第39話 君のかおり
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秋休みも終わり、慌ただしい学園生活が戻って数日。薬草のかおりが漂う医務室で、新野先生から頼まれた薬の整理をしていた。
さんざし、さ行だからこの引き出しで……う、うばい?烏梅は……ここかな。
真っ黒の、ゴツゴツしたかたまりを壊さないようにそっとしまう。伊作くんに間違えていないか確認しつつ、薬の名前を覚えるのはなかなか難しい。一所懸命、頭に叩き込みながら作業していく。
「伊作くん、伏木蔵くん! こっちは終わったよ」
「名前さん、ありがとうございます!」
「……ぼくも、あと少しです……はやく終わりそうで、助かります……」
「役に立てて嬉しいっ。それにしても、いっぱい仕入れたんだね」
「臨時で予算が追加されたんですよ」
「そうなんだ! みんなの頑張りが文次郎くんたちに伝わったのかな」
伊作くんと伏木蔵くんと一緒に、大きな棚の引き出しに薬を詰める。ときどき顔を見合わせては労い合っていた。
「……はくしゅんっ! っ、うわあ……!」
「ふ、伏木蔵くんッ!?」
ふみ台に登って、棚の一番上の引き出しを探る伏木蔵くんが大きなくしゃみをした途端。悲鳴と共に足を滑らせ台から落ちていく。
伊作くんは伏木蔵くんをかばおうと下敷きになり、私はこの状況に驚いてバランスを崩して、同じく転げ落ちたのだった。痛む体をさすり顔を上げる。抱えていた薬がばらばらと床一面にまき散らされていた。
*
――カタン
「失礼しまーす、不破雷蔵に変装した鉢屋三郎です! って、どうしたんですか?!」
「三郎くんっ! いつものことだから……あはは」
実技の授業で腕をケガしてしまい、痛み止めをもらおうと医務室へやって来たら。棚の前に転がる名前さんたちと床に散らばる薬。その光景に、仮面ごしから目を見開く。
「い、伊作先輩に名前さん……ご、ごめんなさいぃ……」
「伏木蔵、大丈夫だ……! 気にしないで」
伏木蔵がいつもより青白い顔で消え入りそうに呟くと、伊作先輩が困り顔で笑っている。痛む腕を庇いつつ、一緒に落ちた薬をかき集めていった。
「三郎、悪いね。医務室へ来たってことは、怪我か何かしたんだろう?」
「ええ、授業で腕を痛めまして」
「鉢屋先輩……。お怪我されているのに……ぼくのせいで手伝わせてしまって……」
「伏木蔵。そんなに落ち込むなよ、なっ」
「さあ、手当てしよう」
袖をまくり、右腕を伊作先輩に差し出しながら状況を伝える。酷い怪我ではないけれど、動かすと痛みと違和感が襲ってきて診てもらった方が良いと思ったのだ。
伊作先輩が手当てするところを、名前さんと伏木蔵がまじまじと観察していた。二人とも、何の薬をどんな風に扱うのか熱心に学んでいるようだ。
「切り傷ではなく、打ち身だね。名前さんの得意分野だ」
「たしかに、名前さん。よく色んなところにぶつけてますもんねぇ」
伊作先輩が少し冗談っぽく名前さんに話しかける。あはは……と苦笑する彼女がおかしくて、続いて言葉を重ねた。
「もう、三郎くんまで! すごく見られてるみたいで恥ずかしいっ。気をつけます……」
「だって、名前さんに何かあると心配して慌てる先生がいるじゃないですか? 面白くて」
「ええっ?! そ、そうかな? いやいや、違うって!」
「ほら、三郎。終わったよ」
先輩が薬を塗り終わると、今度は伏木蔵が包帯を巻いてくれた。保健委員みんなで対応してくれてむず痒い気持ちになる。
それにしても――
名前さんに何かあると、土井先生が分かりやすいくらいに慌てるんだよなあ。名前は出さなかったけれど、名前さんもそう言われて赤くなっているし。あんなに焦って、しどろもどろになっている。
でも先日。正門で、利吉さんと仲良く腕を組んで一緒に歩いていたのは……まるで伝子さん、いや山田先生公認の仲みたいに見えたんだけど。
確かめてみるか。
「三郎くん。また見せに来てね?」
「分かりました、名前さん」
にやりと緩む口元をかみ殺して医務室を失礼すると、あの人の仮面を探すべく忍たま長屋へ急いだ。
*
定食のメニューを壁に貼り付け、ふぅっとため息をつく。今日のA定食はマーボー豆腐で、B定食はおでんだ。無くならないように土井先生の分を確保しておかなくちゃ。
「名前ちゃーん、お茶いれたわよ」
「はぁい、」
食堂のおばちゃんからお茶を受け取り、テーブルでひと休みしている。髪を隠していた頭巾を解くと、一気に力が抜けていった。
さきほどの、三郎くんの言葉。
私を心配して慌てる先生。土井先生の姿が浮かび、ドキッとしてしまった。なんともない顔をして誤魔化したつもりだけど……どうだろう。みんな、忍者のたまごだからかよく観察していて気が抜けない。
湯呑みのふちを指でなぞっていると、食堂の入り口から女の子たちのキャッキャする声が聞こえてきた。
「あっ、名前さんでしゅ!」
「おシゲちゃんたちーっ。授業お疲れさま。おいでおいでっ」
くのたまの三人がやって来て、その可愛らしさに大きく手を振る。一緒に座ろうと呼びかけると、みんなのお茶を用意するべくカウンターの中へ小走りで向かった。
「「「名前さん、ありがとうございます!」」」
「いえいえっ」
みんなにお茶を配り、私もちょこんと椅子に腰かける。
「私たち、ちょうど名前さんを探してたところなんです!」
「ユキちゃん、どうしたの?」
「じつは……今度の週末、街に出て大木先生のラッキョ売りを手伝うことになったんです。体験学習の一環で」
ユキちゃんがそう教えてくれると、トモミちゃんが遠慮がちにこちらを見つめる。
「ラッキョ娘として頑張るので、ぜひ名前さんにも協力して欲しくって」
「トモミちゃん、でも授業なんだよね? 私が勝手に参加しちゃって大丈夫なのかな」
「そう思って、シナ先生に許可をいただいたんでしゅ!」
「さすがくのたま! じゃあ、私もラッキョ娘として頑張りますっ」
「「「やったー!」」」
きらきら光るつぶらな瞳に期待され、断ることなんて出来なかった。いや、断るどころか楽しみだ。たくさん売って、街の人にラッキョの美味しさを広めたい、なんてわくわくしてくる。
ふとユキちゃんを見れば、口を尖らせ不満をにじませ呟いた。
「本当は、乱太郎たち三人が手伝うはずだったんですよ? 大木先生のお願いは、は組の先生に断られちゃったみたい。補習で無理だー、って」
「へぇ、そうだったんだね……!」
「あの三人に頼んだら、名前さんも来るから心配なのかしら? 私たち誘っちゃったけど」
「土井先生ったら、やきもちでしゅかね!? 誘っちゃいましたけどっ!」
「トモミちゃん、おシゲちゃん、それは考えすぎじゃないかなぁ? だって、いつも補習だらけだし……」
「「「またまたあ〜?」」」
雅之助さんの依頼を、山田先生も土井先生も断ったのだろうか? すごく珍しい。ユキちゃんたちは含みを持った視線を送ってくるけれど……。一年は組の様子から、補習で忙しいのは本当だと思ってしまう。
「ほ、ほんとに、そんなことないってば!」
「ふぅーん……。でも、名前さん。この間は利吉さんと腕組みされてましたね?」
伝子さんと紅を買いに行った時のことかもしれない。ユキちゃんが突然、追及するかのように問い詰めてきた。トモミちゃんは「名前さんずるーいっ!」とからかってくる。そんな中、おシゲちゃんは「わたしにはしんべヱ様がいましゅから」とひとり幸せそうだ。
あの時、正門のところで騒ぎすぎてしまった。真相は、利吉さんが伝子さんから逃げるためなのに。
くのたまにも見られているとは思わず、ひたいから汗がたらりと流れ落ちる。手の甲で汗を拭い、ぬくるなったお茶をごくりと飲み干した。
「み、みんな、そういう話に興味あるんだねっ!」
「もちろんですよー!」
「っ、そうだ! じゃあ、手相占いって知ってる?!」
「気になりましゅ!」
三人の追及から逃れるため、話題を逸らさなければ……! 手相占いなんて少ししか知らないけれど、みんなの興味が移ってひと安心だ。
それぞれ手のひらを出して見せてもらう。この線が運命の人に出会えるタイミングで――
そんな、聞きかじりの知識でしのいでいった。
テーブルを囲んでユキちゃん達と盛り上がっていると、誰かが近づいてきた。声をかけられ顔を上げる。先ほどまで話題になっていたその人が現れ、驚きに動きが止まった。
「やあ、みんな」
「「「り、利吉さん!?」」」
「街に行った以来ですね、お久しぶりですっ。今日はどうされたんですか?」
「ああ、ちょっと学園に用があってね」
利吉さんは落ち着いた茶色の髪を優雅になびかせ、何ともないように隣へ腰かけた。先ほどの、ユキちゃんたちの話を思い出し、意識してしまって恥ずかしくなる。
「ユキちゃんたち。手相占いはまた今度にしよっ」
「「「はーいっ」」」
「はあ、利吉さんっ、素敵……!」
「サインもらわなきゃ!」
「ははは、そんなに褒められると照れるな。後で書いてあげるよ」
くのたま二人は瞳を輝かせて身を乗り出した。利吉さんがそれをやんわり制して、こちらを熱っぽく見つめてくる。
「利吉さん、何か召し上がりますか?」
「君を、と言いたいところだが……お茶でももらおうかな」
「ま、またからかわないで下さいっ! お茶、入れてきますね」
かなり直球な発言で、どうしていいか分からない。熱くなった顔を見られたくなくて、逃げるようにカウンターへ走っていく。後ろでは、くのたまたちがキャーキャー言って楽しんでいる声が聞こえた。
調理場でお湯を沸かしながら、遠巻きに利吉さんたちを盗み見る。困ったように笑いながら、ユキちゃん達に差し出された色紙を受け取って……。ユキちゃん、トモミちゃんは目をハートにして食い入るように見つめていた。
利吉さん、急にどうしちゃったんだろう。くのたまと話していたことを聞いて、からかってるだけなのかな……? あんなに意味深に見つめられたら、平気なふりなんて出来ないのに。
気を取り直しお茶を準備すると、わいわい騒いでいるテーブルへ運ぶ。利吉さんは軽く礼をしてから熱々の湯呑みに口をつけた。それが嬉しくて、隣にちょこんと腰掛ける。
「あれ、ユキちゃんたちサイン書いてもらったの?」
「「そうなんですー! 名前さんもどうですか!?」」
「わ、わたしは大丈夫、かな」
「サインなんかなくても、良い仲ってことでしゅか!?」
「ちょ、ちょっとおシゲちゃん! 違うってば!」
おシゲちゃんは無邪気に笑っている。ぶんぶんと首を振るも、否定しすぎて怪しいかもしれない。
「名前さん。ちょっとこちらへ」
「……っ!?」
となりに座る利吉さんがぐっと近づき肩に腕を回してくる。固まっていると、耳元へそっと顔を寄せた。ほのかに、覚えのある香りが鼻腔を掠める。
キャッキャしながら囃したてるくのたまを残し、食堂の勝手口へと連れて行かれるのだった。
「あのっ! 今日の利吉さん、ちょっと変です」
「そんなことないさ」
「そうですよ!」
利吉さんに勝手口まで手を引かれ、訳がわからず何とか着いていく。開け放たれている戸から一歩外へ出ると、涼しく乾いた風がすーっと流れていった。カラカラと落ち葉が足元を転がる音が響く。
からかっているとしたら、ちょっと酷い。そんなに困っているところを見るのが楽しいのかな……?
「いつもと違う、か……」
「さては。また、伝子さんから逃げるためですか?」
「え? どう言うこと?」
「えっ……? あの時のこと、覚えてないんですか? 伝子さんと歩きたくないから、私にくっ付いてたじゃないですかっ」
「そ、そうだっけ、ははは……」
なんだか、話が噛み合っていない気がする。利吉さんが少し焦って頭をかいたからか、先ほどと同じ馴染みのある香りがふわりと漂う。
その香りの元を突き止めようと、くんくんする。
右腕のあたりから、薬草の独特な匂いが強くなって――
思わず、疑いの目で利吉さんを見上げた。
*
よし。今日はおでん定食があるのをメニュー表でしっかりと確認した。
何となく、そんな予感がしていたけれど当たっているなんて我ながらすごい勘だ。名前さんにA定食を残しておいてもらおうと、食堂の入り口から顔を覗かせその姿を探す。
「「「あー! 土井先生っ!」」」
「な、なんだ!? 大きな声で……!」
「すみませんっ。もしかして、名前さんを探してらっしゃるのでしゅか?」
「あ、ああ、そんなところだ。って、みんなで笑うか!?」
私を見ると、くのたま三人が吹き出しそうになっている。何がそんなにおかしいんだ?
「土井先生、すみません! 名前さんなら、利吉さんと勝手口へ行かれましたよ? ね、トモミちゃんっ」
「はい、だから邪魔しない方が良いんじゃないかと思うんですけど……?」
「……はあ!?」
二人で一緒にいるのか!?
邪魔しない方が良いとは何なんだ。
勝手口に行って確認したい……! けれど、見たくない気もする。
でも結局――
モヤモヤする気持ちに負けて、カウンターから二人が佇む場所へと進む足を止められない。
戸口から少し顔を出して辺りを観察する。
準備してある夕食の、香ばしいかおりがあたりに漂っていた。
すぐ近くの壁ぎわで、ふたり向き合って何かを話している。名前さんの表情まで捉えきれないが、ぎこちない雰囲気が感じ取れる。少なくとも、甘い様子ではなさそうだ。
どうしたんだ?なんて声を掛けようと、一歩踏みだした瞬間。どこからともなく大きな声が聞こえてきた。
「おーい! 何やってんだ三郎!」
利吉くんの姿から、ささっと五年生の制服に早変わりした。高く結った明るい茶色の髪がバサリと揺れる。
名前さんはとても驚いたように口を手で覆ってから、鉢屋を指差していた。後から不破雷蔵が駆けてきて、三人で騒いでいる。
「鉢屋! 利吉くんに変装して、いったい何を企んでいたんだ?!」
「「「ど、土井先生っ!」」」
外へ飛び出し、鉢屋と不破に向かって大声で呼びかけた。二人して同じ顔を同じように引きつらせ気まずそうだ。
「わ、私は関係ないですよね、土井先生!? 三郎が部屋でこそこそしていて、怪しいと思って探してただけで……」
「す、すみませんでした! でも利吉さんと名前さん、何もなさそうですよ! いくぞ、雷蔵ッ」
「迷ってたけど……おとなしく、部屋にいれば良かった〜!」
「おい、二人とも逃げるなーっ!」
一目散に逃げていく姿に眉をひそめて立ち尽くす。
何もないだって……?
鉢屋の発言が頭の中をぐるぐる巡り思考が止まる。
「あの、土井先生。どうしてここに……?」
「君に話があって……えっと、なんでだったかな……」
「思い出したら教えてくださいね」
「ああ。それより、大丈夫かい?」
「はいっ。利吉さんから三郎くんになってびっくりしちゃいましたけど」
逃げる鉢屋たちから視線を隣に移す。こぼれる髪を耳にかけながら、くすくす笑う名前さんがいつも通りでほっとした。
「でも、先生。本当は……香りで分かったんです。利吉さんじゃないって」
「そ、それは、どう言うことなんだ?」
「そんなに驚くことじゃないですよ?」
「いやいや! ……え!?」
利吉くんの香りが分かるって、かなり近づいたことがあるってことだよな? 一人で焦る私とは正反対に、名前さんは何ともないようにニコニコしている。
「今日、三郎くんの怪我を手当てしたんです。でも、利吉さんから同じ薬草の香りがして。……様子も変だったし。きっと、変装してるのかなって」
「そ、そうだったのか」
「土井先生は、少し焦げた……火薬のにおいがします」
首を傾げ、ふわりとほほ笑みながらこちらを見上げてくる。
火薬のにおい。忍装束に染み付いたそれは、名前さんへ届いていたのか。どうしようもなく君を抱き締めたり、触れてしまったせいだ。
覗き込む姿が可愛くて、思わず引き寄せたくなる。名前さんは、きっと甘くて柔らかくて――
「君のかおりは……」
「あっ、香りで思い出したっ! 今日はA定食のマーボー豆腐を取っておかなきゃっ。B定食がおでんなんです!」
彼女は閃いたように両手を握りしめ、くるりと身体を翻すと調理場へ走って行ってしまった。
……そういえば、おでんの件で名前さんを探していたんだった。たしかに、辺りは出汁や香ばしい香りに包まれている。利吉くんとは何もなさそうだし、足取り軽く私も食堂へと向かうのだった。
(おまけ)
「ちょっと、ユキちゃんおシゲちゃん! 私たちも名前さんたちを見に行かないっ?」
「行く行くー!」
「なんだか悪い気がしましゅ……でも、気になっちゃう」
土井先生が焦って駆けて行くものだから、どんなことになっちゃうのか少し心配だけど……。でも見てみたい!
三人でこそこそカウンターに向かうと、外から「三郎!」と叫ぶ声が聞こえてきた。鉢屋先輩の名前が急に出てきて、みんなで顔を見合わせる。さらに足を奥の調理場へと進ませた。
開け放たれた勝手口から顔を覗かせると――
名前さんは困っておろおろして、鉢屋先輩と不破先輩が土井先生に怒られているところだった。
「……も、もしかして、変装してたんでしゅかね?」
「「せっかく利吉さんのサイン、もらえたと思ったのにー!」」
ガックリとうなだれる様子を、調理場の奥にある小部屋から出てきたおばちゃんに心配されるのだった。
さんざし、さ行だからこの引き出しで……う、うばい?烏梅は……ここかな。
真っ黒の、ゴツゴツしたかたまりを壊さないようにそっとしまう。伊作くんに間違えていないか確認しつつ、薬の名前を覚えるのはなかなか難しい。一所懸命、頭に叩き込みながら作業していく。
「伊作くん、伏木蔵くん! こっちは終わったよ」
「名前さん、ありがとうございます!」
「……ぼくも、あと少しです……はやく終わりそうで、助かります……」
「役に立てて嬉しいっ。それにしても、いっぱい仕入れたんだね」
「臨時で予算が追加されたんですよ」
「そうなんだ! みんなの頑張りが文次郎くんたちに伝わったのかな」
伊作くんと伏木蔵くんと一緒に、大きな棚の引き出しに薬を詰める。ときどき顔を見合わせては労い合っていた。
「……はくしゅんっ! っ、うわあ……!」
「ふ、伏木蔵くんッ!?」
ふみ台に登って、棚の一番上の引き出しを探る伏木蔵くんが大きなくしゃみをした途端。悲鳴と共に足を滑らせ台から落ちていく。
伊作くんは伏木蔵くんをかばおうと下敷きになり、私はこの状況に驚いてバランスを崩して、同じく転げ落ちたのだった。痛む体をさすり顔を上げる。抱えていた薬がばらばらと床一面にまき散らされていた。
*
――カタン
「失礼しまーす、不破雷蔵に変装した鉢屋三郎です! って、どうしたんですか?!」
「三郎くんっ! いつものことだから……あはは」
実技の授業で腕をケガしてしまい、痛み止めをもらおうと医務室へやって来たら。棚の前に転がる名前さんたちと床に散らばる薬。その光景に、仮面ごしから目を見開く。
「い、伊作先輩に名前さん……ご、ごめんなさいぃ……」
「伏木蔵、大丈夫だ……! 気にしないで」
伏木蔵がいつもより青白い顔で消え入りそうに呟くと、伊作先輩が困り顔で笑っている。痛む腕を庇いつつ、一緒に落ちた薬をかき集めていった。
「三郎、悪いね。医務室へ来たってことは、怪我か何かしたんだろう?」
「ええ、授業で腕を痛めまして」
「鉢屋先輩……。お怪我されているのに……ぼくのせいで手伝わせてしまって……」
「伏木蔵。そんなに落ち込むなよ、なっ」
「さあ、手当てしよう」
袖をまくり、右腕を伊作先輩に差し出しながら状況を伝える。酷い怪我ではないけれど、動かすと痛みと違和感が襲ってきて診てもらった方が良いと思ったのだ。
伊作先輩が手当てするところを、名前さんと伏木蔵がまじまじと観察していた。二人とも、何の薬をどんな風に扱うのか熱心に学んでいるようだ。
「切り傷ではなく、打ち身だね。名前さんの得意分野だ」
「たしかに、名前さん。よく色んなところにぶつけてますもんねぇ」
伊作先輩が少し冗談っぽく名前さんに話しかける。あはは……と苦笑する彼女がおかしくて、続いて言葉を重ねた。
「もう、三郎くんまで! すごく見られてるみたいで恥ずかしいっ。気をつけます……」
「だって、名前さんに何かあると心配して慌てる先生がいるじゃないですか? 面白くて」
「ええっ?! そ、そうかな? いやいや、違うって!」
「ほら、三郎。終わったよ」
先輩が薬を塗り終わると、今度は伏木蔵が包帯を巻いてくれた。保健委員みんなで対応してくれてむず痒い気持ちになる。
それにしても――
名前さんに何かあると、土井先生が分かりやすいくらいに慌てるんだよなあ。名前は出さなかったけれど、名前さんもそう言われて赤くなっているし。あんなに焦って、しどろもどろになっている。
でも先日。正門で、利吉さんと仲良く腕を組んで一緒に歩いていたのは……まるで伝子さん、いや山田先生公認の仲みたいに見えたんだけど。
確かめてみるか。
「三郎くん。また見せに来てね?」
「分かりました、名前さん」
にやりと緩む口元をかみ殺して医務室を失礼すると、あの人の仮面を探すべく忍たま長屋へ急いだ。
*
定食のメニューを壁に貼り付け、ふぅっとため息をつく。今日のA定食はマーボー豆腐で、B定食はおでんだ。無くならないように土井先生の分を確保しておかなくちゃ。
「名前ちゃーん、お茶いれたわよ」
「はぁい、」
食堂のおばちゃんからお茶を受け取り、テーブルでひと休みしている。髪を隠していた頭巾を解くと、一気に力が抜けていった。
さきほどの、三郎くんの言葉。
私を心配して慌てる先生。土井先生の姿が浮かび、ドキッとしてしまった。なんともない顔をして誤魔化したつもりだけど……どうだろう。みんな、忍者のたまごだからかよく観察していて気が抜けない。
湯呑みのふちを指でなぞっていると、食堂の入り口から女の子たちのキャッキャする声が聞こえてきた。
「あっ、名前さんでしゅ!」
「おシゲちゃんたちーっ。授業お疲れさま。おいでおいでっ」
くのたまの三人がやって来て、その可愛らしさに大きく手を振る。一緒に座ろうと呼びかけると、みんなのお茶を用意するべくカウンターの中へ小走りで向かった。
「「「名前さん、ありがとうございます!」」」
「いえいえっ」
みんなにお茶を配り、私もちょこんと椅子に腰かける。
「私たち、ちょうど名前さんを探してたところなんです!」
「ユキちゃん、どうしたの?」
「じつは……今度の週末、街に出て大木先生のラッキョ売りを手伝うことになったんです。体験学習の一環で」
ユキちゃんがそう教えてくれると、トモミちゃんが遠慮がちにこちらを見つめる。
「ラッキョ娘として頑張るので、ぜひ名前さんにも協力して欲しくって」
「トモミちゃん、でも授業なんだよね? 私が勝手に参加しちゃって大丈夫なのかな」
「そう思って、シナ先生に許可をいただいたんでしゅ!」
「さすがくのたま! じゃあ、私もラッキョ娘として頑張りますっ」
「「「やったー!」」」
きらきら光るつぶらな瞳に期待され、断ることなんて出来なかった。いや、断るどころか楽しみだ。たくさん売って、街の人にラッキョの美味しさを広めたい、なんてわくわくしてくる。
ふとユキちゃんを見れば、口を尖らせ不満をにじませ呟いた。
「本当は、乱太郎たち三人が手伝うはずだったんですよ? 大木先生のお願いは、は組の先生に断られちゃったみたい。補習で無理だー、って」
「へぇ、そうだったんだね……!」
「あの三人に頼んだら、名前さんも来るから心配なのかしら? 私たち誘っちゃったけど」
「土井先生ったら、やきもちでしゅかね!? 誘っちゃいましたけどっ!」
「トモミちゃん、おシゲちゃん、それは考えすぎじゃないかなぁ? だって、いつも補習だらけだし……」
「「「またまたあ〜?」」」
雅之助さんの依頼を、山田先生も土井先生も断ったのだろうか? すごく珍しい。ユキちゃんたちは含みを持った視線を送ってくるけれど……。一年は組の様子から、補習で忙しいのは本当だと思ってしまう。
「ほ、ほんとに、そんなことないってば!」
「ふぅーん……。でも、名前さん。この間は利吉さんと腕組みされてましたね?」
伝子さんと紅を買いに行った時のことかもしれない。ユキちゃんが突然、追及するかのように問い詰めてきた。トモミちゃんは「名前さんずるーいっ!」とからかってくる。そんな中、おシゲちゃんは「わたしにはしんべヱ様がいましゅから」とひとり幸せそうだ。
あの時、正門のところで騒ぎすぎてしまった。真相は、利吉さんが伝子さんから逃げるためなのに。
くのたまにも見られているとは思わず、ひたいから汗がたらりと流れ落ちる。手の甲で汗を拭い、ぬくるなったお茶をごくりと飲み干した。
「み、みんな、そういう話に興味あるんだねっ!」
「もちろんですよー!」
「っ、そうだ! じゃあ、手相占いって知ってる?!」
「気になりましゅ!」
三人の追及から逃れるため、話題を逸らさなければ……! 手相占いなんて少ししか知らないけれど、みんなの興味が移ってひと安心だ。
それぞれ手のひらを出して見せてもらう。この線が運命の人に出会えるタイミングで――
そんな、聞きかじりの知識でしのいでいった。
テーブルを囲んでユキちゃん達と盛り上がっていると、誰かが近づいてきた。声をかけられ顔を上げる。先ほどまで話題になっていたその人が現れ、驚きに動きが止まった。
「やあ、みんな」
「「「り、利吉さん!?」」」
「街に行った以来ですね、お久しぶりですっ。今日はどうされたんですか?」
「ああ、ちょっと学園に用があってね」
利吉さんは落ち着いた茶色の髪を優雅になびかせ、何ともないように隣へ腰かけた。先ほどの、ユキちゃんたちの話を思い出し、意識してしまって恥ずかしくなる。
「ユキちゃんたち。手相占いはまた今度にしよっ」
「「「はーいっ」」」
「はあ、利吉さんっ、素敵……!」
「サインもらわなきゃ!」
「ははは、そんなに褒められると照れるな。後で書いてあげるよ」
くのたま二人は瞳を輝かせて身を乗り出した。利吉さんがそれをやんわり制して、こちらを熱っぽく見つめてくる。
「利吉さん、何か召し上がりますか?」
「君を、と言いたいところだが……お茶でももらおうかな」
「ま、またからかわないで下さいっ! お茶、入れてきますね」
かなり直球な発言で、どうしていいか分からない。熱くなった顔を見られたくなくて、逃げるようにカウンターへ走っていく。後ろでは、くのたまたちがキャーキャー言って楽しんでいる声が聞こえた。
調理場でお湯を沸かしながら、遠巻きに利吉さんたちを盗み見る。困ったように笑いながら、ユキちゃん達に差し出された色紙を受け取って……。ユキちゃん、トモミちゃんは目をハートにして食い入るように見つめていた。
利吉さん、急にどうしちゃったんだろう。くのたまと話していたことを聞いて、からかってるだけなのかな……? あんなに意味深に見つめられたら、平気なふりなんて出来ないのに。
気を取り直しお茶を準備すると、わいわい騒いでいるテーブルへ運ぶ。利吉さんは軽く礼をしてから熱々の湯呑みに口をつけた。それが嬉しくて、隣にちょこんと腰掛ける。
「あれ、ユキちゃんたちサイン書いてもらったの?」
「「そうなんですー! 名前さんもどうですか!?」」
「わ、わたしは大丈夫、かな」
「サインなんかなくても、良い仲ってことでしゅか!?」
「ちょ、ちょっとおシゲちゃん! 違うってば!」
おシゲちゃんは無邪気に笑っている。ぶんぶんと首を振るも、否定しすぎて怪しいかもしれない。
「名前さん。ちょっとこちらへ」
「……っ!?」
となりに座る利吉さんがぐっと近づき肩に腕を回してくる。固まっていると、耳元へそっと顔を寄せた。ほのかに、覚えのある香りが鼻腔を掠める。
キャッキャしながら囃したてるくのたまを残し、食堂の勝手口へと連れて行かれるのだった。
「あのっ! 今日の利吉さん、ちょっと変です」
「そんなことないさ」
「そうですよ!」
利吉さんに勝手口まで手を引かれ、訳がわからず何とか着いていく。開け放たれている戸から一歩外へ出ると、涼しく乾いた風がすーっと流れていった。カラカラと落ち葉が足元を転がる音が響く。
からかっているとしたら、ちょっと酷い。そんなに困っているところを見るのが楽しいのかな……?
「いつもと違う、か……」
「さては。また、伝子さんから逃げるためですか?」
「え? どう言うこと?」
「えっ……? あの時のこと、覚えてないんですか? 伝子さんと歩きたくないから、私にくっ付いてたじゃないですかっ」
「そ、そうだっけ、ははは……」
なんだか、話が噛み合っていない気がする。利吉さんが少し焦って頭をかいたからか、先ほどと同じ馴染みのある香りがふわりと漂う。
その香りの元を突き止めようと、くんくんする。
右腕のあたりから、薬草の独特な匂いが強くなって――
思わず、疑いの目で利吉さんを見上げた。
*
よし。今日はおでん定食があるのをメニュー表でしっかりと確認した。
何となく、そんな予感がしていたけれど当たっているなんて我ながらすごい勘だ。名前さんにA定食を残しておいてもらおうと、食堂の入り口から顔を覗かせその姿を探す。
「「「あー! 土井先生っ!」」」
「な、なんだ!? 大きな声で……!」
「すみませんっ。もしかして、名前さんを探してらっしゃるのでしゅか?」
「あ、ああ、そんなところだ。って、みんなで笑うか!?」
私を見ると、くのたま三人が吹き出しそうになっている。何がそんなにおかしいんだ?
「土井先生、すみません! 名前さんなら、利吉さんと勝手口へ行かれましたよ? ね、トモミちゃんっ」
「はい、だから邪魔しない方が良いんじゃないかと思うんですけど……?」
「……はあ!?」
二人で一緒にいるのか!?
邪魔しない方が良いとは何なんだ。
勝手口に行って確認したい……! けれど、見たくない気もする。
でも結局――
モヤモヤする気持ちに負けて、カウンターから二人が佇む場所へと進む足を止められない。
戸口から少し顔を出して辺りを観察する。
準備してある夕食の、香ばしいかおりがあたりに漂っていた。
すぐ近くの壁ぎわで、ふたり向き合って何かを話している。名前さんの表情まで捉えきれないが、ぎこちない雰囲気が感じ取れる。少なくとも、甘い様子ではなさそうだ。
どうしたんだ?なんて声を掛けようと、一歩踏みだした瞬間。どこからともなく大きな声が聞こえてきた。
「おーい! 何やってんだ三郎!」
利吉くんの姿から、ささっと五年生の制服に早変わりした。高く結った明るい茶色の髪がバサリと揺れる。
名前さんはとても驚いたように口を手で覆ってから、鉢屋を指差していた。後から不破雷蔵が駆けてきて、三人で騒いでいる。
「鉢屋! 利吉くんに変装して、いったい何を企んでいたんだ?!」
「「「ど、土井先生っ!」」」
外へ飛び出し、鉢屋と不破に向かって大声で呼びかけた。二人して同じ顔を同じように引きつらせ気まずそうだ。
「わ、私は関係ないですよね、土井先生!? 三郎が部屋でこそこそしていて、怪しいと思って探してただけで……」
「す、すみませんでした! でも利吉さんと名前さん、何もなさそうですよ! いくぞ、雷蔵ッ」
「迷ってたけど……おとなしく、部屋にいれば良かった〜!」
「おい、二人とも逃げるなーっ!」
一目散に逃げていく姿に眉をひそめて立ち尽くす。
何もないだって……?
鉢屋の発言が頭の中をぐるぐる巡り思考が止まる。
「あの、土井先生。どうしてここに……?」
「君に話があって……えっと、なんでだったかな……」
「思い出したら教えてくださいね」
「ああ。それより、大丈夫かい?」
「はいっ。利吉さんから三郎くんになってびっくりしちゃいましたけど」
逃げる鉢屋たちから視線を隣に移す。こぼれる髪を耳にかけながら、くすくす笑う名前さんがいつも通りでほっとした。
「でも、先生。本当は……香りで分かったんです。利吉さんじゃないって」
「そ、それは、どう言うことなんだ?」
「そんなに驚くことじゃないですよ?」
「いやいや! ……え!?」
利吉くんの香りが分かるって、かなり近づいたことがあるってことだよな? 一人で焦る私とは正反対に、名前さんは何ともないようにニコニコしている。
「今日、三郎くんの怪我を手当てしたんです。でも、利吉さんから同じ薬草の香りがして。……様子も変だったし。きっと、変装してるのかなって」
「そ、そうだったのか」
「土井先生は、少し焦げた……火薬のにおいがします」
首を傾げ、ふわりとほほ笑みながらこちらを見上げてくる。
火薬のにおい。忍装束に染み付いたそれは、名前さんへ届いていたのか。どうしようもなく君を抱き締めたり、触れてしまったせいだ。
覗き込む姿が可愛くて、思わず引き寄せたくなる。名前さんは、きっと甘くて柔らかくて――
「君のかおりは……」
「あっ、香りで思い出したっ! 今日はA定食のマーボー豆腐を取っておかなきゃっ。B定食がおでんなんです!」
彼女は閃いたように両手を握りしめ、くるりと身体を翻すと調理場へ走って行ってしまった。
……そういえば、おでんの件で名前さんを探していたんだった。たしかに、辺りは出汁や香ばしい香りに包まれている。利吉くんとは何もなさそうだし、足取り軽く私も食堂へと向かうのだった。
(おまけ)
「ちょっと、ユキちゃんおシゲちゃん! 私たちも名前さんたちを見に行かないっ?」
「行く行くー!」
「なんだか悪い気がしましゅ……でも、気になっちゃう」
土井先生が焦って駆けて行くものだから、どんなことになっちゃうのか少し心配だけど……。でも見てみたい!
三人でこそこそカウンターに向かうと、外から「三郎!」と叫ぶ声が聞こえてきた。鉢屋先輩の名前が急に出てきて、みんなで顔を見合わせる。さらに足を奥の調理場へと進ませた。
開け放たれた勝手口から顔を覗かせると――
名前さんは困っておろおろして、鉢屋先輩と不破先輩が土井先生に怒られているところだった。
「……も、もしかして、変装してたんでしゅかね?」
「「せっかく利吉さんのサイン、もらえたと思ったのにー!」」
ガックリとうなだれる様子を、調理場の奥にある小部屋から出てきたおばちゃんに心配されるのだった。