第45話 火薬委員会と
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冬休みが明けて数日。
お正月に浮かれる雰囲気は徐々に落ち着き、いつも通りの日常が戻っていた。
雅之助さんに連れられ学園へ戻ると、学園長先生に新年のご挨拶をして……。山田先生や土井先生たちは変わったことがなかったか心配してくれる。杭瀬村の、のんびりした日々を報告するとホッとするように表情がやわらいだ。
野村先生と会わせないよう気を配っていたのに、その努力は報われず。雅之助さんを正門へ送っていく途中、野村先生と出くわしバチバチ火花が飛び散る。些細なことでケンカが始まりそうだったから、何とか引き離したのだった。
――カーン
授業が終わりを告げる鐘が食堂まで鳴り響く。放課後、自由に過ごす忍たまのみんなを思い浮かべては、料理にいっそう心を込める。和え物用の菜っぱをザクザクと刻む手は止めずに、包丁を握りしめた。
「名前ちゃん。悪いんだけど、久々知兵助くんからお豆腐もらって来てくれるかしら?」
「今日の夕飯用ですね!」
「そうなの。豆腐ハンバーグにしようと思って、お願いしてたのよ」
刻んでいた葉物をはしに寄せ、割烹着で手をぬぐう。おばちゃんへ「任せてください!」と伝わるように、にこっとほほ笑んだ。
豆腐を入れるための大きな桶をかかえ、兵助くんが居そうなところを手当たり次第に探す。五年生の忍たま長屋付近や、焔硝蔵……。
冬らしい灰色の雲に、はあっと息を吐いてみる。白いもくもくが現れてはすぐに消えていく。時折り、さーっと強い風が吹き込んで刺すような寒さに身を震わせる。地面の陰になっている所は霜柱がたち、それを見つけると子どもみたいにジャリッと踏みつぶしていった。
「はぁ。兵助くん、どこだろう……?」
「「「あれー、名前さん!」」」
「乱太郎くんたちー!」
中庭をさまよっていると、可愛らしい声に呼びかけられる。振り返ってその姿をとらえると、寒さに負けない元気さがまぶしい。
「大きな桶なんか持って、どうしたんすか?」
「兵助くんからお豆腐をもらおうと思って探してるの。今日のメニューは豆腐ハンバーグだからね」
「うわあ、美味しそー!」
「しんべヱ、よだれ垂れてるよ……」
「ごめんごめん!」
胸元に忍ばせた手ぬぐいをサッと取り出し、しんべヱくんの口元を優しく拭いてあげる。照れているのか、緩みきった顔がなんともおかしい。
「久々知先輩なら……。火薬委員会の活動で、焔硝蔵にいるんじゃないっすか?」
「きり丸くん。さっき行ってみたんだけど、いなくって」
「乱太郎、しんべヱ。思い当たるトコあるか?」
「「うーん、さっぱり……」」
四人で唸りながら困っていると、遠くからパタパタ地面を駆ける音が響いてきた。急いでいるようで、私たちに目もくれず走り去ろうとしている。
「あっ、伊助くん!」
「……!? 名前さん! ……どうされたのですか?」
「「「伊助なら知ってるよね、久々知先輩の居場所!」」」
「えっ、……ええ?!」
伊助くんは薄緑の着物姿で、どこかに出掛けていたようだ。息を切らして額の汗を腕でごしごししている。私たちが呼び止めると、驚きながらもこちらに近づいてくれた。
「伊助、外出してたのか?」
「うん。金楽寺の和尚さまのとこに行ってたんだ」
「き、金楽寺……?! なにか、あったの……?」
「名前さん。そんなに怖い顔しないでくださいっ。タカ丸さんが、焔硝蔵が寒いからって甘酒をたくさん注文しちゃって……。火薬委員会の経費に認めてもらえないから、金楽寺の縁日で売ることにしたんです」
「……そ、そっか! 縁日かあ」
金楽寺と聞いて心臓が止まりかける。伊助くんは焦る私を不思議そうに見つめつつ話を続けた。あのお札はまったく関係がなくて、こわばった体から力が抜ける。
「あー! 伊助、わたしたちと縁日の話ししてたもんね!」
「うん。それで和尚さまに出店の許可をもらいに行ったんだ。これから、久々知先輩に報告するところで……」
「私、兵助くんにお豆腐もらいに行きたくて。伊助くんについて行っていいかな?」
「わあ〜! ぼくもお豆腐たべたーい!」
「「しんべヱ、裏山に遊びに行くって言ったでしょ!」」
「えへへ、そうでした〜」
「では、名前さん。行きましょう!」
「はーいっ!」
食いしん坊のしんべヱくんにみんな苦笑いだ。伊助くんとふたりで、裏山へ向かう三人を見送った。
*
「久々知先輩〜!」
「あ、伊助に名前さんも」
ひっそりとした裏門では、兵助くんやタカ丸くん、三郎次くんが待ち構えているように集まっている。その近くには甘酒の大きな樽が五つほど置かれていた。私たちの姿を見つけると、「おーい!」と大きく手を振る。
「久々知先輩、和尚さまに許可をいただきました!」
「伊助、よくやった! よーし。せっかくだ、ひと手間加えた面白い甘酒をつくろう!」
「「「面白い甘酒……?」」」
「俺が豆腐づくりに使っている小屋へ、この樽を運んでから説明するよ。良かったら、名前さんも試食していってください」
「ありがとう! あ、でも、わたし……!」
「夕飯用の豆腐ですよね? 豆腐小屋にあるので、ぜひ!」
――カタン
さっそく豆腐小屋にお邪魔すると、中をキョロキョロ見まわす。みんなは重そうな樽をよいしょと運び入れ、ふぅっと息をついた。
部屋の中央には、水が張られた大きな四角い入れ物がある。その中に白くてツヤっとした豆腐がぷかぷかと浮かんでいる。壁際には机が置いてあり、ちょっとした作業が出来そうだ。
伊助くんはいつの間にか、浅葱色の制服に着替えていた。一年生とはいえ、その素早さに感心してしまう。びっくりして思わず「すごいね!」なんて褒めると、ほほを赤くして照れる様子が可愛らしかった。
「久々知先輩。面白い甘酒って、どんな甘酒ですか?」
「俺は豆腐が好きだから……豆腐に甘酒をかけた"甘酒豆腐"はどうだろう?」
「うわあ、とっても美味しそうですね!」
甘酒豆腐と聞いて、みんなの顔がぱあっと輝く。甘酒をそのまま売っては捌けないだろうということで、それぞれ案を出していった。
実家が染物屋の伊助くんは、梅干しやお茶を使った色とりどりの甘酒。漁師の家の子の三郎次くんは、魚介を甘酒で煮込んだ鍋料理。タカ丸くんはあごに手を添えながら、案を捻り出そうと必死だ。
「俺の家は髪結だから……」
「「「髪結だから……?」」」
「……あはは、全然思いつかないや」
「「「えーっ!?」」」
何かいいアイデアが浮かんだのかと期待したぶん、みんなでズッコケてしまった。
「人目を引く髪型なら思いつくんだけど……。あ! 甘酒に花火を刺すのはどうかな?」
「タカ丸くんらしい案だねっ」
「そうかな! 名前さん、ありがとう」
兵助くんたちも、うんうんと嬉しそうに頷いた。試食を作るべく、隅にある作業台に集まって何やら準備をしていく。
「まずは、俺の考案したメニューをどうぞ!」
兵助くんイチ押しの甘酒豆腐を手渡され、ひと口食べてみる。大豆のほんのりとした甘さと、甘酒のトロッとした風味が口の中に広がって、思わず顔がにやける。
「とっても美味しいね」
「さすが久々知先輩!」
もぐもぐと口へ運びながら、「これは売れますね!」なんて絶賛している。私も、ここに来た目的を忘れてみんなでわいわい楽しんでしまった。顧問の土井先生にも味見して欲しいな。きっと、あの優しい目元をさらに細めて喜んでくれそうだもの。
「あ、名前さん。夕飯用のお豆腐、桶に入れますね」
「そうだった……! 兵助くんありがとう」
「重いから、俺が運びますよ〜」
タカ丸くんがひょいっと桶を手に抱え、戸口の方へスタスタと歩き出した。……さすがタカ丸くん。さらりと気遣ってくれて、その所作がキラキラして見える。
ピチャピチャ揺れる豆腐が崩れないように、二人でゆっくりと食堂へ向かっていった。
*
「おばちゃん、お待たせしましたっ」
「あらあ、タカ丸くんまで! ありがとうねぇ」
「いーえ、これくらいなんて事ないですから」
鈍い音をたて桶が調理台に置かれた。それに合わせて金色の長い前髪がさらりと揺れる。つやつやで煌めく毛並みに、ついついぽーっと見つめていた。
「名前さん? ……何かついてます?」
「あっ、ごめん! 綺麗な髪だなって、思って」
「毎日手入れしてますからね。……そうだ、名前さんの髪、気になってたんだ! ちょっと見せて欲しいな」
「え、ええっ!?」
パッと腕を掴まれると、勝手口まで連れられて行く。タカ丸くんの人懐っこい瞳は、髪結いの血が騒ぐのか熱く燃えあがっていた。
「頭巾とりますね〜」
「は、はいっ!」
「髪の毛、焦がして切ったって言ってたけど……。とてもそうには見えないなって、思ってたんだ」
しゅるりと頭巾を解かれ、こぼれた髪を優しく撫でられる。確信をつくようなことを真剣な眼差しで呟かれ、ドキリと心臓が跳ねた。
「……そ、そうかな!?」
「今も素敵なんだけど……。もう少し伸びたら結ってあげますね」
「わあ。頑張って伸ばさなきゃ」
少し背の高いタカ丸くんを見上げて、くすくす笑い合う。くるりと向きを変えられて、毛先を整えるようにすーっと櫛を通される。その柔らかな手つきが心地よくて、ふっとまぶたを閉じた。
最後に髪全体をくしゅっと混ぜられ、ぽんと肩に手を添えられる。
「こうして、少し油をつけるとまとまりも出るから……。うん、素敵ですよー!」
「そうなんだっ。なんだか頭巾を被るのがもったいないね」
「せっかくだから、このままみんなに見せたらどうかな?」
「じゃあ、鉢巻きで髪が落ちないようにするね」
懐から鉢巻きを取り出すと、食堂のおばちゃんみたいにくるりと巻いて、しっかりと後ろで結ぶ。タカ丸くんが毛先を手直ししてくれた。
……髪を手入れしてもらったのは、いつぶりだろう。ちょっとしたことなのに、ふわっと気持ちが浮きあがる。嬉しくてにやける顔が隠せない。
「名前さん、嬉しそう! いい笑顔ですね」
「あはは、顔に出ちゃったかも」
タカ丸くんが褒めてくれて、照れ臭くてたまらない。恥ずかしさを紛らわすように頬をかくと、遠くからおばちゃんの声が聞こえてきた。
「名前ちゃーん! ちょっと手伝ってくれるかい?」
「はーい! いま行きまーす!」
「俺も、火薬委員会のみんなのところに戻らなきゃ」
「タカ丸くんっ、ありがとう!」
「いえいえー」なんて言いながら、タカ丸くんは人懐っこい笑顔を浮かべて駆けていった。私も勝手口をくぐり、調理場へと急ぐのだった。
――夕暮れどき
曇り空だからか、いつもよりも早くあたりが暗くなる。
夕飯を作り終わると、しばらくして忍たまたちがやって来た。わいわいと楽しそうな声が食堂に響きわたる。
定食を渡していくと、ユキちゃん達が髪を褒めてくれた。わずかな変化でも気づいてくれるのはやっぱり嬉しい。ほんの少しの時間だけれど、女の子同士きゃっきゃ話すのはとても楽しかった。話がそれて恋バナになりかけると、「はいはい、次の子どうぞー!」なんて誤魔化したのだった。
向こうから、瑠璃色の制服がチラリと見える。たっぷりとした黒髪と長い前髪に……。カウンターから身を乗り出した。
「お疲れさま! 兵助くんは……A定食の豆腐ハンバーグだよね?」
「もちろんです。いつもおいしく調理してくれて、俺、嬉しいです!」
「兵助くん特製っ、こだわりの豆腐だからだよ」
恥ずかしそうに目を細める兵助くんに、ご飯や味噌汁を盛りつけ定食を渡す。
「そうそう。面白い甘酒、うまく行きそうなんです。良かったら名前さんも、金楽寺の縁日に遊びに来てください!」
「あ、ありがとう……!」
縁日、かあ。
あのお札さえなければ、とても楽しみだったはずなのに。学園を巻き込んでこんな大ごとになってしまった。
でも、お札のおかげでこの世界に来ることができた。それも本当のことで、八方ふさがりの状況に重いため息をつく。ゆがむ口元をバレないよう吊りあげ、兵助くんの後ろ姿を見つめた。
*
「名前さんっ。まだ定食残ってるかい……!?」
「土井先生、遅かったですね! 大丈夫ですよ」
後もう少しで採点が終わる……!と粘っていたら、こんな時間になってしまった。
食堂の入口から中をのぞく。
忍たまも先生達もすでに長屋に戻っているのか、食堂はガランとしていた。机のそばにいる名前さんを見つけると、はやる気持ちを抑えて呼びかける。
彼女は頭巾を取って、髪を下ろしていた。忙しなく机を拭いているようだ。
ふきんでゴシゴシ擦るたび、さらりと毛先が揺れて光を反射していく。頭に巻かれた鉢巻きの端が、肩からするりと落ちていった。
嬉しそうに振り返って、こちらを見つめてくる。小首を傾げるその仕草に、それ以上の言葉が出せず立ち尽くしていた。
「あの、土井先生。どうしました? ぼーっとされて……」
「あ、いやあ。どっちの定食にしようかな、と……」
「ごめんなさいっ。豆腐ハンバーグしか残ってなくって」
「そ、そうか!」
「兵助くんのお豆腐で作ったから、とても美味しいですよ」
席につくと、名前さんがパタパタとカウンターに入っていき夕飯を準備している。
こちらまで定食を運んでくれると、にこっとほほ笑み再びお手伝いに戻ってしまった。時折りおばちゃんと話す声や笑い声が聞こえて、和気あいあいとした雰囲気だ。ぼんやりしながらご飯をほお張っては、ちらりとカウンターの中に目をやった。
食事が終わりかけたころ。
白い湯気のたつお茶をコトンと目の前に置かれる。
「土井先生、一日お疲れさまでした」
「ありがとう。兵助の豆腐は美味しかったなあ」
名前さんは向かい合うように腰かけて、優しく目を細めている。小さな両手で湯呑みを包み、口元まで運ぶとお茶をすすった。
「そうそう。今日、火薬委員会の子たちに面白い甘酒を試食をさせてもらったんです」
「……面白い甘酒?」
「タカ丸くんが焔硝蔵が寒いからって甘酒をたくさん買いすぎちゃって。それを、金楽寺の縁日で売るそうなんです。ふつうの甘酒じゃ売れないだろうって、みんなで色々考えて」
「そんなことがあったのか。まったく、なんで甘酒なんか」
「甘酒をかけたお豆腐、とっても美味しかったんですよ? きっと、完売しますから」
「あいつらも、色々考えているんだな」
「そうですね。あと……縁日に来てくださいって、誘われちゃいました。行きたいんですけど、でも……」
遠くを見つめて笑う表情に、少しの憂いを感じる。彼女のことだ、本当は金楽寺の縁日に行きたいのだろう。湯呑みを握る手に、ぎゅっと力がこもっていた。
「……すべて落ち着いたら、一緒に行こう」
「えっ……?」
「桜祭りも、夏祭りも……。これから、たくさんあるからね」
「とっても楽しそうです」
「君とデートできるなんて幸せだ」
「……せ、先生っ!?」
湯呑みに添えられた名前さんの手の甲を、優しく包み込む。細っそりした手首に指先をそわせ、さわさわと撫でていく。くすっと笑いつつ、冗談とも本気とも取れるような言い方で、自分でもズルいと思う。
くすぐったさに手を引っ込めようとするから、逃さないようぐっと手首を掴んでかたく握りしめた。
「顔が真っ赤になってる」
「そんなこと言うからです……!」
「だって、本当のことだろう?」
「……もうっ」
そのうち耳まで赤く染まって、恥ずかしさに瞳が潤んでいる。繋いだ手から、その鼓動まで伝わってくるようだ。
「二人とも! もう食堂閉めるわよー!」
「「……はいっ!」」
甘い雰囲気を断ち切るかのように、おばちゃんの大きな声が響く。パッと手を離しぎこちなく笑い合うと、二人で長屋へと戻っていくのだった。
お正月に浮かれる雰囲気は徐々に落ち着き、いつも通りの日常が戻っていた。
雅之助さんに連れられ学園へ戻ると、学園長先生に新年のご挨拶をして……。山田先生や土井先生たちは変わったことがなかったか心配してくれる。杭瀬村の、のんびりした日々を報告するとホッとするように表情がやわらいだ。
野村先生と会わせないよう気を配っていたのに、その努力は報われず。雅之助さんを正門へ送っていく途中、野村先生と出くわしバチバチ火花が飛び散る。些細なことでケンカが始まりそうだったから、何とか引き離したのだった。
――カーン
授業が終わりを告げる鐘が食堂まで鳴り響く。放課後、自由に過ごす忍たまのみんなを思い浮かべては、料理にいっそう心を込める。和え物用の菜っぱをザクザクと刻む手は止めずに、包丁を握りしめた。
「名前ちゃん。悪いんだけど、久々知兵助くんからお豆腐もらって来てくれるかしら?」
「今日の夕飯用ですね!」
「そうなの。豆腐ハンバーグにしようと思って、お願いしてたのよ」
刻んでいた葉物をはしに寄せ、割烹着で手をぬぐう。おばちゃんへ「任せてください!」と伝わるように、にこっとほほ笑んだ。
豆腐を入れるための大きな桶をかかえ、兵助くんが居そうなところを手当たり次第に探す。五年生の忍たま長屋付近や、焔硝蔵……。
冬らしい灰色の雲に、はあっと息を吐いてみる。白いもくもくが現れてはすぐに消えていく。時折り、さーっと強い風が吹き込んで刺すような寒さに身を震わせる。地面の陰になっている所は霜柱がたち、それを見つけると子どもみたいにジャリッと踏みつぶしていった。
「はぁ。兵助くん、どこだろう……?」
「「「あれー、名前さん!」」」
「乱太郎くんたちー!」
中庭をさまよっていると、可愛らしい声に呼びかけられる。振り返ってその姿をとらえると、寒さに負けない元気さがまぶしい。
「大きな桶なんか持って、どうしたんすか?」
「兵助くんからお豆腐をもらおうと思って探してるの。今日のメニューは豆腐ハンバーグだからね」
「うわあ、美味しそー!」
「しんべヱ、よだれ垂れてるよ……」
「ごめんごめん!」
胸元に忍ばせた手ぬぐいをサッと取り出し、しんべヱくんの口元を優しく拭いてあげる。照れているのか、緩みきった顔がなんともおかしい。
「久々知先輩なら……。火薬委員会の活動で、焔硝蔵にいるんじゃないっすか?」
「きり丸くん。さっき行ってみたんだけど、いなくって」
「乱太郎、しんべヱ。思い当たるトコあるか?」
「「うーん、さっぱり……」」
四人で唸りながら困っていると、遠くからパタパタ地面を駆ける音が響いてきた。急いでいるようで、私たちに目もくれず走り去ろうとしている。
「あっ、伊助くん!」
「……!? 名前さん! ……どうされたのですか?」
「「「伊助なら知ってるよね、久々知先輩の居場所!」」」
「えっ、……ええ?!」
伊助くんは薄緑の着物姿で、どこかに出掛けていたようだ。息を切らして額の汗を腕でごしごししている。私たちが呼び止めると、驚きながらもこちらに近づいてくれた。
「伊助、外出してたのか?」
「うん。金楽寺の和尚さまのとこに行ってたんだ」
「き、金楽寺……?! なにか、あったの……?」
「名前さん。そんなに怖い顔しないでくださいっ。タカ丸さんが、焔硝蔵が寒いからって甘酒をたくさん注文しちゃって……。火薬委員会の経費に認めてもらえないから、金楽寺の縁日で売ることにしたんです」
「……そ、そっか! 縁日かあ」
金楽寺と聞いて心臓が止まりかける。伊助くんは焦る私を不思議そうに見つめつつ話を続けた。あのお札はまったく関係がなくて、こわばった体から力が抜ける。
「あー! 伊助、わたしたちと縁日の話ししてたもんね!」
「うん。それで和尚さまに出店の許可をもらいに行ったんだ。これから、久々知先輩に報告するところで……」
「私、兵助くんにお豆腐もらいに行きたくて。伊助くんについて行っていいかな?」
「わあ〜! ぼくもお豆腐たべたーい!」
「「しんべヱ、裏山に遊びに行くって言ったでしょ!」」
「えへへ、そうでした〜」
「では、名前さん。行きましょう!」
「はーいっ!」
食いしん坊のしんべヱくんにみんな苦笑いだ。伊助くんとふたりで、裏山へ向かう三人を見送った。
*
「久々知先輩〜!」
「あ、伊助に名前さんも」
ひっそりとした裏門では、兵助くんやタカ丸くん、三郎次くんが待ち構えているように集まっている。その近くには甘酒の大きな樽が五つほど置かれていた。私たちの姿を見つけると、「おーい!」と大きく手を振る。
「久々知先輩、和尚さまに許可をいただきました!」
「伊助、よくやった! よーし。せっかくだ、ひと手間加えた面白い甘酒をつくろう!」
「「「面白い甘酒……?」」」
「俺が豆腐づくりに使っている小屋へ、この樽を運んでから説明するよ。良かったら、名前さんも試食していってください」
「ありがとう! あ、でも、わたし……!」
「夕飯用の豆腐ですよね? 豆腐小屋にあるので、ぜひ!」
――カタン
さっそく豆腐小屋にお邪魔すると、中をキョロキョロ見まわす。みんなは重そうな樽をよいしょと運び入れ、ふぅっと息をついた。
部屋の中央には、水が張られた大きな四角い入れ物がある。その中に白くてツヤっとした豆腐がぷかぷかと浮かんでいる。壁際には机が置いてあり、ちょっとした作業が出来そうだ。
伊助くんはいつの間にか、浅葱色の制服に着替えていた。一年生とはいえ、その素早さに感心してしまう。びっくりして思わず「すごいね!」なんて褒めると、ほほを赤くして照れる様子が可愛らしかった。
「久々知先輩。面白い甘酒って、どんな甘酒ですか?」
「俺は豆腐が好きだから……豆腐に甘酒をかけた"甘酒豆腐"はどうだろう?」
「うわあ、とっても美味しそうですね!」
甘酒豆腐と聞いて、みんなの顔がぱあっと輝く。甘酒をそのまま売っては捌けないだろうということで、それぞれ案を出していった。
実家が染物屋の伊助くんは、梅干しやお茶を使った色とりどりの甘酒。漁師の家の子の三郎次くんは、魚介を甘酒で煮込んだ鍋料理。タカ丸くんはあごに手を添えながら、案を捻り出そうと必死だ。
「俺の家は髪結だから……」
「「「髪結だから……?」」」
「……あはは、全然思いつかないや」
「「「えーっ!?」」」
何かいいアイデアが浮かんだのかと期待したぶん、みんなでズッコケてしまった。
「人目を引く髪型なら思いつくんだけど……。あ! 甘酒に花火を刺すのはどうかな?」
「タカ丸くんらしい案だねっ」
「そうかな! 名前さん、ありがとう」
兵助くんたちも、うんうんと嬉しそうに頷いた。試食を作るべく、隅にある作業台に集まって何やら準備をしていく。
「まずは、俺の考案したメニューをどうぞ!」
兵助くんイチ押しの甘酒豆腐を手渡され、ひと口食べてみる。大豆のほんのりとした甘さと、甘酒のトロッとした風味が口の中に広がって、思わず顔がにやける。
「とっても美味しいね」
「さすが久々知先輩!」
もぐもぐと口へ運びながら、「これは売れますね!」なんて絶賛している。私も、ここに来た目的を忘れてみんなでわいわい楽しんでしまった。顧問の土井先生にも味見して欲しいな。きっと、あの優しい目元をさらに細めて喜んでくれそうだもの。
「あ、名前さん。夕飯用のお豆腐、桶に入れますね」
「そうだった……! 兵助くんありがとう」
「重いから、俺が運びますよ〜」
タカ丸くんがひょいっと桶を手に抱え、戸口の方へスタスタと歩き出した。……さすがタカ丸くん。さらりと気遣ってくれて、その所作がキラキラして見える。
ピチャピチャ揺れる豆腐が崩れないように、二人でゆっくりと食堂へ向かっていった。
*
「おばちゃん、お待たせしましたっ」
「あらあ、タカ丸くんまで! ありがとうねぇ」
「いーえ、これくらいなんて事ないですから」
鈍い音をたて桶が調理台に置かれた。それに合わせて金色の長い前髪がさらりと揺れる。つやつやで煌めく毛並みに、ついついぽーっと見つめていた。
「名前さん? ……何かついてます?」
「あっ、ごめん! 綺麗な髪だなって、思って」
「毎日手入れしてますからね。……そうだ、名前さんの髪、気になってたんだ! ちょっと見せて欲しいな」
「え、ええっ!?」
パッと腕を掴まれると、勝手口まで連れられて行く。タカ丸くんの人懐っこい瞳は、髪結いの血が騒ぐのか熱く燃えあがっていた。
「頭巾とりますね〜」
「は、はいっ!」
「髪の毛、焦がして切ったって言ってたけど……。とてもそうには見えないなって、思ってたんだ」
しゅるりと頭巾を解かれ、こぼれた髪を優しく撫でられる。確信をつくようなことを真剣な眼差しで呟かれ、ドキリと心臓が跳ねた。
「……そ、そうかな!?」
「今も素敵なんだけど……。もう少し伸びたら結ってあげますね」
「わあ。頑張って伸ばさなきゃ」
少し背の高いタカ丸くんを見上げて、くすくす笑い合う。くるりと向きを変えられて、毛先を整えるようにすーっと櫛を通される。その柔らかな手つきが心地よくて、ふっとまぶたを閉じた。
最後に髪全体をくしゅっと混ぜられ、ぽんと肩に手を添えられる。
「こうして、少し油をつけるとまとまりも出るから……。うん、素敵ですよー!」
「そうなんだっ。なんだか頭巾を被るのがもったいないね」
「せっかくだから、このままみんなに見せたらどうかな?」
「じゃあ、鉢巻きで髪が落ちないようにするね」
懐から鉢巻きを取り出すと、食堂のおばちゃんみたいにくるりと巻いて、しっかりと後ろで結ぶ。タカ丸くんが毛先を手直ししてくれた。
……髪を手入れしてもらったのは、いつぶりだろう。ちょっとしたことなのに、ふわっと気持ちが浮きあがる。嬉しくてにやける顔が隠せない。
「名前さん、嬉しそう! いい笑顔ですね」
「あはは、顔に出ちゃったかも」
タカ丸くんが褒めてくれて、照れ臭くてたまらない。恥ずかしさを紛らわすように頬をかくと、遠くからおばちゃんの声が聞こえてきた。
「名前ちゃーん! ちょっと手伝ってくれるかい?」
「はーい! いま行きまーす!」
「俺も、火薬委員会のみんなのところに戻らなきゃ」
「タカ丸くんっ、ありがとう!」
「いえいえー」なんて言いながら、タカ丸くんは人懐っこい笑顔を浮かべて駆けていった。私も勝手口をくぐり、調理場へと急ぐのだった。
――夕暮れどき
曇り空だからか、いつもよりも早くあたりが暗くなる。
夕飯を作り終わると、しばらくして忍たまたちがやって来た。わいわいと楽しそうな声が食堂に響きわたる。
定食を渡していくと、ユキちゃん達が髪を褒めてくれた。わずかな変化でも気づいてくれるのはやっぱり嬉しい。ほんの少しの時間だけれど、女の子同士きゃっきゃ話すのはとても楽しかった。話がそれて恋バナになりかけると、「はいはい、次の子どうぞー!」なんて誤魔化したのだった。
向こうから、瑠璃色の制服がチラリと見える。たっぷりとした黒髪と長い前髪に……。カウンターから身を乗り出した。
「お疲れさま! 兵助くんは……A定食の豆腐ハンバーグだよね?」
「もちろんです。いつもおいしく調理してくれて、俺、嬉しいです!」
「兵助くん特製っ、こだわりの豆腐だからだよ」
恥ずかしそうに目を細める兵助くんに、ご飯や味噌汁を盛りつけ定食を渡す。
「そうそう。面白い甘酒、うまく行きそうなんです。良かったら名前さんも、金楽寺の縁日に遊びに来てください!」
「あ、ありがとう……!」
縁日、かあ。
あのお札さえなければ、とても楽しみだったはずなのに。学園を巻き込んでこんな大ごとになってしまった。
でも、お札のおかげでこの世界に来ることができた。それも本当のことで、八方ふさがりの状況に重いため息をつく。ゆがむ口元をバレないよう吊りあげ、兵助くんの後ろ姿を見つめた。
*
「名前さんっ。まだ定食残ってるかい……!?」
「土井先生、遅かったですね! 大丈夫ですよ」
後もう少しで採点が終わる……!と粘っていたら、こんな時間になってしまった。
食堂の入口から中をのぞく。
忍たまも先生達もすでに長屋に戻っているのか、食堂はガランとしていた。机のそばにいる名前さんを見つけると、はやる気持ちを抑えて呼びかける。
彼女は頭巾を取って、髪を下ろしていた。忙しなく机を拭いているようだ。
ふきんでゴシゴシ擦るたび、さらりと毛先が揺れて光を反射していく。頭に巻かれた鉢巻きの端が、肩からするりと落ちていった。
嬉しそうに振り返って、こちらを見つめてくる。小首を傾げるその仕草に、それ以上の言葉が出せず立ち尽くしていた。
「あの、土井先生。どうしました? ぼーっとされて……」
「あ、いやあ。どっちの定食にしようかな、と……」
「ごめんなさいっ。豆腐ハンバーグしか残ってなくって」
「そ、そうか!」
「兵助くんのお豆腐で作ったから、とても美味しいですよ」
席につくと、名前さんがパタパタとカウンターに入っていき夕飯を準備している。
こちらまで定食を運んでくれると、にこっとほほ笑み再びお手伝いに戻ってしまった。時折りおばちゃんと話す声や笑い声が聞こえて、和気あいあいとした雰囲気だ。ぼんやりしながらご飯をほお張っては、ちらりとカウンターの中に目をやった。
食事が終わりかけたころ。
白い湯気のたつお茶をコトンと目の前に置かれる。
「土井先生、一日お疲れさまでした」
「ありがとう。兵助の豆腐は美味しかったなあ」
名前さんは向かい合うように腰かけて、優しく目を細めている。小さな両手で湯呑みを包み、口元まで運ぶとお茶をすすった。
「そうそう。今日、火薬委員会の子たちに面白い甘酒を試食をさせてもらったんです」
「……面白い甘酒?」
「タカ丸くんが焔硝蔵が寒いからって甘酒をたくさん買いすぎちゃって。それを、金楽寺の縁日で売るそうなんです。ふつうの甘酒じゃ売れないだろうって、みんなで色々考えて」
「そんなことがあったのか。まったく、なんで甘酒なんか」
「甘酒をかけたお豆腐、とっても美味しかったんですよ? きっと、完売しますから」
「あいつらも、色々考えているんだな」
「そうですね。あと……縁日に来てくださいって、誘われちゃいました。行きたいんですけど、でも……」
遠くを見つめて笑う表情に、少しの憂いを感じる。彼女のことだ、本当は金楽寺の縁日に行きたいのだろう。湯呑みを握る手に、ぎゅっと力がこもっていた。
「……すべて落ち着いたら、一緒に行こう」
「えっ……?」
「桜祭りも、夏祭りも……。これから、たくさんあるからね」
「とっても楽しそうです」
「君とデートできるなんて幸せだ」
「……せ、先生っ!?」
湯呑みに添えられた名前さんの手の甲を、優しく包み込む。細っそりした手首に指先をそわせ、さわさわと撫でていく。くすっと笑いつつ、冗談とも本気とも取れるような言い方で、自分でもズルいと思う。
くすぐったさに手を引っ込めようとするから、逃さないようぐっと手首を掴んでかたく握りしめた。
「顔が真っ赤になってる」
「そんなこと言うからです……!」
「だって、本当のことだろう?」
「……もうっ」
そのうち耳まで赤く染まって、恥ずかしさに瞳が潤んでいる。繋いだ手から、その鼓動まで伝わってくるようだ。
「二人とも! もう食堂閉めるわよー!」
「「……はいっ!」」
甘い雰囲気を断ち切るかのように、おばちゃんの大きな声が響く。パッと手を離しぎこちなく笑い合うと、二人で長屋へと戻っていくのだった。