第13話 突然のおでかけ
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青空の下に、広い野菜畑が広がる。
ようやく収穫を迎え、地面から顔を出しているラッキョの葉がそよそよと風になびく。一つ一つ丁寧に根っこを引き上げ、土を払いカゴに入れていった。
今日は久しぶりに忍術学園へと向かう日だ。
いつもならライバルの野村雄三とひと勝負して……というところだが、今回は名前に会えると思うと気がはやる。
本当ならすぐに様子を見に行きたかったが、それは躊躇われた。
忍術学園での生活に水を差さないため……。余裕があると思わせたかったのも少しある。
名前のことは守りたいと思っているが、最初に保護した責任感からなのか、それとも……。
やはり二人で過ごしていたせいか、彼女がいなくなると心にぽっかりと穴が空いたようだった。独りで過ごしていたときには想像していないことだ。彼女のことが、こんなに気になるなんて。
……いつか、元いた場所に戻ってしまうのだろうか。
物思いにふけつつ作業をしていると、いつの間にかカゴいっぱいにラッキョを詰め込んでいた。
考え込むなんて、わしらしくないなと苦笑する。
さて、支度をして出発するか。
大きく伸びをしてから、ずっしりとしたカゴを背負う。
*
「みんな、いっぱい食べてね」
いつものように食堂のカウンターで朝食を手渡している。一日の始まりだから、元気よく送り出してあげたい。
忙しなく動いていると、入り口から紫色の忍装束を着た灰色がかった髪の子が入ってきた。
「あ、喜八郎くん!おはよう!」
「おはようございます」
四年生の綾部喜八郎くん。穴掘りが好きで、学園の庭などに落とし穴をたくさん掘っているみたい。飄々とした雰囲気からは似合わない、ゴツゴツとした手が印象的だった。
どこに穴を掘ったか、いつか聞いてみようとチャンスをうかがっていたのだ。口を開いた瞬間、喜八郎くんから意外な言葉をかけられた。
「名前さんって、あまり落とし穴に落ちないですよねぇ」
「そ、そうかな?落ちたくないから、すごく注意して歩いてるけど……」
たしかに、中庭は怪しそうな石ころや木の枝が落ちてないか気をつけて歩くようにしている。落ちて、先生方に迷惑をかけたくなかったのもある。
「そうです。みんな名前さんのこと、あの噂からへっぽこなのか、不運なのか話してましたけど。へっぽこではなく、不運ですね」
「え、ふうん……?」
「だって、落とし穴はご自身で回避されてるのでしょう? なのに、小松田さんの失敗に巻き込まれてるし、保健委員とも仲が良いみたいですし」
「は、はあ」
そう言い放つと、おぼんを受け取りすーっといなくなってしまった。
……ふうんって、不運ってこと?
これは、褒めてくれたのかな?
よく分からないけど、良しとしよう。疑問を残しつつも、次に待っている子に朝食を渡していった。
*
午前は吉野先生から頼まれた雑務や食堂のお手伝いが日課となっている。
午後は夕食の支度の前に少し余裕があって、その時々で色々な先生達のお手伝いをしていた。
普段は山田先生や土井先生からお手伝いを頼まれることが多いのだけど、今日は土井先生が忍務でいないみたいだ。
……忍務ってなんだろう。山田先生に聞いてみても、それは言えないみたいで。無事に帰ってきてくれるように、心の中で祈るしかできなかった。
今日の午後は、山本シナ先生からお花の準備を頼まれていた。ランチの支度が一段落すると裏庭へ向かう。
ちょうど、桔梗が咲いてたような。他にも綺麗なお花が咲いてるかも、と心躍らせながら探しに行く。
外廊下を降り、少し歩くと裏庭が見えてきた。一面に鮮やかな紫色の桔梗が咲きほこる。一つ一つ丁寧に切り取り腕にかかえると、先生のお部屋へと急いだ。
初めて会った時から、憧れのシナ先生。
凛とした強さとその美貌に釘づけだった。お忙しいみたいで、なかなかお話しする機会がなかったのが残念だ。
時折りくのたま達に道を教えてもらいながら、ようやく先生のお部屋にたどり着いた。
「シナ先生、名前です。生け花用のお花を持って参りました」
腕いっぱい花を抱えながら声をかけると、中からどうぞ、と返ってきた。恐る恐る中へ進むと、見たこともない品の良さそうなお婆さんが座っている。
「あの、シナ先生は……?」
「私が、山本シナです。おほほほ」
優しそうな、白髪のお婆さんがシナ先生……!?
ぽかんと見つめていると、サッと一瞬のうちにいつものシナ先生に変わった。
「驚かせてごめんなさいね」
「シ、シナ先生、すごいです!さすが、一流のくノ一です……!」
驚きすぎて放心状態になりながらも、手に持った花に意識を引き戻された。
「そうだ、お花をお持ちしましたっ」
「まあ。綺麗なお花を用意してくれて、ありがとう」
先生はいっぱいのお花を受け取り、ふわりとほほ笑む。なんと美しいのだろう……。見惚れていると、そうそうと違う話を切り出された。
「名前さん、お着物持っていないんじゃないかと思って。私のお古でよかったら、もらってくれないかしら?」
だいぶ昔の物だけどと言って、淡い藤色の所々小さな白い花の模様が入った、上品な着物を手渡してくれた。
すごく素敵で一瞬目を輝かせてしまったけれど、いただくなんて恐縮してしまう。
「こんな素敵なお着物、私とてもいただけません……!」
「着てもらわないと勿体無いし、名前さんにとても似合うと思うから。ねっ?」
いえ、でも……なんてやり取りをくり返す。けれど、これ以上遠慮する事もできない。ありがたく受け取ると、胸にぎゅっと抱えて深く頭を下げた。
「シナ先生、本当にありがとうございます!大切に着ます」
「あらあら、良いのよ。気にしないで、たくさん着てあげてね。……でも、前に着てた着物も素敵だったわね?」
「あの、訳あってたまたま土井先生にお借りしただけで、その……」
ニヤリと言われて思わず心臓が止まりそうだ。どぎまぎしなら答えると、シナ先生はふふと笑いを漏らしている。
「大木先生が見たら、妬かれちゃうんじゃない?」
「え!そんなことないですよ、大木先生に限って、そんなこと……」
さらにシナ先生に笑われてしまったけれど……。やきもち?嬉しいような、信じられないような。……いや、ないない。
「名前さん、せっかくだから着てみせてっ」
そう言われて、着替えてみると丈もちょうど良くて。もしかしたらシナ先生が直してくれたのかもしれない。
「いかがでしょうか……?」
「とっても似合ってるわ!」
素敵な笑顔で褒めてくれて、照れながら改めてお礼をする。
今日の残っている仕事は夕食の仕込みだけ。
汚れるようなこともないし、きれいな着物に包まれていたくて。すこしお化粧を直してからそのままの姿で食堂へと急ぐ。
途中、すれ違うユキちゃんトモミちゃんおシゲちゃんに、お出かけ?デートですか?と聞かれて。そんな予定なんかないのに、ちょっとね?なんてにこりと返した。
三人の驚いた顔が可愛くて。意気揚々と廊下を歩いていくのだった。
*
――ジャリッジャリッ…
ラッキョを詰め込んだカゴを背負い大きな門の前に立つと、おーい!開けてくれー!と中にいる事務員を呼ぶ。
「あ〜!大木先生!はい、入門票にサインを〜」
「小松田くん。ほれ、書いたぞ」
学園長から文が届き、今日は彼女の調査報告と学園での様子を話すことになっていたのだ。
入門表を手渡し学園長のいる庵へと向かう。
そこでは、名前のことや元来たところへ戻る方法など自身が調べたことを報告した。ただ、実りある内容とはならなかったが。
……彼女は謎が多すぎる。
「名前ちゃんは、よく働いて頑張っておる。忍たまや先生達とも仲良くやってるようじゃ」
「そうですか!それは私も安心しました」
そのうちに名前の学園生活の話になった。
彼女の仕事ぶりを教えてもらうと、一所懸命に頑張っているようで嬉しくなる。……無理をしていないと良いのだが。
「今ごろ、名前ちゃんは食堂でお手伝いでもしてるかの」
「では、私も食堂へ行って参ります」
久しぶりに名前と会える。嬉しい気持ちを抑え、学園長へ頭を下げて庵を失礼した。
中庭を通り食堂へ歩いていると、くのたまが何やらキャッキャと話す声が聞こえてくる。いつもなら気に留めないところだが、彼女の名が聞こえて思わず耳をそばだててしまった。
……名前さん、またきれいな着物着てたわね!
……素敵でしたぁ。デートでしゅかね?
……否定しないし、はにかんで笑ってたし!きっとそうよ!
……相手は誰か気になるでしゅ!
あまり聞きたくない話だ。
名前に好きなヤツでもできたのか……?
まぁ、上級生はもう大人のようだし、教師陣だって……。まさか、野村雄三?いや、ありえん。わしが許さん!
柄にもなくそんなことを考えて歩いていると、食堂の前に着いてしまった。気を取り直して入り口をくぐる。
*
――タッタッタッ…
着物だと歩きにくいなぁなんて思いながら、綺麗におめかししたのが嬉しくて早足で食堂へ向かう。
「おばちゃん、お手伝いにきましたー!って、えーっ!?」
「あらぁ名前ちゃん、ちょうど良かったわ!」
早くおばちゃんに着物を見せたくて。息を切らし食堂の中に進むと、ずっと会いたかった姿が見えてびくりとする。
茶色いボサボサの髪に、チラリと見える白い鉢巻、赤と薄い水色の着物は……
「ま、雅之助さ……大木先生!」
ちょうど、カウンター奥でラッキョを渡しているようだった。
急いで駆け寄り、思わず雅之助さん!と言いかけて……みんなの手前大木先生と呼ばなきゃと言い直した。
「わしはいつから名前の先生になったんだ?」
「もう、屁理屈言わないでくださいっ。今日はどうされたんですか?」
「ラッキョがたくさん採れたから、学園へ持ってきたんだ。あと、お前の仕事ぶりもチェックしにきたぞ!」
「名前ちゃん、素敵なお着物ねえ。そうだ!せっかくだから、大木先生と二人でお味噌を買い足しに行ってくれないかしら?」
「……ええっ?!」
おばちゃんはパッと顔を輝かせてお使いをお願いしてきた。雅之助さんは、犬歯をチラリとのぞかせ豪快に笑っている。
展開についていけず、お手伝いが……!と困惑しながらおばちゃんを見つめる。久々知くんが田楽豆腐で味噌を使い切っちゃってねぇ……と苦笑しながらワケを教えてくれた。
「私は問題ありません、いくぞ名前!」
雅之助さんは一つ返事で引き受けて私を引っ張っていく。おばちゃんにこそっと「ここにいると野村先生とケンカするでしょ?」と耳打ちされてこくこく頷いた。
何だかよく分からないうちに、雅之助さんと二人で出掛けることになってしまった。……嬉しいけれど、どうしよう。
*
出門表にサインする。
少し文字が上達したからか、自信満々で小松田さんへ手渡し門を出た。
久しぶりの外出に開放感を覚えて嬉しくなる。この気持ちは、隣にいる人も関係あるのだろうか……なんて一人ソワソワしてしまう。
じゃりじゃりと地面を踏みしめて歩いていくけれど、雅之助さんについて行くのがやっとだ。
……!?
慣れない着物で足捌きがままならず、とっさに雅之助さんの腕を掴む。
「す、すみませんっ。着物に慣れてなくて……!」
申し訳なくて身体を縮こませていると、大丈夫か?と転ばないように手を繋がれた。
「そういえば……。その着物、どうしたんだ?」
「これ、シナ先生からいただいたんですっ」
「よく似合ってるぞ」
隣を見上げると、目元にすこし赤みが差している。そんなこと言う人じゃないのに……!その反応に、私まで赤くなりそうだ。
しっかりと繋がれた大きな手。
畑仕事をしているせいか、忍びで鍛えられたせいか節くれだっている。
手のひらに伝わる、男らしい感触にドキドキして苦しくなる。気遣ってくれたのがくすぐったくて、指先にぎゅっと力を込めた。
道中、小松田くんの失敗や日常の面白かったこと、ケロちゃんラビちゃんのことなどたわいない話をしながら歩くと、賑やかな場所にでる。
「いっぱいお店がありますね……!」
小間物屋さんやお団子屋さんにお魚屋さん。それぞれのお店で呼び込みをしていて、その活気に飲み込まれそうだった。
「はぐれないように、ちゃんとわしの側にくっ付いているんだぞ?」
「えっと……大木先生っ!?」
繋いでいた手を解くと、人の波から守るように私の腰をグッと引き寄せられた。驚いて隣を見上げる。
「ここで先生はよせ」
「……わ、わかりました。雅之助さん」
「……夫婦に見えちゃうな?」
「っ!?学園の人たちに見られたら……!」
そう抗議しても全く人の話を聞いていないようで。尖った歯をみせながら、いたずらっ子のように笑っている。
ほれ、味噌を売っている店はあっちだ!と腰に回した腕はそのままで遠くを見つめる。戸惑う私をよそに、雅之助さんは大股で進んでいくのだった。
案の定、店主に「きれいな奥さんで羨ましい」なんて言われてしまって。
雅之助さんは否定せず、そうでしょう?と得意げに笑いながら、さらに身体をくっ付けてくる。私はなすがままで、火照った顔を見せないようにするのに精一杯だった。
*
「はぁ。なんだか疲れちゃいました」
「名前の好きな団子でも食べて休むか?」
「せっかくですが……。できれば、あの川の土手でひと休みしたいです」
お使いで頼まれていた品を買い終わると気が抜けてしまった。お団子屋さんには行きたかったが、人混みから抜け出したくて。
雅之助さんは意外そうな顔をしつつ、付き合ってくれて一緒に川辺に座る。動いたら触れてしまいそうな距離感に穏やかでいられない。
川は水面がキラキラと細かく輝き、流れる水の音も心地よく響く。そんなゆったりとした様子が、少しずつドキドキを落ち着かせてくれた。
「……なんで、夫婦に誤解されるようなことしたんですか?」
「街ではその方が自然だろう?しかも、お前が迷子にならない」
なんでもない風にさらっと言われる。
でも、その通りだ。
忍者の先生だから、人に紛れることなんて得意なのかもしれない。どぎまぎしてたのは私だけだったのかと、チクリ胸が痛んだ。
「そういえば、どうして急に大木先生なんて呼び始めたんだ?……随分よそよそしいじゃないか」
「大木先生と呼んだ方が……ご迷惑にならないかなって。親しく呼んだら、特別な仲だと思われちゃいますよっ」
少し不服そうな顔をして聞いてくる雅之助さんに、なんとか笑って冗談めかす。自分で言っておいて体が熱い。変に意識しているみたいじゃないか。
「学園でチラッとうわさを聞いたぞ。口を挟むことでは無いが……。わしとお前がそう思われたら都合が悪いんだな?」
「え?……なんですか、うわさって」
「……知らんのなら、気にしないでいい」
驚いてとっさに口を開くと答えを濁されてしまった。……どういうことだろう。
雅之助さんは、私とそう思われても良いってこと……?
久しぶりに一緒にいられて嬉しいのに、心臓がうるさい。激しい鼓動を押さえ込むようにぎゅっと膝を抱えると、袖がするりとめくれた。
「お前、その痣はどうした?」
グッと腕を掴まれてビクッとする。
腕に内出血の跡がいくつかあったのが見えてしまったようだった。
「あのっ。これは、私が書類に足を滑らせて転んだり、倒れてきた棚にぶつかったり……。たまたまできた傷で、でも大丈夫ですから!」
小松田くんの失敗に巻き込まれる形で、何かしら怪我をしていたのは本当だった。保健委員とも仲良くて自分で薬をつけたりしていた。大したことないし、心配されるとむず痒くなる。
「私、不運みたいですっ」
「お前は不運なんかじゃない。どこんじょー!が足りないから、心に隙ができてそう思うんだ」
冗談まじりに戯けてみても、真剣な雰囲気で叱られる。
雅之助さんは袖を優しく元に戻して体ごとこちらに向き直った。私のほほを、大きな手でふわりと包み込む。その手に導かれるように、雅之助さんの瞳を見つめた。
「あまり、無理をするな。心配でたまらん」
真っ直ぐな眼差しに心を射抜かれ、身体が固まる。
でも、その気持ちが嬉しくて。
ゴツゴツとした大きな手に自身の手を重ね、はい。と呟くように返事をした。
――陽が沈みかけ、だんだんと空が赤く染まっていく。そろそろ学園へ帰るか、と二人で来た道を戻っていった。
「歩けなくなったら、前みたいに抱えてやるぞー!」
からかってるのか、それとも本気なのか。
「じゃあ、抱っこしてくださいっ」なんてふざけてみる。雅之助さんは思わぬ答えに驚いていたけれど、嬉しそうに笑ってくれた。
(おまけ)
名前さん、まだ帰ってきていないのか。
半助、心配しすぎだ!なんて山田先生に言われたけれど……。
学園長先生から頼まれた忍務を終えて学園へ戻ってきたら、彼女が見当たらない。探してみると、どうやら大木先生と出掛けているらしいと分かった。
食堂のおばちゃんがお使いを頼んだと言っていたが、あまりに遅くないだろうか。
ヤキモキしながら門の前を行ったり来たりしていると、なにやら遠くから声が聞こえてくる。
「ちょっと、もう下ろしてくださいってば!」
「お前が抱っこしてくれー!とわしにねだったんだろう?」
「違います!……いや、そうですけど!」
「じゃあ大人しく掴まっとれ!おーい!開けてくれー!」
小松田くんが門を開けると、大木先生にお姫様抱っこされながらバタバタしている名前さんが見えた。
もう二人でイチャイチャしてるようにしか見えない。
何なんだ一体……!
お腹をさすって胃の痛みを紛らわせながら、大きなため息をつくのだった。
ようやく収穫を迎え、地面から顔を出しているラッキョの葉がそよそよと風になびく。一つ一つ丁寧に根っこを引き上げ、土を払いカゴに入れていった。
今日は久しぶりに忍術学園へと向かう日だ。
いつもならライバルの野村雄三とひと勝負して……というところだが、今回は名前に会えると思うと気がはやる。
本当ならすぐに様子を見に行きたかったが、それは躊躇われた。
忍術学園での生活に水を差さないため……。余裕があると思わせたかったのも少しある。
名前のことは守りたいと思っているが、最初に保護した責任感からなのか、それとも……。
やはり二人で過ごしていたせいか、彼女がいなくなると心にぽっかりと穴が空いたようだった。独りで過ごしていたときには想像していないことだ。彼女のことが、こんなに気になるなんて。
……いつか、元いた場所に戻ってしまうのだろうか。
物思いにふけつつ作業をしていると、いつの間にかカゴいっぱいにラッキョを詰め込んでいた。
考え込むなんて、わしらしくないなと苦笑する。
さて、支度をして出発するか。
大きく伸びをしてから、ずっしりとしたカゴを背負う。
*
「みんな、いっぱい食べてね」
いつものように食堂のカウンターで朝食を手渡している。一日の始まりだから、元気よく送り出してあげたい。
忙しなく動いていると、入り口から紫色の忍装束を着た灰色がかった髪の子が入ってきた。
「あ、喜八郎くん!おはよう!」
「おはようございます」
四年生の綾部喜八郎くん。穴掘りが好きで、学園の庭などに落とし穴をたくさん掘っているみたい。飄々とした雰囲気からは似合わない、ゴツゴツとした手が印象的だった。
どこに穴を掘ったか、いつか聞いてみようとチャンスをうかがっていたのだ。口を開いた瞬間、喜八郎くんから意外な言葉をかけられた。
「名前さんって、あまり落とし穴に落ちないですよねぇ」
「そ、そうかな?落ちたくないから、すごく注意して歩いてるけど……」
たしかに、中庭は怪しそうな石ころや木の枝が落ちてないか気をつけて歩くようにしている。落ちて、先生方に迷惑をかけたくなかったのもある。
「そうです。みんな名前さんのこと、あの噂からへっぽこなのか、不運なのか話してましたけど。へっぽこではなく、不運ですね」
「え、ふうん……?」
「だって、落とし穴はご自身で回避されてるのでしょう? なのに、小松田さんの失敗に巻き込まれてるし、保健委員とも仲が良いみたいですし」
「は、はあ」
そう言い放つと、おぼんを受け取りすーっといなくなってしまった。
……ふうんって、不運ってこと?
これは、褒めてくれたのかな?
よく分からないけど、良しとしよう。疑問を残しつつも、次に待っている子に朝食を渡していった。
*
午前は吉野先生から頼まれた雑務や食堂のお手伝いが日課となっている。
午後は夕食の支度の前に少し余裕があって、その時々で色々な先生達のお手伝いをしていた。
普段は山田先生や土井先生からお手伝いを頼まれることが多いのだけど、今日は土井先生が忍務でいないみたいだ。
……忍務ってなんだろう。山田先生に聞いてみても、それは言えないみたいで。無事に帰ってきてくれるように、心の中で祈るしかできなかった。
今日の午後は、山本シナ先生からお花の準備を頼まれていた。ランチの支度が一段落すると裏庭へ向かう。
ちょうど、桔梗が咲いてたような。他にも綺麗なお花が咲いてるかも、と心躍らせながら探しに行く。
外廊下を降り、少し歩くと裏庭が見えてきた。一面に鮮やかな紫色の桔梗が咲きほこる。一つ一つ丁寧に切り取り腕にかかえると、先生のお部屋へと急いだ。
初めて会った時から、憧れのシナ先生。
凛とした強さとその美貌に釘づけだった。お忙しいみたいで、なかなかお話しする機会がなかったのが残念だ。
時折りくのたま達に道を教えてもらいながら、ようやく先生のお部屋にたどり着いた。
「シナ先生、名前です。生け花用のお花を持って参りました」
腕いっぱい花を抱えながら声をかけると、中からどうぞ、と返ってきた。恐る恐る中へ進むと、見たこともない品の良さそうなお婆さんが座っている。
「あの、シナ先生は……?」
「私が、山本シナです。おほほほ」
優しそうな、白髪のお婆さんがシナ先生……!?
ぽかんと見つめていると、サッと一瞬のうちにいつものシナ先生に変わった。
「驚かせてごめんなさいね」
「シ、シナ先生、すごいです!さすが、一流のくノ一です……!」
驚きすぎて放心状態になりながらも、手に持った花に意識を引き戻された。
「そうだ、お花をお持ちしましたっ」
「まあ。綺麗なお花を用意してくれて、ありがとう」
先生はいっぱいのお花を受け取り、ふわりとほほ笑む。なんと美しいのだろう……。見惚れていると、そうそうと違う話を切り出された。
「名前さん、お着物持っていないんじゃないかと思って。私のお古でよかったら、もらってくれないかしら?」
だいぶ昔の物だけどと言って、淡い藤色の所々小さな白い花の模様が入った、上品な着物を手渡してくれた。
すごく素敵で一瞬目を輝かせてしまったけれど、いただくなんて恐縮してしまう。
「こんな素敵なお着物、私とてもいただけません……!」
「着てもらわないと勿体無いし、名前さんにとても似合うと思うから。ねっ?」
いえ、でも……なんてやり取りをくり返す。けれど、これ以上遠慮する事もできない。ありがたく受け取ると、胸にぎゅっと抱えて深く頭を下げた。
「シナ先生、本当にありがとうございます!大切に着ます」
「あらあら、良いのよ。気にしないで、たくさん着てあげてね。……でも、前に着てた着物も素敵だったわね?」
「あの、訳あってたまたま土井先生にお借りしただけで、その……」
ニヤリと言われて思わず心臓が止まりそうだ。どぎまぎしなら答えると、シナ先生はふふと笑いを漏らしている。
「大木先生が見たら、妬かれちゃうんじゃない?」
「え!そんなことないですよ、大木先生に限って、そんなこと……」
さらにシナ先生に笑われてしまったけれど……。やきもち?嬉しいような、信じられないような。……いや、ないない。
「名前さん、せっかくだから着てみせてっ」
そう言われて、着替えてみると丈もちょうど良くて。もしかしたらシナ先生が直してくれたのかもしれない。
「いかがでしょうか……?」
「とっても似合ってるわ!」
素敵な笑顔で褒めてくれて、照れながら改めてお礼をする。
今日の残っている仕事は夕食の仕込みだけ。
汚れるようなこともないし、きれいな着物に包まれていたくて。すこしお化粧を直してからそのままの姿で食堂へと急ぐ。
途中、すれ違うユキちゃんトモミちゃんおシゲちゃんに、お出かけ?デートですか?と聞かれて。そんな予定なんかないのに、ちょっとね?なんてにこりと返した。
三人の驚いた顔が可愛くて。意気揚々と廊下を歩いていくのだった。
*
――ジャリッジャリッ…
ラッキョを詰め込んだカゴを背負い大きな門の前に立つと、おーい!開けてくれー!と中にいる事務員を呼ぶ。
「あ〜!大木先生!はい、入門票にサインを〜」
「小松田くん。ほれ、書いたぞ」
学園長から文が届き、今日は彼女の調査報告と学園での様子を話すことになっていたのだ。
入門表を手渡し学園長のいる庵へと向かう。
そこでは、名前のことや元来たところへ戻る方法など自身が調べたことを報告した。ただ、実りある内容とはならなかったが。
……彼女は謎が多すぎる。
「名前ちゃんは、よく働いて頑張っておる。忍たまや先生達とも仲良くやってるようじゃ」
「そうですか!それは私も安心しました」
そのうちに名前の学園生活の話になった。
彼女の仕事ぶりを教えてもらうと、一所懸命に頑張っているようで嬉しくなる。……無理をしていないと良いのだが。
「今ごろ、名前ちゃんは食堂でお手伝いでもしてるかの」
「では、私も食堂へ行って参ります」
久しぶりに名前と会える。嬉しい気持ちを抑え、学園長へ頭を下げて庵を失礼した。
中庭を通り食堂へ歩いていると、くのたまが何やらキャッキャと話す声が聞こえてくる。いつもなら気に留めないところだが、彼女の名が聞こえて思わず耳をそばだててしまった。
……名前さん、またきれいな着物着てたわね!
……素敵でしたぁ。デートでしゅかね?
……否定しないし、はにかんで笑ってたし!きっとそうよ!
……相手は誰か気になるでしゅ!
あまり聞きたくない話だ。
名前に好きなヤツでもできたのか……?
まぁ、上級生はもう大人のようだし、教師陣だって……。まさか、野村雄三?いや、ありえん。わしが許さん!
柄にもなくそんなことを考えて歩いていると、食堂の前に着いてしまった。気を取り直して入り口をくぐる。
*
――タッタッタッ…
着物だと歩きにくいなぁなんて思いながら、綺麗におめかししたのが嬉しくて早足で食堂へ向かう。
「おばちゃん、お手伝いにきましたー!って、えーっ!?」
「あらぁ名前ちゃん、ちょうど良かったわ!」
早くおばちゃんに着物を見せたくて。息を切らし食堂の中に進むと、ずっと会いたかった姿が見えてびくりとする。
茶色いボサボサの髪に、チラリと見える白い鉢巻、赤と薄い水色の着物は……
「ま、雅之助さ……大木先生!」
ちょうど、カウンター奥でラッキョを渡しているようだった。
急いで駆け寄り、思わず雅之助さん!と言いかけて……みんなの手前大木先生と呼ばなきゃと言い直した。
「わしはいつから名前の先生になったんだ?」
「もう、屁理屈言わないでくださいっ。今日はどうされたんですか?」
「ラッキョがたくさん採れたから、学園へ持ってきたんだ。あと、お前の仕事ぶりもチェックしにきたぞ!」
「名前ちゃん、素敵なお着物ねえ。そうだ!せっかくだから、大木先生と二人でお味噌を買い足しに行ってくれないかしら?」
「……ええっ?!」
おばちゃんはパッと顔を輝かせてお使いをお願いしてきた。雅之助さんは、犬歯をチラリとのぞかせ豪快に笑っている。
展開についていけず、お手伝いが……!と困惑しながらおばちゃんを見つめる。久々知くんが田楽豆腐で味噌を使い切っちゃってねぇ……と苦笑しながらワケを教えてくれた。
「私は問題ありません、いくぞ名前!」
雅之助さんは一つ返事で引き受けて私を引っ張っていく。おばちゃんにこそっと「ここにいると野村先生とケンカするでしょ?」と耳打ちされてこくこく頷いた。
何だかよく分からないうちに、雅之助さんと二人で出掛けることになってしまった。……嬉しいけれど、どうしよう。
*
出門表にサインする。
少し文字が上達したからか、自信満々で小松田さんへ手渡し門を出た。
久しぶりの外出に開放感を覚えて嬉しくなる。この気持ちは、隣にいる人も関係あるのだろうか……なんて一人ソワソワしてしまう。
じゃりじゃりと地面を踏みしめて歩いていくけれど、雅之助さんについて行くのがやっとだ。
……!?
慣れない着物で足捌きがままならず、とっさに雅之助さんの腕を掴む。
「す、すみませんっ。着物に慣れてなくて……!」
申し訳なくて身体を縮こませていると、大丈夫か?と転ばないように手を繋がれた。
「そういえば……。その着物、どうしたんだ?」
「これ、シナ先生からいただいたんですっ」
「よく似合ってるぞ」
隣を見上げると、目元にすこし赤みが差している。そんなこと言う人じゃないのに……!その反応に、私まで赤くなりそうだ。
しっかりと繋がれた大きな手。
畑仕事をしているせいか、忍びで鍛えられたせいか節くれだっている。
手のひらに伝わる、男らしい感触にドキドキして苦しくなる。気遣ってくれたのがくすぐったくて、指先にぎゅっと力を込めた。
道中、小松田くんの失敗や日常の面白かったこと、ケロちゃんラビちゃんのことなどたわいない話をしながら歩くと、賑やかな場所にでる。
「いっぱいお店がありますね……!」
小間物屋さんやお団子屋さんにお魚屋さん。それぞれのお店で呼び込みをしていて、その活気に飲み込まれそうだった。
「はぐれないように、ちゃんとわしの側にくっ付いているんだぞ?」
「えっと……大木先生っ!?」
繋いでいた手を解くと、人の波から守るように私の腰をグッと引き寄せられた。驚いて隣を見上げる。
「ここで先生はよせ」
「……わ、わかりました。雅之助さん」
「……夫婦に見えちゃうな?」
「っ!?学園の人たちに見られたら……!」
そう抗議しても全く人の話を聞いていないようで。尖った歯をみせながら、いたずらっ子のように笑っている。
ほれ、味噌を売っている店はあっちだ!と腰に回した腕はそのままで遠くを見つめる。戸惑う私をよそに、雅之助さんは大股で進んでいくのだった。
案の定、店主に「きれいな奥さんで羨ましい」なんて言われてしまって。
雅之助さんは否定せず、そうでしょう?と得意げに笑いながら、さらに身体をくっ付けてくる。私はなすがままで、火照った顔を見せないようにするのに精一杯だった。
*
「はぁ。なんだか疲れちゃいました」
「名前の好きな団子でも食べて休むか?」
「せっかくですが……。できれば、あの川の土手でひと休みしたいです」
お使いで頼まれていた品を買い終わると気が抜けてしまった。お団子屋さんには行きたかったが、人混みから抜け出したくて。
雅之助さんは意外そうな顔をしつつ、付き合ってくれて一緒に川辺に座る。動いたら触れてしまいそうな距離感に穏やかでいられない。
川は水面がキラキラと細かく輝き、流れる水の音も心地よく響く。そんなゆったりとした様子が、少しずつドキドキを落ち着かせてくれた。
「……なんで、夫婦に誤解されるようなことしたんですか?」
「街ではその方が自然だろう?しかも、お前が迷子にならない」
なんでもない風にさらっと言われる。
でも、その通りだ。
忍者の先生だから、人に紛れることなんて得意なのかもしれない。どぎまぎしてたのは私だけだったのかと、チクリ胸が痛んだ。
「そういえば、どうして急に大木先生なんて呼び始めたんだ?……随分よそよそしいじゃないか」
「大木先生と呼んだ方が……ご迷惑にならないかなって。親しく呼んだら、特別な仲だと思われちゃいますよっ」
少し不服そうな顔をして聞いてくる雅之助さんに、なんとか笑って冗談めかす。自分で言っておいて体が熱い。変に意識しているみたいじゃないか。
「学園でチラッとうわさを聞いたぞ。口を挟むことでは無いが……。わしとお前がそう思われたら都合が悪いんだな?」
「え?……なんですか、うわさって」
「……知らんのなら、気にしないでいい」
驚いてとっさに口を開くと答えを濁されてしまった。……どういうことだろう。
雅之助さんは、私とそう思われても良いってこと……?
久しぶりに一緒にいられて嬉しいのに、心臓がうるさい。激しい鼓動を押さえ込むようにぎゅっと膝を抱えると、袖がするりとめくれた。
「お前、その痣はどうした?」
グッと腕を掴まれてビクッとする。
腕に内出血の跡がいくつかあったのが見えてしまったようだった。
「あのっ。これは、私が書類に足を滑らせて転んだり、倒れてきた棚にぶつかったり……。たまたまできた傷で、でも大丈夫ですから!」
小松田くんの失敗に巻き込まれる形で、何かしら怪我をしていたのは本当だった。保健委員とも仲良くて自分で薬をつけたりしていた。大したことないし、心配されるとむず痒くなる。
「私、不運みたいですっ」
「お前は不運なんかじゃない。どこんじょー!が足りないから、心に隙ができてそう思うんだ」
冗談まじりに戯けてみても、真剣な雰囲気で叱られる。
雅之助さんは袖を優しく元に戻して体ごとこちらに向き直った。私のほほを、大きな手でふわりと包み込む。その手に導かれるように、雅之助さんの瞳を見つめた。
「あまり、無理をするな。心配でたまらん」
真っ直ぐな眼差しに心を射抜かれ、身体が固まる。
でも、その気持ちが嬉しくて。
ゴツゴツとした大きな手に自身の手を重ね、はい。と呟くように返事をした。
――陽が沈みかけ、だんだんと空が赤く染まっていく。そろそろ学園へ帰るか、と二人で来た道を戻っていった。
「歩けなくなったら、前みたいに抱えてやるぞー!」
からかってるのか、それとも本気なのか。
「じゃあ、抱っこしてくださいっ」なんてふざけてみる。雅之助さんは思わぬ答えに驚いていたけれど、嬉しそうに笑ってくれた。
(おまけ)
名前さん、まだ帰ってきていないのか。
半助、心配しすぎだ!なんて山田先生に言われたけれど……。
学園長先生から頼まれた忍務を終えて学園へ戻ってきたら、彼女が見当たらない。探してみると、どうやら大木先生と出掛けているらしいと分かった。
食堂のおばちゃんがお使いを頼んだと言っていたが、あまりに遅くないだろうか。
ヤキモキしながら門の前を行ったり来たりしていると、なにやら遠くから声が聞こえてくる。
「ちょっと、もう下ろしてくださいってば!」
「お前が抱っこしてくれー!とわしにねだったんだろう?」
「違います!……いや、そうですけど!」
「じゃあ大人しく掴まっとれ!おーい!開けてくれー!」
小松田くんが門を開けると、大木先生にお姫様抱っこされながらバタバタしている名前さんが見えた。
もう二人でイチャイチャしてるようにしか見えない。
何なんだ一体……!
お腹をさすって胃の痛みを紛らわせながら、大きなため息をつくのだった。