い忍装束がこちらに近づいてくる。
「「土井先生ー!」」
名前さんと乱太郎くんが呼びかける。裏裏山に土井先生も用があったのだろうか。必死に駆けてくる姿をぼんやり見つめた。
――あれは……利吉くんも一緒なのか?
数刻前、名前さんが薬草を採りにいくと外出許可をもらいにきてからずっとモヤモヤしていた。
彼女のことだから、保健委員の不運に巻き込まれてきっと何か起こるはずだ……!作成中のテストもそこそこに、山田先生に断りを入れて裏裏山へと来てみたら。
案の定、土で汚れて草をくっつけながら伊作と乱太郎、そして名前さんが歩いている。予想外だったのは利吉くんが隣を歩いていたことだ。
「土井先生、どうしてここへ……?」
「名前さん。一所懸命過ぎて、いつも怪我するでしょう?……心配だからです」
伊作や乱太郎のいる手前、"不運"ということは可哀想で言えなかった。でも、心配なのは本当だ。彼女の頭をぽんと撫でながら、逃げないように目線をあわせる。
「土井先生に、心配させないでって言ったばかりなのに……。ごめんなさい」
医務室でのことを思い出したのだろう。申し訳なさそうにする彼女がいじらしい。伊作と乱太郎もだぞ!と先生らしく言えば、「気をつけます……」と小さくなっている。
「利吉くんは、学園に向かっている途中だったのかい?」
「えぇ。ほとんど仕事の片が付いたので。父上にもお伝えすることがありますし」
山田先生とまたいつものやり取りを想像し、乾いた笑いで受け流す。歩きながら何があったか教えてもらうと、一緒に着いていかなかったことが悔やまれた。隣に視線をやると、名前さんが歩きにくそうにしている。……どこか、また怪我したのだろうか。
「足、痛むのでしょう?抱えましょうか」
「いえ、土井先生。大丈夫です……!私、ちゃんと歩けますからっ」
顔を赤くして遠慮する彼女に少しいじわるしてみたくなる。
「……大木先生には、抱っこをねだってたのに?」
「っ、なんでそれを……?!」
「じゃあ、転ばないように」
そう言って半ば無理やり名前さんの手を取る。はにかみながらぎゅっと握り返す手に、自身もほほが熱くなる気がした。
そんな様子を、利吉くんはしれーっとした目でみているのだった。
*
真っ黒な空に小さな星がきらめく。
一日のお手伝いとお風呂を終え、教員長屋の端にある自室に戻ると布団を用意する。
今日も色々あったな、とため息がこぼれた。
裏裏山から帰ると食堂のお手伝いの時間で。バタバタしていたから、利吉さんにちゃんとお礼ができなかったのだ。
……しかも土井先生の忍装束、縫ってあげるって言ったのにすっかり忘れてた。
慌てる気持ちを落ち着かせ、静かに廊下に出て隣を確認する。まだ灯りがついていて起きてるようだ。
――カタリ
「……名前です。夜分にすみません」
土井先生はまだ黒い忍装束を着て、文机でテストを作成しているところだった。頭巾は取っていて、もさもさした茶色の長い髪があらわになっている。山田先生はお風呂に入っているのか見当たらない。
こちらへ……。
そう促されるまま先生の近くに正座する。いざ向かい合うとなんだか緊張してしまう。
「こんな時間にどうしたんです?」
「土井先生の忍装束。縫うお約束だったのに……色々あって遅くなってしまって」
「ああ、そうでした!私もお渡しするのをすっかり忘れてました。あれから、足は大丈夫ですか?」
「はい、今はもう平気ですっ」
「よかった。今日は大変でしたね。お疲れなのにすみません」
「いえ、先生のお役に立てたら……嬉しいので」
最後の方は恥ずかしくてつぶやくようだった。もじもじしていると、先生はおもむろに上衣を脱ぎ始める。
……っ!?
網かけの下着から、鍛えられたしなやかな身体が透ける。ほのかな灯りに照らされドキドキ心臓がうるさい。見てはいけないような気がして、顔がかあっと熱くなる。
ぱさり。
まだ温もりの残る布を受け取る。先生は何ともないように手渡してきてちょっと悔しい。色っぽい姿を前にしてどこを見ていいのか分からず、視線が宙をさまよう。
「名前さん?」
先生がグッとらこちらに寄って私のほほに手を添える。うつむくこともできず、ただ大きな瞳を見つめた。
「えっと……は、早めに仕上げます!」
「急がなくて大丈夫です。それより、今度お礼させて下さい」
「お礼なんて、そんな……」
大丈夫ですと言おうとしたのに……。
かさついた親指に唇をスーッと撫でられ、それ以上言葉が紡げなかった。
熱くなった顔でこくこく頷くと、先生は満足そうな顔で笑っていて。山田先生が戻ってきたら、利吉さんのことも話そうと思ってたのに。そんな所では無くなってしまった。
部屋に戻ると、心を落ち着かせるように燭台の灯りでチクチク縫い物をする。
……お礼だなんて。
いつも怪我していないか心配してくれて。迷子になっていないか気にかけてくれて。優しくほほ笑んで、手を差し伸べてくれて。
私の方こそ、お返ししたいのに。
手に持つ衣からふわりと土井先生の香りがして、さらに鼓動が速まっていく。
……もうどうしようもなくて、ひたすらチクチク縫い進めるのだった。