第47話 タソガレドキと秘密の姿(後編)

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冬のカラッとした空気に、朝日がさんさんと差し込む。

今日は久しぶりに、補習授業がない休日だ。
隣の山田先生と一緒に布団をたたんでいく。名前さんは朝早くから起きていたようで、隣からその気配を感じることはできなかった。

……街へ出掛けられない彼女に、甘いものでも買ってきてあげようか。そんな事を考えて、喜ぶ顔を想像すると自然とにやけてしまう。


――ドタドタドタ
廊下から大きな足音が響いてくる。
部屋の前でぴたりと止まり、山田先生と顔を見合わせた。

「おはようございます! 山田先生に土井先生、名前さんを見ませんでしたか〜?」

ガラリと障子が開かれると、そこには小松田くんが困った顔でこちらを見つめていた。

「小松田くん、どうしたんだい?」

「食堂のおばちゃんが、名前さんが勝手口ですずめに餌やりしていたのを見たきり、どこにもいなくなったと慌ててまして」

「部屋にもいないようだし……。彼女に何かあったのかも知れない」

「ええ〜!? そ、そんなあ……」

「土井先生に小松田くん。きっと、落とし穴にでも落ちたんじゃないか?」

「……そうだと良いのですが」


なぜだか、胸騒ぎがする。
私服ではなく忍装束に着替えると、食堂裏の勝手口へ急いで向かう。

食堂のおばちゃんも不安そうな顔であたりを探していた。地面を確認しても、米粒が撒かれているだけでそれらしき足跡はない。

何とはなしに、勝手口の柱に視線を向けると矢文が刺さっていた。

イヤな汗が額にじわりと滲む。
矢を引き抜き、折りたたまれた文を広げると達筆な文字が現れた。

名前ちゃんをタソガレドキ城に連れていってます、ちゃんと返すから安心してね……」

「この絵は……雑渡昆奈門か? 返す返さないの問題じゃなかろうに」

「私が、今すぐに名前さんを……!」

「半助、早まるんじゃない。まずは、学園長に報告だ」



――ししおどしがカコンと鳴り響く
竹林が風に吹かれ、さわさわ揺れる音が静かな庵に入りこむ。

学園長先生とヘムヘムを前に、焦る気持ちを抑え山田先生と共に今朝の出来事を説明していた。

「……これが、矢文です」

「ほう。まったく、安心など出来るわけないじゃろうて」

「こうしている間にも、名前さんに何かあったら……!」

「前に、利吉くんからタソガレドキ城の資料をもらってのう。助け出すにしても、まずは作戦を練ってからじゃ」

「はぁ。利吉が……?」

「山田先生。仕事の合間に、色々お願いしていてな」

城内の配置や火薬の量、夫丸の状況が記されたものを念入りに目で追う。こんな情報を得られるのは、さすが利吉くんとしか言いようがない。


「雑渡昆奈門も、名前くんに手荒な真似はしないじゃろうが……。事を大きくして刺激したくはない。名前くんの救出は、土井先生と大木先生の二人に任せるとしよう」

「……はい」

「山田先生は念のため、学園内でおかしな事がないか確認してくれるかのう?」

「分かりました、学園長」

「ではさっそく……、こんな作戦はどうじゃ? ひそひそひそ……」

額を寄せて、学園長の話を聞き漏らさぬように頭に叩き込む。……女装は不本意だが仕方がない。目を見てうなずくと、ヘムヘムを杭瀬村へと急がせる。タソガレドキ城の近くで大木先生と落ち合うこととなった。





よく晴れた青空のした。
冷たい風をほほに感じながら、背負ったかごに大根を詰めていく。

気分良く畑仕事をしていると、タタタッと小さなかたまりが駆けてくる。ラビちゃんかと思いきや、浅葱色の頭巾からヘムヘムだと分かった。

なぜ、杭瀬村に?
わき目も振らず走り寄る姿に、ただ事ではなさそうだ。

「どうした、ヘムヘム」

「ヘム、ヘムヘムー!」

くわえていた文を受け取り、達筆な文字を追っていく。読み終わる頃には、奥歯を噛み締めジリジリとした気持ちになる。

「よく届けてくれた、ご苦労だったな」

「ヘム……」

「心配するな、わしも急いで向かう。お前は学園に戻るんだ」

肩を落としたヘムヘムの頭をがしがし撫でてやる。ほら行け、と背中をポンとたたくと、背負ったかごをそのままにタソガレドキ城まで急ぐのだった。





暗い森の中。
生い茂る葉のすき間からは、大きな天守閣がチラッとのぞく。

「待たせましたな、土井先生! じゃなくて半子さんでしたか」

「大木先生。こんな時に冗談はやめて下さい……」

頭に手ぬぐいをかぶり、だいだい色の着物をまとった土井先生が茂みにひそんでいた。わしを見つけると、バツが悪そうに前髪をかき乾いた笑いを漏らした。

軽口もそこそこに、二人してさっと真面目な顔になる。土井先生が城の詳細が記された紙を広げた。小さな騒ぎを起こし、その混乱に乗じて助け出す作戦ということらしい。

「私が女中に、大木先生は……。カゴを背負われているので、野菜を届ける農家でいいですね」

「あぁ。ちょうど、この辺りの農家がタソガレドキへ野菜を届けにいくところでな。私は彼らに紛れて潜入する」

「矢羽音で合図をおくりますから」

「わかった」

草の陰から門を眺めると、綺麗な着物姿の女が連なって歩いている。

「さっそく、あの女中の列へ加わります。名前さんに近づいて上手く誘導しますね」

「私は天井裏から援護するとしよう」

互いにうなずき合うと、土井先生が駆け出していった。列の最後の方へしれっとくっ付いて、そのまま城内へと進んで行ったようだ。

遠くに見える立派な大手門を再び捉えると、草むらに身を潜めその時をじっと待っていた。



「よし、入れ!」

門番が許可書を確認して、荷車を引いた男達を次々に通していく。笠で顔を隠しさりげなく加わるが、この土で汚れた身なりのせいか怪しまれることはなかった。

……土井先生が城に入ってから、だいぶ遅れをとってしまったようだ。

石垣の近くにある茂みに隠れ、素早く忍装束に着替える。鉢巻きを締め直してから、うろつく使用人に見つからないよう城の内部へともぐり込んでいった。



ここは黄昏甚兵衛や側近がいる御殿。その天井裏に横たわる。

鉢巻きの端が、たらりと肩から落ちてくる。骨組みに体がぶつからないよう、細心の注意を払いつつ板に耳をつけた。


「こんな塩辛いもの、よくもこのわしに……!」
「……地下牢へ閉じ込めておけ……」

女や見張りの声に混じって、黄昏甚兵衛の大きい怒鳴り声が響く。板を少しずらして室内を確認すると、名前と女装した土井先生が男達に引かれて牢屋へ連れて行かれるところだった。雑渡昆奈門は頭を下げてから、部下に指示を出している。

自身も二人が連れられた場所へと急ぐ。地下牢で土井先生と落ちあい、なんとか名前を助け出さねばならない。城の内部が記された資料を、必死に思い起こした。





――日が暮れ始め、城内がだんだんと薄暗くなる。

「おい、しっかり歩け!」

板がミシミシ軋む音。
長い廊下を、引き摺られるようにして歩いていく。鎧を腹に巻いた見張りの男からは、動くたびにカシャカシャと金属のぶつかる音がする。

急勾配の階段をおり、さらに奥まった場所へ向かう。あたりは石壁にかわり、ぽつぽつ並んだかがり火が不気味に揺れていた。


どうしよう。
怖い男の人達に腕を引かれるまま石段を降りて、とうとう地下牢へ着いてしまった。冷んやりとした空気に包まれる。

……後ろにいる綺麗な女中さんは大丈夫だろうか?
私のせいで、彼女まで囚われてしまった。申し訳なさと悔しさに心が苦しくなる。

忍術学園のみんな、どうしているだろう。私がいなくなって、また心配をかけて……。ぐるぐると考えては、鼻の奥がつんと痛くなる。そのうち、目の前がぼやけて涙がこぼれそうになった。


「早く中へ入れ!」

背中を押され、よろけながら檻の中に倒れ込む。

カタンと鍵をかけられる瞬間。
ヒュルリという、風を切るような不思議な音が響く。口笛とはまた違うみたいだ。それに応えるように、どこからか同じような音が聞こえてきた。

その直後、向こうから男のうめき声が上がった。バタバタと不穏な物音と大きな怒号に、身体を縮こませ格子のすき間から様子をうかがう。

あの綺麗な女中さんが、着物の裾がはだけるのも構わず、鍵を持った見張りの股を思い切り蹴り上げた。

彼女がするりと縄を抜けた、その時。
懐から白い塊を取り出し、取り押さえようとした男たちに向かって投げつけていく。

反動で、頭に巻いた手ぬぐいがはらりと舞い落ちた。こげ茶色のボサボサ髪が露わになり、その姿にハッとする。地面にはころころとチョークが転がった。

やっぱり、土井先生だ……!

入り口から、騒ぎを聞きつけた見張りの男が槍を持って応戦してくる。女装した土井先生が突き刺す攻撃を難なくかわしていくと、後ろから黒い忍装束が音もなくあらわれた。すかさず、男の首元に手刀をうつ。

雅之助さん……!?
黒に身を包んでいるけれど、あの鉢巻きと茶色の髪は見間違えることはない。

さらに背後から襲い掛かろうと駆け寄ってきた男に、雅之助さんがシュッと手裏剣を放っていった。それは肩にグサリと突き刺さり、男は苦しそうに身悶えている。

地べたにひれ伏す男達を、腕組みをした土井先生と雅之助さんが満足そうに見下ろしていた。


「あの、えっと……あ、ありがとうございました!」

名前さん。料理、不味くしちゃってすまない」

「いえ、そんな……!」

「さあ、名前。わしと逃げるぞ!」

「は、はいっ」

「あとは私に任せてください」

「悪いですな、土井先生」

土井先生じゃなくて……。半子さんは乱れた着物と髪を整えて苦笑すると、素早く姿を消してしまった。ぼーっとしていると、雅之助さんにグッと腕を掴まれ牢屋から引っ張り出される。


倒れている男の人を避け、雅之助さんに支えられながら階段を登っていく。壁際に体をはりつけて隠れながら、格子戸のある部屋へと移動した。

雅之助さんは音を立てないように静かに戸を開き、外を確認してから鉤縄を固定していく。もうすっかり日が落ちて、暗くなっていた。

「ここから下へおりるぞ。落ちないように、しっかりわしに掴まっとれ」

「……はい」

「怖かったら、目をつぶっていろ。いいな?」

ぽんと頭を撫でられ、屈み込んで視線を合わせてくれる。そんな気遣いに少し恐怖心が薄れるような気がして、こくりと頷いた。

雅之助さんに抱えられ、するすると石垣の下へ降りていく。

体が落ちていく、その吸い込まれるような感覚がやっぱり怖くて手のひらにじわりと汗が滲んでくる。言われた通り固くまぶたを閉じ、目の前の黒い忍装束をきゅっと握りしめた。

少しの衝撃を感じて目を開ける。
そっと降ろされ雅之助さんを見つめると、鉤縄を巻き取りながら険しい表情で辺りをうかがっていた。

「……いくぞ」

人影もない静かな敷地を駆けぬけ、再び鉤縄を塀の外へ引っ掛ける。今度は背負われて囲いを登ると、もう一度、絶壁の石垣をくだっていく。


ストンと地面へ着地すると、少しの足音と人の声が聞こえる。お堀のようなそこは、水がない代わりに尖った竹やら罠が仕掛けられていた。

ひょいと抱えられ、反射的にぎゅっとしがみつく。

「危ないから、わしから離れるなよ」

「っ、はい! ……あの、追手が来たのでしょうか……?」

「そうかも知れん。急ごう」


月明かりが頼りなくあたりを照らすだけで、真っ暗闇の中。

お堀を抜け木々のすき間を駆けていく。
腕の中で揺られながら、雅之助さんの息遣いを感じる。振り落とされないように太い首に腕を巻きつけると、茶色の髪が顔に当たってむずがゆい。不安な気持ちを打ち消すように、その少し汗ばんだ胸元に顔をうずめた。





だいぶ城から離れた頃。
森の中に転がる大きな岩へ、ふたり並んで腰を下ろした。

「ここまで来れば、もう大丈夫だろう」

「迷惑かけて、ごめんなさい」

「お前のせいじゃない。気にするな」

「……あの、雅之助さん」

「なんだ?」

「その、忍装束はむかし……」

「どうだ! わしによく似合うだろ?」

「似合います、けど」

「だよなぁ!」

「……雅之助さんってば」

雅之助さんが忍びだったときのことを聞いてしまいそうになった。けれど、「よく似合うだろ?」なんて冗談で掻き消され言葉を飲み込む。

忍装束は本当に似合っていて、思わず見惚れてしまいそうだ。ほほがかあっと熱くなって、恥ずかしさに顔をおおう。


名前さんに大木先生!」

「土井先生っ……!」

少し離れたところから、こちらに呼びかける声が聞こえてくる。着物ではなく、いつもの忍装束姿を捉えると、たまらず駆け寄り抱きついた。

「あの後、大変でしたなあ!」

「えぇ。ですが、雑渡昆奈門も面倒事を避けたかったのでしょう。特に、危険なことはなく終わりました」

「先生……」

名前さん。君が無事で良かったよ」

雅之助さんに土井先生に……。危険な目に巻き込んでしまって、それなのに必死に助け出してくれて。気持ちが溢れ出すように、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。

うつむく頭に優しく手を置かれ、するりと髪をすかれる。

「さあ、学園に帰ろうか」

「三人で、一緒にっ」

「そうだな!」

雅之助さんと土井先生の間に挟まって、たくましい腕を両わきに抱える。



星空の下。三人並んで、ゆっくりと学園へ向かっていく。

「土井先生の半子さん、とっても綺麗だったのに。着替えちゃったんですね」

「いや、あれは仕方なく……!」

「もっと見たかったなー、なんて?」

「土井先生、よくお似合いでしたな!」

「大木先生まで……」

歯切れの悪い土井先生にくすっとする。緊張感が解けたからか、ぐぐーっとお腹から大きな音が鳴った。

「えへへ。ご飯食べてないから、お腹空いちゃいましたっ」

「食事どころでは無かったからね」

「戻ったら、なにか作りますよ」

「お前、疲れてるだろうに」

「大丈夫です! そうだなあ……温かいおうどんはいかがですか?」

涙のせいでぐずつく鼻をすすりながら、二人の顔を交互に見上げてほほ笑む。

今日は、怖かったのに……。なぜかそれだけではない不思議な日だった。まさか、雅之助さんの忍装束姿と土井先生の半子さんが見られるなんて。

みんなで笑い合うとなんだか可笑しくて、くすぐったい。この気持ちを胸の中に閉じ込めるように、抱きしめた腕に力を込めた。


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