第38話 杭瀬村の秋休み
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澄み切った青空にはうろこ雲がゆったりと広がっている。木陰ではケロちゃん、ラビちゃんが寄り添って休んでいた。
杭瀬村で過ごして数日。
雅之助さんと二人きりだ……!なんて初日は緊張していたのに。畑仕事に明け暮れる日々のせいで、すっかりドキドキが消え去っていった。今日も朝早くから、初夏に植えたネギを収穫している。
「埋まった部分を傷つけないように、くわで土を柔らかくするんだぞ」
「こうですか?」
「もっと腰を入れてやるんだ!」
「はいっ!」
教えてもらった通り、地中に埋まった可食部を痛めないよう土を掘り返し、ほぐしてから緑の部分を掴んでグッと引っこ抜く。
しばらく一緒に教えてもらうと、雅之助さんは問題ないと判断したのか、少し離れた畑へ行ってしまった。
カラッとした空気の中、くわを振り上げザクッと土を抉っていく。力を込めて握りしめるから手のひらが痛い。また豆ができそうだ。
しゃがんで葉の部分を引っ張ると立派なネギが顔を出した。大変な作業だけれど、おいしそうな野菜を見ると疲れが吹き飛んでしまう。
「雅之助さーん、カゴがいっぱいになりました!」
「よーし! いったん家に置いて来たら、また戻ってこい!」
「は、はーい」
……まだまだ、続きそう。
遠くで作業している雅之助さんに大声で呼びかけると、容赦ない返事が返ってくる。両手をうーんと伸ばし、疲れがたまって重くなった肩をほぐした。
よいしょ、とネギがたくさん入ったカゴを背負い家へと向かっていく。土間のヘリに野菜を積み置くと、空になったカゴを掴んでまた畑へと繰り出す。
天高く昇った太陽が少し傾いたころ。
雅之助さんと家に戻り、軽く昼食を済ませると、今度は採れたてのネギを仕分けしていた。土間に置かれた山から、ひとつずつ大きさを選別していく。
「名前。今日は通販の注文が入っているのと、隣町の組合員がネギを取りに来るぞ!」
「毎日たくさん注文があってすごいですね」
「わしがどこんじょー!で育てた野菜だからな」
「あはは、本当に」
わさわさと二人でネギを括りながら、ニッと笑い合う。疲れたからお茶でも入れようかと思っていると、かすかに男の人の声が聞こえてきた。誰だろう……? おもむろに振り返り、声のする方を見つめる。
「大木雅之助さん、いますかー? 野菜を受け取りに来ました」
「ああ、はい、いま伺います!」
雅之助さんはガラリと土間へ向かい戸口を開け、声の主を確認している。「いつもありがとうございます!」なんて明るく挨拶を交わしていた。
そのお客さんは、人の良さそうな、のほほんとした雰囲気だ。烏帽子をちょこんと被って、町人のような格好をしていた。
「最近はどうですか?」そんな世間話が始まると、なかなか終わりが見えない。タイミングを見計らって、束ねたネギを腕いっぱいに抱え二人の元へと持っていく。雅之助さんは私に気がつくと「気が利くな!」と嬉しそうだ。ただそれだけで、役に立てたようで誇らしかった。
「領収書もありますよ」
「さすが名前! 助かる」
「あれ、お嫁さんいらっしゃったんですね! 仲睦まじくて羨ましい限りです」
「いやぁ、それほどでも!」
「……っ!?」
「じゃあ、また来月もよろしくお願いします」
「こちらこそ!」
カタン。
戸が閉まったことを確認すると、ぎゅっと雅之助さんの袖を掴む。ググッとにじり寄って、背の高い彼を下から覗き込んだ。
「あの! 誤解されるようなことは言わないでくださいっ」
「そんなこと言ったか? さあ、通販の準備に取り掛かるぞ!」
「……もう」
「ほれ、箱に詰めなきゃならん。手伝ってくれ」
――空が夕焼けで赤く染まる頃。
ヘトヘトになって板の間に座り込む私をよそに、雅之助さんがテキパキと夕飯の支度をしてくれていた。囲炉裏にかけた鍋からは、出汁の食欲を刺激する香りが漂う。
「出来たぞ!」
「うわぁ、美味しそう! 早く食べましょ」
「まったく、お前というやつは」
そんなことを言いながら、目尻を下げてにんまりしている。あつあつの雑炊をよそってもらうと、ふうふう息を吹きかけてから口へと運んだ。
「んーっ。野菜のおいしさを引き出すのが上手です! 雅之助さんのご飯おいしいっ」
「そうじゃろ? だが、お前の食堂のおばちゃん仕込みの味付けもなかなかだ」
「ありがとうございます! でも……」
「でも……、なんだ?」
「でも、一番最初は……雅之助さんに色々教わりましたから。おばちゃんと雅之助さんの良いとこ取りです」
「ははは、そりゃいい!」
学園に連れられた、雅之助さんとの別れ際。「美味しい料理を作れるように頑張ります!」だなんて言ったことが思い出されて照れ臭い。
雅之助さんが豪快に雑炊をかき込むとコトンと床に茶碗を置いた。
「……ふたりで囲炉裏をかこむ、というのも良いもんだな」
「そう、ですね」
あぐらに肘をつきながら、指をあごに当ててポツリと呟いている。毎日、ひとりでご飯を食べて畑を耕して。平気そうに見えるのに、寂しくなることがあるのだろうか。ふとそんな考えがよぎり、茶碗を包む手に力が入る。
「す、すみません! あまり杭瀬村に帰らなくて……」
「うむ。学園が楽しいのだろ? それは何よりだ」
大きな鍋越しに視線がぶつかる。それは優しさにあふれていて、ほほがじんわり熱くなる。パタパタと手で顔をあおいでも熱は冷めない。「ごちそうさまでした!」そう叫ぶと、そそくさと食器を抱え井戸へと駆けていくのだった。
*
翌朝。
朝日がうっすらと顔を出し、空がほんのり明らむ。小鳥の鳴き声がピィピィと聞こえてきて、お気に入りの布団の中で伸びをした。ゆっくり起き上がって雅之助さんの姿を探すけれど、見当たらない。
どこに行ったんだろう……?
キョロキョロと部屋を見回していると、外から騒がしい声が聞こえてきた。
「こらー! わしの野菜をたべるなー! あっちへ行けー!」
――バサバサバサッ
カァカァとカラスの鳴き声、それに羽の音が響き渡る。そのうち、声がしなくなり静かになった。何事かと、寝巻きのまま草鞋を引っかけ慌てて畑へと向かう。
「……ま、雅之助さんっ!?」
畑にうずくまる赤い着物が見えた。そんな姿は今まで見たことがない。不安に心臓が早鐘を打つ。
浅くなる呼吸を整えて、手のひらにかいた汗を寝巻きのすそで拭う。土の汚れも気にせずしゃがみこむと、小さく丸まっている雅之助さんの背中を何度もさすった。
「だ、大丈夫ですか?! 何があったんです?」
「すまん、名前。……ぎっくり腰で動けん」
「……ぎ、ぎ、ぎっくり腰ーっ?!」
「なかなか、どこんじょー!のあるカラスだった」
「っ、どういうことです?」
「やたらとカラスの鳴き声がして畑を見に行ったら、案の定野菜を突いていてな。追い払っていたんだが……」
「しぶとかったんですね?」
「そうだ。わしとしたことが……!」
「心配しましたよー! 何か事件があったのかと思っちゃいました」
曲者が侵入して、雅之助さんが襲われてしまったのかと血の気が引く思いだったのに。話を聞くと――畑を荒らしていたカラスを追い払おうとしたときに、腰を痛めてしまったらしい。
ひとまず、家に連れ帰らなければ。たくましい腕を首に巻きつけ、大きな身体を引きずりながらお家へと戻っていく。
ときどき痛みにうめく声が聞こえるけれど、構ってあげられる余裕なんてない。四苦八苦しながら運び、敷いてあった布団へ横たわるように支えてあげる。雅之助さんはうつ伏せになって、必死に歯を食いしばっていた。
「いたたた……!」
「そのまま休んでいて下さいね。痛み止めになる薬、持ってきたか探してみます!」
「お前の大荷物が役に立つな」
「そうでしょー?」
くすくす笑う口元を軽く押さえる。
部屋の隅に座り込み、大きな風呂敷をゴソゴソかき回していく。散々「こんなに荷物を持ってきおって」と責められていたから少し気分が良い。
「あ、ありましたー! よかった」
「……すまんな」
「大丈夫ですよ。早く良くなるといいのですが……。ちょっと失礼しますね」
貝殻に入れた塗り薬を床に置くと、雅之助さんの上衣を上にずらし袴も少し下げさせてもらう。腰って意外と低い位置にあるんだ。目のやり場に困る。
「うわあ! なんじゃ急に……!」
「だって! 薬を塗るから仕方がないじゃないですかっ」
「まあ、そうだな。……って、痛いぞ」
「大きな声出すからですよ! 少し我慢してください」
「……うむ」
なめし革のような滑らかな肌に、すくった薬をするする塗りこめていく。触れた指先からは鍛え上げられた張りのある感触が直に伝わって、心拍数が上がっていく。ドキドキを抑えるようにぎゅっとこぶしを握ってから、薬指で最後のひと塗りをする。
それにしても、ぎっくり腰ってこんなに痛いものなのかな……。あの雅之助さんが痛みに悶えるなんて相当なことだ。その辛さはよく分からないけれど、めくれた着物を優しく整えてあげた。
普段とは違う弱った姿に心が痛む。
布団に突っ伏して横を向く雅之助さんは、今も苦しそうに顔を歪めている。目線を合わせるよう屈み、そっと背中に手のひらを置いた。
「雅之助さん。私が、収穫とか注文の対応しますから」
「助かる」
「何かあったら言ってくださいね」
「……おい」
「どうされました?」
「寝巻きがはだけて丸見えだぞ?」
「……ちょ、ちょっと! 見ないでくださいっ!」
ボサボサの茶色い前髪から、にやりと不自然に歪む目元がのぞいている。デレデレした視線に恥ずかしくなって、開いた衿もとや裾をパッとたぐり寄せ、露わになった部分を隠した。
寝起きで慌てて飛び出して、背負って運んで薬を探して……。色々と動き回ったから、全く意識していなかった。こんなに心配したのに、なんだか損した気分だ。ちょっといじわるしたくて、彼の腰をぽんっとはたいた。
「い、いたたた……! やめろ、名前っ!」
「変な目で見るからですよっ」
「すまんすまん!」
*
秋休みももうすぐ終わる頃。
わしとしたことが、カラスのせいでぎっくり腰になってしまった。名前に手当てしてもらい、畑仕事も注文の対応も任せてしまっている。
今日も朝からわしの様子を心配そうに確認しては、見よう見まねで一所懸命働いていた。そんな姿に、もし嫁さんにしたら……なんて先のことを想像してしまう。やもめ暮らしも自由で楽だが、二人で過ごすこんな生活も悪くない。
ぼんやり考えていると、向こうから名前の声が聞こえてくる。布団に転がりながら、緩む口元を引き締めた。
「雅之助さーん! ご飯食べたら、ラッキョ漬けのつぼを整理するんでしたっけ?」
「そうだ。全部お前に任せてしまって悪いな」
「こんど、美味しいお団子でもご馳走してくださいねっ」
「ああ、なんだってご馳走してやる!」
名前は戸口からチラッと顔を出して、にこにこしながらこちらを見つめていた。しっかりしているようで、こんなに無邪気な所もある。一緒にいると、どんどん彼女にのめり込んでしまいそうだった。
太陽が空の高いところに位置しているのか、部屋に差し込む日差しが一段と強くなる。
昼飯の準備で野菜汁を作る名前を目の端に捉えながら、大人しく寝転がっていた。食堂のおばちゃん仕込みの味がいただけるとあって、腰の痛みも消えていくようだ。
「はーい、出来ましたよ。あとおにぎりも」
「動かんのに腹は減るんだな」
「よかった! いっぱい食べてくださいね」
腰を気遣いつつ、そろりと起き上がって名前の手料理をいただく。「美味いな!」なんて褒めてやると恥ずかしそうに笑っている。こんなひとときが、幸せなのかもしれない。忘れていた感覚にむず痒さを覚える。
「うつわを片付け終わったら、つぼのある小屋にいますから」
「ああ。重いから無理しちゃダメだぞ」
「心配ご無用ですっ」
――ちゃぷちゃぷ
雅之助さんにイタズラっぽく返事をしてから、カチャカチャと井戸水で食器を洗っている。時折りはね返る水滴がほほに着いて、汗と一緒に流れ落ちた。
たくさん身体を動かしたせいで、額や背中に汗がじわりと滲む。乾いた冷たい風が吹き抜け、いつもなら寒いと思うのに今は気持ちが良い。濡れた手を割烹着のすそで拭いてから、ふぅと深呼吸をする。気晴らしに遠くを眺めると、トンボが飛び去っては戻ってきて忙しない。
もうひと頑張りだ。
ラッキョの注文も入っているから、つぼを整理しなければ……!気合を入れ直すと、小屋へ向かっていく。
ギギギ――……
家屋から少し離れた場所にある小屋の戸をグッと開く。暗くて中がよく見えないけれど、大きな塊がポツポツと並べ置かれていた。
漬けた日付を確認して、乱れた列を直して……。たしか、今日はマイタケ城から注文が入っていたっけ。よいしょ、とつぼの底を抱えて落とさないようにお家へ運んでいく。ジャリジャリと一歩一歩ゆっくり進んで、家の戸が見える。あともう少しだ。
「ひゃあっ……!!」
ブーンと耳元で羽音が聞こえ、振り払うためにつぼを抱えたまま身体を捻る。
――グキッ
「い、痛ーっ!!」
腰がズルリと滑る感覚の後に、神経を突き刺すような鋭い痛みが襲ってきた。つぼを落とさないように、ゆっくりゆっくり地面へ置くと力尽きてそのまま倒れ込む。息をするだけでズキズキと痛み、もう何もできない。
こ、これは、もしかして――
私もぎっくり腰になってしまったかもしれない……! 頭上を悠々と飛び回るトンボを眺めつつ、ため息をつくのだった。
*
「「大木雅之助先生ー! 名前さーん! 畑のお手伝いに来ましたー!」」
「きり丸くんに、喜三太くん!」
「よく来たな……!」
「お二人とも、どうしたんっすか?!」
土井先生から名前さんの手伝いをして来いと言われて、喜三太と杭瀬村に来てみたら……。大木先生も名前さんも布団に突っ伏して、腰をさすって苦しんでいた。
野菜をもらえるし、土井先生がアルバイトを全部請け負ってくれるから、まあいいか!なんて軽く考えていたのに。なんだか大変な事になっているみたいだ。目を丸くした喜三太と顔を見合わせた。
「かくかくしかじかで、ぎっくり腰になっちゃって。あはは……」
「お前たち、すまんが手伝ってくれ!」
「もちろん、いいっすけど……」
「はにゃ〜、二人とも痛そうですね。なめさん達、ここで待っててね」
さっそく喜三太と一緒にラッキョ小屋へ向かい、つぼを運んでいく。その後は、マイタケ城の使いの人に渡したり、草むしりをしたり、カラスを追い払ったり……。必死に動き回っていると、大木先生の家から大きな悲鳴が聞こえてきた。
「今なんか聞こえたよな?」
「きゃー!って声が聞こえた気がする。なめさん達に何かあったのかな?!」
「行こう!!」
大急ぎで駆けて、閉じられた戸をガラリと開く。
「「大木先生、名前さん! 大丈夫ですか?!」」
「「大丈夫じゃなーいッ!!」」
布団のそばに置かれた喜三太のナメつぼはフタが開きっぱなしで、部屋中になめくじが這い回っていた。大木先生も名前さんも、お互いに身を寄せ合って青い顔をしている。
「フタを閉めないとは何事だ! 喜三太! 今すぐなんとかしろ! いたたたた……!」
大木先生は大声で叱り飛ばし、そのあと痛みに悶えている。なんとも言えない状況に、ははは……と乾いた笑いを漏らすのだった。
(おまけ)
「「土井先生ー! 戻りました!」」
げっそりとした顔をしたきり丸と、いつも通りの喜三太が職員室にやってきた。赤ん坊をあやしつつ、造花を作る手を止めて、二人に向き合うよう座り直す。
「まったく、大変だったんすからー!」
「そうかそうか! いっぱい収穫できたんだな」
「違うんです! 大木先生も名前さんもぎっくり腰になっちゃって、二人して寝込んでて……。なあ、喜三太?」
「そうそう。ぼくたち、すっごく大変だったんですよ〜!」
「はあ!? ……ふ、二人でぎっくり腰って、どういうことだ!?」
「そんなの知らないっすよ! あ、土井先生。バイトの進み具合どうっすか?」
二人揃ってぎっくり腰になる状況が分からん……! 一体どうしたらそうなるんだ!?
「「おーい、土井先生ー? 聞いてます?」」
呼びかけられる声は耳を素通りして、作りかけの造花がぽろりと手から滑り落ちる。想定外の事態に頭を悩ますのであった。
杭瀬村で過ごして数日。
雅之助さんと二人きりだ……!なんて初日は緊張していたのに。畑仕事に明け暮れる日々のせいで、すっかりドキドキが消え去っていった。今日も朝早くから、初夏に植えたネギを収穫している。
「埋まった部分を傷つけないように、くわで土を柔らかくするんだぞ」
「こうですか?」
「もっと腰を入れてやるんだ!」
「はいっ!」
教えてもらった通り、地中に埋まった可食部を痛めないよう土を掘り返し、ほぐしてから緑の部分を掴んでグッと引っこ抜く。
しばらく一緒に教えてもらうと、雅之助さんは問題ないと判断したのか、少し離れた畑へ行ってしまった。
カラッとした空気の中、くわを振り上げザクッと土を抉っていく。力を込めて握りしめるから手のひらが痛い。また豆ができそうだ。
しゃがんで葉の部分を引っ張ると立派なネギが顔を出した。大変な作業だけれど、おいしそうな野菜を見ると疲れが吹き飛んでしまう。
「雅之助さーん、カゴがいっぱいになりました!」
「よーし! いったん家に置いて来たら、また戻ってこい!」
「は、はーい」
……まだまだ、続きそう。
遠くで作業している雅之助さんに大声で呼びかけると、容赦ない返事が返ってくる。両手をうーんと伸ばし、疲れがたまって重くなった肩をほぐした。
よいしょ、とネギがたくさん入ったカゴを背負い家へと向かっていく。土間のヘリに野菜を積み置くと、空になったカゴを掴んでまた畑へと繰り出す。
天高く昇った太陽が少し傾いたころ。
雅之助さんと家に戻り、軽く昼食を済ませると、今度は採れたてのネギを仕分けしていた。土間に置かれた山から、ひとつずつ大きさを選別していく。
「名前。今日は通販の注文が入っているのと、隣町の組合員がネギを取りに来るぞ!」
「毎日たくさん注文があってすごいですね」
「わしがどこんじょー!で育てた野菜だからな」
「あはは、本当に」
わさわさと二人でネギを括りながら、ニッと笑い合う。疲れたからお茶でも入れようかと思っていると、かすかに男の人の声が聞こえてきた。誰だろう……? おもむろに振り返り、声のする方を見つめる。
「大木雅之助さん、いますかー? 野菜を受け取りに来ました」
「ああ、はい、いま伺います!」
雅之助さんはガラリと土間へ向かい戸口を開け、声の主を確認している。「いつもありがとうございます!」なんて明るく挨拶を交わしていた。
そのお客さんは、人の良さそうな、のほほんとした雰囲気だ。烏帽子をちょこんと被って、町人のような格好をしていた。
「最近はどうですか?」そんな世間話が始まると、なかなか終わりが見えない。タイミングを見計らって、束ねたネギを腕いっぱいに抱え二人の元へと持っていく。雅之助さんは私に気がつくと「気が利くな!」と嬉しそうだ。ただそれだけで、役に立てたようで誇らしかった。
「領収書もありますよ」
「さすが名前! 助かる」
「あれ、お嫁さんいらっしゃったんですね! 仲睦まじくて羨ましい限りです」
「いやぁ、それほどでも!」
「……っ!?」
「じゃあ、また来月もよろしくお願いします」
「こちらこそ!」
カタン。
戸が閉まったことを確認すると、ぎゅっと雅之助さんの袖を掴む。ググッとにじり寄って、背の高い彼を下から覗き込んだ。
「あの! 誤解されるようなことは言わないでくださいっ」
「そんなこと言ったか? さあ、通販の準備に取り掛かるぞ!」
「……もう」
「ほれ、箱に詰めなきゃならん。手伝ってくれ」
――空が夕焼けで赤く染まる頃。
ヘトヘトになって板の間に座り込む私をよそに、雅之助さんがテキパキと夕飯の支度をしてくれていた。囲炉裏にかけた鍋からは、出汁の食欲を刺激する香りが漂う。
「出来たぞ!」
「うわぁ、美味しそう! 早く食べましょ」
「まったく、お前というやつは」
そんなことを言いながら、目尻を下げてにんまりしている。あつあつの雑炊をよそってもらうと、ふうふう息を吹きかけてから口へと運んだ。
「んーっ。野菜のおいしさを引き出すのが上手です! 雅之助さんのご飯おいしいっ」
「そうじゃろ? だが、お前の食堂のおばちゃん仕込みの味付けもなかなかだ」
「ありがとうございます! でも……」
「でも……、なんだ?」
「でも、一番最初は……雅之助さんに色々教わりましたから。おばちゃんと雅之助さんの良いとこ取りです」
「ははは、そりゃいい!」
学園に連れられた、雅之助さんとの別れ際。「美味しい料理を作れるように頑張ります!」だなんて言ったことが思い出されて照れ臭い。
雅之助さんが豪快に雑炊をかき込むとコトンと床に茶碗を置いた。
「……ふたりで囲炉裏をかこむ、というのも良いもんだな」
「そう、ですね」
あぐらに肘をつきながら、指をあごに当ててポツリと呟いている。毎日、ひとりでご飯を食べて畑を耕して。平気そうに見えるのに、寂しくなることがあるのだろうか。ふとそんな考えがよぎり、茶碗を包む手に力が入る。
「す、すみません! あまり杭瀬村に帰らなくて……」
「うむ。学園が楽しいのだろ? それは何よりだ」
大きな鍋越しに視線がぶつかる。それは優しさにあふれていて、ほほがじんわり熱くなる。パタパタと手で顔をあおいでも熱は冷めない。「ごちそうさまでした!」そう叫ぶと、そそくさと食器を抱え井戸へと駆けていくのだった。
*
翌朝。
朝日がうっすらと顔を出し、空がほんのり明らむ。小鳥の鳴き声がピィピィと聞こえてきて、お気に入りの布団の中で伸びをした。ゆっくり起き上がって雅之助さんの姿を探すけれど、見当たらない。
どこに行ったんだろう……?
キョロキョロと部屋を見回していると、外から騒がしい声が聞こえてきた。
「こらー! わしの野菜をたべるなー! あっちへ行けー!」
――バサバサバサッ
カァカァとカラスの鳴き声、それに羽の音が響き渡る。そのうち、声がしなくなり静かになった。何事かと、寝巻きのまま草鞋を引っかけ慌てて畑へと向かう。
「……ま、雅之助さんっ!?」
畑にうずくまる赤い着物が見えた。そんな姿は今まで見たことがない。不安に心臓が早鐘を打つ。
浅くなる呼吸を整えて、手のひらにかいた汗を寝巻きのすそで拭う。土の汚れも気にせずしゃがみこむと、小さく丸まっている雅之助さんの背中を何度もさすった。
「だ、大丈夫ですか?! 何があったんです?」
「すまん、名前。……ぎっくり腰で動けん」
「……ぎ、ぎ、ぎっくり腰ーっ?!」
「なかなか、どこんじょー!のあるカラスだった」
「っ、どういうことです?」
「やたらとカラスの鳴き声がして畑を見に行ったら、案の定野菜を突いていてな。追い払っていたんだが……」
「しぶとかったんですね?」
「そうだ。わしとしたことが……!」
「心配しましたよー! 何か事件があったのかと思っちゃいました」
曲者が侵入して、雅之助さんが襲われてしまったのかと血の気が引く思いだったのに。話を聞くと――畑を荒らしていたカラスを追い払おうとしたときに、腰を痛めてしまったらしい。
ひとまず、家に連れ帰らなければ。たくましい腕を首に巻きつけ、大きな身体を引きずりながらお家へと戻っていく。
ときどき痛みにうめく声が聞こえるけれど、構ってあげられる余裕なんてない。四苦八苦しながら運び、敷いてあった布団へ横たわるように支えてあげる。雅之助さんはうつ伏せになって、必死に歯を食いしばっていた。
「いたたた……!」
「そのまま休んでいて下さいね。痛み止めになる薬、持ってきたか探してみます!」
「お前の大荷物が役に立つな」
「そうでしょー?」
くすくす笑う口元を軽く押さえる。
部屋の隅に座り込み、大きな風呂敷をゴソゴソかき回していく。散々「こんなに荷物を持ってきおって」と責められていたから少し気分が良い。
「あ、ありましたー! よかった」
「……すまんな」
「大丈夫ですよ。早く良くなるといいのですが……。ちょっと失礼しますね」
貝殻に入れた塗り薬を床に置くと、雅之助さんの上衣を上にずらし袴も少し下げさせてもらう。腰って意外と低い位置にあるんだ。目のやり場に困る。
「うわあ! なんじゃ急に……!」
「だって! 薬を塗るから仕方がないじゃないですかっ」
「まあ、そうだな。……って、痛いぞ」
「大きな声出すからですよ! 少し我慢してください」
「……うむ」
なめし革のような滑らかな肌に、すくった薬をするする塗りこめていく。触れた指先からは鍛え上げられた張りのある感触が直に伝わって、心拍数が上がっていく。ドキドキを抑えるようにぎゅっとこぶしを握ってから、薬指で最後のひと塗りをする。
それにしても、ぎっくり腰ってこんなに痛いものなのかな……。あの雅之助さんが痛みに悶えるなんて相当なことだ。その辛さはよく分からないけれど、めくれた着物を優しく整えてあげた。
普段とは違う弱った姿に心が痛む。
布団に突っ伏して横を向く雅之助さんは、今も苦しそうに顔を歪めている。目線を合わせるよう屈み、そっと背中に手のひらを置いた。
「雅之助さん。私が、収穫とか注文の対応しますから」
「助かる」
「何かあったら言ってくださいね」
「……おい」
「どうされました?」
「寝巻きがはだけて丸見えだぞ?」
「……ちょ、ちょっと! 見ないでくださいっ!」
ボサボサの茶色い前髪から、にやりと不自然に歪む目元がのぞいている。デレデレした視線に恥ずかしくなって、開いた衿もとや裾をパッとたぐり寄せ、露わになった部分を隠した。
寝起きで慌てて飛び出して、背負って運んで薬を探して……。色々と動き回ったから、全く意識していなかった。こんなに心配したのに、なんだか損した気分だ。ちょっといじわるしたくて、彼の腰をぽんっとはたいた。
「い、いたたた……! やめろ、名前っ!」
「変な目で見るからですよっ」
「すまんすまん!」
*
秋休みももうすぐ終わる頃。
わしとしたことが、カラスのせいでぎっくり腰になってしまった。名前に手当てしてもらい、畑仕事も注文の対応も任せてしまっている。
今日も朝からわしの様子を心配そうに確認しては、見よう見まねで一所懸命働いていた。そんな姿に、もし嫁さんにしたら……なんて先のことを想像してしまう。やもめ暮らしも自由で楽だが、二人で過ごすこんな生活も悪くない。
ぼんやり考えていると、向こうから名前の声が聞こえてくる。布団に転がりながら、緩む口元を引き締めた。
「雅之助さーん! ご飯食べたら、ラッキョ漬けのつぼを整理するんでしたっけ?」
「そうだ。全部お前に任せてしまって悪いな」
「こんど、美味しいお団子でもご馳走してくださいねっ」
「ああ、なんだってご馳走してやる!」
名前は戸口からチラッと顔を出して、にこにこしながらこちらを見つめていた。しっかりしているようで、こんなに無邪気な所もある。一緒にいると、どんどん彼女にのめり込んでしまいそうだった。
太陽が空の高いところに位置しているのか、部屋に差し込む日差しが一段と強くなる。
昼飯の準備で野菜汁を作る名前を目の端に捉えながら、大人しく寝転がっていた。食堂のおばちゃん仕込みの味がいただけるとあって、腰の痛みも消えていくようだ。
「はーい、出来ましたよ。あとおにぎりも」
「動かんのに腹は減るんだな」
「よかった! いっぱい食べてくださいね」
腰を気遣いつつ、そろりと起き上がって名前の手料理をいただく。「美味いな!」なんて褒めてやると恥ずかしそうに笑っている。こんなひとときが、幸せなのかもしれない。忘れていた感覚にむず痒さを覚える。
「うつわを片付け終わったら、つぼのある小屋にいますから」
「ああ。重いから無理しちゃダメだぞ」
「心配ご無用ですっ」
――ちゃぷちゃぷ
雅之助さんにイタズラっぽく返事をしてから、カチャカチャと井戸水で食器を洗っている。時折りはね返る水滴がほほに着いて、汗と一緒に流れ落ちた。
たくさん身体を動かしたせいで、額や背中に汗がじわりと滲む。乾いた冷たい風が吹き抜け、いつもなら寒いと思うのに今は気持ちが良い。濡れた手を割烹着のすそで拭いてから、ふぅと深呼吸をする。気晴らしに遠くを眺めると、トンボが飛び去っては戻ってきて忙しない。
もうひと頑張りだ。
ラッキョの注文も入っているから、つぼを整理しなければ……!気合を入れ直すと、小屋へ向かっていく。
ギギギ――……
家屋から少し離れた場所にある小屋の戸をグッと開く。暗くて中がよく見えないけれど、大きな塊がポツポツと並べ置かれていた。
漬けた日付を確認して、乱れた列を直して……。たしか、今日はマイタケ城から注文が入っていたっけ。よいしょ、とつぼの底を抱えて落とさないようにお家へ運んでいく。ジャリジャリと一歩一歩ゆっくり進んで、家の戸が見える。あともう少しだ。
「ひゃあっ……!!」
ブーンと耳元で羽音が聞こえ、振り払うためにつぼを抱えたまま身体を捻る。
――グキッ
「い、痛ーっ!!」
腰がズルリと滑る感覚の後に、神経を突き刺すような鋭い痛みが襲ってきた。つぼを落とさないように、ゆっくりゆっくり地面へ置くと力尽きてそのまま倒れ込む。息をするだけでズキズキと痛み、もう何もできない。
こ、これは、もしかして――
私もぎっくり腰になってしまったかもしれない……! 頭上を悠々と飛び回るトンボを眺めつつ、ため息をつくのだった。
*
「「大木雅之助先生ー! 名前さーん! 畑のお手伝いに来ましたー!」」
「きり丸くんに、喜三太くん!」
「よく来たな……!」
「お二人とも、どうしたんっすか?!」
土井先生から名前さんの手伝いをして来いと言われて、喜三太と杭瀬村に来てみたら……。大木先生も名前さんも布団に突っ伏して、腰をさすって苦しんでいた。
野菜をもらえるし、土井先生がアルバイトを全部請け負ってくれるから、まあいいか!なんて軽く考えていたのに。なんだか大変な事になっているみたいだ。目を丸くした喜三太と顔を見合わせた。
「かくかくしかじかで、ぎっくり腰になっちゃって。あはは……」
「お前たち、すまんが手伝ってくれ!」
「もちろん、いいっすけど……」
「はにゃ〜、二人とも痛そうですね。なめさん達、ここで待っててね」
さっそく喜三太と一緒にラッキョ小屋へ向かい、つぼを運んでいく。その後は、マイタケ城の使いの人に渡したり、草むしりをしたり、カラスを追い払ったり……。必死に動き回っていると、大木先生の家から大きな悲鳴が聞こえてきた。
「今なんか聞こえたよな?」
「きゃー!って声が聞こえた気がする。なめさん達に何かあったのかな?!」
「行こう!!」
大急ぎで駆けて、閉じられた戸をガラリと開く。
「「大木先生、名前さん! 大丈夫ですか?!」」
「「大丈夫じゃなーいッ!!」」
布団のそばに置かれた喜三太のナメつぼはフタが開きっぱなしで、部屋中になめくじが這い回っていた。大木先生も名前さんも、お互いに身を寄せ合って青い顔をしている。
「フタを閉めないとは何事だ! 喜三太! 今すぐなんとかしろ! いたたたた……!」
大木先生は大声で叱り飛ばし、そのあと痛みに悶えている。なんとも言えない状況に、ははは……と乾いた笑いを漏らすのだった。
(おまけ)
「「土井先生ー! 戻りました!」」
げっそりとした顔をしたきり丸と、いつも通りの喜三太が職員室にやってきた。赤ん坊をあやしつつ、造花を作る手を止めて、二人に向き合うよう座り直す。
「まったく、大変だったんすからー!」
「そうかそうか! いっぱい収穫できたんだな」
「違うんです! 大木先生も名前さんもぎっくり腰になっちゃって、二人して寝込んでて……。なあ、喜三太?」
「そうそう。ぼくたち、すっごく大変だったんですよ〜!」
「はあ!? ……ふ、二人でぎっくり腰って、どういうことだ!?」
「そんなの知らないっすよ! あ、土井先生。バイトの進み具合どうっすか?」
二人揃ってぎっくり腰になる状況が分からん……! 一体どうしたらそうなるんだ!?
「「おーい、土井先生ー? 聞いてます?」」
呼びかけられる声は耳を素通りして、作りかけの造花がぽろりと手から滑り落ちる。想定外の事態に頭を悩ますのであった。