第37話 手裏剣の特訓
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「えー! 名前さん、秋休みは杭瀬村に帰っちゃうんすか?!」
「ご、ごめん! アルバイトの手伝いできなくて……」
食堂で乱太郎くんたちに定食を渡している。そのやり取りのなかで、きり丸くんに手を合わせ頭を下げた。私のことも手伝いの人数に含めていたはずだから、残念がっているのがひしひしと伝わってくる。生活がかかっている彼にとっては死活問題なのだ。
「まぁ、秋は収穫が忙しいっすからね。学園に残ってる忍たまも多いし、なんとかなります!」
「わたしは父ちゃん母ちゃんの手伝いで帰らないと……」
「ぼくもー! パパもカメ子もうるさくてぇ」
「実家が遠い喜三太と金吾は帰らないだろうから……あひゃあひゃ」
「そっかあ。みんな帰るわけじゃないんだね」
そんなことを話していると、並んでいる忍たま達がこちらを覗き込んでくる。「ちょっと待ってね」と声をかけてから、慌ててご飯を盛り付けた。
*
秋休み当日。
朝晩はすこし肌寒く、昼間は涼しくて過ごしやすい。
先生達は会議みたいで、教員長屋はとても静かだ。お茶出しはしなくて良いと言われて、おとなしく自室にこもっていた。
狭い部屋の中で、杭瀬村に泊まるための物をかき集める。うさぎ柄の布団や念のための薬に……。休みの期間は短いとはいえ、忘れ物がないように大きな風呂敷へ使うものをぽんぽん放り込んでいく。上から荷物を押しつぶして、無理やりぎゅっと端っこを結ぶ。それから部屋の隅にずりずりと寄せた。
「……ふぅ、おわった」
会議、まだ続いてるのかな……? 秋休み関係なく集められて大変だなぁと、ぼんやり考える。雅之助さんが迎えに来てくれるまでのあいだ、だいぶ時間がありそうだ。それまで、先生方の部屋の前や渡り廊下を拭き掃除するのだった。
――カコン
静かな庵に、ししおどしの小気味良い音が鳴り響く。杭瀬村から駆けつけると、すでに先生達が学園長を囲むように座っていた。真剣な顔で、ピリついた雰囲気を感じる。
学園に向かう少し前、ヘムヘムから緊急会議を知らせる文を受け取ったのだ。名前のことだと言うから、居ても立っても居られなかった。
「……ほお。金楽寺にそんな物が。名前も、寺が何とかと言っておりました」
「関係があるかもしれんの」
「願い事というのは初耳ですが」
「大木先生もじゃったか。名前ちゃんは、その内容を思い出せないようでな」
「無理に、思い出させなくても良いかと。名前さんが辛そうで……」
「ですが、土井先生! あいつにとって重要なことでは、」
「……まあまあ、二人とも。それから、ドクタケの動きも怪しいのじゃ。みな、気をつけるように」
土井先生に反論しかけると、学園長が割り込んでその場を取りなした。全員、黙って頷けば緊張感が増していくばかりだ。
「そうじゃ、大木先生。秋休み、名前ちゃんは杭瀬村で過ごすと聞いておる」
「はい。街とは違って怪しい人間も少ないと思います。私にお任せください」
「それは安心しておる。そうではなくて……」
「何でしょうか」
張り詰めた空気を壊すようにとぼけた声が発せられ、いっせいに学園長へと視線が集まる。
「わしも美味しい野菜を食べたーい! ……と思っての。休み明け、期待しておる!」
先生達とヘムヘムがずっこけるが、学園長は何食わぬ顔でひとりニコニコしていた。
はあ、と乾いた笑いを漏らしつつ、野菜を沢山持ってきますと約束をする。そんな様子を野村がくつくつ笑うのが気に食わない。ジッと睨みつけぷいっと顔をそむけた。
学園長が「お開きじゃ」と膝をたたく。それぞれ立ち上がると自室や仕事へ戻るようだ。自身も、黒装束の先生たちに続いた。
名前の身に起こったこと、それに敵対する城の動きや街の様子。信じがたいこともあるが、どれもしっかりと頭に叩き込んだ。彼女の近くに居てやれないから、すぐに話を聞くことも、励ましてやることもできない。
廊下を歩きながら、そのもどかしさに苛立ちが募る。彼女と離れている間に、もし消えていなくなってしまったら。そんな不安が現実味を帯び、ギリと奥歯を噛み締める。
「大木先生。先ほどはすみません」
「ああ、土井先生! いや。こちらこそ、つい」
土井先生は眉を下げながら目尻を細め、少し気まずそうに頭をかいていた。先に出ていった山田先生を追いかけるように並んで足を進める。
「名前のこと、面倒かけたようで」
「いえいえ、ただ力になりたいだけですから」
照れ臭そうに笑う姿に、名前とどんなやり取りがあったか気になってしまう。肝心の彼女はどう思っているのだろうか。何と言って良いかすぐに言葉が出ず、話題をがらりと変えた。
「そういえば、土井先生は帰らないのですか?」
「ええ、補習の準備もありますし……」
「相変わらず、一年は組は手が掛かりますな!」
*
廊下から男の人の話し声と、少しの足音が聞こえる。先生達、会議が終わったのかな? 自室の雑巾がけを止め、障子に手をかけた。ちらっと顔を出してみる。その予想は当たったみたいだ。
「大木先生、土井先生! お疲れさまです」
明るい茶色のボサボサ頭と、黒いスラッとした姿が視界に入り嬉しさに自然と顔がにやける。おーい!と手を振ると「待たせたな」と返ってきた。
「名前、もう支度はできたのか?」
「はい、ばっちりです!」
部屋から大きな風呂敷を引きずり、二人の前に持っていく。
「ははは……。名前さん、相変わらず大荷物だね」
「おい、誰が運ぶと思ってるんだ?!」
「大木先生、ありがとうございますっ」
「まったく!」
「どこんじょー!ですよ、先生?」
くすくす笑いながら首を傾げる。やれやれと言った様子の雅之助さんと、乾いた笑いを漏らす土井先生がおかしい。
「あれ、雑巾がけしてたのかい?」
「そうなんです、少し時間があったので。先生方のお部屋の前も拭いておきましたよ」
「そうだったのか、いつもありがとう」
「いえいえ、大したことないですからっ」
小脇に挟んだ雑巾に気付いたのか、土井先生が優しくほほ笑む。いつも細かいところを見ていてくれて、褒めてくれるから嬉しくなってしまう。そんなところが先生らしくて素敵だな……なんてもじもじして、照れを隠すのに必死だ。
「よーし、名前! 準備もできたことだし、出発するぞ!」
「は、はい!」
「大木先生も名前さんも、お気をつけて」
「土井先生、ありがとうございます! あの、山田先生にもよろしくお伝えくださいっ」
「もちろん伝えておくよ」
土井先生とのやり取りを断ち切るように、雅之助さんが間に割り込む。それから大きな風呂敷を軽々と背負って、ずんずん廊下を進んでいく。土井先生に軽くおじぎをしてから、先ゆく雅之助さんの後を小走りで追った。
*
出門票にサインをして門を出る。
立ち並ぶ木々はさわさわと揺れ、空にはうろこ雲がゆったりと横たわっていた。
珍しく歩幅を合わせてくれない、そんな雅之助さんを不思議に思いつつ後を追いかける。のんびりとした空模様とは裏腹な、そわそわする気持ちで。
「ま、待ってください! あの、お話ししておきたいことがあって……!」
「なんだ? 急がないと日が暮れるぞ?」
「ねえ、雅之助さん。なんで、先に行っちゃうんですか……!?」
先を歩く彼の袖をきゅっと掴む。おもむろに振り向いた顔はバツが悪そうで、思わずじっと見つめた。
「すまない。大人気なかったな」
「……え、っと。どういう事です?」
「いや、何でもない。ところで話しって何だ?」
「本当は、もっと早くお伝えしなきゃいけなかったんですけど……」
金楽寺のこと、紙切れのこと、それから……帰らないと決めたこと。意思に反して、戻ってしまうかもしれない。けれど、もう迷いはなかった。
一番先に伝えるべき人なのに。
着物の端っこを掴んだまま、人懐っこい垂れ目としっかり視線を合わせる。呼吸を整え、口を開こうとした瞬間。
「例の件だろう? ……全部、知っているぞ。お前が、帰らないと決めたこともな」
「直接お伝えできなくてすみません」
「そばにいてやれないから、仕方がない」
「何度考えてみても、みんなと離れたくなくて。……いざ、戻りそうになったら怖くて」
「名前。どこんじょー!で何とかするから、そんな顔するな」
「……はい」
雅之助さんはいたずらっ子のように笑い、わしわしと頭を撫でてきた。落ち込まないように茶化してくれてるのが分かる。その優しさを感じて、乱れた髪を手ぐしで整えながらこくりと頷いた。
「あの。急がなきゃ、ですよね」
「……と思ったんだがな。せっかく裏山も近いし、手裏剣打ちでも教えてやろう」
「えっー!? い、いいんですかっ」
「かまわん。前に『教えてもらうまで帰れない』と言ったな? でも、もう帰らないと決めたんだろう?」
「は、はい!」
屈んで目線を合わせられ、その近さに心臓が大きく跳ねる。
夏休みに、きらきらする森の中で言った冗談を覚えてくれていたんだ。そんなこと、すぐ忘れちゃいそうな人なのに。本を書いたり野菜を丁寧な扱ったり、意外な一面に心を揺さぶられてしまうのだ。
*
裏山へ続く、木々が鬱蒼と生えている道。
雅之助さんは風呂敷を背負い直すと、着いてこいと言うようにどんどん進んでいった。着物の裾を歩きやすいようにたくし上げて、その後を早足でついていく。
「この辺でいいだろう!」
荷物がどかっと地べたに置かれた。雅之助さんは腰に手を当て、満足げに辺りを見回している。
その場所だけぽっかりと穴が空いた様に開けていた。所々に樹木がすくっと立っている。木の幹にはいつくも切り傷がついて、もしかしたら忍たまたちも鍛錬で訪れているのかもしれない。
これから、手裏剣の名人に教えてもらえるんだ……! 胸の高鳴りを抑えるように固くこぶしを握り、気合を入れた。
「大木先生、よろしくお願いします!」
「うむ。最初は持ち方からだな。刃の部分を握って、人差し指は真っ直ぐ伸ばすんだ」
「こう、ですか……?」
「そうだ。指を切らないように気をつけるんだぞ」
「はーいっ」
「構えはこうだ。よく見ていろ」
片足を前に出して肩幅くらいに開く。重心を身体の中心に置くと、少し膝を曲げるようだ。
雅之助さんがまずは手本を見せてくれる。上から下にストンと振り下ろし、少し離れた樹木へ手裏剣を放っていった。シュッと風を切る音が聞こえたと思ったら、タンッという木に突き刺さる軽い音が響き渡る。
「わぁ、すごいです! さすが大木先生っ」
「これくらい朝飯前だ! よし、名前も構えてみなさい」
「はい、先生っ」
刃の部分を軽く握って腕を真っ直ぐ突き出すと、狙った樹木へ身体を合わせる。着物だからか思ったように構えが取れない。足を開くと裾がめくれてしまいそうだ。
……こんな感じで大丈夫かな?
おそるおそる、側にいる雅之助さんをうかがう。口を真一文字にして腕を組み、真剣な表情だ。いつもの姿とは違うからか、背筋がピッと伸びる。
前を見つめていると、大きな身体がぴったりくっついた。背後に回られ、体温が伝わるようで恥ずかしさに顔が熱くなる。
「もっとあごを引くんだ」
「ええっと、こうですか……?」
「腕は真っ直ぐにだな、」
あごに手を添えられ、くいっと下に引かれる。腕はピシっと下からはたかれた。
指導してくれているのに……。その密着した身体の近さにドキドキして、教えてくれた半分は頭から飛び出ていくようだった。
「おい、腰が引けてるぞ」
「す、すみません! ……ひゃぁっ」
ぐいっと腰を引き寄せられて、お尻をするりと撫でられる。突然のことで変な声が出てしまった。
……は、恥ずかしい。
背後の雅之助さんを振り返れば、目尻を下げ口元はニヤリと釣り上がっている。
「変なことしないでください!」
「変なこと。はて、何のことだ? ……ほれ。いいから打ってみろ」
「……もう」
「なにか言ったか?」
「い、言ってません!」
深呼吸をしてから、教えてもらった構えをとる。上から下にスッと振り下ろしながら、手の中の手裏剣を放っていく。
「あれーっ、だめだ……」
「手を離すタイミングと打つ角度だな」
「難しいですね……!」
「初めてにしては上出来だぞ。一年は組のヤツらはとんでもない方向に打つからなぁ」
「先生っ、ありがとうございます」
放った手裏剣はヒョロヒョロと力なく、少し先の地面へポトリと落ちていった。
最初から上手くいかないのは分かっているけれど、やっぱり悔しい。どこんじょー!が足りないと叱られるかと思ったのに。予想外に褒めてくれるから照れてしまった。
「もう一度、やってみるんだ!」
「はい!」
「……ん?」
「どうしました、先生?」
再び構えると、雅之助さんが何かの気配を感じたようで周囲に目を配る。釣られて、私も動きを止めた。
「……ねずみがいるようだな?」
「ね、ねずみ……?」
「気にするな。どこんじょー!で続けろ!」
ねずみって何だろう……?
よく分からないけれど、せっかくの特訓だから集中しなくては。ふぅと息を吐いて、再び手裏剣を握るのだった。
*
しばらく経った頃。真上にあった太陽も少し落ちて、日差しも弱くなってきた。
「そろそろ切り上げるか」
「大木先生。たくさん教えてくださり、ありがとうございました!」
「お前、なかなか筋があるな。教えがいがあったぞ」
「そうですか? 嬉しいですっ」
「だが、実践しようとするなよ」
「も、もちろん! ……そんな事、しませんから」
図星をつかれて取り繕うと、雅之助さんはクク、と喉を鳴らし笑う。端に置いた荷物を背負うと、二人で山を降りていった。
みっちり教えてもらって、何回も手裏剣を打ち続けて、最後は木の幹にちょこんと触れるくらいまで上達した。木に突き刺さるにはほど遠いけれど……。くの一みたいな自分に得意になって、自然と足取りが軽くなる。
「私も手裏剣ほしいなー、なんて?」
「さっき言ったばかりだろう。危ないからダメだ」
「そう、ですよね」
「鉢巻きならやるぞ! ほれ」
「えー!? 鉢巻きって……」
手裏剣の冷たくてずっしりした重さが格好良くて、つい欲しいだなんて言ってしまった。でも、やっぱりダメで。雅之助さんは懐から白い鉢巻きを取り出すと、ぽんっと私に押し付けてくる。
予備があるんだ……!
くすくす笑いそうになる口元をとっさに押さえた。
「お揃いの鉢巻きだなんて。なんだか、弟子みたいですね」
「そうだな!」
がははと大きく笑う雅之助さんを見上げながら、ぎゅっと鉢巻きを握りしめるのだった。
(おまけ)
六年生全員で鍛錬をしていると、遠くから話し声が聞こえてきた。秋休みだというのに、この裏山で授業は考えられない。サッと集まって、みなで様子をうかがっている。
「おい、伊作! あの二人、一体何やってるんだ?」
「留三郎、どうした? って、あれ。名前さんと大木先生が手裏剣打ちしているね」
「名前さんって、まさかくの一なのかぁ!?」
「文次郎、それはないだろう。あまりに初級のことをやっている」
じっと見つめ続ける留三郎と文次郎に呼びかけると、さらりと結った髪をなびかせる。
「なんだか私も手裏剣打ちしたくなってきたぞ!」
「……もそ」
「私はもう行く。のぞきの趣味はないからな」
「「仙蔵、待て!」」
大木先生は当然、こちらに気付いているだろう。なぜこんな裏山でこそこそと手裏剣打ちを……? しかも、名前さんとあんなにくっつく必要があるか?
もしや、見てはいけないものだったりするのだろうか!? 興味ない風を装いつつ、内心ドギマギする仙蔵であった。
「ご、ごめん! アルバイトの手伝いできなくて……」
食堂で乱太郎くんたちに定食を渡している。そのやり取りのなかで、きり丸くんに手を合わせ頭を下げた。私のことも手伝いの人数に含めていたはずだから、残念がっているのがひしひしと伝わってくる。生活がかかっている彼にとっては死活問題なのだ。
「まぁ、秋は収穫が忙しいっすからね。学園に残ってる忍たまも多いし、なんとかなります!」
「わたしは父ちゃん母ちゃんの手伝いで帰らないと……」
「ぼくもー! パパもカメ子もうるさくてぇ」
「実家が遠い喜三太と金吾は帰らないだろうから……あひゃあひゃ」
「そっかあ。みんな帰るわけじゃないんだね」
そんなことを話していると、並んでいる忍たま達がこちらを覗き込んでくる。「ちょっと待ってね」と声をかけてから、慌ててご飯を盛り付けた。
*
秋休み当日。
朝晩はすこし肌寒く、昼間は涼しくて過ごしやすい。
先生達は会議みたいで、教員長屋はとても静かだ。お茶出しはしなくて良いと言われて、おとなしく自室にこもっていた。
狭い部屋の中で、杭瀬村に泊まるための物をかき集める。うさぎ柄の布団や念のための薬に……。休みの期間は短いとはいえ、忘れ物がないように大きな風呂敷へ使うものをぽんぽん放り込んでいく。上から荷物を押しつぶして、無理やりぎゅっと端っこを結ぶ。それから部屋の隅にずりずりと寄せた。
「……ふぅ、おわった」
会議、まだ続いてるのかな……? 秋休み関係なく集められて大変だなぁと、ぼんやり考える。雅之助さんが迎えに来てくれるまでのあいだ、だいぶ時間がありそうだ。それまで、先生方の部屋の前や渡り廊下を拭き掃除するのだった。
――カコン
静かな庵に、ししおどしの小気味良い音が鳴り響く。杭瀬村から駆けつけると、すでに先生達が学園長を囲むように座っていた。真剣な顔で、ピリついた雰囲気を感じる。
学園に向かう少し前、ヘムヘムから緊急会議を知らせる文を受け取ったのだ。名前のことだと言うから、居ても立っても居られなかった。
「……ほお。金楽寺にそんな物が。名前も、寺が何とかと言っておりました」
「関係があるかもしれんの」
「願い事というのは初耳ですが」
「大木先生もじゃったか。名前ちゃんは、その内容を思い出せないようでな」
「無理に、思い出させなくても良いかと。名前さんが辛そうで……」
「ですが、土井先生! あいつにとって重要なことでは、」
「……まあまあ、二人とも。それから、ドクタケの動きも怪しいのじゃ。みな、気をつけるように」
土井先生に反論しかけると、学園長が割り込んでその場を取りなした。全員、黙って頷けば緊張感が増していくばかりだ。
「そうじゃ、大木先生。秋休み、名前ちゃんは杭瀬村で過ごすと聞いておる」
「はい。街とは違って怪しい人間も少ないと思います。私にお任せください」
「それは安心しておる。そうではなくて……」
「何でしょうか」
張り詰めた空気を壊すようにとぼけた声が発せられ、いっせいに学園長へと視線が集まる。
「わしも美味しい野菜を食べたーい! ……と思っての。休み明け、期待しておる!」
先生達とヘムヘムがずっこけるが、学園長は何食わぬ顔でひとりニコニコしていた。
はあ、と乾いた笑いを漏らしつつ、野菜を沢山持ってきますと約束をする。そんな様子を野村がくつくつ笑うのが気に食わない。ジッと睨みつけぷいっと顔をそむけた。
学園長が「お開きじゃ」と膝をたたく。それぞれ立ち上がると自室や仕事へ戻るようだ。自身も、黒装束の先生たちに続いた。
名前の身に起こったこと、それに敵対する城の動きや街の様子。信じがたいこともあるが、どれもしっかりと頭に叩き込んだ。彼女の近くに居てやれないから、すぐに話を聞くことも、励ましてやることもできない。
廊下を歩きながら、そのもどかしさに苛立ちが募る。彼女と離れている間に、もし消えていなくなってしまったら。そんな不安が現実味を帯び、ギリと奥歯を噛み締める。
「大木先生。先ほどはすみません」
「ああ、土井先生! いや。こちらこそ、つい」
土井先生は眉を下げながら目尻を細め、少し気まずそうに頭をかいていた。先に出ていった山田先生を追いかけるように並んで足を進める。
「名前のこと、面倒かけたようで」
「いえいえ、ただ力になりたいだけですから」
照れ臭そうに笑う姿に、名前とどんなやり取りがあったか気になってしまう。肝心の彼女はどう思っているのだろうか。何と言って良いかすぐに言葉が出ず、話題をがらりと変えた。
「そういえば、土井先生は帰らないのですか?」
「ええ、補習の準備もありますし……」
「相変わらず、一年は組は手が掛かりますな!」
*
廊下から男の人の話し声と、少しの足音が聞こえる。先生達、会議が終わったのかな? 自室の雑巾がけを止め、障子に手をかけた。ちらっと顔を出してみる。その予想は当たったみたいだ。
「大木先生、土井先生! お疲れさまです」
明るい茶色のボサボサ頭と、黒いスラッとした姿が視界に入り嬉しさに自然と顔がにやける。おーい!と手を振ると「待たせたな」と返ってきた。
「名前、もう支度はできたのか?」
「はい、ばっちりです!」
部屋から大きな風呂敷を引きずり、二人の前に持っていく。
「ははは……。名前さん、相変わらず大荷物だね」
「おい、誰が運ぶと思ってるんだ?!」
「大木先生、ありがとうございますっ」
「まったく!」
「どこんじょー!ですよ、先生?」
くすくす笑いながら首を傾げる。やれやれと言った様子の雅之助さんと、乾いた笑いを漏らす土井先生がおかしい。
「あれ、雑巾がけしてたのかい?」
「そうなんです、少し時間があったので。先生方のお部屋の前も拭いておきましたよ」
「そうだったのか、いつもありがとう」
「いえいえ、大したことないですからっ」
小脇に挟んだ雑巾に気付いたのか、土井先生が優しくほほ笑む。いつも細かいところを見ていてくれて、褒めてくれるから嬉しくなってしまう。そんなところが先生らしくて素敵だな……なんてもじもじして、照れを隠すのに必死だ。
「よーし、名前! 準備もできたことだし、出発するぞ!」
「は、はい!」
「大木先生も名前さんも、お気をつけて」
「土井先生、ありがとうございます! あの、山田先生にもよろしくお伝えくださいっ」
「もちろん伝えておくよ」
土井先生とのやり取りを断ち切るように、雅之助さんが間に割り込む。それから大きな風呂敷を軽々と背負って、ずんずん廊下を進んでいく。土井先生に軽くおじぎをしてから、先ゆく雅之助さんの後を小走りで追った。
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出門票にサインをして門を出る。
立ち並ぶ木々はさわさわと揺れ、空にはうろこ雲がゆったりと横たわっていた。
珍しく歩幅を合わせてくれない、そんな雅之助さんを不思議に思いつつ後を追いかける。のんびりとした空模様とは裏腹な、そわそわする気持ちで。
「ま、待ってください! あの、お話ししておきたいことがあって……!」
「なんだ? 急がないと日が暮れるぞ?」
「ねえ、雅之助さん。なんで、先に行っちゃうんですか……!?」
先を歩く彼の袖をきゅっと掴む。おもむろに振り向いた顔はバツが悪そうで、思わずじっと見つめた。
「すまない。大人気なかったな」
「……え、っと。どういう事です?」
「いや、何でもない。ところで話しって何だ?」
「本当は、もっと早くお伝えしなきゃいけなかったんですけど……」
金楽寺のこと、紙切れのこと、それから……帰らないと決めたこと。意思に反して、戻ってしまうかもしれない。けれど、もう迷いはなかった。
一番先に伝えるべき人なのに。
着物の端っこを掴んだまま、人懐っこい垂れ目としっかり視線を合わせる。呼吸を整え、口を開こうとした瞬間。
「例の件だろう? ……全部、知っているぞ。お前が、帰らないと決めたこともな」
「直接お伝えできなくてすみません」
「そばにいてやれないから、仕方がない」
「何度考えてみても、みんなと離れたくなくて。……いざ、戻りそうになったら怖くて」
「名前。どこんじょー!で何とかするから、そんな顔するな」
「……はい」
雅之助さんはいたずらっ子のように笑い、わしわしと頭を撫でてきた。落ち込まないように茶化してくれてるのが分かる。その優しさを感じて、乱れた髪を手ぐしで整えながらこくりと頷いた。
「あの。急がなきゃ、ですよね」
「……と思ったんだがな。せっかく裏山も近いし、手裏剣打ちでも教えてやろう」
「えっー!? い、いいんですかっ」
「かまわん。前に『教えてもらうまで帰れない』と言ったな? でも、もう帰らないと決めたんだろう?」
「は、はい!」
屈んで目線を合わせられ、その近さに心臓が大きく跳ねる。
夏休みに、きらきらする森の中で言った冗談を覚えてくれていたんだ。そんなこと、すぐ忘れちゃいそうな人なのに。本を書いたり野菜を丁寧な扱ったり、意外な一面に心を揺さぶられてしまうのだ。
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裏山へ続く、木々が鬱蒼と生えている道。
雅之助さんは風呂敷を背負い直すと、着いてこいと言うようにどんどん進んでいった。着物の裾を歩きやすいようにたくし上げて、その後を早足でついていく。
「この辺でいいだろう!」
荷物がどかっと地べたに置かれた。雅之助さんは腰に手を当て、満足げに辺りを見回している。
その場所だけぽっかりと穴が空いた様に開けていた。所々に樹木がすくっと立っている。木の幹にはいつくも切り傷がついて、もしかしたら忍たまたちも鍛錬で訪れているのかもしれない。
これから、手裏剣の名人に教えてもらえるんだ……! 胸の高鳴りを抑えるように固くこぶしを握り、気合を入れた。
「大木先生、よろしくお願いします!」
「うむ。最初は持ち方からだな。刃の部分を握って、人差し指は真っ直ぐ伸ばすんだ」
「こう、ですか……?」
「そうだ。指を切らないように気をつけるんだぞ」
「はーいっ」
「構えはこうだ。よく見ていろ」
片足を前に出して肩幅くらいに開く。重心を身体の中心に置くと、少し膝を曲げるようだ。
雅之助さんがまずは手本を見せてくれる。上から下にストンと振り下ろし、少し離れた樹木へ手裏剣を放っていった。シュッと風を切る音が聞こえたと思ったら、タンッという木に突き刺さる軽い音が響き渡る。
「わぁ、すごいです! さすが大木先生っ」
「これくらい朝飯前だ! よし、名前も構えてみなさい」
「はい、先生っ」
刃の部分を軽く握って腕を真っ直ぐ突き出すと、狙った樹木へ身体を合わせる。着物だからか思ったように構えが取れない。足を開くと裾がめくれてしまいそうだ。
……こんな感じで大丈夫かな?
おそるおそる、側にいる雅之助さんをうかがう。口を真一文字にして腕を組み、真剣な表情だ。いつもの姿とは違うからか、背筋がピッと伸びる。
前を見つめていると、大きな身体がぴったりくっついた。背後に回られ、体温が伝わるようで恥ずかしさに顔が熱くなる。
「もっとあごを引くんだ」
「ええっと、こうですか……?」
「腕は真っ直ぐにだな、」
あごに手を添えられ、くいっと下に引かれる。腕はピシっと下からはたかれた。
指導してくれているのに……。その密着した身体の近さにドキドキして、教えてくれた半分は頭から飛び出ていくようだった。
「おい、腰が引けてるぞ」
「す、すみません! ……ひゃぁっ」
ぐいっと腰を引き寄せられて、お尻をするりと撫でられる。突然のことで変な声が出てしまった。
……は、恥ずかしい。
背後の雅之助さんを振り返れば、目尻を下げ口元はニヤリと釣り上がっている。
「変なことしないでください!」
「変なこと。はて、何のことだ? ……ほれ。いいから打ってみろ」
「……もう」
「なにか言ったか?」
「い、言ってません!」
深呼吸をしてから、教えてもらった構えをとる。上から下にスッと振り下ろしながら、手の中の手裏剣を放っていく。
「あれーっ、だめだ……」
「手を離すタイミングと打つ角度だな」
「難しいですね……!」
「初めてにしては上出来だぞ。一年は組のヤツらはとんでもない方向に打つからなぁ」
「先生っ、ありがとうございます」
放った手裏剣はヒョロヒョロと力なく、少し先の地面へポトリと落ちていった。
最初から上手くいかないのは分かっているけれど、やっぱり悔しい。どこんじょー!が足りないと叱られるかと思ったのに。予想外に褒めてくれるから照れてしまった。
「もう一度、やってみるんだ!」
「はい!」
「……ん?」
「どうしました、先生?」
再び構えると、雅之助さんが何かの気配を感じたようで周囲に目を配る。釣られて、私も動きを止めた。
「……ねずみがいるようだな?」
「ね、ねずみ……?」
「気にするな。どこんじょー!で続けろ!」
ねずみって何だろう……?
よく分からないけれど、せっかくの特訓だから集中しなくては。ふぅと息を吐いて、再び手裏剣を握るのだった。
*
しばらく経った頃。真上にあった太陽も少し落ちて、日差しも弱くなってきた。
「そろそろ切り上げるか」
「大木先生。たくさん教えてくださり、ありがとうございました!」
「お前、なかなか筋があるな。教えがいがあったぞ」
「そうですか? 嬉しいですっ」
「だが、実践しようとするなよ」
「も、もちろん! ……そんな事、しませんから」
図星をつかれて取り繕うと、雅之助さんはクク、と喉を鳴らし笑う。端に置いた荷物を背負うと、二人で山を降りていった。
みっちり教えてもらって、何回も手裏剣を打ち続けて、最後は木の幹にちょこんと触れるくらいまで上達した。木に突き刺さるにはほど遠いけれど……。くの一みたいな自分に得意になって、自然と足取りが軽くなる。
「私も手裏剣ほしいなー、なんて?」
「さっき言ったばかりだろう。危ないからダメだ」
「そう、ですよね」
「鉢巻きならやるぞ! ほれ」
「えー!? 鉢巻きって……」
手裏剣の冷たくてずっしりした重さが格好良くて、つい欲しいだなんて言ってしまった。でも、やっぱりダメで。雅之助さんは懐から白い鉢巻きを取り出すと、ぽんっと私に押し付けてくる。
予備があるんだ……!
くすくす笑いそうになる口元をとっさに押さえた。
「お揃いの鉢巻きだなんて。なんだか、弟子みたいですね」
「そうだな!」
がははと大きく笑う雅之助さんを見上げながら、ぎゅっと鉢巻きを握りしめるのだった。
(おまけ)
六年生全員で鍛錬をしていると、遠くから話し声が聞こえてきた。秋休みだというのに、この裏山で授業は考えられない。サッと集まって、みなで様子をうかがっている。
「おい、伊作! あの二人、一体何やってるんだ?」
「留三郎、どうした? って、あれ。名前さんと大木先生が手裏剣打ちしているね」
「名前さんって、まさかくの一なのかぁ!?」
「文次郎、それはないだろう。あまりに初級のことをやっている」
じっと見つめ続ける留三郎と文次郎に呼びかけると、さらりと結った髪をなびかせる。
「なんだか私も手裏剣打ちしたくなってきたぞ!」
「……もそ」
「私はもう行く。のぞきの趣味はないからな」
「「仙蔵、待て!」」
大木先生は当然、こちらに気付いているだろう。なぜこんな裏山でこそこそと手裏剣打ちを……? しかも、名前さんとあんなにくっつく必要があるか?
もしや、見てはいけないものだったりするのだろうか!? 興味ない風を装いつつ、内心ドギマギする仙蔵であった。