第46話 タソガレドキと秘密の姿(前編)
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早朝。
空は金色に澄みわたって、凍える風を吹かせていた。先日降った雪がそこかしこに積もり、朝焼けが白い塊を鮮やかに染めている。
忍術学園の土塀から少し離れた木に登り、校内をうかがっていた。
「組頭……! 本当に名前さんはここに来るんでしょうか?」
「今に分かるさ」
声のする方に視線だけを向ける。木の下から、眉をしかめた尊奈門がいぶかしげに私を見上げていた。風が吹くたび、暗褐色の忍装束に空気が入りふわりとなびく。
この時間は……。学園で雑務をしたり食堂で働いている、名前という娘が現れるはずだ。彼女はいつも、少しの米を手に勝手口ですずめに餌をやるのが日課となっている。そのことはもちろん把握済みだった。
こうして学園に来たのは、殿からの命令があったからだ。
……街でうわさの占い師に会いたい、と。
タソガレ城の今後が気になるのか、殿は占い師とやらに興味津々だった。ドクタケも興味を示しているようだから先手を打ったのだ。
ただ、名前と呼ばれる女の素性について全く情報がない。急に現れて、忍術学園に住み込みで働いている。
「……来たぞ、尊奈門」
パタパタと勝手口から現れたその姿は、珍しく藤色の着物を着ている。髪は肩くらいで、うわさ通り鉢巻きを締めていた。
名前は茂みのそばにしゃがみ込むと、パラパラと米を撒いては何か話しかけている。小鳥のさえずりが僅かに聞こえ、徐々にたくさん彼女の周りに集まってくる。
休日なのに律儀なことだ。
木の枝から土塀の屋根へと飛びうつる。
「名前ちゃん。おはよう」
「ざ、雑渡こなもんさん……!?」
「昆奈門ね」
「すみません……!」
「すずめ達、ずいぶんと君に懐いてるねぇ」
「えぇ、まあ。って、あの! ……なんで朝早くから学園にいらしたのですか?」
「それなんだけどね。これ、見てくれるかな? ……あぁ、ここからじゃ見られないね」
彼女は餌やりを中断してこちらに駆け寄り、上を見つめてくる。不思議そうな、ぽかんとした顔で警戒心のない様子だ。
「道ばたで怪我したすずめを見つけてね。伊作くんに診てもらおうかと思ったんだよ」
「えっ! 大丈夫かなぁ」
彼女のもとへ飛び降りると少しの土ぼこりが舞った。あたかも手のひらに鳥を包み込むように振る舞うと、名前は心配そうにそれを見つめる。
そんな彼女にニヤリと笑みを向ける。視線がぶつかり、「ひぃっ……」と驚く小さな体を担ぐと、抵抗するかのように足をバタつかせた。それを無視してかぎ縄をたぐり、土塀を登っていく。
塀のてっぺんに着くと、ゆっくり降ろしてやる。呆気にとられ口を開いたまま、彼女は何も言えなくなっているようだ。
「ざ、雑渡さん……?!」
「まだ、学園内だよね?」
「そ、そうですけど! あの、怪我したすずめは……?」
「悪いね、嘘なの。……尊奈門、行くぞ」
校内に矢文を投げ入れると同時に、彼女を抱えながら尊奈門のもとへ飛び降りる。手足や口をふさぎ麻袋に入れると、尊奈門がうごめく塊りを肩に担いだ。
「んんーっ! ……んー!」
「名前ちゃん、ちょっと静かにしててね」
「あのー、組頭。手荒なマネをして大丈夫だったんでしょうか……?」
「仕方がない、殿の命令だ。心配性な先生たちに、書き置きもしたし。べつに、傷付けるつもりはないからねぇ」
彼女の耳に届くよう、少し大きな声で話す。うめくような声が聞こえた気がしたが、かまわず城へと駆けていった。
*
「昆奈門に尊奈門。ご苦労だった」
タソガレドキ城、御殿。
黄昏甚兵衛様が座敷の奥にあぐらをかき、ひじ当てに体を預けながら満足そうにあごをさすっている。相変わらずの派手な南蛮衣装が、その存在感を放っていた。
尊奈門と並び、殿から少し離れた場所にひざまずくと頭を下げる。
念のため、名前の持ち物や武器を忍ばせていないか調べるも特段怪しいものは出てこなかった。くのいちでは無いと分かり、拘束していた縄を解いてやる。ぐいっと彼女の腕をつかみ、殿の前へと引っ張っていった。
「この娘が、街でうわさになっている占い師です。手相というものを見るようですが」
「昆奈門さん! あの、私は……!」
「名前……と。そう名乗ろうとしたんだね?」
殿の前で反論しようとするから、ギロリと牽制する。彼女は落ち着かない様子で辺りを見まわし、その白い手をぎゅっと握りしめていた。部屋の出入り口は忍びで固められ、小娘一人では到底逃げ出せない。
「……ほう。そんなに怖がらなくて良い。ぜひ我がタソガレドキの未来を占ってほしいのだ。どうしたら戦を優位に進められる?」
「そ、そんなこと……!」
「さあさあ、こちらへ。手相を見るといったな? こうすれば良いか? ……ほれ」
彼女はとまどいながら殿の方へそろりと歩いていく。ぎこちなく正座をして、差し出された手を見つめたまま動かない。
「本当に、占い師なんかではなくてっ! 私、違うんです! どうして、こんなことに……」
「もったいぶるでない。褒美はやるぞ」
「褒美なんて……! 占いもよく分からないし、できたとしても戦の手助けなんかしません!」
「おい、昆奈門。どういうことだ!?」
「……頑固な娘で申し訳ございません」
「まったく、とんだ小娘を連れてきおって……!」
深く頭を下げながら、想定よりも正義感の強い女で感心する。……学園で働くだけはあるが。尊奈門は目を白黒させて動揺している。
「もうよい! この私への散々の無礼……ひっ捕えろ!」
「……殿。この娘、忍術学園で食堂の手伝いをしておりました。このまま斬り捨てるより、我が城の女中として利用してはいかがでしょうか」
「以前、城内で美味しいと評判になったおでんを作ったのが、名前さんなのです……!」
「そ、尊奈門さんっ!?」
「……うむ。そこまで言うのなら、作らせてみようじゃないか」
再び細い腕をつかみ上げ、見張りを端に下げさせると料理番のいる部屋へと連れていく。殿のご要望通りに動いたまで。街のうわさに踊らされるなど、くだらないとは思うが仕方がない。
飯で殿のご機嫌を取り、学園に借りを作りたく無いとか言って、そのまま彼女を解放すれば済む。これ以上面倒ごとになったら厄介だな、とため息をついた。
*
「大人しくしているんだよ、名前ちゃん」
広い城内を、腕を引かれるまま歩いて行く。途中、昆奈門さんがチラリと天井を確認して、再び足を進めていった。
医務室で見かけた、伏木蔵くんと戯れる姿とは違って、今の昆奈門さんに話しかけることは到底できなかった。
すずめの餌やりをしていたら突然連れ出されて……。何が起こっているのか、混乱しているからか頭が働かない。
傷つけはしないと言っていたけれど……。あんなに荒っぽく扱われては、怖くて怖くて信用できない。尊奈門さんは困ったように眉を下げて、立場上従うしかないようだった。
……あのうわさが、こんな事になるなんて。きっと今ごろ、先生たちはとても心配しているだろう。申し訳なさに胸が押し潰されそうだ。
調理場まで連れて行かれると、鍋の熱気や香り、人々の掛け声が飛びかう。広い板の間には、手ぬぐいを頭に巻きトントンと野菜を刻む女性。それから、大きな鍋をかき混ぜる料理番のような男性が忙しなく働いていた。
「忙しいところ悪いが、彼女に殿の料理を作らせる事になった」
「組頭、お言葉ですが……!」
「料理番として、言いたい事があるのは承知している。すまないが、頼むよ」
短いマゲのおじさんに向かって、昆奈門さんが重くつぶやいた。料理番のその人は、苦虫を噛み潰したような顔でうなずいている。
「あ、言い忘れた。好評だったおでんを作った子だよ」
「ああ、あのおでんの……!」
「尊奈門、お前はここに残って見張りだ」
「組頭、承知しました!」
料理場のみんなが興味津々で私を見つめ、ヒソヒソ話し始めた。やっぱり、食堂のおばちゃんの味付けってすごい。
料理番の男性にうながされ、お殿様用の料理を一緒に調理する。偉い人の食事は、大きな白身魚や干した珍味など、目がくらむ様な豪華なものだった。
切り方や味付け、火の入れ方まで……おばちゃんから習った通りに進めていく。
最初は良く思ってくれなかった料理番も、私の手つきを見て少し打ち解けてくれた気がした。かまどでお米を炊いている女性たちも、合間をみて話しかけてくれる。
そんななか、女中さんの中にすらりと背の高く、こげ茶色の髪が印象的なお姉さんがひときわ目を引いた。私のことを特に気にかけてくれ、つい心を許しそうになる。
だいだい色の紅とクリっとした大きな瞳に……。目が合うたび、ドキリと心臓が跳ねる。あの着物、どこかでみたような気がするけれど……。
尊奈門さんも心配してくれて、少し気持ちが落ち着いてきた。
「出来ましたっ!」
「ご苦労。尊奈門、味見してみたらどうだ?」
「いいんですか!? ……では」
無事に料理を作り終え料理番に報告すると、煮物を小皿にうつし尊奈門さんに手渡した。嬉しさを抑えきれない顔で、ぱくりと口に運んでいる。
「……どうです?」
「うんっ、名前さん。美味しいです!」
「わぁ、よかった……!」
「おかわりしません?」
綺麗な女中さんが尊奈門さんに尋ねるや否や、煮物を皿によそっていく。何かをふりかけ、否定を許さないかのような満面の笑みで皿を差し出した。
「ああ、どうもすみませんっ」
「いいえ、お気になさらず」
尊奈門さんは口に含んでもぐもぐしている。その顔が徐々に赤くなって……まん丸の目がさらに大きく見開かれ、苦しそうに咳きこみ始めた。
「ごほっ、おいっ! なっ、な、何をっ……!?」
「山椒を少々。お口に合いませんでした?」
「合うわけないだろ〜ッ! 舌が痺れる……!」
尊奈門さんに慌ててお茶を渡し、背中をさする。その様子を、綺麗な女中さんはニヤリとしながら見ているのだった。
――カタッ
仕える女性達が列になって料理を運んでいく。私もその列に加わって、尊奈門さんと共に長い廊下を進む。
お殿様の部屋の前に着くと、整列した見張りがサッとふすまを引いた。
「殿、お待たせいたしました」
「うむ。持ってまいれ」
畳が敷かれた小上がりに、お殿さまは悠然とあぐらをかいている。試すような、品定めするような冷徹な眼差しに手指が震える。目の前にお膳台が準備され、次々とごちそうが並べられていった。
「まずは尊奈門と……そこの女中に毒見させよ」
尊奈門さんが小皿から魚料理を摘んで口に運ぶ。あの綺麗な女性も、少し掠れた声で返事をすると小鉢に手をつけた。
「殿、組頭。問題ございません」
「……たいへん美味しゅうございます」
「そうか、ではいただこう」
茶色の前髪からのぞく、大きな瞳が柔らかく細められる。私に向かって優しく頷いてくれて、女の人なのにドキドキして……。でも、どこかで会ったことがあるような……? 誰かに面影が似ている気がする。
「っ、な、なんだ! ……こんなに塩辛い料理が美味いというのか!?」
ぼーっとしていると、食事を始めた殿がゴホゴホとむせている。何事かと、お付きの人がわらわら駆け寄ってきた。
塩辛い?
いつも通りに味付けしたのに、どうして……?
「……おい、尊奈門?」
「すみません、組頭。山椒のせいで舌が痺れて、味付けがよく分からなくて……!」
そうこうしているうちに、殿がとうとう怒り出した。顔を真っ赤にして、意地悪そうな唇がへの字に歪んでいる。
「この小娘も女中も……地下牢へ閉じ込めておけ! 尊奈門については、減給じゃー!」
「そ、そんなぁ……」
尊奈門さんは涙目でぽつりとこぼす。それでも、かわいそうなんて思う余裕はなかった。腹に鎧を巻いた見張りの男たちに荒々しく手を引かれ、縄でぐるりと縛られる。引きずられるまま、よたよたと足を動かした。怖くて、どうにも身体が固まってしまう。
すると隣にあの綺麗なお姉さんが近づいて、こそっと何かを耳打ちされた。
「……大丈夫だ」
「……っ!?」
聞き間違いかも知れないのに……。不安だからか、どうしても土井先生のように思えて仕方がない。確認しようと顔だけ動かしてみるも、怖そうな男の人に叱られてうつむく。
逃げることもできず、薄暗い地下牢へと連れられるのだった。
空は金色に澄みわたって、凍える風を吹かせていた。先日降った雪がそこかしこに積もり、朝焼けが白い塊を鮮やかに染めている。
忍術学園の土塀から少し離れた木に登り、校内をうかがっていた。
「組頭……! 本当に名前さんはここに来るんでしょうか?」
「今に分かるさ」
声のする方に視線だけを向ける。木の下から、眉をしかめた尊奈門がいぶかしげに私を見上げていた。風が吹くたび、暗褐色の忍装束に空気が入りふわりとなびく。
この時間は……。学園で雑務をしたり食堂で働いている、名前という娘が現れるはずだ。彼女はいつも、少しの米を手に勝手口ですずめに餌をやるのが日課となっている。そのことはもちろん把握済みだった。
こうして学園に来たのは、殿からの命令があったからだ。
……街でうわさの占い師に会いたい、と。
タソガレ城の今後が気になるのか、殿は占い師とやらに興味津々だった。ドクタケも興味を示しているようだから先手を打ったのだ。
ただ、名前と呼ばれる女の素性について全く情報がない。急に現れて、忍術学園に住み込みで働いている。
「……来たぞ、尊奈門」
パタパタと勝手口から現れたその姿は、珍しく藤色の着物を着ている。髪は肩くらいで、うわさ通り鉢巻きを締めていた。
名前は茂みのそばにしゃがみ込むと、パラパラと米を撒いては何か話しかけている。小鳥のさえずりが僅かに聞こえ、徐々にたくさん彼女の周りに集まってくる。
休日なのに律儀なことだ。
木の枝から土塀の屋根へと飛びうつる。
「名前ちゃん。おはよう」
「ざ、雑渡こなもんさん……!?」
「昆奈門ね」
「すみません……!」
「すずめ達、ずいぶんと君に懐いてるねぇ」
「えぇ、まあ。って、あの! ……なんで朝早くから学園にいらしたのですか?」
「それなんだけどね。これ、見てくれるかな? ……あぁ、ここからじゃ見られないね」
彼女は餌やりを中断してこちらに駆け寄り、上を見つめてくる。不思議そうな、ぽかんとした顔で警戒心のない様子だ。
「道ばたで怪我したすずめを見つけてね。伊作くんに診てもらおうかと思ったんだよ」
「えっ! 大丈夫かなぁ」
彼女のもとへ飛び降りると少しの土ぼこりが舞った。あたかも手のひらに鳥を包み込むように振る舞うと、名前は心配そうにそれを見つめる。
そんな彼女にニヤリと笑みを向ける。視線がぶつかり、「ひぃっ……」と驚く小さな体を担ぐと、抵抗するかのように足をバタつかせた。それを無視してかぎ縄をたぐり、土塀を登っていく。
塀のてっぺんに着くと、ゆっくり降ろしてやる。呆気にとられ口を開いたまま、彼女は何も言えなくなっているようだ。
「ざ、雑渡さん……?!」
「まだ、学園内だよね?」
「そ、そうですけど! あの、怪我したすずめは……?」
「悪いね、嘘なの。……尊奈門、行くぞ」
校内に矢文を投げ入れると同時に、彼女を抱えながら尊奈門のもとへ飛び降りる。手足や口をふさぎ麻袋に入れると、尊奈門がうごめく塊りを肩に担いだ。
「んんーっ! ……んー!」
「名前ちゃん、ちょっと静かにしててね」
「あのー、組頭。手荒なマネをして大丈夫だったんでしょうか……?」
「仕方がない、殿の命令だ。心配性な先生たちに、書き置きもしたし。べつに、傷付けるつもりはないからねぇ」
彼女の耳に届くよう、少し大きな声で話す。うめくような声が聞こえた気がしたが、かまわず城へと駆けていった。
*
「昆奈門に尊奈門。ご苦労だった」
タソガレドキ城、御殿。
黄昏甚兵衛様が座敷の奥にあぐらをかき、ひじ当てに体を預けながら満足そうにあごをさすっている。相変わらずの派手な南蛮衣装が、その存在感を放っていた。
尊奈門と並び、殿から少し離れた場所にひざまずくと頭を下げる。
念のため、名前の持ち物や武器を忍ばせていないか調べるも特段怪しいものは出てこなかった。くのいちでは無いと分かり、拘束していた縄を解いてやる。ぐいっと彼女の腕をつかみ、殿の前へと引っ張っていった。
「この娘が、街でうわさになっている占い師です。手相というものを見るようですが」
「昆奈門さん! あの、私は……!」
「名前……と。そう名乗ろうとしたんだね?」
殿の前で反論しようとするから、ギロリと牽制する。彼女は落ち着かない様子で辺りを見まわし、その白い手をぎゅっと握りしめていた。部屋の出入り口は忍びで固められ、小娘一人では到底逃げ出せない。
「……ほう。そんなに怖がらなくて良い。ぜひ我がタソガレドキの未来を占ってほしいのだ。どうしたら戦を優位に進められる?」
「そ、そんなこと……!」
「さあさあ、こちらへ。手相を見るといったな? こうすれば良いか? ……ほれ」
彼女はとまどいながら殿の方へそろりと歩いていく。ぎこちなく正座をして、差し出された手を見つめたまま動かない。
「本当に、占い師なんかではなくてっ! 私、違うんです! どうして、こんなことに……」
「もったいぶるでない。褒美はやるぞ」
「褒美なんて……! 占いもよく分からないし、できたとしても戦の手助けなんかしません!」
「おい、昆奈門。どういうことだ!?」
「……頑固な娘で申し訳ございません」
「まったく、とんだ小娘を連れてきおって……!」
深く頭を下げながら、想定よりも正義感の強い女で感心する。……学園で働くだけはあるが。尊奈門は目を白黒させて動揺している。
「もうよい! この私への散々の無礼……ひっ捕えろ!」
「……殿。この娘、忍術学園で食堂の手伝いをしておりました。このまま斬り捨てるより、我が城の女中として利用してはいかがでしょうか」
「以前、城内で美味しいと評判になったおでんを作ったのが、名前さんなのです……!」
「そ、尊奈門さんっ!?」
「……うむ。そこまで言うのなら、作らせてみようじゃないか」
再び細い腕をつかみ上げ、見張りを端に下げさせると料理番のいる部屋へと連れていく。殿のご要望通りに動いたまで。街のうわさに踊らされるなど、くだらないとは思うが仕方がない。
飯で殿のご機嫌を取り、学園に借りを作りたく無いとか言って、そのまま彼女を解放すれば済む。これ以上面倒ごとになったら厄介だな、とため息をついた。
*
「大人しくしているんだよ、名前ちゃん」
広い城内を、腕を引かれるまま歩いて行く。途中、昆奈門さんがチラリと天井を確認して、再び足を進めていった。
医務室で見かけた、伏木蔵くんと戯れる姿とは違って、今の昆奈門さんに話しかけることは到底できなかった。
すずめの餌やりをしていたら突然連れ出されて……。何が起こっているのか、混乱しているからか頭が働かない。
傷つけはしないと言っていたけれど……。あんなに荒っぽく扱われては、怖くて怖くて信用できない。尊奈門さんは困ったように眉を下げて、立場上従うしかないようだった。
……あのうわさが、こんな事になるなんて。きっと今ごろ、先生たちはとても心配しているだろう。申し訳なさに胸が押し潰されそうだ。
調理場まで連れて行かれると、鍋の熱気や香り、人々の掛け声が飛びかう。広い板の間には、手ぬぐいを頭に巻きトントンと野菜を刻む女性。それから、大きな鍋をかき混ぜる料理番のような男性が忙しなく働いていた。
「忙しいところ悪いが、彼女に殿の料理を作らせる事になった」
「組頭、お言葉ですが……!」
「料理番として、言いたい事があるのは承知している。すまないが、頼むよ」
短いマゲのおじさんに向かって、昆奈門さんが重くつぶやいた。料理番のその人は、苦虫を噛み潰したような顔でうなずいている。
「あ、言い忘れた。好評だったおでんを作った子だよ」
「ああ、あのおでんの……!」
「尊奈門、お前はここに残って見張りだ」
「組頭、承知しました!」
料理場のみんなが興味津々で私を見つめ、ヒソヒソ話し始めた。やっぱり、食堂のおばちゃんの味付けってすごい。
料理番の男性にうながされ、お殿様用の料理を一緒に調理する。偉い人の食事は、大きな白身魚や干した珍味など、目がくらむ様な豪華なものだった。
切り方や味付け、火の入れ方まで……おばちゃんから習った通りに進めていく。
最初は良く思ってくれなかった料理番も、私の手つきを見て少し打ち解けてくれた気がした。かまどでお米を炊いている女性たちも、合間をみて話しかけてくれる。
そんななか、女中さんの中にすらりと背の高く、こげ茶色の髪が印象的なお姉さんがひときわ目を引いた。私のことを特に気にかけてくれ、つい心を許しそうになる。
だいだい色の紅とクリっとした大きな瞳に……。目が合うたび、ドキリと心臓が跳ねる。あの着物、どこかでみたような気がするけれど……。
尊奈門さんも心配してくれて、少し気持ちが落ち着いてきた。
「出来ましたっ!」
「ご苦労。尊奈門、味見してみたらどうだ?」
「いいんですか!? ……では」
無事に料理を作り終え料理番に報告すると、煮物を小皿にうつし尊奈門さんに手渡した。嬉しさを抑えきれない顔で、ぱくりと口に運んでいる。
「……どうです?」
「うんっ、名前さん。美味しいです!」
「わぁ、よかった……!」
「おかわりしません?」
綺麗な女中さんが尊奈門さんに尋ねるや否や、煮物を皿によそっていく。何かをふりかけ、否定を許さないかのような満面の笑みで皿を差し出した。
「ああ、どうもすみませんっ」
「いいえ、お気になさらず」
尊奈門さんは口に含んでもぐもぐしている。その顔が徐々に赤くなって……まん丸の目がさらに大きく見開かれ、苦しそうに咳きこみ始めた。
「ごほっ、おいっ! なっ、な、何をっ……!?」
「山椒を少々。お口に合いませんでした?」
「合うわけないだろ〜ッ! 舌が痺れる……!」
尊奈門さんに慌ててお茶を渡し、背中をさする。その様子を、綺麗な女中さんはニヤリとしながら見ているのだった。
――カタッ
仕える女性達が列になって料理を運んでいく。私もその列に加わって、尊奈門さんと共に長い廊下を進む。
お殿様の部屋の前に着くと、整列した見張りがサッとふすまを引いた。
「殿、お待たせいたしました」
「うむ。持ってまいれ」
畳が敷かれた小上がりに、お殿さまは悠然とあぐらをかいている。試すような、品定めするような冷徹な眼差しに手指が震える。目の前にお膳台が準備され、次々とごちそうが並べられていった。
「まずは尊奈門と……そこの女中に毒見させよ」
尊奈門さんが小皿から魚料理を摘んで口に運ぶ。あの綺麗な女性も、少し掠れた声で返事をすると小鉢に手をつけた。
「殿、組頭。問題ございません」
「……たいへん美味しゅうございます」
「そうか、ではいただこう」
茶色の前髪からのぞく、大きな瞳が柔らかく細められる。私に向かって優しく頷いてくれて、女の人なのにドキドキして……。でも、どこかで会ったことがあるような……? 誰かに面影が似ている気がする。
「っ、な、なんだ! ……こんなに塩辛い料理が美味いというのか!?」
ぼーっとしていると、食事を始めた殿がゴホゴホとむせている。何事かと、お付きの人がわらわら駆け寄ってきた。
塩辛い?
いつも通りに味付けしたのに、どうして……?
「……おい、尊奈門?」
「すみません、組頭。山椒のせいで舌が痺れて、味付けがよく分からなくて……!」
そうこうしているうちに、殿がとうとう怒り出した。顔を真っ赤にして、意地悪そうな唇がへの字に歪んでいる。
「この小娘も女中も……地下牢へ閉じ込めておけ! 尊奈門については、減給じゃー!」
「そ、そんなぁ……」
尊奈門さんは涙目でぽつりとこぼす。それでも、かわいそうなんて思う余裕はなかった。腹に鎧を巻いた見張りの男たちに荒々しく手を引かれ、縄でぐるりと縛られる。引きずられるまま、よたよたと足を動かした。怖くて、どうにも身体が固まってしまう。
すると隣にあの綺麗なお姉さんが近づいて、こそっと何かを耳打ちされた。
「……大丈夫だ」
「……っ!?」
聞き間違いかも知れないのに……。不安だからか、どうしても土井先生のように思えて仕方がない。確認しようと顔だけ動かしてみるも、怖そうな男の人に叱られてうつむく。
逃げることもできず、薄暗い地下牢へと連れられるのだった。