第12話 きみと特別授業
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大きな半鐘が吊るされている櫓から、澄み渡った空を眺めている。
……はぁ。
太陽が高い位置からさんさんと輝き汗ばむほどだ。そんな日差しをもろともせず、小鳥たちがピィピィ鳴きながら円を描いて飛んでいく。
中庭では二年生が実技の授業をしているのだろうか。青い制服の子たちが的に向かって手裏剣を打っている。野村先生がその様子を後方から確認して、指示を出していた。
……みんな、がんばってるなぁ。
時折りザッと吹き込む風に、くよくよしている気持ちまで吹き飛ばしてくれれば良いのに……なんてため息をつく。
「ヘムヘムー!ヘム!ヘムー!」
「……ありがとう、ヘムヘム」
言葉は分からないけれど、きっと頑張れと励ましてくれているのだと思う。落ち込んでトボトボ廊下を歩いていた私を、ヘムヘムが櫓へと連れてきてくれたのだった。
――それは、午前中に遡る。朝食のお手伝いが終わったあとのこと。
いつもの通り事務室へ向かい吉野先生に仕事の指示を仰ぐと、学園長先生の手紙をいくつかの城主に送るとのことで、宛名書きを頼まれたのだ。
「名前さんなら、丁寧な仕事ぶりですから。安心してお任せできます」
吉野先生は騙し絵のような顔をにこにこさせて、宛名の一覧と封書の束を手渡してくる。
「あの、小松田さんは……?」
「小松田くんは、トイレットペーパーの補充をしていますよ」
「そうなのですか……」
「では、よろしく頼みますね」
あの、吉野先生!と言いかけると同時に、戸に手をかけて部屋を出て行ってしまった。
……どうしよう。
毛筆は使い慣れてないし、入門表にサインした時のことが頭をよぎる。
いらない紙をかき集め、練習してから清書しよう!と意気込み筆をとった。
………ぽた。
墨汁の含み加減をうまく調節できない。紙の上には、細かったり太かったり、文字の大きさがまちまちだ。とめはねの力加減も難しく、子どもの書いたような文字になってしまっている。
早く終わらせて食堂のお手伝いに行かなきゃと言う焦りと、上手く書けなかったら……と言う不安で押しつぶされそうだ。
ここは、どこんじょー!で書くしかない。
……プルプルと緊張で震える筆先を、ゆっくりと清書用の紙に落としていった。
全ての宛名を書き終え、墨汁が乾くように床に並べていく。期待に応えられないとは、こんなに惨めな気持ちになるのか……なんて泣きたくなってくる。
頑張ってなんとか書いてみたけれど……。吉野先生の期待には応えられないかもしれない。
どんよりした気持ちでぱたぱと乾かしていると、カタッという音と共に吉野先生が戻ってきた。
「さすが、名前さん。もう書き終えたんですね、お疲れ様です」
どれどれ?と床に置かれた封書を眺めている。もう私は生きた心地がせず、身体を小さくして立ちすくんでしまった。
「吉野先生、申し訳ありません!その、文字が上手に書けなくって……」
「こ、これは……名前さん?」
「すみません、筆を使うことに慣れていなくて……。先にお伝えすべきでした」
やっぱり、吉野先生が困惑していた。
申し訳なくてバッと頭を下げる。
恐る恐る顔を上げると吉野先生は顔をひきつらせて、私がなんとかしますと床の封書を拾い上げていった。
「知らずに頼んでしまって申し訳ないですね。食堂のお手伝いがあるでしょうから、行ってきなさい」
「……はいっ」
そう言われて、もう一度深く頭を下げると逃げるように食堂へ向かった。
いつもはニコニコとカウンターから定食を渡して、みんなと一言二言ことばを交わすのに、今日は力なく手渡すのに精一杯だ。
お手伝いが一段落してとぼとぼ中庭を歩いていると、私の様子を気にしたヘムヘムが櫓へと連れてきてくれて……
今に至るのだった。
――中庭の忍たま達が、実技で使った手裏剣や道具を片付け始めた。もうそろそろ今日の授業が終わるのだろうか。
するとヘムヘムが紐にぶら下がり、勢いよく半鐘に頭から突っ込んでいった。
「え、大丈夫!?」
「ヘームヘムヘムヘム!」
ヘムヘムは満足そうな顔をして親指を立てる。
怪我しなくて良かった!と小さな頭を撫でると嬉しそうに笑っていて。その笑顔につられて、落ち込んだ気分が少し和らぐ。
気持ちもスッキリしたし、筆の練習用に図書室で手本になる本を借りてこようかと図書室へ向かう。
まだまだ学園内の場所が分かっていないため、途中までヘムヘムが案内してくれる。なんてお利口な忍犬だろう!と別れ際にぎゅっと抱きしめた。
――カタン
そっと戸を引き、図書室へと足を踏み入れる。
静かな室内はたくさんの本棚が並べられていて、その中には書物がきれいに置かれていた。
これはきっと、図書委員会のみんなが頑張って整理したんだ。巻物の表紙を愛おしく指でなぞっていく。
……簡単な文字が書いてある本を聞いてみようか。壁際に座る、しかめっ面の六年生にこっそり近づいた。
「長次くん、実は文字を書くのが苦手で。写して練習できるような、簡単な本あるかな?」
「……もそ」
ゆっくり立ち上がり、少し意外だなという顔をしてから読みやすそうな本をいつくか選んでくれた。
「ありがとう!じゃあ、この本をお願いします」
和歌が書かれた易しいもの。
長次くんは、「頑張ってください」とぼそり優しくつぶやいた。
貸出票と自分の図書カードに恥ずかしながら記入し、手渡してから自室へと戻る。
*
――カーン…
同じ頃、半鐘の音が鳴り響く。
「本日の授業はこれまで!」
そう言って教科書を閉じると、乱太郎きり丸しんべヱが片付けもそこそこに駆けよってきた。
「土井先生!なんだか、名前さんの様子が変なんです!」
「名前さん、お腹空いてるのかなぁ?」
「違うだろしんべヱ。土井先生は、何か知ってます?」
……たしかに、今日の名前さんは元気がなかった。
いつも、にこにこして定食を手渡したり、時に真剣な顔で大量の書類を運んだり……。今日は、しょんぼりして元気がないように見えたのは私だけではなかったのか。
「そうか。名前さんに会ったら、訳を聞いてみよう。お前たちは、はやく教科書を片付けなさい」
「「「はーい……」」」
安心させるように三人にそう言うと、少し納得のいかないと言う顔で片付けを始めた。
……名前さんに、何かあったのだろうか。
お手伝いがすごく大変で辛いのか。休日も庭を掃除したり、忍たま達の世話を焼いたり、医務室でもお手伝いしているようだし……。今度、気分転換に街へ連れて行ってあげようか。
やはり、元の世界が恋しいのか。
……いや。大木先生に会えなくて寂しいからか。そんな理由が頭をよぎり、チクリと胸の奥が痛む。
考え込んで廊下を歩いていたから、誰かとぶつかりそうになる。すんでのところで足を止めると、下を向いて歩いていた名前さんがよろめいた。
「うわっ、すみません!」
「わぁ!こちらこそ、先生に気付かず……」
名前さんは、ぎゅっと本を胸に抱えながら頭を下げた。頭巾は被っておらず、絹のような髪がさらさらこぼれ落ちドキリと心臓がはねる。
「本を借りたんですか?」
「あの、実は……。文字がうまく書けなくて、練習用に借りたんです」
何を読むんだろうと気になってつい聞いてしまったけれど、もじもじと答える姿がなんともいじらしい。
「もしかして、今日元気なさそうに見えたのも……関係あります?」
「……はい。さすが土井先生、なんでもお見通しですね」
無関係ではなさそうでズバリ質問してみると当たっていたようだ。ひとまず、大木先生のことで落ち込んでいる訳ではないと分かりホッとする。
ここでは何ですから……と、自室へ連れて行く。山田先生は明日の実技の準備で出かけているから二人きりだ。
……考えだすとそわそわしてしまう。
名前さんを部屋の奥に座らせ、改めて話を聞く。
「吉野先生に、学園長先生のお手紙の宛名書きを頼まれたのです。なのに上手く書けなくて。その出来に、失望させてしまったのが申し訳なくって……」
「そんな事があったんですね」
「……ご迷惑をおかけしちゃいました」
……そうだったのか。そんな悩みがあったなんて思いも寄らなかった。丁寧な仕事ぶりに似合わない弱点が、さらに彼女への気持ちを強めていく。
「名前さん。苦手なことは誰でもありますから、そんなに落ち込まないでください。よろしければ、私が筆の使い方を教えましょうか?」
「え、土井先生に教えていただけるんですか!でも、お忙しいのにご面倒を……」
迷惑ではない、ぜひ力になりたいと伝えて、戸惑う彼女に半ば無理やり教えることになった。
「土井先生、よろしくお願いします……!」
少し緊張している名前さんを文机の前に座らせて、筆を握らせた。
その手を優しく包むように握り、覆い被さるようグッと体を密着させる。自分の心臓の音が伝わってしまうくらい、彼女を近くに感じる。
筆を動かすたび触れ合う腕の感触に、ふわりと漂う彼女の甘い香りに。もっと……と身体を押し付けてしまいたくなる。
文字の練習なんて言って、そんな事ばかり考えて……彼女にバレていないだろうか。
「このくらい、筆に墨汁を含ませて……」
「力加減は、軽くて大丈夫です。ここは……」
名前さんは逃げることもできず耳を赤くしながら、小さくはい……と返事をする。その恥ずかしがる様子がさらに悪戯心を煽っていく。
「……もう一度、最初からやりましょうか?」
彼女の耳元に唇をよせて囁くと、さらに顔を真っ赤にしてこくこくと頷いている。
そんなやり取りを続けたあと、名前さん一人で書いてみたり。隣に座ってぼんやり眺めると、最初よりは上達したようだ。未だ顔を赤くしながらも満足そうにほほえんでいる。
「土井先生、ありがとうございました!コツが掴めた気がします」
「それは良かったです。またいつでも教えますよ?」
「っ!……えっと」
少しからかってクツクツ笑うと、動揺して慌てている姿が可愛い。
「団蔵も文字を書くのが苦手なので、一緒に練習してあげたら喜ぶと思います」
「そうなんですねっ。今度声をかけてみます!」
「……名前さんが落ち込んでいるのは、大木先生に会えないからかと思いましたよ」
そう苦笑しながら頭を掻くと、彼女は少し驚いた顔をしていた。
――カタッ
「半助、入るぞ。お、名前くんもいるのか」
山田先生が部屋に戻ってきたので、かくかくしかじか説明する。
「そうかぁ。そんな事があったんだな。まあ、無理せず練習したらいい」
「山田先生、ありがとうございます!」
「煮詰まったら、伝子さんと街へ出かけたらどうだ」
「わあ!それ、良いですね!」
目を輝かせて喜ぶ名前さんを横目で見つつ、半子さんも!と言われないかヒヤヒヤしていた。
*
――空が赤く染まって、食堂から夕食のいい匂いが漂うころ。
「昼間は元気がなさそうで心配したわよ」
「えへへ、ご心配おかけしてすみません」
腕まくりをして、野菜の皮をむいたりトントンと切っていく。テキパキと作業を進めながら、合間をぬっておばちゃんと言葉を交わす。
ヘムヘムにも励ましてもらったし、土井先生にみっちり指導してもらってだいぶ元気が出てきた。
正直、ドキドキして頭は真っ白だったけれど。
雅之助さんに会えなくて落ち込んでると思われてたなんて。土井先生は、私と雅之助さんが何か特別な関係だと思ってるのだろうか……?
それなのに、土井先生はよく私に触れてくる気がする。前はケガの治療で、今日は筆の特訓だし……。
純粋に私のためを思ってのことだったら、私は何てこと考えてるんだろう。
雅之助さん……。
寂しくないと言ったら嘘になる。
すぐ会いにきてくれるって言ったのに……というなじる気持ちと、成長した姿を褒めて欲しい気持ちと。学園では大木先生って言った方が良いのかな……?
あれこれ悩んでいると、忍たま達が食堂に入ってきて一気に賑やかになる。
よしっ!と気合を入れて、カウンターへと向かった。
「名前さん、もう元気になったのですね!」
「ご飯いっぱい食べたから元気になったの〜?」
「違うってば、しんべヱ。おれたち心配してたんっすよ!」
三人に一気に話しかけられて、その勢いに圧倒されてしまった。心配してくれてたなんて、嬉しくって涙が出そうだ。
「ありがとう!心配させちゃってごめんね」
「土井先生も心配してましたけど……」
「そ、そうなんだ!」
きり丸くんがそんなことを言うからか、先程のことを思い出して顔が熱くなる。なんとか照れを隠していると、土井先生がやってきた。
「土井先生ー!名前さん、元気になったみたいっすよ!」
「え!あ、あぁ。良かったよかった」
土井先生も顔が赤い?気がする。
そんな私たちを、三人は不思議そうに見ているのだった。
……はぁ。
太陽が高い位置からさんさんと輝き汗ばむほどだ。そんな日差しをもろともせず、小鳥たちがピィピィ鳴きながら円を描いて飛んでいく。
中庭では二年生が実技の授業をしているのだろうか。青い制服の子たちが的に向かって手裏剣を打っている。野村先生がその様子を後方から確認して、指示を出していた。
……みんな、がんばってるなぁ。
時折りザッと吹き込む風に、くよくよしている気持ちまで吹き飛ばしてくれれば良いのに……なんてため息をつく。
「ヘムヘムー!ヘム!ヘムー!」
「……ありがとう、ヘムヘム」
言葉は分からないけれど、きっと頑張れと励ましてくれているのだと思う。落ち込んでトボトボ廊下を歩いていた私を、ヘムヘムが櫓へと連れてきてくれたのだった。
――それは、午前中に遡る。朝食のお手伝いが終わったあとのこと。
いつもの通り事務室へ向かい吉野先生に仕事の指示を仰ぐと、学園長先生の手紙をいくつかの城主に送るとのことで、宛名書きを頼まれたのだ。
「名前さんなら、丁寧な仕事ぶりですから。安心してお任せできます」
吉野先生は騙し絵のような顔をにこにこさせて、宛名の一覧と封書の束を手渡してくる。
「あの、小松田さんは……?」
「小松田くんは、トイレットペーパーの補充をしていますよ」
「そうなのですか……」
「では、よろしく頼みますね」
あの、吉野先生!と言いかけると同時に、戸に手をかけて部屋を出て行ってしまった。
……どうしよう。
毛筆は使い慣れてないし、入門表にサインした時のことが頭をよぎる。
いらない紙をかき集め、練習してから清書しよう!と意気込み筆をとった。
………ぽた。
墨汁の含み加減をうまく調節できない。紙の上には、細かったり太かったり、文字の大きさがまちまちだ。とめはねの力加減も難しく、子どもの書いたような文字になってしまっている。
早く終わらせて食堂のお手伝いに行かなきゃと言う焦りと、上手く書けなかったら……と言う不安で押しつぶされそうだ。
ここは、どこんじょー!で書くしかない。
……プルプルと緊張で震える筆先を、ゆっくりと清書用の紙に落としていった。
全ての宛名を書き終え、墨汁が乾くように床に並べていく。期待に応えられないとは、こんなに惨めな気持ちになるのか……なんて泣きたくなってくる。
頑張ってなんとか書いてみたけれど……。吉野先生の期待には応えられないかもしれない。
どんよりした気持ちでぱたぱと乾かしていると、カタッという音と共に吉野先生が戻ってきた。
「さすが、名前さん。もう書き終えたんですね、お疲れ様です」
どれどれ?と床に置かれた封書を眺めている。もう私は生きた心地がせず、身体を小さくして立ちすくんでしまった。
「吉野先生、申し訳ありません!その、文字が上手に書けなくって……」
「こ、これは……名前さん?」
「すみません、筆を使うことに慣れていなくて……。先にお伝えすべきでした」
やっぱり、吉野先生が困惑していた。
申し訳なくてバッと頭を下げる。
恐る恐る顔を上げると吉野先生は顔をひきつらせて、私がなんとかしますと床の封書を拾い上げていった。
「知らずに頼んでしまって申し訳ないですね。食堂のお手伝いがあるでしょうから、行ってきなさい」
「……はいっ」
そう言われて、もう一度深く頭を下げると逃げるように食堂へ向かった。
いつもはニコニコとカウンターから定食を渡して、みんなと一言二言ことばを交わすのに、今日は力なく手渡すのに精一杯だ。
お手伝いが一段落してとぼとぼ中庭を歩いていると、私の様子を気にしたヘムヘムが櫓へと連れてきてくれて……
今に至るのだった。
――中庭の忍たま達が、実技で使った手裏剣や道具を片付け始めた。もうそろそろ今日の授業が終わるのだろうか。
するとヘムヘムが紐にぶら下がり、勢いよく半鐘に頭から突っ込んでいった。
「え、大丈夫!?」
「ヘームヘムヘムヘム!」
ヘムヘムは満足そうな顔をして親指を立てる。
怪我しなくて良かった!と小さな頭を撫でると嬉しそうに笑っていて。その笑顔につられて、落ち込んだ気分が少し和らぐ。
気持ちもスッキリしたし、筆の練習用に図書室で手本になる本を借りてこようかと図書室へ向かう。
まだまだ学園内の場所が分かっていないため、途中までヘムヘムが案内してくれる。なんてお利口な忍犬だろう!と別れ際にぎゅっと抱きしめた。
――カタン
そっと戸を引き、図書室へと足を踏み入れる。
静かな室内はたくさんの本棚が並べられていて、その中には書物がきれいに置かれていた。
これはきっと、図書委員会のみんなが頑張って整理したんだ。巻物の表紙を愛おしく指でなぞっていく。
……簡単な文字が書いてある本を聞いてみようか。壁際に座る、しかめっ面の六年生にこっそり近づいた。
「長次くん、実は文字を書くのが苦手で。写して練習できるような、簡単な本あるかな?」
「……もそ」
ゆっくり立ち上がり、少し意外だなという顔をしてから読みやすそうな本をいつくか選んでくれた。
「ありがとう!じゃあ、この本をお願いします」
和歌が書かれた易しいもの。
長次くんは、「頑張ってください」とぼそり優しくつぶやいた。
貸出票と自分の図書カードに恥ずかしながら記入し、手渡してから自室へと戻る。
*
――カーン…
同じ頃、半鐘の音が鳴り響く。
「本日の授業はこれまで!」
そう言って教科書を閉じると、乱太郎きり丸しんべヱが片付けもそこそこに駆けよってきた。
「土井先生!なんだか、名前さんの様子が変なんです!」
「名前さん、お腹空いてるのかなぁ?」
「違うだろしんべヱ。土井先生は、何か知ってます?」
……たしかに、今日の名前さんは元気がなかった。
いつも、にこにこして定食を手渡したり、時に真剣な顔で大量の書類を運んだり……。今日は、しょんぼりして元気がないように見えたのは私だけではなかったのか。
「そうか。名前さんに会ったら、訳を聞いてみよう。お前たちは、はやく教科書を片付けなさい」
「「「はーい……」」」
安心させるように三人にそう言うと、少し納得のいかないと言う顔で片付けを始めた。
……名前さんに、何かあったのだろうか。
お手伝いがすごく大変で辛いのか。休日も庭を掃除したり、忍たま達の世話を焼いたり、医務室でもお手伝いしているようだし……。今度、気分転換に街へ連れて行ってあげようか。
やはり、元の世界が恋しいのか。
……いや。大木先生に会えなくて寂しいからか。そんな理由が頭をよぎり、チクリと胸の奥が痛む。
考え込んで廊下を歩いていたから、誰かとぶつかりそうになる。すんでのところで足を止めると、下を向いて歩いていた名前さんがよろめいた。
「うわっ、すみません!」
「わぁ!こちらこそ、先生に気付かず……」
名前さんは、ぎゅっと本を胸に抱えながら頭を下げた。頭巾は被っておらず、絹のような髪がさらさらこぼれ落ちドキリと心臓がはねる。
「本を借りたんですか?」
「あの、実は……。文字がうまく書けなくて、練習用に借りたんです」
何を読むんだろうと気になってつい聞いてしまったけれど、もじもじと答える姿がなんともいじらしい。
「もしかして、今日元気なさそうに見えたのも……関係あります?」
「……はい。さすが土井先生、なんでもお見通しですね」
無関係ではなさそうでズバリ質問してみると当たっていたようだ。ひとまず、大木先生のことで落ち込んでいる訳ではないと分かりホッとする。
ここでは何ですから……と、自室へ連れて行く。山田先生は明日の実技の準備で出かけているから二人きりだ。
……考えだすとそわそわしてしまう。
名前さんを部屋の奥に座らせ、改めて話を聞く。
「吉野先生に、学園長先生のお手紙の宛名書きを頼まれたのです。なのに上手く書けなくて。その出来に、失望させてしまったのが申し訳なくって……」
「そんな事があったんですね」
「……ご迷惑をおかけしちゃいました」
……そうだったのか。そんな悩みがあったなんて思いも寄らなかった。丁寧な仕事ぶりに似合わない弱点が、さらに彼女への気持ちを強めていく。
「名前さん。苦手なことは誰でもありますから、そんなに落ち込まないでください。よろしければ、私が筆の使い方を教えましょうか?」
「え、土井先生に教えていただけるんですか!でも、お忙しいのにご面倒を……」
迷惑ではない、ぜひ力になりたいと伝えて、戸惑う彼女に半ば無理やり教えることになった。
「土井先生、よろしくお願いします……!」
少し緊張している名前さんを文机の前に座らせて、筆を握らせた。
その手を優しく包むように握り、覆い被さるようグッと体を密着させる。自分の心臓の音が伝わってしまうくらい、彼女を近くに感じる。
筆を動かすたび触れ合う腕の感触に、ふわりと漂う彼女の甘い香りに。もっと……と身体を押し付けてしまいたくなる。
文字の練習なんて言って、そんな事ばかり考えて……彼女にバレていないだろうか。
「このくらい、筆に墨汁を含ませて……」
「力加減は、軽くて大丈夫です。ここは……」
名前さんは逃げることもできず耳を赤くしながら、小さくはい……と返事をする。その恥ずかしがる様子がさらに悪戯心を煽っていく。
「……もう一度、最初からやりましょうか?」
彼女の耳元に唇をよせて囁くと、さらに顔を真っ赤にしてこくこくと頷いている。
そんなやり取りを続けたあと、名前さん一人で書いてみたり。隣に座ってぼんやり眺めると、最初よりは上達したようだ。未だ顔を赤くしながらも満足そうにほほえんでいる。
「土井先生、ありがとうございました!コツが掴めた気がします」
「それは良かったです。またいつでも教えますよ?」
「っ!……えっと」
少しからかってクツクツ笑うと、動揺して慌てている姿が可愛い。
「団蔵も文字を書くのが苦手なので、一緒に練習してあげたら喜ぶと思います」
「そうなんですねっ。今度声をかけてみます!」
「……名前さんが落ち込んでいるのは、大木先生に会えないからかと思いましたよ」
そう苦笑しながら頭を掻くと、彼女は少し驚いた顔をしていた。
――カタッ
「半助、入るぞ。お、名前くんもいるのか」
山田先生が部屋に戻ってきたので、かくかくしかじか説明する。
「そうかぁ。そんな事があったんだな。まあ、無理せず練習したらいい」
「山田先生、ありがとうございます!」
「煮詰まったら、伝子さんと街へ出かけたらどうだ」
「わあ!それ、良いですね!」
目を輝かせて喜ぶ名前さんを横目で見つつ、半子さんも!と言われないかヒヤヒヤしていた。
*
――空が赤く染まって、食堂から夕食のいい匂いが漂うころ。
「昼間は元気がなさそうで心配したわよ」
「えへへ、ご心配おかけしてすみません」
腕まくりをして、野菜の皮をむいたりトントンと切っていく。テキパキと作業を進めながら、合間をぬっておばちゃんと言葉を交わす。
ヘムヘムにも励ましてもらったし、土井先生にみっちり指導してもらってだいぶ元気が出てきた。
正直、ドキドキして頭は真っ白だったけれど。
雅之助さんに会えなくて落ち込んでると思われてたなんて。土井先生は、私と雅之助さんが何か特別な関係だと思ってるのだろうか……?
それなのに、土井先生はよく私に触れてくる気がする。前はケガの治療で、今日は筆の特訓だし……。
純粋に私のためを思ってのことだったら、私は何てこと考えてるんだろう。
雅之助さん……。
寂しくないと言ったら嘘になる。
すぐ会いにきてくれるって言ったのに……というなじる気持ちと、成長した姿を褒めて欲しい気持ちと。学園では大木先生って言った方が良いのかな……?
あれこれ悩んでいると、忍たま達が食堂に入ってきて一気に賑やかになる。
よしっ!と気合を入れて、カウンターへと向かった。
「名前さん、もう元気になったのですね!」
「ご飯いっぱい食べたから元気になったの〜?」
「違うってば、しんべヱ。おれたち心配してたんっすよ!」
三人に一気に話しかけられて、その勢いに圧倒されてしまった。心配してくれてたなんて、嬉しくって涙が出そうだ。
「ありがとう!心配させちゃってごめんね」
「土井先生も心配してましたけど……」
「そ、そうなんだ!」
きり丸くんがそんなことを言うからか、先程のことを思い出して顔が熱くなる。なんとか照れを隠していると、土井先生がやってきた。
「土井先生ー!名前さん、元気になったみたいっすよ!」
「え!あ、あぁ。良かったよかった」
土井先生も顔が赤い?気がする。
そんな私たちを、三人は不思議そうに見ているのだった。