第11話 春の嵐

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空がどんよりとした雲に覆われている。湿気を帯びた空気がひんやり冷たい。
……ずっと晴れだったのに今日は雨が降りそうだ。


食堂のお手伝いを終えて、中庭でほうきを手に持ちサッサッと葉っぱを端に寄せていく。早く終わらせようと腕を動かすと、ポツリ、ポツリ……空から大粒の水滴がこぼれ落ちてきた。

落ち葉の掃除もそこそこに、ほうきを用具倉庫に片付けてひさしの下へと急ぐ。すぐに雨から逃げてきたはずなのに、頭や肩、足元がびしょびしょに濡れてしまっている。

遠くからピカッと光の筋が見えたあと、少ししてからゴロゴロと轟音が響いた。



――ザーッ…

バケツをひっくり返したような雨に、これは……本格的に降り出してしまったなと困ってしまう。


濡れて張りつく頭巾を取り、髪を整えながら空を眺めていると、遠くから早く急いでー!という忍たま達の声が聞こえてきた。


あの声は……乱太郎くんかな?

赤毛のふわふわとした髪が雨でずぶ濡れだ。背中にはカゴを背負っていて、左右に揺らしながらこちらに駆けてくる。

続いて、紫色の髪と背の高い栗毛色の髪の子が息を切らして走ってくるのが見えた。全員、珍しく私服姿だ。


「乱太郎くーん!」

「あっ!名前さん!」

雨音にかき消されないよう大きな声で、こっちこっちと呼びかける。私に気がつくと大きく手を振ってくれて、一緒にひさしの下に避難した。


「三反田数馬せんぱーい!善法寺伊作せんぱーい!こっちでーす!」


バシャバシャと泥水をはねながら、二人もなんとか私たちのところへたどり着いた。びしょびしょの袖をぎゅっと絞り、濡れた前髪をかき上げている。


「乱太郎くん、数馬くんに伊作くんも。大きなカゴを持ってどこに行ってたの?」

「わたしたち保健委員なので、裏裏山に薬草を採りに行ってたんです。これを干して薬にするんですよ!」

「ええっ。自分たちで薬草から薬を作ってるんだね、すごーい!」

雨でずり下がるメガネを直しながら乱太郎くんが教えてくれた。すごい知識だなあと感心すると、三人とも得意げな顔だ。


「みんな、急に雨に降られて大変だったね」

「それは、名前さん。保健委員にとってはよくあることですから」

伊作くんが困ったように笑うと、乱太郎くんも数馬くんも顔を引き攣らせていた。

……いつものこと、かぁ。
日々の苦労を想像しながら、暗い空を見上げる。


しばらく待ってみたけれど、雨は止みそうにない。みんなで並びつつ医務室へと向かった。




名前さん、僕のこと覚えてくれないだろうなって思ってました」

「数馬くんのこと、すぐに覚えたんだよ。素敵な髪色の子だなって」

「えっ、そうなんですか……?!」

隣を歩く数馬くんは、高く結い上げた髪をなびかせ嬉しそうにほほを染めていた。なんでも、よく存在を忘れられてしまい悩んでいるようだ。


学園にはたくさんの忍たま達がいるけれど、見かけては声をかけて、一人一人のことを頭に叩き込んでいた。一生懸命に頑張るみんなが可愛くて、格好良くて、きらきらしていて。親元を離れて寂しさもあるかもしれない。少しでも、彼らの力になりたいという気持ちだった。


空模様とは正反対にぽかぽかした気持ちで歩いていると、医務室へたどり着く。



「うわあっ……!」


背中に衝撃が走り、ドスンという音が重く響く。

後ろを歩いていた乱太郎くんから、私、数馬くん、伊作くんと次々折り重なって倒れていった。

「み、みなさんごめんなさい!足元が濡れて、滑っちゃいました……」


乱太郎くんが申し訳なさそうにつぶやく。伊作くんは一番下で押しつぶされながら、「怪我はないかい……?」なんて言葉を絞り出していた。

……さすが、六年生。さすが委員長。
こんな状況でも怒らないなんて、やっぱり最上級生だ。


なんとか体勢をと整えると、カゴから水浸しの薬草が飛び出して部屋に散乱しているのが見える。


「みんなで片付けよう?」

「すみません。名前さんにまで手伝ってもらって……」

伊作くんの言葉に、大丈夫!と言うようにニッと笑顔を作る。

起きたことは仕方がない。どこんじょーだ!と言いたくなる気持ちを抑えて、薬草を拾い集めていく。誰かさんの口癖がうつってしまった。

医務室にいた新野先生も手伝ってくれて、思ったより早く片付けることができた。



その後、雨だし室内でできること……と包帯をみんなで巻いていく。くるくる回していく作業と、だんだん厚く巻かれていく様子が意外と楽しい。

手を動かしながら、ふと塗り薬を思い出して今更ながら新野先生に話しかけた。


「新野先生。この間は、塗り薬をありがとうございました!土井先生からいただき、使わせてもらいました」

「あぁ、それはね。伊作くんが調合してくれたんです。捻挫はもう治ったかな?土井先生がずいぶん慌ててねぇ」

新野先生はくつくつ笑っている。伊作くんにありがとう!と小さく頭を下げると、少し照れながら優しい笑顔を向けてくれた。


あの時。土井先生、あわてて取りに行ってくれたんだ……!その姿を想像して、嬉しさと同時に気恥ずかしさが襲う。

夜も遅かったのに、保健委員はすごい責任感だなぁと驚く。みんなが怪我や病気をした時のために、たくさん勉強しているのかもしれない。


急に雅之助さんと野村先生のケンカが頭をよぎり、薬草の知識があったら役に立ちそうだな……なんて考えながら包帯を巻き続けた。


名前さんって、包帯巻くの上手ですね!」

「本当?うれしい!私も保健委員になっちゃおうかな」

乱太郎くんが褒めてくれたのが嬉しくて、わざと冗談めかして答える。すると突然、みんなが一斉に身を乗り出し、目をキラキラさせて見つめてきた。その勢いに驚き、包帯を巻く手が止まってしまう。


「「「ぜひっ!!!」」」

「じゃ、じゃあ、これからお手伝いしにくるね……!」

思わず新野先生を見るとニコニコしている。みんなの期待にあふれた顔を見ると断れなくて……。ひょんなことから保健委員でお手伝いすることになってしまった。

ちゃんと務まるだろうかという不安と、仲間に加えてもらってうれしい気持ちが入り混じる。よろしくね!なんてほほ笑むと、みんなとても喜んでくれた。





――雨が少しおさまってきたころ。気温は雨のせいでぐんぐん下がり肌寒かった。

医務室でのお手伝いも一段落して自室に戻ろうとしたとき。部屋の戸が開き土井先生が入ってきた。

どこか怪我をしたのだろうか……。新野先生とのやり取りをじっと窺うと、胃薬をもらいにきたようだ。


「土井先生、大丈夫ですか……?!」

名前さん、いつものことですから」

「いつもの、こと……」

神経性胃炎と聞いてびっくりした。
色々と心配や迷惑をかけて悪いことをしたな……と新野先生から薬をもらう土井先生を見つめる。


「先生ー!もしかして、私たちのテストの点が理由ですかー?」

「その通りだ……!」

乱太郎くんが無邪気に言うと、土井先生は苦虫を噛みつぶしたような顔になる。

今週の休みは補習授業だ!と告げられ、乱太郎くんはガックリとうなだれていた。そんなやり取りまで、なんだか微笑ましく思えてしまう。


胃薬をもらった土井先生に、これから自室に戻るところなんですと伝える。先生も教員長屋へ帰るようで、一緒に廊下を歩いて行った。





名前さん、ずいぶん濡れてしまってますね。大丈夫ですか?」

「ええ。これくらい、すぐ乾きますから」

名前さんの事務服はまだ完全に乾いていなくて、ひどく雨に打たれたところは元のねずみ色が黒っぽく染まっていた。


「でもこのままだと、風邪をひいてしまう」

「うーん……。替えが雅之助さんの着物しかなくって。着替えようか迷ってるんですけど……」

この間、洗濯したばかりなので……。そう眉を下げ、上衣を摘んで困っているようだった。


初めて会った時に着ていたのは大木先生の着物だったのか。大きさや色合いから、女性ものではないと思ったが……。


「私の着物、着てみますか?変装で使うものなんですが……」

「変装、ですか?私が着ちゃって大丈夫なんでしょうか」

「もちろん、大丈夫ですよ!変装といっても女性の格好をして、敵にバレないように……あの、その……」

彼女にその着物をまとって欲しくない嫉妬心からか、突拍子もない提案が口をついて出てくる。困惑した表情でこちらを見つめる名前さんに、もっともらしく説明する。けれど最後の方は言い淀んでしまった。

名前さんは、女性の格好……?と不思議そうにしていたが、提案してしまった手前もう引き返せない。ひとまず彼女を自分と山田先生の部屋へと案内する。





「おぉ、名前くん。土井先生もどうした?」

机に向かって書き物をしていた山田先生の視線がこちらに向けられる。名前さんは律儀に、失礼しますと頭を下げてから部屋に入っていく。


「いや、あの、山田先生……」

「なんだあ?歯切れの悪い」

「私の事務服が雨で濡れてしまって。着替えに困っているとお話ししたら、土井先生のお着物を貸していただけることになったんです」

私がはっきり答えないでいると名前さんが代わりに答える。ちらりと私を見つめる瞳が、そうですよね?と聞いている。

「あぁ、そうなんです!変装で使っている着物をお貸ししようと思いまして」


女装用とは言いたくなかったので"変装"と強調する。山田先生は、はて…?と言う顔をしたあとパッとひらめきニヤリとする。


……!?

「そう言うことねぇ!伝子にもお手伝いさ・せ・て?」

山田先生はサッと部屋から去っていき勢いよく戻ってくると、ひげ跡の残るなんとも言えない女装姿で現れた。

ぎぎぎ、と目線だけ名前さんに送ると彼女も目を丸くしてびっくりしていた。

……が、想像していた反応と全く違い裏切られる。


「わあ。伝子さんに会えた!山田先生だったのですね……!」


まるで探し求めていたかのように目をキラキラさせて、両手をぎゅっと握りしめて喜んでいる。

「山田先生に初めてお会いした時、伝子さんのお名前を教えていただいて、一目会いたいと思っていたのです……!」

「あらぁ、嬉しいわ!」


二人でキャッキャウフフしている姿に目眩を覚えつつ、名前さん着替えなくていいんですか?と何度か促す。

……でも、まったく聞いてくれない。


「半子さんのお着物貸してあげるなんて、優しいのねぇ」

「……っ!」

出して欲しくない名前を出され無視をしていると、やはり名前さんは食い付いてしまった。


「半子さん……?って、もしかして!」

「……はい、そうです。でも、忍務で仕方なく……!」

「えー!私、半子さんにお会いしたいです!」

「伝子も会いたいわあ」

今度は目をハートにしてこちらを見つめてくる。私の言うことなど耳に入っていないようで、二人で盛り上がっているのが気に入らない。



……もう、彼女に聞いてもらうにはこうするしかない。

キャッキャする名前さんの肩をグッと引き寄せて、耳元に唇を寄せる。


「……早く着替えなさい。風邪をひきますよ?」

低い声で、有無を言わさないように囁く。
……すこし、意地悪だけれど仕方がない。


すると名前さんは急に顔を赤くしてそそくさと着物を受け取り、着替えてきます!と部屋を出て行った。


「あらぁ、半子さん見たかったわぁ。でも、名前ちゃんの着物姿もきっと可愛いわねぇ」

「山田先生、はやく元に戻ってくださいっ!」



そんなことを言い合っていると、失礼しますと名前さんが障子を開け入ってきた。橙色と淡い水色の着物が彼女の雰囲気にとても良く似合っていて艶やかだ。

着物の身幅や丈が大きくてやや不恰好にみえる。彼女に合わせるよう、寄れているところを直してあげた。


「……先生方、いかがでしょうか?」

「いいじゃないか、似合ってるぞ。なあ、土井先生?」

遠慮がちに目を伏せて、恥ずかしそうに聞いてくる名前さんにドキリとする。山田先生もいい顔をして頷いていて。

名前さん。とっても、素敵ですよ」

その一言をやっとの思いでつぶやくと、彼女は嬉しそうにはにかんでいた。




(おまけ)

――そろそろ夕飯の時間だ。
乱太郎としんべヱといつものように食堂へ向かう。

「きりちゃん、見てみて!名前さん、きれいだね!」

乱太郎がおれに満面の笑みを向けてはしゃいでいる。

カウンターで定食を渡していく名前さんをみんながびっくりして見ていた。だって珍しく綺麗な小袖を着ているんだもの。


可愛いですね!
似合ってるー!
デートだったんですか?
え、恋人いるのー!?

色んな声が聞こえてくる。
その声に、張本人はにこにことしているけど……。

あの着物は……?

「あれって、土井先生の着物じゃないか?」

「えー、きりちゃんよく分かったね!」

「そりゃ分かるよ!でも、どうして……?」

「ねぇねぇ、もうぼくお腹すいたよー!」


名前さんの着物姿に、忍たま達の間で色々な噂が嵐のように飛び交うのだった。

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